2014年10月16日木曜日

ショパン像も定番ですが、紅葉と合わせてみると良いものです


ワルシャワはヨーロッパに位置する首都らしく、文化イベント(今週は30回目を迎える国際映画祭)やウォールアート(落書き防止策としての作品もあれば、市内に残る数少ないシナゴーグ付近にはイディッシュ語で描かれたものもあります)でいっぱいですが、今回は銅像(pomnik)に関する話題を。

この街は政治家や軍人、作家などの銅像で溢れています。花やロウソクが供えられ、お墓と似た扱いを受けている像もあるのが印象的です(建国の父と言われるピウスツキ像やゲットー跡地のモニュメント、右のワルシャワ蜂起記念像など)。

ただ、ここまで数が多いと中には理解に苦しむ作品も混ざり始めます。たとえば国民詩人スウォヴァツキ像は裸体に布をまとっただけのデザインであり(かつ頭がやや小さくてバランスが悪い)、ド・ゴール元仏首相の像には国旗を示す紅白のリボンがなぜかガムテープで貼られていました。
これらの“残念な”二体は2000年代に作られた比較的新しい作品です。個人的には銅像はいかめしく、何より古いという印象がありますので、近年になっても造られ続けていることが意外でした。これは推測にすぎませんが、現在でも像による顕彰が意味を持つのは、つい最近までそれがしづらかったからなのかと思います。前々回紹介したワルシャワ蜂起博物館(2004年開館)の充実した展示も、体制転換前には蜂起を公で取り上げることがタブーだったことの反動だということを知りました。25年前に「誰を顕彰すべきか」の対象ががらりと変わったということです。像を造るのは結局本人ではなく後世の人間ですので、その時々の時代背景に影響を受けるのでしょう。

2011年に一時撤去されて以来、いまだ本来の場所に戻っていないため、今回写真を撮れなかった像にPan Guma(ミスター・ゴム)がいます。戦災を逃れたために古い建物が立ち並ぶプラガ地区(ズゴジェレッツへ行かれた方はあそこの雰囲気をご想像ください)の交差点に立っていたゴム氏は、アルコール依存症により35歳で死去した方をモデルにしているそうです。貧困地区の現状を知ってもらうためにアーティストがゴム氏を街角に設置したのは2009年のこと。ステレオタイプを助長するといった批判もあったそうですが、冬には彼にマフラーを巻く人が出るなどなかなか馴染んでいたようです。地区の開発工事が済めばゴム氏も“帰って”くるとのことですが、ただでさえ工事が予定通り進まないこの街で彼がどうなるかは不明です。
 
像というよりはインスタレーション作品をもう一つ。街でも有数の大通りaleje Jerozolimskieにはヤシの木が立っています。これは通りの名(イェルサレム)にちなんで、あえて異質な木を置くことで大戦前後に失われたユダヤ文化を思い出す契機になればとの展示だったそうです(戦前、この街の人口は三分の一がユダヤ系)。一時的な展示の予定でしたが支持を受け、2003年からずっと同じ場所にあります。ただ、現在の交差点は繁華街の入り口になっていることもあり、ヤシの木が目立たないほどに交通量が多い場所となりました。私自身、これが件の木だと気付くまで一か月を要しました。

 
最後に、この街で一番好きな像について。ヴィスワ河を越えたSaska Kępa地区(サクソン木立)は閑静な住宅街で、そこの大通り沿いに著名な作詞家Agnieszka Osieckaの像があります。彼女は生涯の大半をこの地区で過ごし、今もカフェの片隅に座って道行く人々を眺めています。テーブルにはヒット作 Małgośkaの歌詞が書かれた紙が広げられています。見る人と同じ目の高さである分、銅像にありがちな権威的な印象がないのが気に入っている理由かもしれません。目の表情にも好奇心が垣間見えます。
 
(N.N.)

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