2014年11月28日金曜日

武豊町民会館(ゆめたろうプラザ)とNPOたけとよの事例

先日,ゼミに遠くからお客様がいらっしゃいました。
愛知県の武豊町から、NPOたけとよの方が、武豊町民会館(ゆめたろうプラザ)とNPOの活動についてお話しました。

正直言って、前回のゼミで、「NHKクローズアップ現代」の番組をみて、初めて「武豊町」という地名を聞きました。日本に来て3年目、愛知県に対してのイメージも、モリゾーとキッコロにとどまっていますOrz...

その方々から、武豊町が知多半島にあって、ミズカンの本社がある半田市から近い、また名古屋のベッドタウンという性格をもっているという紹介を聞いたら、なんとなく地理的位置が分かりました。
1998に町民会館の建設の話を出した「第4次武豊町総合計画」から、2004年、会館の開館まで、住民が参加していることが特徴で、「NHKクローズアップ現代」もこれに注目して、取材していました。行政から、「箱」をポッツンとおいてて、そして、住民に「使ってください」というのが、おそらく、70-80年代、地方文化施設の建設ブームからの思想です。こういう施設が、「できちゃった施設」と言い、なんだか、すでに「しょうがない」、どこか「諦めて受け入れるしかない」という使い手からのため息の声が聞こえようです。最初の設計者の選択から、建設設計の検討、また後ほどの運営に、住民の意見を取り入れるだけではなく、「主役」として任せられてて、しかも、事業などが賑わってて、集客面も財政面も成功しているのが、とても珍しい事例だと思います。

NPOたけとよの方から、意見を出し合うワークショップが「とにかく大変だった」とおっしゃっていました。しかし、武豊町民会館の住民中心としての仕組みの成功は、行政側のサポートと理解という点で恵まれていることが大きいと言えるでしょう。

ちょうど,来月から、『みんなのアムステルダム国立美術館へ(The New Rijksmuseum)』というドキュメンタリー映画が上映されます。ストーリーはすこし似たような感じがします。1994年に、一回閉館したアムステルダム国立美術館のリニューアルにまつわって、アムステルダム美術館の館長、学芸員、建築家、市民の間が揉めていたらしくて、建物の入り口を、建築家のファンシーなものにするか、それとも、市民たち日常生活にとって、重要な自転車の通路にするか、美術館側はかなり頭を抱えていました。去年、予定より大幅遅れていて、美術館がやっとグランドオペンできました。この映画はこの過程を記録したものです。こういう住民・市民が大きく声が上げられ、そして施策やハードインフラ建設に影響が与えられるのは、日本とオランダが共通している、「デモクラシー」が欠かせない時代の流れからこそかもしれません。こういう背景の下で、行政と住民・市民はもはや対立としていられないと思います。ミュージアムやホールの「公共性」は、多様なセクターのパートナーシップから成り立て始めているし、施設が縦および横の「つながり」を要求し、さらに増強していると気がします。言い換えれば、こういうミュージアム・ホールがあったこそ、市民と行政、また企業、建築家、芸術家などが集まれ、お互いのことを理解しようと努力して、一緒に考えて、悩んで、そして楽しめる「場」ができました。こうして、文化施設も「はこもの」から「みんな」のものへ生まれ変わります。

最後に、映画の宣伝です。
http://amsmuseum.jp
武豊町もいつか行きたいですのー
(Mengfei)

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