2012年6月4日月曜日

名古屋城が引き受ける「文化」

さて、郷土愛に満ちあふれたpeaceful_hillが今回お届けする話題は、名古屋城(愛知県名古屋市)天守閣の木造復元の動きです。

名古屋城天守閣は、1945(昭和20)年の空襲で焼失後、1957(昭和32)年の名古屋市制70周年記念事業として再建工事が開始され、2年後の1959(昭和34)年に竣工しました。現在の天守閣は鉄骨鉄筋コンクリート構造で、内部にはエレベーターが設置されています。(ここで名古屋城の写真をお見せしようと思ったのですが、あいにく手元に写真データがない、というか10年近くまともに名古屋城を見たことがないかも……。笑)

ところで今、この天守閣を戦前の木造に復元しようという動きが一部にみられます。どうやら名古屋市長が復元に積極的なようで、今年2月には「名古屋城の将来を語る市民大討論会」という木造復元に関する意見交換会が開かれました。
参加者からの意見には次のようなものがありました(上記サイトより一部抜粋)。
<賛成>
・日本の歴史的文化遺産として後世に残すためにも木造天守閣は必要
・木造天守閣は名古屋市民の未来の象徴となるので賛成
<反対>
・寄付を集めて建てられた現在の天守閣を壊すべきではない
・二度と燃えない天守閣とするためにコンクリートで造られた経緯があり、現在の天守閣を壊すのは名古屋のアイデンティティを失うことになる

名古屋城には戦前の詳細な実測図が残されており、正確な復元ができるらしいのですが、それをめぐってこれほどまでに異なる意見が出されるのを興味深く思いました。すでに記事はリンク切れになっていますが、毎日新聞にはさらに「城を本物にしてこそ、人が集まる」「質の高い文化を提供する時期。海外から訪れたいと思わせないといけない」という復元積極(賛成)派、「名古屋の50年を見守ってきた今の天守閣には固有の価値がある。まずは天守閣の再評価から行うべきだ」という復元慎重(反対)派の意見などが紹介されていました(毎日新聞20120220)。

ここで私が感じたのは、積極派・慎重派のいずれもが名古屋城の「文化」を大切にしたいと考えているということ。その「文化」の意味合いが、積極派にとっては「真正な文化」であるのに対し、慎重派にとっては「身近な経験から積み上がる文化」なのではないかと。
結論がどうなるにせよ、個人的には、戦争で焼失を経験した市民が「二度と燃えない天守閣を」という思いでコンクリート造にしたという話に(真偽のほどは別にしても)ぞくぞくっとしました。

(peaceful_hill)

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