2012年12月31日月曜日

フランス便り(9)メッス


皆様、大晦日いかがお過ごしでしょうか?
大晦日はこたつにみかんでゆるゆるカウントダウン派(時にはカウントダウンすらしないで駅伝に突入派)のM.Oです。

12月末。
ふと「あ、メッスにいこう…」と思いたち、電車を予約。
そしてそのまま数日が過ぎ、電車の行き帰りの時間のみしか知らない状態で、メッス駅に降り立ったのが昨日の正午。

駅に着く5分くらい前から、「そういえば地図ないな…」とは思ったものの、どうにかなるだろうと考え、駅周辺をうろうろ。
その時は本当に何もなく、帰りの電車の時間を遅くし過ぎたか?これは映画館コースか?などと不安になりましたが、結果、すごく良い所でした。

程なく目的地であるポンピドゥー・メッスに到着。
建物の第一印象は、なんかくらげというかおばけみたいでした。
中に入ってみると、くらげ的なおかげで広々した空間が広がり、窓も大きく開放感がありました。それぞれの階のギャラリーへのアクセスは扉で区切られており、それぞれが全く別空間です。

今回見た展示は3つ。
「パレード」
展覧会の最初の概説のところで「この展覧会は一点しか飾ってません」という説明がある通り、Picassoの巨大パレード幕以外は全てコピー(デッサン等の画像をシール状にして壁にペタペタしている)という展覧会。
美術館でこれだけシールが展示される事も珍しいのではと思いましたが、豊富な手紙やデッサン等の史料をたどってパレード幕に辿り着いた時の「わぁ」感は大きかったです。

「FRAC FOREVER 」
ロレーヌ地方の現代美術基金の所蔵する写真を展示しています。
受付を通った時にはい、と渡されたのはまさかの巻巻式緊急時用小型ライト。
中に入ると真っ暗、みなさんライトで照らしながら作品を見ています。
更にこの展覧会で面白いのは、作品をライトで探りながら観る様に、壁面に展示コンセプトのキーワードが無数にばらばらに配されており、鑑賞者が勝手に捉えて良い、という点です。
とはいえ、周りを見ていると、作品と無数の言葉を鑑賞しながら結びつけるのはちょっと困難なようでした。(しかも全てフランス語なため英語圏の方には意味不明)

「Sol Lewitt」
壁画に特化した展覧会。内容は勿論素晴らしかったです。
ちょうどパリにあるギャラリー、マリアン・グッドマンでも展示していましたが、やはりこういう作品は美術館向きですね。
パレード展での幕の設置や修復の様子が展示されていたのと同様に、こちらでは壁画製作の様子を記録したドキュメンタリーも会場で流れていました。

その後、中心地にあるカテドラルへ。
とりわけこの時期ですから、より一層荘厳で美しく見えます。
予習を全くしなかったおかげで、予期せずシャガールのステンドグラスに遭遇出来たのも良かったです。

そしてクール・ドール美術館(Musée de la cour d'or)へ。
名前はメロヴィング王朝の宮殿の伝説に由来するとか。
行ってみると、入り口には大きくMusée「s」の表記。
何故複数形?と思いながら中に進むとその理由が明らかに。
「美術館+博物館=美術館ズ」だったのです!
これはフランスでは結構珍しいのでは。
中は複数のゾーンから成り立っており、またかつての建物を一部利用しているため、リアル迷宮。内容もかなり充実していますので、ロレーヌ地方やメッスの事を知るには是非こちらへ。

ぶらぶらしていると、先述したFRACの施設を発見。早速中へ。
展示していた作品はあまり私の好みではありませんでしたが、これまでのメッス散策を総じて見ると、地方としては結構な量の芸術との出会いがあった様に感じます。

さすがに少し疲れたので、旧市街をぶらぶら。
メッスはクリスマスマーケットやイルミネーションにも力を入れている様で、趣のある建物が多い街は華やかで綺麗です。
そんな事もあって、年末をメッスで過ごそうとするフランス人で街は活気があります。
勿論商店は全てしまっていますが、皆さん思い思いに街を散策していました。

フランスはパリばかりが注目されがちですが、各地それぞれの個性があり、旅してまわるには面白い国です。
私自身は都会生まれ・都会育ちのためどうしても都会贔屓ですが、たまにこうしてふらっと出かけると色々な出会いや発見があるのがフランスの良い所の一つだと思います。
そういう意味では、皆さんが報告して下さっている様に日本の地方も面白いですね。私も大町に行ってみたいです!

それでは皆様、良い年越しを!
(M.O)

12月17・18日大町市訪問の感想



121718日大町市訪問の感想
By MP
信濃大町駅に着いた時の山の風景

ポルトガル語では「大町」は「Grande Cidade」と言う。Grandeには英語のGreatの意味も入っている。12月17、18日の大町市訪問後には、私は大町市はとてもいいところだ(Great!)と確かに思っている。
町を見て回った時に市民の方から「大町の誇りは山です」ということも聞いて、その通りだと思う。駅から出て山と出会った時、とてもいい感じだった。
このいい環境の中で、市役所内で職員のワークショップに参加した。このジヨンさんのワークショップがあって、少しでも若手の職員と話すことができた。私が会った人はあまりワークショップに参加することに対しての抵抗を感じていなかった。むしろワークショップのおかげでその人たちとの距離感が少なくなったと思った。
職員の発表はとても面白く、グループそれぞれが大町市にできる楽しみ方や活動を紹介してくれた。そこで私が気になったところは私たちが4月から話した文化施設(西丸しんや原始美術館、大町市文化会館や麻倉など)が皆の発表の中には少しだけしか出なかったことだ。皆知らないかあまり面白くないと思ってるか分からないが、発表の全体からは、多くの職員は大町にあることをあまり把握していないか、感覚は異なるという印象を受けた。少なくとも今回のワークショップには情報共有の意味があって、そこにいた人々は少しでも新しい情報や今まで考えなかった場所や楽しみ方を知ったと思った。
その日の夜には懇親会があって、そこで直接職員と話すことができた。最初に話した人から聞いたのは、大町市には若い人が集まるところがない、それが欲しいという話だった。確かに職員の発表の中には「デートコース」についてのことも出た。そのコースは旅行会社が作るプランのようで、木崎湖観光や美味しいことを食べるコースの案でした。それがないとやはり若者は他のところに遊びに行くのではないか。もしかしたら多くの人は松本市へ行ったり、都会へ行ったりしている。同じ人から今回のワークショップの感想も聞いた。職員は毎日忙しく、あまり一緒に活動することができない。しかし今回のワークショップでそれができてとても良かったと言っていた。複数の人が同じ問題について気になっても、その人たち同士交流する時間があまりないので結局何を考えているかも知らないでいる。しかし今回は職員同士が様々な問題について考える機会があったという感想を聞くことができた。
その後は別の職員と「この町に生まれて育ったから、自分と町には特別の関係性がある」という話から、大町市をよりよくしたいという話を聞いた。その人は大町が好きだという気持ちが非常に強いと感じられて、本当にいろいろ考えている人だった。その一方で「大町には面白いことがあまりない。やることがあまりないからいつも町の外で遊んでいる。都会に行くことが好き。ここにある景色や自然はもう当たり前のことになり、慣れている。」という話もあった。


2日目の朝には大町市文化会館で会議があった。その会議には文化会館の職員と市民の方二人と私たちが出席した。最初は北アルプス雪形まつりについて話があった。ここで非常に気になった部分はそのまつりと関わる市民がばらばらであり、協力してるのではなくむしろそれぞれで活動しているということだった。もともとはもっと統一性があったみたいだが、前にその祭りの中心だった人たちは今は北アルプスと違うところに演劇活動をしている。
その後文化会館の方について話が変わった。私の感じではその時は雰囲気が重くなり、緊張度が上がった。そこで一番気になった話は市民からの話で、職員から冷たい目ではなく少しでも優し目、気持ちを温かくするマナーが欲しいということが出た。少しその気持ちは理解できると思った。自分がボランティアとしてある所に活動をする時には、最初は自分が外の人だと思い、何も分からず、お世話になっている感じや恥ずかしい気持ちになる。そこで職員が丁寧に説明してくれたり、挨拶の時でも優しい雰囲気だと、自分を受け入れてくれる感じがして安心する。そのやりとりはとても重要であり、活動が両者にスムーズに行くためには必要となるだろう。
大町市名店街
大町市商店街



商店街
火曜日は定休のわちがい

2日目の午後は町を見学した。町を回るグループは、私が甘い企画を作ったから麻倉もわちがいにも行かれなくて、蔵の音楽館も道に迷ったため行かれなかった。しかしそのため商店街を回る時間が増え、そこでとても面白いことが見つかった。Re.フォレストというお店にはカフェ、ミニミニシアターと「店のパンフレトに書いてある通り」世界の一番小さな展覧会があった。ミニミニシアターは1000円で借りることができ、90インチの画面で映画や音楽を楽しめるところ。展覧会は無料で展示することができるスペース。こんなに面白い店は私は見たことがなかった。竹内さんのおかげで店長と話すことができた。そこでなぜこんな展示スペースを用意しているのか尋ねた。「多くのところは展示スペースを借りるためにお金がかかる。ここには誰でもが展示できるスペースを作りたかった」と店長が言った。同じ人から「大町の誇りは山」ということも聞いた。こんな意志がある市民がいる町はやはりとても面白い町だと思う。
ここで私が思い出したのはこの間小林先生が見せて下さったDVDのこと。一人の人がイギリスの田舎の町に合唱団を作る話の中に、主人公が町の人とネットワーキングしながらボクシングで少し有名な人と知り合いになって、その結果その人が多くの人を彼に紹介することがあったが、大町市ではこの店長も私たちにとっての一つの入り口になるのではないかと思った。

大町市訪問からわかったことは、いろいろやりたい市民はいるが、まずその市民の事情は多様であるということだ。文化会館であった会議に出たように、市民のグループの力が分散していることもある。もちろん無理やりに一緒に何かをやる必要は全くないが、新たな活動やイベントを作るためも多くの市民を巻き込んでいいのではないか。同じ会議に市民からの「冷たい職員」のコメントもあった。ある面で職員は市民にとっての行政の入り口でもある。その二つの側のやりとりの再確認をする必要があるのではないか。市の係長は今回市民の話も聞いたので、これから文化会館の職員とそれをよりよくするための作業をできる可能性もあると思った。17日の若手職員のワークショップでみた皆の積極的な姿勢は、文化会館の職員からは感じなかった。その人々には私たちや市民との距離感を感じた。

2012年12月29日土曜日

文学?絵本?


冬休みに入って同期や先輩に会えず、さみしいM.Hです。別に寂しがりやではないんですがね。

いきなりですが、みなさんは絵本を読みますか?

今回はぜひみなさんに読んでほしい素敵な絵本をご紹介します

実は先日金沢へ旅行に行ってきました。今年の夏、小林ゼミ合宿で金沢に行った時にどうしても行きたかった場所があるんです。それは泉鏡花記念館!

泉鏡花は金沢生まれで明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家です。『天守物語』『海神別荘』など歌舞伎座でも上演されていますし、最近では『日本橋』という作品が坂東玉三郎さん主演で上演されています。

 泉鏡花が描く世界は幻想的で難しいと感じる方も多いかもしれませんが、そんな方にぜひ読んでほしいのが『()(ちょう)』という絵本です。『化鳥』の絵本化は泉鏡花の生誕地である金沢市が主催する泉鏡花文学賞の制定40周年記念プロジェクトとして企画され、浄土宗西山禅林寺派の僧侶で1996年よりイラストレーターとして活動している中川学さんが挿絵を担当しています。

 少年の語りで綴られた幻想の世界は、決して子供向けの理解しやすい物語ではないのですが、鏡花の世界観と中川学さんの情緒溢れるイラストが絶妙にマッチしていてぐいぐいひきこまれていきます。絵本化を通して鏡花の世界がより色鮮やかに描きだされていて、文庫だと少し読みづらい文学作品でも絵本化することで手にとりやすくなるのかなと感じました。絵が掛け橋となり文学作品と人々をつなぐということを感じさせる、そんな素敵な絵本です。

あまりに感動して自分のためだけでなく友人用にも買ってしまいました。素敵な本に出会うとついつい友人にプレゼントしたくなってします。

泉鏡花記念館では120日まで『絵本『化鳥』の原画展』が開催されています。
泉鏡花記念館
http://www.kanazawa-museum.jp/kyoka/index2.html

『化鳥』誕生までの過程が書かれています。
中川学さんのブログ『坊主な日々』
M.H

2012年12月24日月曜日

図録検索の方法

9.5時間耐久カラオケで身も心も年末の準備ができました、(竹)です。やるだけやりました。

今回は、首都圏の主要美術館/博物館の蔵書を一括検索できるウェブサイトの紹介をします。
研究室で何回かこのサイトについて話すと、意外と知名度が低い?と思ったので…。

Art Libraries' Consortium、略してALC(アルク)です。
東京国立近代美術館、国立新美術館、東京都現代美術館、横浜美術館、国立西洋美術館、東京都写真美術館、東京国立博物館、江戸東京博物館、神奈川県立近代美術館
の図書室の蔵書を、図書・雑誌・図録・目次等の4項目に分けて検索できます。館の指定も可能です。

図録探せるのってこのサイトくらいしかないし、チェックのつけはずしで何パターンもの検索の仕方ができるので、個人的には非常に重宝しております。
(逆に、他に便利な図録検索サイト等があったら教えて下さい。。)
国立新美や都現美は図録コレクションが充実しているので、(竹)は大体この2館で図録検索をかけ、閲覧をしています。
あと、ALCには東博やえどはくも入っているので、美術バタケの方でなくても使えるサイトだと思います。

さあさあ、使ってみましょう。
検索は「ALC」だけでかけると、某語学出版社のサイトがトップに出てくるので(笑)、「ALC+スペース+美術」とかで検索してみてくださいませ!!

(竹)

2012年12月23日日曜日

フランス便り(8)現代美術の未来


フランスの文化シーンにおいて高待遇な層、それは18から25歳の人々。
ほぼ全ての文化施設で割引あるいは無料という絶対的優遇措置の枠からもうすぐ外れるという事実に愕然としているM.Oです。
とは言え、学生ならまだ受けられるサービスも多いですし、国鉄のチケットが3割引くらいで買える若者枠も若干延長されたので、まだもう少しは大丈夫(?)!か?

この前の日曜日、MAC/VAL(Musee d’Art Contemporain du Val-de-Marne : ヴァル・ド・マルヌ現代美術館)に行きました。

県の文化政策のシンボルとして、現代美術の普及・大衆との距離を縮めるという県議会の20年以上にも及ぶ努力の結晶として、2005年にヴィトリー・シュール・セーヌ市の中心にオープンしたこの美術館。

フランスにおける1950年代から現在までに創造・制作された1000点以上の芸術作品を収蔵しています。

1万3千平米に及ぶ館内では、その3割強が常設・企画展示にあてられ、残りは映画・音楽用の映写室(150席)、様々な世代・社会階層の人々のニーズに応えるマルチメディア閲覧室、ミュージアムショップ、レストラン、国内外のアーティストを迎えるレジデンスが含まれます。

私が訪れた時には、企画展として、フランスを代表する現代美術家の1人、Fabrice Hyber(1961-)の作品がこれでもかという位贅沢な空間のなかに展示されていました。
この滞在期間中に他の文化施設でも彼の作品を見る機会がありましたが、その中のどれよりも凄い。

また、従来の美術館的年代別展示法にとらわれない、質・量共に充実した常設展示も、その頻繁な入れ替えが嬉しい限り。
どこから何を見てもいいんだよ、と言う風に言ってくれている様な自由な動線の作り方。
また、現代美術の一つの魅力である「作家が現存である」という点を活かし、館内には作家自身が展示作品や自身の創作について語っているインタビューを流している箱(床に箱が置かれていて、そこにテレビ画面とオーディオガイドの聞く部分の様な耳に当てる機械が置いてある)が点在しています。

常設展示の中に、Julien Prévieux(1974-)のLettre de non-motivation(モチベーション無しレター:求人欄に掲載された求人・そこに提出したモチベーション「無し」レター・その返答を展示した作品)があったのが個人的には嬉しかったです。
現代社会のシステムとその弊害をクリティカルに描きながらもくすっとさせてくれる素敵な作品だと思います。学生の身分だからこそより染み入る、のかも。

ところが、人が、いない。
本当に、いない。
日曜日の午後一番に行ったのにガラガラ。
その後、博物館学においては何かと話題だったケ・ブランリーへ。
こちらはすごい人。観光客も多い。でも正直、なんだかもやもやする美術館でした。
バンリューと中央の差、現代美術とそれ以外の美術の差。それは現地に住む人の認識の差だけでなく、周りに住む人々の認識の差でもあるように思います。
私は、それに加えて、「美術界(とりわけ現代美術)が美術館なり単体のイニシアチブではもはや動いていない、社会に繋がっていかない」という事を如実に現している例だと感じました。
とは言え、それは良い事であり、よりこの社会の構成員がどのように美術をコンテクスチュアライズしていけるのかという希望と課題を顕在化させているのだと思います。
皆さんは美術の未来をどのように考えますか?

ところで余談ですが、パレ・ド・トーキョーの新館長しかり、ポンピドゥー・メッスの館長しかり、なんだか現代美術の館長は面白いおじさまが多いですね! とは言えもちろん教養漂ってますが。
フランスの現代美術施設の未来は明るい!か?!
(M.O)


フランス便り(7)ノエル


既に12月初頭から街も人もそわそわしておりましたが、フランスではいよいよ昨日からクリスマス休暇に入りました。

金曜日の午後、とある小学校の前を通ったら
「自由万歳!バカンス!」
と狂喜乱舞しながら駆け出してきては仲間と抱き合いながら喜びを分かち合う子供達に遭遇しました。
「そんなに拘束されていたのかしら・・・?」
と心配になってしまいましたが、先日フランス人に、
「君、表情での表現が足りないな!ほら、フランス人って感情豊かに話すでしょう!?」
と言われた事を思い出し、あの子供達の反応も単にフランス流なのでは、と思い直したM.Oです。

昨日土曜日には、TGV(新幹線的なもの)の駅、高速道路は大混雑。
まさに民族大移動。
日本では新年には、駅伝に触発されてジョガー率があがるらしいですが、フランスではひたすら飲み食いしたクリスマス休暇で増えた体重を落とすためジョギング率が高まるらしいです。

テレビ番組もノエル一色。
クリスマスディナーで人を招く時のテーブルコードのレクチャーや、スキー場の様子、クリスマスイルミネーションのコンテストや、色々な人の様々なクリスマスの過ごし方についてのドキュメンタリー、等々。

こういう行事は改めて人と人の繋がりに気付かせてくれるなあとしんみりしていた所、ふと見たメトロ内に
「クリスマスプレゼントにがっかりしたら、それ売っちゃいましょう!」
というリサイクルの広告があり、若干もやっとしました。

皆様、よいクリスマスを!
(M.O)

2012年12月22日土曜日

黒部ダムカレー物語

あっ、そういえば、黒部ダムカレー物語ってご存知でした?
私が知らなかっただけかもしれませんが、先日の大町訪問で見かけたポスターに書いてありました。同じ内容は黒部ダムカレーのホームページにも掲載されています。

黒部ダムカレー物語

地域の文脈とは関係なしにポッと出てきたB級グルメかと思いきや、「黒部ダム」と「カレー」には深いつながりがあったんですね。震えました。それまではひそかに「どうしてカレーなんだよ」とか思っていました、すみません。
こうした物語こそ残っていってほしいです。

(peaceful_hill)

2012年12月20日木曜日

「マチサラ」っていいな


 二日目の予定が動かせず、でもどうしても行きたくて、日帰りで参加させていただきました。これまで想像するだけだった大町を、短い時間でも訪れることができたのは大きかったです。信濃大町駅に降りて清々しい空気を吸った瞬間、集積した情報の塊がふわっと融けて現実の空間のなかに拡散していくようでした。雪景色のなか、車の窓越しにNPOの看板を見ただけでなんだかうれしくって盛り上がってしまいましたね。

 市役所でのグループ研究発表会の印象になりますが、最初に感じたのは、生まれ育ち今も暮らすまちのこれからを考える作業にとりくんでいる職員の方々がちょっとうらやましい、ということです。これは「よそもの」としてどこかの町にお邪魔するときにいつも思うことでもあります。

 二つ目の印象は、職員の方どうしとても仲がよさそう、ということでした。そして穏やかでスマートな感じが多くの人に共通しているようにみえました。八つのプレゼンがどれもよくまとまっていたのは、グループ内での話しあいが発表に向かって確実に積み上げられてきたからなのでしょう。すべきことが明確な職務の傍らで、正解のない課題にとりくむのは、ほんとうのところかなり発想の切り替えが必要で、チャレンジングなことなのだと思います。

 完成度の高いプロジェクト案が次々に発表されるのを感心しながら聞いていたのですが、一方で、地方出身の者として思っていたのは、ここにいるような人たちが大町全体にいる訳ではないだろうな、ということです。自分の経験を振り返ると、小学校や中学校のときにはいろんなタイプの子どもがいたのに、受験と進学、進路の選択を経るたびに次第に均質化した集団になるということがありました。そして大人になると、学校では目立たなかった子が何かのすぐれたプロフェッショナルとして活躍していたり、小学校同級生の起業率がとても高かったりします。そして、日々動くまちの「今」をつくっているのは、そのような既存の組織や資格とは無縁なところで働いている人たちであることが多いです。

 地域で生きることは、そうした多様性のなかにふたたび身を置くことだと思うのです。会議室で同席していた方たちが、市役所の外側のどんな人たちとどんな風につながっているのだろう、ということが気になってきました。

 その意味では、発表のなかの「マチサラ」という造語がとても魅力的に響きました。季節ごとに市内全体の若い世代が集う場をつくるという企画です。「まちthorough?」と思ったら、「りんごを皮“さら”食べる」のように使うのだそうです。まちを丸ごと!

 若手職員研修としてひとりひとりが大町を考えている時間は、外の世界と接触するときに何かをほんとうに生み出すのだろう、と想像しました。大町のこの先、とても楽しみです。そして次回こそは、私も外の世界を見てみたいです。

(ykn)

もしも、東京大学院生が長野県大町市を訪れたら

もしもシリーズ第2弾。

もしも、東京大学院生が長野県大町市を訪れたら(〜地方出身者の場合〜)。

12月17日。到着した日は、幸運にも晴天に恵まれました。
やはり、最初に駅に着いた時目に入るのは、北アルプスの山々です。
山を見慣れた私でも、鋭く切り立った姿はとても印象的でした。
でも、その日に木崎湖を見る事が出来なかったのが残念でした。

既に何人かの方々が大町についてのレポートを書いて下さりましたが、
同じ2日間の出来事を書いても、個性が出てて面白いですね。

私が大町に赴いて一番感じたのは、
あー。そうそう。大野もそんな感じ!って共感できるところが多かったです。
字も似てるし(笑)

大体週末の買い物やアミューズメントは、近隣都市まで車で出かけて、
街中では消費しない。
冬はゲレンデか、家に引きこもるか。でも、小学生やなんかは、スキーウェアで学校に行き、校庭でスキーや雪遊び。
このまちには「なんにもない」と言うけど、でもまちが好き。

でも「なんにもない」わけはなくて、
「いいと思ってるものはあるんだけど、それはよその人に自慢できたり、特に言葉にして言い表すような程のもんじゃないんです」
みたいな認識なんかな~と思います。あと、積極的に知ろうとしてこなかった。

市の職員の方々のグループ発表で、
あるグループが「大町がNo.1だ!というものを探したけど、何もなかった」
とおっしゃっていました。

失礼な言い方かもしれませんが、「これはほんとウチにしかない!」とか、「これはウチがピカイチ!」というものは、じつはどこかに似たようなものがあるものだと思います。
雄大な自然、伝統文化、郷土料理、ユニークな取り組み、そして人・・・。
どこのまちにも、何かしらはあります。大町にも、大野にも。
でも、これらがなくなったら、このまちじゃなくなる!みたいな危機感をもつんじゃないでしょうか。

大切なのは、「ヨソの人から見て、どれだけ魅力的なまちにするか」ではなく、
「自分たちのすむまちや暮らしをどうしたいか」。
ヨソから注目されれば、人やお金が流れたり、それによって住民の自信が付いたりすると思います(←うまいこと修論のテーマを入れ込みました)。でも、それはあくまで手段であって、目的であるべきではないと思います。

よく、「資源をブラッシュアップする」という言い方がされますが、
何のためにブラッシュアップするのか。
この、for what?があいまいであれば、howもうまく行かなさそうです。

ただ、一つはっきりと言えることは・・・。
バタどらのうまさ半端ない!!

(sweetfish)

冬の生活・大町編

大町に行ってきました(竹)です。bangulさんとpeace氏に続き、大町レポートです。
私は大町に行くにあたって、「みんなの冬の生活が知りたい!」という課題をもって、大町を実際に見てみることにしました。

市役所職員のみなさまや、商店街で話した人たちに、「休日何してるんですか?」「冬って何してるんですか?」と聞いてみたところ、
若い人たちは松本や東京に行っていることが多い印象。…というのは他のメンバーも書いていることでしたね。
しかし一方で、「朝起きて、今日の天候を見てふらっとスキーに行けるのは良いよね」とか、「雪上運動会の季節だよね(種目が気になります…)」とか、「学校に氷が張るから、子どもたちはスキーウェアで学校に行ってスケートをやるのよ(学校にスケート靴が常備されている!)」とか、冬の楽しみ方を色々と聞くことができました。雪山の民は、冬も元気に外に出ていました。

また、インドア派の「冬の楽しみ方」も。「町をまわる班」が面白さをセンサーして入ったのは、商店街にある雑貨店。
店長さんは元々アロマのお店を開いていたのですが、6年ほど前に同じスペースを雑貨店兼貸しギャラリーの店に変えたそう。雑貨店は、輸入もののお菓子などもありおしゃれな雰囲気です。
で、貸しギャラリーなんですが、なんと借りるの無料。腐るものを置かない限り(笑)、お店の一角を好きにレイアウトしてOK。遠方の人やレイアウトに自身がない人はお店の人に任せてもOK。気軽で、しかも自由度が高いです。えー私も展示したいよこれ。
大体一か月ごとの会期ということですが、展示希望者が多く、あふれているほどだそう。水彩や油彩、写真、ネイル、猫好きアピールなど、色々な「発表したい」人たちが集まっているようです。店長さんも、「発表する」人を集めたい!という熱い想いをもって貸しギャラリーをつくったようです。お話を聞いていて、パワーをもらえるような店長さんでした。
この活動は冬限定のものではないですが、寒い外に出たくない/出られない人にとっては良い活動ですね。このような人・スペースが大町にあることが分かったのは大きな収穫でした。

短い滞在でしたが、大町は見れば見るほどイケてる活動(小林先生語録)が発見できる町でした。
というわけで、今回の収穫は、
大町市民の冬の楽しみの存在を確認できたことと、
「ぐるった」さんとか「わちがい」さんとか、知られてきている活動がいくつかある中で、それよりもう一段階小規模な範囲でイケてる活動をしている人々がいること、
でした。
以上、大町滞在をしていないメンバーに向けて、なるべく具体的なものごとを書いてみました。おわりです。

(番外)
塩の道博物館の売店の袋、スタッフが包装紙を手作業で袋にしているようです。細やかさに感動してここに掲載。










(竹)

2012年12月19日水曜日

大町訪問記

私が生まれ育った名古屋は、少しでも雪が降ったら大騒ぎ。ましてや積もることは滅多にありません。稀に雪だるまが作れたとしても手のひらサイズ。雪を丸めて投げることさえほとんどできません。ウィンタースポーツにも興味がなければ触れる機会がないので、私はスキーに行ったことがありません。
雪耐性がないかわり憧れは人一倍。ふかふかに積もった雪の中に背中から飛び込んでみたいという願望があった私は、まだ見ぬ冬の長野県大町市を勝手に真っ白に塗りつぶしていました。出発の朝、ユキグニユキグニと黙唱しながら、都内では汗ばむくらいに厚着しました。ところが、大町市に着いてみると想像よりも暖かく、融け残った雪も少なめ。ちょうど気温が上向いたときに当たったようで、ちょっとだけ残念でした。

さて、外部向けのいろいろな前置きは省略させていただいて、私が若手職員による中間報告会で最も印象に残ったのは、「食」をテーマにした班の発表で「***屋のバタどらを何とか残したい」という職員の個人的な思いを聞けたこと。最初は職員たちで新スイーツを開発しようというところから始まったみたいですが、途中から既存の食文化に視点が移ったのは、私は「良い方針転換だった」と思います。(スイーツ開発もまだ諦めていないようですけど。)
新しく何かを創造すること以上に、既存の文化の何を残していきたいのか、伝えていきたいのか、私自身はそういう視点を大事にしたいと思っているからです。特に大町市の場合は、新しい取り組みには何でも手を出している印象があり、非常に意欲的な自治体であると評価できる反面、「結局このまちにとって大事なものって何なのだろう」と思ってしまうのも正直な感想です。「***屋のバタどらを何とか残したい」というのは一例にすぎませんが、そのような声が聞けたことはとてもうれしかったし、私にとっては何よりの収穫でした。
「行政職員の先輩」に囲まれた交流会では、来年度以降の自分自身の姿と重ね合わせながらお話をさせてもらいました。昨今は市民協働が叫ばれるけど、公務は常に公平性の観点からチェックされるから、なかなか言葉通りにはいかないんだよね、というお話がありました。確かに中間報告会でも、民間事業者の名前を挙げるときなどに公平性を配慮したような断りを入れる場面が何度かあり、少しだけ気になっていました。
公平性。「誤った公平性に陥ってはいけない」と言ってしまうのは簡単ですが、公務員として可能な仕事には限界があります。というか、限界だらけのような気がします。果敢に「公平性」の固定観念に立ち向かうのか、それとも全体の奉仕者として愚直に「公平性」から踏み出さないでおくのか。正直、いまの私には判断ができません。大町プロジェクトが、自分の将来と直にリンクしていることを改めて実感しました。

修士論文を書いた身として恥ずかしいのですが、私は長い文章を書くのが苦手なので、これ以上は別の機会に。

(peaceful_hill)

バターどらが美味しかった大町

日本に来て様々なところを旅行や合宿、旅公演で見回りましたが、長野県は始めての訪問でした。
16日遅い夜、稽古の合宿の先であった茨城県から東京に戻って、17日朝、私は長野県大町行きの電車に乗りました。
大雪の大町の姿を想像しならが電車での時間をすごしましたが、駅に着いたら想像とはことなったとてもいい天気の大町が待っていました。
到着と同時に昼を食べに美麻地区に行って、おそばを食べました。そば茶を個人的に好むのですが、この店のそば茶はとても美味しかったです。
その後市役所に行って、若手職員による研究中間報告会に参加しました。
報告会は全部8班の発表で構成されていました。
彼らの発言の中で、印象にのこるキーワードは、「大町市は印象つけるものがない」、「大町を知る機会がすくない」といった発言です。これらは私たちがよその目からみて思っていたことでもあったのですが、いざと何かモノにしていこうとしている彼らの方向性がどこか違うのではないかと思いました。
この日を夜は職員及び市民活動団体代表と交流会に参加しました。
交流会が行った店のお料理がいまいちだったので少し落ち込んでしまった私。
私は主に職員らと話をしましたが、彼らの多くが週末大町にいないことが分かりました。多くが松本に遊びにいくと言われました。大町ではやることがないと。。。。

二日目であった18日は、まず文化会館にて「雪形まつり市民創作舞台企画」打ち合わせに参加しました。
文化会館の役割や使命についてもう一度考えさせるそのような時間になりました。
何日か前に芝居の仲間からいわれた三重の文化会館を思い出しました。
夜10時になると職員は帰りますが、団体の便宜を図って稽古や作業が24時間出来るようになっていたと、、、、
なぜこういった話が思い出したのでしょうか。。。
市立大町図書館を見回って先ほどと違った暖かい気持ちになりました。
市民と活動団体代表との懇談会に参加した後、後継者がいなくいつかは店を閉めるしかないバターどらを買いによってみた村田屋。
フワッとした滑らかな感じのどらやきを食べながら、大町見学の最後の訪問先である西丸震哉記念館に行きました。
杉原さんをはじめ、彼のお父さん、みほさん、池田さんが暖かく迎えてくれました。
原始感覚美術祭に関する話を聞きながら、大町に来て、初めて胸があつくなる時でした。

「。。。芸術って全然知らなかったが、実際に関わりながら感じることって大きい。別の世界のことではなく、日常そのものが芸術である。それを知ってもらいたい。。。」と話した原始感覚美術祭の実行委員の一人みほさんの発言を最後に、大町レポートを終えます。

bangulより

Old Romances 老情人 -古き良きシンガポールへのラブレター


日本では東京タワーが有形文化財に登録されそうで、昭和レトロも一過性のブームにとどまらず文化遺産としての地位を確立しつつある今日この頃。シンガポールでも"携帯もテレビもパソコンもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。(Always三丁目の夕日)"と、60年代に郷愁を感じる人が増えているように思います。シンガポールの「原風景」は、植民地時代に政府機関や高級住宅として使用された西洋風建築や、戦前まで一般的な庶民の住まいだったショップハウス(長屋)だと言われていました(奥村みさ『文化資本としてのエスニシティ-シンガポールにおける文化的アイデンティティの模索』2009)。しかし今、巷で熱狂的な支持を集めているのは60年代のシンガポールに対するノスタルジアのようなのです。

映画が上演される国立博物館で開場を待つ観客。
中華系の若者の姿が目立つ。
先日、そんなシンガポールのノスタルジアを結晶化したかのようなドキュメンタリー映画"Old Romances 老情人"が公開されました(動画)。写真の通り、会場には時間前から観客が溢れ、200席余りのチケットは完売、販売していたDVDも売り切れるという盛況ぶりで、急遽追加上演が決まったほどでした。

"Old Romances"は、アコースティックなBGMに乗せ、街角に隠れた古き良きシンガポールを映し出し、顔の見えない電話越しの声が、時に寂しげに、時に愉快に、その場所にまつわる個人的な想い出を語るというドキュメンタリー映画です。カセットテープを売る音楽屋、金物屋、歯医者、ワニ園といった昔懐かしい景色がスクリーンに現れる度、満席の客席からは「この場所知ってる!」または「こんな場所があったのか!」とため息が漏れていました。

この映画を作った共同監督の一人は、検閲局を目の敵にした挑発的な作品からシンガポールの反逆児(the Angry Young Man)と呼ばれるRoyston Tan。(今年6月東京で開催されたシンガポール映画祭で特集が組まれていたのでご存知の方もいらっしゃるかも知れません。)彼が2010年、国家遺産局(National Heritage Boad, NHB)のサポートでシンガポールの建国記念日のために制作したドキュメンタリー番組"Old Places(動画)"は大反響を呼び、多くの国民がロケ地を訪れ、番組にインスパイアされたブログまで登場したほどでした。しかし"Old Places"に収められた場所の4割がその後姿を消し、危機感を覚えたTan監督は、シンガポールの原風景が消えてしまう前にフィルムに収めようと続編の制作に着手、Facebook等を通じて想い出の場所の情報収集を続け、二年の歳月を経て"Old Romances"は誕生したのでした。

英語と中国語によるアフタートーク。
監督達(左からVictric Thng、Eva Tang、 Royston Tan)と
司会者(右端)。スクリーンに映っているのは
作品に登場する中国戯曲の俳優。
Tan監督は情報サイトのインタビューで、「想い出の場所が開発で失われ、人々が自らのルーツを辿れない根無し草になってしまったら、この国で大事なものとは何になってしまうのか」と語っていました。墓地保存運動の記事にも書きましたが、次々と新しい建物や道路が建設されるシンガポールでは近年、記憶の詰まった場所を自らの手で守ろうという草の根運動の気運が高まっています。ドキュメンタリー映画の盛況ぶりも、経済成長一辺倒に疑問を感じる市民の心境を反映しているのではないでしょうか。

また政府にとっても、国民が拠り所となるような歴史を感じられることは、シンガポールらしい芸術文化を新しく生み出すのと同様、国家と国民のアイデンティティを確立するためには欠かせない要素です。国家遺産局は"Old Romances"に助成した他、昨年は大学生グループが古いパン屋や串焼き屋台などを追った短編映像シリーズ"UNSEEN/UNSAID"の制作もサポートしていました。国家遺産局はこれまで、多文化社会を象徴する多様な宗教施設や植民地時代の建物を登録・保存するNational Monument事業や戦前に建設されたショップハウス群の修復と活用等を展開していましたが、ここにきて戦後の文化遺産の再評価にも動き出しているようです。確かに、歴史に残る事件の舞台となった建造物よりも、明日にも消えてしまいそうな個々人の想い出の残る「原風景」をアピールしたほうが、一人ひとりがリアルな「シンガポールらしさ」を感じ、延いては「この国に留まりたい」と思う愛国心の養成にも繋がると考えられそうです。

いずれにせよ、外国人の目にも充分に魅力的なシンガポールの「原風景」。シンガポールへお越しの際はビルの隙間に息づく隠れた名所にも目を凝らしてみてください。(齋)

【業務連絡(笑)】シンポジウムの運営で必要なこと

たまには先輩面して!運営ノウハウについて書いてみようと思います。
今回はシンポジウムの運営、
内容の企画ではなくて、当日どうやって回すかという運営の話です。

以下の内容について、
自分たちで企画する場合は全部決めてやらなきゃいけないし、
先生の企画をお手伝いする場合は、下記のどの部分をどんなふうにお手伝いするか、
先生にご相談しながら進めていく必要があります。

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 <シンポジウムの運営>

■1.企画成立時点で決めておくこと
・タイトル(テーマ)
・開催日時
・場所
・登壇者(承諾済)
・定員
・参加費の有無と金額
・開催趣旨(テーマの少し詳しい説明)
・当日の進行(タイムテーブル)

これだけ決まっていると、こんな風に開催概要としてまとめられます。
*例→ご案内「行政構造改革が芸術文化政策に与えた影響」シンポジウム (12/15 東京)‏
http://mari-semi.blogspot.jp/2012/11/1215.html

※先生方のシンポジウムのお手伝いにおいては、ここまではたいてい決まっています。
 逆に言うとここまでしか決まっていない状態で
「手伝いよろしく☆」と残りをまかされることも少なくないので、
 以下、学生諸君の腕の見せ所です。

■2.告知・広報
概要が決まったら次は告知・広報です。
そのテーマに関心がある層・当日来てもらいたい層に、どうやって情報を届けるか。
どこで告知すれば情報が届くかを考えます。
・ポスター作るならデザイン&印刷
・チラシ作るならデザイン&印刷
・雑誌・新聞への掲載を頼むなら開催概要に送り状を添えて送る
・HP、ブログ、ツイッター、SNSなど
・メーリングリスト

どこまでやるかは企画次第ですが、小林ゼミ界隈のシンポジウム開催で、
コストがかからず告知効果が高いのは、インターネットの告知です。
*例→12月15日のシンポジウムのcpnet-infoaw-mlネットTAMの掲示板への告知
そのほか研究室ML,関連学会MLあるいは事務局へのメール等が考えられます。
文面に(転載歓迎)と添えておくと更に広がりますね。

逆に、実はそんなにたくさん人が集まらなくてもいい
(本当に関心のある人少数を聴衆にじっくり聞いてもらって議論したい)場合は、
告知・広報の範囲を適宜セーブします。

■3.前日までの準備
「4.当日開始前の準備」でやることの一覧を作りつつ、
その中で「前日までにやっておく必要があることorやっておくと楽なこと」を洗い出します。

*例:12月15日のシンポジウムのやることリスト(+当日の大きな変更点の記録、名前は匿名)

↑を見てもらえればわかると思いますが、
・道具はどれを使うか決めておく
・印刷できるものは印刷しておく
・借りるものは借りておく
・買えるものは買っておく
つまりなんだかんだと慌ただしい当日の負担を減らすのに、
当日前にできることをやってしまいます。

ポイントは3つ。
・スタッフ学生全員&先生でやることリストを共有しておく
・誰が何を前日までにやるか、きちんとわかるようにして、やったら報告しあう
・全体の責任者を決めてしまう。その人がわかっていないことがないように準備を進める。

それから当日の集合時間とドレスコードについても確認しましょう。
食事時を跨ぐ場合は、パネリストの弁当手配や、スタッフの昼休みのタイミングも大事ですね。
企画によりますがスタッフ名札もあるといいですね。

■4.当日開始前の準備
だいたい当日準備(2‐3時間)でやらなくてはいけないことはこんな感じです。
もちろん、可能なら前日に済ませられると楽ですが。
・会場入り
・看板&会場までの案内やじるし設営
・受付机設置(「受付」と掲示、名簿記入用意、配布物用意、参加費支払用意等)
・配布物マスター出力&印刷
・壇上準備(名前の紙など確認、配置換えがあるときはそのシミュレーション)
・マイクテスト
・PCテスト(パネリストのデータ確認)
・パネリスト対応(飲み物用意、謝礼等事務手続き、控室準備、お出迎え等)
・非常口とトイレの場所を確認
・録音録画撮影機材の確認

手伝いの人数が多いor初対面の人が多い場合は、
あらかじめ当日の役割分担も決めて印刷して配りましょう。
参加費を集めるなら受付は3人はほしいところ、
うち1人は終了までのお金の管理の責任者になってもらいます。
印刷物も多いなら、印刷責任者を1人立てて仕切ってもらうと周りが助かります。
PCマイク音響照明空調も、操作できる人に責任者をお願いしましょう。

ポイント2つ。
・全体の責任者は、突発的事態に対応できるように、
 現場を動かず&印刷や音響のような大役を外れてフリーでいたほうがいいですね。
・これ決めてなかったどうしよう?というときは、
 全体の責任者を中心に、その場で相談しましょう。

■5.シンポジウム中にスタッフがやること
・写真撮影
・録画(やるなら)
・録音
・総合討議前の配置換え
・質疑応答があるならマイク回し
・コメント・アンケートを配るなら回収

無事にはじまってしまえばまずは一息。
撮影録画録音は機械のエラーを想定して2台体制で。
せっかくのシンポジウムをなるべくスタッフも聞けるように、
遅刻参加者の受付対応など、うまく交代してやりくりしましょう。

■6.終了後の片付けなど
・撤収
・ゲストパネリストを交えた懇親会など
撤収と懇親会の案内は同時に行われるので、
撤収を最後まで見届ける人と、先にゲストを懇親会に案内する人、適宜分担で。

■7.事後処理
・写真のデータを保存、
・録音のデータを保存、必要なら文字おこし
・アンケート結果の保存、必要なら分析
・必要ならゲストへの御礼状(録音はともかく写真は送りましょう)
・参加費を集めたなら会計処理
・文化資源学フォーラムのように報告書を出すならデータを編集、まとめ

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長々書いてきましたが、上記に抜けてることもあるかもしれませんし(?!)
参考程度に眺めつつ、
まずは実際の当日のプロセスを出来る限り具体的に想像してみてください。

「参加者が来始める…あ、あそこに案内板が必要だ」
「パネリスト登壇…あれ、机といすどうなってたっけ?」
「質疑応答ってどこでやるの?休憩前?最後?」


そうやって気づいた諸々を確認してきちんと準備しておけば、
当日にちょっとした問題が発生しても、たいてい対応できます。

(mihousagi_n)



2012年12月17日月曜日

フランス便り(6)裾野?


数週間ぶりの晴天に恵まれた(と思ったら結局一瞬だけでした)パリからこんばんは。
朝は9時くらいまで薄暗く、夜は17時にはもう暗い、しかもいつもどんよりしていて、雨が降ったりやんだり。
そんな所にいると、「冬は鬼門」とまでは言いませんが、何故ここに住む人々が夏の到来を心待ちにし、一夏限りの命かのように遊び回り日光浴し回るのかが分かる気がします。

先日、携帯電話のプリペイドのチャージをしに行った時の事。
対応してくれた感じのいい30才前後の店員さん、ついでにチャージ作業もしてくれるというので携帯を渡すと、待ち受け画面になっていたスカルの作品に反応。
「これ誰の作品?」と聞かれたので
「フランス人の若い作家さんの」と答えると
「うんそうそう、スカルと言えばDamienって感じだけど、実はフランス人もこのモチーフで作品作ってる人多いんだよねー」との事。
「はぁそうですか」とだけ言うのも何となく申し訳ないので「現代美術お好きなんですか?」と一応聞いてみると、待ってましたと言わんばかりのスピードで返事あり。
「好き好き、アート業界で働いてる友達もいるんだ。ところでペロタン(Galerie Emanuel Perrotin:マレ地区にある有名現代美術ギャラリー)には行った?」
と言われたので
「あ、はい。Kaws(アメリカ人アーティスト、現在ペロタンにて展示中)とか。。。」と言うと
おもむろに自分の携帯を取り出し
「これこれ、見て見て!」と展覧会会場写真を私に見せ始めた店員さん。
「あ、これ自分のコレクション」と満足げに小点を飾っている自室の様子を見せてくれました。
漠然とですが「この人本当に好きでこの作品を買って、それと一緒に住んでるんだなあ」と感じる良い写真でした。
結局コレクションを自慢されただけですが、店の外に出て歩きながらふとこの状況を考えてみました。
私は彼の経歴等を知らないので確実ではありませんが、彼が一般的な教育を受けて一般的な生活を送っているフランス人の1人であるとするならば、フランスのマーケットの裾野の広さを感じてしまうのでした。
あるいは彼の様に購入出来なくても、何かを見たり、それについて議論したりする事(時々脱線していますが)が自然に行われているのは興味深いです。
美術館でもギャラリーでもアートスペースでも、老若男女喋ってます。(一人でも!)

ちなみに私は、Kawsの”Imaginary Friends”よりも、同時開催中のGuy Limoneの”Espace Public”やDaniel Arsham ”STORM”の方が個人的には好みだと言う事、また「エレベーター」が好きだという事は、Kawsが好きな彼の前では言うまい、と思ったのでした。。。
(M.O)

2012年12月15日土曜日

もしも、あなたが市長だったら

もしもあなたが市長だったら。
30年後の自分の住むまちを、どんな風にしたいですか?

今日は、以前に書いた「選挙って面白い!」つながりで、
未来鎌倉市というイベントで考えたことをつらつらかきます。
http://miraijichitai.com/kamakura/
いったん興味を持つと、ソッコー行動に移すタイプです(そして冷めやすい・・・)。
私は発表の観覧者(+有権者)として行ってきました。
大町にも、参考になりそうなこともいくつかありましたし、
なんかアツくなったので、書きます。

NPO法人ドットジェイピーという、若者の投票率をあげる活動を行っている団体が主催する同イベントは、参加者(鎌倉に住んでいなくても構わない)がチームに分かれ、約1ヶ月かけて、30年後のビジョンと政策を考えるというもの。予算案も作ります。

今日私が見てきたのは、予選を勝ち抜いた3チームのプレゼンでした。投票は、観覧者の30歳以下の人が行います。それ以上の人も投票出来ますが、結果には反映されません。なので、世代間の差も分かります。
優勝チームは、鎌倉市長を含めたゲストとパネルディスカッションを行います。

3チームともとても面白かったので、最後の方で概要を紹介します。
ものっすごい情報を削っているので、伝わるかどうか不安ですが。
どこが優勝したのかは・・・
知りたい方は、コメントをお願いします。笑

3チームに共通していたのは、
「世代間の交流」が組み込まれていること。
若者と高齢者が交流しやすくなるような政策が、すべてのチームに含まれていました。
大町でも、「若者の声が見えてこない」という話がありますが、
だからといって若者だけにターゲットを絞っていいというわけではないかもしれない。
若者vs高齢者ではない。
高齢者だって大勢いる。暮らしを楽しみたいはず。
そのことを忘れてはいけないなと思いました。

もう1点感じたことは、
このあと、各自でどうするかを考えることがとても大事だということ。
このイベントに参加した方々は、準備すること自体がとても貴重な体験だったと思います。
でも、それで終わるのではなく、このあと一市民としてどう関わっていくか。
パネルディスカッションでも出ていましたが、
市が何をやってくれるのかではなく、自分が市のために何ができるのかを考える。
それを真剣に考えられるのは、
市長が実際に参加しているということが大きいのではないかと思います。

やはり、参加者としては、「これだけ考え抜いたんだから、本当に実現してほしい」
と市に期待します。
当然、市長は「頑張ります」といいます。
ここで、観覧者という「見張り」も付きましたので、
市としても実現しなければというプレッシャーもあります。
さらに、参加者は、「実現のために、今後も自分たちもできることをやっていきたい。」という思いを持ちます。
(上記のやりとりは、今日実際にあったことです)

この関係、いいな!!と思いました。
市民が市に依存したり、批判したりするのではなく、
市と市民がビジョンを共有して、オープンな協力体制を築く。

大町でも、これからの私の人生のなかでも、
そういう関係づくりのお手伝いができたらいいなあと思います。

帰省したら、ちょっと種をまいてこようかな。

=====各チームプレゼン概要=======
1.The Diversity Kamakura~外国人受け入れによる、鎌倉文化の継承と発展~
・地域連携による外国人観光客の呼び込み
・住民と外国人の顔の見えるまちづくり
・鎌倉文化継承施設の整備と維持
外国人という外の視点を組み入れ、鎌倉文化の継承と文化交流を。

2.人を、場所を、時間を、きものが紡ぐまち 鎌倉
・きもの三箇条
・きもの得区
・きものステーション
民間主導で工夫をこらし、鎌倉だからこそできる政策を。

3.円がなくても縁でつながる、鎌倉
・ちょっと助けてセーフティネット
・子育てへの地域サポート制度の確立
・「イケてる鎌倉老人」のブランディング
世代間で互いに支え合い、交流するまちに!


(sweetfish)

町並みを支える生活文化

大学院生になって日本各地の町並みを訪ねるうちに、重要伝統的建造物群保存地区のような保存状態が比較的良好な区域から少し外れた、昔日の面影を残しながらも徐々に町並みが崩れつつある区域を観察するのが、町並み歩きの醍醐味だと思うようになりました。

ということで、前稿の続きです。

青森県黒石市の町並みは、江戸時代に形成された「こみせ」とよばれる雁木が続く景観が特徴です。雁木(がんぎ)とは、通りに面した軒から庇を長く出し、その下を歩行者空間としたもので、冬に歩行者が安全に通行できるように防雪機能を果たすほか、夏の日差しや降雨を遮る役割も担うといいます。地域住民の情報交換の場でもあり、さながら現代でいうアーケードとして機能してきました。新潟県を中心に日本海側の豪雪地帯に分布しており、雪国固有の暮らしの知恵ともいわれています。


1枚目の写真は、黒石の代表的な観光スポットである「こみせ通り」を眺めたものです。これだけを見ると「はゃー、良く残っているねえ」という感想で終わってしまいそうです。だめだめ、わかってないなー。
もう少し歩いてみましょう。すると、重伝建地区を外れたところに、2枚目の写真のような景観が広がります。材質が木製から金属製に変わったとはいえ、通りから店舗部分を後退させて歩行者空間を確保している点では、伝統的な生活文化が引き継がれているように感じます。姿を変えた雁木空間といえるのではないでしょうか。こういうところに感動があるのです。
ところが、雁木空間はあくまで私有地なので、その処分は所有者の意向に委ねられています。そのため、伝統的な生活文化が失われるにつれて、3枚目の写真のように、道路境界線ぎりぎりまで店舗部分を広げる事態が起こるようになってきたと推測されます。実際、私有地であることがひとつの難点となり、各地で雁木空間の連続性が失われつつあることが報告されています。

黒石市民に対する意識調査では、「こみせは共同利用空間である」「こみせは自分のものであって自分のものではない」という根本的な意識があることが確認されたようです。「公/共/私」でいうところの「共」的空間として雁木空間が認識されてきたのでしょう。逆にいえば、このような生活文化に支えられて雁木空間が存続してきたわけです。生活文化が失われてしまえば、もはや町並みが残る保証はありません。

歴史的町並みを歩くときは、たんに町並みの外観だけに気を取られるのではなく、その町並みを支えてきた生活文化にまで想像力を働かせたいところです。

▽黒石市中町伝統的建造物群保存地区保存計画
▽雪国が育んだ雁木の再整備手法に関する調査について

(peaceful_hill)

2012年12月10日月曜日

Bukit Brown Cemetery-破壊の危機迫るシンガポールの文化資源と市民の保存活動


小さな島国、シンガポールにとって最も貴重な資源のひとつはその国土です。政府の綿密な計画に基づき整備・開発されるこの島は埋め立てによって、独立当初の約575k㎡(淡路島ぐらい)から現在約710k㎡(対馬ぐらい)にまで拡張されているといいます。国民の多くはHDBと呼ばれる高層の公営団地に住み、日常生活を送るまちなかでは開けた空き地を見つけるのも困難なほどの過密ぶり。植民地時代の重厚な建物も、低層の伝統的な長屋建築(ショップハウス)も、観光資源としての魅力を残しつつ最大限の利益が出るよう博物館や店舗、住居として保存・活用されています。しかし数々の開発の影で姿を消した建物も少なくありません。(詳しくはLily Kong "Conserving the past, creating the future : Urban Heritage in Singapore"(2011))今回は、そんなシンガポールで、今まさに破壊の危機にある文化資源Bukit Brown Cemeteryと、それを守ろうとする市民の活動をご紹介します。

ボランティアガイドに続いてジャングルに分け入ると・・・
(右手の案内は墓石の番号)
シンガポール中央部に広がるジャングルの中に、中国国外で最大規模の華人墓地・Bukit Brown Cemeteryはあります。1870年代から墓地として使用されている約0.86 km2の敷地内には10万基以上もの墓石があり、その中には島内の街道にその名を残すようなシンガポールの偉大な先人達のものも含まれています。かつては墓守と墓石職人たちが住む集落が隣接し、手入れの行き届いた場所だったそうですが、1970年代に閉鎖されて以来次第にその存在は忘れ去られ、今日では多くのシンガポール人が自分の祖先が眠っていることすら知らずに暮らしているといいます。

この忘れられた墓地が再び脚光を浴びるようになったきっかけは、政府が2013年から着手すると発表した高速道路建設計画でした。工事のため墓地の3分の1が道路となり5000基もの墓石が移転させられると知った市民は反対運動を開始。これまでに、墓地の歴史や自然の豊かさを紹介するガイドツアーや、専門家を交えての講演会を数多く開催し、参加者やFacebookを通じて活動を知った賛同者から署名や活動資金を集めてきました。こうした反対運動の急速な広がりを受け、昨年政府は計画の見直しを発表。経済発展だけでなく環境保護にも配慮するため、建設される道路の三分の一を高架にして墓石と自然環境への影響を最小限に抑える案に変更しました。しかしそれでも3746基の墓石が移転対象となり、高架の陰に隠れる生態系への影響は避けられないとして反対派市民団体は計画見直しを求めており最終的どのような形で落ち着くかはまだ分かりません。反対派は引き続き、Bukit Brownの全面保護を目指して国連人権高等弁務官事務所の文化権特別調査委員会(the Special Rapporteur in the field of cultural rights)など国外の機関にも墓地の危機を訴えています。(詳しくは、田村慶子「都市開発と市民との対話」シンガポール日本商工会議所『月報』2012年3月号参照)→反対派の訴えも空しく八車線高架式道路の建設は決定され、2014年3月現在墓石の建設予定地にある墓石の撤去作業が着々と進められています。

このような中華風の墓石が現れる
(こちらは整備済み。多くは傾いたまま草木に埋もれている)
Bukit Brown Cemeteryについては歴史的経緯や豊富な写真を市民がまとめたサイトで見ることができます。しかしこの場所の本当の魅力は現地を訪れないと分からないでしょう。出身地域によって異なる技巧を凝らした墓石の数々と、墓石と共に歳月を重ねてきた巨大な木々が立ち並ぶ光景に、ここがシンガポールのど真ん中であることを忘れてしまいそうになります。そしてこの光景を愛して止まないボランティアガイド(愛称・Brownie)が熱く語る、自らの足で調査したエピソードの数々に引き込まれ、いつしか自分も草陰に隠れたお墓を見ようと、暑さも虫刺されの痒みも忘れてジャングルを突き進んでいってしまいます。

今年6月には「Moving House(お引越し)」と題したお墓移転のドキュメンタリーの上映会にも参加しました。緑豊かな墓地に作られた豪華な墓石から掘り起こされた先祖の遺骨の行き先は、高層建築の埋葬施設にある棚の一角(日本の納骨堂のような場所)で、その環境には天と地の差があります。先日参加したツアーでBrownieの一人もこの映像を指して「自分たちシンガポール人はHDB(高層の公営住宅)で生まれ、死んだら死者のためのHDB(埋葬施設)にいく運命なんだよ」と自嘲気味に語っていました。それでも移転作業を自らの手で行える人々はいいほうで、もともと墓地の存在を知らないため、それすら行えない子孫達もいるのです。こうした状況をみると墓地を完全な形で保存したいという市民の主張にも頷けます。

Bukit Brown Cemeteryへ行ってみたいという気持ちがわいてきた皆様へ。墓地は誰でも入れる状態になっていますが、敷地が広大で自力で重要な墓石を見つけ出すのは至難の業であるため、豊富な知識をお持ちのBrownieによるガイドツアーへの参加をお勧めします。ツアーに参加をご希望の方はFacebook上の市民グループのページへお問い合わせください。またツアー情報はホームページにも掲載・更新されます。これら活発に更新されているサイトをご覧いただくと、この活動がどれだけ熱気を帯びているかお分かりいただけるかと思います。

Bukit Brownのように消滅の危機に瀕した文化資源は島内各地に眠っており、市民による再評価や保存活動が始まっています。そして、豊かになったシンガポールで育った若い世代が、経済発展一辺倒ではなく、過去の遺産や自身のルーツに繋がる活動に積極的に関わろうとしているようです。シンガポールで最も重要視されている資源は人材であり、優秀な人材の海外流出を防ぐため政府は愛国心の育成に余念がありません。しかし政府の求めるような優秀な人材を繋ぎとめるためには、あとから作った人工的な愛国心のシンボルだけでなく、個人のルーツと祖国の歴史を仲立ちするような血の通った物語が必要なのではないでしょうか。

シンガポールに関しては創造都市論に基づく戦略的な文化政策や歴史的建造物を改築した文化施設の運営などが注目されがちですが、それら政府主導の動きとは別に、一人ひとりの市民が自らの手足を動かして掘り起こし、書きとめ、その魅力を語り継いでいる文化資源があることも心のどこかに留めて置いていただければと思います。(齋)

フランス便り(5)究極の美


皆さんのブログ投稿数が回復しつつあり嬉しいM.Oです。

フランスに来て早1ヶ月。途中風邪にやられながらもなんとかやっています。
日々の小話は色々ありますが、この1ヶ月でまわった文化施設の中で特に印象に残っている展覧会を一つ紹介したいと思います。

David Michalek, Figure Studies
Le Laboratoire

芸術及びデザインと科学の出会いの場として、ハーバード大教授であり作家のDavid Edward氏によって2007年に開館したこのラボ。
15回目の「実験」として現在絶賛公開中なのが、アメリカ人アーティストDavid MichalekのFigure Studiesです。
専ら米軍が使用用途を見出していた当時のハイテク技術「ハイスピードカメラ」をいち早く芸術作品に応用したMichalek。
このカメラでNYCバレエ団員の華麗な動きを撮影した彼の代表作Slow Dancingは世界各地で投影されているので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
かのEadweard Muybridge(疾走する馬の連続写真)や Etienne-Jule Marey(鳥や人の連続写真) を想起させる彼のヒューマンロコモーションに関する作品は、どこか「科学チック(館内で流れている創作記録ビデオの中で、Michalekは上述の連続写真は実は全く「科学的」ではないが「科学チック(scientificky)」だと表現していました)」な香りが漂います。

今回のFigure Studiesはこの流れを更に展開し、踊りではなく人間の根源的な動きを、美しい衣装をまとったダンサーではなく、老若男女体型など問わずかつ全裸の人々が行う様子が記録されています。
この作品の創作にあたっては、ハーバード大の生物学者Dan Liebermanが人間の基本的な動作(座る、走る、投げる等)をバイオメカニックにカテゴライズし協力、またバレエダンサーでコレオグラファーの女性(名前失念)が振り付けに加わり美的な視点をサポートしています。
ちなみに、Dan Liebermanによると、砂の上を走る時にどのようにバランスをとるのかなど、人間の動きのメカニズムには未だに解明されていない事が沢山あるそうです。

ビデオ作品の場合、作品全てをじっくり鑑賞する人は少ないのではと思います。
かくいう私も、毎回全てを見ているわけではありませんし、どちらかというと何故かいつも時間に追われているタイプなので、苦手な部類の作品と言えるかもしれません。

ところがどっこい、このFigure Studies、 単純な数秒程度の動作が何分もかけて上映されるわけですが、とにかくとても美しかった。
人間は、長きにわたり人体の不思議とその美しさに魅了され、(神話といった体裁をとりつつも)美術作品におけるモチーフという形で昇華させてきました。
とはいえ昨今では、科学技術や生物学の発展に伴い、議論の的は専ら遺伝子レベルに移っていたと言えると思います。
そんなかつての人々の人体への熱い思い(?)が沢山つまったルーブル美術館の脇にひっそりと居を構えるこのラボで、現代の最先端技術と科学を用いて今再び人体の妙を描く作品が展示されるなんて、なんてロマンチックなのだろうか!?と興奮気味の私。
Slow Dancingがバレエダンサーの肉体美と色彩の美を味う作品だとすれば、一糸まとわぬそこらへんにいそうな人達の些細な動きを捉えたFigure Studiesは鑑賞者に様々な発見をもたらしてくれる、非常にポエティックな作品です。

全6つのスクリーンを備えた真っ暗な展示室が一つ、その脇でメイキングビデオと作家のインタビュービデオが流れているだけの小さな空間。

時間が許すならば一日中見ていたいと思えるものでした。
(M.O)