2013年9月29日日曜日

韓国FWに参加して(4)


8/29
釜山に移動した韓国FW4日目。

15年前までは空軍飛行場があったセンタムシティに釜山市の財団法人が国際映画祭を盛り上げ、釜山市を国際的な映画都市にすべく建設したのが、tantakaさんの投稿にもご紹介があった映画の殿堂です。

Lさんによると、この施設の注目ポイントは、映画に関するソフト面の素地があった上でハードの整備が行われたという点。
海に接している事で経済的成長を享受して来た釜山ですが、1996年には釜山国際映画祭が始まり、映画撮影において市が優遇政策を行うなど、映画業界でも映画に関心が高い都市として以前から有名でした。
当該施設が完成した事により、海雲台に滞在するVIPにとって悩みの種であった移動の不便さが解消され、この殿堂を中心にして映画映像タウンが形成されています。
こちらの野外ステージでは定期的に釜山市民に無料で映画の上映会が提供されます。
丁度訪れた時には国際コメディフェスティバルが開催されており、各国からコメディアンが集結していた様です。
野外ステージ、レッドカーペットがひかれています

釜山名物の焼き魚を頂いた後、オプションのスパへ。
これがまた素晴らしく、男性陣もきゃっきゃきゃっきゃと楽しんでおられました。


8/30
釜山二日目のこの日は、国の町再生プロジェクト公募展で見事支援を勝ち取りアートの村となったガムチョン文化村へ。(tantakaさんの投稿もあわせてご覧下さい)

戦争の時に避難民が集まり住居を構えた(と解説の方はおっしゃっていましたが、占領下で山間部へ朝鮮人が追いやられてしまったためかと思われます)この場所では、一つの家ごとに5ー7坪程度しか無く住環境は良いとは言えません。
スラム化・高齢化(65歳が20%)した当該地域にも文化村ができる以前に企業が開発するという案が出たものの、あまりのコストパフォーマンスの悪さに手付かずでした。
各家の屋根には青い水用タンクが

全国公募プログラムが設置された際に、釜山文化観光部の「村美術プロジェクト」においてアートファクトリーが主導しプロジェクトを企画する事となり、どこの地域を対処として応募するかを決める為に釜山市内を視察し、ここを選びました。
そしてめでたく全国公募の中から釜山のガムチョンが当選し、2009年より1億ウォンの国からの援助を受けてプログラムが開始。行政区域からも金銭的支援があるそうです。
本公募プロジェクトは3年分の予算が出るため、2009年には作品を設置(参加しているのは釜山のアーティストに限る)、2010年には空き家プロジェクト(空き家に青少年が同居、犯罪多発などの問題があったため、国家規模で空き家をなくそうという動きが2010年あたりからあった)を行う傍ら、学生が参加し作品制作をしたりしました。2011年度は釜山市から資金が出て、山道の拡大による格差是正が行われ、パーキングや路地などの基盤整備が行われました。
そして1年インターバルをおいた3回目では、メインの周りの住民たち(除外されたという思いを抱いていた人たち)に対するプログラムを行う予定との事。

そもそもの村の問題点として、各家にお手洗いがないのは法的に無許可の建造物にあたるそうで、こうした課題が美術プロジェクトを通じて解決できるわけではなく、またそれを目指している訳ではないのですが、この再生プロジェクトを通じて近隣住民が享受した恩恵としては以下の様なものが挙げられるそうです。
1)訪ねてくる観光客に対応するための店ができる(今まではスーパーが一つあるぐらいだった)
2)作品設置などで工事をするので住民が職を得る
3)人が訪ねてくるので町の清掃が盛んになる
4)パーキング不足の解消
5)通じなかった路地が開通し生活が便利になる
一方で、開発により被る生活の変化も大きく、観光客の増加により生活スタイルの変化、騒音被害が深刻との事。

訪れてみての感想は、正直「?」でした。
そもそもこのプロジェクトを通じて「再生」という名の下で発生する様々な変化は近隣住民にとって本当に最善の事なのでしょうか。
建築上の不法性がどの程度深刻なのかいまいち不明ですが、それを改善したとしたらこの風景は確実に失われます。ここに住んでいる人達はどのような思いで日々の生活を送っているのでしょうか。
確かに「文化村」という名前が付き注目を集めた事で、沢山の観光客(海外からだけでなく、現地では多くの韓国人の姿を見かけました)にとっての「行ってみようか」というきっかけにはなると思いますが、実際にあの場所に足を踏み入れて痛切に感じるのは、設置されているアート作品は二の次で(正直なところ作品としての質は高くはなく、またこの場所に設置することを深く考えた作品がとても少ない印象でした)、あの土地の記憶、歴史的側面での文化財的価値であると思います。
事実、他のFW参加者に感想を聞いた所、「アートの事はよくわからないけど空間として興味深かったし、単純に風景として面白かった」という答えが返ってきました。

その後釜山中心部へ戻り訪れたのは、トタトガ創作空間です。
600年前から商業地として栄え、植民地時代には大陸への入り口として使われていおりモノの流通が盛んだった釜山中心部は、その文化の中心地でもありました。
ところが15年前から釜山市庁舎が別場所に移ったことにより静かになり、空きビルが目立つ様に。そうした歴史を踏まえて、再び芸術文化で街づくりをすべく釜山芸術教育連合体という芸術団体が当該地域に入りました。
現在、「トタトガ」事業は釜山市から支援金を得ているプロジェクトであり、市から芸術家は作業空間利用において3年間全額補助を受けています。その代わりに、市民が芸術を共有できるよう、芸術文化教育や芸術教授のためのプログラムが活発に開催されています。
また芸術家の海外交流を目指し、事業主催者である釜山芸術教育連合体が中心となって福岡でワタガタ(いったりきたり、という意味。10月にフェスティバルを行う)が行われているそうです。
入ってすぐの「40階段」は内戦時の生活の大変さのシンボルで、当時はこの階段を降りたところからずっと海だったそう。またかつて電車の出発点だった場所には線路のあとが残っていて、海でとれた品物を載せて全国へ売りに行く様子が想起されます。
釜山芸術教育連合体自体は芸術文化教育を目的として以前からあった団体で、その範囲は古典から現代美術までを含んでいます。
トタトガ事業は観光局から資金、連合体からアイディアがでて形成され、今年で4年目。最近の入居作家選考の倍率は4倍で、利用する場所については釜山市が民間のビルを借りている状態との事。

ビジュアルアーツだけでなく、建築、ジュエリーデザイン、映画、演劇、詩(詩人の為のアトリエがある)など多彩な活動を展開しており、また交流スペースとして活用されるサロンの様な所もあります。入居している作家さんも「他ジャンルの人との交流があるのが他とは違うかも」と仰っていました。
もとはオフィスだった所を改装して作った詩人のアトリエ

雑居ビルの中に点在する空間はどこも魅力的で、あたたかな雰囲気。「場所の提供」という地味だけれど必須な援助を受けて活動される作家さん達の空気感が柔らかかったのが個人的には印象に残りました。
印刷工場の密集地だった場所の記憶を浮かび上がらせるインスタレーション



「ソウルではソウル文化財団に、釜山では釜山文化財団にてお話を伺おう」というLさんの素敵な旅程に従い訪れた釜山文化財団は、2009年に設立。
韓国では1973年に文化振興基本法が制定され、文化芸術振興院があったものの、初の文化財団ができたのは15年前の事。釜山では文化財団ができる前は公務員が公平に資金を文化関連団体に分配していたものの、より専門的で戦略的なサポートを目指し、文化財団が設置されました。
一年の予算のうち71%が地域行政、18%が国、残りは財団の運用資金からでており、78%が文化事業運営費として利用されています。
(広域文化財団は日本の都や県レベルより少し大きい所、基礎文化財団は政令指定都市に設置される。文化財団に勤務するのはほぼ民間人。)
全国にある60の文化財団のうち釜山は京畿道、ソウルに続く第三位の規模で、国際文化交流と文化福祉チームをもつ唯一の財団との事。資金の3割が対アーティスト、7割が対市民に利用されているためアーティストからの反発もあるそう。
開港地釜山の文化財団のビジョンには、「海洋:解放と交流」「未来:実験的で挑戦的」「循環:都市再生と文化創作(プロシュム(生産者+消費者)、コミュニティアート、文化生態系、カルチュラルエコシステムなどと呼ばれるもの)」という3つの核がある他、日本との歴史的繋がりの深さを背景に「朝鮮通信使」というキーワードを用いて、当時行われた文化交流をアーティストの活動を通じて再現するという活動も活発に行っています。具体的には、2015年に世界記憶遺産に朝鮮通信使を登録するべく動きが活発化しているそう。
韓国の広域文化財団は施設を持たないものが一般的ですが、近年創作空間の運営が多く行われています。釜山の場合、(先述したトタトガは作ったわけではないが資金を援助している)サブカルチャー(インディーズなど)に力をいれており、釜山港にたくさんあるコンテナを利用している施設を作っています。

こちらの施設ではプロミュージシャンを公募し、施設利用料はレジデントはタダ(6ヶ月)、貸し館は500円という安さ。アーティストを積極的に支援をすることで芸術をソウルに流出させないという目的があるそうです。
また、法律で地方文化財団の立場を規定することによって地方財政の状況に依存しない継続的な活動運営戦略を据え、地域文化財団のネットワークを通じて政府に政策提言をする事を目指し活動されています。
今回案内して下さったCさんは「日本から多くを学び反面教師にしている」と仰っていましたが、こうした数々の取り組みを伺うに付け、韓国の広域文化財団はアーツカウンシルの役割を果たしているという事が明らかになりました。

M.Kさんも投稿の中で触れておられますが、Cさんの博識と熱意を目の当たりにし
釜山の文化シーンが益々発展して行くに違いないという思いを新たにしました。
その上で、私達が(今後欧米だけでなく近隣諸外国からも)どれだけの事を学びうるのか、そしてその学びを実践に移して行けるのか、まだまだ若輩ながらこの分野で学ぶ一学生としての使命感の様なものを感じたのでした。

夜にはCさんの計らいで高級お刺身レストランに連れて行って頂き、素敵な夜景を眺めながら海の幸に舌鼓を打ちました。

8/31
最終日は各自解散だったわけですが、私は飛行機の時間まで少し余裕があったので釜山の現代美術施設を幾つか見てきました。
といっても例のごとく地図が読めず迷子になり、たどり着けたのは2カ所のみ。
先日スパに行ったセンタムシティのデパートには、日本のデパートと同様に美術スペースがあります。雰囲気も日本のデパートと似た感じ。

この時はDidier Meconboniの展覧会をやっていて、プラスチック版を使った作品は勿論の事平面作品が可愛くて良かったです。
その後訪れた広く開放的な作りの釜山市美術館では、韓国の市立美術館内の連携で開催されているハ・ジュンウォン氏コレクションの特別展をやっていました。
そうこうしているうちに飛行機の時間が迫り、後ろ髪を引かれながら韓国を後にしたのでした。

韓国FWレポートにお付合い頂き有り難う御座いました。
(M.O)

2013年9月27日金曜日

うたげはいつも「アッと驚くタメゴロー」

すっかり涼しくなり、デパ地下は危険な香りの季節。
天高く馬肥ゆるpugrinです。

冬学期を目前に、18日に行われた大盛況のサロンの様子を軽くご報告。

いつも3名~6名くらいでまったりやっているサロンですが
珍しく大入りでした。


お友達づたいに、韓流スターのクァク・ヨンファンさん(写真中央の長身の男性です)も
お迎えし、知らない同士がいつの間にかうるさい位の大交流会に。
小林ゼミからも5名来て下さいました。

20代~60代の、背景も職業もまったく違う人たちが集まって、
食を挟んで知り合える空間。
誰が来るか、どんな展開になるかもわからず始まって、
それでも人が繋がっていく、その瞬間を目の当たりにするのが楽しいです。

照明は少しでも落とした方がよいのか?
食べ物はピンチョスやクラッカーが便利なのか?
話題の中心になる人がいると良いのか?
どうしたら実りあるサロンができるか、
試行錯誤しながら毎回8の日を迎えております。

M1のフォーラムでも「うたげ」を大テーマにしながら
そんな不確定要素たっぷりの時間・空間を手放さないでいる
非合理的な人間像を現在・未来に向けて照射してみたい。
個人的にはそんな風に考えています。
(まだまだ具体的には前途多難ですが・・・)

次回は28日(土曜日)、17時@渋谷文化研究室です。

https://www.facebook.com/events/1385753578325639/?ref_dashboard_filter=upcoming
是非一度いらしてくださいね。

2013年9月23日月曜日

韓国FWに参加して(3)

長々と書いていますが、是非皆さんと共有したいので出来るだけ詳しくメモしています。気長に読んで下さい。

8/28
全体のスケジュールに再び合流した3日目は、国立劇場を見学しました。
その神殿的立ち姿に既に圧倒されます・・・
1950年に国立劇団設立に伴い開館した国立劇場は、旧ソウル市議会→大邱(戦争に伴い52年に移転)→明洞の劇場(57年)と移転を繰り返し、73年に 現在の小高い丘にオープン。2004年に現在の状態に改装され、4つの劇場(太陽や星といった名が冠されています)を持っています。
2000年から責任運営制度が適用された事により民間人を団体トップに登用、当初7つあった専属団体は3つとなり、その他は独立しました。
(専属団体の選抜基準には政治的な影響もあったそうですが、公演内容による資金調達面での影響が大きく、4つの独立した団体においては国からの資金は入っているものの比較的自立度の高いプログラムを行う団体が独立。2日目に他の方々が訪れた芸術の殿堂もそれらの団体が使っているとのこと)
現在の劇場長は5期目で、以前は芸術の殿堂の館長やソウル文化財団理事を務めていらっしゃった方。責任運営制度導入により即物的成果を求める民間運営システムの功罪が議論された中、こちらの劇場長は貸し館業務をやめてシーズンシステムを導入し専属団体のみで稼働する方針を定めリーダーシップを取ってこられました。
専属で残った団体は予算割り当てが低い傾向があったそうですが、他が独立したので今年度から重点的に3団体へ資金を割り当てる予定であること、また舞台制作も全てここで行っているため経費の削減が可能となっていることもあり、持続的運営が実現されています。
責任運営制度になる前となった後の予算はあまり変わらないそうです。

空の劇場は青少年のための劇場で、自然保護地域内なので建築物の制約があり、半野外スタイルをとっているそうです。
この様なアリーナスタイルは韓国で一般的とのこと。
空の劇場内部
1563席を擁するメインステージは、日本の下請け会社が入って出来た影響もあり横が花道のように広めな多目的ステージです。
大道具の保管場所がなく、倉庫を外部に借りているが場所が足りないというのが目下の悩みだそう。
この様な施設条件のため、どの公演を行うかは舞台装置の性質に影響を受けています。例えばここでは伝統芸能の公演が多く行われるのですが、そうした公演は大掛かりな装置は不要です。
シカゴ公演期間中のメインステージ

旧国学校校舎を利用した公演芸術博物館では、韓国の公演芸術(地方の慣習的なものではなく正統なものが中心)の歴史について学ぶ事が出来、資料は19万点程保存されているそうです。


お昼ご飯に頂いたのは韓国の国民食(?)的中華料理、ジャジャン麺。
そこから同席して下さったソウル文化財団のキム・ヘボさんの計らいで、当時ソウル市長だったイ・ミョンバクのリーダーシップの下、ソウル市をあげた環境、土木、政治的事業として行われたチョンゲチョン(かつてソウルに流れていた川、近隣住民の生活用水であったものの高度発展期に一度埋め立てられた)の復元の「文化的」側面を見出すべく、その資料館に伺いました。
復元模型

解説して下さった方の土木への情熱に若干押されつつも、川の復元に見られる様に「環境」を扱ったイ・ミョンバク市政(2002-2006)、オペラハウス建設案といった大々的公共事業をベースとし「カルチャノミクス」と称されるオ・セフン市政(2006-2011)、そして「(まだ始まったばかりなので形容するのは難しいが強いて言えば)ヒューマニズム、コミュニティ共生」と言える様なパク・ウォンスン現市長の地域の創作空間創設、というソウル市の文化政策の流れがあるのだという事を学びました。

ソウル文化財団(建物は旧水道施設を使用)は2004年にイ・ミョンバク市政の下設置され、ソウル市文化政策予算の10%が割り振られており、現在4つの部局に190人が勤務しています。

そのミッションは、前述した通り市長が交代することにより大きな変化を被る訳ですが、文化政策の大元は国が作るものであるので一市のプロジェクトにもかかわらず、ソウル特別市という場所柄も加わり、国の方針に強く影響を受ける性質があるそうです。

現市長はNGO出身なので共同体を大切にしていて、メモリー・イン・ソウル(市民の声を聞き作品にして行く)を推進するなど庶民派な感じだそうですが、彼自身が文化について詳しくないのでシンクタンクに依存する部分があり、その調査報告を通じて文化活動が平均化されてしまい結果的に高級芸術も低廉化されてしまう傾向もあるとの事でした。

ソウル市文化財団の部局による活動の一つである「創作空間プロジェクト」が始まったのは2008年、レジデンスは既にあったものの、こちらは「衰退する空間の活性化」を主に目指し設置されました。
この創作空間は美術だけに限定せず広く文化を扱っており、全部で9つ(+ナムサンの施設が2つ)の創作空間が芸術創作空間本部に属しています。
創作空間推進委員会がまずそれぞれの地域について調査を行い、既に何らかの創作活動が行われていた場合(ムルレなど)にはそれを支援し、一方でコンテンツがあまりなかったところではその地域の色を活かすべく何かを導入するという形をとっています。
他方で、作家の多様な要望に応えるべくなるべく多くのジャンルをこれらの施設を通じて網羅させたという側面もあり、市としてはできるだけ多くの利用者がいることを望んでいるものの、各施設には差がある様に思われます。
ソウル市全体を管理しつつ、こうした各区の違いも理解していなくてはならないというジレンマが文化財団にはあると言います。そのジレンマを解決すべく、点在する文化施設のネットワークを構築しそれらを一括して考えることが課題になっているそうです。
この様に行政が積極的に介入をする事で起こる弊害もあり、代表的な例としては、家賃の問題があげられます。ソウル市が文化特定地区に指定した所(弘大や大学路)が家賃があがったためアーティストが流れ着いたムルレも、特定地区になった事により最近家賃に上昇傾向が見られるそうです。
キムさんが指摘して下さった通り、プロジェクトを行う上でその地域生活にも多大な変化がもたらされるという事は、必ず念頭に置かなければならない事であると思います。

という訳で、その創作空間プロジェクトの1つであるシンダン創作アーケードを見学しました。
アーケード内に設置された作品:市場で働く人達の肖像と彼らの夢(スーパーマンになりたかった、演奏家になりたかった、等)をホログラムで合わせている
詳しくはtantakaさんの投稿にもありますが、地下に下りると広がる小分けにされたアトリエ兼展示スペースは主に工芸作家が入居しています。なんと無料で入居出来るそうで、かなりの太っ腹です。
当初はソウル市の委託事業としての地域活性化としてこの事業には支援が付いていたものの、今はその仕事を民間財団に転換したため、家賃負担に関する議論もあったそうです。とは言え、ソウル市施設管理の施設を活かした事業なので公営のはず、という訳で引き続きこの家賃無料体制は続く様です。
お茶と韓国のお餅頂きながらプレゼンテーションを拝聴したのですが、ディレクターの方が終始前向きで明るい話し振りだったのが印象的でした。この地域はソウルにおける貧困層にあたるとの事でしたが、これらの活動が少しずつ芽を出して来ているという希望を持って取り組まれている様に感じました。

その後大学路にあるソウル演劇センターに伺いました。
大学路は600年前から教育区域であり、1924-74年までソウル大学があった場所。
大学の移転に伴いARKO美術館と劇場が設置され、また明洞や新林の家賃が上がったので大学路に芸術活動拠点が移転して来ると言う動きもあり、現在小劇場が沢山ある事でも有名です。
ここで初演を行い人気が出るとその劇団や公演はどんどんステップアップして行く様な、所謂「オフ」で、大学路出身で現在著名な俳優さんも多いとの事でした。
それまで劇団や小劇場が集まって宣伝する場がなかったので、ヘイファドン(現在大学路と呼ばれている地域)の元区役所に入る形で情報発信の場としてソウル演劇センターが発足、資料室も備えています。またもう一つの演劇センターには稽古ができるようにリハーサル室あり、中高生の大学路ツアーや演劇人の再教育プログラムも提供している他、劇団と企業を結ぶメセナ事業や新人役者、新人演出家の支援をやって行く予定で、ただ資金的な援助を行うだけでなく内容も支援していく事が目標だそうです。
1階の各公演のチラシが置いてあるフロアには、無数の若者達が集まっていました。情報を得に来ている人もいれば、単純にたまり場として利用している人など様々に見えましたが、こうした施設があるという事が広く知られているという状況が既に良いなぁと思いました。

夕食はまたまたTさんご推薦のお店にてご飯に韓国版お味噌汁的なものをかけて食べるもの(名前失念)を頂きました。例のごとく写真はありませんが。。。

そしてお待ちかね、オプションのミュージカル「パルレ(洗濯)」観劇へ。
Tさん、Lさんよりおすすめがあった通り、現代の都市の社会問題を織り込みつつコミカルで軽快なリズムと音楽で進んで行く本作にすっかり引き込まれてしまいました。途中で客席との交流をするような場面(詳しくは見てからのお楽しみ、以前日本でも公演をされたとの事です)もあり、笑いあり涙ありの素敵な舞台でした。

普段あまり舞台芸術に親しんでいない私ですが、生ものの芸術だからこそ感じるエネルギーのようなものがあって、これを機会にもっとこれから積極的に色々見てみたい、と思わせてくれる一時でした。
(M.O)

2013年9月19日木曜日

韓国フィールドワーク感想

韓国フィールドワーク感想

826日から31日まで、「韓国における日本語ボランティア体験とソウル大学での交流」のフィールドワークに行ってきました。

ここでは紹介しきれないほど、多くの貴重な経験ができました。
この企画に大学院生ながら参加のお声をお掛け頂けたこと、K先生に、そしてそのような恵まれた環境にいることが出来る事に感謝しています。

・日本語ボランティア体験
日本語ボランティア体験では、私のグループはチェンノ産業情報高校に行きました。ここでは、私たちのグループは日本の(1)文化遺産、(2)お祭り、(3)サブカルチャー、について発表しました。生徒のみなさんの流暢な日本語に驚いたのと、積極的な質問をしてくれたのが嬉しかったです。3限連続で授業を行った後は、学校側から出し物をして頂いて、生徒たちによる日本アニメのアフレコと、彼らの創作演劇を鑑賞しました。創作演劇の方はコンクールを控えていて、私たちに観てもらって感想をもらいたいという事でした。すごく感情移入していて、皆さんの演技が伝わるうまい演技でしたし、ストーリーもとても好きでした。そして、その後行われたコンクール、「全国学生日本語演劇大会」、では見事大賞を取ったそうで、私までとてもうれしく思いました。日本での短期研修、是非楽しんで多くの事を学んでほしいです。
また、ソウル大学とも交流を行いましたが、このように他国の学生と交流が出来た事は私にとってこのプログラムの魅力の一つでした。

・文化施設巡りなど
-       新堂創作アーケード
-       ガムチョン文化村
-       トタトガ創作空間
韓国での芸術の促進について。実施された具体例に触れて質問も出来るのはとても良い機会でした。

ガムチョン文化村


-       釜山文化財団
私の場合、特に文化政策に大変興味があるが専門としていないので、日本と韓国の文化政策、支援内容の違いの比較が出来ました。しかし、出来たと言ってもまだまだ完全に理解しているわけではないので、もっとこの部分を勉強したいと思いました。

思ったことを書くことが全然出来なかったので、また、韓国で私が経験したこのフィールドワークについて書かせてください。

このような一人で行けば決して体験することの出来ない経験を出来たのも、K先生とJさんのお蔭です。ありがとうございました。
経験したというインプットにとどまらず、せっかくの経験をどう活かすかをするのは私自身ですので、しっかりと次に繋げていきたいと思っています。
(すでにこの経験を自分の関わっているプロジェクトに活かせてきている部分もあります・・・)


Show

韓国FWに参加して(2)

書き始めると止まらずこのままだと大量の投稿になりそうな予感がしているM.Oです。

8/27
他の皆様が日本語ボランティアとソウル大学日本語専攻学生との交流を行っている中、私は一人ソウルの現代美術施設を巡りました。
まず朝から向かったのはヘイリ芸術村。
ソウルからバスで1時間程の郊外、京畿道パジュ市に突如整備されたテーマパーク的空間が現れます。

ヘイリ芸術村はアーティストたちが集まって暮らす街であり、おしゃれな雑貨屋さんやカフェ、ギャラリーや一風変わった美術館(陶磁美術館、昔の雑貨を集めた博物館、トリックアート博物館など)だけでなく、アーティストのアトリエが集結しています。更にアトリエをもつだけでなくそこで陶芸体験や料理教室などを開いている芸術家も多く、見るだけでなく実際に参加できるプログラムが人気を集めているそうです。その町並みは映画やCMの撮影にも使用されており、週末になると人でごった返すそうですが、私は平日の午前中に行った為かなり静か。それでも何組かのカップルが仲睦まじく歩いていました。
全体としてゆったりとした空間ですが、現在も拡張を続けているらしく工事がすすんでいました。あのような得意な空間に工芸を中心として集積させる事で販売や可視化の点で相乗効果が得られそうです。

一方コンテンポラリーアートという点で言うと、クムサンギャラリーという日本にも進出している韓国のギャラリーがここに居を構えたという事で気になっていました。そこを見るのが実は来訪の1番の目的だったのですが、あいにく現在は移転し跡地はミュージアムになっていました。やはり立地や客層から考えるとその場の瞬発力も重要である商売には向かないのかもしれません。
行った時間帯が悪かったのか、あまり見るべきものはなかったのですが、とにかく暑すぎたので韓国で初のパッピンスを食べて、もう一度ぐるっと一周し、昼過ぎには中央への帰路につきました。

その後江南方面へ移動し清潭洞にあるギャラリーを巡ります。
まずは、実業家であるヨ・ソンユン氏が1989年に立ち上げた基金が2010年にオープンした若手作家発信に力を入れる非営利のアートスペース「ソンユン・スペース」へ。
ちょうどYBAのジェイク&ディノス・チャップマンの個展「The Sleep of Reason」が開催中でした。イギリスらしいヒューモアで現代社会におけるモラルを切り取った作品群が十分なボリュームで展開されており、満足度の高い展覧会でした。
一階のカフェにはおしゃれなマダムや若者達がお茶をしています。
間髪入れず次へ、と思ったものの手元にあるのはギャラリーガイド冊子のかなり簡易な地図のみ(だいたいのギャラリーや美術館で無料配布しているしっかりした冊子なのですが、全て韓国語)。路地を歩き回り、漸く見つけたアラリオギャラリーは展示替えの最中でしたが、中を見せて頂きました。広々としているのは展示空間だけでなく倉庫も同様の様です。これまでやっていた展覧会はLandscape perceivedという結構ありそうなテーマで韓国人作家をフューチャーした物でした。幾つか支店を持つこのギャラリーではそれぞれにディレクターがいて個別に展覧会プログラムを組んでいるそうです。
その他、幾つか歩きながら見て回りました。
今手元に冊子が無いのでどの程度か正確な数字は不明ですが、このエリアには60件程度のコマーシャルギャラリーやアートスペースがガイドに掲載されており、「アートの新メッカ」などと呼ばれている訳ですが、行ってみると想像よりも寂しい感じでした。というのも行った時期の問題が大きく、閉まっているか展示替えをしている所が多かったためです。
ハイセンスなファッションが集積するアッパーエリアでどの様にアートが受け入れているのかが知れるかもと期待していましたが、ファッションブランドとギャラリーが同居しているビル(名前失念、ナム・ジュン・パイクのミュージアムあり)では閉店または移転してしまった所も多い様で、閑散としていました。ファッションへの感度が高い人が即アートを買い支えて行くはずという計算は、そう簡単には成り立たない様です。

仁寺洞や光化門付近にある大手ギャラリーは以前行った事があったので、今回はオルタナティブスペースを巡ります。 
1999年にアーティスト、キュレーターや批評家の非営利共同体として誕生して以来、ソウルのアーティストラン・スペースとして名高いPoolは、2010年に「オルタナティブ」という枠から更に発展すべく新たに現在の場所でArt Space Poolという名前で再始動しています。

脇道に入った民家の中にひっそりと立つスペースの中では、ソウル・リヨン・バンコクのアートスペースで三部だてで展開されていたRunning on the Borders: Inter-cultural Negotiation and Adventures of Thinkingの第1部であるキム・キョンホによる「Magic Bullet Broadcasting Network」を開催していました。韓国でのオンサイトのデータとイランでの編集後のニュースビデオが並列されるビデオインスタレーションを通じてメディアにおいて行われる異文化間の表現の違いや在り方が見えてきます。

バスに乗ってソウル北部の高級住宅街平倉洞を進み、ガナアートセンターへ。
ここは、現代美術作品の展示は勿論、隣接する建物でオークションが行われる他、セミナーや体験教室などのプログラムが開催され、韓国の伝統工芸品や挑戦時代の家具などの展示販売をする工芸部やギャラリーショップを備える芸術の複合センターです。時間が遅かったので展示は見れませんでしたが、立派な建物でした。周りにも幾つか近代美術っぽいギャラリーがあった様に思います。


Poolと並んでもう一つ有名なオルタナティブ・スペースであるLoopにはたどり着いたものの、既に閉まっていました。
その後弘大に2007年にオープンした複合文化施設KT&Gサンサンマダンへ。若者で賑わう町の中に映画、ライブホール、ギャラリー、ショップ、アカデミー、スタジオを備えており、新人の表現の場として活用されているそうです。丁度私が行った時には韓国人の生活に関する様々なデータを集めた展覧会をやっていて、自分たちの生活を客観的な数値ではかれる事が面白いと若者で賑わっていました。


同様に時間の関係で回れなかったムルレは、開発が進み商業施設が並ぶ永登浦地域において昔ながらの町工場が残る鉄工団地で、時代の転換と共に空き施設が増えたものの住環境としては物音も酷く劣悪なため、市内相場からかなり安い賃料で借りられると言うこともあり、2000年代始めから鉄工場の上階にアーティストが作業場を求めてやってくる様になった場所。こうした動きを受けて2010年にソウル市が市の創作空間事業(詳しくはソウル文化財団部分で後述)の一環で「文来芸術工場」をオープンさせました。後から「工場の人達は昼働いて夜帰って行くけどアーティストは夜働きにくるよ」という至極真っ当なお話を伺い、遅くても行けば良かったと後悔。。。

こうしてソウルを縦断し流れ着いたのは、東大門。
市場で何か美味しいものを探そうと思っていたものの、気付いたら近くにあったチムジルバン(サウナ+健康ランド的なもの)に居ました。。。
おばさんがトドの様に岩盤浴で寝ている傍で、他のおばさんたちが話に華を咲かせています。
また共有スペースではおじさんやおばさんがテレビを見ていたり、若者がグループでおしゃべりしていたりと、社交の場であるという事がわかりました。
そこでスンドゥブチゲをすすった後、再びLさんと合流し、眠らない町東大門でファッションビルを視察しました。
東大門で露天を開いている人達は地方から行商で来て明け方のバスで帰って行くような人達だそうで、各地からやってきた様々なものが安価で手に入る場所だったそうです。現在は売値が上がってしまったと専らの評判だそうですが、それでも安い、安すぎる。
Doota!というファッションビルでは、地階にまだ若いエマージングデザイナー達が所狭しと居を構え、ここにはバイヤーも視察に来るそうです。日本ではデパートに入っているブランド=ある程度名の通ったものという感覚があったので、そうした人材発掘の現場にもなっているというのは驚きでした。

渡仏を控えていたため「洋服買って荷物を増やしたくない」という思いがあり目を瞑って歩きましたが、きっとじっくり見れば面白いものが沢山あったに違いないと残念に思います。
(M.O)

2013年9月18日水曜日

韓国FWに参加して(1)

合宿後降り立ったのはお隣の国、韓国。
こちらもまたかなり刺激的でしたので、数回に分けて書いて行きたいと思います。

引率して下さったM.K先生、コーディネートして下さったLさんとTさんに改めて御礼申し上げます。

今回のソウル&釜山5泊6日のフィールドワークのタイトルは「韓国における日本語ボランティア体験とソウル大学での交流」で主に学部生向けの国際交流プログラムでしたが、その目的に「日本と韓国の文化交流の現場を知ると共に、文化によってまちづくりを行っている地域を視察する」とあるように、院生の自主参加者は専ら後者の方に関心を持って参加していらっしゃったかと思います。

8/26
仁川空港にて集合後、国際交流基金ソウル日本センターにてオリエンテーションやセンター内見学をする予定でしたが、我々の到着が遅れてしまったため、小島寛之所長より日韓の国際文化交流について簡潔な講話のみを頂き、センターのミッション等について伺いました。
国(政治・歴史認識)の問題は勿論あれど、私自身はそれはそれとして民間単位ではそこまで強く困難を感じていなかったのですが、所長の口から「こうして皆さんはこの様な状況の中でも韓国に来ようと思っていらっしゃっていて(・・・)」といったニュアンスで日韓関係の困難に関する言及が何度かあったのが印象的でした。
事実、為替の推移による影響も大きいものの、その後数日に渡り韓国に滞在していた時の印象としては、一時期日本人観光客でごった返していたというソウルの姿は落ち着きを見せていました。今では日本語のかわりに中国人観光客に対応すべく中国語を学ぶショップ店員も多いそうです。

その後すぐさま夕食会場へ移動、Tさんご推薦のプルコギを「これも大事な異文化理解」と口々に言いながら美味しく頂きました。
写真はありませんが、大量の肉を給仕の方が鉄板にどんどこ盛って下さります。

鶴岡合宿の疲れが抜けきらない私はLさんと共にマッサージを受けに夜の明洞に繰り出しました。雑居ビルに点在する危うい感じの無数のマッサージ店の中からどこに入るか選ぶのはくじ引きの様な感覚ですが、Lさんの助けもあり思いがけず良い店にあたりました。
こうして初日の夜はふけて行ったのでした。。。
(M.O)

韓国体験プログラムで見て来たこと


とても久しぶりの更新となってしまいました。

この夏休み、本当に貴重な体験をいっぱいすることができたと思っています。
少し遅くなってしまいましたが、そこで見て来たこと、感じたことを少しずつお話ししたいと思います。

まずは、韓国でのフィールドワークのことです。
今回、先生が企画された学部生の体験プログラムに参加させていただき、ソウルと釜山における文化によるまちづくりの現場を見て参りました。
ここでは、様々な文化施設、取り組みを見せていただき、また現場で活躍されている方々のお話も伺うことができました。
観光では行ったら知ることのできない側面を見ることができ、いかに文化に対する取り組みを重要視し、うまく動かす仕組みを作ろうとしているかを見ることができたと思います。

その中で、印象に残っている取り組みをいくつかお話したいと思います。

まずひとつ目は、ソウル文化財団が行なっている「新堂(シンダン)創作アーケード」です。
東大門エリアの東側にある中央市場の地下にある商店街での取り組みです。
「新堂創作アーケード」
左手に見えるのは刺身屋。
中央市場は、90年代頃までは南大門市場、東大門市場に続く3大市場と言われ、とても繁栄した地域だったそうですが、だんだんと人が来なくなってしまい、2008年くらいには地下商店街は真っ暗になってしまったそうです。
そこで、2009年にソウル文化財団の「芸術創作空間」という取り組みの一貫で、元気のなくなってしまった空間を文化で生き返らせようということで、地下商店街をリニューアルしました。
400m弱ある地下商店街には刺身店が並んでいましたが、その空き店舗を若手アーティストの創作空間として提供することで、市場の活性化を図るとともに、若手アーティストを育成することも目的とされているそうです。
若手アーティストによる作品のひとつ。
作品を制作するだけではなく、展示もしていた。
入り口のひとつ。
天井もアートで華やかにされている。
2010年のオープンのときには、市場で働く人たちとアーティストが一緒になって伝統的な漢紙を用いて提灯を作り、市場のアーケードに飾り、また、オープニングパレードとして市場で働く女性がPSYの「江南スタイル」を踊ったりしたそうです。提灯づくりをしたことで、漢紙の伝統的な技術を身につけ、それが市場の女性の内職になっているということでした。また他にも、若手アーティストが市場のお店の看板を作ったり、アーティストと市場で働く人が交流も活発に行なわれているそうでした。
市場で働く人とアーティストによる提灯。
これから市場の通路を使ったミュージカルを作ろうとしてるそうですが、この「新堂創作アーケード」における目標はアーティスト自らが運営できるようになることだとおっしゃっていました。

また、そこでソウル文化財団の方がおっしゃっていたことで特に印象に残っている言葉があります。それは「BoomとTrendがある中で、Trendがいい」ということです。Boomでは一瞬のできごとになってしまうけれど、Trendになることで流れをつくって、他に影響を及ぼすことだとおっしゃっていたと思います。


またふたつ目は、釜山にある「映画の殿堂」です。
「映画の殿堂」外観。
釜山映画国際フェスティバルのためにつくられた映像複合文化施設ですが、CINE MOUNTAIN、BIFF HILL、DOUBLE CONEの3つの建物で構成され、3つの上映館と1つの劇場、映画教育センター、屋外シアターなどがその中にありあます。基本設計はオーストリアの建築家設計事務所であるコープ・ヒンメルブラウによるもので、とても芸術的ではありますが、少し不安になるような、そんな建物でした。
外観。
屋外シアター俯瞰。
一般の人に対しても映画に関する講座を開講していたり、視聴覚室を公開してアーカイブをだれもが触れることができたり、釜山市がアジアを代表する映画・映像都市を目指しているということがとても伝わってくる施設でした。


最後は、釜山の甘川(ガムチョン)文化村です。
「甘川文化村」入り口。
甘川というのは、しばしば釜山のマチュピチュと称されるそうですが、山の斜面に家屋が並び、路地が入り組み、集落を形成しています。現在0.62㎢の中に9677人が住んでいるそうです。この地域は、戦争によって避難して来た人が住み着いた場所でありますが、スラム化しつつあったそうです。例えば、未だに共同トイレであったり、通路が整備されていなかったり、また空き家は全体の5%の210万戸を占めていたそうです。そんな中で国による「村・美術プロジェクト」に応募し2009年から、芸術家たちによるプロジェクトがスタートしました。
「甘川文化村」を見下ろした風景。
芸術家が作品を設置したり、空き家をギャラリーにしたりすることで、観光客が集まり、店舗や駐車場ができたり、通路の整備も行なわれ、また工事によって仕事も生まれ、メリットも多くありました。その反面、観光客が集まったことで、住民たちはそれまでのように生活することができなくなってしまい、平和が失われてしまったそうです。観光客は多く集まり、地域は再生されつつあるとも言えますが、テーマパークなのではなく、住む人がいるということを忘れてはいけないと思いました。
路地を見ると、住民が歩いていることがわかる。
これは私たちが見て来たものの、ほんの一部ですが、内容が濃くとても勉強になる6日間でした。研究の糧になるとともに、個人的に大好きな韓国という国の、今まで知らなかった一面を見ることができたことは本当にうれしかったです。

今回のプログラムに誘ってくださった先生、道中サポート・通訳をしてくださった先輩方、本当にありがとうございました。また、体調を整えられず、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。

最後に番外ですが、釜山の友人が連れて行ってくれた「金蓮山(クムニョンサン)」からの夜景です。
「金蓮山」から広安大橋周辺の夜景。
(tantaka)

2013年9月13日金曜日

2013年鶴岡合宿雑記

慌ただしく場所を移動していたため、すっかり投稿が遅くなってしまいましたが。。。

今年の小林ゼミ合宿は山形県鶴岡市に伺いました。
道中お世話になった皆様に改めてお礼申し上げます。
また今回の合宿を企画・運営して下さったM1の皆様にも感謝申し上げます。

皆さんの投稿を読み返していたら「そうだったなぁ」と共感する部分が多かったので、こちらでは改めて簡単に流れを振り返りつつ最後に一言感想を付す事にしたいと思います。

初日はちょっとしたサプライズに長旅の疲れを癒されつつ、鶴岡市役所職員の方々に食文化創造都市推進に関するお話を伺いました。本件に関しては官民の一体感ある意識醸成に向けて現在行政が主導で音頭をとっている段階なので、今後どのようになっていくのか期待されるところです。インターンシップとして地元の高専の学生さんが私たちのインタビューに同席されており、「なんだかわからないけれど鶴岡が好きだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。
日頃の運動不足には堪える羽黒山散策は、階段を一段一段踏みしめる毎に豊かな自然環境に自分が内包されていく感覚がありました。
汗だくのまま行った研究発表を行った後、夕食の精進料理と初日の宿を取らせて頂いた宮下坊では山伏の方のお話を伺い、今まであまり知らなかった山岳信仰と現代に生きる人々の関わり方について学びました。

朝から力餅を食べて生気を取り戻した2日目は、鶴岡市内商店街散策の後、かつて主力産業あった織物の工場をリノベーションした温かみ溢れるまちなかキネマを見学しました。
その後東北文化公益大学にて引き続き鶴岡市における民間の方の活動についてお話を伺い「庄内人気質」に触れ、その後場所をうつして研究発表を行いました。そして黒川能仕舞を拝見し、地域で芸能を受け継いで行く面白さと難しさに触れました。
恒例の懇親会で一発芸を逃れたものの、その後のカラオケ大会でゼミ生の新たな一面を垣間見る事となりました。

メイン最終日である3日目は加茂水族館にて水槽をふきふき、シュールで秀逸なキャプションの横で浮遊する美しいクラゲ達と戯れた後、南禅寺にて即身仏を拝観しました。お昼ご飯と研究発表をした農家の家ではインタビューも行い、地元の良さを鋭敏に感じている魅力的な若い世代の方達の存在を知りました。

解散後、私は夜行バスの時間までゆっくりと母屋の家で過ごしました。
虫の声と涼やかな風に触れながら、夕方にはクラシックギターの演奏会に遭遇しつつ、充実したぼーっとする時間を過ごしました。
そしてお待ちかねの夕食は星空のもと、自然の恵みと農家の方の努力の賜物をこれでもかという程頂きました。とにかく全員が口々に美味しい美味しいと言い続け、お腹の膨れと共に心まで満たされる贅沢をしました。

今回の鶴岡合宿は、前年の福井・金沢合宿とは大分違ったなぁというのが、前回の企画者の一員としての率直な感想です。
とりわけ、文化政策の成功事例を検証するような立場だったのが前回であったとすれば、今回はある地域の豊かな生活価値観に触れた様に思います。
それは何か大げさなものではなくて、日々の生活の中にも息づいている様な何かなのかもしれない、それをどの様に感じながら行動して行くかによってこれ程までに場所として魅力的になりうるのだという事を改めて思いました。


ちなみに、こちらも何人かの方が投稿している長野県大町市の原始感覚美術祭ですが、先日無事にフィナーレを迎えたそうです。
私も8月に訪問させて頂き、美術祭実行委員でもいらっしゃるアーティストの佐藤さんが自主発刊している冊子に恐れ乍ら拙文を感想記として寄稿させて頂きましたので、そちらを以て投稿とさせて頂きます。
(M.O)

2013年9月10日火曜日

ただの鑑客として、原始感覚美術祭に行ってきました

小林先生ほか研究室有志が原始感覚美術祭を訪ねた9月2日、
から、遅れること2日。

家族旅行の一環で初めての大町入りを果たし、
1日だけでしたが、原始感覚美術祭に行ってきました。
大町プロジェクトには調査では関わっていましたが、なかなか家を空けられず…

他のゼミ生のように美術祭スタッフとしては関わっていなかったので、
詳細も知らないまま、研究室にあったチラシだけを頼りに大町へ。

以下、
チラシだけを片手に大町に行った人間が、
限られた時間で原始感覚美術祭をどういうふうに鑑賞したか、の記録です。
(長いし画像も多いのでお時間のあるときに~)

・・・

車ですが、2歳児を連れての移動で、そんなに多くは回れないことはわかっていたので、
まずは、町の中心部にあって作品展示数も多かった麻倉で、
パスポートを購入して作品鑑賞することにしました。

作品もですが場所が素敵だった麻倉、右手がカフェ

麻倉カーが可愛かった

たまたま店番(倉番?)をされていた、
美術祭コーディネーターのIさんにいろいろ教えてもらい、
まずは雨の降る前に、屋外で作品数も多い海ノ口キャンプ場に向かうことに。
(Iさんの作品でもある麻倉のカフェは定休日だったのが残念。)

で、海ノ口キャンプ場。貸し切り状態、ひと気なし。
よーくみると、赤いのぼりや赤地に白抜きの矢印がちらほらっ!
「林間学校のオリエンテーリングってこんな感じだった」という探検気分。
(当方、小学校4年間は長野県育ちなのです)
この丸太も作品の一部



濡れてなかったら座って休憩もよかったなぁ
















写真に写りこんだ作品は青島左門さんの「雨と風」の一部で、
副題の「道具を使わないことから」というニュアンスが面白かったです、キャンプ場において 。
(※メモを取ってなかったので副題の表記が間違ってたらごめんなさい)

それから、Iさんお勧め「お子さんも楽しいと思いますよ~」の葦舟
慎重派の息子君は怖がって乗ってくれなかった・・・










もちろん私は乗りました






























キャンプ場の作品を探索した後、
降ったりやんだりの空模様と息子君の機嫌から、あと2か所が限界だろうという判断で、
ディレクターの杉原信幸さんの作品見たさに、海ノ口岬の田んぼへ。

海ノ口岬の田んぼ

作品に向かう道すがら
杉原信幸作品「海ノ口レイクヘンジ」から木崎湖を望む












































 「湖畔の芸術祭というのがいいね」というのは同行した身内の発言ですが、
とりわけこの作品は、
この場所にあってこその作品なんだと、全身で感じられるように思いました。
なので敢えて拙い写真は載せず…

スタッフ手伝いをしていないので、
杉原さんに直接お会いしたことはないですが、
この作品を作った方が、この地域でやっているのが、
原始感覚美術祭なんだな、と、自分の中で腑に落ちた気がします。

そして西丸震哉記念館へ。
震哉という名前は、誕生日の数日前にあった関東大震災にちなんでいるそうで、
西丸さんの同級生に複数「震」という名前の人がいたそうですよと、
館長さんが教えてくださいました。
現代からすると不思議な感覚でもあります。

作品もなんですが、
探検家なんだけど作曲もして絵も描いちゃう西丸震哉という人が面白かったです。
特に彼のイラストの線がいいね~と夫婦で意見の一致を見ました(どちらも素人ですが)。
そんな記念館の展示とコラボするように、味のある作品が展示されていました。

湖畔の基地小屋のような記念館から見える木崎湖




















本当は美麻の方にも行ってみたかったんですが、今回はここまで。

時間があればもちろん全部見れたのでしょうが、
限られた時間でたくさん見て回る・・・というよりは、
徒歩か自転車で、人間の身体の速度で、いろいろ考えながら回ると楽しい美術祭だと思いました。
そういう意味では、子連れに向いているかもしれません(笑)。

「わあ、面白いねえ」というよりは、「ああ、そうだったのか」とでもいうべきか、
作品を見たときに受ける驚きや発見が、
より自分の内側に近いところにあるような、そんな作品が多かったです。

・・・ひょっとしてそれが”原始感覚”なのでしょうか??

形式的には似ている越後妻有や瀬戸内芸術祭、別府の混浴温泉世界に行った時と比べて、
随分と内省的な鑑賞体験だったようにも思います。

だからというわけでもないんですが、
音楽や演劇もプログラムに含まれていても、
この催しは、原始感覚芸術祭ではなく、原始感覚美術祭と呼びたい気がします。
(現時点では、音楽や演劇のプログラムは鑑賞できていないんですけどね・・・)

旅の思い出にふけるmihousagi_nでした。