2013年12月28日土曜日

国境を超える表現者―シンガポールのアーティスト・イン・レジデンスと演劇国際共同制作

mihousagi_nさんがご紹介くださったにもかかわらず出席がかなわなかった自身の学会発表についてもご報告したいところなのですが、今回は国境を越えた表現活動について、今年自分が体験した二つの事例をご紹介したいと思います。

その1:「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業」報告書
 ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、文化庁の「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業」報告書がWeb上で公開されています。私も小林ゼミ同期・Kさんのご紹介で、シンガポールの現地調査をお手伝いさせていただきました。この調査、よりよいレジデンス事業実施のために世界各国の事例を比較検討するという趣旨で行われたのですが、その意義は大きく次の二点に集約されるのではないかと思っています。①現地調査の過程で行われる日本と諸外国の情報交換・人的交流と②現役アーティストがすぐにでも使える多種多様なレジデンス事業を網羅したデータベース的役割です。
 報告書冒頭の総括部分に「アーティスト・イン・レジデンスとは(略)アーティストに国境を越えた移動と滞在を促し、各国、各都市の文化的な「価値」や「事情」が人と人を介してグローバルにリレーしていく仕掛けである」(報告書p.3)という記述がありますが、私は調査に関わってこの主張に強く共感しました。というのは、まさに調査の過程が「リレー」の一環に思えたからです。問題意識の高いシンガポールの芸術機関は私達の質問に答えるだけでなく、日本の状況について積極的に情報交換を求めました。「シンガポールのここにこの人が居る」、「日本のここにこの人が居る」という繋がりは、今回限りの調査で終わるものではなく、未来の共同作業への種まきのように見えました。つい先日、公演で東南アジアを訪れていた日本人アーティストをこの調査で知り合ったシンガポールの関係者にご紹介することが出来、私も微力ながらリレーを繋ぐことができました。引続き、バトンを受け渡していけたらと思います。
 ひとくちにレジデンス事業と言ってもその目的や形態は様々です。新しい土地で表現の可能性を追求したい表現者が、自分にあった趣旨の事業を選んで参加できれば、滞在制作の効果も倍増ではないでしょうか。この調査では世界11カ国、合計263件のレジデンス事業を調査し、その活動内容を紹介しています(現地調査が行われたのは37件。国内65団体も報告書資料編で紹介されている)。もちろんアーティストはこれらの情報をギャラリストやアートマネージャーから伝え聞いているかもしれませんし、実績あるレジデンスが紹介される半面、カバーしきれていない事業や地域もあるのですが、レジデンス事業が目的と地域別に分類されている情報は、実際の利用者にはとても便利なものに思えました(報告書pp.10-11で7種類に分類)。
 ちなみに、日本からの調査員のみなさんは現地調査の際、国際交流基金が運営する日本のレジデンスを紹介するデータベース・AIR-Jのパンフレットを持って調査先を訪れていたのですが、日本のメジャー都市は熟知しているシンガポールの機関が注目したのは地方のレジデンス事業でした。小林ゼミ時代から地方の芸術文化を応援したいと思ってきた自分にとってはなんとも嬉しい反応でした。まだ見ぬ日本の魅力を外からの表現者が発見してくれる、もしくは日本の表現者が発見しに行く機会が益々増えることを祈ります。

その2:シンガポールで行われた二つの演劇プロジェクトについて
 人と人が国境を越えて出会う時、多くの場合は言語の壁に遭遇すると思います。シンガポールは多人種・多言語国家であり、国際共同制作かどうかに関わらず複数の言語が飛び交う演劇公演が字幕付きで開催されることは今や日常茶飯事です。セゾン文化財団のニュースレター『View Point』65号(2013年11月30日発行)には、シンガポールを拠点に活動する滝口健さんの翻訳の役割に関する興味深い論考が掲載されています。本文中に登場する日星国際共同制作の演劇作品『モバイル2 フラット・シティーズ』と、シンガポール人劇作家フジール・スライマンの戯曲『コギト』を日本の劇団・三条会が日本語で上演するプロジェクトに自分も関わらせていただき、翻訳作業の現場と可能性を体感することが出来ました。
 『モバイル2』には現代日本の若者、インド系マレーシア人、東南アジアに移住した日本人、第二次世界大戦中の日本軍人など、様々なキャラクターが登場し、それぞれが、たとえば「日本人」と聞いて思い浮かべる像に対して異なるイメージを持っています。創り手側がそれらを理解した上で作品が練られているのですが、事前のリサーチとインプットには想像を超える手間と時間がかけられていました。そしてそれに伴って生じる大量の翻訳。国際共同制作ならではの面白みを醸成する「文化的交渉」(p.5)が作り手の間でいかにスムーズに行われるかは、異文化の仲介者である翻訳者の動きに関わって来ると痛感しました。
 『モバイル2』は2013年、シンガポールとマレーシアで上演されましたが、現在日本公演に向けての準備が進められています。舞台上に提示される様々な視点に直面して、それぞれの地域の観客たちは作り手が創作過程で体験したような疑問を感じたことでしょう。近い将来、日本に住む観客のみなさんがこの作品をどのように解釈するか、今から楽しみです。
 ところで演劇における翻訳といえば、通常外国語の戯曲を日本語に訳すことを思い浮かべるかもしれません。三条会とチェックポイント・シアターによる『コギト』翻訳プロジェクトでは、普段何気なく触れている翻訳の文体の裏にある解釈の作業を、翻訳者だけでなく劇作家も俳優も演出家も体験するというワークショップが行われました(翻訳作品は2015年上演予定)。
 私にとって最も印象的だったのは、文体によって登場人物の性格のみならず立ち居振る舞いまでが左右されるという日本語の性質でした。シンガポールで何気なく目にしている英語演劇とその華語字幕、マレー語演劇と英語字幕の間には、もしかすると多くの「ロスト・イン・トランスレーション」があるのではないか、と気付きはっとしました。
 
 今やインターネットをつかって世界のどことでも瞬時につながることのできる世の中になりましたが、実際にその地を訪れた時の衝撃、現地の人々との(良い意味での)衝突はバーチャルな空間で味わうものとは違うはずです。芸術文化のいいところは、それが個人の体験にとどまらず、作品として観客の目に触れるところ。これからも様々な作品を通して、思いもよらない文化間のギャップや、外の視点で描かれる日本像に敏感でありたいと思います。(齋)

2013年12月22日日曜日

ギャル文字・(´・ω・`)・AA・誤変換・文字化け・漢字を書けないことと書けない漢字を書くこと・常用漢字

 連続的にバンバン投稿できるのが理想なのですがなかなかそうもいかないものですなあ。

 S藤先生の原点でのお話にも関わって僕が普段考えていることその2を書いてみようと思います。
 I田さんが質問されていたフリック入力の話にもつながるものだと思いますけどね、デバイスの進化による現代人と文字の関係性の問題です。

 あれは高校生の時だったのでちょうど10年ほど前の話。部活の懇親会かなんかでカラオケに行ったときにギャル文字表示の歌を歌わされてびっくりした記憶があります。ギャル文字は見たことあったし歌詞を覚えている曲だったのでなんとか歌えたのですがまあ面食らいましたね。маシ〃τ〃⊇ぅレヽぅ感U〃σ表言己τ〃UT=ヵゝら★。ギャル文字って非常に面白い現象だなーと思うのは、携帯電話とかパソコンとかで上記のように表現するときにいろんな特殊記号や外国語の文字を多用して表現することですよね。というのは、紙にペンで書く場合はそんな記号やらギリシャ文字やらを知って書いているわけではないのですから。おそらく80年代~90年代くらいに中高生女子の間で流行った丸文字文化の延長にあるものだと思いますが(そしてその丸文字文化はワープロの普及とともに「フォント」という概念が浸透したことがその土壌にあったのではないかと睨んでいますが)、紙にペンで書いていた、デジタルでは表記しがたい文字を如何にデジタルに表現するかという場面に直面した時に材料として与えられていたデータ内の多くの記号や文字を「かたち」とみなしてデジタルでは表記しがたかった文字を(半ば無理やりながら)表記できるようにまでしてしまったという、制約がある中で最大限に表現を追い求めた非常にクリエイティブな営為であったと思っています。
 似たような現象としては顔文字(´・ω・`)、AA(アスキー・アート)など日本人だからこそ生み出せたのだろうというものすごい文化がありますよね。文字と記号のみが使用可能であるというデジタルデバイスが持つ制約の中でいかにクリエイティブに思うような表現を描き出すことができるのか。デバイスの進化と日本人の想像力・創造力が切磋琢磨し磨き上げられてきた新しい言語表現ではないでしょうか。
 デバイスの進化による文字表記においては一方である種の失敗が生み出した現象も起こっています。誤変換と文字化けです。つい昨日今日にもこんな画像が話題になっていたりします(https://twitter.com/ssdangoss/status/413640852276518912)。紙に手で文字を書くだけだった時代には起こりえなかった変換ミスが世の中で数多く起こっていることはいまさら説明するまでもないでしょう(そもそもひらがなを漢字に「変換」するという行為そのものがデジタルデバイスが生み出した新しい行為だと思いますが)。論文や書籍にも多く見受けられますが、公文書などの重要な印刷物に誤変換を見つけるとなんだかいたたまれない気持ちになります。まあ言ってみれば、活版印刷の時代の雑誌とかでまれに文字が横向きになっていたりするのも誤変換に似た一種の誤表記ですよね。文字化けは特に90年代に多く最近はマシンの互換性が高くなってきたのかだいぶ見かけなくなってきた気がしますが、これもデジタルデバイスでなければ起こりえなかった新しい言葉のありかたですよね。椎名林檎が2000年に文字化けした表記を曲名に載せた楽曲を発表していることにはこの時代だからこその意味付けがなされるのだろうと思います。ギャル文字や顔文字は言うなれば意図した文字の乱用、誤変換や文字化けは予期せぬ文字の乱用であるという言い方もできるでしょうか。
 小さいころからパソコンを常用することによって最近の若者はパソコンでしか字が書けなくなった、漢字を書けなくなったという指摘は近年よく聞かれます。本当にそう言えるのかどうかは私には言い切ることができませんが、少なくともパソコンの普及によって普通なら絶対覚えられないし学校では教えてくれないような難しい漢字をひっぱり出してきて使えるようになった、ということは言えるのではないかと思います。これはパソコンの文字一覧表(JISコード)を奥のほうまで見ていった時に現れる複雑怪奇な漢字たちのオンパレードにわくわくする心から発生したものだという推測は容易にできます。これによって生まれた行為は、書けない漢字を当り前のように書く、というものです。書く、よりは(キーボードを)打つ、に近いですが。
 そんな現代に生きるわたしから見てすごく奇妙に感じるのは常用漢字という制度の存在です。常用漢字って定められてある必要あるんでしょうか?これだけどんな難しい漢字も2秒前まで知らなかった言葉も簡単に使えるようになった現代社会において、テレビや新聞の記事に「なんでそこひらがななんだ…」という表記があちこちに見られすごく奇妙に感じます。「拉致事件」の表記が「ら致事件」であることによって事件の重大性の認識が少し低められているんじゃないかと日本海育ちのわたしなんかは憤るわけですが、要するにあれって常用漢字っていうものが制定されているからなんですよね。公立小学校でおそらく今も行われているであろう「習っていない漢字は使っちゃいけません」という謎の指導も学習指導要領に定められた項目なのでしょう、おそらく。まったくもってナンセンス、むしろ害悪に近い指導法だと思いますが。

 最後少し腹を立ててしまいましたが、デバイスの進化による言葉の表記の問題は現代人、特に多種多様な文字を平気で使いこなす器用な日本人にはかなり重要な現象なのだとパソコンをいじりながら日々わたしは考えているのです。

  (志)

2013年12月16日月曜日

第7回日本文化政策学会ポスターセッションのこと

大変久しぶりの更新になってしまいました。tantakaです。

pugrinさんも書いてくださった通り、11月30日と12月1日に行なわれた日本文化政策学会で、小林ゼミは今年度もポスターセッションに参加しました。
2ヶ月弱をかけ、試行錯誤の連続ではありましたが、修士1年と博士課程の先輩方でポスターをまとめ、なんとか完成形までたどり着くことができました。
ポスターは以下の通りです。




1日目からポスターは掲示し、多くの方に見ていただきましたが、
2日目の11:30~13:00にはコアタイムがあり、コメントやご質問も数多くいただきました。

その中でも特に印象に残っているのが、「地域の活性化とはどういうことか。定量的な評価が必要ではないか。」というご質問です。
修士課程に所属する学生の方からでしたが、ご自身でも考えあぐねているとおっしゃっていました。
その後修士1年で話していて、定量的に地域の活性化を評価することの意味を考えたりしました。
もちろん正解があるものではないと思いますが、私たちの間で議論したことは、
定量的に評価できることではなく、定性的に評価することの方が意味をなすかもしれない、
ただそのとき私たちの中には定性的に評価する語彙がないから、その勉強が必要だね、という話で落ち着きました。
定量的には測ることができないことでこそ、「地域が活性化した」と言えるのだろうと考えています。

また、このポスターを今後地域にお見せするのか、今後はどうやって活動を続けていくのかというご質問もいただきました。
実際、大町市と高山村に最終的にご報告することを考えて、ポスターをまとめました。
また、今後の取り組みについてもこれからゼミで話し合うことになると思いますが、
何かしらの気づきにつながればと考えています。

コメントやご質問をくださった方々からは大方好意的に見ていただき、
また様々な方と私たちのポスターを介して話すことができ、勉強になったとともに、
私たちの経験や考察をちゃんと伝えることができたのではないかと思っています。


時間は経ってしまいましたが、ご指導くださった先生、先輩方、ありがとうございました。

(tantaka)

2013年12月14日土曜日

今週の火曜日に自転車で退勤中、自動車にはねられて、救急搬送されました。若い時は受身をとっさにとれるのですが、衝撃になすがままでした。ヘルメットは壊れましたが、頭は大丈夫でした。自転車を乗るときはヘルメットが大事です。
どうも今週は疲れました。しかも事故は今年2回目。
それはともかく。

先日の文化政策学会では、最後にある先生から、『社会教育の終焉』は古典では?との指摘を受けました。たしかに、昔からその議論はあるし、誰もが気が付いているのかもしれません。今更持ち出すなという批判もあるかもしれません。

でも、どうしても古さを感じてばかりいられない自分もいたりします。

なぜだろうと思索を巡らすと、社会教育から出発している生涯学習は自己変革をしてきたように思います。しかし、そこから派生してきた(少なくとも基礎自治体レベルでは)文化財保護行政は、いまだに市民を“オシエソダテル”という形式から離れなれないように感じられます。
 
これは単に、担当者個人の資質の問題だけでなく、文化財保護に欠かせない調査の方法に含まれる権力構造にあると考えています。

すでに民族学(あるいは民俗学)では、方法の中に含まれる政治性についての批判がなされてきました。しかし、例えば考古学はその反省に立ってきたかといえば、必ずしもそうではない。ましてや、行政という主体が行う発掘調査という方法の中に、政治性が含まれるなんてことは誰も考えていない。いや、考えようともしなかった。

ある会議で、私が行政発掘によって得られた成果をきちんと市民に対して示すべき(この態度も今となっては反省しべきかもしれない)ことを主張したのに対して、ある人が「難しいことを言っても判らないのだから、市民には判るものを判るとおりに示すべき」との回答をもらったことがありました。このこと自体、社会「教育」どころか、教育ですらないのだと悟った記憶があります。私は判らない(判りにくい)ことを判りやすくするのが、教育行政だと考えていましたので、結構衝撃的でした。

この時点では、パーソナリティの問題だと失笑していたのですが、よくよく考えてみると、実は発掘調査という手法自体が抱える問題と不可分の関係にあることが何となく見えてきています。発掘調査というと、既にわかりきったものを掘り出す感覚にとらわれがちですが、実際には、出土遺物の年代や土層の堆積状況などを総合して、遺構や遺物、さらにはその総体である遺跡の意味付けを行っていく作業が発掘調査という作法です。それゆえに、遺跡を遺跡として認定し、遺跡の年代や社会的な価値を付与していくのは、果たして誰であるべきかという根本的な問いがなされないまま、何となく専門家的な人が行なうべきで、素人である市民はその結果を享受する(本当は享受もしていないのかも)のを小鳥が親鳥からえさを与えられるがごとく、受け身にならざるを得ないのが暗黙のルールとなっているのではないかと私は思っています。

この手法ゆえに、無知蒙昧な市民をオシエソダテルという社会教育システムは、文化財保護行政では根強く残ってしまっているのではないかと考えています。この背景には、文化財を聖域とみなす風潮が行政組織内外に存在してきたことと深い関係があるのかも知れません。「聖域だから素人である市民は直接発掘調査に関わることはできない。専門性を持った一部の人々が、発掘調査という方法によって地域を知ることができる」という暗黙のルールが、やがて独り歩きして、発掘調査という手法と市民は縁遠い関係にあると私たちは思い込まされてしまっていのではないかと感じています。

このように解釈すると、文化財保護行政という枠組みではまだまだ社会教育には、松下啓一の議論は有効なのではないかと勝手に想像していました。

(ま)


2013年12月13日金曜日

お経・暴走族・救急車・ディズニーランドの園内BGM

 法事の時にお坊さんが上げるお経って何言ってるかわかんないですよね。法事の場に参加している者としてお経が何言ってるかわかんない状態でもいいんですか?ってお坊さんに聞いたところ「お経が何を言ってるかはわからなくていいんです。大事なのはお経の声が聞こえている範囲の空間に当人のために親族や血族が集まっているということなんです。」という答えを頂いた、というアネクドートは原田宗典さんのエッセイだったと思います。
 声や音っていうのは根源的には空気の振動ですからね。その声や音が聞こえている範囲の空間にいる人々にはそのサウンドが鼓膜や体を震わせて物理的なレベルで一種の共有体験になるわけです。
 昨年フォーラムに向けた会議の時にディズニーランドのBGMのことをちらっと話したら「誰と行ったの?」的な方向に持って行かれそうになったのですが僕が言いたかったのはそういうことじゃなくてですね(「祭」の話してる時だったのかな?)、ディズニーランド、ここでは東京ディズニーランドのことですが、あそこって舞浜の駅降りてから帰途に就くまで園内にいる間ずーっと途切れることなく楽しげでどこか幻想的なBGMが流れ続けているんですよね。もちろんディズニーの凄まじいまでの演出力っていうことではあるんですが、あの無際限なBGMを「音の空間性」という視点から考えるとですね、その音楽が響いている空間に居続けている間は夢と魔法の国にいるんだよという意味になるんだと思うんですよね。音は空間を支配しますが、その空間にいる人々には同じ意味が与えられるんだよということです、お経と一緒で。
 「音の空間性」は日常生活を送る中で随所で体験することができます。たとえば救急車やパトカー
(「パトカー」という略語もすごい昭和な匂いがしますが)などの緊急車両がサイレン鳴らして走っている姿。運転免許持っている方は学科で習ったはずですがあれは要するに緊急車両が通りますから道を開けてくださいっていうサインなわけですよね。それを文字や表示(だけ)でなくサイレンという音を使って警告しているわけです。その対象はサイレンが聞こえている範囲の空間にいる車両の運転手なわけです。見たことはありませんが救急車を上空からヘリコプターで追い続けたら救急車の周りだけ一瞬ほぼすべての車両がストップするという現象が起こっているはずです。その円はつまりサイレンが聞こえている範囲であり、それがつまり「音の空間性」を利用したサインというわけですよね。
 それから「音の空間性」を逆手にとったのが暴走族のけたたましいエンジン音ですよね。あれは周囲の人々をうるさがらせるのが目的の爆音なわけですから、誰かに聞いてもらわないと意味をなさないんです。オバケと一緒です。だから彼らはわざわざ住宅街や観光地など人が多い場所でバリバリパラパラ鳴らすわけです。「音の空間性」の理論を本能的・野性的に感じ取って逆の方向に利用している例だと思います。あの爆音は砂漠の真ん中とか誰もいない山道とかでやったって意味がないんですよね。うるさがらせる対象の人々がいないわけですから。そう思えばかわいいもんだと思いませんか。
 暴走族の爆音は実は乳幼児の奇声にもつながるものだと思っています。幼児くらいのこどもって突然大声で叫んだりしますよね。あれがいやだからって子供が嫌いな人も多いみたいですが。なんで子供って大声出すんだろうなって考えたことがあるんですが、ぼくなりにたどりついた答えがこの「音の空間性」だったりします。子供が奇声を上げると、声の主である子供がその声が響いている空間を一瞬支配することができると思うんです。そうするとその空間にいる子供も大人も一瞬声の主に注意が向くでしょう。そうすれば、「お腹すいた」だったり「遊んで欲しい」だったり「さみしい」だったり「つまんない」だったり、あるいは「楽しくてしかたない」みたいな意思や感情までもその周囲の人間に伝えることに成功する可能性が一気に高まるわけです。特に子供の間は誰かに保護されないと生きていけない生き物なわけですから、その場における自分の保護者(もちろん親に限らない)に自分の存在や意思、危険などを伝える必要があるんです。そのために最も手軽で有効な手段・道具が自分の声・奇声という音なのだと思うのです。
 音を発生させることでその音の主に注目をさせることが目的にあるという意味で僕は暴走族のエンジン音と乳幼児の奇声は同じものだと思っています。ただここにはおそらく生存のための音と承認欲求のための音という相違はあると思います。
 それから音が騒音になる瞬間も面白い現象ですよね。その音が騒音であるかどうかは聞く人の立場や価値観によって変わったりしますから。掃除機やエンジンなどの機械が発する音には耳障りなものが多いですが多くは機械を動かすために必要な騒音なわけですし、むしろその機械音が大好きだという価値観もあるわけです。それから電車内でヘッドホンから漏れ聞こえるシャカシャカ音が音楽なのか騒音なのかという価値判断はまったくもって個人的かつ即時的かつ気分的なものですよね。ゴミと宝物の境界はそれぞれの人・立場・瞬間・場合・気分などの諸要素によって変化する価値観によって変わるわけです。

 なんとか修論を書き終えたということで今まで手が回っておりませんでしたゼミブログの方を少しづつ書いていこうと思います。ネタはすでにいくつも用意できているのですが忙しさとかを理由に後手にしてしまっておりましたすみません。
 特に今まで書けていなかった音楽の話をいくつかしてみたいと思います。前座として「音の空間性」の話を、今日のS先生の原点でのお話をきっかけにして書いてみました。
 
 普段僕が頭の中で考えているのはこんなようなことだったりします。

  (志)





2013年12月11日水曜日

長崎に行ってきました。

長崎県では平成22年度から、県内のミュージアムの調査を行い、活性化のための事業をやっているそうです。その一環で月曜日に長崎歴史文化博物館で講演をさせていただきました。テーマは、「地方自治体の文化行政と博物館」でした。今回は、長崎県が壱岐市と一緒に建設をした壱岐市立一支国博物館と壱岐市の文化ホールを見学させていただこうと、月曜日の夕方には再び長崎空港に向かい、壱岐行きの飛行機に乗り込みました。この日は前日までの好天と打って変わっての悪天候で(どうも長崎とはきわめて相性が悪い。前回も猛烈な雨で皆に恨まれたことがあり)、揺れる揺れる。壱岐市の明かりも見えだしてそろそろ到着するかと思いきや、機体不良ということで長崎に引き返すことになりました。

長崎県は、平成の大合併で市町村の数を相当減らした県です。それらの市町の文化施設と担当職員の状況はきわめて厳しい状況だと聞きました。ただ、その中でも長崎県はそれらを資源として活用したいという方向性を持っています。講演前の課長さんのご挨拶でも、「博物館は地域の文化資源と考えています」という言葉がありました。状況をどのように改善できるのかということを考えたとき、「劇場・音楽堂等の活性化に関する法律」で大学との連携を促すことが事業化されたように、博物館関係でもできないものかと思ってしまいます。現在私がもっとも関心があるのは、大きな力のある施設でどのようなよい企画や展示を行うかということよりも、資料や施設を有していながら人材不足(一人の職員や学芸員が複数館を所管しているような状況)で活用できない地域の博物館や文化施設の数々です。これは長崎県内の市町村だけではない問題です。最近は、「博物館の活性化に関する法律」ができないものかと思ってしまうこの頃です。大学とすると、学芸員実習をお願いして、施設のお荷物になってしまうよりも、両者にとってもう少し有意義な関係が築くことができないものかと思います。何か一緒にやりたいですよね、という話をして帰ってきましたが、とりあえず今度こそ壱岐市と対馬市に出かけて、長崎の状況をつぶさに見てきたいと思っています。

それにしても、壱岐市上空まで飛んでいきながら、戻ってきて夕食につきあってくださった県の方や壱岐市の方が、皆、とても博物館や文化行政に熱意を持って楽しそうに取り組んでおられることには本当に心強さを感じました。地域の多様な文化をどのように残し、活用して、博物館を活性化していくのか、県がイニシアティブを発揮しながら県全域で考えていることはすばらしい取組だと思いました。

さらに、もう会期は終わってしまいますが、長崎歴史文化博物館で行われていた朝鮮通信使の展覧会で展示されていた韓国のアーティストが制作した人形がすばらしかったです。朝鮮通信使の行列が華やかによみがえったようでした。

(M.K)

2013年12月3日火曜日

紙を挟んで人と向き合う、ポスターセッション。

今年も残すところ29日(((゚Д゚)))ガタガタ
pugrinです。

11月30日(土)、12月1日(日)は文化政策学会@青山女子短期大学でした!

今年も小林ゼミからはポスターセッションに参加。

高山村・大町プロジェクトと小林ゼミのかかわりについて
「地域の文化が文化資源にかわるとき」というタイトルで
修士1年3人とドクターの先輩方でまとめました。

 
 
他にも静岡文化芸術大学、早稲田大学から参加があり、
会場は写真の通りの大賑わい。
こちらが私たちのポスターの発表風景、
修士1年のリーダーが話しているところです。
 
10月に冬学期が始まってから、タイトル決め→レイアウト→内容と、
2か月間練りに練ってつくりあげてきました。
 
「地域の文化が文化資源になるときはいつなのか?」
「そもそも文化資源についてゼミ内での共通認識はできているのか?」
「文化が文化資源になったらどうなるのか?」
「発展とはどのようなイメージなのか?そもそもその言葉を使うのはふさわしいのか?」
など、毎週毎週ゼミ内で、またミーティングで侃々諤々の話し合いを重ねて
リーダーがかっこよくまとめあげた発表です。
 
自分の研究計画をポスターにしている参加者もありましたが、
小林ゼミの特徴は、「みんなで取り組む」という点だと思いますので
その中で知恵を出し合い、議論し、納得いくまで考えて表現する
というプロセスを経たことは、大きな経験だったと思います。
 
・文化資源は観光ありきの資源ではない
・文化を持続可能な資源とみること
・地域の人たちが自ら考えることと、それぞれの役割をきちんと果たすこと
・過去と未来につながる1地点にいることを自覚すること
 
単なる事例報告や分析ではなく、直に高山村・大町市に関わった経験を通して
こういった内容を強く盛り込めたのではないかな、と思っています。
ポスターセッションの最初から最後まで、
話を聞きたいというお客さんが絶えなかったのはとってもうれしかったです!
 
修士1年のみなさま、博士の先輩方、
お疲れ様でした!!!