2012年7月16日月曜日

カラオケ化する小林ゼミ

あれは私がまだ学齢に達していなかった頃でしょうか、親戚が集まる前でカラオケを半ば強要され、幼心に「とんだ罰ゲームだな!」と思ったことを今でも覚えています。ということで、お題はカラオケ。

自治体文化行政とカラオケの関係は深く、地域の公民館活動として住民がカラオケに興じているのが実情でもあるようです。また、先月21日に成立した「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」(劇場法)は、劇場やホールが本来期待される実演芸術の場ではなく、一部愛好者がカラオケなどの娯楽を消費する場となってきたという問題意識が根底にあるとされています。

でも、今回はそのあたりの話はひとまずおいて、日本から世界に広がるカラオケ文化(KARAOKE)についてご紹介したいと思います。
先日、図書館で『カラオケ化する世界』という本を手に取りました。思い切り『マクドナルド化する社会』の焼き直し感が満載の邦訳タイトルを付けられた本書は、以下のような目次で構成されています。
はじめに
1)誰がカラオケを発明したのか?
2)カラオケ・フィーヴァー――日本と韓国
3)カラオケ・ワンダーランド――東南アジア
4)カラオケ宮殿のディスニーランド――中国
5)魂のカラオケ――カラオケと宗教
6)「全裸カラオケ」とカウボーイ――北米
7)カラオケ人――英国
8)「カラオケよ永遠に」――ヨーロッパ
9)ブラジルのカラオケ――ニッケイジンの物語
10)カラオケ革命――カラオケ・テクノロジー
エピローグ(カラオケ最前線)
本書は、洋の東西を問わず世界各国の多様なカラオケ事情をまとめた現代社会文化論となっています。1971(昭和46)年に日本で開発された「エイトジューク」を嚆矢として世界中に爆発的に広がったカラオケ現象ですが、各国が異なる社会的コンテクストのなかでカラオケを受容していく様子が述べられています。
カラオケを低俗な大衆娯楽とみる向きは依然としてありますし、実際に特定の産業と結び付きやすいのは確かなようです。しかし一方で、カラオケは社会的紐帯を強化するメディアとなりうるばかりか、「消えゆく伝統や文化に命を与える近代的装置」とも評価されています(同書: 178)。もはやカラオケの影響が当初の思惑をこえるところにまで及んでいるように感じます。

さて、幼少期にカラオケとの不幸な出会いを経た私ですが、今ではなりふり構わず絶唱するのが好き。マイクを使わず地声で叫ぶことだってあります。いやしかしですよ、昨年度ゼミ合宿の宿泊先でいきなりカラオケが始まったときは驚きました。案外、「カラオケ化する小林ゼミ」というのは言い得て妙なのかもしれません。

参考文献:
Zhou Xun and Francesca Tarocco, 2007, KARAOKE: A Grobal Phenomenon, London: Reaktion Books.(松田和也訳, 2008, 『カラオケ化する世界』青土社).

(peaceful_hill)

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