2012年7月30日月曜日

ドイツから戻りました。

昨日ドイツから戻りました。
今回は、研究の打ち合わせと、バイエルン州立図書館にある資料で、日本にはない資料を閲覧に行きました。日本で予約をしていけるのはとてもありがたっかたです。また、コピー機は、本が傷まないような仕組みで行われることに、とても感心をしました。またそのコピー機を操る場所にいる職員の人が、私が、戦前のオペラ雑誌のコピーをしているのを見て、とても上手にイタリア語のアリアを歌うのに本当に驚かされました。
今回は時間が短かったことから、さらなる閲覧が叶わなかったのが残念。

デューラーの町ニュルンベルクでは、40年ぶりの大規模な展覧会が行われており、それを見に行きました。珍しく1時間近く並んで入らなければならなかったのですが(これも事前予約をしておけばよかったと後悔)、なかなか力のこもった企画展でした。

(M.K)


2012年7月26日木曜日

神奈川芸術劇場(KAAT)インターン募集【~8/13締切】

神奈川芸術劇場(KAnagawa Art Theater)が劇場運営インターンを募集しています。

※KAAT神奈川芸術劇場 2012年度前期
劇場運営インターン 募集
http://www.kaat.jp/news/2012/07/kaat-2016.html

神奈川芸術劇場は、平成231月に開場したばかりの、比較的新しい公立劇場です。指定管理者として公益財団法人神奈川芸術文化財団が運営業務を担っており、「モノをつくる・人をつくる・まちをつくる」をテーマとする創造型劇場として、近隣の神奈川県民ホールとの一体運営が行われています。山下公園まで歩いて3分、海風の気持ちいい港町の劇場です。

私自身、昨夏こちらの劇場でインターンとしてお世話になりました。演劇経験も、劇場でのアルバイト経験もなく、ただ「劇場の中を見てみたい!」という考えのみで応募したため、現場ではプロの方々や手慣れた他のインターン生の皆さんに交じって右往左往、散々ご迷惑をおかけしてしまいましたが、よい勉強をさせて頂きました。お恥ずかしながら、以下はインターン終了後に私自身が書いた感想文の一部です。この頃は、一年後に文化政策を学ぶゼミに参加するとは思ってもいませんでしたが…今読み返すと、今現在小林ゼミに参加していて感じることと、同じようなことを感じていたように思います。現実の世界で起きていることに対する知見を深める上で、現場の臨場感・空気感を知ることの大切さを、日々実感しているところです。

(以下、引用)
 『インターンに応募する前までは、公立劇場の運営に関して、ほとんど紙面上の知識しかなく、具体的なイメージは何も描けていませんでした。(中略)そのような状況の中、制作・広報・営業等さまざまなセクションの方のお話を聞く機会を通じて、観客には見えない劇場の裏側がどのようなシステムのもとに動いているのか、その一端を学ぶことができました。』(※一部語尾を改めました)

『演劇やアートマネジメントを専門に勉強されている方々と、一定の期間、一緒に仕事をさせて頂いたことは、大変刺激になりました。作業の合間や昼休みに話したことが、後にヒントとなって活かされる経験が、数多くあったように思います。』

『話し合いの中で、「地域の文化を考える」という際の「地域」という言葉を、どのレベルで考えたらよいのか、という点に非常に悩まされました。KAATは、山下公園付近のエリアにある劇場であると同時に、横浜の劇場であり、神奈川の劇場であり、そして世界に視野を広げるならば、日本の劇場であるとも言えます。公立の施設として情報を発信していく際に、どの次元における「地域」に自らの根拠を置くのかという点に自覚的であることが重要であり、そのことこそが劇場の独自性を形作るのだ、ということに気づかされました。』


mio.o

2012年7月25日水曜日

コンセンサス会議


 地域の課題解決に対しては、従来行政や研究者が主導的な役割を果たし、その結果を市民が享受するという構図が一般的である。野尻湖博物館の建設過程でも述べたように、地域の課題解決に対して、行政が実質的に主導的な役割を果たす方が、効率的で予算編成や議会対応といった面で調整が図りやすい。こうした手法は、地域に存在する課題の原因を誰もが特定しやすく、解決策が明確である場合に有効に機能してきた。
 
 しかし、今日、地域の課題は、複数の要因が複雑に絡み合い、原因を特定することが困難である。そして、行政だけでは、明確な解決策を生み出すことができない。それゆえに、ステークホルダー間で調整を図り、妥協点を見出すことが現実的な解決手法となっている。

もちろん、博物館や文化ホール建設など、文化政策分野においても同様のことが当てはまる。1960年代以降に整備された公立文化施設の老朽化が近年問題となり、建替えや改修を必要としている現状を考えれば、今後、ステークホルダー相互の調整手法を文化政策分野において確立しておくことは、有効であろう。

 この地域の課題を解決する手法として注目したいのが、コンセンサス会議である。この会議の手法を簡潔に記すと、専門家パネルと市民パネルを事務局が選出し、ファシリテーターが議会の進行を担う。市民が専門的知識を得た上で、この会議で解決策を創出し、結果を行政が施策に組み込む。


 このコンセンサス会議の中でも注目したいのは、2001年に行われた静岡県浜松市土木事務所による「安間川改修計画の策定」である。内容は、以下のとおりである。

【問題点】

①地域協議会などでは、バランスを重んじるあまり、地域の自治会長や関係団体の代表を選ぶ傾向にあり、結果「おなじみの顔ぶれ」となることが多かった。このため、「行政の行う意見集約を形式的」「アリバイ作り」と揶揄されることもあった。

②行政の問題意識と住民のそれとに大きなズレがあったり、途中から様々な問題提起が為され、論点を整理するのに時間がかかった。

③行政と住民との距離が縮まらず、ともすれば要望の場になったり、ときには対立してしまう状況に陥り、およそ住民とともに考える場になりにくかった

【方法】
 原案策定の段階で住民の参加を求めることが計画された。コンセンサス会議の手法を用いて住民の意見を集約することを公募条件としたコーディネーターの一般公募が行われた。その結果最終的にNPOが選定された。


【経過】
 NPOは三ヶ月にわたり、現地調査と地元有識者へのヒアリングを行い、コンセンサス会議を開催した。同時にイベントを行った。たとえば、演劇ワークショップ、地球ボールの巡回、写真撮影会、水質調査とカヌー遊び、植物観察会や生物調査、文化・史跡探訪などが実施された。

 カヌー遊びや植物観察会では、安間川に湧水があることが発見され、川が単なる水の通路ではなく、大きな自然の循環の一部であることを人々が実感した。

 地球ボールは紙貼りの大玉(地球ボール)を、様々なイベントに持っていき、人々に安間川について感じること、思っていることを自由に書いてくれと呼びかけた。大玉を持ち帰った後に、紙をはずしてそこに書かれた言葉を整理し、地域の人々の川への思いを取り出していった。通常のアンケートと違い、気軽に人々の思いが書き込まれた。

コンセンサス会議では、行政は市民パネルの質問に答える役割に徹した。最終的に安間川河川構想が策定され、それを行政に提案するという形式になった。また、行政は誘導するなという指令が県の河川企画室から出ていた。

【結果】
 「床上浸水は100%解消を望むが、日常的には床下浸水を起こさせないこと」(つまり、大洪水のときには床下浸水を容認する)」という現実的な提案がなされた。川の問題に対して、お互いに議論する場が形成された。



 いくつか大事な論点が存在するが、ここではその結果に注目したい。行政が主導的役割を演じる、従来型の事業では、完璧な課題解決が市民から要求される。しかし、現実には完璧な課題解決は、ほとんどありえない。行政が最大限努力し、一定の妥協点を見出すにとどまる。ところが、行政が見出した妥協点が、必ずしも市民に受け入れられず、結果両者の溝は埋まらない。この背景には、行政側の妥協点が市民にも受け入れられるはずだという行政の思い込みと、行政の無謬性に対する市民の期待が存在する。

 安間川の事例では、大洪水の際の床下浸水を市民が容認するという結論に達したことは、現実的な課題解決にむけて、ステークホルダー間の共通認識ができあがった証拠だと筆者は考えている。その前提として、コンセンサス会議と言う場が、形式的な市民のガス抜きのためではなく、市民自身が地域の課題を考える機会として実質的に機能しているのだ。また、行政がこの会議に直接関与しないということも、行政の立ち位置を考える上で興味深い。

 文化政策の分野でも同様の形式が応用可能である。この場合、市民、行政、研究者(文化政策や博物館学など)がステークホルダーとして想定されるが、これらの関係者間における妥当性を生み出すためにも、コンセンサス会議は参考になるだろう。

<出典>

小林傳司(2007)『トランス・サイエンスの時代科学技術と社会をつなぐ 』

(ま)

2012年7月24日火曜日

大町市合併の流れ<2003年7月〜9月>

久しぶりに、大町の合併物語を投稿します。
第4話:2003年7月〜9月 
○7月3日 小谷村:「市町村合併研究会」は一日夜、村役場で最終会合を開き、白馬村と      の合併と自立の両論を併記した意見書を小林三郎村長に提出。小林村長は       「合併する、しないにかかわらず、白馬村と職員同士での合併研究を重ねて       いきたい」と表明。
○7月3日 任意合併協:大町市と八坂、美麻両村でつくる大北地域任意合併協議会は二       日、同市役所で四回目の会合を開き、合併した場合の新市内の字名を決め       た。
○7月5日 任意合併協:大北地域任意合併協議会を構成する大町市、八坂、美麻両村の各      種団体代表や公募住民でつくる新市将来構想策定委員会は四日、互いの地域      をよく知ろうと三市村の観光、福祉施設などを見て回る「タウンウオッチン      グ」を実施。
○7月8日 八坂村:北安曇郡八坂村の市町村合併問題検討委員会(吉原一八会長)は七      日、「合併は急がず、自立を模索すべきだ」との意見書を大日向一繁村長に提     出した。
○7月16日 任意合併協:新市将来構想策定委員会はこのほど、仮に三市村が合併した場       合の新市の将来像を尋ねる住民アンケートの回答コーナーを、市役所と両       村役場に設置した。
○8月2日 任意合併協:5回目の会合で、都会の子供たちを迎えて両村が続けている「山      村留学事業」を現行通り継続することを決めた。
○8月6日 白馬村、小谷村:両村で任意合併協議会設立に向けて準備を進める合併研究会
     を発足
○8月20日 任意合併協:新市将来構想策定委員会は十九日、三市村の住民を対象に実施      したアンケート結果(複数回答)をまとめた。「自然環境を大切にするま       ち」を望む人が22%で最も多く、不安に思うことでは「地域の伝統文化や      祭りなどがなくならないか」が20%で最も多かった。アンケートは三市村      全戸や中学生、大町市内の高校生を対象に用紙約一万二千部を配布し、千七      百三十人から回答があった。
○8月26日 白馬村、小谷村:白馬村と小谷村が任意合併協議会設立に向けて設けた合併      研究会の二回目の会合が二十五日、白馬村役場で開かれた。
○8月29日 八坂村:市町村合併問題の地区懇談会を村内6ヶ所で開催。三月の任意協発足      後、初の懇談会で、経過報告や合併しない場合の財政見通しなどを説明して      いる。
○8月30日 任意合併協:新市将来構想策定委員会(北原和好委員長)が、五月末から策      定を進めてこのほどまとめた「新市将来構想案」を任意協の腰原愛正会長      (大町市長)に提出した。構想案は、合併した場合の新市のまちづくり理念に     「里山に文化と個性が輝き躍動する岳(たけ)のまち」を掲げた。
○9月18日 大町市:十七日の市議会全員協議会で、大北地域任意合併協議会をつくる八      坂、美麻両村と合併した場合と、しない場合の中長期財政見通しを示した。      歳入のうち地方交付税は、合併した場合は十年間で四百七十五億円。合併し      ない場合の三市村の合計額四百三十七億円を三十八億円上回るという。
○9月23日 白馬村、小谷村:任意合併協議会設立に向けて準備を進めている白馬村と小      谷村でつくる合併研究会は二十二日、三回目の会合を小谷村役場で開き、任      意協の設立総会を十月一日に白馬村役場で開くことを決めた。
○9月27日 任意合併協:合併した場合の行政サービスの変化や財政試算などを掲載した      住民説明会用パンフレットと、新市将来構想案のダイジェスト版を一万三千      部ずつ作製し、三市村に全戸配布する。


2003年下半期、かなりそれぞれの立場が明確になってきました。白馬村、小谷村は大町市等との合併は既に選択肢から外した様子。大町市、八坂村、美麻村の任意合併協議会は、合併に向けていろいろと動き出しているものの、八坂村は自立を模索すべきという声も。
「山村留学事業」の継続を任意合併協で決定するということは、それほど村にとって影響の大きい事業なのですね。

2012年7月21日土曜日

2012年6月 バーゼルアートフェア、ドクメンタ13とドイツ各地の訪問記 2

6月14日から21日まで1週間、世界最大のアートフェアが行われているスイスのバーゼル、世界で最も有名な現代美術の展覧会の一つであるドクメンタが行われているドイツのカッセルなど、6都市を周りました。

視覚美術を中心に見てきたこの旅を何回かにわけて、文化経営的な視点からの話を織り交ぜつつ、日記風に振り返っていきたいと思います。(TS)

第2回目は、初日・バーゼルのお昼時から、この街のアート・パトロネージの背景について考えてみたいと思います。

バーゼルの物価とCOOP

バイエラー美術館を出た後、アートフェア会場に向かいつつ昼食場所を探します。バーゼルは物価が高いスイスの中でもとりわけ物価が高いことで知られています。例えば同じスイスのチューリヒ、電車で1時間ちょっとのところですが、そこに住んでいた人からしても1.5倍以上の物価ではないかと感じるそうです。
価格変動が少なそうなマクドナルドでさえ、ビックマックセットが1000円ほどしますし、ちゃんとしたお店に入ると昼食を2000円を切る値段で済ませるのはなかなか大変です。物価が高い一方で、収入も高く、上のリンクにも書かれているようにマクドナルドの販売員の時給は2000円ほどといいます。生活レベルでのこの街の特徴は(よほどの大金持ちでない限り)何よりも高物価・高給料でしょう。

ところで、物価の高いスイスでも、低価格の生協スーパー「COOP」があります。日本の生協のような会員カードを発行しているわけではないようですが、たいがい安く買い物をすることができますし、クレジットカードも使えます。
スイスのCOOPのロゴ

さらに余談ですが、スイスだけではなく、イタリアでも、ヴェネツィアのような物価が高い都市で長期滞在するのであればCOOPは必須です。2007年にビエンナーレ中のヴェネツィアを6日間にわたり訪れたときは、サンタ・ルチア駅から運河をはさんで反対側の、バス停のあるローマ広場側の運河に面したところのCOOPに毎日お世話になりました。以来、イタリア・スイスに行くときは街のCOOPの場所を必ずチェックするようになりました…。



イタリアのCOOPのロゴ


イタリアにおいてCOOPは非常にうまくいっている「第3のセクター」であると考えられています。日本での「第三セクター」が国際的な「Third Sector」と異なる意味を持っていることは、文化行政を考える上でも重要なことではないかと考えています。その点でイタリアのCOOPは考える材料として好例です。イタリアのCOOPは1978年以降、公的セクター・私的セクターの2つのセクターに対抗する「第3のグループ」を体現することを模索し、その結果、組合の目的は組合員の生活向上等の共益的なものではなく、経済界において「第3のセクター」を拡大していくというより公益的なものとなり、こうした体制の大きな転換と経済の激変に対応するための経営戦略として「非営利・協同」や「参加型経営」といった考え方が登場してきます。こうした動きについて概観するネット上のリソースとしてはこちらのページこちらのページが参考になるかと思います。

なぜCOOPについて書いたかと言えば、小林ゼミでは以前から文化行政における「市民」の問題について検討し、学会でも学生として部会発表をしましたが、それを個人的に振り返ると、「現在の文化行政における課題を、行政セクターと市民セクターの二元的関係の変遷として捉えるに留まってしまった」という反省がありました。以降、こうした「第3のセクター」について改めて考えなければならないと思い、企業、NPO、ワークシェアリング、ワーカーズコレクティブ、参加型経営、新たな市民メディア、「公共文化施設」等の役割について日々考えています。
(追記:このブログの直後に出た2012/7/23付日本経済新聞 朝刊に「三セク・公社の整理進む 昨年度 破綻最多 迫る特別債期限 消費増税も影響」という見出しの記事が出ています。「地方自治体が出資する第三セクターや地方公社の整理が進んできた。東京商工リサーチによると、三セクなどの2011年度の破綻件数は前年度を85%上回る26件で、調査を始めた1994年度以降で最高。…」こちらのページで内容が読めます。


それはさておき、お昼をどうしたかというと…クレジットカードが使えない安い食料品店でイートインができそうなところもあったのですが、スイスフランもほとんど持っていないため、結局、Basel Bad駅に入っているスイスCOOPのミニ店舗でサラダやパンやお総菜を買い、駅前の木陰に座っていただきました。天気も良く、ピクニック気分でした。

バーゼルの歴史

バーゼルアートフェアの会場であるMesseは、国際的に有名な見本市会場です。この見本市の街、バーゼルはどのような歴史をもっているのでしょうか。
バーゼルは元々はアイルランドから移住してきたケルト民族によって作られた町でしたが、4世紀にローマの支配下に入ると、7世紀には司教都市となりました。10世紀にはハンガリー騎馬民族に蹂躙されたこともあります。
また前回も書いたとおり、バーゼルは現在のドイツおよびフランスとの国境をなすライン川沿いに発達した町で、河川・鉄道交通の要地です。
バーゼルはこのような地理的・歴史的な条件から商業の要衝として発展し、1471年にはフレデリック3世よりHannsen von Berenfels市長がmesse(商業祭)開催の勅許を得ています。つまり540年ほど前から展示会をやっているわけです。中でも有名だったのは、その15世紀以来から続くmesseを引継ぐBasel Autumn Fair と、1917年に開催されたスイス工業博覧会にルーツを持つ時計と宝石の見本市Basel Worldです。
Art Basel は1970年に第一回が開かれて以降、年々名声を高めてきています。そしてこの組織委員会の創設に深く関わったのが誰あろう、前回紹介した、バイエラー美術館のコレクションを築いた画商のバイエラー氏です。

バーゼルにおけるパトロネージの伝統

 1459年にはバーゼル大学が創立、近い時期にイタリアから紙の製造法が伝えられると、グーテンベルグの印刷機の発明後には、ルターの「95条の論題」やエラスムスの「改訂版新約聖書」がこの地で印刷され、16世紀にはヴェサリウスの解剖学書等の医学書も盛んに出版されました。
つまり当時のバーゼルは、知的産業・情報産業が集積した出版都市・自由都市として、パリ、リヨンやヴェネツィアと並ぶ存在だったわけです。さらに16世紀の宗教改革の対立激化にともない、フランス、イタリア、オランダから逃れてきた新教派の学者、企業家、商人らを市民が受け入れたことで、市の文化・経済が発展していきます。
現在は化学工業、とくに薬品・染料の一大中心地であり、ロシュ社ノヴァルティス社という世界トップレベルの薬品企業の本社が2社あり、自治体に多くの税金をおさめています。街には現代建築が立ち並んでいますが、そうした建築のスポンサーの多くもこの2社です(詳しくはこちらの記事等をご覧下さい。)
他にも電気、機械、そして近世以来の印刷などの産業が盛んで、チューリヒに次ぐスイス第二の都市です。

バーゼルでは出版都市の伝統を引継ぎ、街の名士たちは芸術の庇護者となってきました。1515年頃から1526年までバーゼルで活躍したハンス・ホルバインも、エラスムスをはじめ、バーゼルの市長や富裕層の庇護を受け、宗教画や肖像画を多数手がけ、名声を不動の物としました。
このホルバインの絵は印刷業などで財をなしたAmerbach家によって収集されていましたが、17世紀に入ると同家の没落により、コレクション流出の危機にさらされます。これに対して1661年、バーゼル大学とバーゼル市が2:1の割合で資金を拠出してバーゼル市が作品を購入。これを公開するために公共美術館として開設されたのが、市立美術館(Kunstmuseum Basel /バーゼル美術館)です。
その後もバーゼル市のパトロネージの伝統は続きます。1967年、バーゼル市が、有名なコレクターであり、市立美術館のアドバイザーを勤めたこともあるRudolf Staechelin(1881-1946)が遺した美術品の一大コレクションの中から、市立美術館で所蔵するためにピカソの作品2枚を購入するかどうかということで議論が巻き起こりました。結局住民投票で決することとなり、その投票の結果、購入が決まり、それに喜んだピカソがさらに4枚を寄贈したという逸話で知られています。
進んで1980年になると、ヨーロッパ初の(世界初という説もありますが)、1960年代以降の美術を専門的に取り扱う美術館Museum of Contemporary Artがオープンしました。これはKunstmuseum Baselと、やはり大コレクターのMaja Hoffmann-StehinとMaja SacherのコレクションであるEmanuel Hoffman Foundationの所蔵品を展示しています。

バーゼル市当局による美術品取引のコントロール

2009年9月にバーゼル市の主催で行われた国際会議‘Governance of Cultural Property: Preservation and Recovery’を経て、美術取引に際してのガイドラインが策定され、オンラインで公開されています。これは盗品取引の規制を含む、国際的な美術産業に対する行政の法的規制や、美術産業の自治組織のリストなどを概観する資料も含まれていますので、こうした分野に関心のある方にはおすすめです。

2012年7月20日金曜日

参考文献リスト〜歴史的町並み編〜

バッティングセンターと聞いて「僕も連れて行ってよ」とちょっと拗ねているpeaceful_hillです。マイブームの反復横跳びでもして機嫌を直そう。

さて、私からは歴史的町並みや伝統的建造物群保存地区に関連する参考文献をご紹介します。私は学部時代、環境社会学の分野から歴史的環境や景観について勉強していたので、参考文献の選び方にも多少の偏りがあるかもしれません。
というか、初学者の私には手に余る作業です。「他にこんなのあるよ」って教えていただけると大変うれしいです。

<基本書>(うーん、あまり思いつかなかった……。)
  • 木原啓吉, 1982, 『歴史的環境:保存と再生』岩波新書.
  • 片桐新自編, 2000, 『歴史的環境の社会学(シリーズ環境社会学3)』新曜社.
<事例>
  • 全国町並み保存連盟編著, 1999, 『新・町並み時代:まちづくりへの提案』学芸出版社.
  • 西村幸夫・埒正浩編著, 2007, 『証言・町並み保存』学芸出版社.
  • 大西國太郎, 1992, 『都市美の京都:保存・再生の論理』鹿島出版会.
<制度概要>
  • 文化庁編, 1990, 『集落町並みガイド:重要伝統的建造物群保存地区』第一法規.
  • 文化庁編, 2000, 『歴史的集落・町並みの保存:重要伝統的建造物群保存地区ガイドブック』第一法規.
  • 文化庁, 2001, 『文化財保護法五十年史』ぎょうせい.
  • 文化庁文化財部参事官(建造物担当)編, 2010, 『歴史を活かしたまちづくり:重要伝統的建造物群保存地区87』.
  • 西村幸夫, 2004, 『都市保全計画:歴史・文化・自然を活かしたまちづくり』東京大学出版会.
<雑誌・学会誌>
  • 『季刊まちづくり』
  • 『月刊文化財』
  • 日本建築学会
  • 日本都市計画学会
  • 日本造園学会
  • 環境社会学会
  • 歴史地理学会

(peaceful_hill)

まちづくりに関する入門書

こんにちは。最近バッティングセンターにハマりつつあるsweetfishです。

毎度おなじみ福井県大野市は「小京都」ということで、古い建物や町並もぽつぽつ残っています。
私はド文系から歴史的町並みやまちづくりを勉強し始めたので、そもそもは建築学や都市工学での分野の研究蓄積が多いので結構迷子(?)になりました。

私と同じように迷えるあなたにオススメなのが、その名もズバリ
『都市計画とまちづくりがわかる本』(彰国社)。

2011年11月刊行と直近ですし、これまでの都市計画とまちづくりの潮流を追う事が出来、頭の整理がしやすくなるのではないかと思います。

コンパクトにまとまっているので、バッティングセンターでの練習時間が増えて次は120km/hに挑戦できるかもしれません。

(sweetfish)

文献リスト⑤「文化施設経営論」~公立文化施設ほか事例系

引き続きmihousagi_nです、こんばんわ。

文献リスト第5弾は、
「この分野は「政策」や「経営」ということが関わってくる関係で、ノウハウや事例集が多いのも確かで」(by M.Kさん)ということで、事例系の文献情報です。

公立文化施設の様々な取り組みは、
総務省の外郭団体・財団法人地域創造の発行している雑誌『地域創造』をみると、
おもしろい事例がたくさん紹介されています。
http://www.jafra.or.jp/j/library/magazine/new/index.php
(東大文化資源学研究室にバックナンバー有)

その他、公立文化施設の事例で1冊の本になっているもので手元にあったのは・・・
  • 小林真理・小出郷の記録編集委員会/編著『小出郷文化会館物語』、水曜社、2002年。
  • 財団法人岸和田市文化財団『浪切ホール2002-2010』、水曜社、2012年。(自治体文化行政でも「西の岸和田」として取り上げられた岸和田市の活動のドキュメントです)

  • ニッセイ基礎研究所・いわき芸術文化交流館アリオス『文化からの復興 市民と震災といわきアリオスと』、水曜社、2012年。((こちらのブログも参照)

いわゆる公立文化施設ではないけど、自治体文化政策の事例研究として
  • 吉澤弥生『芸術は社会を変えるか?: 文化生産の社会学からの接近』、青弓社、2011年。(場を提供した大阪市の文化政策と大阪のアートNPOをはじめとする芸術活動について。)
なんかパフォーミング系に偏ったので、
ミュージアム系で1冊の本になっている事例・・・といって思い浮かんだのは
  • 蓑豊『超・美術館革命―金沢21世紀美術館の挑戦』、角川書店、2007年。
  • 小菅正夫『「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト』、角川書店、2006年。
(いずれも初代館長/園長の著作です)
  (ミュージアム業界では革命が流行?それとも角川書店が革命好き??)

最後に、ちょっと入手困難ですが、
文化に限らず、
ちょっと視野を広げて地域の場所づくりを考えるヒントがつまっていると思う
  • 協働→参加のまちづくり市民研究会編「私のだいじな場所-公共施設の市民運営を考える(第二版)」、特定非営利活動法人市民活動情報センター・ハンズオン埼玉、2007年。
たぶん発行元で購入するしかないような気がしますが、
市民目線で丁寧に紡がれた事例集なのでご紹介します。
この本で知った高知子どもの図書館
ゼミ合宿(の自由時間)を使って実際に行ってみましたが、とても素敵な図書館でした。

いろんな事例を知っているよ~という”だけ”では物知りさん止まりだと思いますが、
「経営」という意識で参考になりそうな面白い事例にアンテナを張っておくと、
ヒントやアイディアにつながりますね。
具体的な事例を例に出すと、
他の人に説明したり共有したりするのに伝わりやすいのもメリットです。

いろんな事例のどこを面白いと思うか、が、ポイントだと思いました。

mihousagi_n

ああ本棚というか部屋の掃除をしなきゃ・・・



文献リスト④「文化資源学入門」~自治体文化行政

続々と続く文献リストシリーズ第4弾です。

既にyknさんが

  • 梅棹忠夫監修『文化経済学事始め―文化施設の経済効果と自治体の施設づくり』(学陽書房)1983
  • 松下圭一『社会教育の終焉』(筑摩書房)1986、2003
  • 森啓編『文化ホールがまちをつくる』、学陽書房、1991

以上3冊を紹介してくださってますが、
追加して…

  • 松下圭一・森啓『文化行政―行政の自己革新』、学陽書房、1981年。
  • 梅棹忠夫監修『文化経済学事始め―文化施設の経済効果と自治体の施設づくり』(学陽書房)1983年。
  • 梅棹忠夫「文化行政の目指すもの」、総合研究開発機構『文化行政のこれまでこれから』、総合研究開発機構、1987年。
  • 中川幾郎『新市民時代の文化行政』、公人の友社、1995年。
  • 日本文化行政研究会・これからの文化政策を考える会編『文化行政 はじまり・いま・みらい』、水曜社、2001年。
  • 中川幾郎『分権時代の自治体文化政策―ハコモノづくりから総合政策評価に向けて』、勁草書房、2001年。
『社会教育の終焉』と、最後の3冊はともかく、
他は今も売っているかなあ・・・???
まずは図書館探索をお勧めします。

mihousagi_nでした。

2012年7月19日木曜日

文献リスト③―[文化資源学入門」」、「文化施設経営論」

[文化資源学入門」」、「文化施設経営論」の参考文献リスト~その3です。


・リュック・ブノワ、『博物館学への招待』、白水社、2002

・松宮秀治、『ミュージアムの思想』白水社、2003
・上山信一・稲葉郁子『ミュージアムが都市を再生する: 経営と評価の実践』』日本経済新聞社、2003
・デビッド・ディーン、『美術館・博物館の展示理論から実践まで』、丸善、2004

・佐々木亨・亀井修・竹内有理、『博物館経営・情報論』放送大学教育振興会、2008

・五十殿 利治『観衆の成立 : 美術展・美術雑誌・美術史』、東京大学出版会、2008

・木下/直之、『芸術の生まれる場』、東信堂、2009

・スーザン・A. クレイン『ミュージアムと記憶 : 知識の集積/展示の構造学』、ありな書房、2009

(bangulより)

参考文献リスト②―「文化資源学入門」、「文化施設経営論」

「文化資源学入門」」、「文化施設経営論」の参考文献リスト~その2です。

 

公立文化施設関連

・清水裕之編、『わたしたちの劇場』、芸団協出版部、1993

・中山 浩男、『進化する劇場-舞台の裏側は面白い』、新評論、2006

・佐藤郁哉、『現代演劇のフィールドワーク: 芸術生産の文化社会学』、東京大学出版会、1997

・清水裕之、『21世紀の地域劇場-パブリックシアターの理念、空間、組織、運営への提案』、鹿島出版会、1999

衛紀生・本杉省三編『地域に生きる劇場』、芸団協出版部、2000

・平田オリザ、『芸術立国論』、集英社、2001

・徳永高志、『公共文化施設の歴史と展望』晃洋書房、2010

・日本建築学会編、『劇場空間への誘いドラマチック・シアターの楽しみ』、鹿島出版会、2010

・藤野 一夫編、『公共文化施設の公共性 運営・連携・哲学』水曜社、2011

・伊藤裕夫、松井憲太郎、小林真理編、『公共劇場の10舞台芸術・演劇の公共性の現在と未来』、美学出版、2011

・伊藤裕夫・藤井慎太郎編、『芸術と環境劇場制度・国際交流・文化政策』、論創社、2012



指定管理者制度関連

文化政策提言ネットワーク編、指定管理者制度で何が変わるのか』、水曜社、2004

・小林真理編、指定管理者制度 : 文化的公共性を支えるのは誰か』、時事通信出版局、2006

・中川幾郎・松本茂章編、『指定管理者は今どうなっているのか』、水曜社、2007


bangulより

参考文献リスト① 「文化資源学入門」

前の記事を受けて・・・

「文化資源学入門」の参考文献リスト~その1です。


☆パトロンについて
高階秀爾『芸術のパトロンたち』(岩波新書)1997
松本典昭『パトロンたちのルネサンス~フィレンツェ美術の舞台裏』(NHKブックス)2007
ヒュー・トレヴァー・ローバー著 横山徳爾訳『ハプスブルク家と芸術家たち』(朝日新聞社)1995

☆検閲統制・プロパガンダについて
ゴールドスティーン著、城戸朋子、村山圭一郎訳『政治的検閲―19世紀ヨーロッパにおける』(法政大学出版会)2003
生田誠『ウィーンの演劇と検閲』(郁文堂)2004
亀山郁夫『大審問官スターリン』(小学館)2006
関楠生『ヒトラーと退廃芸術』(河出書房新社)1992
古川隆久『戦時下の日本映画』(古川弘文館)2003

☆戦後日本の文化政策について
梅棹忠夫監修『文化経済学事始め―文化施設の経済効果と自治体の施設づくり』(学陽書房)1983
松下圭一『社会教育の終焉』(筑摩書房)1986、2003
森啓編『文化ホールがまちをつくる』、学陽書房、1991

(ykn)




「文化資源学入門」「文化施設経営論」関連参考文献

最後の授業で、これらの授業に関連する参考文献をこのブログで提示すると約束しました。ちょっとデータ集めをする時間がなく、できるだけ早く提示をした方がいいとはわかっていてもできません(ごめんなさい)。
それで、まずはこれまでに文献紹介しているところがありますので、とりあえず文献のタグで見てください(まったく授業に関係していないものもヒットしますが)。また、これからさらに追加で情報が挙がってくるはずです。
ただこの分野は「政策」や「経営」ということが関わってくる関係で、ノウハウや事例集が多いのも確かで、研究的視点のものはそれほど多くありません。また1冊の本に仕上がっているものばかりではありません。


学部生にはハードルは高いかもしれませんが、学会誌などに掲載されている論文なども、参考にしてほしいと思います。


文化資源学会
文化経済学会<日本>
日本アートマネジメント学会
日本文化政策学会
日本音楽芸術マネジメント学会
日本ミュージアム・マネジメント学会


(M.K)

2012年7月17日火曜日

音楽の側からみた「劇場法」


7月14日に東京藝術大学で開催された日本音楽芸術マネジメント学会第4回夏の研究会
《「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」に基づく「指針」の在り方》を聴講してきました。(プログラム

公布・施行(6月27日)後にはじめて出席した劇場法関連研究会。また、これまでに参加したシンポジウム等は主に演劇の側から論じるものだったので、音楽の側から「劇場法」が語られる場を今回はじめて経験しました。

「指針」の在り方に研究会の焦点が絞られたのは、
(第16条)「劇場、音楽堂等の事業の活性化に必要な事項に関する指針を国が作成する。」
とあるためです。2012年末(年度末ではなく)に指針が決定されるみこみで、9月ごろには文化庁HPでパブリックコメント募集の可能性があることが明らかにされ、法律の実効性を担保する指針の在り方に反映させるためにも議論を喚起したいという主旨説明がありました。

パネルディスカッションとフロアからの発言を通じて、ホール運営者、演奏家、教育機関などそれぞれの立場の意見が表明された訳ですが、聞いていて、実演芸術に関わる「予算」、「市場」や「雇用」に関する日本の現状を意識させられる話が多かった感があります。

前文に「国民の生活においていわば公共財ともいうべき存在」と記された劇場、音楽堂。しかし、「公共財」であることを国が認定した前提として扱うのではなく、社会により広く実感として共有されるようになることこそが課題なのではないかと思いました。

 (ykn)

2012年7月16日月曜日

前橋市美術館




前橋市の美術館の外装が公開されました。9月には完成。総工費16億円。一応、外壁には「前橋市美術館(仮称)」と書かれていますが、中身はどうなんでしょう。
(ま)

サーカス?大道芸?

やや更新のタイミングを逃した感がありますが、先週末に行われた「サーカス・バザール」のお話です。お手伝いの中に、一人サーカスフリークの学生さんがおり、会期中いろいろと教えて頂きました。以下、その方からの受け売りです。

突然ですが、「サーカス芸人」と「大道芸人」の違いをご存じでしょうか。私は、フリーで活動しているのが「大道芸人」で、彼らが組織化された集団が「サーカス」だと考えていたのですが、実際はそう単純ではないようです。

サーカスでは、複数の演目を組み合わせて一つのプログラムを作るため、芸人一人あたりの持ち時間は十数分です。一方、大道芸では、すべて一人で演じ切らなくてはいけないので、サーカスの場合よりも長時間観客に見せるだけの芸が必要となります。従って、30分のプログラムを一人で作れる人が「大道芸人」と呼ばれ、その段階に到達していない人が「サーカス芸人」と呼ばれるのだそうです。

サーカスに属さない大道芸人さんたちは、基本的には特定のプロダクションや組合には属していないのだとか。ただし、東京都の「ヘブンアーティスト制度」のように、審査制で彼らの身分を保障し、文化振興に役立てようという動きもあります。この政策は、東京都の生活文化局の管轄下にあるものですが、それとは別に、「ヘブンアーティスト」で検索すると、東京都交通局のサイトが二番目に表示されます。日本でも古来、猿回しや竹馬といった移動芸を「道の芸」と呼んだそうですが、「大道芸」はその名の通り「道」を活躍の舞台とするだけに、「ハコ」の外で文化を発信していく可能性を秘めていると言えるのかもしれません。

(mio.o)

行ってきました!歌舞伎鑑賞教室

以前、このブログ上でM.H.さんが紹介して下さった歌舞伎鑑賞教室。
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_l/2012/2471.html
先日行って参りました!イェーイ!
学生なら、なんと1等席でも1,300円!ワーイ!

七月の演目は「歌舞伎十八番の内 毛抜」。
平日の日中の上演なので、それほど混んでいないだろうとたかをくくっていたのですが、
入場前には既にお客さんがたくさんエントランスに群がっていました。
小学生の団体、外国人、若いカップル、ご年配の方…。
非常にバラエティに富んだ客層でした。

前半30分は澤村宗之助さんによる解説で、その後1時間ほどの本演目でした。
実は私はこの日が初歌舞伎だったので、解説から前のめりで聞いていたのですが、
その解説にもかなり工夫がこらされているなあと感心しながら聞いていました。
あまり詳しくここで述べてしまうと面白くないので細かには触れませんが、
解説部分で上手い事現実世界から舞台の世界に引き込んでいくなあと思いました。
ちなみに一緒に行った友人は、小学生の頃この鑑賞教室を見て、同じく解説も見たそうですが、その解説の内容は今回かなりバージョンアップしていたとのことでした。

で、「毛抜」のほうですが、これはミステリー(?)仕立てのお話になっていて、
歌舞伎にもこんなジャンルがあるのかと驚きました。
注目させたい部分にどうやって観客を惹き付けるかという工夫も
テレビやアニメにはない要素で、とても面白かったです。

多分、いきなり普通の歌舞伎の舞台を見ていたらきっと飽きるであろうちびっ子たちも、
主人公粂寺弾正が最後に見栄を切って花道を歩いて行く時まで、釘付け状態でした。

その光景が実は一番印象に残った体験でした。

(sweetfish)

カラオケ化する小林ゼミ

あれは私がまだ学齢に達していなかった頃でしょうか、親戚が集まる前でカラオケを半ば強要され、幼心に「とんだ罰ゲームだな!」と思ったことを今でも覚えています。ということで、お題はカラオケ。

自治体文化行政とカラオケの関係は深く、地域の公民館活動として住民がカラオケに興じているのが実情でもあるようです。また、先月21日に成立した「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」(劇場法)は、劇場やホールが本来期待される実演芸術の場ではなく、一部愛好者がカラオケなどの娯楽を消費する場となってきたという問題意識が根底にあるとされています。

でも、今回はそのあたりの話はひとまずおいて、日本から世界に広がるカラオケ文化(KARAOKE)についてご紹介したいと思います。
先日、図書館で『カラオケ化する世界』という本を手に取りました。思い切り『マクドナルド化する社会』の焼き直し感が満載の邦訳タイトルを付けられた本書は、以下のような目次で構成されています。
はじめに
1)誰がカラオケを発明したのか?
2)カラオケ・フィーヴァー――日本と韓国
3)カラオケ・ワンダーランド――東南アジア
4)カラオケ宮殿のディスニーランド――中国
5)魂のカラオケ――カラオケと宗教
6)「全裸カラオケ」とカウボーイ――北米
7)カラオケ人――英国
8)「カラオケよ永遠に」――ヨーロッパ
9)ブラジルのカラオケ――ニッケイジンの物語
10)カラオケ革命――カラオケ・テクノロジー
エピローグ(カラオケ最前線)
本書は、洋の東西を問わず世界各国の多様なカラオケ事情をまとめた現代社会文化論となっています。1971(昭和46)年に日本で開発された「エイトジューク」を嚆矢として世界中に爆発的に広がったカラオケ現象ですが、各国が異なる社会的コンテクストのなかでカラオケを受容していく様子が述べられています。
カラオケを低俗な大衆娯楽とみる向きは依然としてありますし、実際に特定の産業と結び付きやすいのは確かなようです。しかし一方で、カラオケは社会的紐帯を強化するメディアとなりうるばかりか、「消えゆく伝統や文化に命を与える近代的装置」とも評価されています(同書: 178)。もはやカラオケの影響が当初の思惑をこえるところにまで及んでいるように感じます。

さて、幼少期にカラオケとの不幸な出会いを経た私ですが、今ではなりふり構わず絶唱するのが好き。マイクを使わず地声で叫ぶことだってあります。いやしかしですよ、昨年度ゼミ合宿の宿泊先でいきなりカラオケが始まったときは驚きました。案外、「カラオケ化する小林ゼミ」というのは言い得て妙なのかもしれません。

参考文献:
Zhou Xun and Francesca Tarocco, 2007, KARAOKE: A Grobal Phenomenon, London: Reaktion Books.(松田和也訳, 2008, 『カラオケ化する世界』青土社).

(peaceful_hill)

2012年7月15日日曜日

文化資源学会(2012.07.14)

昨日2012年7月14日(土)、文化資源学会が東京大学本郷キャンパスで行われました。


<タイムテーブル>
13:00−13:50 第11回総会
14:00−16:35 第11回研究発表大会
発表①:蔵田愛子さん(練馬区立牧野記念庭園記念館)「杉山寿栄男による「原始文様」研究とその普及をめぐって」
発表②:サラ・デュルトさん(大原美術館)「イタリアを展示するーローマ万博(1942)跡地エウルの過去・現在・未来ー」
発表③:小山文加さん(一般財団法人ヤマハ音楽振興会 ヤマハ音楽研究所)「『国民共有の文化財』としてのオーケストラへの転換ー1960〜70年代におけるオーケストラの内部環境および外部環境の変化をめぐって」
16:45−18:00 特別講演会 ペトル・ホリー先生(チェコセンター東京所長)「日本におけるチェコ、チェコにおける日本」


<研究発表大会の感想>
私にとっては今回初めての参加でしたが、様々な経歴や関心をお持ちの方がいらっしゃり、改めて文化資源学の懐の広さを感じる機会となりました。

各研究発表における文化資源学的取り組み方もさることながら、とりわけ発表後の質疑応答に際し、一つの事柄を参加者の方々が色々な角度から捉えていると言う事が強く感じられ、動もすれば凝り固まりがちな自分の視点を解きほぐすきっかけとしてこうした場での発表は重要であると思いました。

また、多様な関心を持つ方が集まる場であるだけに、発表内容だけでなく発表方法についても考えさせられました。
「あなた方は研究者として人類の知的財産を築いていくという社会的責任を担っている」と言うフランス語の先生の言葉を受けて以来、私は、自身の研究の社会的意義についてより一層意識する様になりました。
(私の如き若輩者がこのような事を言うのは痴がましいかもしれませんが、少なくとも意識だけは、その位の気概を持ってやっていくつもりであります)
例えばこういった発表の場で、どれだけ自分のテーマを「面白い」と思って頂く事が出来るのかという事は、研究者として研究行動と同様に真摯に取り組むべき課題であると思います。
この事は実際問題として、研究を行っていく上で必要な資金面・情報面等で協力や賛同を得る為にも重要です。
その点で、今回の研究発表大会は発表資料やパワーポイントの作り方、話し方等から受ける印象の重要さを改めて認識させられました。

<特別講演会の感想>
チェコと日本の文化交流史入門として位置づけられる様な、非常に内容が濃く発見の多い講演会でした。
その中でもとりわけ印象的だったのは、講演後の質疑応答の中で「何故こんなに沢山の建築家が日本との関係を持ったのでしょうか?また、ホリー先生ご自身は何故日本に関心を抱く様になったのですか?」という質問に対し、ホリー先生が「皆、書物を通じて日本に魅せられたのでしょう」とおっしゃっていた点です。
講演の中でも、日本や日本文化について記述した幾つかの書物の紹介がありましたが、両国の文化交流史の中で、ある人達が行った「チェコ語で記録に残し伝える」という行為が果たした役割が大きかった事を知りました。


文化資源学会10周年事業も企画されており、本研究会はこれからますます発展するものと思います。
私もいつかはこういった場で発表出来る様、研究に励みたいと思います。
次回の遠足が楽しみです!
(M.O)

2012年7月14日土曜日

夏がやってきていますね

喫茶店に座るおじいちゃんはなぜ動かずにただじっと遠くを見つめているのだろう。こんばんは、夏の(竹)です。

今回はちょっと珍しい「幽霊画コレクション」を紹介します。
谷中なる臨済宗全生庵、ここに三遊亭円朝の幽霊画コレクションがおさめられています。全生庵は円朝のお墓があり彼のゆかりの寺であり、毎年8月に「円朝まつり」が開催されます。その時期に合わせて、同コレクションを公開しているのがこの展示です。

私は去年初めて訪れました。お寺なので靴を脱いで会場に入ると、大きくはない展示室にぎっしり並んだ幽霊画たちを見ることができました。
色々感想はあったのですが、ひとつだけ。「怖い」と「美しい」は一体のものでした。必ずしも美人画的な幽霊でなくてもある種の美しさを感じてしまう不思議。暑いはずなのに同時にひんやりした感覚を味わえる不思議。そのような、夏を感じるような展示だったことを覚えています。
図録もお買い上げでした。今年も行ってみようと思います。

リンク:全生庵 コレクションについて

(竹)

オフ会企画中!

おはようございます。
番外ブログにて夏休み期間中のオフ会を企画中です!
今の所8月の頭くらいという案が出ています。
また進捗がありましたら報告します。

(M.O)

博物館建設における行政の役割


 地域の公立博物館が建設されるとき、関係者とは誰を指すのだろうか。公立だから当然、設置者である地方自治体であるし、公の施設として利用する市民であるし、研究機関としての側面を考えれば研究者でもある。したがって、大きく分けて三者といったところだろう。

 建設にあたっては、委員会やプロジェクトチームが地元住民や有識者で構成され、事務局として行政がそこに関わるというのが、よく見られる形式である。問題なのは、あくまで「形式的」である点だ。ステークホルダー間での調整のうえで、博物館の構想や計画が策定されているようで、実際には、行政が用意した結論を導き出すために、市民や有識者(研究者)の選定が行政によって行われ、議論が進んでいく。

 たしかに、この方が効率的で、計画的に仕事が進みやすい。行政側としては、予算計上や議会対応など、関連するスケジュールとの兼ね合いを考えれば、議論は円滑に進んでほしいし、結論は当初の予定通りであってほしいというのが本音だ。この背景には、“結果的に”行政のプロとしての判断が、地域社会にとってプラスになるという行政職員の信念が存在することも少なくない(反対に行政職員のモチベーションが低く、仕事を早くすませたいというパターンもあるが)。


 その上であえて、これで良いのか?と疑問を自身としては投げかけたいと思う。このことを一つの事例を通して考えてみたい。
 
 1960年代から現在まで、長野県信濃町の野尻湖とその周辺で、研究者や会社員、主婦、学生といった多様な人々(野尻湖発掘調査団)が発掘調査し、ナウマンゾウ化石や旧石器などの資料が獲得され、人類史や古環境の復元のための研究活動が続けられている。



 1984年に開館した野尻湖博物館(現野尻湖ナウマンゾウ博物館)は、この発掘調査で得られた成果を収蔵・展示し、地域文化の拠点となっている。特筆すべきなのは、1960年代の初期段階から博物館整備が、野尻湖発掘調査団や地元住民、行政の間で議論されてきたことだ。調査団は「地元主義」を標榜し、地域社会と発掘調査の成果との関わり方を重視してきた。地元住民や行政がこれに理解を示して、互いに協力関係を築いてきた。その流れの一部として、博物館建設がステークホルダーによって構想されてきた。

 ところが、1970年代に入ると、徐々に各々の博物館に対する立場の違いが明確化する。調査団は「研究の拠点」、地元住民は「観光中心」であり、行政は「建設費用の捻出方法」が課題となっていた。このため、一時的に建設計画はこう着状態になった。

 博物館計画が具体化するのは、1980年以降である。その背景には、研究や文化の拠点としての博物館が、結果的に地域の主要産業である観光面にもプラスに働くという論理を町長が打ち出したことだ。もちろん、調査団によって博物館の意義が根気強く地元住民や行政に説かれてきたし、より良い博物館を地元に建てたいという地元住民の意思が存在した。その上で、行政サイドがステークホルダー間の調整役として機能したという点が重要なのだと思う。

 建設委員会で誰も積極的に発言しなかったから、行政が旗振り役にならざるを得ないケースは多い。行政による結論ありきの議論になりがちなのも、こうした原因があるのには違いない。それでもやはり、野尻湖博物館建設のように、関連する人々や団体の間を一歩引いた立場で調整するのが行政のあり方なのではないだろうか。そのためには、博物館とは何か、地域に必要な博物館はどうあるべきかをステークホルダー間で問い続けることが必要である。野尻湖博物館の建設過程がそうであったように、この調整の歴史こそが、地域の文化的活動そのものであったりするわけだから。

(ま)

2012年7月13日金曜日

『公立文化施設のコミュニティ・プログラム』 ~SPTワークショップラボ「レクチャー&ゼミナール編」~

11月11日(日)と少し先の話ですが、表題のレクチャーに出演します。広く「アウトリーチ」に関わる情報交換会といった形になりそうですので、関心のある方の参加をお待ちしています。(TS)
(以下 http://setagaya-pt.jp/workshop/2012/11/post_257.html より。申込みもそちらのページよりお願いします)

美術館、科学館、文学館、メディアセンター、図書館、劇場など、ひろく文化施設と分類される施設では、それぞれ、さまざまな形で施設が地域のハブ/地域の メディアになるための活動を行っています。コミュニティ・プログラム、アウトリーチ、教育普及事業などと称されるこれらの活動について、今回は、異なる ジャンルにおける活動の比較検討を通して、その違いや共通点について考えてみたいと思います。

「劇場法をめぐるラウンドテーブル~劇場法制定、これまでとこれから」

7月9日、芸能花伝舎で芸団協主催の「劇場法をめぐるラウンドテーブル~劇場法制定、これまでとこれから」が開催されました。これは、芸団協が劇場等の法整備が必要と考えた背景と目指した理念について改めて整理するとともに、今後、この法律をどのように活用していけばいいのか、意見交換を行うことを趣旨としていました。

簡単な報告が、「もっと文化を!」キャンペーンサイトにアップされているので、興味がある皆さんご覧ください。当日配布資料もダウンロードできるようになっています。

http://motto-bunka.com/nakami/news/20120711.htm

bangulより。


韓国国宝第1号「南大門」(正式名・崇礼門)

韓国ソウルに残っている最も古い木造建物である「南大門」は、皆さんがよくしているように2008年2月10日に放火で焼失しました。石材部分を除く木造楼閣部分の大部分が焼失、崩壊する悲しい事件がありました。私はちょうどその事件が起こる3ヶ月前にソウルによる機会があり、その南大門があるすぐそばで泊まりながら、毎日その美しさに魅了された覚えが消える前のことでもあって、国宝第1号が焼失していく姿をライブでみながらその衝撃と虚脱感は今にも覚えています。

(この写真は韓国文化財庁からのもので、焼失される前の姿)

その「南大門」の再建が順調に進んでいると以下のように報道されました。

(前略)
屋根瓦もほぼふき終わり工事は約8割終了。焼失を免れた部材を多く活用するなど国宝第1号としての「価値」の維持に腐心した。韓国文化財庁は、予定通り今年末の完成を目指している。
南大門は朝鮮時代の1398年に完成。朝鮮半島に残る最古級の城門の一つで、ソウルのシンボルとして親しまれた。日本が実質的に支配していた1907年に撤去された左右の城郭を復元するなど、建造当時の姿の再現に力を入れている。(2012.7.12『毎日新聞』より)

(写真は、再建作業が続く南大門(崇礼門)。見えているのは2階部分=2012年7月8日、西脇真一撮影)


報道の通りに工事完了は今年12月と予定されていますが、国宝第1号としての「価値」について問われることはまだ終わってない状況であります。

(ちなみに、韓国文化財庁ホームページをここにのせますので韓国の文化財に興味がある方はどうぞご覧ください。http://www.cha.go.kr/main/KorIndex!korMain.action 日本語、英語あり)


bangulより


文楽協会と橋下徹大阪市長

ちょうど、昨日ある授業で大阪の芸術文化の支援に関する橋下市長の考えの話がでましたが、
この半年ほど、私は公益財団法人文楽協会(http://www.bunraku.or.jp/)と橋下徹大阪市長の間のやりとりをなんとなく見ていました。その事態は、どうやら、最終局面に到達しつつあるようですね。

橋下市長は、補助金をカットする決意をすでに固めているように見えますが、、、報道によれば、文楽協会とその技芸員が、市長への非公開の面会を求める方針を固めたことについて、橋下市長は、以下のように反応しています。

橋下徹大阪市長が、文楽協会への補助金の全額カットを示唆している問題で、同協会と文楽の技芸員は10日、大阪市内で協議し、橋下市長に改めて非公開での面会を求める方針を決めた。11日にも大阪市側に伝える。
これを受け、橋下市長は「公開か非公開かは市民を代表する僕が決める。文楽の特権意識の表れだ。私学助成費のカットのときは高校生だって堂々と公開の場で意見を言っていた。非公開なら補助金は出せない」と述べ、技芸員が公開での面会に応じなければ、補助金を全額カットすることを強調した。
この日の文楽協会と技芸員の話し合いでは、公開という市側の条件について「技芸員は個人事業主であり、誰かが文楽を代表して意見をいうことはできない。公開だと、一人の意見が文楽全体の意見だと誤解されるおそれがある」などとして、再度、非公開での面会を求めることを決めたという。
文楽協会と技芸員は今月4日、非公開で橋下市長と面会して文楽の実情などを訴える方針を決めたが、橋下市長は「非公開での面会には応じられない」と同協会に伝えていた。
2012.7.10 22:58http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120710/lcl12071022590001-n1.htmより)

記事を見る限り、技芸員は、公開の場で自分たちの主張を市長に向けて訴えることを求められています。つまり、公衆の面前で、ディベートの達人である橋下市長を論破できないと、補助金の存続は難しくなるということでしょう。

bangulより

文化遺産カード

せっかくなら読者のみなさんに「peaくんの投稿が待ち遠しい」と思ってもらえるようにがんばりたいpeaceful_hillです。ええ、我欲の塊ですともー。
そんなpeaくん、最近「文化遺産カード(herica)」という存在を知りました。
指定された文化遺産を訪問し、現地で撮影した写真を事務局に持っていけば、訪問を証明する文化遺産カードが無料でもらえる、というものです。
愛知県犬山市にある特定非営利活動法人「古代邇波の里・文化遺産ネットワーク」が、2010(平成22)年5月からカード配布を開始しています。コレクション数は東海地方を中心に少しずつ増え、2012年7月現在で33種類のカードが作成されるに至っています。

▽文化遺産カード herica(NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク)
文化遺産カード事業とは、「文化遺産を保護し、さらにその活用を図りたい文化遺産関係者」と、「気軽に歴史散策を楽しみたい方々」を、カードコレクションを軸にした楽しい取り組みによって支援するものです(「コンセプト」一部抜粋)。
簡単にまとめれば、近年の急激な社会変化により文化遺産がそこに存在する理由や価値が奪われつつあるという問題意識のもと、文化遺産と地域をカードコレクションで結び、地域が長い時間をかけて培ってきた文化の重要性を再発見する機会や交流の場所を提供することを目指しているようです。
最初にこの事業を知ったとき、昭和生まれの私は昔懐かしの観光みやげ「ペナント」「通行手形」「提灯」を連想しました。近年の位置情報ゲームを活用した観光の動きもそうですが、訪問場所をコレクションしたいという観光客の欲求は、形態こそ違えど不変なのかもしれません。さらに文化遺産カード事業の場合には、文化の重要性の再発見などのより高次の目的が設定されており、今後の事業展開が注目されます。

いやー、愛知県発の面白そうな取り組み、県民として誇らしい気持ちになりますな……って、なごやんはこのように「愛知県民」と「名古屋市民」を都合よく使い分けるのであります。笑

(peaceful_hill)

2012年7月11日水曜日

2012年6月 バーゼルアートフェア、ドクメンタ13とドイツ各地の訪問記 1

6月14日から21日まで1週間、世界最大のアートフェアが行われているスイスのバーゼル、世界で最も有名な現代美術の展覧会の一つであるドクメンタが行われているドイツのカッセルなど、6都市を周りました。

視覚美術を中心に見てきたこの旅を何回かにわけて、文化経営的な視点からの話を織り交ぜつつ、日記風に振り返っていきたいと思います。(TS)

<初日>

羽田発深夜と航空券

今回、自分にとっては3度目のドイツです。過去2回はルフトハンザ航空のコペンハーゲン経由の便で行ったのですが、今回の旅では初めてドイツ国内への直行便を使いました。

選んだのは、羽田空港を深夜1時に出るフランクフルト行きANA機。海外に行くときによく使う格安航空券サイトや馴染みの個人代理店の方のつても当たりましたが、結局、ANAのマイレージ会員向け直販サイトから購入しました。

その理由は、いわゆる往復券ではなく、到着空港と出発空港を分けることができるチケットを、時間も座席も指定して買うことができ、しかも安いというのがANAのそのサービスだけだったから。オンライン購入したのもPCの画面ではなく、iPadのANAアプリ上。キーボードすら叩くことなく、マウスクリックすらなく、タッチですべて完結。時代も変わったものです。

もちろんもっと安い行き方もあるのでしょうが、旅費は往復でサーチャージ込で一人頭15万円程度で、機材は最新のボーイング787というのも魅力的でした。

787の機内

家人と2人連れでしたが、787は中型機のため窓側のシートが2列のところが多く、エコノミーの最後列で気兼ねなく過ごすことができました。またLEDの美しい間接照明と客室内加湿器はリラックス感を作り出し、少し広めのシートピッチも快適。モニターもオンデマンドのビデオプログラムが大量に用意されていて楽しく、さすがに日本人向けのアメニティがよく反映されている感じでした。

一方で弱点もありました。窓にシャッターがなく、夏至近くの白夜の際を飛び続けるときに水平に直射日光が入ってくるのです。最新機能とはいえ、ボタンによる窓のスモークの濃淡調整機能では防ぎきれず、「アテンダントがゴムのシートを窓際の客に配って1枚1枚貼ってもらう(しかも油断するとすぐ剥がれて張り直しになる)」という、ややスマートさを欠いた対応になってしまっていました。

とはいえ、深夜発で早朝着となるため、その後時差ボケも普段より少しは少ないように感じました。まあ、ヨーロッパの場合は特に帰国してからがつらいのですが…。

フランクフルト

私にとってフランクフルトはヨーロッパ中央銀行の所在地と現代美術の街という印象が強いです。

5年前、ドクメンタ12とミュンスターのスカルプチャープロジェクトを目当てに訪独した中途に訪れた際には、ショートケーキ型のフランクフルト現代美術館でティノ・セーガルの「It’s so contemporary」を体験したり、マイン川にかかる橋脚上の画廊Portikusなどを見ました。中央駅前の治安は少し不安なものの、もっと知りたい街です。近年ではフランクフルト大学が街の中央のキャンパスに多くの文化施設を集積するプランを打ち出して都市の文化力をアピールしようとしているとも聞きます。

で、前回はマイン川の南の博物館エリアや近郊のマインツには行けなかったこともあり、今回予定を工夫して行きたかったのですが、結局、バーゼルでより多くの展示を見ようと考え、やや心残りですが、フランクフルトはパスしました。

バーゼルへの移動

フランクフルト空港のターミナルには朝5時40分頃に着陸しましたが、その10分後に駅を出るICEにはさすがに乗れず、1本遅い6時50分発のスイス方面へのICEで、一路バーゼルへ。

今回はジャーマンレイルパスというドイツ国内で使える特急券付きの乗り放題チケットを利用しました。ドイツ国内といっても、今日行くバーゼルなど、いくつかの隣接する他国の街まで利用可能なところがメリットです。 今回はバーゼル以外はドイツを巡る予定であったので、インターナショナルのレールパスは買わず、ドイツ鉄道のパスのみで済ませることができました。

途中マンハイムやカールスルーエ、フライブルク等に停車しながら列車は進んでいきます。さすがに早朝なので2等席は空いていて、途中から指定券を持って入ってくる人も少ない様子。

実は初日の夜はフライブルクに宿泊予定だったので、もし座れないようなら宿に荷物を預けるために一度下りようと考えていましたが、到着が遅れてはもったいない、バーゼルにもコインロッカーくらいあるだろうとそのまま3時間少し乗り続けました。

そしてライン川東岸側のターミナル駅である、Basel Bad駅に到着しました。

バーゼル駅の落とし穴

バーゼルは人口約17万人で、チューリヒに続くスイス第2の都市です。スイス・フランスの国境の街であり、ドイツとの国境も近いこの街は、歴史の交差点とも言えるでしょう。ライン川を挟んで2つの大きな駅があり、北西岸側には先ほど下りたBaselBad駅、南東岸側にはスイス鉄道のバーゼル駅、そしてフランス鉄道のバーゼル駅もあります。

さて、早速荷物をコインロッカーに預けようとすると、そこに落とし穴が待っていました。ヨーロッパの先進国では、支払いにほぼ現金を使わずにカードだけで何とかなることが多いのですが、安い食料雑貨店(主に中近東•北アフリカの人たちがやっている)と屋台では現金も必要です。それで、Euroの小銭は持っていたのですが、Basel Bad駅のロッカーではスイスフランの現金しか使えなかったのです!

それで、慌てて隣のTravelex(両替商チェーン)に駆け込んで10EuroをCHFに両替しましたが、後から考えればユーロ札で駅の食料品店で買い物しておつりをスイスフランでもらえば良かったような…。その後もせっかく両替した硬貨を不調のロッカーに吸われたりしてバタバタしながらも、駅前からトラムに乗り込みました。

バイエラー美術館

最初に向かったバイエラー美術館(リンクは公式サイト)は、2010年5月2日に他界した、敏腕美術商・バイエラー夫妻の個人コレクションをベースにした美術館です。一部では医薬品の「バイエル」ブランドと関係あると思っている向きもいらっしゃいますが、実は全く関係ありません。

美術商であり、個人のコレクターであったバイエラー氏は、元々ごく普通の家庭に生まれ、古美術商の下で働く傍ら、経済や美術史の勉強に励み、その後敏腕ディーラーとして世界に名を馳せるまでになった人物だそうです(詳細はこちらを参照)。

また、バイエラー美術館を運営するバイエラー財団を設立したのはそのバイエラー氏ではありません。バイエラー夫妻の友人であった、スイスの国際的な外科医療機器メーカーのSynthes社の経営に30年以上携わった名経営者であり億万長者の篤志家として知られる、Hansjoerg Wyss氏(経歴はこちらを参照)が、バイエラー夫妻のコレクションを一般に公開するために設立したのです。

建物も、当然ですが世界的有名建築家の手によるもの。パリのポンピドゥーセンターや日本の関空で知られるレンゾ・ピアノの設計です。平屋に自然光をふんだんに取り入れたほどよい天井高のホワイトキューブの展示室を中心に、地下にも映像スペースや修復工房などを配しています。

ジェフ・クーンズ展

今回はアートフェアに合わせる時期に、2つの個展が開かれていました。1つはネオポップ(ポストポップ)の巨匠とされる、ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)です。専業アーティストになる前にはMoMAで会員集めの仕事や、ウォール・ストリートで商品仲買人をして生計を立てていたりした(こちらを参照)クーンズは、一見ビジネスマンのようなスーツ姿の風采でも知られています。世の中に存在する様々な商品そのもののレディ・メイドやそこから発展したイメージを職人に作らせ、またイメージコンサルタントを雇ったり、イタリアの元ポルノ女優で一時は国会議員となったチチョリーナと結婚していたこともあるなど、作品そのものだけではなく、「アーティスト」のイメージと自分の作家活動の距離感そのものに気を配ってきた美術家の代表格といえます。

観客は、美術館の敷地の門をくぐると、美術館の建物よりも先に、美しい芝生の中に、植栽に覆われた彼の巨大なオブジェ(ビルバオの「パピー」に似た、顔の中央で左右別々のキャラクターが繋がった「Split Rocker」)が屹立しているのを否が応でも目にすることになります。

美術館の裏側も素晴らしいとしか言いようのない美しい景色なのですが、その中に、キッチュとしか言いようがない、アニメーションキャラクターじみた、しかし誰がどう見ても大変な技術とメインテナンスが必要なオブジェが立っているのです。

最も「売れている」存命作家の一人であるクーンズですが、大規模な個展を見るのは初めての経験でした。
見ていて、個々の作品の細部に至る仕上げの素晴らしさとともに、背景に1980年代以降の国際的な「イメージ消費経済」の輪郭が浮かび上がって見ええてきました。
一国単位の生産力・技術力を超えた流通システムへの依存とスピード感という点で、それまでの商品経済と明らかに一線を画し、新次元のスピードと国際的な波及力により資本主義下の消費者のパワーが共通言語となっていく過程で必然的に現れたその感覚は、のちの「グローバル経済」という言葉に一定の確からしさを付与させた要因でもあるのかもしれません。
そうした背景が透けて見えるクーンズの作品の展開は、スピードアップの末にイメージの消費が経済を回すようになりつつある、新たな時代への変遷を、極めて自覚的に切り取り、エッジの立った形状として提示することで発展してきたように見えました(見せていました)。

すばらしい空間を存分に生かした優れたキュレーションであったように思います。

展覧会の詳細は、最近出たこちらの記事が良いと思います。

フィリップ・パレーノ展

もう一つ同館でやや小さい規模で行われていたのが、アルジェリア出身でパリを拠点とする、フランス人アーティスト/映画監督のフィリップ・パレーノ(PHILIPPE PARRENO)の個展です。

彼は日本ではドキュメンタリー映画『ジダン 神が愛した男』の監督として一部知られていますが、昨年ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで個展を開くなど、アートの分野でも確立したキャリアを築いています。

パレーノは映像の技術や映像の要素そのものを物理的な介入によって空間上に再現し、同時に解体することを続けている作家です。

今回出展されていた中で分量的に一番多かったのは、映画史に残るアイコンであるマリリン・モンローにまつわるシリーズです。彼女が遺した直筆メモを筆跡再現ロボットによって再制作する映像や、彼女が住んでいたホテルの部屋のセットを作り、彼女の音声とともに環境音・光を再現し、「本人のアイコンなきマリリン・モンロー」を出現させるといったこのプロジェクトは興味深いものでした。

他方で、展示室に面した中庭の蓮が浮かぶ水面に、振動発生装置を使って円形に様々な波紋を出現させる一種のキネティック・アートも作っていて、こちらも印象深かったです。

天気も上々で、気分良くバイエラー美術館を後にしました。

(続く)

「新作」のパワー

今週末(13日〜16日)、半蔵門の国立劇場小劇場にて、公益社団法人日本舞踊協会の新作公演が行われます。今回のテーマは、太宰治の作品『走れメロス』。稽古風景の動画が下記サイトのトップページに公開されていますので、ぜひ一度ご覧ください。

※公益社団法人日本舞踊協会
http://www.nihonbuyou.or.jp

「日本舞踊」というと、何か古色蒼然たるものを汲々と守っているイメージがあるのですが、歴史をひもとくと「日本舞踊」という概念は、明治期に「新しき舞踊」を構想する中で作られたものだ、ということが分かってきます。「新しき舞踊」を作り上げる際に、一方の軸となったのが、「古典」すなわち江戸期までに成立していた歌舞伎舞踊の演目を伝承・復活することであり、もう一方の軸となったのが、歌舞伎舞踊の技法を受け継ぎつつ、時代に合った「新作」を創作することでした。明治〜大正〜昭和初期にかけては、ロシア・バレエ等、諸外国の舞踊文化の影響を受けつつ、数多くの新作が生みだされていきました。

従って、日本舞踊にとって「新作」は非常に親和性の高い言葉です。ちなみに、日本舞踊協会の新作公演は、今年で四回目を迎えます。(参考までに、これまでの演目は以下の通り)

2009年 第一回『戀するフリ~古今舞踊抄~』
2010年 第二回『新 道成寺』
2011年 第三回『かぐや』

稽古ブログを見るかぎりでは、今回の『走れメロス』では、物語に登場するわるい王様を「女帝」と解釈してるようですね。飛んだり跳ねたりといったダイナミックな身体技法はお手の物なので、スケールの大きな舞台が期待できそうです。ご興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。

(mio.o)


未来のジャグラーたち

yknさんが前の記事で書かれていたイベント【サーカス・バザール CIRCUS BAZZAR】に参加して参りました。(2012年7月7日(土)~8日(日)埼玉県富士見市にある「富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ」で行われたものですこのイベントは、大道芸と「地産地消」のコンセプトを組み合わせたもので、劇場内がまるでバザール(市場)のように、あちこちで地元の野菜やおいしいお菓子、パンや手作りの雑貨等が売買され、その合間には各所で大道芸人さんたちのわくわくするパフォーマンスが行われるという、何とも愉快な催し物でした。

※富士見市文化会館キラリ☆ふじみ
http://www.kirari-fujimi.com
(今回のイベントは、キラリ☆ふじみの開館10周年、および富士見市の市政40周年を記念した事業、とのことです)

私たちお手伝いの学生は、いくつか小さなお仕事をまかせて頂きつつ、担当の方の「楽しんで、時間を共有してください」というお言葉通り、お客様でもスタッフでもない不思議な立場で、この不思議なイベントを楽しませて頂きました。ほとんどの時間、会場内を回遊しつつ、小さなお客様が大道芸にきゃっきゃと喜んでいるのを微笑ましく眺めておりましたが、中でも、芸人さんがお子さんに教えるジャグリング・ワークショップがとても楽しかったので、まずはそのことについて書きたいと思います。

ワークショップは、7日(土)の13:30~、14:30~の2回と、8日(日)12:40~の1回、計3回行われます。それぞれ芸人さんおひとりにつき、10名強のお子さん方が参加しておられました。年齢層は、幼稚園の年中さんくらいから小学校高学年くらいまで、男女比もバランスよく集まっていたように思います。

「マルチホール」と呼ばれるスタジオにステージと客席を設営し、客席の側に親御さんが座って見守る中、ステージ上でワークショップが始まります。まず、子どもたちを一列に並べ、ご挨拶。続いて、二つある体験のうち、どちらにチャレンジしたいかを、子どもたち自身に選ばせます。一つは、「ジャグリング」と呼ばれる、3つの球をあつかう芸(日本のお手玉に近いものです)、もう一つは「ディアボロ(中国笛)」と呼ばれる、糸を張った二本のスティックで、小鼓のような形をした笛をぶんぶん回すという芸でした。最初の回ではディアボロが、二回目ではジャグリングが、最終回では両方が選ばれていました。

驚いたのは、参加している子どもたちの根気のよさです。45分間のプログラムでは、なかなか技のマスターまではたどり着かないのですが、それでも繰り返し真剣に取り組んでいるさまは、なかなかに感動させられました。一緒に見学していた同期と、大人ではとても気力が持たないという話をして、感心したものです。

ワークショップの最後に、芸人さんが子どもたちに言っていた言葉がとても印象的だったので、記憶の範囲で書き留めておきたいと思います。

「今回時間がなかったので、なかなか成功できなかった子もいるかもしれません。でも、皆さんくらいの年から練習を始めれば、僕なんかよりももっとすごい技ができるようになると思います。この技を使って、世界のサーカスで活躍している日本人はたくさんいます。みなさんの中でも、今日のワークショップをきっかけにして、将来ジャグリングで世界一になる人がいるかもしれません。あるいは、ジャグリングでなくても、何か自分が一生懸命になれることを見つけて、こつこつ努力を続けていってほしいなと思います。」

大道芸のもつ「わくわく感」を五感で感じて、体験して、何か一つでも子どもたちの心の中に残るものがあればいいな、と感じさせるワークショップでした。

(mio.o)

2012年7月10日火曜日

子どもと劇場


日曜午後、キラリ☆ふじみの「サーカス・バザール」に足を伸ばしました。準備から片付けまで手伝われていたM1の方々には、ご苦労さまでした。「おつかれさま」と声をかけに行く間もなく、「かぼちゃサーカス」のクラウンに案内されてフィナーレ・ショーが始まる劇場に着席してしまったのですが、周囲は子ども、こども。就学前の小さな子どもたちとその両親も多かった。隣席では、1歳にもなっていないのでは?という赤ちゃんみたいな子が、バナナのたたき売り、マイム、ジャグリングなどが繰り広げられる舞台を一心にみていました。あんなに小さくても、舞台上の異空間に惹きこまれるものなのか、舞台をみつめる集中力は強靭でした。(仮称)富士見市文化芸術振興条例(案)に「次代を担う子どもたちの感性や創造性」という部分があったことを思い出し、これから富士見市の子どもたちはどんな体験をすることになるのか期待しています。

もうひとつ思いだしていたのは、パリのオペラ・コミックで日曜午後にリュリの「カドミュスとエルミオーヌ」を観たときの光景です。窮屈な3階桟敷席(それでも65ユーロ)から身を乗り出すようにして観ていたので、劇場内全体がよく見えました。観客の年齢層がかなり高い一方、アフリカ系が多い小学校高学年くらいのグループが引率されてきているな、学校の行事かしら?と開演前に思っていたら、彼らはかなりの上席にばらばらと一人ずつ座っていたのです。劇場が高価な残席を贈ったのだろうと思います。ルイ14世時代の演出を再現した舞台の鮮やかな色彩をとり合わせた豪華な衣装、白塗りのお化粧、宙乗りで登場するダンサーの軽妙でアクロバティックな動き。舞台上に蝋燭が並んだ照明や、火を使った演出、ハリボテの蛇や龍のコミカルさ、バロック独特のリズム感や、端正で可愛らしいバレエ・・・。両親や祖父母と一緒に来ている子たちよりちょっと緊張気味に見えた子どもたちは、プロフェッショナルが力を尽くした舞台をじゅうぶん楽しんだかしら、この経験をどう持ち帰るのかしら?と興味を惹かれました。このプレゼント、劇場側の判断に加えて、おそらくお世話役のボランティアの手がたくさんはいってはじめて成り立つと思われます。オペラ・コミックは国立劇場(TN)のひとつだけれど、独自の歴史をもつ独立した一劇場としての矜持をみた思いでした。

劇場全体をある日公園のような空間にして、大道芸で客席を子どもたちに開くのはきっと長い歴史のはじめの一歩。そこで創られる舞台作品を愛する人が増え、作品をより多くの人に体験してほしいと考える人が地域に増えるとき、劇場と子どもの関わりもまたさまざまに変化を遂げるのでしょう。
(ykn)

【大町】原始感覚美術祭2012

大町市で3年前から開催されている美術祭です。

■原始感覚美術祭2012
Memory of a silent sea―静かな湖(うみ)の記憶

会期 2012年8月4日(土)- 9月9日(日)
公開制作期間 2012年7月28日(土)- 8月3日(金)
会場 木崎湖畔 西丸震哉記念館 麻倉 塩の道博物館 大町市街

主催 原始感覚美術祭実行委員会
共催 西丸震哉記念館 塩の道博物館 やまなみ工房
アートディレクター 杉原信幸 
コーディネーター 本郷毅史 池田武司

長野県 地域発 元気づくり支援金事業
助成 公益財団法人野村財団
参加費 マップ付きパスポート 500円
    (中学生以下無料 一カ所200円・塩の道博物館のみ500円)

市内に記念館のある食生態学者・エッセイスト・探検家・登山家の西丸震哉のキーワードである原始感覚をテーマに、あらゆるジャンルを超えた表現者を集い、滞在制作を行うことで、木崎湖畔の美しい景観を生かしながら、古民家や寺社、湖面などにインスタレーションを行う美術祭だそうです。
ディレクターは自らもアーティストである杉原信幸さん。

公式HPは↓
http://primitive-sense-art.nishimarukan.com/index.html
ですが、

ブログのリンク先からフライヤーの画像をみたほうが、
イメージは掴みやすいような気がします。
http://primitivesenseart.naganoblog.jp/e1041468.html

参加アーティストをみると、
ジャンルもですが年代も様々で広がりのある印象を受けました。

---

これまで大町を調べていても思ったことですが、
いわゆる「地域×文化」で思いつきそうな企画は、
たいてい実は既に行われている地域のような気がします。
(その全てが行政主催というわけではありませんが)

もし今から大町市行政が”新たに”文化政策を始めるとしたら、
既に行われているのと同じことをやるのは、
よほどコンセプトが差異化されていない限り、
あまり意味がないような気がしてきました。

mihousagi_n
今日のゼミに行けないかもしれないので欠席分連投してみました。

【大町】信濃おおまち達人検定

トキントキンの後にツンツンとか、なんか平凡で書きにくいなあと思うmihousagi_nです。あ、鉛筆の話です。

最近このゼミでは長野県大町市のことを調べてます。
本ブログにも大町プロジェクトでラベルまでできてますが、
「最近大町に詳しくなってきたかも」と思ったそこの貴方!
「信濃おおまち達人検定」はいかがでしょうか。

「信濃おおまち達人検定」(市役所HPでの紹介)
www.city.omachi.nagano.jp/ctg/00151141/00151141.html

はっきりいってレベル高いです。
これまでいわゆるご当地もの検定は
資格好きへの新手のマーケティング程度にしか考えていませんでしたが、
その認識を改めさせられる奥深さです。

ちょっと調べたくらいじゃ答えられない難問多数。
初見で何も参照せずに答えられたのは1割程度…
私ごときはまだまだ太刀打ちできません。

「信濃おおまち達人検定」(初級)
http://www.city.omachi.nagano.jp/ctg/Files/1/00151141/attach/syokyu.pdf

100問、問題を見るだけでも勉強になります。
特にラスト15問は難関です。

ちなみに検定には初級と中級があります。
問題内容は同じですが、
4択問題の初級と異なり、
中級は難関ラスト15問を除いて、
全て記述式で回答が求められます。

初級と中級の実力の違いを見せつけられる思いです。

mihousagi_n

2012年7月9日月曜日

日本での留学生活

       
 最近、「異文化理解」や「異文化交流」など割と身近によく簡単そうに言われていることばについて改めて考えさせられるような出来事がありました。
 今年6月下旬、東京大学人文社会系研究科の外国人留学生・外国人研究員等の懇談会が本郷キャンパスの山上会館で開かれました。60人余りの留学生が参加したかと思います。当日の会場で本当に一言も日本語で言えない人がいれば、ものすごく自由に日本語で話せる人もいました。将来日本で長期的に勉強を続ける人もいれば、情報収集のために短期的にいる人たちもいました。(ちなみに、人文社会系研究科の外国人の中では研修生が大半を占めています。)外国人留学生って一人ひとり個性が本当に鮮明だということは印象的でした。私自身は留学生でいながらそう感じること自体何だか変だと思いながら…近頃、なんだか日本人と一緒にいる時は居心地がいいってことに気付きました。
 今年で来日7年目となった私は、知らず知らずのうちに日本文化、日本生活に慣れて行きます。最初の頃の悩みや不安等がどんどん忘れられていきます。この間の外国人留学生懇談会で、来日当時の記憶が蘇ったかのようでした。当時、日本語をいくら自由に話せても、なかなか日本の特有の表現を理解できないことは沢山あり、言語の壁だけではなくコミュニケーションの「壁」だとか、地域・国に対する先入観等のミスアンダスタンディングによるショックなど、時にはとても傷つく事もありました。
 具体的に、コミュニケーションの「壁」と言えば、言葉で真っ直ぐに感情や考えを表現する多くの外国人にとっては日本特有な文脈での表現、「阿吽の呼吸」だとか、「空気」だとかはなかなか理解し辛くて、偶に我々にとっての議論や交流が衝突や喧嘩として捉えられたりすることもあるのでしょう。⇒「喧嘩をしない日本人」⇔「“KY”の外国人」

続き

BS

【大町 伝統行事】若一王子神社流鏑馬神事

【大町】若一王子神社流鏑馬神事

こんにちは。今日は大町の伝統行事についてご紹介します!
 

 大町では毎年7月最終週に、紀州野那智大社の分霊といわれる長野県大野市若一王子神社の夏祭り「若一王子神社祭」が開催されます。そしてこのお祭りのハイライトとして、流鏑馬が奉納されます。
 若一王子神社祭の由来は承久3年(1221)年頃、昔この土地を治めていた仁科盛遠が流鏑馬を奉納し武運を祈ったことに始まると伝えられています。また京都との関わりの深かった仁科氏は、賀茂神社の流鏑馬に造詣深く、これを故郷大町に伝えたともいわれているようです。それ以降、若一王子神社流鏑馬神事は五穀豊穣の祈りとして受け継がれ、平成13年(2001)年には長野県無形民族文化財に指定されました。現在では鎌倉の八幡宮、京都の加茂神社と並ぶ『日本三大流鏑馬』とされています。

 皆さん、流鏑馬と聞くと凛々しい武士が全速力で馬上から弓を射る迫力ある場面を思い浮かべるのではないでしょうか。実は大町の若一王子神社流鏑馬は子どもが射手をつとめるとてもユニークな流鏑馬として有名なのです!大町王子祭礼諸書付には文化12年(1815)には子どもが射手を勤めていたという記録が残っています。

 今年もすでに流鏑馬で使われる矢の材料「スズタケ」の採取作業が行われ、若一王子神社流鏑馬の準備は着々と進んでいるようです。
「子ども流鏑馬」の矢 大町で材料を移植 信濃毎日新聞 2012/06/24

 この記事にある、「高齢化などで険しい山中での採取は困難になりつつあるため、将来に備えて初めてスズタケを集落近くに移植したー」という一文がずしりと心に残りました。高齢化も大町市が抱える問題の一つであり、他にも担い手不足など流鏑馬継承に関して多くの問題点があるのです。
 こうした流鏑馬継承に関する問題を共有する場として、今年7月14~86日に大町で流鏑馬サミットが開催されます。

http://www.city.omachi.nagano.jp/ctg/00025920/00025920.html
大町市役所 流鏑馬サミットin信濃大町開催!

 流鏑馬サミットでは各地の流鏑馬保存会が参加し、伝統を継承していくことの難しさや課題が議論されるそうです。若一王子神社流鏑馬だけではなく、このサミットについても改めてレポートしたいと思います。

M.H

2012年7月8日日曜日

【大町】who_to_follow

トキントキンに削った鉛筆を使うとたいてい1画目で芯先を折ってしまいます。筆圧強い系男子のpeaceful_hillです。今回はおもにTwitterユーザー向けの情報提供です。
今年度から小林ゼミで長野県大町市について調べているわけですが、大町市の情報を収集したり、現地の空気感をつかんだりするのに、Twitterを活用するのもひとつの手かと思います。それだけではなく、TL(タイムライン)上に大町市関連のツイートが流れると「あっ、課題やらなきゃ」という気持ちを思い起こしてくれます。
さて、Twitterにはフォロー情報などに基づいたおすすめユーザーが表示される機能があります。そこで以下では、長野県大町市ウォッチャーのみなさんに「おすすめユーザー」を一挙にご紹介します。

□らいちょん(長野県大町市キャラクター)
長野県大町市の非公式キャラクター「らいちょん」だよっ!大町は雷鳥が有名で、僕もこの名前をつけてもらったんだ。大町はご飯が美味くて、景色が美しくてとっても楽しいところだから、僕のTweetを見て旅行の参考にしてね!冬はスキーやスノーボード、夏は山登りや、釣り、BBQも楽しめるよ。みんな大町に遊びにきてね!
大町市ニュース
大町市のニュースをGoogle News経由、一日一回つぶやきます!100%リフォロー目指します!
信濃大町アルプスプラザ
長野県大町市が姉妹都市の東京都立川市に設置したアンテナショップです。
草太(そうた)@アルプスあづみの公園
長野県安曇野市と大町市にある、アルプスあづみの公園のキャラクターの草太です。 あづみの公園についてつぶやきます。 宜しくお願いします。
大町市旅館業組合
原始感覚美術祭
2012年の夏に長野県大町市にある木崎湖畔で開催予定の「原始感覚美術祭」スタッフ池田のつぶやき
おねてぃ10周年木崎湖実行委
おねがい☆ティーチャー10周年を聖地で祝おう! 木崎湖10周年イベント実行委員会公式twitterアカウントです。 長野県大町市木崎湖畔から、事務局の中の人が最新情報をおとどけ☆します。 夏の木崎湖でお待ちしています! 7/1-9/30まで催しいろいろ。8/19日にはメーンイベントです!
大町美麻ロードレース大会ライブ
美麻地区で開催される自転車ロードレースを1周12.6kmのコースに6台のカメラを配置しインターネットライブ中継しています。 今年は、8月12日、13日に開催
大町アルプスマラソン
黒部ダムカレー.com
長野県大町市のご当地グルメ、黒部ダムカレーの運営団体です。黒部ダムカレーの情報はもちろん、周辺地域のイベント情報などもつぶやいていきます。黒部ダムの玄関口、長野県大町市にぜひお越しください。
i10 大町市みんなの口コミランキング
【i10 大町市みんなの口コミランキング】に投稿された内容をつぶやいていきます。みなさまからの『口コミ・つぶやき』投稿お待ちしております。大町市コミュニティサイトの編集者も募集中です!!

……うわー、調べてみると結構たくさんのユーザーが出てきます。今回ご紹介できなかったユーザーもいますので、ぜひ一度ご自身でも探してみてください。決して投げ出したわけではありませんよ。笑

(peaceful_hill)

大町市合併の流れ<2003年4月〜6月>

久しぶりの続編です。少し間が空いてしまいましたが、前回のおさらいは
<2003年1月〜3月>編を見て頂く事にして、今回は4月〜6月の流れについてご紹介。


  42日 大町市、八坂村、美麻村:大北地域任意合併協議会の事務局となる市町村合併推進室が一日、同市役所内に設置された。
  418日 美麻村:「村の合併問題を知事とともにかたる会」が開かれ、市町村合併問題について、村民らと田中知事が意見交換した。知事は「市町村長は、地方交付税が将来どうなるのか国が示していないのに、合併しないと大変だと言っている」と述べ、合併推進の動きに疑問を投げかけた。
  520日 任意合併協:同任意協への参加についてまだ態度表明していない白馬村と、「白馬村の参加が条件」としている小谷村に対し、参加要請。
  524日 池田町:自立表明の池田町長、合併住民説明会を始める。63日までに8会場で行う。
  529日 任意合併協:六月から七月にかけ、三市村の観光名所や文化、福祉施設などを歩いたりバスで見学したりするイベントを計画、「お互いの地域を知るきっかけにしてほしい」と参加者を募集している。参加費はいずれも大人千円、小中学生五百円。
  5月29日 任意合併協:同協議会の付属機関で、三市村の住民が合併した場合の新市のまちづくりについて話し合う「新市将来構想策定委員会」が二十八日発足し、大町市内で初会合。
  63日 白馬村:白馬村の各種団体代表など五十人でつくる「市町村合併を考える会」は二日、村の合併の方向性について、合併と自立を両論併記した意見書を福島信行村長に提出。
  67日 任意合併協:三市村が合併した場合でも、現在ある小中学校や保育園・保育所を存続する方針を決めた。
  612日 白馬村:福島信行村長は十一日の村議会一般質問で、市町村合併問題について「隣の小谷村との合併を念頭に置きながら、議会と協議したい」と答弁。福島村長が合併相手に小谷村を挙げたのは、小谷村内に「白馬」の名が付くスキー場があるなど観光面の結びつきが強く、村民や観光関係者の「白馬」ブランドへの愛着、厳しい財政状況などを考慮した結果とみられる。
  6月14日 小谷村:小谷村の各種団体代表や村職員、村議でつくる「市町村合併研究会」が十二日夜、村役場で開かれ、村は白馬村に対して、両村の職員同士で合併問題研究組織を設立するよう呼び掛ける方針を示した。
  6月24日 池田町:山崎袈裟盛町長は二十三日、六月町会一般質問で、合併問題について昨年九月に続き二回目の住民アンケートの実施を検討していることを表明。
  6月25日 任意合併協:新市将来構想策定委員会は二十四日、新市に関する住民アンケートを七月中旬に実施することを決めた。三市村全戸に回答用はがき付きの広報誌を配るほか、中学生も対象にする方針。


…フー。
現在の形に収まるまで、もう少しかかりそうですね。

(sweetfish)