2012年12月10日月曜日

Bukit Brown Cemetery-破壊の危機迫るシンガポールの文化資源と市民の保存活動


小さな島国、シンガポールにとって最も貴重な資源のひとつはその国土です。政府の綿密な計画に基づき整備・開発されるこの島は埋め立てによって、独立当初の約575k㎡(淡路島ぐらい)から現在約710k㎡(対馬ぐらい)にまで拡張されているといいます。国民の多くはHDBと呼ばれる高層の公営団地に住み、日常生活を送るまちなかでは開けた空き地を見つけるのも困難なほどの過密ぶり。植民地時代の重厚な建物も、低層の伝統的な長屋建築(ショップハウス)も、観光資源としての魅力を残しつつ最大限の利益が出るよう博物館や店舗、住居として保存・活用されています。しかし数々の開発の影で姿を消した建物も少なくありません。(詳しくはLily Kong "Conserving the past, creating the future : Urban Heritage in Singapore"(2011))今回は、そんなシンガポールで、今まさに破壊の危機にある文化資源Bukit Brown Cemeteryと、それを守ろうとする市民の活動をご紹介します。

ボランティアガイドに続いてジャングルに分け入ると・・・
(右手の案内は墓石の番号)
シンガポール中央部に広がるジャングルの中に、中国国外で最大規模の華人墓地・Bukit Brown Cemeteryはあります。1870年代から墓地として使用されている約0.86 km2の敷地内には10万基以上もの墓石があり、その中には島内の街道にその名を残すようなシンガポールの偉大な先人達のものも含まれています。かつては墓守と墓石職人たちが住む集落が隣接し、手入れの行き届いた場所だったそうですが、1970年代に閉鎖されて以来次第にその存在は忘れ去られ、今日では多くのシンガポール人が自分の祖先が眠っていることすら知らずに暮らしているといいます。

この忘れられた墓地が再び脚光を浴びるようになったきっかけは、政府が2013年から着手すると発表した高速道路建設計画でした。工事のため墓地の3分の1が道路となり5000基もの墓石が移転させられると知った市民は反対運動を開始。これまでに、墓地の歴史や自然の豊かさを紹介するガイドツアーや、専門家を交えての講演会を数多く開催し、参加者やFacebookを通じて活動を知った賛同者から署名や活動資金を集めてきました。こうした反対運動の急速な広がりを受け、昨年政府は計画の見直しを発表。経済発展だけでなく環境保護にも配慮するため、建設される道路の三分の一を高架にして墓石と自然環境への影響を最小限に抑える案に変更しました。しかしそれでも3746基の墓石が移転対象となり、高架の陰に隠れる生態系への影響は避けられないとして反対派市民団体は計画見直しを求めており最終的どのような形で落ち着くかはまだ分かりません。反対派は引き続き、Bukit Brownの全面保護を目指して国連人権高等弁務官事務所の文化権特別調査委員会(the Special Rapporteur in the field of cultural rights)など国外の機関にも墓地の危機を訴えています。(詳しくは、田村慶子「都市開発と市民との対話」シンガポール日本商工会議所『月報』2012年3月号参照)→反対派の訴えも空しく八車線高架式道路の建設は決定され、2014年3月現在墓石の建設予定地にある墓石の撤去作業が着々と進められています。

このような中華風の墓石が現れる
(こちらは整備済み。多くは傾いたまま草木に埋もれている)
Bukit Brown Cemeteryについては歴史的経緯や豊富な写真を市民がまとめたサイトで見ることができます。しかしこの場所の本当の魅力は現地を訪れないと分からないでしょう。出身地域によって異なる技巧を凝らした墓石の数々と、墓石と共に歳月を重ねてきた巨大な木々が立ち並ぶ光景に、ここがシンガポールのど真ん中であることを忘れてしまいそうになります。そしてこの光景を愛して止まないボランティアガイド(愛称・Brownie)が熱く語る、自らの足で調査したエピソードの数々に引き込まれ、いつしか自分も草陰に隠れたお墓を見ようと、暑さも虫刺されの痒みも忘れてジャングルを突き進んでいってしまいます。

今年6月には「Moving House(お引越し)」と題したお墓移転のドキュメンタリーの上映会にも参加しました。緑豊かな墓地に作られた豪華な墓石から掘り起こされた先祖の遺骨の行き先は、高層建築の埋葬施設にある棚の一角(日本の納骨堂のような場所)で、その環境には天と地の差があります。先日参加したツアーでBrownieの一人もこの映像を指して「自分たちシンガポール人はHDB(高層の公営住宅)で生まれ、死んだら死者のためのHDB(埋葬施設)にいく運命なんだよ」と自嘲気味に語っていました。それでも移転作業を自らの手で行える人々はいいほうで、もともと墓地の存在を知らないため、それすら行えない子孫達もいるのです。こうした状況をみると墓地を完全な形で保存したいという市民の主張にも頷けます。

Bukit Brown Cemeteryへ行ってみたいという気持ちがわいてきた皆様へ。墓地は誰でも入れる状態になっていますが、敷地が広大で自力で重要な墓石を見つけ出すのは至難の業であるため、豊富な知識をお持ちのBrownieによるガイドツアーへの参加をお勧めします。ツアーに参加をご希望の方はFacebook上の市民グループのページへお問い合わせください。またツアー情報はホームページにも掲載・更新されます。これら活発に更新されているサイトをご覧いただくと、この活動がどれだけ熱気を帯びているかお分かりいただけるかと思います。

Bukit Brownのように消滅の危機に瀕した文化資源は島内各地に眠っており、市民による再評価や保存活動が始まっています。そして、豊かになったシンガポールで育った若い世代が、経済発展一辺倒ではなく、過去の遺産や自身のルーツに繋がる活動に積極的に関わろうとしているようです。シンガポールで最も重要視されている資源は人材であり、優秀な人材の海外流出を防ぐため政府は愛国心の育成に余念がありません。しかし政府の求めるような優秀な人材を繋ぎとめるためには、あとから作った人工的な愛国心のシンボルだけでなく、個人のルーツと祖国の歴史を仲立ちするような血の通った物語が必要なのではないでしょうか。

シンガポールに関しては創造都市論に基づく戦略的な文化政策や歴史的建造物を改築した文化施設の運営などが注目されがちですが、それら政府主導の動きとは別に、一人ひとりの市民が自らの手足を動かして掘り起こし、書きとめ、その魅力を語り継いでいる文化資源があることも心のどこかに留めて置いていただければと思います。(齋)

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