2014年7月10日木曜日

大学の外で芸術作品をつくるということ


引き続きまして、湿気上昇とともに煙草の本数の増えるharukoです。

先ほど告知しました「銀河ホール学生演劇合宿事業」のは、西和賀というまちでの、滞在型制作を行う演劇事業でした。事業は、町内外の人で形成される委員によって運営されていますが、事業の内容面に関しては、制作委員(現、企画委員)を形成する演劇・美術活動に従事する若者が、牽引しています。

今度は、この事業に対して、参加や調査という形で関わらせていただいている私なりの、かなり荒々しい解釈込みで事業紹介したいと思います。

まず、西和賀町(旧湯田町)は、ぶどう座という、戦後の地域演劇史上でも重要な位置を占める劇団のある町です。銀河ホールは、ぶどう座の作品を始め、数々の舞台を育んできた歴史のあるホールです。そのような場所での演劇祭です。しかし単に演劇を行ってきた町だから、演劇を行うという問題でなく(もちろん、演劇史上重要な劇場で、上演をすることはそれだけでも意味のあることですが)、この事業では、より広く、その土地の風土や歴史的にたたされてきた位置を理解しながら、芸術活動を行おうとしていることが大切だと感じるのです。
現地で、ぶどう座の劇団員の方のお話をきくと、演劇制作や観劇と、コミュニティが密着に関係していたことがうかがえます。しかし、かつてのこの土地にあったような凝集力の高いコミュニティは、高齢化、過疎、主要産業の停滞で、演劇との関係を、当時と全く同じ形で取り戻すことはできません。
ここで、今、外部から来た者が行っているのは、その土地に暮らしてきた人の人生や、土地の時間の積み重ねをに触れて、インスピレーションを受けながら、また普段の自分の生活との距離をはかりながら、ときに批判的に、作品を制作することです。特に、今回滞在制作される、「鬼剣舞甲子園」(再演)はそのような作品の作り方になっています。

それでいて、この事業は、地域の要望に妥協しない、芸術を志す人が表現への挑戦できる場を確保しようとする意味で、とても野心的な試みだと思うのです。このような言い方はふさわしくないかもしれませんが、参加者の中には、個々人で「正統的な」芸術世界での活動を続けたとしても、成功するのでないかと思う人もたくさんいます。それでも、東京でもなく、京都でもなく、西和賀で作品をつくることを選び、それを行うことの意味を絶えず考えています。

なぜこの場所で、この方法で、このような作品を?
または、金銭的報酬もないのになぜ、権威的保障もないのになぜ?

このようなオルタナティブな芸術制作を模索する動きは、この事例にみられるわけでなく、いまや一つの流れを形作っているような気がします。従来型の芸術支援のあり方に問題意識を持ち始めた芸大生や美大生、若者が、地域や行政に接近する動きが日本においてもみられているように感じます。
それも単なる懐古趣味ではなく、積極的な、芸術や芸術家、そして地域の再定義を行う動きとしてとらえたいと私は考えます。

ですので、「いったい、なんのことを言っているの?」という方はそれを確かめに、そんなことは関係なく、演劇・美術・芸術・地域に関心のあるという方も、ぜひとも、一部だけでも、関わっていただきたいのです。ものすごく遠回りで、まどろっこしくて、一見なんの意味があるのかわからない、ということに真剣に取り組んでいる人に会えると思います。

(haruko)

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