2014年11月18日火曜日

文化政策の難しさ


先週から、「〇〇を文化で豊かに」の難しさをあらためて感じ始めたので投稿します。
risaiaさんの投稿もありましたが、大町市を(大町市でなくても、どこかの地域を対象に)文化でまちづくりをすることはおそらく、人類が月に到達するよりも難しく「平和な世の中をつくる」という目標と同じくらい複雑な事柄だと思います。
経済学者のH.サイモンは、技術的に解決可能な問題とそうでない問題を分類し、例えば月旅行は、前者で「複雑な事柄ではあるが、唯一の問題領域にかかわるものである」といいます。それはその達成のために「技術的な能力のみが問われている」からで、いくらそれに対する手続きが複雑であったとしても、技術的に解決できるという意味では単純なのだと。
翻って、文化で大町(でなくても、どこかの地域)を豊かにする、さらには、町にとってアウトサイダーである東京 大学の研究室が関係を持って、その達成目標が多岐に渡り複雑すぎて、それを行うことはたとえ「協力体制の行き届いた単一の組織」があったとしても、成功か、失敗か、「人間は月面を歩いた」か否かというような、客観的で単一の目標がないから、決定的に到達ができないのです。
多分このような問題に対し、限界合理性の中で人間は、具体的な問題認識にまでおろしてきて、今よりも適切な配置はどんなものか議論する、デザインする、試行錯誤で計画を作り上げていくしかないと思って私はゼミにはのぞんでいます。このように文化政策をどう取り組むか、地域社会をどうデザインするかという問題は、答えられる問を立ててそこに科学的アプローチを行う研究とも本質的に異なるもので、そこに関わる大学の教員、生徒はいつも歯がゆさや難解さを痛感していていると感じます(haruko

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