2013年12月28日土曜日

国境を超える表現者―シンガポールのアーティスト・イン・レジデンスと演劇国際共同制作

mihousagi_nさんがご紹介くださったにもかかわらず出席がかなわなかった自身の学会発表についてもご報告したいところなのですが、今回は国境を越えた表現活動について、今年自分が体験した二つの事例をご紹介したいと思います。

その1:「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業」報告書
 ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、文化庁の「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業」報告書がWeb上で公開されています。私も小林ゼミ同期・Kさんのご紹介で、シンガポールの現地調査をお手伝いさせていただきました。この調査、よりよいレジデンス事業実施のために世界各国の事例を比較検討するという趣旨で行われたのですが、その意義は大きく次の二点に集約されるのではないかと思っています。①現地調査の過程で行われる日本と諸外国の情報交換・人的交流と②現役アーティストがすぐにでも使える多種多様なレジデンス事業を網羅したデータベース的役割です。
 報告書冒頭の総括部分に「アーティスト・イン・レジデンスとは(略)アーティストに国境を越えた移動と滞在を促し、各国、各都市の文化的な「価値」や「事情」が人と人を介してグローバルにリレーしていく仕掛けである」(報告書p.3)という記述がありますが、私は調査に関わってこの主張に強く共感しました。というのは、まさに調査の過程が「リレー」の一環に思えたからです。問題意識の高いシンガポールの芸術機関は私達の質問に答えるだけでなく、日本の状況について積極的に情報交換を求めました。「シンガポールのここにこの人が居る」、「日本のここにこの人が居る」という繋がりは、今回限りの調査で終わるものではなく、未来の共同作業への種まきのように見えました。つい先日、公演で東南アジアを訪れていた日本人アーティストをこの調査で知り合ったシンガポールの関係者にご紹介することが出来、私も微力ながらリレーを繋ぐことができました。引続き、バトンを受け渡していけたらと思います。
 ひとくちにレジデンス事業と言ってもその目的や形態は様々です。新しい土地で表現の可能性を追求したい表現者が、自分にあった趣旨の事業を選んで参加できれば、滞在制作の効果も倍増ではないでしょうか。この調査では世界11カ国、合計263件のレジデンス事業を調査し、その活動内容を紹介しています(現地調査が行われたのは37件。国内65団体も報告書資料編で紹介されている)。もちろんアーティストはこれらの情報をギャラリストやアートマネージャーから伝え聞いているかもしれませんし、実績あるレジデンスが紹介される半面、カバーしきれていない事業や地域もあるのですが、レジデンス事業が目的と地域別に分類されている情報は、実際の利用者にはとても便利なものに思えました(報告書pp.10-11で7種類に分類)。
 ちなみに、日本からの調査員のみなさんは現地調査の際、国際交流基金が運営する日本のレジデンスを紹介するデータベース・AIR-Jのパンフレットを持って調査先を訪れていたのですが、日本のメジャー都市は熟知しているシンガポールの機関が注目したのは地方のレジデンス事業でした。小林ゼミ時代から地方の芸術文化を応援したいと思ってきた自分にとってはなんとも嬉しい反応でした。まだ見ぬ日本の魅力を外からの表現者が発見してくれる、もしくは日本の表現者が発見しに行く機会が益々増えることを祈ります。

その2:シンガポールで行われた二つの演劇プロジェクトについて
 人と人が国境を越えて出会う時、多くの場合は言語の壁に遭遇すると思います。シンガポールは多人種・多言語国家であり、国際共同制作かどうかに関わらず複数の言語が飛び交う演劇公演が字幕付きで開催されることは今や日常茶飯事です。セゾン文化財団のニュースレター『View Point』65号(2013年11月30日発行)には、シンガポールを拠点に活動する滝口健さんの翻訳の役割に関する興味深い論考が掲載されています。本文中に登場する日星国際共同制作の演劇作品『モバイル2 フラット・シティーズ』と、シンガポール人劇作家フジール・スライマンの戯曲『コギト』を日本の劇団・三条会が日本語で上演するプロジェクトに自分も関わらせていただき、翻訳作業の現場と可能性を体感することが出来ました。
 『モバイル2』には現代日本の若者、インド系マレーシア人、東南アジアに移住した日本人、第二次世界大戦中の日本軍人など、様々なキャラクターが登場し、それぞれが、たとえば「日本人」と聞いて思い浮かべる像に対して異なるイメージを持っています。創り手側がそれらを理解した上で作品が練られているのですが、事前のリサーチとインプットには想像を超える手間と時間がかけられていました。そしてそれに伴って生じる大量の翻訳。国際共同制作ならではの面白みを醸成する「文化的交渉」(p.5)が作り手の間でいかにスムーズに行われるかは、異文化の仲介者である翻訳者の動きに関わって来ると痛感しました。
 『モバイル2』は2013年、シンガポールとマレーシアで上演されましたが、現在日本公演に向けての準備が進められています。舞台上に提示される様々な視点に直面して、それぞれの地域の観客たちは作り手が創作過程で体験したような疑問を感じたことでしょう。近い将来、日本に住む観客のみなさんがこの作品をどのように解釈するか、今から楽しみです。
 ところで演劇における翻訳といえば、通常外国語の戯曲を日本語に訳すことを思い浮かべるかもしれません。三条会とチェックポイント・シアターによる『コギト』翻訳プロジェクトでは、普段何気なく触れている翻訳の文体の裏にある解釈の作業を、翻訳者だけでなく劇作家も俳優も演出家も体験するというワークショップが行われました(翻訳作品は2015年上演予定)。
 私にとって最も印象的だったのは、文体によって登場人物の性格のみならず立ち居振る舞いまでが左右されるという日本語の性質でした。シンガポールで何気なく目にしている英語演劇とその華語字幕、マレー語演劇と英語字幕の間には、もしかすると多くの「ロスト・イン・トランスレーション」があるのではないか、と気付きはっとしました。
 
 今やインターネットをつかって世界のどことでも瞬時につながることのできる世の中になりましたが、実際にその地を訪れた時の衝撃、現地の人々との(良い意味での)衝突はバーチャルな空間で味わうものとは違うはずです。芸術文化のいいところは、それが個人の体験にとどまらず、作品として観客の目に触れるところ。これからも様々な作品を通して、思いもよらない文化間のギャップや、外の視点で描かれる日本像に敏感でありたいと思います。(齋)

2013年12月22日日曜日

ギャル文字・(´・ω・`)・AA・誤変換・文字化け・漢字を書けないことと書けない漢字を書くこと・常用漢字

 連続的にバンバン投稿できるのが理想なのですがなかなかそうもいかないものですなあ。

 S藤先生の原点でのお話にも関わって僕が普段考えていることその2を書いてみようと思います。
 I田さんが質問されていたフリック入力の話にもつながるものだと思いますけどね、デバイスの進化による現代人と文字の関係性の問題です。

 あれは高校生の時だったのでちょうど10年ほど前の話。部活の懇親会かなんかでカラオケに行ったときにギャル文字表示の歌を歌わされてびっくりした記憶があります。ギャル文字は見たことあったし歌詞を覚えている曲だったのでなんとか歌えたのですがまあ面食らいましたね。маシ〃τ〃⊇ぅレヽぅ感U〃σ表言己τ〃UT=ヵゝら★。ギャル文字って非常に面白い現象だなーと思うのは、携帯電話とかパソコンとかで上記のように表現するときにいろんな特殊記号や外国語の文字を多用して表現することですよね。というのは、紙にペンで書く場合はそんな記号やらギリシャ文字やらを知って書いているわけではないのですから。おそらく80年代~90年代くらいに中高生女子の間で流行った丸文字文化の延長にあるものだと思いますが(そしてその丸文字文化はワープロの普及とともに「フォント」という概念が浸透したことがその土壌にあったのではないかと睨んでいますが)、紙にペンで書いていた、デジタルでは表記しがたい文字を如何にデジタルに表現するかという場面に直面した時に材料として与えられていたデータ内の多くの記号や文字を「かたち」とみなしてデジタルでは表記しがたかった文字を(半ば無理やりながら)表記できるようにまでしてしまったという、制約がある中で最大限に表現を追い求めた非常にクリエイティブな営為であったと思っています。
 似たような現象としては顔文字(´・ω・`)、AA(アスキー・アート)など日本人だからこそ生み出せたのだろうというものすごい文化がありますよね。文字と記号のみが使用可能であるというデジタルデバイスが持つ制約の中でいかにクリエイティブに思うような表現を描き出すことができるのか。デバイスの進化と日本人の想像力・創造力が切磋琢磨し磨き上げられてきた新しい言語表現ではないでしょうか。
 デバイスの進化による文字表記においては一方である種の失敗が生み出した現象も起こっています。誤変換と文字化けです。つい昨日今日にもこんな画像が話題になっていたりします(https://twitter.com/ssdangoss/status/413640852276518912)。紙に手で文字を書くだけだった時代には起こりえなかった変換ミスが世の中で数多く起こっていることはいまさら説明するまでもないでしょう(そもそもひらがなを漢字に「変換」するという行為そのものがデジタルデバイスが生み出した新しい行為だと思いますが)。論文や書籍にも多く見受けられますが、公文書などの重要な印刷物に誤変換を見つけるとなんだかいたたまれない気持ちになります。まあ言ってみれば、活版印刷の時代の雑誌とかでまれに文字が横向きになっていたりするのも誤変換に似た一種の誤表記ですよね。文字化けは特に90年代に多く最近はマシンの互換性が高くなってきたのかだいぶ見かけなくなってきた気がしますが、これもデジタルデバイスでなければ起こりえなかった新しい言葉のありかたですよね。椎名林檎が2000年に文字化けした表記を曲名に載せた楽曲を発表していることにはこの時代だからこその意味付けがなされるのだろうと思います。ギャル文字や顔文字は言うなれば意図した文字の乱用、誤変換や文字化けは予期せぬ文字の乱用であるという言い方もできるでしょうか。
 小さいころからパソコンを常用することによって最近の若者はパソコンでしか字が書けなくなった、漢字を書けなくなったという指摘は近年よく聞かれます。本当にそう言えるのかどうかは私には言い切ることができませんが、少なくともパソコンの普及によって普通なら絶対覚えられないし学校では教えてくれないような難しい漢字をひっぱり出してきて使えるようになった、ということは言えるのではないかと思います。これはパソコンの文字一覧表(JISコード)を奥のほうまで見ていった時に現れる複雑怪奇な漢字たちのオンパレードにわくわくする心から発生したものだという推測は容易にできます。これによって生まれた行為は、書けない漢字を当り前のように書く、というものです。書く、よりは(キーボードを)打つ、に近いですが。
 そんな現代に生きるわたしから見てすごく奇妙に感じるのは常用漢字という制度の存在です。常用漢字って定められてある必要あるんでしょうか?これだけどんな難しい漢字も2秒前まで知らなかった言葉も簡単に使えるようになった現代社会において、テレビや新聞の記事に「なんでそこひらがななんだ…」という表記があちこちに見られすごく奇妙に感じます。「拉致事件」の表記が「ら致事件」であることによって事件の重大性の認識が少し低められているんじゃないかと日本海育ちのわたしなんかは憤るわけですが、要するにあれって常用漢字っていうものが制定されているからなんですよね。公立小学校でおそらく今も行われているであろう「習っていない漢字は使っちゃいけません」という謎の指導も学習指導要領に定められた項目なのでしょう、おそらく。まったくもってナンセンス、むしろ害悪に近い指導法だと思いますが。

 最後少し腹を立ててしまいましたが、デバイスの進化による言葉の表記の問題は現代人、特に多種多様な文字を平気で使いこなす器用な日本人にはかなり重要な現象なのだとパソコンをいじりながら日々わたしは考えているのです。

  (志)

2013年12月16日月曜日

第7回日本文化政策学会ポスターセッションのこと

大変久しぶりの更新になってしまいました。tantakaです。

pugrinさんも書いてくださった通り、11月30日と12月1日に行なわれた日本文化政策学会で、小林ゼミは今年度もポスターセッションに参加しました。
2ヶ月弱をかけ、試行錯誤の連続ではありましたが、修士1年と博士課程の先輩方でポスターをまとめ、なんとか完成形までたどり着くことができました。
ポスターは以下の通りです。




1日目からポスターは掲示し、多くの方に見ていただきましたが、
2日目の11:30~13:00にはコアタイムがあり、コメントやご質問も数多くいただきました。

その中でも特に印象に残っているのが、「地域の活性化とはどういうことか。定量的な評価が必要ではないか。」というご質問です。
修士課程に所属する学生の方からでしたが、ご自身でも考えあぐねているとおっしゃっていました。
その後修士1年で話していて、定量的に地域の活性化を評価することの意味を考えたりしました。
もちろん正解があるものではないと思いますが、私たちの間で議論したことは、
定量的に評価できることではなく、定性的に評価することの方が意味をなすかもしれない、
ただそのとき私たちの中には定性的に評価する語彙がないから、その勉強が必要だね、という話で落ち着きました。
定量的には測ることができないことでこそ、「地域が活性化した」と言えるのだろうと考えています。

また、このポスターを今後地域にお見せするのか、今後はどうやって活動を続けていくのかというご質問もいただきました。
実際、大町市と高山村に最終的にご報告することを考えて、ポスターをまとめました。
また、今後の取り組みについてもこれからゼミで話し合うことになると思いますが、
何かしらの気づきにつながればと考えています。

コメントやご質問をくださった方々からは大方好意的に見ていただき、
また様々な方と私たちのポスターを介して話すことができ、勉強になったとともに、
私たちの経験や考察をちゃんと伝えることができたのではないかと思っています。


時間は経ってしまいましたが、ご指導くださった先生、先輩方、ありがとうございました。

(tantaka)

2013年12月14日土曜日

今週の火曜日に自転車で退勤中、自動車にはねられて、救急搬送されました。若い時は受身をとっさにとれるのですが、衝撃になすがままでした。ヘルメットは壊れましたが、頭は大丈夫でした。自転車を乗るときはヘルメットが大事です。
どうも今週は疲れました。しかも事故は今年2回目。
それはともかく。

先日の文化政策学会では、最後にある先生から、『社会教育の終焉』は古典では?との指摘を受けました。たしかに、昔からその議論はあるし、誰もが気が付いているのかもしれません。今更持ち出すなという批判もあるかもしれません。

でも、どうしても古さを感じてばかりいられない自分もいたりします。

なぜだろうと思索を巡らすと、社会教育から出発している生涯学習は自己変革をしてきたように思います。しかし、そこから派生してきた(少なくとも基礎自治体レベルでは)文化財保護行政は、いまだに市民を“オシエソダテル”という形式から離れなれないように感じられます。
 
これは単に、担当者個人の資質の問題だけでなく、文化財保護に欠かせない調査の方法に含まれる権力構造にあると考えています。

すでに民族学(あるいは民俗学)では、方法の中に含まれる政治性についての批判がなされてきました。しかし、例えば考古学はその反省に立ってきたかといえば、必ずしもそうではない。ましてや、行政という主体が行う発掘調査という方法の中に、政治性が含まれるなんてことは誰も考えていない。いや、考えようともしなかった。

ある会議で、私が行政発掘によって得られた成果をきちんと市民に対して示すべき(この態度も今となっては反省しべきかもしれない)ことを主張したのに対して、ある人が「難しいことを言っても判らないのだから、市民には判るものを判るとおりに示すべき」との回答をもらったことがありました。このこと自体、社会「教育」どころか、教育ですらないのだと悟った記憶があります。私は判らない(判りにくい)ことを判りやすくするのが、教育行政だと考えていましたので、結構衝撃的でした。

この時点では、パーソナリティの問題だと失笑していたのですが、よくよく考えてみると、実は発掘調査という手法自体が抱える問題と不可分の関係にあることが何となく見えてきています。発掘調査というと、既にわかりきったものを掘り出す感覚にとらわれがちですが、実際には、出土遺物の年代や土層の堆積状況などを総合して、遺構や遺物、さらにはその総体である遺跡の意味付けを行っていく作業が発掘調査という作法です。それゆえに、遺跡を遺跡として認定し、遺跡の年代や社会的な価値を付与していくのは、果たして誰であるべきかという根本的な問いがなされないまま、何となく専門家的な人が行なうべきで、素人である市民はその結果を享受する(本当は享受もしていないのかも)のを小鳥が親鳥からえさを与えられるがごとく、受け身にならざるを得ないのが暗黙のルールとなっているのではないかと私は思っています。

この手法ゆえに、無知蒙昧な市民をオシエソダテルという社会教育システムは、文化財保護行政では根強く残ってしまっているのではないかと考えています。この背景には、文化財を聖域とみなす風潮が行政組織内外に存在してきたことと深い関係があるのかも知れません。「聖域だから素人である市民は直接発掘調査に関わることはできない。専門性を持った一部の人々が、発掘調査という方法によって地域を知ることができる」という暗黙のルールが、やがて独り歩きして、発掘調査という手法と市民は縁遠い関係にあると私たちは思い込まされてしまっていのではないかと感じています。

このように解釈すると、文化財保護行政という枠組みではまだまだ社会教育には、松下啓一の議論は有効なのではないかと勝手に想像していました。

(ま)


2013年12月13日金曜日

お経・暴走族・救急車・ディズニーランドの園内BGM

 法事の時にお坊さんが上げるお経って何言ってるかわかんないですよね。法事の場に参加している者としてお経が何言ってるかわかんない状態でもいいんですか?ってお坊さんに聞いたところ「お経が何を言ってるかはわからなくていいんです。大事なのはお経の声が聞こえている範囲の空間に当人のために親族や血族が集まっているということなんです。」という答えを頂いた、というアネクドートは原田宗典さんのエッセイだったと思います。
 声や音っていうのは根源的には空気の振動ですからね。その声や音が聞こえている範囲の空間にいる人々にはそのサウンドが鼓膜や体を震わせて物理的なレベルで一種の共有体験になるわけです。
 昨年フォーラムに向けた会議の時にディズニーランドのBGMのことをちらっと話したら「誰と行ったの?」的な方向に持って行かれそうになったのですが僕が言いたかったのはそういうことじゃなくてですね(「祭」の話してる時だったのかな?)、ディズニーランド、ここでは東京ディズニーランドのことですが、あそこって舞浜の駅降りてから帰途に就くまで園内にいる間ずーっと途切れることなく楽しげでどこか幻想的なBGMが流れ続けているんですよね。もちろんディズニーの凄まじいまでの演出力っていうことではあるんですが、あの無際限なBGMを「音の空間性」という視点から考えるとですね、その音楽が響いている空間に居続けている間は夢と魔法の国にいるんだよという意味になるんだと思うんですよね。音は空間を支配しますが、その空間にいる人々には同じ意味が与えられるんだよということです、お経と一緒で。
 「音の空間性」は日常生活を送る中で随所で体験することができます。たとえば救急車やパトカー
(「パトカー」という略語もすごい昭和な匂いがしますが)などの緊急車両がサイレン鳴らして走っている姿。運転免許持っている方は学科で習ったはずですがあれは要するに緊急車両が通りますから道を開けてくださいっていうサインなわけですよね。それを文字や表示(だけ)でなくサイレンという音を使って警告しているわけです。その対象はサイレンが聞こえている範囲の空間にいる車両の運転手なわけです。見たことはありませんが救急車を上空からヘリコプターで追い続けたら救急車の周りだけ一瞬ほぼすべての車両がストップするという現象が起こっているはずです。その円はつまりサイレンが聞こえている範囲であり、それがつまり「音の空間性」を利用したサインというわけですよね。
 それから「音の空間性」を逆手にとったのが暴走族のけたたましいエンジン音ですよね。あれは周囲の人々をうるさがらせるのが目的の爆音なわけですから、誰かに聞いてもらわないと意味をなさないんです。オバケと一緒です。だから彼らはわざわざ住宅街や観光地など人が多い場所でバリバリパラパラ鳴らすわけです。「音の空間性」の理論を本能的・野性的に感じ取って逆の方向に利用している例だと思います。あの爆音は砂漠の真ん中とか誰もいない山道とかでやったって意味がないんですよね。うるさがらせる対象の人々がいないわけですから。そう思えばかわいいもんだと思いませんか。
 暴走族の爆音は実は乳幼児の奇声にもつながるものだと思っています。幼児くらいのこどもって突然大声で叫んだりしますよね。あれがいやだからって子供が嫌いな人も多いみたいですが。なんで子供って大声出すんだろうなって考えたことがあるんですが、ぼくなりにたどりついた答えがこの「音の空間性」だったりします。子供が奇声を上げると、声の主である子供がその声が響いている空間を一瞬支配することができると思うんです。そうするとその空間にいる子供も大人も一瞬声の主に注意が向くでしょう。そうすれば、「お腹すいた」だったり「遊んで欲しい」だったり「さみしい」だったり「つまんない」だったり、あるいは「楽しくてしかたない」みたいな意思や感情までもその周囲の人間に伝えることに成功する可能性が一気に高まるわけです。特に子供の間は誰かに保護されないと生きていけない生き物なわけですから、その場における自分の保護者(もちろん親に限らない)に自分の存在や意思、危険などを伝える必要があるんです。そのために最も手軽で有効な手段・道具が自分の声・奇声という音なのだと思うのです。
 音を発生させることでその音の主に注目をさせることが目的にあるという意味で僕は暴走族のエンジン音と乳幼児の奇声は同じものだと思っています。ただここにはおそらく生存のための音と承認欲求のための音という相違はあると思います。
 それから音が騒音になる瞬間も面白い現象ですよね。その音が騒音であるかどうかは聞く人の立場や価値観によって変わったりしますから。掃除機やエンジンなどの機械が発する音には耳障りなものが多いですが多くは機械を動かすために必要な騒音なわけですし、むしろその機械音が大好きだという価値観もあるわけです。それから電車内でヘッドホンから漏れ聞こえるシャカシャカ音が音楽なのか騒音なのかという価値判断はまったくもって個人的かつ即時的かつ気分的なものですよね。ゴミと宝物の境界はそれぞれの人・立場・瞬間・場合・気分などの諸要素によって変化する価値観によって変わるわけです。

 なんとか修論を書き終えたということで今まで手が回っておりませんでしたゼミブログの方を少しづつ書いていこうと思います。ネタはすでにいくつも用意できているのですが忙しさとかを理由に後手にしてしまっておりましたすみません。
 特に今まで書けていなかった音楽の話をいくつかしてみたいと思います。前座として「音の空間性」の話を、今日のS先生の原点でのお話をきっかけにして書いてみました。
 
 普段僕が頭の中で考えているのはこんなようなことだったりします。

  (志)





2013年12月11日水曜日

長崎に行ってきました。

長崎県では平成22年度から、県内のミュージアムの調査を行い、活性化のための事業をやっているそうです。その一環で月曜日に長崎歴史文化博物館で講演をさせていただきました。テーマは、「地方自治体の文化行政と博物館」でした。今回は、長崎県が壱岐市と一緒に建設をした壱岐市立一支国博物館と壱岐市の文化ホールを見学させていただこうと、月曜日の夕方には再び長崎空港に向かい、壱岐行きの飛行機に乗り込みました。この日は前日までの好天と打って変わっての悪天候で(どうも長崎とはきわめて相性が悪い。前回も猛烈な雨で皆に恨まれたことがあり)、揺れる揺れる。壱岐市の明かりも見えだしてそろそろ到着するかと思いきや、機体不良ということで長崎に引き返すことになりました。

長崎県は、平成の大合併で市町村の数を相当減らした県です。それらの市町の文化施設と担当職員の状況はきわめて厳しい状況だと聞きました。ただ、その中でも長崎県はそれらを資源として活用したいという方向性を持っています。講演前の課長さんのご挨拶でも、「博物館は地域の文化資源と考えています」という言葉がありました。状況をどのように改善できるのかということを考えたとき、「劇場・音楽堂等の活性化に関する法律」で大学との連携を促すことが事業化されたように、博物館関係でもできないものかと思ってしまいます。現在私がもっとも関心があるのは、大きな力のある施設でどのようなよい企画や展示を行うかということよりも、資料や施設を有していながら人材不足(一人の職員や学芸員が複数館を所管しているような状況)で活用できない地域の博物館や文化施設の数々です。これは長崎県内の市町村だけではない問題です。最近は、「博物館の活性化に関する法律」ができないものかと思ってしまうこの頃です。大学とすると、学芸員実習をお願いして、施設のお荷物になってしまうよりも、両者にとってもう少し有意義な関係が築くことができないものかと思います。何か一緒にやりたいですよね、という話をして帰ってきましたが、とりあえず今度こそ壱岐市と対馬市に出かけて、長崎の状況をつぶさに見てきたいと思っています。

それにしても、壱岐市上空まで飛んでいきながら、戻ってきて夕食につきあってくださった県の方や壱岐市の方が、皆、とても博物館や文化行政に熱意を持って楽しそうに取り組んでおられることには本当に心強さを感じました。地域の多様な文化をどのように残し、活用して、博物館を活性化していくのか、県がイニシアティブを発揮しながら県全域で考えていることはすばらしい取組だと思いました。

さらに、もう会期は終わってしまいますが、長崎歴史文化博物館で行われていた朝鮮通信使の展覧会で展示されていた韓国のアーティストが制作した人形がすばらしかったです。朝鮮通信使の行列が華やかによみがえったようでした。

(M.K)

2013年12月3日火曜日

紙を挟んで人と向き合う、ポスターセッション。

今年も残すところ29日(((゚Д゚)))ガタガタ
pugrinです。

11月30日(土)、12月1日(日)は文化政策学会@青山女子短期大学でした!

今年も小林ゼミからはポスターセッションに参加。

高山村・大町プロジェクトと小林ゼミのかかわりについて
「地域の文化が文化資源にかわるとき」というタイトルで
修士1年3人とドクターの先輩方でまとめました。

 
 
他にも静岡文化芸術大学、早稲田大学から参加があり、
会場は写真の通りの大賑わい。
こちらが私たちのポスターの発表風景、
修士1年のリーダーが話しているところです。
 
10月に冬学期が始まってから、タイトル決め→レイアウト→内容と、
2か月間練りに練ってつくりあげてきました。
 
「地域の文化が文化資源になるときはいつなのか?」
「そもそも文化資源についてゼミ内での共通認識はできているのか?」
「文化が文化資源になったらどうなるのか?」
「発展とはどのようなイメージなのか?そもそもその言葉を使うのはふさわしいのか?」
など、毎週毎週ゼミ内で、またミーティングで侃々諤々の話し合いを重ねて
リーダーがかっこよくまとめあげた発表です。
 
自分の研究計画をポスターにしている参加者もありましたが、
小林ゼミの特徴は、「みんなで取り組む」という点だと思いますので
その中で知恵を出し合い、議論し、納得いくまで考えて表現する
というプロセスを経たことは、大きな経験だったと思います。
 
・文化資源は観光ありきの資源ではない
・文化を持続可能な資源とみること
・地域の人たちが自ら考えることと、それぞれの役割をきちんと果たすこと
・過去と未来につながる1地点にいることを自覚すること
 
単なる事例報告や分析ではなく、直に高山村・大町市に関わった経験を通して
こういった内容を強く盛り込めたのではないかな、と思っています。
ポスターセッションの最初から最後まで、
話を聞きたいというお客さんが絶えなかったのはとってもうれしかったです!
 
修士1年のみなさま、博士の先輩方、
お疲れ様でした!!!


2013年11月26日火曜日

文化政策を考える研究会 in 小金井

かつて私たちのゼミで深く関わってきた、小金井市ですが、NPOアートフル・アクションが以下のような勉強会を連続で開催しています。今回ご案内するのは第二回目になります。
関心のある方は是非ご参加ください。

http://artfullaction.net/index.php?itemid=201

(M.K)


2013年11月21日木曜日

ご案内:日本文化政策学会第 7 回年次研究大会

大学の銀杏がきれいな季節になってきました。
そして秋は学会シーズンでもあります。

日本文化政策学会第 7 回年次研究大会
研究大会テーマ「グローバリゼーションと文化政策」

■日時:2013年11月30日(土)午前・午後、12月1日(日)午前・午後
■会場:青山学院女子短期大学北校舎
■参加費:会員1,000円・非会員3,000円・学生1,000円(※当日申込は各1000円増です)
※ポスターセッションおよび企画フォーラム、特別フォーラムのみの参加は無料です。直接会場にお越し下さい。
■主催:日本文化政策学会
■協力:公益財団法人 上廣倫理財団
■特別協力:青山学院女子短期大学、青山学院大学



プログラム詳細(開催要綱)は学会HPに掲載されています→こちらをクリック!

小林ゼミの現履修生・過去の履修生はじめ、
文化資源学研究専攻関連の発表者もたくさんいます。

・齋藤梨津子
 「ブキット・ブラウン華人墓地保存運動にみるシンガポールの文化政策と市民社会の発展」
・土屋絢子
 「演劇改良論争における「脚本」観をめぐる考察」
・張依文
 「自治体文化政策形成の仕組みについて再考 台湾宜蘭(イラン)県の「文化立県」への道」
・李知映
 「韓国における米軍政期の文化政策」
・長嶋由紀子
 「1970年代フランスの「文化アクション」と地域民主主義
  ~グルノーブル「文化の家」の活動を手がかりとして」
・菅野幸子
 「英国の文化政策の転換点としての1970年代」
・土屋正臣
 「戦後フィールドワークにおけるアカデミズムと在野
 -野尻湖発掘参加者の多様化を中心として-」
・作田知樹
 「文化権としての「芸術的表現・創造の自由権」の文化政策への反映
  ―人権侵害が懸念される国内事例の調査・監視の必要性―」
・鄭仁善「日韓の「外国映画輸入自由化」政策を巡って
  ―映画産業の構造とインデペンデント映画市場の変化を中心に―」

(以上、開催要綱登場順)
 
発表以外にも
ポスターセッション、事務局スタッフ、コメンテーターとしても登場予定です。

それからゼミ生の企画が採択されて、学会員公募企画フォーラムも開催します。

 日本文化政策学会 第7回研究大会 企画フォーラム
「こどもの城、青山劇場、青山円形劇場を考える ~文化政策の視点から~」
日時:2013年12月1日(日)午前9:30-11:10
場所:東京芸術劇場 中リハーサル室1
詳細は http://since19851101.blogspot.jp/

もりだくさんの2日間、関心のある方のご参加をお待ちしています!
(mihousagi_n)

2013年11月13日水曜日

男の園、福島

おはようございますpugrinです。

備忘録とご紹介のために投稿します。



この週末、福島で100年続く文化を作りたいという思いを持った
男性たちのステージの幕が開けます。

ロメオパラディッソ

http://func.tv/

主催しているのはふくしま新文化創造委員会、
代表者は31歳の男性、まだ勉強不足ですが
まずはネット上に提案書がありました。

http://www.slideshare.net/takanobumorito/2-18448751

クラウドファンドやSNS等を活用する手法で運営しつつ
最終的には震災復興記念館を建設し、大震災を風化させないようにする
という取り組みということで、ものすごくアツい。

ゼミにも修論にも非常に参考になりそうです。

必ず見に行かねば。

2013年11月7日木曜日

紀元後2013年、スーパースターは一人きりか?

一雨ごとに寒くなり、その寒さに驚くばかりのpugrinです。

先日、お友達の弟さんが劇団四季にて研究生デビューをされたので、
初めて浜松町の自由劇場へ行ってまいりました。

演目はジーザス・クライスト=スーパースター(エルサレム版)です。

http://www.shiki.jp/applause/jesus/

全編ロック・ナンバーに合わせてイエスの最期の7日間を描いた作品です。

彼はアンサンブルでの出演でしたが、イエス・ユダ・マグダラのマリアほか
大きな役のほうが少ない物語ですので、
アンサンブル自体非常に重要な役割を占めていたといっても過言ではないでしょう。

わたしにとっては、中学時代から名前を聞き
写真で見てきただけの男の子でしたが、
上京してきた友人と道すがら
やさしく気弱だった彼がなぜ田舎を出て四季を志したかを初めて聞き、
その彼が舞台でイエスに手を伸ばし、縦横無尽に駆ける姿を見て、
胸が熱くなりました。
わたしと友人にとって、舞台のスターは主役のイエスだけでなく、
アンサンブルの彼ももちろんスターなのでした。

きっと近しい人が出演しているのを見に来たほかのお客さんにとっても同じだと思います。

自由劇場は500席ほどの、四季としては小型の劇場ですが
その分クラシカルな雰囲気が漂うとともに、アットホームな空間です。

入場するとお客さんの多くはキャストボードと記念撮影をしたり、
キャスト一覧表を手に取ったり、
ちらほらと「娘がお世話になって・・・」という話し声が聞こえたりします。

有名な劇団だからこそ、ファンだけではなく
そこに夢をかけた人々、その親類縁者が晴れの舞台を見に集まる雰囲気が
とても魅力的でした。

文化施設経営について、劇団四季というモデルを研究対象として見ていくのも
非常におもしろそうだなあと思いました。
専属劇団を抱える劇場、
キャスト・スタッフ・観客といった関係者のネットワーク、
運営・財政のノウハウ、
次世代育成といったところがカギになりそうですね。

「○○をやりたい!」と思う人が、その希望を少しでも実現できるような仕組みを
都会だけでなく身近な場所に作ることについて、
文化資源学・文化経営が役立つとよいなあと思います。

ひとまず、近々手の空いたときに関連書籍を探してみます^^

もちろん、ジーザス・クライスト=スーパースターは素晴らしい内容でした!
キャストの歌声が心地よく強く響くのはもちろん、
シンプルながら奥行きのある舞台の作りには驚かされました。

わたし自身は人間イエスとユダ、そしてそのほかの信者の関係性が変わっていくような
新しい物語が、これからの社会に求められているのかもしれない、と思いました。
特に最後の十字架と星空の美しさは圧巻でしたので見たことのない方にはお勧めします!
ちなみに学生は3000円で2階席ですがよく見えます。

ではでは。





2013年10月31日木曜日

アジア諸国が文化政策を論じる意義―国際シンポジウム「2013文化的軌跡:文化治理的能動與反動」



熱心に聞き入る観客。シンポジウムは
北京語、英語、日本語で行われた。
先日台湾で行われた国際シンポジウム「2013文化的軌跡:文化治理的能動與反動(International Symposium on Cultural Trajectories: The Dynamics and Counter-dynamics of Cultural Governance)」に参加してきました。このシンポジウムは小林ゼミ卒業生のCさんが所属する国立台湾藝術大学・芸術管理文化政策研究所(Graduate School of Art Management & Cultural Policy)の博士課程の学生が中心となって毎年企画しているもので、今年は台北市と高雄市を会場に小林先生を始めとする世界各国の研究者を招いて開催されました。多種多様な発表が行われたシンポジウムを貫くテーマは、一方的な政府主導の文化政策から地域コミュニティを巻き込んだ双方向的な文化政策への変遷でした。

韓国、シンガポール、イギリス、日本、台湾のパネリスト。
国境を越えた議論とアジアにおける
理論化の必要性が再確認された。
会場の一つ、台湾南部にある港湾都市・高雄は旧植民地時代のまちなみや倉庫・金具店等を文化遺産として保全するNPO活動が成功した場所です。我々が見学した鉄道博物館として保存・修復された駅舎と路線跡や、センスのいい飲食店やライブハウスの入居する赤レンガ倉庫は若者や家族連れで賑わっていました。また、教育普及活動に力を入れてきた市立美術館と児童博物館もロビーコンサートの聴衆でいっぱいでした。その一方で、新しい高層マンションの合間に建つ古い長屋のような建物の住人や昔ながらの小さな飲食店を営む人々がアートのまちづくりから排除されていくようにも感じました。

旧市街にあるまちなみ保全NPOのオフィス。
シンポジウムの発表では台湾の客家文化を展示するミュージアムの事例や、コミュニティの生涯学習の場としての道教寺院の事例、そして原住民の文化権・文化遺産保護等が紹介されました。私自身はシンガポールの華人墓地保存運動を発表しましたが、各々が価値を見出している文化芸術の振興を訴えるだけでなく、いかにして自分たち以外のコミュニティの文化権を尊重していくかを考えるのが文化政策だと改めて感じました。

 小林先生は小金井市の文化振興条例および計画の制定のプロセスを事例に、市民参加の文化政策について講演されました。会場からはどのように市民を巻き込んでいくのか、研究者はどのような立ち位置で市民参加の文化政策に関わっていくことができるかなどといった質問が多く寄せられました。小金井市のプロジェクトは私も院生時代に関わっていましたが、この事業の肝は文化政策のあり方について声を大にして主張しない市民の意向をいかにして反映させていくかにあったことを思い出しました。「100年後のまちに何を残したいか」(小林先生)といった広い視野で文化芸術を捉えるためには、彼らとともに様々な講座やイベント、調査等を積み重ねて対話の場をつくる作業が欠かせませんでした。
日本植民地時代の鉄道跡を保全した広場。
凧揚げを楽しむ市民で賑わう。

 様々な発表を聞きながら、原住民や東南アジアからの外国人花嫁の存在がある台湾、アフリカや東欧からの移民の統合とEUとしての統合を模索するヨーロッパ、そして権威主義から対話重視の文化政策へシフトしようとしている多民族国家シンガポールなど、世界各地で他者への想像力を備えた文化政策が必要とされていることを感じました。小金井市の事例が大きな反響を呼んだように、これからは日本対欧米だけでなく、他のアジアの国々との議論がますます重要になってくることを実感したシンポジウムでした。(齋)

2013年10月29日火曜日

内輪の話(100%私的見解)

こんにちは、文化資源古株・2005年度入学6期生のmihousagi_nです。
育児休学も挟んで今年度末で晴れて満期退学、
博士論文早く出したいんだけど時間に追われる今日この頃です。

先日、
今年修士論文を提出するM2の方と研究室でおしゃべりしていて、
重要度の割に知られていない情報らしいと感じたので、ブログに書いてみることにしました。

内輪の話で恐れ入りますが、
これから文化資源を受験したい!と思う方にも、
関係ない話ではないかと思いまして。

何かというと
「文化資源学の博士課程への進学は簡単ではない」ということです。

外部からの博士課程受験者の合格者も、
研究室発足からこれまでの累計で、
片手で数える程もいなかったりしますが、
(そうした事情もあってか?学生の中には
 他所で修士号を取った後に修士課程を受験してきたダブルマスターの方もいたりします)
今回話題にしたいのは、
文化資源の修士課程から博士課程に進学を希望する、
いわゆる内部進学の場合です。

私も他の大学院をよく知らないのですが、
大学や専門分野によっては、
修士論文は中間試験的な位置づけで、
ちょっと出来が悪かったらもう1年M3をやる場合もあるけど、
希望する学生は基本そのまま博士課程に内部進学、
というところもあるみたいですね。

文化資源学研究専攻博士課程は、そうじゃないです。
少なくとも入学以来これまで、
私が大学院試を観察してきた限りでは。

もちろん年度によってバラツキはありますが、
これまで眺めてきた感覚では、
内部進学希望者のうち、
実際に審査を経て進学を認められるのは半分以下です。
特に人数の多い文化経営はその傾向が顕著です。

まったくの私見ですが、
これは文化資源に学部がない、学部生がいないことも関係しているような気がします。
学部から大学院に進学する場合に先生方がチェックするような事項が、
修士課程から博士課程に進学する時点で、改めて問われているように思えます。
こいつは自分で問題意識を持って研究を進めていけそうか、
その能力があるか、根性があるか、見込みがあるか、などなど。

要するに、修論を出せば博士に行ける、という世界ではありません。
修論の内容、端的にいえば質が問われます。

個人的には、
博士課程進学を希望する場合、
希望がかなわなかったときの身の振り方をどうするか、
全く考えずに博士課程を受験するのは無謀だと思っています。

ちなみに私は、
口頭試問から合格発表の日まで、
落ちたらどうやって就職活動をするか、
ひたすら段取りをシミュレーションしていました。
小心者なので、発表当日は、
受かったらどうする、落ちたらどうする、と
場合分けして、自分の予定を細かく計画していました…

もちろん、修士論文を撤回して留年、
もう1年M3をやって再挑戦という方法もあります。
が、文化経営でそうやって3年目で進学を決めた事例は、
これまで御一人しか知りません。
もちろん、私が知らないだけかもしれませんが…
もう1年かけたからといって、必ず受かるものでないことだけは確かです。

文化資源学研究室は、知的刺激のあふれる楽しい空間です。
修士論文は、そこで過ごした2年間(※社会人長期履修の場合は4年間)に
学んだこと、考えたことの集大成です。
文化資源生活の経験や思い出を胸に、修士号という証を持って、
次のステージに進んでいくわけです。

修士課程の次のステージとして博士課程に進学するにあたっては、
「修士課程の勉強や研究が楽しかったからこれからもここで学びたい」というだけではなく、
文化資源学という発展途上の学問の名の下に、
いっそう研鑽して研究に取り組めるかどうか、
その姿勢とか能力とか素養とか覚悟といったものが、問われているのではないかなと思います。

まだ修論提出まで1カ月ちょっとあります。
提出直前の追い詰められた1カ月は、
その分伸びしろも大きい時期です。
受験される方もそうでない方も、
全力でがんばってほしいなと思います。

修士課程入試は伸びしろ採用、
博士課程入試は根性採用だったと思うので、
博士論文では研究者として知的に評価されたいと思うmihousagi_nでした。

2013年10月24日木曜日

マスクが必要な文化遺産?

修論執筆中のはずが、何故か投稿するNです。

今行っている研究に際して、将来必ず行くことになる街、ポーランド南部のKrakówに関する話題です。この場所はたとえて言うならば「首都ワルシャワが東京、クラコフは古都京都」といったところ。

そのクラコフがこの度UNESCOの創造都市ネットワークの一つである文学都市に選出されました。
古くから学術都市であったこと(国内最古のヤギェウォ大学は1364年創設)、ノーベル文学賞受賞者が暮らしたこと(チェスワフ・ミウォシュやヴィスワヴァ・シンボルスカ)、出版や文学活動が盛んであることなどがその理由であるようです。
ちなみに私の研究対象である劇作家もこの街が国内における活動場所でした。

但し、この街は最近のある調査で「EU内で三番目に大気汚染がひどい街」と報じられた場所でもあります。問題となっているのは世界文化遺産にもなっている中心部ではなく、おそらく郊外。
南部は昔から工業地域であり、林立する工場や発電所が影響している模様。
長期的に見れば自然エネルギーへの転換が望ましいですが、それよりも現状維持の方が現実的なのだろうとも感じます。ドイツ並みの面積とはいえ、経済的にはそうではありません。
今週のゼミで先生から「ドイツから物価の安いポーランドへ、人々が国境を越えて買い物へ行く町」のことを聞いたときにそう思いました。

(N.N.)

追記:Krakówを日本語訳の慣例に従いクラコフと読むべきか、クラクフと読むべきか(óは「う」の音です)、自分の中で時々ごっちゃになります。

2013年10月20日日曜日

BeSeTo演劇祭

雨ですね。
雨の日は何だか体が重くって(無論、気圧の問題かもしれませんが^^;)、一日中家でゴロゴロしたい気持ちになります。

久しぶりです。
bangulです。

この前、BeSeTo演劇祭が始まりました。
この演劇祭は、ご存知だと思いますが、日本と韓国と中国の文化交流という枠組みで行っている演劇祭です。が、といっても東京、ソウル、北京といった各国の主要都市の頭文字で構成されていることからも推測できるように、それらの都市で活動している人々の交流であると、その上ある限られている人々の交流であると私は思っています。
http://www.beseto.jp/20th/index.html

この演劇祭が今年で20年となり、盛りたくさんのプログラムが準備されています。
特に今回は、『BeSeTo+(プラス)』というプログラムも設定、日本においては今までより広く業界の人々との交流を試みているようです。
今回のこのような動きは、私が思っていた「ある限られている」というイメージを少しでも抜けようとしている気もします。

同研究室の博士過程、金世一さんも、この試みの中で演出作品を上演いたします。
『秋雨』という作品で、2012年、韓国密陽夏公演芸術祝祭作品賞受賞作品でもあります。
http://www.beseto.jp/20th/program/plus_tokyo_prog08.html
また、韓国での演劇仲間らが来日して日本と共同作業をしている作品もあります。
http://www.beseto.jp/20th/program/plus_tokyo_prog05.html

私が直接関わる作品は、二つあります。
1)『ペール・ギュント』
http://www.beseto.jp/20th/program/tokyo_prog03.html
2)『多情という名の病』
http://www.beseto.jp/20th/program/tokyo_prog05.html

この中、特に『ペール・ギュント』は、韓国で好評を得た作品で、個人的に凄く興味を持っています。
(関連ホームページには劇団ヨハンザとなっていますが、正しくは劇団ヨヘンザです。)

この演劇祭が東京で行うのは、2010年以来3年ぶりですので、
皆さん是非、劇場へ足を運んでみては如何でしょうか。














2013年10月19日土曜日

研究対象との距離


 先日、ある社会人大学院生の方の発表を聞いて、あらためて自分の考えを整理する機会にめぐまれました。


 文化資源学専攻の社会人大学院生の多くが、職場や地域において涌きあがってきた問題意識をベースにして、大学院に進学されるケースが多いようです。私もその一人ですが、私の場合、いざ研究論文で、自分の職場の事例を分析対象とするにはあまりにも小さい物語で、論文にするには耐えませんでした。

 
 その点で行くと、上記の社会人大学院生の方は、業務で大きなプロジェクトに関わられ、文化資源学の研究対象としてとても重要な問題を含んでいる事例の当事者なので、小さな物語にしか接した事のない私にとって、うらやましい!の一言につきます。
 

 ただ一方で、発表の際にある先生が指摘されていたのですが、それゆえに対象との距離が近く、研究対象として扱う際の危険性を常に孕んでいるのもまた事実だということです。
 

 社会学等のフィールドワークを用いる学問領域では、調査者と被調査者の間の信頼関係(ラポール)を形成しながら研究が展開されていきます。しかし、研究対象に近づきすぎ、調査者がそこに同化してしまうと、オーバーラポールとなってしまい、客観的な記述ができなくなります。


 文化資源学の領域においても、多かれ少なかれ、このオーバーラポールの状態に陥り、文字としていざ表現する段階になると、研究対象の礼賛になり、論文にならない結果になりかねない危険性が常に存在するのではないかと思っています。
 

 特に私を含めて、現場で培われてきた問題意識を研究の出発点にしている社会人大学院生の場合、この陥穽にはまり込んでしまう可能性が高いように思います。そこでは、研究対象に対する問題意識が自分と近しい人々(例えば同じ職場の人)と日々接しているがゆえに、そこで見えることが真実であり、問題に対する解が身近に存在するかのような錯覚を覚えてしまいがちです。

 
 ですが、実際には一つの問題に関わる多様な視点や考え方が存在し、どんな問題でもそのすそ野は幅広いと私は考えています。そして、そのすそ野は、対象と近ければ、近いほど見えづらい。そこで問題の多面的な広がりを捉えるために、時間軸をさかのぼり(その事業の出発点から現在までの歩みなど)、空間軸を広げて(事業に直接的・間接的に関わる自分が所属するコミュニティ以外のコミュニティの動きなど)、調査をすることになるのだろうと思います。

 自戒を込めて。


 (ま)

2013年10月17日木曜日

うちは立山、銀盤、幻の瀧・・・

急に台風が熱風を連れ去って行き、北風だけが残る10月半ば、
風邪をひいております、pugrinです。

本日は、短めに今気になっている話題を。

【地域発】乾杯条例が全国各地に広がる理由(一井暁子)
http://www.huffingtonpost.jp/tsunaken/post_5899_b_4103896.html

「カンパイ!」は地酒で、
という「決まり」が全国的に普及しているようです。
(日本酒が主、焼酎やウイスキーの場合もあり)

始まりは京都市の「清酒の普及の促進に関する条例」です。
http://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/cmsfiles/contents/0000150/150907/seisyujourei.pdf

「一杯目くらい自由にさせろ」という声も上がったようですが、
条文としては末尾が「~と努めるものとする」という、
きわめて穏便かつ理念的なものでしかなく、もちろん強制力も罰則もなし。

「だったら飲んだことのないお酒いっちゃおうかな」とか
「だったらバカスカ飲むんじゃなくて味わいたいな」とか
お酒、それとともに食べるもの、その場の空気、
そして地元に関する考え方が変わるかもしれませんよね。

ただ真面目に受け取るだけではつまらない、
地元酒造組合の悲鳴とも、
地域おこしにわらをもすがりたい自治体の悲鳴ともとれるこの条例、
民間・個人ともにかなり有効活用の余地ありじゃないでしょうか。

さてさて早く熱燗で体を温めて風邪を治さなくては。

2013年10月4日金曜日

フランス便り2013 (1) 鑑賞と体験

渡仏して早1ヶ月、煩雑な事務手続きにも動じなくなった今日この頃です。

韓国の投稿ばかりでこの1ヶ月やや消息不明だったかと思いますが、結構色々な事をしていましたので、少しご紹介したいと思います。

最近やや舞台芸術づいているので、文化的活動(鑑賞者が対象)に関する情報を集めたサロン、Culture au Quai 2013-la fête des sorties culturellesに行ってきました。
Bassin de la Villetteは19区にあるパリで一番大きな人口貯水池(1808年完成)で、サンマルタン運河に繋がっています。


この貯水池を挟む形で映画館MK2 Quai de LoireとMK2 Quai de Seineが対面を成しており、この周辺は市民の憩いの場になっています。

本サロンには、250の文化団体や施設(劇場、美術館、劇団など)が参加し、今年のプログラムを広く紹介する他、ミニコンサートや小舞台、トークや子供向けアトリエ、大道芸公演などが無料で開催され、演者やその分野で活動する人達と大衆が触れ合う企画が組まれています。
9月末の週末に開催され、親子連れやカップル、友達同士で来た若者等で賑わっていました。


ふらりと出かけたら丁度即興コメディ劇団の公演に遭遇しました。
この即興劇ではコンダクター役にリードを取ってもらいながら観衆がタイトルやテーマ、場面設定等の選択に適宜参加し、そこで与えられたことに演者が対応して行きます。バックミュージックを担当する人達も即興で合わせて行きます。
今回は、アレルギー体質の飼い猫のためにスペインまで特別な観賞植物を買いに行った女性と旅先で出会った男性が謎の花屋さんで一抹の不安を感じつつも勧められた植物を買って持ち帰ったら、それは国内持ち込み禁止品種だった、というお話になりました。
屋外の仮設舞台で立ち見の中、お客さんのあたたかな反応が心地好く、こうして過ごす週末にちょっとした有り難さを感じました。
最後に普段行っている公演の案内があり、多くの人がチラシを貰って帰っていました。
この白いテントの前に仮設舞台あり

このサロンではCROUSという学生生活をサポートする国民教育省の外郭団体もブースを出しており、こちらでは様々な学生向けの文化活動情報や割引チケットを得る事が出来ます。

滞在しているパリ国際大学都市でも様々な文化活動のオファーがあり、先日はそこで申し込んで勝ち取ったチケットを手にモンパルナスにある小劇場Théâtre de Pocheに行ってきました。
開演時間前になると仕事帰りの人やカップル、年配の方など、わらわらと集まってきます。
今回鑑賞したのはFabio Marre演出・出演のTeresiaというナポリの大衆演劇に着想を得た猛烈な恋愛劇。
もともとはCommedia dell'arte(16世紀に生成した仮面を使って行う即興演劇の一形態)に登場するキャラクターであるプルチネッラとその恋人テレジーナ及びその子供の間で絶えず起こってしまう小気味良い掛け合い(やり合い)の中で、その行方を見守る観客。
赤い背もたれと座席の長椅子が無造作に配置された地下の小さな空間には特有の親密さがあり楽しいひとときを過ごす事が出来ました。

ちなみに、こちらでは鑑賞するだけでなく演じる事も身近な活動の様です。
現在通っている大学に映画の専攻があるためか、大学の文化活動センターが開講している演劇アトリエには多くの学生が参加しています。
何事も挑戦と言う事で、私も入居する寮で開催されているアトリエに参加しています。オランダ人の演劇専攻の学生がインターンシップの枠組でファシリテーターを務めるプログラムで、周りの学生の表現に毎回大笑いしたり感心したりしながら楽しんでいます。
(M.O)

2013年9月29日日曜日

韓国FWに参加して(4)


8/29
釜山に移動した韓国FW4日目。

15年前までは空軍飛行場があったセンタムシティに釜山市の財団法人が国際映画祭を盛り上げ、釜山市を国際的な映画都市にすべく建設したのが、tantakaさんの投稿にもご紹介があった映画の殿堂です。

Lさんによると、この施設の注目ポイントは、映画に関するソフト面の素地があった上でハードの整備が行われたという点。
海に接している事で経済的成長を享受して来た釜山ですが、1996年には釜山国際映画祭が始まり、映画撮影において市が優遇政策を行うなど、映画業界でも映画に関心が高い都市として以前から有名でした。
当該施設が完成した事により、海雲台に滞在するVIPにとって悩みの種であった移動の不便さが解消され、この殿堂を中心にして映画映像タウンが形成されています。
こちらの野外ステージでは定期的に釜山市民に無料で映画の上映会が提供されます。
丁度訪れた時には国際コメディフェスティバルが開催されており、各国からコメディアンが集結していた様です。
野外ステージ、レッドカーペットがひかれています

釜山名物の焼き魚を頂いた後、オプションのスパへ。
これがまた素晴らしく、男性陣もきゃっきゃきゃっきゃと楽しんでおられました。


8/30
釜山二日目のこの日は、国の町再生プロジェクト公募展で見事支援を勝ち取りアートの村となったガムチョン文化村へ。(tantakaさんの投稿もあわせてご覧下さい)

戦争の時に避難民が集まり住居を構えた(と解説の方はおっしゃっていましたが、占領下で山間部へ朝鮮人が追いやられてしまったためかと思われます)この場所では、一つの家ごとに5ー7坪程度しか無く住環境は良いとは言えません。
スラム化・高齢化(65歳が20%)した当該地域にも文化村ができる以前に企業が開発するという案が出たものの、あまりのコストパフォーマンスの悪さに手付かずでした。
各家の屋根には青い水用タンクが

全国公募プログラムが設置された際に、釜山文化観光部の「村美術プロジェクト」においてアートファクトリーが主導しプロジェクトを企画する事となり、どこの地域を対処として応募するかを決める為に釜山市内を視察し、ここを選びました。
そしてめでたく全国公募の中から釜山のガムチョンが当選し、2009年より1億ウォンの国からの援助を受けてプログラムが開始。行政区域からも金銭的支援があるそうです。
本公募プロジェクトは3年分の予算が出るため、2009年には作品を設置(参加しているのは釜山のアーティストに限る)、2010年には空き家プロジェクト(空き家に青少年が同居、犯罪多発などの問題があったため、国家規模で空き家をなくそうという動きが2010年あたりからあった)を行う傍ら、学生が参加し作品制作をしたりしました。2011年度は釜山市から資金が出て、山道の拡大による格差是正が行われ、パーキングや路地などの基盤整備が行われました。
そして1年インターバルをおいた3回目では、メインの周りの住民たち(除外されたという思いを抱いていた人たち)に対するプログラムを行う予定との事。

そもそもの村の問題点として、各家にお手洗いがないのは法的に無許可の建造物にあたるそうで、こうした課題が美術プロジェクトを通じて解決できるわけではなく、またそれを目指している訳ではないのですが、この再生プロジェクトを通じて近隣住民が享受した恩恵としては以下の様なものが挙げられるそうです。
1)訪ねてくる観光客に対応するための店ができる(今まではスーパーが一つあるぐらいだった)
2)作品設置などで工事をするので住民が職を得る
3)人が訪ねてくるので町の清掃が盛んになる
4)パーキング不足の解消
5)通じなかった路地が開通し生活が便利になる
一方で、開発により被る生活の変化も大きく、観光客の増加により生活スタイルの変化、騒音被害が深刻との事。

訪れてみての感想は、正直「?」でした。
そもそもこのプロジェクトを通じて「再生」という名の下で発生する様々な変化は近隣住民にとって本当に最善の事なのでしょうか。
建築上の不法性がどの程度深刻なのかいまいち不明ですが、それを改善したとしたらこの風景は確実に失われます。ここに住んでいる人達はどのような思いで日々の生活を送っているのでしょうか。
確かに「文化村」という名前が付き注目を集めた事で、沢山の観光客(海外からだけでなく、現地では多くの韓国人の姿を見かけました)にとっての「行ってみようか」というきっかけにはなると思いますが、実際にあの場所に足を踏み入れて痛切に感じるのは、設置されているアート作品は二の次で(正直なところ作品としての質は高くはなく、またこの場所に設置することを深く考えた作品がとても少ない印象でした)、あの土地の記憶、歴史的側面での文化財的価値であると思います。
事実、他のFW参加者に感想を聞いた所、「アートの事はよくわからないけど空間として興味深かったし、単純に風景として面白かった」という答えが返ってきました。

その後釜山中心部へ戻り訪れたのは、トタトガ創作空間です。
600年前から商業地として栄え、植民地時代には大陸への入り口として使われていおりモノの流通が盛んだった釜山中心部は、その文化の中心地でもありました。
ところが15年前から釜山市庁舎が別場所に移ったことにより静かになり、空きビルが目立つ様に。そうした歴史を踏まえて、再び芸術文化で街づくりをすべく釜山芸術教育連合体という芸術団体が当該地域に入りました。
現在、「トタトガ」事業は釜山市から支援金を得ているプロジェクトであり、市から芸術家は作業空間利用において3年間全額補助を受けています。その代わりに、市民が芸術を共有できるよう、芸術文化教育や芸術教授のためのプログラムが活発に開催されています。
また芸術家の海外交流を目指し、事業主催者である釜山芸術教育連合体が中心となって福岡でワタガタ(いったりきたり、という意味。10月にフェスティバルを行う)が行われているそうです。
入ってすぐの「40階段」は内戦時の生活の大変さのシンボルで、当時はこの階段を降りたところからずっと海だったそう。またかつて電車の出発点だった場所には線路のあとが残っていて、海でとれた品物を載せて全国へ売りに行く様子が想起されます。
釜山芸術教育連合体自体は芸術文化教育を目的として以前からあった団体で、その範囲は古典から現代美術までを含んでいます。
トタトガ事業は観光局から資金、連合体からアイディアがでて形成され、今年で4年目。最近の入居作家選考の倍率は4倍で、利用する場所については釜山市が民間のビルを借りている状態との事。

ビジュアルアーツだけでなく、建築、ジュエリーデザイン、映画、演劇、詩(詩人の為のアトリエがある)など多彩な活動を展開しており、また交流スペースとして活用されるサロンの様な所もあります。入居している作家さんも「他ジャンルの人との交流があるのが他とは違うかも」と仰っていました。
もとはオフィスだった所を改装して作った詩人のアトリエ

雑居ビルの中に点在する空間はどこも魅力的で、あたたかな雰囲気。「場所の提供」という地味だけれど必須な援助を受けて活動される作家さん達の空気感が柔らかかったのが個人的には印象に残りました。
印刷工場の密集地だった場所の記憶を浮かび上がらせるインスタレーション



「ソウルではソウル文化財団に、釜山では釜山文化財団にてお話を伺おう」というLさんの素敵な旅程に従い訪れた釜山文化財団は、2009年に設立。
韓国では1973年に文化振興基本法が制定され、文化芸術振興院があったものの、初の文化財団ができたのは15年前の事。釜山では文化財団ができる前は公務員が公平に資金を文化関連団体に分配していたものの、より専門的で戦略的なサポートを目指し、文化財団が設置されました。
一年の予算のうち71%が地域行政、18%が国、残りは財団の運用資金からでており、78%が文化事業運営費として利用されています。
(広域文化財団は日本の都や県レベルより少し大きい所、基礎文化財団は政令指定都市に設置される。文化財団に勤務するのはほぼ民間人。)
全国にある60の文化財団のうち釜山は京畿道、ソウルに続く第三位の規模で、国際文化交流と文化福祉チームをもつ唯一の財団との事。資金の3割が対アーティスト、7割が対市民に利用されているためアーティストからの反発もあるそう。
開港地釜山の文化財団のビジョンには、「海洋:解放と交流」「未来:実験的で挑戦的」「循環:都市再生と文化創作(プロシュム(生産者+消費者)、コミュニティアート、文化生態系、カルチュラルエコシステムなどと呼ばれるもの)」という3つの核がある他、日本との歴史的繋がりの深さを背景に「朝鮮通信使」というキーワードを用いて、当時行われた文化交流をアーティストの活動を通じて再現するという活動も活発に行っています。具体的には、2015年に世界記憶遺産に朝鮮通信使を登録するべく動きが活発化しているそう。
韓国の広域文化財団は施設を持たないものが一般的ですが、近年創作空間の運営が多く行われています。釜山の場合、(先述したトタトガは作ったわけではないが資金を援助している)サブカルチャー(インディーズなど)に力をいれており、釜山港にたくさんあるコンテナを利用している施設を作っています。

こちらの施設ではプロミュージシャンを公募し、施設利用料はレジデントはタダ(6ヶ月)、貸し館は500円という安さ。アーティストを積極的に支援をすることで芸術をソウルに流出させないという目的があるそうです。
また、法律で地方文化財団の立場を規定することによって地方財政の状況に依存しない継続的な活動運営戦略を据え、地域文化財団のネットワークを通じて政府に政策提言をする事を目指し活動されています。
今回案内して下さったCさんは「日本から多くを学び反面教師にしている」と仰っていましたが、こうした数々の取り組みを伺うに付け、韓国の広域文化財団はアーツカウンシルの役割を果たしているという事が明らかになりました。

M.Kさんも投稿の中で触れておられますが、Cさんの博識と熱意を目の当たりにし
釜山の文化シーンが益々発展して行くに違いないという思いを新たにしました。
その上で、私達が(今後欧米だけでなく近隣諸外国からも)どれだけの事を学びうるのか、そしてその学びを実践に移して行けるのか、まだまだ若輩ながらこの分野で学ぶ一学生としての使命感の様なものを感じたのでした。

夜にはCさんの計らいで高級お刺身レストランに連れて行って頂き、素敵な夜景を眺めながら海の幸に舌鼓を打ちました。

8/31
最終日は各自解散だったわけですが、私は飛行機の時間まで少し余裕があったので釜山の現代美術施設を幾つか見てきました。
といっても例のごとく地図が読めず迷子になり、たどり着けたのは2カ所のみ。
先日スパに行ったセンタムシティのデパートには、日本のデパートと同様に美術スペースがあります。雰囲気も日本のデパートと似た感じ。

この時はDidier Meconboniの展覧会をやっていて、プラスチック版を使った作品は勿論の事平面作品が可愛くて良かったです。
その後訪れた広く開放的な作りの釜山市美術館では、韓国の市立美術館内の連携で開催されているハ・ジュンウォン氏コレクションの特別展をやっていました。
そうこうしているうちに飛行機の時間が迫り、後ろ髪を引かれながら韓国を後にしたのでした。

韓国FWレポートにお付合い頂き有り難う御座いました。
(M.O)

2013年9月27日金曜日

うたげはいつも「アッと驚くタメゴロー」

すっかり涼しくなり、デパ地下は危険な香りの季節。
天高く馬肥ゆるpugrinです。

冬学期を目前に、18日に行われた大盛況のサロンの様子を軽くご報告。

いつも3名~6名くらいでまったりやっているサロンですが
珍しく大入りでした。


お友達づたいに、韓流スターのクァク・ヨンファンさん(写真中央の長身の男性です)も
お迎えし、知らない同士がいつの間にかうるさい位の大交流会に。
小林ゼミからも5名来て下さいました。

20代~60代の、背景も職業もまったく違う人たちが集まって、
食を挟んで知り合える空間。
誰が来るか、どんな展開になるかもわからず始まって、
それでも人が繋がっていく、その瞬間を目の当たりにするのが楽しいです。

照明は少しでも落とした方がよいのか?
食べ物はピンチョスやクラッカーが便利なのか?
話題の中心になる人がいると良いのか?
どうしたら実りあるサロンができるか、
試行錯誤しながら毎回8の日を迎えております。

M1のフォーラムでも「うたげ」を大テーマにしながら
そんな不確定要素たっぷりの時間・空間を手放さないでいる
非合理的な人間像を現在・未来に向けて照射してみたい。
個人的にはそんな風に考えています。
(まだまだ具体的には前途多難ですが・・・)

次回は28日(土曜日)、17時@渋谷文化研究室です。

https://www.facebook.com/events/1385753578325639/?ref_dashboard_filter=upcoming
是非一度いらしてくださいね。

2013年9月23日月曜日

韓国FWに参加して(3)

長々と書いていますが、是非皆さんと共有したいので出来るだけ詳しくメモしています。気長に読んで下さい。

8/28
全体のスケジュールに再び合流した3日目は、国立劇場を見学しました。
その神殿的立ち姿に既に圧倒されます・・・
1950年に国立劇団設立に伴い開館した国立劇場は、旧ソウル市議会→大邱(戦争に伴い52年に移転)→明洞の劇場(57年)と移転を繰り返し、73年に 現在の小高い丘にオープン。2004年に現在の状態に改装され、4つの劇場(太陽や星といった名が冠されています)を持っています。
2000年から責任運営制度が適用された事により民間人を団体トップに登用、当初7つあった専属団体は3つとなり、その他は独立しました。
(専属団体の選抜基準には政治的な影響もあったそうですが、公演内容による資金調達面での影響が大きく、4つの独立した団体においては国からの資金は入っているものの比較的自立度の高いプログラムを行う団体が独立。2日目に他の方々が訪れた芸術の殿堂もそれらの団体が使っているとのこと)
現在の劇場長は5期目で、以前は芸術の殿堂の館長やソウル文化財団理事を務めていらっしゃった方。責任運営制度導入により即物的成果を求める民間運営システムの功罪が議論された中、こちらの劇場長は貸し館業務をやめてシーズンシステムを導入し専属団体のみで稼働する方針を定めリーダーシップを取ってこられました。
専属で残った団体は予算割り当てが低い傾向があったそうですが、他が独立したので今年度から重点的に3団体へ資金を割り当てる予定であること、また舞台制作も全てここで行っているため経費の削減が可能となっていることもあり、持続的運営が実現されています。
責任運営制度になる前となった後の予算はあまり変わらないそうです。

空の劇場は青少年のための劇場で、自然保護地域内なので建築物の制約があり、半野外スタイルをとっているそうです。
この様なアリーナスタイルは韓国で一般的とのこと。
空の劇場内部
1563席を擁するメインステージは、日本の下請け会社が入って出来た影響もあり横が花道のように広めな多目的ステージです。
大道具の保管場所がなく、倉庫を外部に借りているが場所が足りないというのが目下の悩みだそう。
この様な施設条件のため、どの公演を行うかは舞台装置の性質に影響を受けています。例えばここでは伝統芸能の公演が多く行われるのですが、そうした公演は大掛かりな装置は不要です。
シカゴ公演期間中のメインステージ

旧国学校校舎を利用した公演芸術博物館では、韓国の公演芸術(地方の慣習的なものではなく正統なものが中心)の歴史について学ぶ事が出来、資料は19万点程保存されているそうです。


お昼ご飯に頂いたのは韓国の国民食(?)的中華料理、ジャジャン麺。
そこから同席して下さったソウル文化財団のキム・ヘボさんの計らいで、当時ソウル市長だったイ・ミョンバクのリーダーシップの下、ソウル市をあげた環境、土木、政治的事業として行われたチョンゲチョン(かつてソウルに流れていた川、近隣住民の生活用水であったものの高度発展期に一度埋め立てられた)の復元の「文化的」側面を見出すべく、その資料館に伺いました。
復元模型

解説して下さった方の土木への情熱に若干押されつつも、川の復元に見られる様に「環境」を扱ったイ・ミョンバク市政(2002-2006)、オペラハウス建設案といった大々的公共事業をベースとし「カルチャノミクス」と称されるオ・セフン市政(2006-2011)、そして「(まだ始まったばかりなので形容するのは難しいが強いて言えば)ヒューマニズム、コミュニティ共生」と言える様なパク・ウォンスン現市長の地域の創作空間創設、というソウル市の文化政策の流れがあるのだという事を学びました。

ソウル文化財団(建物は旧水道施設を使用)は2004年にイ・ミョンバク市政の下設置され、ソウル市文化政策予算の10%が割り振られており、現在4つの部局に190人が勤務しています。

そのミッションは、前述した通り市長が交代することにより大きな変化を被る訳ですが、文化政策の大元は国が作るものであるので一市のプロジェクトにもかかわらず、ソウル特別市という場所柄も加わり、国の方針に強く影響を受ける性質があるそうです。

現市長はNGO出身なので共同体を大切にしていて、メモリー・イン・ソウル(市民の声を聞き作品にして行く)を推進するなど庶民派な感じだそうですが、彼自身が文化について詳しくないのでシンクタンクに依存する部分があり、その調査報告を通じて文化活動が平均化されてしまい結果的に高級芸術も低廉化されてしまう傾向もあるとの事でした。

ソウル市文化財団の部局による活動の一つである「創作空間プロジェクト」が始まったのは2008年、レジデンスは既にあったものの、こちらは「衰退する空間の活性化」を主に目指し設置されました。
この創作空間は美術だけに限定せず広く文化を扱っており、全部で9つ(+ナムサンの施設が2つ)の創作空間が芸術創作空間本部に属しています。
創作空間推進委員会がまずそれぞれの地域について調査を行い、既に何らかの創作活動が行われていた場合(ムルレなど)にはそれを支援し、一方でコンテンツがあまりなかったところではその地域の色を活かすべく何かを導入するという形をとっています。
他方で、作家の多様な要望に応えるべくなるべく多くのジャンルをこれらの施設を通じて網羅させたという側面もあり、市としてはできるだけ多くの利用者がいることを望んでいるものの、各施設には差がある様に思われます。
ソウル市全体を管理しつつ、こうした各区の違いも理解していなくてはならないというジレンマが文化財団にはあると言います。そのジレンマを解決すべく、点在する文化施設のネットワークを構築しそれらを一括して考えることが課題になっているそうです。
この様に行政が積極的に介入をする事で起こる弊害もあり、代表的な例としては、家賃の問題があげられます。ソウル市が文化特定地区に指定した所(弘大や大学路)が家賃があがったためアーティストが流れ着いたムルレも、特定地区になった事により最近家賃に上昇傾向が見られるそうです。
キムさんが指摘して下さった通り、プロジェクトを行う上でその地域生活にも多大な変化がもたらされるという事は、必ず念頭に置かなければならない事であると思います。

という訳で、その創作空間プロジェクトの1つであるシンダン創作アーケードを見学しました。
アーケード内に設置された作品:市場で働く人達の肖像と彼らの夢(スーパーマンになりたかった、演奏家になりたかった、等)をホログラムで合わせている
詳しくはtantakaさんの投稿にもありますが、地下に下りると広がる小分けにされたアトリエ兼展示スペースは主に工芸作家が入居しています。なんと無料で入居出来るそうで、かなりの太っ腹です。
当初はソウル市の委託事業としての地域活性化としてこの事業には支援が付いていたものの、今はその仕事を民間財団に転換したため、家賃負担に関する議論もあったそうです。とは言え、ソウル市施設管理の施設を活かした事業なので公営のはず、という訳で引き続きこの家賃無料体制は続く様です。
お茶と韓国のお餅頂きながらプレゼンテーションを拝聴したのですが、ディレクターの方が終始前向きで明るい話し振りだったのが印象的でした。この地域はソウルにおける貧困層にあたるとの事でしたが、これらの活動が少しずつ芽を出して来ているという希望を持って取り組まれている様に感じました。

その後大学路にあるソウル演劇センターに伺いました。
大学路は600年前から教育区域であり、1924-74年までソウル大学があった場所。
大学の移転に伴いARKO美術館と劇場が設置され、また明洞や新林の家賃が上がったので大学路に芸術活動拠点が移転して来ると言う動きもあり、現在小劇場が沢山ある事でも有名です。
ここで初演を行い人気が出るとその劇団や公演はどんどんステップアップして行く様な、所謂「オフ」で、大学路出身で現在著名な俳優さんも多いとの事でした。
それまで劇団や小劇場が集まって宣伝する場がなかったので、ヘイファドン(現在大学路と呼ばれている地域)の元区役所に入る形で情報発信の場としてソウル演劇センターが発足、資料室も備えています。またもう一つの演劇センターには稽古ができるようにリハーサル室あり、中高生の大学路ツアーや演劇人の再教育プログラムも提供している他、劇団と企業を結ぶメセナ事業や新人役者、新人演出家の支援をやって行く予定で、ただ資金的な援助を行うだけでなく内容も支援していく事が目標だそうです。
1階の各公演のチラシが置いてあるフロアには、無数の若者達が集まっていました。情報を得に来ている人もいれば、単純にたまり場として利用している人など様々に見えましたが、こうした施設があるという事が広く知られているという状況が既に良いなぁと思いました。

夕食はまたまたTさんご推薦のお店にてご飯に韓国版お味噌汁的なものをかけて食べるもの(名前失念)を頂きました。例のごとく写真はありませんが。。。

そしてお待ちかね、オプションのミュージカル「パルレ(洗濯)」観劇へ。
Tさん、Lさんよりおすすめがあった通り、現代の都市の社会問題を織り込みつつコミカルで軽快なリズムと音楽で進んで行く本作にすっかり引き込まれてしまいました。途中で客席との交流をするような場面(詳しくは見てからのお楽しみ、以前日本でも公演をされたとの事です)もあり、笑いあり涙ありの素敵な舞台でした。

普段あまり舞台芸術に親しんでいない私ですが、生ものの芸術だからこそ感じるエネルギーのようなものがあって、これを機会にもっとこれから積極的に色々見てみたい、と思わせてくれる一時でした。
(M.O)

2013年9月19日木曜日

韓国フィールドワーク感想

韓国フィールドワーク感想

826日から31日まで、「韓国における日本語ボランティア体験とソウル大学での交流」のフィールドワークに行ってきました。

ここでは紹介しきれないほど、多くの貴重な経験ができました。
この企画に大学院生ながら参加のお声をお掛け頂けたこと、K先生に、そしてそのような恵まれた環境にいることが出来る事に感謝しています。

・日本語ボランティア体験
日本語ボランティア体験では、私のグループはチェンノ産業情報高校に行きました。ここでは、私たちのグループは日本の(1)文化遺産、(2)お祭り、(3)サブカルチャー、について発表しました。生徒のみなさんの流暢な日本語に驚いたのと、積極的な質問をしてくれたのが嬉しかったです。3限連続で授業を行った後は、学校側から出し物をして頂いて、生徒たちによる日本アニメのアフレコと、彼らの創作演劇を鑑賞しました。創作演劇の方はコンクールを控えていて、私たちに観てもらって感想をもらいたいという事でした。すごく感情移入していて、皆さんの演技が伝わるうまい演技でしたし、ストーリーもとても好きでした。そして、その後行われたコンクール、「全国学生日本語演劇大会」、では見事大賞を取ったそうで、私までとてもうれしく思いました。日本での短期研修、是非楽しんで多くの事を学んでほしいです。
また、ソウル大学とも交流を行いましたが、このように他国の学生と交流が出来た事は私にとってこのプログラムの魅力の一つでした。

・文化施設巡りなど
-       新堂創作アーケード
-       ガムチョン文化村
-       トタトガ創作空間
韓国での芸術の促進について。実施された具体例に触れて質問も出来るのはとても良い機会でした。

ガムチョン文化村


-       釜山文化財団
私の場合、特に文化政策に大変興味があるが専門としていないので、日本と韓国の文化政策、支援内容の違いの比較が出来ました。しかし、出来たと言ってもまだまだ完全に理解しているわけではないので、もっとこの部分を勉強したいと思いました。

思ったことを書くことが全然出来なかったので、また、韓国で私が経験したこのフィールドワークについて書かせてください。

このような一人で行けば決して体験することの出来ない経験を出来たのも、K先生とJさんのお蔭です。ありがとうございました。
経験したというインプットにとどまらず、せっかくの経験をどう活かすかをするのは私自身ですので、しっかりと次に繋げていきたいと思っています。
(すでにこの経験を自分の関わっているプロジェクトに活かせてきている部分もあります・・・)


Show

韓国FWに参加して(2)

書き始めると止まらずこのままだと大量の投稿になりそうな予感がしているM.Oです。

8/27
他の皆様が日本語ボランティアとソウル大学日本語専攻学生との交流を行っている中、私は一人ソウルの現代美術施設を巡りました。
まず朝から向かったのはヘイリ芸術村。
ソウルからバスで1時間程の郊外、京畿道パジュ市に突如整備されたテーマパーク的空間が現れます。

ヘイリ芸術村はアーティストたちが集まって暮らす街であり、おしゃれな雑貨屋さんやカフェ、ギャラリーや一風変わった美術館(陶磁美術館、昔の雑貨を集めた博物館、トリックアート博物館など)だけでなく、アーティストのアトリエが集結しています。更にアトリエをもつだけでなくそこで陶芸体験や料理教室などを開いている芸術家も多く、見るだけでなく実際に参加できるプログラムが人気を集めているそうです。その町並みは映画やCMの撮影にも使用されており、週末になると人でごった返すそうですが、私は平日の午前中に行った為かなり静か。それでも何組かのカップルが仲睦まじく歩いていました。
全体としてゆったりとした空間ですが、現在も拡張を続けているらしく工事がすすんでいました。あのような得意な空間に工芸を中心として集積させる事で販売や可視化の点で相乗効果が得られそうです。

一方コンテンポラリーアートという点で言うと、クムサンギャラリーという日本にも進出している韓国のギャラリーがここに居を構えたという事で気になっていました。そこを見るのが実は来訪の1番の目的だったのですが、あいにく現在は移転し跡地はミュージアムになっていました。やはり立地や客層から考えるとその場の瞬発力も重要である商売には向かないのかもしれません。
行った時間帯が悪かったのか、あまり見るべきものはなかったのですが、とにかく暑すぎたので韓国で初のパッピンスを食べて、もう一度ぐるっと一周し、昼過ぎには中央への帰路につきました。

その後江南方面へ移動し清潭洞にあるギャラリーを巡ります。
まずは、実業家であるヨ・ソンユン氏が1989年に立ち上げた基金が2010年にオープンした若手作家発信に力を入れる非営利のアートスペース「ソンユン・スペース」へ。
ちょうどYBAのジェイク&ディノス・チャップマンの個展「The Sleep of Reason」が開催中でした。イギリスらしいヒューモアで現代社会におけるモラルを切り取った作品群が十分なボリュームで展開されており、満足度の高い展覧会でした。
一階のカフェにはおしゃれなマダムや若者達がお茶をしています。
間髪入れず次へ、と思ったものの手元にあるのはギャラリーガイド冊子のかなり簡易な地図のみ(だいたいのギャラリーや美術館で無料配布しているしっかりした冊子なのですが、全て韓国語)。路地を歩き回り、漸く見つけたアラリオギャラリーは展示替えの最中でしたが、中を見せて頂きました。広々としているのは展示空間だけでなく倉庫も同様の様です。これまでやっていた展覧会はLandscape perceivedという結構ありそうなテーマで韓国人作家をフューチャーした物でした。幾つか支店を持つこのギャラリーではそれぞれにディレクターがいて個別に展覧会プログラムを組んでいるそうです。
その他、幾つか歩きながら見て回りました。
今手元に冊子が無いのでどの程度か正確な数字は不明ですが、このエリアには60件程度のコマーシャルギャラリーやアートスペースがガイドに掲載されており、「アートの新メッカ」などと呼ばれている訳ですが、行ってみると想像よりも寂しい感じでした。というのも行った時期の問題が大きく、閉まっているか展示替えをしている所が多かったためです。
ハイセンスなファッションが集積するアッパーエリアでどの様にアートが受け入れているのかが知れるかもと期待していましたが、ファッションブランドとギャラリーが同居しているビル(名前失念、ナム・ジュン・パイクのミュージアムあり)では閉店または移転してしまった所も多い様で、閑散としていました。ファッションへの感度が高い人が即アートを買い支えて行くはずという計算は、そう簡単には成り立たない様です。

仁寺洞や光化門付近にある大手ギャラリーは以前行った事があったので、今回はオルタナティブスペースを巡ります。 
1999年にアーティスト、キュレーターや批評家の非営利共同体として誕生して以来、ソウルのアーティストラン・スペースとして名高いPoolは、2010年に「オルタナティブ」という枠から更に発展すべく新たに現在の場所でArt Space Poolという名前で再始動しています。

脇道に入った民家の中にひっそりと立つスペースの中では、ソウル・リヨン・バンコクのアートスペースで三部だてで展開されていたRunning on the Borders: Inter-cultural Negotiation and Adventures of Thinkingの第1部であるキム・キョンホによる「Magic Bullet Broadcasting Network」を開催していました。韓国でのオンサイトのデータとイランでの編集後のニュースビデオが並列されるビデオインスタレーションを通じてメディアにおいて行われる異文化間の表現の違いや在り方が見えてきます。

バスに乗ってソウル北部の高級住宅街平倉洞を進み、ガナアートセンターへ。
ここは、現代美術作品の展示は勿論、隣接する建物でオークションが行われる他、セミナーや体験教室などのプログラムが開催され、韓国の伝統工芸品や挑戦時代の家具などの展示販売をする工芸部やギャラリーショップを備える芸術の複合センターです。時間が遅かったので展示は見れませんでしたが、立派な建物でした。周りにも幾つか近代美術っぽいギャラリーがあった様に思います。


Poolと並んでもう一つ有名なオルタナティブ・スペースであるLoopにはたどり着いたものの、既に閉まっていました。
その後弘大に2007年にオープンした複合文化施設KT&Gサンサンマダンへ。若者で賑わう町の中に映画、ライブホール、ギャラリー、ショップ、アカデミー、スタジオを備えており、新人の表現の場として活用されているそうです。丁度私が行った時には韓国人の生活に関する様々なデータを集めた展覧会をやっていて、自分たちの生活を客観的な数値ではかれる事が面白いと若者で賑わっていました。


同様に時間の関係で回れなかったムルレは、開発が進み商業施設が並ぶ永登浦地域において昔ながらの町工場が残る鉄工団地で、時代の転換と共に空き施設が増えたものの住環境としては物音も酷く劣悪なため、市内相場からかなり安い賃料で借りられると言うこともあり、2000年代始めから鉄工場の上階にアーティストが作業場を求めてやってくる様になった場所。こうした動きを受けて2010年にソウル市が市の創作空間事業(詳しくはソウル文化財団部分で後述)の一環で「文来芸術工場」をオープンさせました。後から「工場の人達は昼働いて夜帰って行くけどアーティストは夜働きにくるよ」という至極真っ当なお話を伺い、遅くても行けば良かったと後悔。。。

こうしてソウルを縦断し流れ着いたのは、東大門。
市場で何か美味しいものを探そうと思っていたものの、気付いたら近くにあったチムジルバン(サウナ+健康ランド的なもの)に居ました。。。
おばさんがトドの様に岩盤浴で寝ている傍で、他のおばさんたちが話に華を咲かせています。
また共有スペースではおじさんやおばさんがテレビを見ていたり、若者がグループでおしゃべりしていたりと、社交の場であるという事がわかりました。
そこでスンドゥブチゲをすすった後、再びLさんと合流し、眠らない町東大門でファッションビルを視察しました。
東大門で露天を開いている人達は地方から行商で来て明け方のバスで帰って行くような人達だそうで、各地からやってきた様々なものが安価で手に入る場所だったそうです。現在は売値が上がってしまったと専らの評判だそうですが、それでも安い、安すぎる。
Doota!というファッションビルでは、地階にまだ若いエマージングデザイナー達が所狭しと居を構え、ここにはバイヤーも視察に来るそうです。日本ではデパートに入っているブランド=ある程度名の通ったものという感覚があったので、そうした人材発掘の現場にもなっているというのは驚きでした。

渡仏を控えていたため「洋服買って荷物を増やしたくない」という思いがあり目を瞑って歩きましたが、きっとじっくり見れば面白いものが沢山あったに違いないと残念に思います。
(M.O)

2013年9月18日水曜日

韓国FWに参加して(1)

合宿後降り立ったのはお隣の国、韓国。
こちらもまたかなり刺激的でしたので、数回に分けて書いて行きたいと思います。

引率して下さったM.K先生、コーディネートして下さったLさんとTさんに改めて御礼申し上げます。

今回のソウル&釜山5泊6日のフィールドワークのタイトルは「韓国における日本語ボランティア体験とソウル大学での交流」で主に学部生向けの国際交流プログラムでしたが、その目的に「日本と韓国の文化交流の現場を知ると共に、文化によってまちづくりを行っている地域を視察する」とあるように、院生の自主参加者は専ら後者の方に関心を持って参加していらっしゃったかと思います。

8/26
仁川空港にて集合後、国際交流基金ソウル日本センターにてオリエンテーションやセンター内見学をする予定でしたが、我々の到着が遅れてしまったため、小島寛之所長より日韓の国際文化交流について簡潔な講話のみを頂き、センターのミッション等について伺いました。
国(政治・歴史認識)の問題は勿論あれど、私自身はそれはそれとして民間単位ではそこまで強く困難を感じていなかったのですが、所長の口から「こうして皆さんはこの様な状況の中でも韓国に来ようと思っていらっしゃっていて(・・・)」といったニュアンスで日韓関係の困難に関する言及が何度かあったのが印象的でした。
事実、為替の推移による影響も大きいものの、その後数日に渡り韓国に滞在していた時の印象としては、一時期日本人観光客でごった返していたというソウルの姿は落ち着きを見せていました。今では日本語のかわりに中国人観光客に対応すべく中国語を学ぶショップ店員も多いそうです。

その後すぐさま夕食会場へ移動、Tさんご推薦のプルコギを「これも大事な異文化理解」と口々に言いながら美味しく頂きました。
写真はありませんが、大量の肉を給仕の方が鉄板にどんどこ盛って下さります。

鶴岡合宿の疲れが抜けきらない私はLさんと共にマッサージを受けに夜の明洞に繰り出しました。雑居ビルに点在する危うい感じの無数のマッサージ店の中からどこに入るか選ぶのはくじ引きの様な感覚ですが、Lさんの助けもあり思いがけず良い店にあたりました。
こうして初日の夜はふけて行ったのでした。。。
(M.O)

韓国体験プログラムで見て来たこと


とても久しぶりの更新となってしまいました。

この夏休み、本当に貴重な体験をいっぱいすることができたと思っています。
少し遅くなってしまいましたが、そこで見て来たこと、感じたことを少しずつお話ししたいと思います。

まずは、韓国でのフィールドワークのことです。
今回、先生が企画された学部生の体験プログラムに参加させていただき、ソウルと釜山における文化によるまちづくりの現場を見て参りました。
ここでは、様々な文化施設、取り組みを見せていただき、また現場で活躍されている方々のお話も伺うことができました。
観光では行ったら知ることのできない側面を見ることができ、いかに文化に対する取り組みを重要視し、うまく動かす仕組みを作ろうとしているかを見ることができたと思います。

その中で、印象に残っている取り組みをいくつかお話したいと思います。

まずひとつ目は、ソウル文化財団が行なっている「新堂(シンダン)創作アーケード」です。
東大門エリアの東側にある中央市場の地下にある商店街での取り組みです。
「新堂創作アーケード」
左手に見えるのは刺身屋。
中央市場は、90年代頃までは南大門市場、東大門市場に続く3大市場と言われ、とても繁栄した地域だったそうですが、だんだんと人が来なくなってしまい、2008年くらいには地下商店街は真っ暗になってしまったそうです。
そこで、2009年にソウル文化財団の「芸術創作空間」という取り組みの一貫で、元気のなくなってしまった空間を文化で生き返らせようということで、地下商店街をリニューアルしました。
400m弱ある地下商店街には刺身店が並んでいましたが、その空き店舗を若手アーティストの創作空間として提供することで、市場の活性化を図るとともに、若手アーティストを育成することも目的とされているそうです。
若手アーティストによる作品のひとつ。
作品を制作するだけではなく、展示もしていた。
入り口のひとつ。
天井もアートで華やかにされている。
2010年のオープンのときには、市場で働く人たちとアーティストが一緒になって伝統的な漢紙を用いて提灯を作り、市場のアーケードに飾り、また、オープニングパレードとして市場で働く女性がPSYの「江南スタイル」を踊ったりしたそうです。提灯づくりをしたことで、漢紙の伝統的な技術を身につけ、それが市場の女性の内職になっているということでした。また他にも、若手アーティストが市場のお店の看板を作ったり、アーティストと市場で働く人が交流も活発に行なわれているそうでした。
市場で働く人とアーティストによる提灯。
これから市場の通路を使ったミュージカルを作ろうとしてるそうですが、この「新堂創作アーケード」における目標はアーティスト自らが運営できるようになることだとおっしゃっていました。

また、そこでソウル文化財団の方がおっしゃっていたことで特に印象に残っている言葉があります。それは「BoomとTrendがある中で、Trendがいい」ということです。Boomでは一瞬のできごとになってしまうけれど、Trendになることで流れをつくって、他に影響を及ぼすことだとおっしゃっていたと思います。


またふたつ目は、釜山にある「映画の殿堂」です。
「映画の殿堂」外観。
釜山映画国際フェスティバルのためにつくられた映像複合文化施設ですが、CINE MOUNTAIN、BIFF HILL、DOUBLE CONEの3つの建物で構成され、3つの上映館と1つの劇場、映画教育センター、屋外シアターなどがその中にありあます。基本設計はオーストリアの建築家設計事務所であるコープ・ヒンメルブラウによるもので、とても芸術的ではありますが、少し不安になるような、そんな建物でした。
外観。
屋外シアター俯瞰。
一般の人に対しても映画に関する講座を開講していたり、視聴覚室を公開してアーカイブをだれもが触れることができたり、釜山市がアジアを代表する映画・映像都市を目指しているということがとても伝わってくる施設でした。


最後は、釜山の甘川(ガムチョン)文化村です。
「甘川文化村」入り口。
甘川というのは、しばしば釜山のマチュピチュと称されるそうですが、山の斜面に家屋が並び、路地が入り組み、集落を形成しています。現在0.62㎢の中に9677人が住んでいるそうです。この地域は、戦争によって避難して来た人が住み着いた場所でありますが、スラム化しつつあったそうです。例えば、未だに共同トイレであったり、通路が整備されていなかったり、また空き家は全体の5%の210万戸を占めていたそうです。そんな中で国による「村・美術プロジェクト」に応募し2009年から、芸術家たちによるプロジェクトがスタートしました。
「甘川文化村」を見下ろした風景。
芸術家が作品を設置したり、空き家をギャラリーにしたりすることで、観光客が集まり、店舗や駐車場ができたり、通路の整備も行なわれ、また工事によって仕事も生まれ、メリットも多くありました。その反面、観光客が集まったことで、住民たちはそれまでのように生活することができなくなってしまい、平和が失われてしまったそうです。観光客は多く集まり、地域は再生されつつあるとも言えますが、テーマパークなのではなく、住む人がいるということを忘れてはいけないと思いました。
路地を見ると、住民が歩いていることがわかる。
これは私たちが見て来たものの、ほんの一部ですが、内容が濃くとても勉強になる6日間でした。研究の糧になるとともに、個人的に大好きな韓国という国の、今まで知らなかった一面を見ることができたことは本当にうれしかったです。

今回のプログラムに誘ってくださった先生、道中サポート・通訳をしてくださった先輩方、本当にありがとうございました。また、体調を整えられず、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。

最後に番外ですが、釜山の友人が連れて行ってくれた「金蓮山(クムニョンサン)」からの夜景です。
「金蓮山」から広安大橋周辺の夜景。
(tantaka)