2014年5月26日月曜日

道後オンセナート2014

連投失礼します。少し前に帰省@愛媛したついでに、道後オンセナート2014をのぞいてきました。松山でこのようなアートイベントをみかけるのは初めての気がします。

どうやら夜の展示や公演が多いらしく、昼間は、あまり多くの人はいませんでした。(そして通り過ぎただけの私も夜の部は見られず)旅館に泊まってもらうためのはからいでしょうか。


しかし、道後温泉のまわりには、デザインされた浴衣を来たカップルや、カメラをさげた若い人たちをちらほら見かけました。





すると、旅館が突然霧にかこまれて・・!

という、ちょっと大掛かりなインスタレーションもみることができました。

隣の今治ではタオル産業がさかんなのですが、松山は、俳句・文学の町という印象なので、このようなデザインやパブリックアートの展示は目新しいなという印象を受けました。どういった経緯で始められたのか興味があります。
以上、簡単にですが報告でした。

(haruko)

学術会議のご紹介

学術会議の紹介です。日韓次世代学術フォーラムが来月末に開催されます。

私は文化・芸術の分科会で、シンガポールのアーツハウジング事業に組み込まれている劇場群についてインタビュー調査したことをベースに報告させていただきます。この事業は政府が、古い建物を、そのリユースと都市活性を目的に芸術団体に対して、賃料の1割という安価で貸し出しているものです。このような形での都市の使われなくなった建物の再利用は、シンガポールに特有の事業ではありません。

会場は大分県別府市と少し遠いですが、もしフォーラムにご関心がある方はURLをご覧下さい。

http://www.apu.ac.jp/rcaps/notice/index.php?page=article&storyid=291.html

私はもともと、西の方の出身ですが、東京に来てから九州は心理的にもずいぶん遠いところになってしまいました。報告となると気が張りますが、久しぶりに九州に行くことができとても楽しみです。 (haruko)

国立新美術館の「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる」展覧会

Mengfeiです。
この間、国立新美術館の「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる」展覧会に行ってきました。

日本記号学会の発表会の登壇者、高麗大学のキム・ソンド先生のアテンダントとして、ミュージアムに案内させていただきました。
空港からホテルに行って、荷物を預かってもらって、まっさきに先生が新美のイメージ展に行きたいと、ものすごい熱意が伝えてきました。

乃木坂駅から直接していて、先生が新美の立ち位置の便利さに感心していらっしゃったようです。
展覧会の解説バネル(とくに英語)、展示品、とアイデアに、先生がとても感銘うけていらっしゃいました。

なぜかというと、よく西洋の博物館・美術館で見られている展示手法と異なるからです。
「地域・歴史別ではなく、aetheticsがこの展覧会、中心としての陳列基準です」と最初の解説ペネルがこういっていました。
The British Museumにいっても、The Metropolitan Museum of Artにいっても、地域別が当たり前のように、
アジア、アフリカや中東などが別々のギャラリーに分かられていて、回ってみると、なぜか文化のハイラーキーが暗示されているように感じ取れます。それが、よく指摘されていた、帝国主義・西洋のまなざしから見る、Darwinistの展示手法とも言えます。こういったハイラーキー付け、分類しがちなModernist・西洋のまなざしに馴染まれて、アジアなどのミュージアムでも、こういう展示手法が多いようです。

今回のイメージ展が違う方法に挑みました。
六章、「プロローク」、「みえないもののイメージ」、「イメージの力」、「イメージとたわむれる」、「イメージの翻訳」、と「エピローグ、見出されたイメージ」というテーマ別で構成されていました。
キーワードとして、ハイブリッドの展示でした。
たとえば、第一章の「みえないもののイメージ」の中で、様々の宗教のイコンが並ばれていました。
ドイツのイエス像から、チベットのTangKa、ネパールの曼荼羅(なんと2004年に四日間で作られてた砂絵)がずらりと目の前で広がりました。
それがまさしくハイラーキーではなく、文化の共通・宗教の力が伝わってきます。

最後のところに、先生が「翻訳」という言葉に引っかかっていらしゃったようです。
先生がフランスの理論や文化に馴染んでいらっしゃって、英語との違いによく気づきます。
「Translate」という言葉、もっと広い意味で、一つの言葉から一つの言葉への訳だけではなく、文化の違いも混じってて、その訳された土地で、種がもしかして同じですけれど、撒いたあと、すこし違う芽や花が出てくるかもしれません。
一つの言語は交流を可能したツールだけではなく、それを通して、違う世界も見えてくるかもしれません。

先生と一緒に展覧会を回って、本当に刺激が多かったです。
いつも友人と都合がバラバラで、興味も違うので、一人で展覧会に行くことが多いですが。
同じものを見て、違う視点や感想を共有するのがなかなかいいということに気づきました。

最後に、このイメージ展は他のBlockbuster展との違いも見つかりました。
それが、図録しか売っていないということです。また、学生料金が500円というかなり安い値段です。
日本の展覧会、商業性が強いほうが多いです。
絵はがきからはじめグッズいつもものす〜ごく並ばれていて、いつも展覧会の後、そういう「周辺商品」のSpectacleに圧倒されます。買うとき時も多いですが。
今回はそういうことがなく、終わり方ちょっとすっきりの感じでした。
よくみれば、主催、共催、後援、協力の方々は国立民俗学博物館(行ってみたいですね)、日本文化人類学会、NHKや国立情報学研究所、と千里文化財団です。調べてみると、「千里文化財団」は 国立民族学博物館友の会です。今回企業や民間メディアが入っていないです。そのものすごく大きい柱などぜったい包装、運送料高かったでしょうね。みんな頑張っていましたね。

展覧会は6月9日までです。ご興味がある方、ぜひぜひお見逃しなく。

2014年5月25日日曜日

トークセッション「シェイクスピアは同時代人?」

昨日、新国立劇場のマンスリー・プロジェクト「シェイクスピアは同時代人?」に行ってきました。
ゲストは、現在上演中の「テンペスト」で翻訳にあたった松岡和子先生と、演出を手掛ける白井晃さん。
私が中学校時代、ほぼ空で台詞を言えた愛読書「ハムレット」は松岡訳でした。そういうわけで、松岡先生のお名前を見てすぐに申し込みました(笑)

シェイクスピア作品には、役者が感情を乗せにくく自分の血肉とするまでに時間を要する台詞が多いそう。私は一読者に過ぎないので、演じる側のそうした苦労もまた発見でした。想像していたよりずっとお洒落でお茶目な松岡先生の「役者さんには『感情が言葉から引き出されるまで待って』とお願いしているんです。『感情をつくらないで』って」という言葉が印象的でした。白井さんも、「マクベス」に出演した当時を振り返り、「稽古を始めたばかりのころは、台詞が身体に入ってこなくて苦しんだ。しかし、それがいったん自分の血肉になると、自分でも思いもよらなかった感情が引き起こされ、それがとても気持ち良くなる」とおっしゃっていました。

私自身、シェイクスピア作品を読んで「的を射たような『それらしい雰囲気』はあるものの、本当に意味があるのかないのかすら確証が持てない、そんな台詞に溢れている」と感じていました。そのため、お二方の話は私の作品理解の困難にひとつの回答を提示してくれたように思います。
確かに、時代の違い、土地の違い、その他あらゆる違いが、我々とシェイクスピアの間にはあります。そのことが台詞の真意のつかめなさの大きな要因であることは間違いありません。しかし、よく分からないけれども書かれた台詞を発してみる、そしてそれを繰り返して真剣に言葉と向き合っていくうちに、シェイクスピアが台詞に吹き込んだ感情と、自分の中にある名もなき未知の感情とが出会うのでしょう。そこで役者は、新しい自分の感情を発見することになるのですね。
演劇って、深いですね。私はお芝居なんてやったこともありませんし、観たこともほとんどありません。昨日のトークセッションに参加して、演劇にコミットしないのは勿体ない!と感じずにはいられませんでした。

最後に、本筋とは関係ありませんがシェイクスピアの「この世は舞台、人はみな役者」っていう言葉、好きです。なんだかほっとするんです。とびきり愉快で笑って泣ける喜劇を生きたいですね。

(risaia)

2014年5月24日土曜日

5/18インターゼミの感想


 今回、初めてインターゼミに参加し発表させていただきました。 

 発表の機会を与えてくださった小林先生、それから、開催の準備と運営にあたっていただいたM1の皆さん、本当にありがとうございました。 

 また、発表後や、懇親会においてコメントをくださった皆さんにも、本当に感謝しております。 

 ゼミ内における事前の発表練習会でいただいたコメントとも通じるものがあり、今後研究を進めるに当たって大きな示唆を得ることができました。 

 本番の持ち時間は1人あたり20分ということで、始まってしまえばあっという間でしたが、文化政策を学び始めて日の浅い私にとっては、東大だけでなく、他大学の方々の発表と、質疑応答を聴くことができたのは貴重でした。
(それにしても、留学生の皆さんの日本語能力の高さには脱帽です。) 

 今回のインターゼミを通じて多くの方々と知り合うことができましたので、この縁を大事にするとともに、来年は、今年聴いていただいた皆さんに恥ずかしくない発表ができるよう、さらに研鑽を積んでいきたいと思います。


(TK)

2014年5月23日金曜日

ベケットとコロッケ

先週、早稲田大学演劇博物館で開催されている、「サミュエル・ベケット展」に行ってきました。

3年前の震災直後から圧倒的なリアリティを帯びた現代劇としての『ゴドーを待ちながら』が再注目されました(福島第一原発近くの路上で行われた公演もあります)。本展はその新たな受容の流れを汲み、世界中で近年上演されたベケット劇を紹介しています。

いつかのアイルランド文学の授業で、この文学は「おしゃべり好きで」「話が円環構造で終わりがない」のが特徴だと聞いたことがあります。ベケット劇には主人公が自分自身も聞きたくないのであろう独り言を延々つぶやく作品が多く(『わたしじゃない』『クラップの最後のテープ』など)、その点において彼は最も過激で病的なアイルランド文学者といえるかもしれません。

ベケット展の一階上では『今日もコロッケ、明日もコロッケ―益田太郎冠者喜劇の大正』展が開かれていました(こちらも8月3日まで)。帝劇女優の森律子の生人形も見ることができます。

ベケットの深遠かつ親近感の持てる世界にジーンと来た直後に「コロッケ~♪」と朗らかに歌う声を聴くのは落差が大きいとも思いましたが、これも演劇に多様性があってこそ。

「コロッケの歌」(https://www.youtube.com/watch?v=aY66ixyTdZI)
「Not I」(https://www.youtube.com/watch?v=M4LDwfKxr-M)を聴きながら
(N.N)

2014年5月19日月曜日

爆音インターゼミ終了

昨日5月18日、東京芸術大学・慶応義塾大学・青山学院大学・鳥取大学のみなさんと
インターゼミを行いました。
外は五月祭、大学デビューを果たした学部生たちがはじける本郷キャンパスで
粛々とゼミをすすめるわたしたちの姿はさながら修行僧だったのではないかと思い返しております。pugrinです。

朝9時から夕方17時まで発表し通しで、外のバンド演奏をBGMに
全員へとへとになるまで頑張りましたので、
少し感想を記載いたします。(自分の反省も含めまして・・・)

①規程の時間内で発表することの大切さ
今回のインターゼミでは約10分という時間が設定されておりました。
多少早口・ゆっくりの差はあれど、あまりに詰め込みすぎていたり、
逆に説明内容がまとまっていない発表は練習ができなかったのかな?と思いました。

発表は論文とは異なるものですから、
きちんと事前に練習をしてからのぞまなくてはなりません。
その点、小林ゼミでは2回程度発表練習をする機会を設けてもらえたのが良かったと思いました。

②わかりやすい資料作りの難しさ
パワーポイントを使うかどうか、レジュメに何を記載するか、
それぞれの役割や特徴を生かしながら資料を作らなければなりません。
今回わたしはドクターの先輩から教わり、
http://www.slideshare.net/yutamorishige50/how-to-present-better
このページを参考に致しました。

文字はメイリオ、1スライド1メッセージ!
手元に配る資料は議論に使いたいことを載せましょう。


③なんでも発言・質問できる機会の尊さ
文化資源の原点もそうですが、わたしたちはみんな似て非なる研究をする人間の集まりです。
みんながみんな門外漢ですから、わからないことはすぐに聞かなければわかりませんし、
発表の場は公演会ではないので、議論が求められる場です。
質問は恥ずかしいことではなく、むしろ無言を通すことが恥ずかしいことと思います。
普段の小林ゼミや原点でたくさん鍛えてもらって、
今回、思ったことはちゃんと自分の言葉で発言することができたのが良かったと思いました。

そのあとの懇親会でもそこから話が広がったりするので、
やはり質問・コメントは大切なコミュニケーションの方法です。
お互いの研究を楽しく深めていくためにも、握手代わりにコメントをしていきたいし
自分の研究にコメントをしてくれる人を大事にして、
今後も勇気を持って発表できるようになっていこうと思っています。

ちなみにお昼は人ごみに圧迫されながら五月祭の屋台のごはんを食べました。

台湾のホットスナック◎、
ネパールの餃子○、
学部生のゆずこしょう焼きそば×、
女子サークルのフレンチトースト○

大学祭で狙うべきは留学生や女性が多く関わっている屋台である、というのが結論。

とりあえず今回はここまで。

2014年5月14日水曜日

吉祥寺からまたひとつ…(追記あり)

人生のほとんどを武蔵野市で暮らし、吉祥寺は私にとって庭のようなものでした。
そこからまたひとつ、個性が消えようとしています。


今月いっぱいで「吉祥寺バウスシアター」が閉館するのです。

「吉祥寺バウスシアター」は単館系作品もロードショーも上映し、
映画好きからも普通の人からも愛される「まちの映画館」でした。
1951年に前身の「ムサシノ映画劇場」が吉祥寺初の要が専門の映画館としてオープンし、
1984年に現在の場所に移り、「吉祥寺バウスシアター」として再スタートしました。
「吉祥寺バウスシアター」になってからは、落語の寄席を行なったり、若い人のロックの練習の場になったり、様々な企画を開催して、様々な人が集まる場所になりました。
60年以上もの間、多くの人に愛され、吉祥寺とともに過ごした貴重な存在です。

しかし、その「吉祥寺バウスシアター」も建物の老朽化や地代の高騰など、様々な理由が絡まって、運営会社は閉館という道を選びました。



吉祥寺というまちは様々な人を受け入れてきたまちだと思います。
「住みたいまち」に何年も続けてランクインし、外からの人を受け入れ、
よそ者を集め、若者がたむろし、年配の方が憩い、
多くの人がここで余暇を過ごすことのできる、そんなまちだと思います。
そして「吉祥寺バウスシアター」もまた多様な人が集まる場所でした。

まちの縮図であるかのようなこの映画館の姿は、
まるでこれからの吉祥寺の行方を見ているようで、心苦しいものがあります。

現在、映画や吉祥寺、そして「吉祥寺バウスシアター」を愛する方が協力して、
「吉祥寺バウスシアター」の存続に向けて動き出しています。
まもなくHPが開設され、本格的に始動するようですが、
その進捗状況はTwitter上で【バウスシアター再生計画】と検索すると、追うことができます。

また現在、吉祥寺バウスシアターでは通常の上映に加え、
最後の特別企画を行なっています。
その一環としてアーティスト・淺井裕介さんによる制作も現在行なわれています(~5月17日)。
私もまだ行くことができていませんが、ぜひ多くの人に吉祥寺の魅力を記憶に留めてほしいと思っています。

(追記)
淺井さんの制作については、詳しくは以下のページをご覧ください。
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2014/05/baus-closing-yusuke-asai.html
制作期間中は、館内への入場は映画を観る人のみに限られているそうですが、
6月4日(水)〜6日(金)の11:00〜13:00は無料で公開されるそうです。


(tantaka)

2014年5月13日火曜日

早替りのおかげで居眠りできない

今年で誕生141年を向かっている明治座。
長い歴史を持っている劇場にも関わらず、私は今日初めての訪問!でした。

そっか、そういえば初めての訪問なんだと自ら驚きましたが、
その理由を二つあえて言うのであれば
1.歌舞伎は国立劇場や歌舞伎座、新橋演舞場での観劇が殆ど
2.いわゆる商業演劇と呼ばれているものはあまり観劇しない
ということから、明治座には今まで足を運べなかったのではないかと、ふっと考えました。

こういった話はさておき、
今日観劇した歌舞伎は、タイトルとおりに歌舞伎の面白さの一つでもある「早替り」が存分に楽しめる『慙紅葉汗顔見勢』です。この作品は通称「伊達の十役」と呼ばれています。(私にとっても後者の方が言いやすいです^^;)

この作品は、七代目市川團十郎が登場人物十役を早替りで勤め大当たりをとったということで有名です。その後1979年に、三代目市川猿之助(現在は猿翁)が明治座において復活上演したのが現在のものです。善人と悪人、男女の十役を四十数回の早替りと「宙乗り」などの仕掛けで見せるスペクタクルな趣向は大好評を得ました。
今回取っていた席が花道の延長線上でもある、3階の席だったので、力強い男之助から仁木に替わっての宙乗りのさい、私と真正面になった染五郎さんに少しほれました。@・@

私自身、猿之助さんがこの作品を演じる実舞台は観たことはありませんが、映像を通じて何度もみるほど好きな作品のひとつでもあります。
特に、この作品の三幕目の「足利家奥殿の場」、鶴千代の乳母政岡の我が子千松を犠牲にする悲劇の物語は、何時観てもグットきますね。
私が今までみた政岡を演じた役者さんの中で最高は六代目歌右衛門です!!!
歌右衛門を思い出しながら見ていると、染五郎さんはこれからという感じはありましたが、彼の最後の挨拶の言葉にもあったように、

「歌舞伎を担っていく次世代、頑張ります!ご応援お願いします。」

歌舞伎役者さんの世代交代が行っている今、次世代こそが歌舞伎の将来であると思います。
本当に頑張っていくことを、心から祈ります。

そういえば、ゼミでも世代交代があり、2014年度はまさに次世代構成で動いています。
私も心の中から密かに。。。
(bangul)

2014年5月12日月曜日

聖地・ロケ地・GMT

だいぶ書いておりませんでした、pugrinです。

先日、OBで富山県高岡市でお勤めのTさんからおすすめいただき
『月影ベイベ』というマンガを読みました。
作者は小玉ユキさんという方で、
自身の出身地長崎をベースにした『坂道のアポロン』がヒット作です。

『月影ベイベ』は、富山県の八尾町に伝わる
「おわら」という踊りをテーマに描かれる青春ストーリーなのですが、
すごいのは綿密な現地取材と関係者監修による富山弁の表現です。

観光客向けにポスターやパンフレットで連呼される「まいどはや」(ありがとう)や
「富山に来られ」(富山にいらっしゃいよ)といった語彙だけではなく、
日常的な「~ながいちゃ」(~なんだよ)や、
「なーん」(いいえ)、「~だねか」(~じゃないですか)のような表現が
フキダシの中の文字にばっちりはまっていて、
富山市出身のわたしも自然に読むことができました。

方言の表現でいつも気にかかることは、地元の情報番組やCMでも
「誇張しすぎてうすら寒い」ことです。
例え他の地域の人には「そういうものなのかな」と思うものであっても
個人的には、「それはちょっとやりすぎでは」と思うことが多かったです。
この作品は、そうした懸念点もすんなりと飛び越えて楽しめる良作ですので、
ぜひお勧めしたいと思います。

自分の研究でも今いろいろと調べているのですが、
やはり最近はこの作品のように、特定の地域でロケーションを行う
映画・アニメ・マンガ作品が続々と増えています。

背景モデル獲得により制作スピードを上げるため、
物語のリアリティの追及、
移動コスト削減等利便性の重視、
逆にそうした動きから、官民あげての誘致活動を行う地域や
むしろ近場に眠る人材とノウハウを活用して作品を制作する地域が増えてきたことも
そのような作品増加の要因でしょう。

その結果、今日本は聖地・ロケ地の玉手箱となりつつあります。
確かに地元が全国の映画館やテレビで、広く他の地域の人の目に触れられれば、
地元住民の誇りや経済効果につながることもあると思います。

しかし、もし内容が「わざとらしい」とか「未熟・稚拙」な出来であったり、
嫌悪感を催すようなものであった場合には、
まず地元の人が敬遠してしまう事態というのもあるのではないでしょうか。
もし、安易に上記のような狙いを持って映画製作を進めるのであれば、
単なる場所貸し以上に、その内容や完成度に厳しくならなければ
ただの自己満足・自我自賛に終わってしまう可能性は否めません。

地元の人々が納得するような出来になって初めて、
全国の視聴者に提示したい、と思わせるような作品になるのではないでしょうか。

文化政策や計画の策定、文化活動の普及と同様に、最初に必要なのは
内側にいる人々の愛情ある承認なのではないか、
と思いながら今は東京から作品世界を見つめています。

2014年5月10日土曜日

個人的なデジタル情報の保存

授業での話し合いでアーカイブが話題に上ったので、デジタル媒体による個人的な記録の保存に関して、事例紹介的なものと個人的な雑感と。

カレントアウェアネスの記事で個人のデジタル資料の保存に関する米国議会図書館の取り組みが紹介されています:

米国議会図書館、個人の資料保存にアドバイスをする「パーソナル・アーカイビング・デー」を開催(Posted 2010421日)http://current.ndl.go.jp/node/16135

米国議会図書館(LC)、個人でのデジタル情報保存の際に役立つリソース等をまとめたウェブページを公開(Posted 2012221日)http://current.ndl.go.jp/node/20215

ホリデーシーズン到来 - 思い出のデジタル写真の保存は確実に:LC10のヒントを紹介(Posted 2013123日)http://current.ndl.go.jp/node/24992

個人のパーソナル・デジタル・アーカイビングと図書館の役割について、NDIIPP等が情報収集(Posted 2014410日)http://current.ndl.go.jp/node/25902

ここにあげたような記事を読むと色々と考えてしまいます。
個人がデジタル媒体で記録した写真やビデオ、録音物などはどれくらいきちんと整理されて保存されているものなのでしょうか。保存先やバックアップを考えたり、保存媒体や再生機器が変更されても記録していたものを再生できるように定期的に媒体を変更したりしている人はどれくらいいるのでしょうか。紙やフィルムはかさばるからデジタルで保存したら便利、とただそれだけでデジタルで記録して、そのままにしてはいないでしょうか。デジタルの永続性はどの程度保証されているものなのでしょうか。保存媒体や再生機器の変更によって記録していたものが使えなくなること、誤った操作や保存環境の変化でデータが消えてしまう可能性があること、デジタルにも欠点があることはどれくらい認識されているのでしょうか。
もちろんデジタルに利点はありますし、紙や他の媒体も保存環境が悪ければ劣化して利用不可能になることはあるのですが、なんとなく、デジタルに保存しておけばとりあえず大丈夫だろう、と考えている人は案外多いのかな、と最近いろいろと見ていて思ったりしました。実際どうなのかはわかりませんが。

他にも、関連するカレントアウェアネスの記事として:

個人のデジタル情報保存を支援するニューカナーン公共図書館:LCが担当者へのインタビュー記事を掲載(Posted 2013918日)http://current.ndl.go.jp/node/24392

というものもあります。カレントアウェアネスでの紹介文を引用すると:

記事では、インタビュー本文に先立ち、公共図書館においては、デジタルリテラシーというと、主にコンピュータやインターネットの利用をさすが、その他の面として、デジタル情報がアクセスできなくなりやすいことや、それを防ぐことができることを理解するという側面もあるとの指摘がなされています。

と書かれています。
なんとなくデジタル技術を使いこなせてしまっている人は、他の技術や媒体と同じような感覚で認識していて、そこに含まれている問題を意識化しにくいのかな、とぼんやりと思ったりします。そのような部分を意識化すること、そのための知識が何らかの方法で提供されること、というのが必要とされているのかもしれません。

(ne)

2014年5月6日火曜日

東京都美術館のトークを聞きに行ってきました。

Mengfeiです。

子供の日に、上野にある東京都美術館に行ってきました。
『キュッパのはくぶつかん』という絵本の原作者、ノルウェー人のオーシルさんのトークを聞きに行きました。
イベントの情報はこちらからご覧ください:http://www.tobikan.jp/learn/lecture.html
ホールから見えるイベント案内と後ろにあるミュージアム・ショップ 
『キュッパのはくぶつかん』は現在携わっている上野・本郷文化情報活用プロジェクトで、都美のスターフの紹介によって、出会いました。原作はノルウェーで刊行され、日本語版は福音館書店から出版されています。
主人子キュッパ(ノルウェー語で丸太という意味)は丸太の男の子です。
キュッパは森でいろいろなものを集めて、その後、ミュージアムを立って、自分なりに展示や広報、図録記録、アート作り、また「アート」というのは何かを考え、一連の試みから、ミュージアムの活動も一目瞭然に。絵本に欠かせない、友情や家族愛、また社会教育(トイレは順番でならばなければならない)などのエレメントも取り入れられ、すごくかわいらしい絵本です。
会場風景
その原作者さんのトークは「とびらプロジェクト」という、都美と東京藝術大学の連携事業の一環として開催されました。
「とびらプロジェクト」サイトはこちらです:http://tobira-project.info
このプロジェクトのなかで、様々な鑑賞会や建築ツアーなどを行っています。一つは子供向けの「あいうえのmuseum start」というプロジェクトです。ページはこちらご覧ください:http://museum-start.jp。子供に上野にあるいくつのミュージアムに行って、自分で作品なども考えてもらって、スタンプなども集められる活動です。今年の夏から、また「ティーンズ学芸員」というプログラムが開催予定です。子供に早い段階でミュージアムに出会って、自分自身で展覧会を企画する機会をあたえて、「Museum Literacy」を養うのが狙いです。このプログラムにキャッパの話もけっこうあいますね。

またトークの話に戻りますが。原作者のオーシルさんはトークで自分がイラストレーターになったきっかけなどを話していました。自分がvisual personで、あんまり本を読まず、画家のお父さんと、同じく絵本のイラストレーターのお姉さんから影響受け、ものを視覚的に鑑賞、体験するのが好きだそうです。また、故郷のベルゲンという町(ノルウェー第二大都市)からも、キュッパの創作インスピレーションを多く受けたらしいです。その町では、家が可愛らしく坂に並んでいて、森もすごく近くにあって、キュッパがこんなところに生まれたのもなんとなく分かりますね。いつかノルウェーに行ってみたいです。

グッズの話ですが。
都美術館のショップいつもおしゃれだなと思います。今回、キュッパコーナーもできていて、絵はがきからタオルまで売られていて、これから、もっと日本のみなさまに出会わせ、愛されるかなと思います。今、ミュージアムにはショップが欠かせないことにもまた改めて気づきました。

帰るまえに、修論のため、1Fにある美術情報室によってみました。
木材の内装で、落ち着いた雰囲気で、芸術関係の本もたくさんあって、結構気に入ります。

それでは、また次回で。
どうぞ よろしくお願いいたします。

2014年5月4日日曜日

地球ことば村 ことばのサロン

昨日「NPO法人地球ことば村」が月に一度開催している「ことばのサロン」に参加してきました。
【アーユルヴェーダ系医療のフィールドワークから見える村落生活でのことばのあり方について】という強面な題目でしたが、言葉についてやりたいと公言している手前、手当たり次第参加しちゃえ!という気持ちで突入しました(笑)
講師:梅村絢美さん(京都大学人文科学研究所)

行ってみると【スリランカの伝承医療における「語らない」診療から言葉と「かけがえのなさ」を考える】という少し取っつきやすいテーマに変更されていました。
スリランカの伝承医療の診察では、日本では当たり前の「どうされましたか?」という問診がないそうです。
患者は医師に症状を述べません。その代わりに医師は患者の脈をとり、アドバイスを行い薬を処方します。
これらは、「発話の忌避」や「言語表象の拒絶」によるものだと梅村氏は分析しています。
「発話の忌避」とは、症状を口にしてしまうと余計に悪化する、ということで「病は気から」に近いかもしれません。
「言語表象の拒絶」とは、この時、この場所で、他ならぬこの私が病んでいるという状態はかけがえのない経験であり、言葉で一般化して表すことのできるものではない、ということです。
また、この伝承医療には名前がなく、敢えて言葉にするなら「○○さんの医療行為」「○○村の医療行為」といった表現しか出来ません。

言葉でもって症状を医師に伝えることに慣れた私たちにとって興味深い事象です。
ただ勿論、スリランカにも西洋医療が導入されています。
近代化の波に押されて、このスリランカ古来の医療は衰退していってしまうのではと危惧してしまいます。
西洋医療は科学的で合理的であり、伝承医療を圧倒するに足ると思えるからです。
しかし梅村氏によると、西洋医療、アーユルヴェーダ、伝承医療は場面によって使い分けられているようです。
即効性が求められる場合には西洋医療、気長に治療できるような症状には伝承医療、など。
そうだとすると、伝承医療は独自の地位を確立していて、差し迫って存亡の危機にあるというわけではなさそうです。
なんだか少し安心しました(笑)

スリランカのこうした医療行為も、ひとつの文化だと思います。
科学の合理性に屈することなく、これからも残っていってほしいと感じました。

(risaia)

2014年5月3日土曜日

合併の善し悪しとは

こんにちは、MKです。またNHK番組の話です。
4/30 19:30〜20:00のクローズアップ現代http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3492_all.html
にて、合併の話が出ていました。ゲストは新藤宗幸氏(後藤・安田記念東京都市研究所常務理事)です。
私自身、約10年前に合併した市に住んでいますので興味津々で見入っていたのですが、そこでは4つの地方自治体が紹介されていました。まずは、事例の簡単な紹介から入ります。(詳しい話を知りたいは、全スクリプトが載っている上記のHPをご覧ください。)
《失敗例》
⚪︎篠山市(兵庫)
地方交付税の優遇措置、合併特例債に期待を寄せて老朽化した施設の建て替え(斎場、ゴミ処理場の統一)をするために合併するも、元々の地方自治体ごとに無駄なもの(市民センター、温泉、図書館、博物館)を建ててしまったために財政難に陥っている。
人口も税収も増えるという甘い見通しがあったのだが合併3年後には人口が減少し、さらに交付税の減額で苦しんでいる。

⚪︎佐伯市(大分)
合併しても、分散して8つあった役場を支所として残しているので費用がかさむ。
南海トラフが心配な地域なので、そこまでサービスを効率化できない。

《成功例》
⚪︎三豊市(香川)
100億の交付税が4年後には60億に減らされることを見越し、「まちづくり推進隊」をつくる。(「まちづくり推進隊」とは業務の殆どを退職した人々によって構成される有料ボランティア。この団体は、事務だけではなく自治会や防犯、交通安全運動にあたっている。運営は「住民の裁量」)
→これによって2億の人件費を削減。
市長の話のキーワード「分権の受け皿としての役割」

《もう一つの成功例・合併しない例》
⚪︎矢祭町(福島)
敢えて合併しない道を選択
3割人件費をカットするため、職員は掃除も自分たちで行う
「もったいない図書館」:44万冊の蔵書を全て寄付で賄う。新聞も役場で朝読まれたもの。
…しかし!
子育て支援に3億を投じている。住民が子育てにかける費用は周辺自治体の半額。
第三子には祝い金として100万が送られる。
「何が地域のニーズにあっているのか」

新藤氏は矢祭町の取り組みを評価し、多世代が住む自治体が理想的であることを指摘していました。さらに、「地方自治」の意味を問い直すべきと締めくくっていたのですが私はそこで、今更ながらハッとさせられる思いをしました。というのも、地方自治という言葉こそ知っていても今まで「自治」という言葉の意味について深く考えていなかったことに
気づいたからです。「どうぜ自治とは言っても名前だけ…」と思っていたのですが、そうではないのですよね。
以前投稿した「わが町の大逆転」では住民が自分たちの町に否定的な意見を持っているところが放送されていました。それに比べて、「まちづくり推進隊」や行政職員の顔が生き生きしていることは印象的だった、《成功例》三豊市と矢祭町の住民の話を直接聞いてみたくなりました。もちろん番組には、良い感想を述べる住民のみが出てきていましたが、意外と「わが町」の住人と同じ感想で、行政の取り組みを知らない人が多いかもしれません。

※ついでにもう一点、篠山市の事例の時に、いかにも「博物館など文化施設が作られてしまったがために財政が立ち行かなくなった」という取り上げ方だったような印象を受けました。(考えすぎかもしれませんが) それよりも、どちらかというとそのハコモノたちの作り方が、あまりに計画的でなかったことの方に重点をおいて報道して欲しかったです。「だから文化施設って無駄だよね」というような感想を持たれるのはよろしくないですし…

2014年5月2日金曜日

はじめまして。


今年度から小林ゼミに参加します。
ブログでの登場が、みなさんよりかなり遅れをとってしまいましたが、これからどうぞよろしくお願いします。

先日、ある方のお葬式に参列してきました。101歳の大往生。私が企画制作した演劇公演に出演してくれた女性です。初演は約5年前、当時95歳の初舞台でした。

この舞台は、劇場が地域の人々に親しまれる回路づくり、その手法を開発することを目指して企画しました。新鋭演出家(20代)と公募で集まった地域の70歳以上の方々が出会い、対話を中心としたワークショップをもとに、ひとつの舞台を創り上げるというものでした。出演者は、実際にその70歳以上の方々。プロの俳優や若い世代との舞台づくりの現場とは異なり、言葉の選び方、スケジューリング、演出家と出演者のギャップなど、ひとつひとつ気をつかい確かめながら、悩み悩み悩み悩み悩み進めました。演出家も出演者もスタッフも大変だったかと。
そして、最終的に行った公演は、それぞれの歩んで来た人生の豊かさが重層的に描かれ、素敵なものとなりました。

そんな公演を一緒に創った方のお葬式。最後の娘さんによる喪主挨拶のなかで、この舞台出演のことに触れてくださり、感激していると、なんと!棺桶のなかにも、彼女が大切に胸に抱くような形で、その公演の台本がおさめられていました。

舞台の現場とこれから始まる研究との往還のなかで、もっともっといろんなことを試行&思考していかねばと決意しつつ、一緒に過ごした時間を思い出しながら帰りました。
(az)

追記:
先日、東京都写真美術館で「黒部と槍 冠松次郎と穂苅三寿雄」という山岳写真の展覧会を見に行ってきました。あまり前知識なく行ったのですが、小林ゼミで関わっていく「長野県大町市」の写真がありました。まだ未踏の地に想像が広がります。写真展は5月6日まで。






2014年5月1日木曜日

文献紹介

文化的な活動に日常的に関わりに行くような人間ではなく訪問記のようなものは書けないので、またしても文献紹介です。
(個人的には、どのような誘因があれば日常的にそういう場所に出向くようになるものなのか少し不思議だったりします)。

ボーン・デジタル資料(最初からデジタル媒体で制作された資料)の収集に関する報告書の紹介です。

Gabriela Redwine, Megan Barnard, Kate Donovan, Erika Farr, Michael Forstrom, Will Hansen, Jeremy Leighton John, Nancy Kuhl, Seth Shaw, and Susan Thomas. Born Digital: Guidance for Donors, Dealers, and Archival Repositories. Council on Library and Information Resources, 2013.

アブストラクトはこちら:http://www.clir.org/pubs/reports/pub159
カレントアウェアネスの関連記事:http://current.ndl.go.jp/node/24725http://current.ndl.go.jp/e1507
「みんなの翻訳」というサイトで日本語訳が2分割で公開されています。

以下、日本語訳をもとに。
報告書本文では、デジタルメディアやデジタルファイルのようなデジタル媒体で作成された資料が、寄贈や購入によりアーカイブなどの機関に収蔵される際に、提供者や取扱業者、アーカイブのレポジトリが考慮するべき事柄について整理されています。
提供者と取扱業者に対する推奨事項と、アーカイブのレポジトリへの推奨事項とが示され、収集のときに考慮すべき事柄やプライバシーと知的財産権の問題、収集範囲や移管方法、資料の取り扱い、物理的状態の記録などの問題が取り上げられています。
付録には、予期せぬ出来事に備えるための推奨事項の一覧や、提供者と取扱業者に対する推奨事項のチェックリストと、レポジトリへの推奨事項のチェックリストなどが載っています。

例えば最近、

MSN産経ニュース 『“世紀の大発見フロッピーから「お宝」アート 30年前にウォーホルがPCで描く』 2014.4.26 11:24

という報道がありました。
現代美術関係の美術館などでは、デジタル媒体で制作された資料を取り扱うこともあると思いますし、図書館や文書館でデジタル資料を扱うこともあるでしょう。
デジタル資料そのものは技術の変化により仕様などが変わる可能性がありますが、報告書で示されている収集の際に生じうる問題などは、そのような変化を経た後でも常に考慮するべき事柄ではないかと思います。


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ふじのくに⇄せかい演劇祭2014

毎年この時期になると、私は静岡(正確には東静岡)へ行きます。
それは、SPAC(静岡県舞台芸術センター)主催で行われる「ふじのくに⇄せかい演劇祭」が行われるからです。
2000年から毎年「Shizuoka春の芸術祭」という名称で行いましたが、2011年からは「ふじのくに⇄せかい演劇祭」として名称をかえます。名称をかえ4年目になった未だに、私は「春の芸術祭」と言っています。慣れている何かから抜け出すことはなかなか難しいですね。^^;

さて本論に戻り、
今年ふじのくに⇄せかい演劇祭の参加作品であるSPACの『マハーバーラタ』と、昨年の参加作であるSPACの『室内』が、今年アヴィニョン演劇祭の公式プログラムに招聘されたというSPACからの良いニュースもあり、演劇祭を楽しみにしていましたが、今回は経済的&日程的に合えず、一日しか行けない状況で、大変残念に思っています。(普段は少なくても2回は東京⇔静岡を往復しますが、、、)


私が観た作品は二つ。
『ジャン×Keitaの隊長退屈男』と『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』です。
前者は一人芝居で、後者は体験型演劇でした。
特に、後者の方はSPACではなく、静岡県職員会館もくせい会館でしたので、また一つ新しい経験を得ました。

韓国では役者さんをよく「巫女」に比喩して言及していますが、
上演時間1時間半の一人芝居だった『ジャン×Keitaの隊長退屈男』を観ながら、久しぶりに「俳優」と「巫女」について考えました。
その場の雰囲気を握って、一瞬も観客に負けない、全てをリードしている彼(Mさん)こそが巫女であると。。。

昼食が、SAにて吉野家で十割そばだったので、
夕食は少し豪華な?ラーメンにして、続いて観劇を。

スペインバルセロナからやって来た、テアトロ・デ・ロス・センティードスの『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』は、新感覚の体験型パフォーマンスでした。
今まで何回も体験型演劇に参加/観劇したことがありますが、このパフォーマンスは、なんと「目隠し」をして出発し、パフォーマンスの半分ぐらいは眩みの中、感覚(視覚を除いた)だけにたよりながら楽しめるものでした。目をつぶるとこんなに他の感覚が広がるって、頭の中では想像していたものの、実際に経験してみるとびっくりですね。

帰り道には、沼津あたりで温泉に入り、一休み。
(bangul)