2013年1月31日木曜日

フランス便り(13)le 104(と書いて何と読む?)


明日から2月ですね。
春が近づくにつれ花粉の気配に怯えるM.Oです。

以前、sweetfishさんより291の投稿がありましたが、今回はパリよりこちら、le 104のお話。
「le CENTQUATRE ル・サンキャトル」と読みます。意味は「The 百四」!

都市再構築計画(2001年-)においてパリ北東のインフラ整備(地下鉄拡張及びトラムウェイ新路線や船の運航延長)と並ぶ核プロジェクトとして、 パリ市長Bertrand Delanoëの指揮の下、「市民生活をより潤沢にする原動力」にすべく19世紀からパリ市営の葬儀場(1998年閉鎖)として使われていた場所を大規模改造、2006年に改築工事に着工。
2年の歳月をかけ、2008年、展覧会やコンサートスペース、アーティストインレジデンス、アマチュア用芸術活動スペースを含む多目的文化センターとして、パリ19区オーべルヴィリエ通り104番地にle 104はオープンしました。
2009年には書店やレストランに加えMaison des Petits(子供用文化スペース)がオープンし、生活と出会いの場へと進化。
当施設の登場を契機として、パリ19区は急速に発展を遂げる事となりました。

これまでパリにおける文化施設は芸術を生活の中にインサートする形で形成されて来たと言えますが、当該施設は生活の中に文化を位置づけるべくして誕生したという点で注目を集めました。

12月のある日の昼下がり、ふらりと覗いてきました。

展覧会の開場時間まで少し時間があったので、施設内をぶらぶらしました。
小粋で「開かれた」本屋さんや、社会的弱者を支えるアソシエーションEmmaüs Défiの初の「店舗」であるガラクタ市を見た後、中央の広場の各所に設置された椅子にぽやっと座っていると、子供達が走り回っているのが見えます。
一方ダンスやカポエイラの練習をする若者達も。
何かとスペースの無いパリの中で、公園以外でこれだけゆったりとした感覚が得られる所は数少なく、貴重に感じます。

展覧会は2つ行われていました。
まず、「感情遺産」を保存・展示するというユニークな視点を持った展覧会「ハートブレイクミュージアム(le Musée des Cœurs Brisés)」で悶々とした気持ちになったり。自分の体験を書いて張り巡らされたロープに吊るす事も出来ます。
ちなみにこの展覧会、今年の2月13日まで開催だそうで、14日までには終わらせてくれるみたいです、良かった良かった。

もう一つは、絶え間ない自然への希求に現代的解釈を与える様々な作品を、施設全体で点在的に配したグループ展。
出展作家は以下の通り。
Céleste Boursier-Mougenot(小鳥ちゃんが展示室を飛んでいます!個人的に良かった)、Moataz Nasr、Hema Upadhyay、Zimoun、Gu Dexin、Christophe Beauregard、Joana Vasconcelos(フェイクのお花畑でトリップしちゃいます)

地域の雇用創出という意味合いもある当施設。働いている人達は皆なんだか楽しそう。
展示室へ案内する時も、何度も同じ台詞を言っているに違いないけれど、作品を楽しがっている様に見えたし、某巨大美術館の職員達の様に露骨に不機嫌な顔をしている人はいませんでした。
私が行った時たまたま機嫌が良かったのかもしれませんし、ちょっとした事だけれど、大切な事ですよね。

展覧会鑑賞を終えて出てくると、広場はダンスや演劇などを練習する若者で一杯、熱気がむんむん。
平日であっても場所取り必須な程です。

皆様、パリに行かれる際には、le 104にて思い思いの時間の過ごし方を楽しんでみてはいかがでしょうか。
(M.O)

4th Annual Conference for the Consortium of Asian and African Studies @ National University of Singapore


 先日シンガポール国立大学で行なわれたアジア・アフリカ研究教育コンソーシアム(Consortium of Asian and African Studies/CAAS)の国際会議をのぞいてきました。すべての発表をカバーすることはできなかったので、私が見聞きした中で文化政策に関連のありそうなところをご紹介します。

 CAASはアジア・アフリカ研究に取り組む大学が2007年に立ち上げた組織で、現在世界各地の7つの大学が加盟しています(フランス国立東洋言語文化学院 、ライデン大学、韓国外国語大学校、シンガポール国立大学、ロンドン大学東洋・アフリカ研究学院、コロンビア大学、東京外国語大学)。1月28日から30日までシンガポール国立大学で行なわれた国際会議は"Sustainable Cities"をテーマにグローバリゼーションや人・モノの移動、政府やコミュニティが抱える問題などに焦点をあて、中国からナイロビまで実に様々な地域と分野の研究成果を紹介するものでした(プログラムと要旨/PDF)。その中でも文化政策やまちづくりの実践と関連して興味深かったのは、草の根運動が生み出す芸術文化のまち・創造都市の事例でした。

 ひとつ目は台湾第二の都市・高雄における行政の創造都市政策とアーティストや市民のリアクションに関する研究です。以前このブログでも台北で伝統的な建物のリノベーションが推進されているとのご報告がありましたが、高雄も重工業の拠点からクリエイティブ産業の集積する港町へと脱皮すべく再開発が進んでいます。市の創造都市政策で古い倉庫郡を改装したアートセンター・駁二芸術特区(Pier 2 Art Center)は市内有数の観光スポットとなり、昔ながらの金物屋がならぶPark Road(公園路)では古い建物を取り壊して自転車専用道やベンチ等が整備されました。しかしこれら上からの開発は、外からやってくる観光客には好評でも、地域住民の日常生活には馴染みのないもので、抽象的なパブリックアートも、犬の糞を捨てるゴミ箱も市民が愛用しているとは言えない状況だったようです。それどころか、まちをミュージアム化しクリエーターを呼び込むことは、もともと住んでいた人々を強制退去に追い込んだといいます。これに対しHamasen(哈瑪星)地区では、新しく移り住んできたアーティストと地域住民のつくるNGOが協力し、アートやデザインの力を駆使して市の開発計画に異を唱え始め、一定の成果をあげているようです。高雄のアートを核にした地域再生と排除される人々の存在は横浜の黄金町・寿町の事例にもつながるトピックのように感じました。長期的・俯瞰的なビジョンを示す行政の施策は必要ですが、地域住民との対話なくしてはテーマパークのような取ってつけたようなまちになってしまい、人々が愛着を持つ場所は生まれないように思います。今のところトップダウン型しか存在しない創造都市・シンガポールで、下からの声が表立って聞こえてこない現状の不自然さを改めて感じた発表内容でもありました。(残念ながら私は高雄に行ったことがありません。現地を訪れた方がいらっしゃいましたら、是非実際のまちの雰囲気を教えて頂きたいです。)
住宅地の広場に設営された歌台の会場。
夜になると多くの観客でにぎわいます。

 ふたつ目はシンガポールの中華系コミュニティにおける宗教儀礼のパフォーマンスと音楽の分析です。高層ビルの立ち並ぶ未来都市ともいえるイメージを持つシンガポールですが、実際暮らしてみると日常生活の随所にアジアの伝統を見出すことが出来、たとえば中華系コミュニティでは葬儀やお盆に際してChisese Operaや人形劇、歌台(歌謡ショー)などの儀礼が行なわれています。ここでいう中華系とは一枚岩ではなく、それぞれのルーツとする方言によって個別のコミュニティを形成しており、パフォーマンスの多くもシンガポールの公用語となっている北京語ではなく、福建語や潮州語といった方言で上演されます。しかしシンガポール政府は北京語の普及を推進する言語政策を進めてきたため、若者の多くは方言を理解できません。そのためChinese Street Opera(街戯)や人形劇(傀儡戯)の担い手も観客も高齢化し、年々減少する傾向にあります。その一方で、歌台は歌謡ショーとして儀礼的な要素が薄れつつも一定の人気を博し、童乩(タンキー)と呼ばれるシャーマンによる神おろしの儀式も脈々と受け継がれていますそうです。

 シンガポール政府は毎年実施しているSingapore Cultural Statisticsのなかで、有料の催事に参加した国民や積極的に芸術文化活動に関わった国民の統計を出して、観客と実践者の更なる増大を目指していますが、上述の方言を使用した大衆芸能や宗教儀礼の観賞やパフォーマンスへの参加は政府が振興する芸術文化のカテゴリーには入っていません。政府の規制は厳しく、儀礼としてのパフォーマンスを行なう際には事前に団体登録をしたり、開催許可をとったりする必要があるそうです。そのおかげで中華系以外の国民が不快な思いをせずに暮らせる多民族・多文化国家が実現しているとも言えるのですが、政府の提示した文化や言語を受け取る国民の側は、アイデンティティの確立に苦しんできたことも事実です。政府の施策では触れられていない大衆芸能や宗教儀礼こそ、シンガポール国民の多くが日ごろ親しんでいるものであり、時代や社会の変化に応じて言語や民族を超えてハイブリットに進化し続けているものです。

 文化政策の日陰に追いやられているこれらの活動を魅力的に思うのは、自分が外国人だからでしょうか。高雄の事例にも共通して言えることは、もともとその場所にあった煩雑さがきれいでお洒落にに整備されすぎてしまうと、そこから排除されてしまう人がでてきて、同時にそこで行なわれる芸術文化活動からは本来備わっている超自然的な力が削がれてしまうように思えます。果たしてそんな場所が創造性を育む拠点と成り得るのか。管理国家という印象の強かったシンガポールですが、今回の研究発表や以前ご紹介した歴史遺産の保存活動を通して、徐々に重層的な社会を実感できるようになってきました。下からの市民の活動を手がかりに、強い国家シンガポールでこそ見えてくる文化政策の役割とここに暮らす人々の反応を今後もご紹介していけたらと思っています。(齋)

鍋で天下をとるっ

「第9回ニッポン全国鍋合戦」が1月27日に和光市で開かれ、石川県の「能登鍋」が優勝しました。日本一の鍋おめでとう!ということで、北國新聞にも載りました。能登豚を中心とした鍋らしいです(写真が見たいけどなかった…)。

「合戦」では、全国各地の名物鍋料理、創作鍋料理、和光市内在住の地方出身者による郷土鍋など、約40チームによる鍋バトルが行われます。出店鍋料理を食べた来場者の投票結果により優勝(「鍋奉行」)が決定します。2回鍋奉行になったら、殿堂入りということで以後の優勝はナシです。

ちなみに歴代の鍋奉行はこちら。
・牛肉のワイン煮鍋/食文化研究会(埼玉県和光市)
・こしがや鴨ネギ/越谷市商工会(埼玉県越谷市)
・本場黒豚肉入りだんご汁/和光鹿児島の会(埼玉県和光市)
・こしがや鴨ネギ鍋/越谷市商工会(埼玉県越谷市)
・本場黒豚肉入りだんご汁/和光鹿児島の会(埼玉県和光市)
・龍馬が愛した土佐の味シャモ鍋/土佐南国ごめん軍鶏研究会(高知県南国市)
・煮ぼうとう/武州煮ぼうとう研究会(埼玉県深谷市)
・山形牛すじ煮/尾花沢鍋愛好会(山形県尾花沢市)

だんだんローカル化していってるんですね、っていうか、お腹空くなこのリスト。
回を重ねるにつれて多くの団体が参加するようになってきたのでしょう。首都圏在住で、(出身)地方のことを考えて行動する人々がこのようなかたちで出てくるのも面白いですね。

さて、能登鍋を出品?したのは、「鍋プロ部」。能登鍋のPRをして食産業と観光交流を活性化するのが目的の団体です。
「鍋プロ部の活動はあくまで地域づくり。能登鍋を通じて能登の人々、能登を訪れる人々がそれぞれの立場で能登に触れ、能登を愛するようになることで、健康で心の安らぎと活気のある能登を次の世代に継承していくことを目指しています。」とも言っています。
総会が開かれたり、地元での鍋コンテストも開かれ、観光パンフレットもきれいな冊子がつくられているので、気合入ってます。
正体ははっきりとはつかめないものの、おそらく能登の飲食店が加盟して、よりよい能登鍋をつくろうと日々切磋琢磨している団体なのではないでしょうか。

ただ、地元民からすると「能登鍋」っていう名前は正直ピンとこないなぁ。能登より小さい範囲の「地元」意識で生きているので(例:地元は七尾!)。でも、東京で能登鍋が食べられる店もあるようだし、うまくやっていけば外からの注目は浴びると思います。

でもでも、おいしそうなので、一度ウェブのぞいてみてくださいな。能登にも色々な食材があるんやなぁ、と、再認識しました。

「まいげん能登鍋ウェブ」http://notonabe.com/
※「まいげん」=方言で「おいしいよ」。
 例文:あの店のアイスめっちゃまいげんてー!食べてみんけ?

(竹)

2013年1月30日水曜日

本がつながる、本でつなげる。

こんにちは。引越し先の近くに、福井料理の居酒屋を見つけて興奮したsweetfishです。

以前、ゼミでも話がありましたが、まちと本に関する話題。


最近大野では、「マチノワ文庫と黒猫リーヴル」という取り組みが始まりました。
http://meirinsya.exblog.jp/i15/

(もう、卒業するまで、めいっぱいみなさんが大野と大町の区別がつかなくなるようにしていこうと思います。)

2013年1月に立ち上がったばかりのようで、まだ芽が出てホヤホヤです。

街中の色んなお店に本が置いてあって、気に入った本を自由に手にとって、

読み終わったら同じ店に返すのもよし、別のお店に旅立たせるのもよし。

その様子をじっと見つめているのが、「黒猫リーヴル」です。

いや~、やっぱ大野激アツ!



ほんの少し、取り組みに物語性を持たせただけで、ぐっと深みのあるものに感じますね。

ちなみに、この取り組みの中心になっている方は、建築事務所を営んでいます。

つい最近遊びに行った、地元の知り合いの方の家も、この建築事務所の方が手がけたそうで。

この、だんだん繋がっていく感じが楽しいんです。


(sweetfish)



2013年1月26日土曜日

フランス便り(12)二つの雨傘


先日、特に理由は無いですが「しあわせの雨傘」を観ました、M.Oです。
観ながらふと、主演の二人は年末のフランスを騒がせた著名人フランス国籍放棄問題でも色々とあったなぁと思い、今回のフランス便りは施設紹介をお休みしこの問題を切り口にフランス映画界などについて少し触れてみたいと思います。

世に言う「ドパルデュー事件」、日本でも話題になったかと思いますが、概要は以下の通りです。
そもそもの発端はフランスの大物俳優ジェラール・ドパルデューが重税(2013年度予算で高額所得者に対する所得の75%の課税方針が決定)を理由にフランス国籍を捨て、ベルギーへの移住を希望、のちプーチン大統領の介入により特例的にロシアのパスポートを取得したことにあります。
この件を通じて自国の寛容性をアピールし文化面でのプレゼンス獲得をしたいロシアからは住居や文化大臣のポストまでプレゼントされる歓迎ぶり。
一方フランス本国では、財政再建は同性愛婚許可と同様、中道左派社会党政権の行く末を占う上で「目玉」であっただけに大きく取り上げられ、この論争によってドパルデュー以外にも重税逃れのため海外移住を希望する著名人がいる事が発覚しました。
また映画界からは、ドパルデュー批判派のフィリップ・トレトンVSドパルデューと親交の深いカトリーヌ・ドヌーブの紙面上での論争が勃発。ちなみに、トレトン・ドヌーヴ論争に対する同業者の反応は概ね、フランス映画界に長年君臨するドパルデューにおもねる内容だったそうです。
それに乗じて現在は動物愛護家として活動するブリジット・バルドーが動物園での安楽死に反対しロシア移住に言及する始末。
終盤のどたばたには国民もさすがにあきれ顔でしたが、この不況の中フランスの行く末を不安視する声があがっていました。

さて、「文化的特例」大国フランスでは、映画製作に国から補助金が出る他、テレビ局には一定額の映画製作への出資が課せられています。テレビ局の介入が放映時の視聴率を鑑みた売れっ子スターの起用を促しギャラ高騰を招くという批判が出る程、フランス映画は制作費・ギャラと興行収入の割合が不均衡だとされ、その事が逆説的に、現行のフランス映画援助システムを擁護する方向へ繋がっている様です。
映画はフランス国民にとって一大娯楽(映画鑑賞のリーズナブルさは観る側にとっては嬉しい限り)であるだけに、手厚い助成システムにメスが入る事は当分なさそうです。


ところで、「しあわせの雨傘」という和題だけ聞くと、まるで「シェルブールの雨傘」の続編かの様ですが、原題はpotiche(お飾り)。
個人的には、「作品への介入」である和題というシステム自体に抵抗感があります。吹き替えもまた然り。
映画は芸術であると同時に産業であり興行でもあるので、そういうものとして捉えるべきなのでしょうが。。。

(M.O)

2013年1月23日水曜日

Awaken the Dragon - 眠りから醒めたシンガポールの龍と焼き物の歴史


 かつてシンガポールで製陶業が栄えたことはあまり知られていません。人気のシンガポール土産の一つに、中華風の花鳥の絵柄とパステルカラーが美しいプラナカン食器(Nyonya Ware)*がありますが、これらは中国からの輸入品です。今回はシンガポールにひっそりと眠っていた登窯と、焼き物の歴史を呼び覚ますAwaken the Dragon Projectをご紹介します。

 ゴムのプランテーションが盛んだったマレー半島では生ゴムの原料となる樹液を溜める容器の需要が高まり、中国からの移民によってゴム園の傍に陶磁器を生産する窯が作られていったそうです。1930年代のシンガポールには9基から20基もの龍窯(りゅうよう・Dragon Kiln/登窯の一種)が存在したといわれていますが、プランテーションの衰退に伴い姿を消し、1980年代にはシンガポール国内に潮州式の窯2基を残すのみとなってしまいました。一方の陶光窯(Thow Kwang Dragon Kiln)はオーナー(Thow Kwang Industry Pte Ltd/陶光工芸有限公司)が保存し陶芸家が作品作りのために年に数回使っており、プラナカン食器が安く手に入る隠れた陶芸の里"Pottery Jangle"として日本人も訪れる場所となっています。他方の源発窯(Guan Huat Dragon Kiln)は1958年につくられ、廃業と共に窯も使われなくなっていたところを2003年にシンガポールの観光局が陶芸家のための工房・Jalan Bahar Clay Studios(JBCS)として修復・整備、今日までその姿を留めています。このJBCSの窯は全長が43mにも及ぶ巨大なものでしたが、使われるのは年に数回のみ。しかも焼く陶器の数が少なく窯前方の一部を使うだけだったため、勢いよく炎と煙を噴出す巨大な龍の姿を見ることはできませんでした。そのうえ二つの龍窯がある地域は、2030年に完成予定の環境に配慮した商業地区・Clean Tech Parkとして再開発が進んでおり、工房の隣では連日重機が作業をしています。龍窯がシンガポールから消えてしまう日は刻一刻と迫っていたのです。

美しい炎が燃え盛る窯の側面。
専門家の指示でボランティアや来場者が薪をくべていく。
  「辰年(Dragon year**)に龍窯(Dragon Kiln)を復活させたい!」そんな状況の中、オーストラリアで陶芸を学び現在はシンガポールで教鞭をとっているMichelle Limは、シンガポールでアートプロジェクトの実績のある社会企業・Post-MuseumのJennifer Teo、Woon Tien Weiと共に龍窯の魅力と歴史を伝えるプロジェクトを企画しました。このプロジェクトはシンガポールの土を使った陶芸ワークショップを行なう第一段階(2012年9月~12月)、約30年ぶりにJBCSの龍窯全体を使って陶器を焼き、窯の復活を祝う第二段階(2013年1月15日~20日)、完成した作品を展示する最終段階(2013年3月)からなるものでした。

龍窯の中で解説を聞く陶芸ワークショップ参加者。
 巨大な龍窯を全て使って陶器を焼くためには沢山の陶器が必要です(JBCSの龍窯の図***)。そこでJBCSに加え博物館や各地のコミュニティーセンター、幼稚園や老人ホームなどで陶芸ワークショップが開催され、3000人以上もの人々が掌に乗るくらいの可愛い作品を作りました。陶芸体験だけでなく歴史遺産としての価値を伝えることを目指したプロジェクトなので、ワークショップでは土をこねる前にシンガポールの製陶業の歴史と、殷の時代までさかのぼる龍窯の歴史、窯の構造、工程、そして電気窯では再現できない美しい仕上がりについてのレクチャーを受けます。JBCSで開催されたワークショップでは、写真のように実際に龍窯の内部に入って解説を聞く機会もありました。ワークショップの最後に参加者は一人ずつ作品と通し番号を持って写真に収まり、アーカイブとしてプロジェクトのブログやFacebookページで公開されています。これらの写真を見ると実に、さまざまな年齢と文化的背景を持つ人々がこのプロジェクトに参加したことがよくわかります。

地元ミュージシャンThe Constant Idealiste
背後のスクリーンにはワークショップ参加者と
作品の写真が映し出される。
 そして1月17日の夜、ついに窯に火が入り、龍が復活するフェスティバルが始まりました。フェスティバル期間中は陶芸家の作品展や体験講座、座談会などが開催されましたが、一番の見所は何と言ってもワークショップの作品を龍窯で焼く作業です。長年使われていなかった窯の内部は修復と清掃が必要。しかし製陶業の廃れたシンガポールでは龍窯を修復できる専門家が見つからず、修復作業はオーストラリアの窖窯専門家・Ian Jonesの指揮のもとに行われました。細長い窯の中全体を熱するためには斜面の下にある入り口から薪を入れ始め、充分な高温に達したら一つ上の部分へ進むという地道な作業が求められます。窯を1300℃まで熱するため、ボランティアが約三日間にわたり昼夜を徹して薪(廃材)をくべ続けました。しかし作業は決して辛いばかりのものではありません。窯の前では写真のように次々と地元のミュージシャンやDJがライブを行い、フェスティバル限定ビールやマッサージ屋まで登場しました。なにより、窯の中の炎に魅了された観客達が次々と作業に加わったため、予定より早いペースで作業が進んだようです。

窯の脇には窯の神様が奉ってある。
左上は釜の中の温度を示す機械。現在1063℃。
 私がJBCSを訪れたのは、しとしとと雨の降る当地にしては肌寒い週末の午後。全体の三分の二辺りまで火が入った龍窯の近くはほのかに暖かく、手前にある窯の口からは美しい炎が見え、尻尾にあたるじ部分からは黒い煙が立ち上っていました。これはまさしく龍の姿。先月ワークショップに参加するため訪問した際は静かに眠っていた龍窯とは全く異なる様相を呈しています。フェスティバルの様子は地元紙も大きく取り上げ、500人以上もの観客がフェスティバルに訪れたと報じていました。 

 プロジェクトの盛り上がりを受け、2013年1月に立ち退きを求められていたJBCSの賃貸契約は2015年まで延長されることになりました。政府も龍窯を残す方向で一帯の開発計画を見直しを考えているとのこと。また主催者側は、一連のイベントを通じてこれまで出会うことのなかったシンガポールの陶芸家たちが一同に介したことが予想外の収穫だったと語っており、今後2年間もフェスティバルを継続したいと考えているそうです。しかし残された課題もあります。JBCSの隣にあるもう一つの龍窯・陶光窯(Thow Kwang dragon kiln)の賃貸契約はあと1年を残すのみですし、二年後にJBCSが閉鎖されてしまったら陶芸家達は低価格で制作を支援してくれる場所を見つけられなくなると懸念しています。

 一緒に窯に薪をくべていたシンガポール人の若者は陶芸をやるのは初めてと言い、工房の向こうで作業を続ける重機を見ながら「ここはもともとジャングルだったのに、それを切り開いてわざわざ新しい木を植えるなんておかしいよね」とつぶやきました。全力疾走のシンガポール社会で振り返ることを忘れていた過去の大切さに気づきはじめる人たちは確実に増えているようです。龍窯復活の熱気はそうした人々の心の変化の一端を伝えていました。(齋)

追記:第2回Awaken the Dragon Kiln Projectも計画中だそうなので、詳細が分かり次第お知らせしたいと思います。

*14世紀末から東南アジアにやってきた中華系移民が土着の民族と結婚して生まれた文化をプラナカン文化と呼ぶ。19世紀に多くのプラナカンがペナンからシンガポールへ移住したため、プラナカン様式の建築物や洋服、料理などはシンガポールを象徴する文化の一つとなっており、プラナカン博物館は日本人にも人気の観光地。
**マジョリティを占める中華系シンガポール人は春節(旧正月)から新年が始まると考える。今年の春節は2月10-11日のため龍窯に火を灯す1月はまだ辰年。
***この図では全長42mとなっているが最新の報道では43mと記されている。

2013年1月22日火曜日

一本杉が、賞をもらったそうです

弟が高校に受かったそうですおねいちゃんはうれしいよ@竹です。

昨年、合宿で行った七尾の一本杉商店街の取り組みが、JTB交流文化賞(リンクはこちら)の最優秀賞をとったそうです。
ここでは、「人や文化との交流による地域活性化の事例」に賞が与えられます。
一本杉は、今年「花嫁のれん展」が第10回を迎えることを記念して応募したそうですが、57作品の応募の中で1位になったということです!
評価のコメントに、「ノスタルジックな点がむしろ新しい。」と書いてありました。が、ノスタルジックというよりも、「おしゃべりすること」「ごみを減らす」という、生活の基本的な、しかし忘れられ失われがちな部分をうまく引き出しているから、評価されたんだろうなと思いました。

「文化賞」ページでは、過去受賞作品を含めた色々な事例が見られるので、チェックしてみると楽しいと思いますよ。

(竹)

2013年1月21日月曜日

演劇界の宝

  今回は今年3月末で閉鎖されることになった名古屋の老舗劇場御園座、そして御園座演劇図書館に関するお話です。

明治29(1896)年に創業した御園座は、一度は戦災で消失したものの戦後1947年には名古屋の財界人たちの協力を得て再建され、それ以降名古屋人の戦後の復興にかける心意気を示したものとして地元の人に長く愛されてきました。しかし近年、業績不振が続き再開発される予定はあるものの、劇場の再建は白紙のようです。
その御園座閉鎖に伴い、同劇場に併設されている中部地方唯一の演劇図書館が閉館し、所蔵品が散逸する恐れがあるという記事を1月16日の東京新聞Webで発見しました。
 
【以下引用】
「御園座演劇図書館にはプログラムや台本がそろっており、役者の利用も多い。一八九七(明治三十)年五月十七日の御園座こけら落とし興行の一枚番付(プログラム)など「創業百十八年の老舗ならでは」の資料や、歌舞伎役者の化粧を和紙に写した隈(くま)取り、文楽の義太夫のレコードなど、古典芸能の資料も多い。
「ヤマトタケル」などのスーパー歌舞伎を手掛けた三代目市川猿之助(猿翁)は、図書館創設者で御園座の元会長、故長谷川栄一氏の追悼集への寄稿で、その価値を「数々の演出を手掛ける都度、今まで到底調べきれなかった究極の部分まで納得できる有益な勉強ができた。まさに演劇研究の宝庫」と記している。
劇場が入る建物の建て替え計画には、未確定の部分が多く、御園座の再開を心配する声もある。御園座は「稀覯(きこう)本や歌舞伎の番付、隈取りなど、貴重なものは残したい。地域の貴重な財産でもあり、行政などに保管や公開で助けていただければ」と話す。
実際、名古屋市文化振興事業団などが昨年一月に視察したが、市は「市としては一時保管しない。江戸時代のチラシもあるが、昭和以降の新しい物が多く、博物館の扱う範疇(はんちゅう)ではない」(博物館学芸課)との立場。保存への有効策が見当たらないのが現状だ。」

、、、、、!?

御園座の120年近い歴史を伝える資料や、歌舞伎や文楽の貴重な資料、プログラムや台本など演劇関係を中心に約29千冊もの貴重な資料、それは「演劇界の宝」です。それを「昭和以降の新しいものが多いから」博物館では保存しない。
近年では資料のデジタル化が進み、保存への取り組みは進んでいますが、もちろんすべてを保存することは不可能です。しかし明治、大正、昭和にわたり地域芸能の拠点であった御園座の歴史を考えた時に、ただ「新しいものが多いから」という理由で、これまで収集されてきた資料が散逸してしまうのは地域にとっても大きな損失でしょう。今は比較的「新しい」資料でも、何十年後には「過去を知るための貴重な資料」となるものです。何が保存に値するか、しないのか、それを現代の視点だけで捉えることができるのか、昭和以降の資料は価値がないと言い切ってしまっていることからも、同時代の資料に対する重要性が共有されていないように感じました。
今後のことを考え、資料をどのように残していくかという議論が行われることを願います。
 
御園座演劇図書館の閉館に伴う資料の散逸をなんとか防ぐことはできないだろうか、とホームページなどで調べてみましたが、未だ保存への有効策は見つかっていない状態のようです。
演劇界の宝の行方を今後も追っていこうと思います。
M.H

演劇界の宝 散逸か 老舗劇場「御園座」、図書館閉鎖へ
2013116日 夕刊
 
御園座演劇図書館

2013年1月20日日曜日

第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」〜わたしたちの地図を探しにいこう〜 のご案内

皆様
小林ゼミ履修生を含む、東京大学文化資源学研究専攻の今年度新入生が中心となって企画し実施するフォーラムについて、以下ご案内させて頂きます。
ふるってご参加ください。

------------------------------------------------------------
第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」〜わたしたちの地図を探しにいこう〜

現在わたしたちの周りにある地図はその技術、使い方、楽しみ方など急速な変化を見せています。
本年度の文化資源学フォーラムでは『地図×社会×未来』と題して、
社会のニーズや人々の欲求の変化と、それに伴う地図と社会の関わり方の変化、そして地図そのものが社会を変えるということに着目し、
地図の未来・未来の地図について考えます。

【会場】 東京大学本郷キャンパス 法文2号館一番大教室
【開催日時】 2013年2月16日(土)14:00~17:30

【主催】 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室
【協力】 国土地理院、佐野正弘、(株)人文社、(株)ゼンリン(五十音順、敬称略)
【後援】  文化資源学会
【備考】 入場無料/定員150名
【お申込方法】事前申込制です。インターネット(下記ウェブサイトより)、FAX、メールにて受付中です。但し、当日も空席がある場合はご入場頂けます。
第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/forum/forum12/index.html
メールアドレス:map_society_future@yahoo.co.jp
FAX番号:03-5841-3722 (宛先:東京大学文化資源学研究室)

【プログラム】
13:30 開場・受付開始
14:00 開会挨拶 木下直之教授(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室)
14:05 学生発表
14:20 講演1「空間情報科学の最前線—動く地図とその未来—」 柴崎亮介氏(東京大学空間情報科学研究センター教授)
14:50 講演2「地図の歴史を考える—人・空間と地図—」 鈴木純子氏((財)地図情報センター監事・伊能忠敬研究会理事)
15:35 講演3「『ブラタモリ』で見えてきた都市の秘密—"まち歩き番組"制作と古地図の関係—」 尾関憲一氏(NHK制作局エンターテインメント番組部「ブラタモリ」チーフ・プロデューサー)
16:10 パネルディスカッション 「社会が変える地図、わたしたちを変える地図」
17:25 閉会挨拶 小林真理准教授(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室)

【ポスター・チラシ等】ポスター及びチラシを下記URLよりダウンロード頂けます。
ポスター:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/assets/files/event/forum12.poster.pdf
チラシ:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/assets/files/event/forum12.flyer.pdf
また、Facebook・Twitterにて随時情報発信中です。こちらもあわせてご覧下さい。
Facebook:http://www.facebook.com/pages/第12回文化資源学フォーラム/524100667614587
Twitter:https://twitter.com/mapsocietyfutur

----------------------------------------------------
2012年度文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」実行委員会
(M.O)

2013年1月18日金曜日

クリエイティブな仕事


 船橋市の飛ノ台史跡公園博物館は、飛ノ台貝塚(縄文時代早期)に隣接するサイト・ミュージアムである。発掘調査の成果を踏まえ、船橋市は1997年にこの貝塚を市指定史跡とし、2000年にこの博物館をオープンした。

 この博物館に私が注目したのは、毎年夏に「縄文国際コンテンポラリーアート展」が開催されていることである。2012年の展覧会では、縄文文化と古代イタリアをテーマに、両国のアーティストたちの作品が館内で展示された。

 縄文時代の展示となると、考古学的な視点で土器や石器が展示されることが多い。もちろん、こうした展示は縄文文化のひとつの見方として重要なものである。しかし、縄文時代の遺跡が持つ価値は、より多面的で、豊かなものだと常々感じている。この豊かさは、展覧会でも積極的に表現されるべきだと思うが、実際には考古学的な解釈のみが表現される。その背景には、展示する側の事情がある。展示に関わる多くの考古学専攻者は、日々他の考古学専攻者に囲まれて仕事をしていることもあって、少なくとも、土器や石器を資料としてみなし、作品とは捉えない。

 しかし、ここの学芸員さんのように、異なった視点を持ち込むことで、そのものの多様な価値を引き出すことはとても重要なことである。異質な文化同士を結び付けた結果、良い化学反応が起きている。こうしたクリエイティブな仕事は、行政の文化化の議論とも接続するものだろう。

行政の仕事に携わっていると、どうしても条例や規則に縛られ、クリエイティブな仕事ができないような感覚に苛まされる。博物館の学芸員や文化財保護部局の職員に関わらず、士気の高い行政職員のモチベーションが、いつの間にか、右肩下がりになる要因のひとつがこれである。

ではどうしたら、行政の中でクリエイティブな仕事ができるのだろう。

最近私が感じるのは、①クリエイティブな仕事をしている人を見つける、②ゲリラ的に仕事の種をまく、の2点が重要であるということだ。

①については、身近にモデルを作ることで、モチベーションを維持することができる。②は、なんだかルールを破る様で気が引けそうだが、一定の仕事のルールを守りつつ、思い切った手法で、アイディアが実行できそうな可能性を探るということである。外部から人が必要なら、アイディアの段階ではお金が付かないから、自腹を切るといったように。例え事業としての芽が出なくても、沢山のアイディアの種をまくことは、とりあえず行動したという達成感で、自分のモチベーションは一応高まる。

 以上、好き勝手に述べたが、実際にこれから自分の仕事としてどこまでこれを実践できるのか、腕の見せ所である。

 

縄文国際コンテンポラリーアート展2012inふなばし

http://myfuna.net/reg/press/navi/2012/07/30093415.html

 
(ま)

2013年1月16日水曜日

Archiving Cane by Loo Zihan-シンガポールにおける表現の自由を表現活動を通じて訴える試み

Archiving Cane展のオープニングで再演パフォーマンスの映像に見入る観客

 みなさまご無沙汰しております。昨年はシンガポールでは中々キャッチすることの出来ない日本各地や世界各国からの情報に大変刺激を受けました。本年も徒然にシンガポール便りをお送りしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 さて、中国の報道の自由を巡るニュースが世間を騒がせている昨今ですが、シンガポールも言論統制の厳しい国として有名です。芸術文化も例外にもれず、これまでに治安維持法(Internal Security Act)のもとで数々の芸術家が活動を制限されてきました。近年、政府は検閲によって活動を抑えるのではなく、National Arts Council (NAC)からの助成の有無という「より洗練された管理の手段」を使って表現の自由をコントロールしているといわれています(滝口健「シンガポール演劇と公共圏-統制とクリエイティブティの「共犯関係」」『公共劇場の10年』(2010)参照)。同時に、かつて政府によって拘束されたり、公民権を剥奪された芸術家の作品を再評価する動きも出てきています。今回はそうした潮流の一つとして、かつて過激なパフォーマンスを理由に活動を制限されたアーティストの作品を再演し、その過程をアーカイブ化した試み、Archiving Caneをご紹介します。

 1994年、22歳のシンガポール人アーティストJosef Ngと20歳の美大生が、猥褻罪に触れるパフォーマンスを行ったとして、10年間にわたり表現活動を行う権利と助成を受ける権利を奪われる事件が発生しました。”Brother Cane”と題されたJosef Ngのパフォーマンスは、ゲイの男性を逮捕するためのおとり捜査と逮捕者の実名報道への抗議を目的としたものでしたが、上演中に公衆の面前で陰毛を剃ったこと、臀部を晒したことが猥褻罪とみなされたのです(題名は12名の逮捕者が鞭打ちの刑に処されたことに由来)。Josef Ngの作品と政府の対応は世間の注目を集めたものの、当時のマスメディアの論調は「風俗を乱す下品な芸術は無用」として芸術家の活動制限を支持するものでした。

 それから18年後の2012年2月、28歳のシンガポール人アーティストLoo Zihanがこの問題作を一夜限りで再演する”Cane”と題したパフォーマンスを行いました。この作品は単にJosef Ngのパフォーマンスを再現するものではなく、"Brother Cane"事件を報じたシンガポールのマスメディア、Josef Ngが裁かれた法廷での供述書、パフォーマンスの再演(ライブと録画)、観客との討論という6つの"アカウント"を用いて、94年から現在に至るまでのシンガポールにおける表現の自由を巡る様々な見解を立体的に提示するものでした(⇒映像)。

  そして2012年12月、Loo Zihanのプロジェクトは”Archiving Cane"と名づけられた展覧会で幕を閉じます。会場となったのはシンガポールにおけるオルタナティブスペースのパイオニア・The Substation。展示物に同性愛やヌードに関するものが含まれるとして21歳以下入場は禁止されました。この「R21」の烙印が、安全清潔なシンガポールで珍しく怪しげなことが行われるらしいという好奇心を刺激し、オープニングの夜にギャラリーの前で開場を待つ学生や芸術関係者の列は静かな熱気に満ちていました。

 18年前に起こり得なかった芸術家と公衆の対話、そして表現の自由を巡る議論をもう一度喚起しようと開催されたこの展覧会には3つの仕掛けがありました。一つ目はFacebook上に作られた現在進行形のアーカイブ、二つ目はLoo Zihan本人や批評家が表現の自由と規制を論じた120ページに及ぶ冊子、そして三つ目はインターネットを通じた資金調達です。

 官民ともに積極的にFacebookを活用しているシンガポール。"Archiving Cane"のFacebookページでは事の発端となった1994年のパフォーマンスとそれにまつわる新聞報道を中心とした出来事がウォール上に時系列で表示され、現在まで続く緻密なアーカイブを形成しています。展示の準備の様子や観客の反応などもリアルタイムに反映され、主催者側と観客の双方向のやり取りも可能です。しかしソーシャルメディアが盛んなシンガポールにおいて「171いいね!(2013年1月16日現在)」は決して大きな数字ではなく、Loo Zihanが意図した公衆との対話の場となるには至っていないようです。

 上の写真の受付机に並んでいる白い冊子はギャラリーを訪れた観客に無料で配布されました(後日主催者によりネット上にも公開されました/PDFダウンロード)。Loo Zihanは実演と並んで文章による表現を重視しました。冊子には本人の他、批評家やアーティストがシンガポールの芸術と検閲について論じた記事が掲載され、2月に行われた再演パフォーマンスの台本なども収録されています。更にこの冊子は単なる批評集ではなく、観客を”Cane”プロジェクトの目撃者・共同制作者として巻き込んでいく仕掛けでもありました。観客は入場時に受付で身分証明書のコピーをとられます。年齢確認かと思いきや、各自の身分証明書のコピーはその場で冊子に綴じこまれ、観客に手渡されるのでした。また、同じコピーはギャラリーの壁にも貼られていって、観客が増えるにつれ壁が身分証明書で埋めつくされていき、展示への注目度が一目瞭然となるしくみになっていました。

 政府の助成に申し込むも却下されたLoo Zihanらは、展覧会の費用をKickstarterというアメリカの資金調達サイトを使って賄うことを目指し、会期中に寄付を呼びかけました。9日間で目標金額の8割近くを集めたようですが最終的にはZihanと主催者側の意向により募金は中止されました。Zihan自身や関係者が出資した金額も含まれていたため、そうした形で成功を演出するのはプロジェクトの意に反するとの判断からだそうです。目標の6000米ドルに達せず、Kickstarterのルールに従い一銭の支援も得ることができませんでした。しかし”Achiving Cane”のように観客との対話を目的としたアートプロジェクトでは、個々人が活動への支持を寄付を通じて表明できるクラウドファンディングの仕組みを利用することは有効でしょう。シンガポールやマレーシアの他の芸術団体もこうした手段で活動資金を集めているのを目にしました。またLoo Zihanは展覧会の冊子に寄せた文章で、公的支援なしにはアーティストが破綻してしまう現状を厳しく批判しており、政府の助成に代わる財源としてネットを使った資金調達を行うこと自体が、彼のパフォーマンスであるとも言えます。

 このように、Loo Zihanは資金調達から活動記録、政府への申請まであらゆるプロセスをパフォーマンスの一部として実施する中で、国の力で表現者が社会から消えてしまう現実と、そうした政府のコントロールから抜け出すための新しい可能性(SNSやクラウドファンディング)を示唆しました。Loo Zihanの取り組みは、芸術的な質は別としてJosef Ngの伝説的なパフォーマンスに肖って名前を売ることには成功したとする見方もあります。一見グロテスクな写真や映像に込められた切実なメッセージは、広くシンガポール社会に響いたとは言い難いかもしれません。しかし少なくとも"Archiving Cane"を目撃した当地の芸術家たちは、今後もこの不自由な環境を自覚しながら作品を生み出していくのでしょうし、社会と対峙する緊張感がシンガポールの芸術の魅力の一端を担っていることは確かでしょう。"美しく安全なシンガポール"を目指す文化政策がぶつかる芸術の毒との葛藤は、社会が豊かになるにつれて、ますます増えていくように思われます。そんな中、過去に禁止されたの表現活動の再評価・再解釈の動きは大変興味深いものでした。(齋)

追記:Loo Zihanのプロジェクトはシンガポールのアート業界に少なからぬ衝撃をもたらしたようで、複数の芸術関係者が、シンガポールの表現の自由を語るときに彼の試みに触れていました。今後の彼の活動にも注目が集まっています。

教育とアート、というよりは、教育のアート。


『スクール・アート』という、去年出版された本を読みました。
この本は、学校や教育を題材とした美術作品を、いくつかのテーマに分けて紹介したものです。
例えば、自身を多彩なメイクや服装で変えて写した写真作品が印象的な澤田知子の、集合写真を模した《School Days》。藤阪新吾の、教員としての自分の経験を反映した《よいこの学習》。必ず「指導案」を書いてから、子どもたちとのワークショップ形式でつくる山 本高之の作品の数々。バラエティに富んだ作品が掲載されています。

作家に直接聞いたり、作品を直接見たりすることに重きをおいて取材がなされているので、作家の声が聞ける(読める)という点で貴重な資料でもあります。
演劇や建築も一部取り入れており、「アート」を幅広く考えています。
図版もカラーが結構あって良いです。
 
しかしなんといっても、テーマが新しくて、興味深く読みました。
というのは、「教育の中での美術のあり方」とか、「学校と美術の連携の仕方」みたいな本はたくさんあるけれど、学校・教育をテーマとした美術作 品を集めるというのは、展覧会としても本としても意外と語られてこなかったモティーフだからです。よくありそうだけど、意外と考えないよね、こういうこ と。
現在進行形の現代美術を扱っているので、網羅性という面では難しい面がある(しそれは当然のこと)なのですが、それでも十分な作品数と取材。
美術を見る新しい視点を得た気がしました。
 
その中で、ひとつ紹介。みかんぐみが設計した小学校と中学校が、印象に残りました。
みかんぐみは、4人の建築家をコアメンバーとする建築家グループ。様々な建築物をつくっていますが、学校空間の作品も多いです。
今回紹介されている学校では、空間構成を工夫することで、殺風景になりがちな学校の空間を変えています。
それによって生徒がのびのび生活できるように、ひとつの空間をその都度それぞれ彼らなりに使えるように、空間の中で考えさせるように、しています。
学校って、同じ教室が並んだ形式が当たり前だと思っているけど、そうでないあり方もあるんだ!と思えました(図書館の壁をなくしちゃうとか!)。
 
学校ってのも、ただ「ある」だけじゃもうダメなんやよね。きっと、子どもたちがその中でどのような行動・感情をもって生活して伸びていくか、というところまでデザインすべき
である、という要請が出るような時期にきているのだと思います。
関連して、本で取り上げられている作家のひとりによる、「人類は、教育というものを無条件に信頼し続けて今まできている」という意味のことばも記憶に残っています。
今まで「教育」って当然のように存在したけど、その「当然」を、紀元前とかからある意味盲目的に信頼してこれからも続けそうだ…って、考えてみれば結構すごいことしてるな人類。
それを学校や図書館のデザインから変えるという動きが、この例も含めて最近出てきているけど、これは教育が揺れている現代の要請なんやろな。
 
…というわけで、変わった視線で色々考えさせられる、面白かった本の紹介でした。おわりです。
 
(竹)

まちをあきらめない

年末の帰省で名古屋に降り立ったら、駅前の「大名古屋ビルヂング」にはすっかり覆いがかけられており、ちょっと寂しい気持ちになったpeaceful_hillです。東海道新幹線が開通してまもなく竣工したこの建物は、長いあいだ市民に親しまれてきましたが、建て替えのため昨年9月に閉鎖されました。近年の名古屋駅周辺はずいぶん再開発が進み、慣れ親しんだ景観が失われていく寂しさと、発展を続ける故郷への頼もしさが、ひとつの感情となって込み上げてきます。
しかし、発展の後ろを衰退がついてくるのは、名古屋においても変わりはありません。先日、名古屋市営地下鉄の2つの駅にある地下街が今年3月をめどに廃止される、という新聞報道がありました。開業当時は高度経済成長期の名古屋のシンボルのひとつだったのが、最近は客足が遠のき赤字が続いていたそうです。個人的には「尾張名古屋は地下街でもつ」なんて思っているところがあったし、かつてよく利用していた駅でもあったので、私はこのニュースを特別な感慨をもって受け止めました。
大なり小なり、地域はさまざまな困難を抱えています。地域が自信を取り戻すことは簡単ではありません。それでも、生まれ育ったまちの再生を願い、あきらめない人たちがいることを見過ごしてはならないというのが、次に紹介する毎日新聞の連載記事「まちをあきらめない」に込められた記者たちの思いではないでしょうか。

毎日新聞[特集・連載]「まちをあきらめない」(2013年1月1日~8日)

全体を通して人のつながりを中心にストーリーが語られている印象ですが、それとともに「文化」がかかわってくる場面が多いなー、というのが読後感です。まちづくりにおいて文化の役割が大きいということでしょうか。逆に、「文化のまちづくり」というけれど「文化によらないまちづくり」があるのだろうか、という気さえしてきます。正直、私の中で「文化」という言葉がインフレを起こしているようで、いちど冷静になって考え直してみたいと思います。
とりとめなく、徒然なるままに書いてしまいました。

(peaceful_hill)

2013年1月15日火曜日

おいしかった話

3連休は法事のため、年末年始に続き、再度帰省していました。
そのときに連れて行ってもらった七尾のイタリアンのお店の紹介と、徒然考えたことを書きます。
Passione Ritrovo Kiricoという店で、インターネットで検索してみると、

能登の食材を生かしサルバトーレクオモで活躍したジーノ・クオモがフードプロデュースし、器は東龍知右門がプロデュースし製作したKyuWaと九谷焼、輪島焼で展開しています。イタリアの調理技術を生かし、Foods Factoryとして能登の若いフードクリエイターで運営しております。

という紹介文が書かれていました。
能登の食材を使ったメニューがたくさんあり(おいしかったッス)、また、陶の質感たっぷりな器で料理が出てくるのが特に良かったです。
器にはkiricoと書かれているものが多く、この店のためにつくったということが分かります。
町家のような細長い建物だったので、改装して使っているのでしょう。調理場がオープンな感じで見えて、変わったつくりでした。
去年くらいにできた店だけど、口コミですばやく広まっているということを聞きました。

お値段はちょっとハリますが、
地元の人がお気に入りの店として覚えていて、「たまにはあそこ行ってみるか」みたいな感じで使うという位置の店に自然になれば良さそうやなーと思って見て(食べて)ました。
こんなセンスの良い店が七尾にもあったのか、外部の人が能登の良さを見出して店までプロデュースしてくれたのか、ということが分かると地元を見直しますね。
まぁ、店が存在して使われるだけでそれが達成されたとはいえないのが難しいところだけど、こうして「センスのある」人やモノがこれから集まっていくとしたら、そこは持続性のあるまちになるのだろうな、と思い、つつ見て(食べて)ました。

あ、なんだか最近地元の話題ばかりですな。怒らないでね。

(竹)

『ふたつの隅田川』

先週末、神奈川芸術劇場で『ふたつの隅田川』という講座を聞いてきました。これは、3月に行われる『隅田川二題』という企画の前の連続講座で、今回が第一回にあたります。

『隅田川二題~オペラ「カーリュー・リヴァー」/舞踊「清元 隅田川」~』
能から生まれた二つの『隅田川』
2013年3月22日(金)19時~/3月23日(土)16時~
http://www.kaat.jp/pf/sumidagawa.html

能に『隅田川』という有名な曲がありますが、この曲を題材にして、英国の作曲家ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)により作曲されたオペラ「カーリュー・リヴァー(Curlew River)」と、同様に、明治期に二世清元梅吉により作曲された清元「隅田川」とを、同時に上演するという趣向です。清元「隅田川」というのは大変な名曲で、日本舞踊でもさまざまな流派で振り付けられているのですが、今回は花柳流のお家元がご出演されるとのこと、日本舞踊ファンとしては今から楽しみです。

…とは言え、(おそらくですが)オペラのファン層と日本舞踊のファン層は大きく異なり、またそれぞれの持っている知識も相当にちがう、ということで、実際に作品を鑑賞する前に、”ふたつの隅田川”の作品世界を知ることのできる講座が用意されています。

先日は、四回連続で行われる講座の第一回で、テーマは「オペラ『カーリュー・リヴァー』~ベンジャミン・ブリテンと能『隅田川』~」。ブリテンの研究者の方と、能の研究者の方がそれぞれに「カーリュー・リヴァー/隅田川」の世界について語るという形式で、なかなかボリュームのあるお話を聞くことができました。これがあと三回続くとなると、3月までには『隅田川』について相当な識者になってしまいそうです。

優れた作品は、何らの前知識がなくとも、それ自体ある衝撃を人々に与えるものだと思っているのですが、その前に、まず作品と出会わなければ何も始まりません。この場合は、「オペラは難しそう」「日本舞踊は見たことがないし…」等々の理由で、劇場に足を運ばなければ、新たな出会いのチャンスを逃してしまうのです。そうした(私を含む)食わず嫌いさんたちにとって、事前講座を用意してもらえるのは、まさに至れり尽くせり。この機会に、ぜひ『ふたつの隅田川』を、そして、日本舞踊を食してみてくださいませ。

『隅田川二題』関連企画
《連続講座》ふたつの隅田川
第二回:2013年2月8日(金)19:00~
 指揮者によるオペラ「カーリュー・リヴァー」曲目解説!!
第三回:2013年2月24日(日)14:00~
 川と芸能~”隅田川もの”の系譜と「清元 隅田川」~
第四回:2013年3月2日(土)11:00~
 花柳壽輔×宮本亜門 トークセッション
http://www.kaat.jp/pf/sumida-kouza.html

(mio.o)

ゲキ×シネ

こんばんは、寒がりなM.Hです。今日は関東でも大雪でしたね。毎日通る道にも雪が積もっていて、違う世界に迷いこんでしまった気持ちになりました。

 さて、先週末の話ですが、渋谷ヒカリエにあるシアターオーブで劇団☆新感線による『ZIPANG PUNK~五右衛門ロック』を観劇してきました。そして今週末は同じく劇団☆新感線によるゲキ×シネ『髑髏城の七人』の舞台を映画館で見てきました!
『ゲキ×シネ』では2011年夏に上演された『髑髏城の七人』が映画館で上映されており、演劇を映画館で見る、という新しい観劇形態となっています。長時間の収録には向かないフィルム撮影では不可能だったライブ公演をすべて収録・中継し、大画面で上映するという試みが、デジタル技術の進歩によって実現し、2004年に『ゲキ×シネ』の第1弾『髑髏城の七人~アカドクロ』が上映された当初、デジタル上映が可能な施設はわずか10スクリーン足らずでしたが、年々市場が拡大し、現在では日本全国で総数3340のうち1968スクリーンがデジタル上映に対応しています。1
舞台を映像作品として収録・中継しているものとして、『ゲキ×シネ』以外に松竹株式会社が手がけている『シネマ歌舞伎』、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(MET)で上演されるオペラを映画館で上映する『METライブビューイング』などがあります。『METライブビューイング』は音響の編集にもこだわっていて、日本語字幕も付いているので手軽に海外のオペラを楽しむ事ができます。このように大きな画面で(ライブ)映像を楽しむ文化が浸透し、それに伴い映画館の役割も多様化してきているのです。
 一度しかない舞台、その感動を映画館で再現するなんて無理だ、舞台は生でみるから意味があるのだ、と思う方もいらっしゃるかもしれません。私自身『ゲキ×シネ』は過去に5作品みてきましたが、舞台で感じるような熱気は感じられないものの、劇団☆新感線特有の迫力、興奮は十分感じることができました。18台ものカメラで克明に記録された役者の動きや芝居、目線などは舞台では味わえない体験です。『ゲキ×シネ』では上演機会の少ない希少作品が含まれており、過去の様々な舞台を知ってもらうことできる、さらに興味はあっても劇場まで足を運ぶことができない人々の目に触れることができるというのも、『ゲキ×シネ』の魅力です。
 舞台でも映画でもない『ゲキ×シネ』の魅力を考えながら、映像と演劇について考えさせられると同時に、コンサートホールや劇場に足を運び、生の空間を共有するということについて考えさせられました。これに関しては、次回書いてみようかと思っています。

ゲキ×シネ『髑髏城の七人』
私が劇団で活動していた時に公演を行った作品で、個人的にも思い入れが強く涙が止まらなくなった場面もありました。
笑いあり、涙ありの劇団☆新感線『髑髏城の七人』、映像作品として舞台とは一味違う『ゲキ×シネ』の魅力をぜひ体験してみてください。
http://www.geki-cine.jp/

劇団☆新感線『ZIPANG PUNK五右衛門ロック』
http://theatre-orb.com/lineup/07/

シネマ歌舞伎
中村勘三郎さん追悼上映が1月18日(金)まで行われています。
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/

METライブビューイング
http://www.shochiku.co.jp/met/

1, http://www.saiyo-info.net/toho/gyokai/digital.html

(M.H)


2013年1月13日日曜日

フランス便り(11)モンスター広場:後編


*この記事は後編です、まだ前編を読まれていない方はログをチェック!

外もすっかり暗くなった頃、講演が始まりました。
とは言えメディアテークの会場は2割程しか埋まらず、こじんまりした感じ。
・講演者の自己紹介(写真・映像作品をつくる作家François Hers氏
・芸術とパブリックコマンド(公的注文)の歴史
・芸術家の目線から見た現代社会におけるパブリックコマンド・現代芸術の公共性とは
・都市、都市風景の中の芸術
が主な内容でした。
議題自体は万国共通ですが、それを歴史的系譜の中で捉えようとする点や芸術家らも含めひろく語ろうとする点が見習うべき所だと感じました。

その中から今回は、登壇者François HersとJérôme Poggiの作ったドキュメンタリー映像、Les nouveaux commanditaires(新たなパトロン達)をご紹介します。

2004年、フランス中部に位置するIndre=et=Loire県Tours市の小さな広場に現れたモンスターが大きな議論を巻き起こしました。
といっても何かが来襲したわけではありません、ご安心を。
まずはこの写真をご覧下さい。
若干ぽっちゃり系モンスターですね。


写真をお借りした所:Tripper-Tips.com内、Toursとその近隣の情報、Le Monstre de la Place du Grand Marché(Betty投稿写真) http://betty.my.tripper-tips.com/photo/le-monstre-de-la-place-du-grand-marche-2576.html

Toursの中心、旧市街に位置するla Place du Grand Marchéは、かつては美しい噴水のある広場でしたが、近年では専ら駐車スペースと化していました。
近隣の商店主や土地所有者たちのグループが、広場の再開発によってこのスペースにアイデンティティを付与すべく、la Fondation de Franceの「 Les nouveaux commanditaires(新たなパトロン達)」プログラムを利用しようと考えたのが始まりでした。

社会の急速な発展によって提起された問題に対する人々のニーズに応えるプロジェクトの支援機関として1969年に誕生したla Fondation de France。
(フランス基金、非政府系独立機関であり政府からの援助はなし。http://www.fondationdefrance.org*英語版あり)
そのプログラムの一つである「新たなパトロン達」は、従来の公的権力主導の芸術文化「提供」における不均衡さ・文化の民主化の不十分さを解消すべく、全ての市民(単独・集団問わず)が現代芸術家(分野問わず)に作品注文するイニシアチブを与える事を目的とするもので、芸術家・出資者である市民・財団公認のメディエーターの間の協働という仕組みを中心に機能しています。
ちなみに、現在までに275作品がこのプログラムを通じて作られています。

フランス西部における本プログラムの手続きに関する基金公認メディエーターであるETERNAL NETWORK
(1999年Toursにて設立したアソシエーション、現代美術の制作・普及プロジェクトを構想段階から実際の制作に至るまでサポート。日本人では川俣正さんが参加しています。
の提案を受け、この注文はアーティストXavier Veihanに託されました。

出資者やメディエーターとの話し合いを経て、Veihanは、見た人が各々の想像を重ね合わせられる様な空想的で総称的なアイコンの制作を構想、かつての町の紋章の形を遊び心を交え脅威と守護の象徴であるモンスターの中に今日的表現を用いて具現化させました。
また、そのシンボル性において中世性を、その素材によって近代性を帯びたモンスターという表現は、過去と現在を繋ぐという側面もある様です。

今日では、
「観る者に想像させる点、そして形・色・素材の点で抽象的表現を用いる事で強烈なインパクトを与えるという点において、モンスターは公共彫像の伝統に新風を吹き込み、広場の使用に新たな方向性を指し示した」
「かつてはその名前を言ってもどこか分からなかった様な広場が、今ではモンスター広場と言えば誰でも分かるくらいになった」
などと評価され、新たなシンボルとして定着しましたが、当時は突如謎の巨大なモンスターがやってくるという事で様々な議論を巻き起こした様です。
とりわけ、その注文主が国や行政ではなく一部の市民であるという点が避難の対象となりました。
しかし、このモンスターの登場を通じて、改めて生活空間の公共性やそこにおける現代芸術の役割について、人々が真剣に議論をする事となったのは紛れも無い事実であり、それこそが重要な事であった、と出資者や関係者は語っています。

まだご覧になられた事が無い方、下記サイトより英語字幕でご覧頂けます、短い映像ですので、必ず!観て下さい。その中で、それぞれの関係者がそれぞれの立場でインタビューに答えています。
講演の質疑応答では、会場から注文をする作家の選択方法についての質問が挙がっていました。
つまり、公認メディエーターが選んだアーティストを出資者が承認する方式ではなく、公募制にすべきでは?という意見です。
それに対して、 François Hers氏はアート及びアーティストをジャッジするという事に対する疑念を呈していました。
私個人も、この事はとりわけ現代美術においてなかなか難しい問題だと思います。

という訳で長々と書いてしまいましたが、久々の「小林ゼミ生らしい」内容の記事を投稿をしたので、是非このドキュメンタリーをご覧頂き、皆さんの御意見やご感想を伺いたいと思います。
どしどしコメント、お待ちしてます!
(M.O)

2013年1月12日土曜日

面白さが地域を救う!全国ワーストバスターズ

もうすぐ引っ越しの日が近づき、郷愁とワクワクを感じているsweetfishです。
といっても、東京都内ですが。。。

突然ですが、「面白法人カヤック」という会社をご存知でしょうか。

以前私の書いた記事「もしも、あなたが市長だったら」
http://mari-semi.blogspot.jp/2012/12/blog-post_7387.html
で紹介した、「未来鎌倉市」というイベントに社長の柳澤さんがゲストとして登場していましたが、「フザけた名前だ!」と一蹴するのはちょっと待って下さい。

そこで働く人の人生も、周りの人の人生も面白くしてやろう!というのがコンセプト。
最近は、「従業員満足度」に注目する会社も増えているのではないかと思うのですが、
これだけ思い切って面白がるなんて、相当面白いな!と思います。
web関連事業がメインですが、会社の強みを活かして(?)地域のワーストをアプリで解決してやろうというのが、そう、
「全国ワーストバスターズ!!」http://colocal.jp/topics/donuts-culture/kayac-busters/20120905_11241.html

例えば、第1回の北海道は、食事にかける時間がワースト。
ということで考えられたアプリが「iはしやすめ」。
定期的に「箸置くべ〜」の声がでるアラート機能、
トークが盛り上がる話題振りサイコロ機能、
味わって食べるスキルが身に付くグルメレポート特訓機能がついています。
すごい!

…「やっぱフザけてるやん」と思うのも、もうちょっと待って下さい。

地域を元気にするために、普通は「良い所を探そう」とします。
○○の生産量日本一、とか。
でも、ちょっと見方を変えれば、badもgoodに変えられそうな気がしてきます。

思い切って、いっちばん「面白くない」まちにしようとしてみたら、
そこからもしかしたら、思いもよらないまちのあり方がみえるかも…!?

(sweetfish)

地域研究と市民


 地域研究活動は、地域社会にとってどのような意味を持つのか。そして、その活動はどのように担保されるべきなのだろうか。フィールドワークにおける市民の関わりの意味について関心がある筆者にとって、地域史の編纂事業が地域社会に与える影響もまたとても興味を持っている。自分自身も自治体史編纂事業に関わった経験を持っているが、この手の事業の多くは、教育委員会に属し、その成果は出版物である自治体史が図書館の書棚の片隅に並べられるぐらいで、その存在が市民になじみのあるものとは言い難い。それゆえに、どのようなメンバーが調査や研究に関わり、どのような過程で執筆されるのか、さらにはその存在が地域にとってどのような意味を持つのか、ということについて、市民どころか、行政内部でもブラックボックス化している場合が少なくない。内容は、歴史研究や民俗研究など、専門的な内容であるために、多くの人にはとっつきにくいものとなっている。高い専門性に裏打ちされた内容が、編纂されること自体に意味があるのは十分理解している。しかし、本当にそれだけでよいのか?

 この問いに一つの答えを出してくれるのが、2003年に誕生した飯田市歴史研究所である。この市立の歴史研究所の第一の目的は「市民の地域認識を深める」ことにあるという。

 そもそも下伊那地方は幕末に伊那国学が発達し、その後も伊那史学会が発足するなど、地域研究の盛んな土地柄である。こうした地域史研究の素地を踏まえつつ、1997年に飯田市は市史編纂事業に着手したが、2001年に事業の見直しを行い、その結果研究所設立にまで至った経緯がある。

 研究所の活動は、①史料調査と公開、②研究活動、③教育活動、④市史編纂活動である。研究所の特色は、研究者による史料の調査や研究だけでなく、その成果がラジオ番組や公開講座を通じた市民に対する教育活動と接続していることにある。飯田市歴史研究所の活動について、多和田氏は、地域史研究が市民の地域認識を深め、市民が自らの頭で考えるようになることが目標だと述べている(註1)。

この点について、筆者も同感である。例えば、発掘調査という場においても、市民がそこに参加し、遺跡を解釈し、価値づけるプロセスを研究者や行政と共有することが、市民が主体的に物事を考える回路のひとつとなると考えている。そもそも学ぶとは、こういうことなのではないだろうか。

 画一的に技術や知識を教え込む教育は、近代の軍隊や工場で求められる人材を供給する上で有効だったろう。しかし、先の見えない世の中だからこそ、主体的に考え、行動することが誰に対しても求められているのではないだろうか。こうした市民像とは真逆の人々に時折遭遇するのだが、こういう人物に限って、かならず行政や誰かの責任を声高に主張する。思わず筆者は、こうした人に「ご自身はいつ主体的に考え、行動するの?」と問い直したくなってしまう。

地域の研究は、まさにこうした考え、行動する市民を創りだす場となるはずである。こうした場を「研究所」というかたちで具現化した飯田市の英断に今後も期待したい。

*註1 多和田雅保「飯田市歴史研究所の創立と活動」日本歴史 (692), 137-139, 2006-01

飯田市歴史研究所 

(ま)