2013年10月31日木曜日

アジア諸国が文化政策を論じる意義―国際シンポジウム「2013文化的軌跡:文化治理的能動與反動」



熱心に聞き入る観客。シンポジウムは
北京語、英語、日本語で行われた。
先日台湾で行われた国際シンポジウム「2013文化的軌跡:文化治理的能動與反動(International Symposium on Cultural Trajectories: The Dynamics and Counter-dynamics of Cultural Governance)」に参加してきました。このシンポジウムは小林ゼミ卒業生のCさんが所属する国立台湾藝術大学・芸術管理文化政策研究所(Graduate School of Art Management & Cultural Policy)の博士課程の学生が中心となって毎年企画しているもので、今年は台北市と高雄市を会場に小林先生を始めとする世界各国の研究者を招いて開催されました。多種多様な発表が行われたシンポジウムを貫くテーマは、一方的な政府主導の文化政策から地域コミュニティを巻き込んだ双方向的な文化政策への変遷でした。

韓国、シンガポール、イギリス、日本、台湾のパネリスト。
国境を越えた議論とアジアにおける
理論化の必要性が再確認された。
会場の一つ、台湾南部にある港湾都市・高雄は旧植民地時代のまちなみや倉庫・金具店等を文化遺産として保全するNPO活動が成功した場所です。我々が見学した鉄道博物館として保存・修復された駅舎と路線跡や、センスのいい飲食店やライブハウスの入居する赤レンガ倉庫は若者や家族連れで賑わっていました。また、教育普及活動に力を入れてきた市立美術館と児童博物館もロビーコンサートの聴衆でいっぱいでした。その一方で、新しい高層マンションの合間に建つ古い長屋のような建物の住人や昔ながらの小さな飲食店を営む人々がアートのまちづくりから排除されていくようにも感じました。

旧市街にあるまちなみ保全NPOのオフィス。
シンポジウムの発表では台湾の客家文化を展示するミュージアムの事例や、コミュニティの生涯学習の場としての道教寺院の事例、そして原住民の文化権・文化遺産保護等が紹介されました。私自身はシンガポールの華人墓地保存運動を発表しましたが、各々が価値を見出している文化芸術の振興を訴えるだけでなく、いかにして自分たち以外のコミュニティの文化権を尊重していくかを考えるのが文化政策だと改めて感じました。

 小林先生は小金井市の文化振興条例および計画の制定のプロセスを事例に、市民参加の文化政策について講演されました。会場からはどのように市民を巻き込んでいくのか、研究者はどのような立ち位置で市民参加の文化政策に関わっていくことができるかなどといった質問が多く寄せられました。小金井市のプロジェクトは私も院生時代に関わっていましたが、この事業の肝は文化政策のあり方について声を大にして主張しない市民の意向をいかにして反映させていくかにあったことを思い出しました。「100年後のまちに何を残したいか」(小林先生)といった広い視野で文化芸術を捉えるためには、彼らとともに様々な講座やイベント、調査等を積み重ねて対話の場をつくる作業が欠かせませんでした。
日本植民地時代の鉄道跡を保全した広場。
凧揚げを楽しむ市民で賑わう。

 様々な発表を聞きながら、原住民や東南アジアからの外国人花嫁の存在がある台湾、アフリカや東欧からの移民の統合とEUとしての統合を模索するヨーロッパ、そして権威主義から対話重視の文化政策へシフトしようとしている多民族国家シンガポールなど、世界各地で他者への想像力を備えた文化政策が必要とされていることを感じました。小金井市の事例が大きな反響を呼んだように、これからは日本対欧米だけでなく、他のアジアの国々との議論がますます重要になってくることを実感したシンポジウムでした。(齋)

2013年10月29日火曜日

内輪の話(100%私的見解)

こんにちは、文化資源古株・2005年度入学6期生のmihousagi_nです。
育児休学も挟んで今年度末で晴れて満期退学、
博士論文早く出したいんだけど時間に追われる今日この頃です。

先日、
今年修士論文を提出するM2の方と研究室でおしゃべりしていて、
重要度の割に知られていない情報らしいと感じたので、ブログに書いてみることにしました。

内輪の話で恐れ入りますが、
これから文化資源を受験したい!と思う方にも、
関係ない話ではないかと思いまして。

何かというと
「文化資源学の博士課程への進学は簡単ではない」ということです。

外部からの博士課程受験者の合格者も、
研究室発足からこれまでの累計で、
片手で数える程もいなかったりしますが、
(そうした事情もあってか?学生の中には
 他所で修士号を取った後に修士課程を受験してきたダブルマスターの方もいたりします)
今回話題にしたいのは、
文化資源の修士課程から博士課程に進学を希望する、
いわゆる内部進学の場合です。

私も他の大学院をよく知らないのですが、
大学や専門分野によっては、
修士論文は中間試験的な位置づけで、
ちょっと出来が悪かったらもう1年M3をやる場合もあるけど、
希望する学生は基本そのまま博士課程に内部進学、
というところもあるみたいですね。

文化資源学研究専攻博士課程は、そうじゃないです。
少なくとも入学以来これまで、
私が大学院試を観察してきた限りでは。

もちろん年度によってバラツキはありますが、
これまで眺めてきた感覚では、
内部進学希望者のうち、
実際に審査を経て進学を認められるのは半分以下です。
特に人数の多い文化経営はその傾向が顕著です。

まったくの私見ですが、
これは文化資源に学部がない、学部生がいないことも関係しているような気がします。
学部から大学院に進学する場合に先生方がチェックするような事項が、
修士課程から博士課程に進学する時点で、改めて問われているように思えます。
こいつは自分で問題意識を持って研究を進めていけそうか、
その能力があるか、根性があるか、見込みがあるか、などなど。

要するに、修論を出せば博士に行ける、という世界ではありません。
修論の内容、端的にいえば質が問われます。

個人的には、
博士課程進学を希望する場合、
希望がかなわなかったときの身の振り方をどうするか、
全く考えずに博士課程を受験するのは無謀だと思っています。

ちなみに私は、
口頭試問から合格発表の日まで、
落ちたらどうやって就職活動をするか、
ひたすら段取りをシミュレーションしていました。
小心者なので、発表当日は、
受かったらどうする、落ちたらどうする、と
場合分けして、自分の予定を細かく計画していました…

もちろん、修士論文を撤回して留年、
もう1年M3をやって再挑戦という方法もあります。
が、文化経営でそうやって3年目で進学を決めた事例は、
これまで御一人しか知りません。
もちろん、私が知らないだけかもしれませんが…
もう1年かけたからといって、必ず受かるものでないことだけは確かです。

文化資源学研究室は、知的刺激のあふれる楽しい空間です。
修士論文は、そこで過ごした2年間(※社会人長期履修の場合は4年間)に
学んだこと、考えたことの集大成です。
文化資源生活の経験や思い出を胸に、修士号という証を持って、
次のステージに進んでいくわけです。

修士課程の次のステージとして博士課程に進学するにあたっては、
「修士課程の勉強や研究が楽しかったからこれからもここで学びたい」というだけではなく、
文化資源学という発展途上の学問の名の下に、
いっそう研鑽して研究に取り組めるかどうか、
その姿勢とか能力とか素養とか覚悟といったものが、問われているのではないかなと思います。

まだ修論提出まで1カ月ちょっとあります。
提出直前の追い詰められた1カ月は、
その分伸びしろも大きい時期です。
受験される方もそうでない方も、
全力でがんばってほしいなと思います。

修士課程入試は伸びしろ採用、
博士課程入試は根性採用だったと思うので、
博士論文では研究者として知的に評価されたいと思うmihousagi_nでした。

2013年10月24日木曜日

マスクが必要な文化遺産?

修論執筆中のはずが、何故か投稿するNです。

今行っている研究に際して、将来必ず行くことになる街、ポーランド南部のKrakówに関する話題です。この場所はたとえて言うならば「首都ワルシャワが東京、クラコフは古都京都」といったところ。

そのクラコフがこの度UNESCOの創造都市ネットワークの一つである文学都市に選出されました。
古くから学術都市であったこと(国内最古のヤギェウォ大学は1364年創設)、ノーベル文学賞受賞者が暮らしたこと(チェスワフ・ミウォシュやヴィスワヴァ・シンボルスカ)、出版や文学活動が盛んであることなどがその理由であるようです。
ちなみに私の研究対象である劇作家もこの街が国内における活動場所でした。

但し、この街は最近のある調査で「EU内で三番目に大気汚染がひどい街」と報じられた場所でもあります。問題となっているのは世界文化遺産にもなっている中心部ではなく、おそらく郊外。
南部は昔から工業地域であり、林立する工場や発電所が影響している模様。
長期的に見れば自然エネルギーへの転換が望ましいですが、それよりも現状維持の方が現実的なのだろうとも感じます。ドイツ並みの面積とはいえ、経済的にはそうではありません。
今週のゼミで先生から「ドイツから物価の安いポーランドへ、人々が国境を越えて買い物へ行く町」のことを聞いたときにそう思いました。

(N.N.)

追記:Krakówを日本語訳の慣例に従いクラコフと読むべきか、クラクフと読むべきか(óは「う」の音です)、自分の中で時々ごっちゃになります。

2013年10月20日日曜日

BeSeTo演劇祭

雨ですね。
雨の日は何だか体が重くって(無論、気圧の問題かもしれませんが^^;)、一日中家でゴロゴロしたい気持ちになります。

久しぶりです。
bangulです。

この前、BeSeTo演劇祭が始まりました。
この演劇祭は、ご存知だと思いますが、日本と韓国と中国の文化交流という枠組みで行っている演劇祭です。が、といっても東京、ソウル、北京といった各国の主要都市の頭文字で構成されていることからも推測できるように、それらの都市で活動している人々の交流であると、その上ある限られている人々の交流であると私は思っています。
http://www.beseto.jp/20th/index.html

この演劇祭が今年で20年となり、盛りたくさんのプログラムが準備されています。
特に今回は、『BeSeTo+(プラス)』というプログラムも設定、日本においては今までより広く業界の人々との交流を試みているようです。
今回のこのような動きは、私が思っていた「ある限られている」というイメージを少しでも抜けようとしている気もします。

同研究室の博士過程、金世一さんも、この試みの中で演出作品を上演いたします。
『秋雨』という作品で、2012年、韓国密陽夏公演芸術祝祭作品賞受賞作品でもあります。
http://www.beseto.jp/20th/program/plus_tokyo_prog08.html
また、韓国での演劇仲間らが来日して日本と共同作業をしている作品もあります。
http://www.beseto.jp/20th/program/plus_tokyo_prog05.html

私が直接関わる作品は、二つあります。
1)『ペール・ギュント』
http://www.beseto.jp/20th/program/tokyo_prog03.html
2)『多情という名の病』
http://www.beseto.jp/20th/program/tokyo_prog05.html

この中、特に『ペール・ギュント』は、韓国で好評を得た作品で、個人的に凄く興味を持っています。
(関連ホームページには劇団ヨハンザとなっていますが、正しくは劇団ヨヘンザです。)

この演劇祭が東京で行うのは、2010年以来3年ぶりですので、
皆さん是非、劇場へ足を運んでみては如何でしょうか。














2013年10月19日土曜日

研究対象との距離


 先日、ある社会人大学院生の方の発表を聞いて、あらためて自分の考えを整理する機会にめぐまれました。


 文化資源学専攻の社会人大学院生の多くが、職場や地域において涌きあがってきた問題意識をベースにして、大学院に進学されるケースが多いようです。私もその一人ですが、私の場合、いざ研究論文で、自分の職場の事例を分析対象とするにはあまりにも小さい物語で、論文にするには耐えませんでした。

 
 その点で行くと、上記の社会人大学院生の方は、業務で大きなプロジェクトに関わられ、文化資源学の研究対象としてとても重要な問題を含んでいる事例の当事者なので、小さな物語にしか接した事のない私にとって、うらやましい!の一言につきます。
 

 ただ一方で、発表の際にある先生が指摘されていたのですが、それゆえに対象との距離が近く、研究対象として扱う際の危険性を常に孕んでいるのもまた事実だということです。
 

 社会学等のフィールドワークを用いる学問領域では、調査者と被調査者の間の信頼関係(ラポール)を形成しながら研究が展開されていきます。しかし、研究対象に近づきすぎ、調査者がそこに同化してしまうと、オーバーラポールとなってしまい、客観的な記述ができなくなります。


 文化資源学の領域においても、多かれ少なかれ、このオーバーラポールの状態に陥り、文字としていざ表現する段階になると、研究対象の礼賛になり、論文にならない結果になりかねない危険性が常に存在するのではないかと思っています。
 

 特に私を含めて、現場で培われてきた問題意識を研究の出発点にしている社会人大学院生の場合、この陥穽にはまり込んでしまう可能性が高いように思います。そこでは、研究対象に対する問題意識が自分と近しい人々(例えば同じ職場の人)と日々接しているがゆえに、そこで見えることが真実であり、問題に対する解が身近に存在するかのような錯覚を覚えてしまいがちです。

 
 ですが、実際には一つの問題に関わる多様な視点や考え方が存在し、どんな問題でもそのすそ野は幅広いと私は考えています。そして、そのすそ野は、対象と近ければ、近いほど見えづらい。そこで問題の多面的な広がりを捉えるために、時間軸をさかのぼり(その事業の出発点から現在までの歩みなど)、空間軸を広げて(事業に直接的・間接的に関わる自分が所属するコミュニティ以外のコミュニティの動きなど)、調査をすることになるのだろうと思います。

 自戒を込めて。


 (ま)

2013年10月17日木曜日

うちは立山、銀盤、幻の瀧・・・

急に台風が熱風を連れ去って行き、北風だけが残る10月半ば、
風邪をひいております、pugrinです。

本日は、短めに今気になっている話題を。

【地域発】乾杯条例が全国各地に広がる理由(一井暁子)
http://www.huffingtonpost.jp/tsunaken/post_5899_b_4103896.html

「カンパイ!」は地酒で、
という「決まり」が全国的に普及しているようです。
(日本酒が主、焼酎やウイスキーの場合もあり)

始まりは京都市の「清酒の普及の促進に関する条例」です。
http://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/cmsfiles/contents/0000150/150907/seisyujourei.pdf

「一杯目くらい自由にさせろ」という声も上がったようですが、
条文としては末尾が「~と努めるものとする」という、
きわめて穏便かつ理念的なものでしかなく、もちろん強制力も罰則もなし。

「だったら飲んだことのないお酒いっちゃおうかな」とか
「だったらバカスカ飲むんじゃなくて味わいたいな」とか
お酒、それとともに食べるもの、その場の空気、
そして地元に関する考え方が変わるかもしれませんよね。

ただ真面目に受け取るだけではつまらない、
地元酒造組合の悲鳴とも、
地域おこしにわらをもすがりたい自治体の悲鳴ともとれるこの条例、
民間・個人ともにかなり有効活用の余地ありじゃないでしょうか。

さてさて早く熱燗で体を温めて風邪を治さなくては。

2013年10月4日金曜日

フランス便り2013 (1) 鑑賞と体験

渡仏して早1ヶ月、煩雑な事務手続きにも動じなくなった今日この頃です。

韓国の投稿ばかりでこの1ヶ月やや消息不明だったかと思いますが、結構色々な事をしていましたので、少しご紹介したいと思います。

最近やや舞台芸術づいているので、文化的活動(鑑賞者が対象)に関する情報を集めたサロン、Culture au Quai 2013-la fête des sorties culturellesに行ってきました。
Bassin de la Villetteは19区にあるパリで一番大きな人口貯水池(1808年完成)で、サンマルタン運河に繋がっています。


この貯水池を挟む形で映画館MK2 Quai de LoireとMK2 Quai de Seineが対面を成しており、この周辺は市民の憩いの場になっています。

本サロンには、250の文化団体や施設(劇場、美術館、劇団など)が参加し、今年のプログラムを広く紹介する他、ミニコンサートや小舞台、トークや子供向けアトリエ、大道芸公演などが無料で開催され、演者やその分野で活動する人達と大衆が触れ合う企画が組まれています。
9月末の週末に開催され、親子連れやカップル、友達同士で来た若者等で賑わっていました。


ふらりと出かけたら丁度即興コメディ劇団の公演に遭遇しました。
この即興劇ではコンダクター役にリードを取ってもらいながら観衆がタイトルやテーマ、場面設定等の選択に適宜参加し、そこで与えられたことに演者が対応して行きます。バックミュージックを担当する人達も即興で合わせて行きます。
今回は、アレルギー体質の飼い猫のためにスペインまで特別な観賞植物を買いに行った女性と旅先で出会った男性が謎の花屋さんで一抹の不安を感じつつも勧められた植物を買って持ち帰ったら、それは国内持ち込み禁止品種だった、というお話になりました。
屋外の仮設舞台で立ち見の中、お客さんのあたたかな反応が心地好く、こうして過ごす週末にちょっとした有り難さを感じました。
最後に普段行っている公演の案内があり、多くの人がチラシを貰って帰っていました。
この白いテントの前に仮設舞台あり

このサロンではCROUSという学生生活をサポートする国民教育省の外郭団体もブースを出しており、こちらでは様々な学生向けの文化活動情報や割引チケットを得る事が出来ます。

滞在しているパリ国際大学都市でも様々な文化活動のオファーがあり、先日はそこで申し込んで勝ち取ったチケットを手にモンパルナスにある小劇場Théâtre de Pocheに行ってきました。
開演時間前になると仕事帰りの人やカップル、年配の方など、わらわらと集まってきます。
今回鑑賞したのはFabio Marre演出・出演のTeresiaというナポリの大衆演劇に着想を得た猛烈な恋愛劇。
もともとはCommedia dell'arte(16世紀に生成した仮面を使って行う即興演劇の一形態)に登場するキャラクターであるプルチネッラとその恋人テレジーナ及びその子供の間で絶えず起こってしまう小気味良い掛け合い(やり合い)の中で、その行方を見守る観客。
赤い背もたれと座席の長椅子が無造作に配置された地下の小さな空間には特有の親密さがあり楽しいひとときを過ごす事が出来ました。

ちなみに、こちらでは鑑賞するだけでなく演じる事も身近な活動の様です。
現在通っている大学に映画の専攻があるためか、大学の文化活動センターが開講している演劇アトリエには多くの学生が参加しています。
何事も挑戦と言う事で、私も入居する寮で開催されているアトリエに参加しています。オランダ人の演劇専攻の学生がインターンシップの枠組でファシリテーターを務めるプログラムで、周りの学生の表現に毎回大笑いしたり感心したりしながら楽しんでいます。
(M.O)