2013年9月6日金曜日

鶴岡ゼミ合宿 ~「沈潜の風」に会う

 夏が輝いていた鶴岡。二年前に出羽三山歩きに挑戦した私は、ふたたび庄内の豊かな風景に会えるのを心待ちにしていました。

 今回のゼミ合宿は、ひとつのまちに徹底的にフォーカスするプログラム。M1の方々は、情報を探し出して読み込み、人とつながってお話を引き出すために相当な苦労をされたと思います。ほんとうにありがとうございました。市民との協働をもとめる行政、山岳信仰、中心市街地でのリノベーション、伝統芸能、農と食・・・数日でよくこれだけの分野の担い手にお話を聞けたものだと感慨を新たにしています。

 みんな懐の深い方たちだったな、と振り返って思います。気負いがなく、余計な力が入っていなくて、声高に主張することはないけれど、問われれば自分が信じてとりくむことの核心をしっかり取り出して語ってくださる。静かに筋の通っているところが、お会いした方みなに共通していた印象があります。
「鶴岡は沈潜の風、酒田は進取の風」とは、前日オプションも含めた滞在中に何度か聞いた言葉です。歴史の異なる近隣のまちで異なる気質が自覚されているのがとても面白かった。そしていかにも近代的な「進取」に対して「沈潜」の価値が共有されているのは稀なことではないでしょうか。明治の政治家・漢学者副島種臣が、常には静かに地道に力を養いいざという時に大いに発揮する庄内人気質を名付けたとのことですが、外部から評された言葉が独特の価値観にふたたび命を与えたのではないかと感じました。

 これとは全く違いますが、私の故郷宮崎では自嘲的ではなくむしろ自己肯定的に、「日向時間」とか「日向ぼけ」という表現を使います。温暖な気候に由来するあくせくしないのんびりした気質を指すものです。道路には「てげてげ運転追放!」というスローガンが掲げられて、「てきとー」な態度に注意を促しています。

 ひとつの地域で育つと地域的な帰属意識とか集団的な自己イメージを多少とも身につけるのではないかと思うのですが、未知の土地でそれを感じるときに日本の多様さを実感します。今回の鶴岡訪問で心に残るのは、お話を伺った方々から伝わるこの「風」に触れたことです。人に会わなければまちを訪ねたことにはならないけれど、未知のまちで誰かと話すのはほんとうに難しい。それを可能にしてくれるゼミ合宿はあらためて貴重な時間だったと思います。

 プログラム最後の「母屋」で若主人が、「公益文科大のアンケートで20-30代の7割が地元に魅力を感じないという結果が出たことがあるが、感度が鋭ければここは最高に楽しいところ。そのギャップを埋められれば」とおっしゃったのを、合宿の結びのように聞きました。今回お話を聞いた方々は間違いなく感度が鋭い人たちなのですが、瞬間的に鋭い訳ではない。地元のよさの本質をつかみ、そこに焦点を合わせて他の人からも見えるものにされていました。それぞれの人生の時間をしっかりと使いながら。

 鶴岡をまた訪れてみたいです。新しくなる文化会館はどんな場になるのか、まちキネは周辺地区とともにどう進化するのか、人通りが少なかった商店街はそのときコンパクトシティの中心コミュニティとして再生するのか・・・。再訪のときにもまた人と会えることを望みます。次は地域で活動する女性にもお会いできたらいいな。

 (ykn)

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