2012年11月29日木曜日

新日系人に日本語を教える


 「新日系人」という言葉をご存知でしょうか。第二次大戦前、フィリピンには日本から多くの人が出稼ぎにきていて、麻の栽培や土木工事などに従事していました。ミンダナオ島のダバオには、当時2万人もの日本人が働いていたともいわれています。彼らのなかにはフィリピンに根を下ろし、現地で家族をもつ人たちも多く、その結果フィリピンには相当数の日系人がいます。
 これに対して、戦後の日系人を指す「新日系人」という呼び方があります。とくに1980年代から急増した、フィリピンから日本に渡ったフィリピン人女性と日本人男性との間に生まれた子ども、あるいは、フィリピンに来た日本人男性が現地人女性との間にもうけた子どもを指します。別名「ジャピーノ」と呼ばれることもありますが、「ジャパゆきさん」と同様、ある種のネガティブなニュアンスが込められた言葉です。

 いま私は、新日系人を支援するNPOで、日本語を教えるボランティアをしています。彼らの父親は日本人ですが、一緒に暮らしてはいません。このNPOでは、新日系人の実の父親を探し、実子として認知してもらい、日本国籍を取得し、新日系人とその母親(保護者として)が日本で就労できるよう就職先をマッチングする、そして彼らの渡航前に日本語を200250時間教える、という活動をしています。私が教えているのは20歳から27歳の女性。みんな日本へのビザ申請中です。
 驚くほど熱心で、宿題は必ずやってくるし、なかには無遅刻無欠席の人もいます。日本行きが見えているだけに、モチベーションが高いのです。彼らが日本に行ってから、少しでも言葉の面で苦労しないようにしなければと、かなりのプレッシャーを感じながら毎回授業をしていますが、一生懸命な彼らの顔を見ていると、もうそれだけで胸がいっぱいになり逃げられないと思います。
 今日の授業の最初のテーマは「私の家族」。自分の家族の言い方と他人の家族の言い方を区別することが目標なのですが、彼らの紹介する家族構成が複雑なこと・・・。「先生、stepfatherは日本語で何といいますか?」「血のつながっていない兄弟は?」などの質問を受けると複雑な気持ちになります。
 その次の課題は、「〜でしょう」という未来型を使った練習。おみくじを小道具に用い、「大吉」「中吉」「末吉」の札に、何かポジティブなことを、この文型を使って書いてみる、というものです。ある「大吉」の札に書いてあったのは、「日本へのビザがおりるでしょう」。それをひきあてた彼女は、まさに満面の笑みでした。
 
 新日系人は現在10万人以上が確認され、実態は数十万人にのぼるとも言われています。彼らのなかには、より幸せな生活を求めて、日本行きを心待ちにしている人たちがいます。日本での仕事は、たいがいグループ・ホームでの介護の仕事。現場は恐らく厳しいことでしょうが、少しでも彼らが希望をもって生きていけるよう願うばかりです。

(M@Manila)

「シンガポールらしさ」の創造は可能か?T.H.E Dance Company の挑戦

以前シンガポールのギャラリー集合施設を紹介した際、観客が脱ぎ散らかした履物と見紛うインスタレーション作品の写真を掲載しましたが、上の写真は作品ではなく本物の観客の靴です。

シンガポールの文化政策は文化施設や助成制度などの一通りのインフラ整備を終え、シンガポールならではの「中身」を生み出す段階に突入しています。そこで問題となってくるのが「シンガポールらしさ」。国家としての歴史が短く、多様な文化的背景を持った人々が暮らすこの国では、「これぞMade in Singaporeの芸術文化!」と胸を張って言える表現がまだ確立されていません。今回は「シンガポールらしさ」を追求する、シンガポールのダンスカンパニーをご紹介します。

昨日は様々な芸術団体が入居するGoodman Arts Center(GAC)という廃校を利用したスペースで行われたT.H.E Dance Companyの公開リハーサルを見学してきました。上の写真は、リハーサルに訪れた観客が脱いだ靴です。観客は学生と思しき若い女の子が多く、GACに入居するほかの芸術団体のスタッフも何人か来ていました。

T.H.E.はKuik Swee Boon(芸術監督兼振付家)が2008年に立ち上げたシンガポールを代表するコンテンポラリーダンスのカンパニーです。設立者のKuikはスペインのCompania Nacional de Danzaでプリンシパルを務め、1991年からはシンガポールのバレエ団・Singapore Dance Theater(SDT)でもプリンシパルとして踊った経験の持ち主で、2007年にはアーツカウンシルからYoung Artist Awardを授与されています。

T.H.E.では西洋の技術を基盤にシンガポールの風土や社会状況を反映させたThe Human Expression(=T.H.E.)を目指し、国内外の舞台で作品を発表。メンバーはSDTやLasalle College of the Artsを卒業したシンガポーリアンが中心で、外国人ダンサーが多いSDTとは対照的な構成です。また、T.H.Eは若手育成のため16-29歳のダンサーで構成するT.H.E Second Companyも抱えており、地域や学校向けのプログラムも積極的に実施しています。

今回リハーサルを見学したのは韓国の振付家・Kim Jae Dukが振り付けを担当した“Hey Man!”という新作。上流と下流階層の対話がテーマで、和太鼓のような力強いドラムの音楽に乗せ男女6人のダンサーが力強さと緊張感に満ちた舞を披露しました。リハーサルということで衣装や舞台装置はなく、振り付けと音楽だけの上演でしたが社会的なテーマを反映してか、充分にドラマチックでメッセージ性の強い展開でした。個人的にはもう少し抽象度の高い表現が好みなのですが、本番の舞台で見たら印象が変わるかもしれません。間近で表現者に触れることで作品への関心を引き、本番の動員へ結びつける今回の公開リハーサルの試みは、初心者には内容が想像し難いダンス分野の鑑賞者開発にとても効果的だと感じました。

私がT.H.E.のダンスを見たのは今回のリハーサルが初めてですが、過去の映像を見る限り舞台の随所に”アジアらしさ”が強く表現されているように思います。舞台芸術では、国際共同制作で世界的に高い評価を得ているOng Keng Senの劇団TheatreWorksや、多言語・多文化社会を舞台上で再現するThe Necessary Stageが、「シンガポールらしさ」を創り出す表現者として期待されています。彼らと並んで、西洋式の確かな技術をもとに新たな表現を生み出そうとしているコンテンポラリー・ダンス・カンパニー・T.H.E.も「この国らしさ」を体現するには欠かせない存在となっていくのではないでしょうか。

言葉を介さない分、多様な観客層に訴えかける可能性も秘めているダンス分野で、中華系文化が色濃く反映された作品や単なるコラボレーションを越えて「シンガポールらしさ」を表現することは可能なのか。T.H.E.をはじめとするこの国のダンスカンパニーの挑戦に期待したいと思います。(齋)

ご案内「行政構造改革が芸術文化政策に与えた影響」シンポジウム (12/15 東京)‏

以下のシンポジウムを開催することになりました。

「行政構造改革が芸術文化政策に与えた影響」に関するシンポジウム

日時:2012年12月15日(土)
場所:東京大学本郷キャンパス法文2号館一番大教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
時間:14:00~18:10

趣旨:2008年度以来、私たちは、科学研究費補助金の支援の下で、「行政構造改革が戦後日本の芸術文化政策に与えた影響」に関して、調査研究を進めてまいりました。2008年度と2011年度においては、全地方自治体を対象にアンケート調査を行うとともに、研究の過程で、行政構造改革の中でも、とくに市町村合併、指定管理者制度、そして公益法人改革の3点に着目をして、具体的な調査を進めてまいりました。行政改革が時代の一つの流れで不可避なものであるとするならば、芸術文化政策の領域はそれをどのように受け止め、活用したのか。今回は、そのような視点からの捉え返しを発表する場となります。この分野に関心のある方々と議論をする機会を設けたいと考えております。

事前申し込みは必要ありませんので、適宜会場にご参集ください。
皆様のご来場をお待ちしております。

総合司会:小林真理(東京大学)
パネリスト
伊藤裕夫(逗子市)
入内島道隆(元中之条町町長)
阪本崇(京都橘大学)
鈴木滉二郎(明治大学)
曽田修司(跡見学園女子大学)
友岡邦之(高崎経済大学)
藤野一夫(神戸大学)

14:00~14:10 開会の挨拶:行政改革制度と文化政策(小林)
14:10~15:10 市町村合併(入内島、友岡、小林)
15:10~16:10 指定管理者制度(伊藤、阪本、鈴木)
16:10~16:30 休憩
16:30~17:30 公益法人改革(曽田、藤野)
17:30~18:10 総合討議

[番組告知]懐かしの町並みを守るためには~失われる伝統的建築物~

今夜のNHKクローズアップ現代で、日本の歴史的町並みがおかれた現状が取り上げられる予定です。文化財保護をめぐる法制度の実態についても触れられるようで、文化政策のあり方を考えるうえでも有益かと思います。

NHKクローズアップ現代(NHK総合)
「懐かしの町並みを守るためには~失われる伝統的建築物~」(No. 3281)
2012年11月29日(木)19時30分–19時56分
出演:西村幸夫氏(東京大学大学院教授)

以上、告知まで。

(peaceful_hill)

2012年11月27日火曜日

別府をススメるアートフェスティバル考

先日、別府に行ってきました。3年に1回行われる、「混浴温泉世界」というアートフェスティバルに行くため、初めて大分県に上陸したのです。

「混浴温泉世界」では、別府駅周辺を中心に、別府温泉発祥の地・浜脇地区や、鉄輪(かんなわ)温泉地区において8つのプロジェクトから生まれた作品を展示しています。
各展示にいるスタッフの方は、作品や別府について色々教えてくれ、面白い話を聞きながらまわれました。

日本のアートフェスティバルにはいくつか行っていますが、この「混浴温泉世界」が特に面白かったのは、
作品を次々追っていくのではなくて、[作品をたどりながら別府のまちを見る]ように仕掛けられていたことです。
まちにたくさん展示されている作品を制覇するがごとく次々次々と見ていっても、結局は印象に残った作品もなく終わってしまいますが、別府ではそんなこともなく、のんびりとまちを楽しみながら作品も楽しむことができ、それがとてもたのしく心地よかったです。
「ついでにあの温泉まで行っちゃうかー!」とか思ってみたりして。
「アート」以外にも、というか「アート」以外のものこそに、思いがけず色々なたのしいものが見られたなーという感想をもちました。

でも、ですが、
作品以外の要素に興味がわくようなアートフェスティバルって、現在あまりないのではないかと思います。
「アート」フェスティバルなんだから「アート」見なくてどうすんの、というのはもちろんあるのですが、やはりある土地でフェスティバルを楽しむということは、その土地を楽しむことでもあるはずです。
「その土地の雰囲気を壊さないように、調和したかたちでフェスやるべきですよ」みたいな議論はありますが、それは当たり前で。
「アート」を通じてどのようにまちの魅力を来訪者に伝えて楽しんでもらうか、ということこそ考えるべきなのではないかなと思いました。

別府はなんだか昭和な趣をたたえた雰囲気があり、それだけでも別世界に来たような感じがしましたね。魚もおいしいしね。温泉あるしね。別府は、なぜこの土地をフェスティバルの会場に選んだのか、分かったような気がします。
アートフェス飽和時代に向けて走っている日本、このようなフェスティバルが増えれば良いなと思った次第です。

(竹)

2012年11月26日月曜日

台北の広場


 少し前のことになってしまいましたが、先月台北に行く機会がありました。10数年ぶりに訪れた台北は大変貌を遂げているように見えました。整備された地下鉄は、駅通路にまでモップがかけられてぴかぴかに清潔で、明るい色の服を着た若い人たちであふれている。信義副都心を抜けて101タワーの最上階に集った外国人たちは、「別の街だ!」と驚嘆したのでした。

 私にとって幸運だったのは、様変わりした都市の外観に驚くだけでなく、ゼミ卒業生のCさんとともに彼女のホーム・タウン迪化街を歩けたことです。18世紀末に大陸からの移住者が居を構えて以来、商人が築いてきた街は、意匠を凝らしたファサードをもつ建物にその豊かさを表わしながら、今も一大問屋街としてさまざまな品を商っています。土曜日に散歩をすると、そうした建物の外側にも内側にも、来訪者を受け入れてくれる空間が広がっていました。

 まず、街角の広場。一日中、思い思いに人々がくつろいでいます。この風景が私にはとても心に残りました。思い出したのは、長年東京に暮らした友人がUターンしてまもなく車社会をぼやいていたことです。「公共交通機関を使うことが少ない地方都市に、見知らぬ人と視線を交わす機会はほとんどない。思えば、電車に乗るだけでもいろいろと刺激を受けていたのだった」と。迪化街の広場は、何があってもなくても、文字通り社交の場として機能しているようでした。



 「広場」をもっと経験したくなった私は、お昼にお寺前の屋台村に連れていってもらいました。ガジュマルの樹が繁る戸外での食事は温かい土地ならではの光景ですが、思えば極寒期のヨーロッパの広場だってクリスマス・マーケットなどでにぎわいます。街に広場があることは人のライフ・スタイルに働きかけます。誰にとっても居場所があるということなのですから。



 迪化街では、改修工事に台北市から補助が出ることもあり、店舗、カフェ、アート・スペースなどを組み合わせて伝統的な空間に新しい命を吹き込むプロジェクトがいくつも出現中でした。多くの建物は、京都の町屋のように奥に長い基本構造をしています。手前の店舗スペースに続いて、植栽が施されたり鉢が置かれることが多い中庭的空間、そして奥まったプライベート・スペース。リノベーションによって、建物の外観がきれいになるだけではなく、開かれた店舗を入口に、もとは私的空間だった奥へと人を招き入れるしくみが出来ていく。さらに、市内のいくつかの街区を結んでアイディアを持つ人たちにつながりが生まれるような試み「台北人情way創意街区展」も開催中でした。これも一種、新しい広場の生成かも知れません。




 街歩きをしながら、ゼミのことも考えましたが、うまく結びつくかどうか。この日は、布市場のビルにある劇場で、初めて「台湾オペラ」を見ることにもなりました。それについてはまたあらためて。

(ykn)

第64回舞踊学会「特集・宝塚―ピアノで踊る日本舞踊」

来る12月、東京大学・本郷キャンパスにおいて、舞踊学会の大会が開かれます。

 ◆第64回舞踊学会大会◆
 期日 2012年(平成24年)12月1日(土)・2日(日)
 場所 東京大学文学部(本郷キャンパス)

 ≪特集「宝塚―ピアノで踊る日本舞踊」≫
 第1日目 14:40-17:40 (文学部1番大教室) 総合司会 尼ケ崎彬(学習院女子大学)
 基調報告 「宝塚のおどり」古井戸秀夫(東京大学)
 基調講演 「宝塚と民俗芸能―『日本民俗舞踊シリーズ』をめぐって」渡辺裕(東京大学)
 植田紳爾先生に聞く「宝塚の「うた」と「おどり」と「しばい」」
  お話 植田紳爾(宝塚歌劇団顧問)
  特別ゲスト 四世花柳壽輔(花柳流家元) 聞き手 古井戸秀夫

 第2日目 15:00-16:40 (文学部215教室) 総合司会 桑原和美(就実大学)
 ワークショップ「ピアノで踊る日本舞踊」
  監修:四世花柳壽輔(花柳流家元)
  指導:花柳せいら(花柳流研修部)・花柳達真(同)・花柳大日翠(同)
 ラウンドテーブル
  ゲスト:花柳せいら(花柳流研修部)・花柳達真(同)・花柳大日翠(同)
  司会 村田芳子(筑波大学)・古井戸秀夫(東京大学)

 (舞踊学会HPより抜粋/詳細はこちらhttp://www.danceresearch.ac/taikai/taikai.htm

確かに、タカラジェンヌは大きな羽根を背負って舞い踊っているイメージがあるけれど、それと舞踊学とどんな関係が?と思われる向きもあるかもしれません。(宝塚素人の私も、実は最初はそう思っていました…)しかし、宝塚少女歌劇団を創設した小林一三の著作や、初期の作品の資料を見ていると、宝塚は、日本にもともとあった唄い物や日本舞踊と、海外から新しく入ってきた音楽やダンスとを折衷し、新たな独自の「うた」と「おどり」と「しばい」を作り上げようとしてきたのだな、ということが分かってきます。何か新しいものを生み出そうとするときに、「折衷」というのはとても有効な手段ですね。2日目のワークショップも、そうした「折衷」の試みの一つで、学校体育のダンスの先生がプロの日本舞踊家に日本舞踊の動きを教わるという、大変興味深い共同作業を目撃できることになっています。舞踊や宝塚に直接の関心がなくとも、「文化のつくりかた」を考える上で示唆的な機会になるのではないかしらと思いました。

(mio.o)

デザインの力


久しぶりのブログ更新になってしまいました。
 最近は、来年2月に行われる文化資源学フォーラムの広報活動に取り組んでいます。フォーラムのポスターデザインについて考えていたところ、横浜創造都市センターで開催されている『「伝えるデザインの力」ポーランドポスター’50’60展』が目に入り、先日行ってきました!

 この展覧会では、世界初のポスター美術館、ヴィラヌフポスター美術館所蔵の作品約150点のポーランドポスターが紹介されています。

私自身デザインの知識は全くないのでが、ポップでカラフルなポスターを見ていて、とても晴れやかな気分になりました。デザインの異なる数種類から入場券を選べることができるのもおしゃれです!

ポーランドには独自のポスター文化があり、今回展示されている1955年~1965年代のポスターは『ポーランドポスター学校』といわれるグラフィックデザイナーたちによって作られ、市民に生きる希望や勇気を与えたと言われています。ポーランドポスター学校とは、学校ではなくワルシャワのデザイナーたちが仕事帰りにレストランやバーに集まって議論し、作品を見せ合うことで切磋琢磨していた集団のことをいいます。当時のポーランドポスターは検閲下におかれ、周辺国から見ると表現の自由が制限されているように捉えられていましたが、ポーランドにおけるデザイナーたちは、その時代に相応しいポスターの様々な新しいスタイルを確立していきました。このように制限があるからこそ、斬新で多様な表現方法が生まれたのでしょう。

展示されているポスターはどれもみなユニークで、一つ一つのポスターにそれぞれの世界、メッセージがあり圧倒されました。人々にメッセージを与えるというポスターの機能、そしてデザインという言葉を超えた「伝える力の強さ」を感じました。

また、この展覧会のデザイン・ディレクターである中川憲造さんの言葉が印象深かったです。
「ある時のニューヨークのデザイン学校の新聞広告に、良いことが書いてありました。アートは、クリップのように実用的なものを感情のままに別のオブジェにすること。デザインは、何かわからない針金が紙を閉じるクリップになるということ。このデザインとアートの違いは、常にみんなにも考えてほしいなと思っていますね。アートは、世の中に絶対必要で人々の心を豊かにするわけですけれど、そのことを知らせるためにもデザインが必要で、その役割はとても大きい。」

デザインによって、芸術の魅力をよりよく伝えることができる。今まで意識することもなかったアートとデザインの違いについて考えながら、町をデザインすることでその土地の魅力を発信していく、伝えていくということがリンクしたような気がしました。

 『「伝えるデザインの力」ポーランドポスター’50’60展』

2012113日~123 ヨコハマ創造都市センター
http://www.polandposter.jp/ 
http://instytut-polski.org/event/art/1611/

(M.H)
 

フランス便り(3)写真月間2


前回はParis Photoについて書きましたが、今回はその周辺に関する続きです。

有名どころのアートフェアの周辺にはOFF(サテライト)がつきもの。
伝統的なアートフェアの閉鎖的体質へのアンチテーゼとして複数のギャラリーが企画したり、新たなイベントとして企画されたり等、その起源や開催回数はまちまちです。

どのフェアに出ているか、また安定した回数出ているかがギャラリーの評価に直接繋がるという中で、大きなフェアには出れない(あるいは出ない)けれど、その盛り上がりを享受したい中堅・若手ギャラリーが、比較的安いブース代で、価格がまだ比較的高くない将来が期待される若手・中堅作家を紹介しています。

アートフェア出展には審査がありますが、まだ評価の定着していないOFFにおいては定員割れをおこしがち。かといって誰にでも門戸を開いてしまえば、結果的に質の低いギャラリーが集まりフェアのイメージもダウン。
アートフェアの運営も難しいものですが、フェアの時期には新しいものを求めてアートラバーやコレクター、美術関係者が、メインだけでなくOFF巡りを行うのは通例です。

フェアの成績は様々な要因に影響を受けます。
時期、場所、出展ギャラリーの質、出展費、広報力、為替、等々。
主催者側は入場料も大きな収入源なので、入場者数は重要です。
一方ギャラリー側は新規顧客開拓と同時に出展作品の販売が重要になるので、売却が容易な作品(価格、サイズなど)を揃える傾向もあるようです。
不況の影響もあり、とりわけOFFではフェア前半で売り上げを達成するギャラリーはほぼなく、まだ評価の定まっていない作品を前に、コレクターは値段と価値をじっくり吟味する傾向にあります。

あるギャラリストの方が、「アートフェアは博打の様なもの」と言っていました。
とりわけ各ギャラリーの固定客が少ないOFFにおいては、作品のクオリティーが高くても、売れるか売れないかは出たとこ勝負。
「荷物」を減らして帰れるかはまだ見ぬコレクターとの出会い次第という事でしょうか。

今年のParis PhotoのOFFとしては、主にnofound(3区)とPHOTO OFF(20区)がありました。
どちらも(とりわけ後者は)ギャラリーだけでなく、コレクターや基金、アート関連のパブリッシャーあるいはギャラリーの後押しを受けた作家が直接出展しているブースがあり、近年の新たなアートフェアの形を示していました。
前者は土地の理を活かして幅広い年代の客層を集めていましたが、去年はあって(8区)今年はブリュッセルのみでの開催となったFOTOFEVERに来ていた客層は別に流れてしまっていた様です。
一方、後者はあの辺りの居住者がコミュニケーションの場として家族連れでいっているという印象で、作品の質はぱっとしないものの、観客の滞在時間は長そうでした。
出展者達の明暗はともあれ、観客にとっては様々なニーズに合わせて幾つかのフェアが展開されているのは有り難い事かもしれません。

(M.O)

2012年11月23日金曜日

映画『演劇1』、『演劇2』

観察映画『選挙』や『精神』の監督である想田和弘氏は、その第3弾として『演劇1』、『演劇2』を公開しました。
文化政策及びその周辺を勉強してらしゃる方々は一度観ておくことをお勧めします。

http://engeki12.com/theater.html

はじめは今日までが上演日でしたが、大評判につき延長することになったそうです。12月14日まで上演されるらしいです。今日までは1日二つの作品を続けて観られたのですが、明日からは期間が分かれて上演されるのでご注意してください。

さて、どうのような作品なのか簡略に紹介しますと、
『演劇1』では、日本の劇作家で演出家である平田オリザ氏と彼が主宰する劇団・青年団に焦点をおいて描いたものです。ですからこの作品を通じて演劇の想像現場や平田氏の演劇に対する考え方を知ることが出来ると思います。
『演劇2』では、平田氏の文化政策に対する考え方や行動などがみられます。特にこの作品では芸術と社会の関係について問われているので、劇場法と関連して考えることが出来ると思います。

私は友人を連れてもう一度行こうと思っています。

bangulより

2012年11月20日火曜日

フランス便り(2)写真月間


写真月間をご存知ですか?

世界屈指の写真のアートフェアParis Photoが開催される11月中旬、パリは写真一色です。
最終的には「正直当分写真はいいかな」という位お腹いっぱいになれます。

その内容はParis PhotoとそのOFF(サテライト)のアートフェアに留まらず、各ギャラリーが積極的に写真展を行う他、様々な美術館(写真美術館だけでなく、普段はクラシカルな作品を扱っている所など)や文化施設・市の施設が、写真のコレクションを展示します。

Paris Photoについて
http://www.parisphoto.com/home.html?v=public

出展ギャラリーのレベル低下による顧客離れを考慮し、近年その審査基準が厳しくなり、それに応じて評価も再浮上中というParis Photo
そこに名を連ねる事は一流ギャラリーの証であると同時に、出展には多大な出費を伴います。(昔からの常連は付き合いが長いため出展費に関する特別待遇がある様ですが、ここではそういったギャラリーは除きます)
赤を出さないためには大御所写真家あるいはビンテージの作品でなければならなくなってしまう事、またそれら評価の定まっている写真をParis Photoのお客さんが求めている事から、全体として手堅くまとまる傾向があります。

Giorgio Armani J.P. Morganが公式パートナーだった今回は、出展者いわく、「J.P.で招待されて見に来たアメリカ人のお客さんが多く、新規顧客の開拓にはあまり繋がらなかった」との事でした。

私は初日の夜に見に行きましたが、まず広いし、混んでいるので見るのに疲れます。
複数のギャラリーで同じ作家の作品が様々な価格帯で売られているため、いきなり来て決めるには少し買いづらく、売れている物に関してはそれぞれのギャラリーのお客さんが買っているのかなというのも印象でした。
とは言え、ギャラリーのブースだけでなく「最近作品購入した施設のコレクション」や「基金や企業のコレクション」、「出版社のブース」や「フューチャーされた作家のブース」もあり、私の様に購入しなくても(正しくは「できなくても」)勿論楽しむ事が出来ます。
また「プラットフォーム」では著名な作家やディレクター・批評家らがトークセッションを行うなどのイベントも毎日行われていました。ただ、入場料がかかる(1回の入場につき正規28ユーロ、学生14ユーロ)ので、全部のセッションを聞いた人は少ないのではないかと思います。
個人的には、私の好きな作家の作品を展示していたブースだけでなく、米軍の航空写真を集めてきたギャラリーや、荒木先生の作品を中心に緊縛をこれでもか!と見せている所など印象に残りました。
日本人(森山大道、荒木経惟、東松照明等)の評価がアジアの写真家の中では群を抜いて高いなというのは改めて思いました。あっちもこっちもといった具合に、かなりの数のギャラリーで展示されていました。

 長くなりましたので、続きます。(M.O

2012年11月18日日曜日

四言語対応の意見交換会@シンガポール


色々おしい!シンガポールの多言語対応案内板
フィリピンから言葉のお話があったので、シンガポールの様子もお知らせしたいと思います。
シンガポールは英語の国という印象があるのではないかと思いますが、シンガポールで話されている英語・Singlishは、日本人の思い浮かべる英語とはかなり異なります。また、街中では中国語(北京語)を耳にすることが多く、道路標識やTVには公用語である英・中国語に加え、マレー語(国語)、タミル語が用いられています。

そんなシンガポールで、アーツカウンシル(NAC)が多言語の意見交換会を開催するというお知らせを目にしました。この意見交換会はNACが主催するシンガポールの代表的な国際芸術祭Singapore Arts Festivalの見直しに際し、広く市民の意見を取り入れようと開かれたもので、10月29日から11月1日までの四日間に英語、中国語、タミル語のセッションを開催。それぞれのセッションには該当言語が堪能な芸術文化関係者(フェスティバル再検討委員会のメンバー)がファシリテーターとして名を連ねいました。地元紙によると、アーティストや教育関係者、学生など四日間で100名近い参加者が訪れたそうです。

英語の講演会の質疑応答でも、お年寄りが多い場合は「中国語でもOKですよ」と声がけされているのは見ていましたが、四言語対応の意見交換会とは!こうした形式の話し合いがシンガポールでどのくらい一般的なのかは分かりませんが、多言語の社会ならではの現象だと感じました。自分が心置きなく話せる言語での議論なら参加者も、表現活動に密接に関わる感情や世界観の微妙なニュアンスを伝えやすくなるのではないか・・・自分の方言(三重弁)で語り合ったほうが気持ちが入るし。そう思う反面、最初から言語別に分けて意見を集めたら、”母語や文化的背景が異なる人同士がつくり上げる表現”等にまつわる意見は取りこぼされるのではないか、という気もしてきました。複数の言語のセッションに参加した人が居たなら話は別ですが。

Singapore Arts Festivalについては、今年1月に発表されたThe Report of the Arts and Culture Strategic Review(ACSR)のなかで開催期間の見直しが提案されていました。多言語意見交換会に先立ち7月に開催されたアーツカウンシルと芸術文化関係者の意見交換会では、Singapore Arts Festivalの意義や目指すところが曖昧だとかなり厳しい意見が出ており、そもそもこの芸術祭に関されている”Singapore”とは何を意味するのか、という問いかけは今まさに「シンガポールらしさ」を生み出そうとしているこの国の文化政策の核心をつくものだと感じました。「中華系、インド系、マレー系、その他」という個別の文化的背景は残しつつ、それらが共存する姿が「シンガポールらしさ」なのではないか、そんな思惑で今回の意見交換会が多言語で開催されたと勘ぐるのは、ちょっと考えすぎでしょうか。フェスティバル見直しに関しては再検討委員会の提案とNACの回答が来年にも取りまとめられるそうなので、公開されたらどんな意見が吸い上げられたのかチェックしていきたいと思います。
(齋)

2012年11月16日金曜日

吉祥寺は住みよい町か

先々週の土曜日に、武蔵野市市制65周年シンポジウムが、武蔵野文化会館の小ホールが行われました。私は、コーディネーターとして参加をしましたが、素晴らしい方々とシンポジウムをご一緒させていただいて、楽しいひとときでした。私自身、自分の住んでいるところではない自治体で仕事をさせてもらうことが多い中で、自分の地域の文化について改めて問い返すということができたのは楽しかったですし、その思いや危機感を共有している方々に出会えたというのが、何よりも嬉しいことでした。

すべての方が武蔵野市に長く住んでいらっしゃる方々で、作家の井形慶子さん、漫画家の美内すずえさん、アートディレクターの小川希さん、社会デザイン研究者の三浦展さん、そして武蔵野市商店会連合会顧問の三宅哲夫さんです。テーマは、「文化が生み出す都市の魅力とは」ということで、一応武蔵野市市制65周年ですから、武蔵野市を話題にするべきなのですが、皆の関心はひたすら吉祥寺という町にありました。ご存知の方も多いと思いますが、私の育った吉祥寺は、どういうわけか「住みたい町No.1」を長年にわたって獲得しています。たしかにパネリストの人たちも、吉祥寺の良さや好きなところを挙げることはできるのですが、当日語られたのはそれが実態のない抽象的なものであるということと、さらにその良さが失われつつある危機感の方が圧倒的に強いということでした。

そこで語られていた吉祥寺の良さは、妙にノスタルジックではあるのですが、自然環境が豊かで(上水道は8割が地下水で富士山の伏流水だそう)、消費文化に踊らされない落ち着いた、人間らしいつながりを持つ、なんとなく文化的雰囲気のあるというところという特徴を共有していました。文化的雰囲気というのは、いわゆる文化人といわれるような人々が多く住んでいることを皆がなんとなく知っているということなのでしょう。この文化的雰囲気を除けば、ほとんどは日本の地域を形容するどこにでもありそうな叙述ですよね。そういう意味では、他の地域と吉祥寺を画するのは「文化性」ということになるのだと思いますが、顕在化しているものではないだけに、とても捕らえどころがないものです。なぜ文化人と言われる人が集まってくるのかということが、武蔵野市や吉祥寺の文化性ということになるのだと思いますが、美内すずえさんの言葉を借りれば「アイディアを練るのに長居が出来た個性的な喫茶店や個性的な品揃えの本屋があること」だったり、三浦さんによれば「散歩をするのに気持ちのよい千川上水だったり、玉川上水」だったり、井形慶子さんによれば、「こだわりのある、個性的な住民を満足させる、お店や人」だったりするようです。ちなみに私は、この規模のまちには珍しいほどの本屋さんの数を挙げました。

ただそれが、マスコミや雑誌の宣伝で大勢の人が吉祥寺に集まってくることによって、またお店がどんどん全国チェーンのものに移り変わっていくことにより、吉祥寺に住んでいる人が満足しなくなっているというのです。おそらく吉祥寺に外から一時的に集まってくる人は、吉祥寺の文化性に惹かれているわけではないのですが、それがなんとなく「文化的」であることを壊していると皆が一様に思っているということです。実際パネリストの人たちが、もう吉祥寺で「飲まなくなり、西荻に出かけている」ということが話題になったり、人が多くて吉祥寺に住むのだいやになったということが言われたりと、深刻な問題も明らかになってきました。地方にいくと、定住人口を増やしたいとか、人にもっと来てもらいたいという問題に悩んでいるところがほとんどなので、吉祥寺や武蔵野市が抱えている問題なんて、羨ましい悩みということになるのかもしれません。またまちやその地域の文化なんて、そもそも変化していくものです。しかし、私は相当に深刻だと思い、自分の足下のこともきちんと考えなければと思った、そんなシンポジウムでした。(M.K)

違いがわかる男

最近、勉強の息抜きに音楽を流して飛び跳ねるルーティンを繰り返しているpeaceful_hillです。いわゆる修論生ですが、たまには飛び跳ねるだけじゃなくてブログを書こうかーと思い立ったわけです。論文で堅苦しい言葉遣いに辟易しているところなので、せめてここでは感じたままに書かせてください。

先日、ちょっとだけ長い息抜きをしようと、友人とレンタカーで山梨県まで行ってきました。あの名高い青木ヶ原樹海のそばに広がる、「西湖いやしの里根場(ねんば)」という茅葺き集落が旅の目的地でした。

旧渡辺家住宅(国登録有形文化財)

茅葺き集落というと、少し思い浮かべただけでもいくつか出てくると思います。……って、出てきますよね、出てくるはずです。岐阜県白川郷、福島県大内宿、京都府美山など。でも、ここ根場は、そうした茅葺き集落とは違うところがあります。せっかく訪れても、それを知らずにただぼーっと眺めるだけではもったいないです。

次の文章は、ウェブサイトの概要説明を引いてきたものです。年号表記だけ手を加えました。
かつては美しい富士を背に茅葺き屋根が並んでいた西湖畔の根場地区。しかし、1966(昭和41)年の台風災害で壊滅的な被害を受け、その姿は過去のものとなってしまいました。時は流れ、2003(平成15)年に合併してできた富士河口湖町では、そんな日本の原風景である茅葺き屋根の集落を甦らせようと、「西湖いやしの里根場」創設事業に着手しました。2006(平成18)年に第1期オープンし、その後計画的に整備を重ね、茅葺民家も20棟に増えて、2010(平成22)年にリニューアルオープンを迎え、「日本のふるさと」とも云うべき、かつての根場地区の、のどかな農村風景を再現しました。
さあ、お気づきでしょうか。いま根場に広がるのは、厳密にいえばかつて人が住み暮らしていた根場集落ではないということです。他の茅葺き集落のように残されて残ってきたものではなく、「再現」され「創設」されたものなのです。
「それじゃ、日本民家園のようなものっすね」と思われるかもしれません。それとも違います。だって、かつて確かにそこに存在した集落景観なのですから。
過去に存在した集落を同じ場所に再現するとは、どういうことなのか。それを考えながら根場を歩いてみるだけですごく面白かったです。

それと、根場では「心のふるさと」という言葉がよく使われていますが、都会で生まれ育った私からすれば、茅葺き集落に「心のふるさと」を感じることはありません。いやいや、住んだことがなくても何となく懐かしい感じがするではないか、という意見もあるかと思いますが、それは知らないうちに「心のふるさと」情景が刷り込まれた結果ではないか、と疑いたくなります。そんなふうに考えると、農村風景を「日本の原風景」とするのは、およそ都会からの身勝手なまなざしで、農村はそれを背負わされているようにも思えてきます。特に棚田景観の保護が訴えられるとき、私は「んー」と感じてしまいます。地元が「日本の原風景」イメージを積極的に利用している側面も大きいだろうし、本当のところはよくわからないですけど。

ところで、「西湖いやしの里根場」からは富士山の美しい姿を望むことができるのですが、私が訪れたときは雨でまったく何も見えませんでした。でも、富士山より見るべきものが目の前にあるじゃないかって気持ちで、ひとり心が弾みまくっていたpeaくんでした。ちなみに、昼食はホウトウではなくウドンでした。

(peaceful_hill)

2012年11月15日木曜日

ホウトウ(2)

先週の記事の続きです。
最近、ゼミ界隈でも祭の観光化の話が出たりしていましたが、奉燈祭にも観光客が来るようになっています。それと関連した話題があります。
2001年、ひとりの観光客が奉燈と民家の壁に挟まれて亡くなりました。未だに狭い道ばかりのところに幅がぎりぎりのキリコが勢いよく通るのですから、身のこなし方を知らない人にとっては、奉燈祭は結構危険な祭でもあります。このことが、最悪の結果になってしまったのです。
亡くなった方には、本当に気の毒なことです。おそらく祭に興味をもってせっかく訪問してくださったのに、楽しく終わることができなくて。地元でももちろん話題になりました。

これを機に、祭には案内のアナウンスがつくようになりました。この動画の最初の方で、背景に流れる女性の声がそれです。正直、祭の興奮には水をさすようなアナウンスなのですが、しかし観光客を巻き込む事故が起きてしまったからには…というところなのでしょう。

しかし、ここで亡くなったのが地元の人であったのなら、もしかしたらこのような措置は行われなかったかもしれません。祭で死傷者が出るのって、祭によっては結構ありうることで、その度に祭のセキュリティなどが強化されて続けていくというのも、キリがないので。では、この措置はこれからも祭に来る観光客の皆さまのためなのかな。でも、祭ってまずは地元の人のものやよな?…あれ、本当にそうか今日日?
というか、こんな記事書いたら「奉燈祭のイメージ悪くするようなこと言うな!」みたいなこと言われるかな。でも、それって誰に対して「悪く思われる」ことなんやったっけ?

とはいっても、現在の考えでは、人に危害が加わるのは基本的に良くないというのは当たり前。
祭に他の地域から人が来てくれるのは、地域に魅力があるということで良いこと。
「祭はいつまでも変化を拒まなければならない!!」なんて、いつまでも言ってられないし(良い変化と良くない変化があると思いますが)。

全国的に知られる祭なんてほとんどなく、地域でそれぞれなにものかをまつっていた時代とは、状況は違ってきているんだな。それには良いところもそうでないところももちろんあるけど、祭が「外」から見られたり楽しまれたり評価されたりつながったりするようになったのって、結構最近の、新しいことなのでは。それに伴う変化は必然的だけど、それぞれの地域ではどのようにしているのだろう。どのような意識をもっているのだろう。そのようなことを思いました。
いまだに新しい祭ができたりもしている昨今、祭はどうなっていくのでしょうかね。

あ、もちろん自分は、自分の地域の祭に人が来てくれるのは嬉しいですよ。
↑なこと書いてから何なのですが、ホウトウ本当に楽しいのでね、おいでませ能登、ですよ。

(参考ウェブサイト)
http://okwave.jp/qa/q5967651.html

(竹)

2012年11月14日水曜日

フランス便り(1)シンポジウム


こんにちは、M.Oです。
現在、フランスにて調査研究を「ゆるゆる」と行っています。
ようやくネット環境が整い、一安心です。が、既に課題がたまっており冷や汗です。

さて、既に到着から一週間程経とうとしていますが、これまでに私が何をしていたかという事も含めちょっとした情報発信をしたいと思います。

前半は、パリには目もくれずポワティエという地方都市に観光、ではなく、そこで開催された「Reconnaisance et consécration artistiques(訳し難いのですが、芸術の評価と認知あるいはその価値の確立といった所でしょうか)」という国際シンポジウムに参加してきました。

このポワティエという場所、中世の建物を街全体で保存する試みを行っているため、とても雰囲気があって素敵な町です。是非ググって見て下さい。
ただ、ホテルの人に「この町の有名な料理は何ですか?」と聞いたら、「特に無い」と言われました。なんだか悲しい。
確かに、どこのお店を見てみても目新しいものは無かったと思います。
お土産としてはなにか名産物があったそうですが。

シンポジウムを主催した社会学のラボがあるポワティエ大学は、町の中心部からバスで10分弱行った郊外に、広大なキャンパスを構えています。
本当に隔絶された所にあるので、心置きなく勉強出来ます(多分)。
今回のシンポジウムをボランティアでお手伝いしている学生に「どうしてこの大学にしたの?」と聞いたら、「地元だから」「なんとなく入ってみたけど、結局ここに自分の指導教官(あるいはラボ)を見つけたから」という答えが帰ってきました。
総じてパリのぎすぎすせかせか(?)した感じよりまったりした感じがしました。

さて、シンポジウムについてですが、日本ではこうしたタイトルでシンポジウムが開かれる事自体稀なのではないか(もしくは無い?)と思いますが、こちらは三日間、講演とセッションが朝から晩までみっちりのスケジューリングでした。
とは言え、フランスらしくお昼は長いです。ワイン飲みます。
発表者数はのべ80名程度でしょうか。
7割程がフランコフォン、残りがイングリッシュスピーカーで、アジア人の参加者は聴講者含め私一人でした。
それにしても、アメリカ人の先生は本当に皆立って話すんですね!

セッションは仏語での口頭発表の場合パワポは英語、英語での口頭発表の場合はパワポが仏語でした。
私は語学がまだまだなので、二つの外国語を同時に頭の中に入れるのは、時差ぼけの残る身体にはかなりきつい作業でした。
教訓:着いてすぐシンポジウムには行かない事!ゆとりをもったスケジューリング!

内容は、ファインアートから出版、ラップ、はたまたグルーピーなどなど、アーツ(文化)に関わる事を幅広く扱っていました。
具体的なそれぞれの内容については、長くなってしまいますし、私の理解が正しくない場合もあるので控えますが、全体を通じて、文化社会学においてブルデューが圧倒的なプレゼンスを保っている事を確認すると同時に、統計を用いた理論構築によって幾つかの事象が説明される様は勉強になりました。

最近モダンアートからコンテンポラリーアートに展開して来たというスペイン人の女性研究者が「この分野はまだ発展途上だから、皆で協力して知を集積しよう」と言っていました。こうしたシンポジウムを通じて、様々な情報や知識を共有し交換しあって行く事の重要性を感じました。

(M.O)