2014年7月15日火曜日

内モンゴル自治区移動文化芸術団体――「ウランムチラ」


ブログへの投稿になぜか積極的になれないBSです。

去年一昨年と比べて国際進出が多い今年のゼミ活動では、台湾での夏合宿、ドイツでの学会、おまけに来年の合宿まで韓国になりそうだということです。素直に楽しみにしたいのですが、なぜか複雑な心境です。

私は何より、夏合宿が自国で行われるゼミの留学生がうらやましくてたまらないです。合宿を通じて研究室の皆さんに自国の文化や文化政策を紹介できれば、現場の課題についても一緒に議論できる貴重な機会になると思います。

ということで、いつか来る内モンゴル合宿を期待して事前準備?アピール?として内モンゴル文化、文化施設、文化政策について紹介したいと思います。初回は50年代の中国の文化政策によって作られた、内モンゴルの芸術文化団体――「ウランムチラ」(Olaan-Muchir)を紹介します。


 


ウランムチラという言葉はモンゴル語で「赤いつぼみ、紅い小枝」という意味で、中国語で「乌兰牧骑」(ウランムチ)と音訳されています。その意味は、中国語で「紅い文化活動団体」と訳されてもいます。「ウランムチラ」は一つの団体の名称ではなく、内モンゴル各地のすべての移動芸術団体の総称です。                   

1957年、内モンゴル自治区のスニト右旗で、最初の「ウランムチラ」は4つの楽器と9名の構成員と一台の馬車の上で誕生しました。総合的な移動文化活動団体として牧地で文化活動を展開する目的で作られました。「ウランムチラ」の特徴は、ある特定の文化施設を拠点に活動するのではなく、内モンゴルの草原、牧地、半農半牧地を中心に活動する移動的な芸術団体だという点です。当時の主な移動手段は遊牧民と同じく馬車でした。

             (第四回ウランムチラ文化祭会場


  ウランムチラは、中央政府の指針、思想、政策の伝達、教育普及のための重要な機関としての役割を果たしてきました。当時マスメディアがまだ発達しておらず、中国語が普及していない、中央政府から遠く離れた地域で、「ウランムチラ」は現地の言語で現地の芸術表現(演劇、歌、舞踊)を通じて各時代の政府の指針、思想、政策を伝達してきました。中国では文化政策実施の成功例として評価されています。             

当然のことながら、ウランムチラは文化芸術団体としても活躍しています。多様な芸術創作活動、現地のアーティストの教育・育成の機関としての役割も果たし、モンゴル文化の伝承・発展には欠かせない重要な機関だと考えられます。ウランムチラの多くは中小規模で総合的な芸術団体です。多様な演目を持ち、演劇、舞踊、歌謡、演奏、演説等を行っています。その構成員の多くは現地の遊牧民、若者であり、一人のアーティストが幾つかの芸を担当していることが多くあります。

1992年、ウランムチラの誕生35周年を祝い、内モンゴル自治区の首府、呼和浩特市(フフホト)で自治区各地から24のウランムチラが集まり、第1回ウランムチラ文化祭が開催されました。1997年に第2回目、2005年に第3回目を行い、以降は2年に一度開催されるようになりました。今年は8月下旬に第6回目のウランムチラ文化祭が開催される予定です。

 

 

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