修士論文第一生活もあっという間に3分の1使ってしまいましたが、
まだ山の入口付近でうろうろしているpugrinです・・・・・・
そういうわけでブログを書いている場合ではないかもしれませんが
面白い動画を皆さんと共有したく、少しだけ書きます。
https://www.youtube.com/watch?v=SB_0vRnkeOk
赤信号の「止まってる人」マークを躍らせてみたら、
立ち止まってくれる人がぐっと増えた
という動画です。
場所は、ポルトガルの首都リスボン。
信号無視は大きな問題でしたが、この信号のおかげで
止まることが「楽しみ」になり、交通マナーが良くなったという結果が出たのです。
http://matome.naver.jp/odai/2141109593651733001
これ、交通に対する生活課による政策と見ることもですが、
ダンスという文化と、それを投影する現代のテクノロジーを融合した
「インタラクティブメディア・アートの振興」という意味での
文化政策、と見ることもできますよね。
残念ながらこの動画の意図は政策ではなく、
信号へダンスを映す「投影ブース」を作った
メルセデス・ベンツの小ブランド「SMART」の啓発キャンペーンなのですが、
例えば文化政策をする意味って、こういうことじゃないかなあと心打たれました。
規制したり命令したりするのではなく、「楽しませる」。
何か役に立つからダンスをする・見せるのではなく、
「楽しませること」が幅広く役に立つ、そのために文化的なものを活用する。
もちろんそのための枠組みや技術の裏付けあってこそですが、
この動画を見ると少し元気が出てくるのではないかな、と思いました。
ついイベントを作ったり有名な人を呼んだりすることを
文化政策の施策として据えがちですが、
このような発想やそれが出来る人々と一緒にやっていくことこそ、
文化政策の醍醐味のように感じています。
ただ、日本では風営法や習慣、一般常識において
踊る場所や機会が保障されていないことも現実です。
楽しいからと道端で、鼻歌を歌い踊りながら歩く人は奇人変人として避けられるでしょう。
そんな日本でダンスをするという生き方を選んだ人は本当に素晴らしい挑戦者ですよね。
明日、ゼミに伊藤キムさんという世界的なダンサーさんを
ゲストにお迎えすることがとても楽しみです。
必ず大町を直接的に、生身でもって刺激してもらえると確信しています。
絶対に直接言葉を交わさなくては^^
そんなチャンスで黙っていてはもったいない!!
自分自身が今すぐやるという自覚を持つところからゼミは走り出すと思います。
論文が終わったらもっと・・・!と思ってあと1カ月ちょっと、
M1からバトンをちゃんと受け取れるように日々コツコツがんばります。
2014年10月21日火曜日
2014年10月19日日曜日
世の中の「地方創生」の声
ちょっと情報共有を。
「地方創生」が頻繁に話題に出てきたな、ということで貼り付けですみませんが、以下のサイトをご紹介します。
神山に小泉進次郎が自分のスタッフを住まわせたなど、興味深いです。
当初、石破大臣の人事は左遷人事?などと言われてましたが、「地方創生」こそ重要課題と考えるのであればそうでもないわけです。
地方が動き始めないと日本は危ないという危機意識が「本気で」共有されはじめたのかもしれません。小林ゼミでの大町プロジェクトは、だから大事だと改めて思いました。「第六次産業」などで地方創生をめざす人たちもいれば、このゼミでは「文化」で地方創生の試みの一端を担っています。地方の活力を奪った「政府が(誰かが)やってくれる」というメンタリティをどれだけ変えられるかという難しい試みだと思います。そしてそれは地方だけでなく、このプロジェクトに関わり、文化経営を学んでいる私たちのメンタリティの問題にも直結していると思うのです。
とはいえ、修論を書かねばならないので(汗)、プロジェクトに存分に参加できないのが非常に残念です。書き上げたら参入しますので、よろしくお願いいたします!
ちなみにこの記事を書いているのは、水曜5限の小林先生の授業での発表で紹介した参考文献『つながる図書館』を書いた猪谷千香さんです。この本も地方の図書館の多様な取り組みを紹介していて一読の価値ありです。図書館を通して地方創生を考える本です。
追伸
azさん、大町産のラ・カスタ、私も今年お誕生日にもらってシャンプーとトリートメントを使ったのですが、すごくいいですね。勢いで家人にもすすめて買わせてしまいました。大町が誇れる、いい商品だと思います!
(Mube)
2014年10月18日土曜日
地図が変わっていく感覚
私は、舞台芸術の企画制作の仕事をしつつ、この文化資源学研究室、小林ゼミに通っています。
夏季休業中は、仕事の機会に恵まれて、那覇、福岡、北九州、山口、高田豊後(大分)に行きました。そして、この小林ゼミ合宿で行った台湾。言われてみたら、ごくごく当たり前のことなのですが、例えば、福岡からだと東京に行くより韓国(プサン、ソウル)に行く方が距離・時間的にも、そして安いLCC飛行機やフェリーの普及で身軽に行けるということ。(今さらながらでお恥ずかしい話ですが…)沖縄と台湾の歴史的関係等の本も読み、日本と東アジア各国との結びつきをあらためて認識し、自分のなかの地図が変わっていく感覚を覚えました。東京一極集中・発信でない、地域の文化を考えていきたいと常々思っているのに、自分自身の視点があまりに固定していたということに気づかさせられました。
そして、その土地でそこに住む人の話を聞きながら考える、沖縄基地問題や隣国との関係。情報はいくらでも遠方からでも得られることはできますが、その場に身を置いて、体感しながら考える貴重な時間を持つことができました。私が専門とする舞台芸術(ひとつの場所に集まってある一定の時間を共にするもの)を考えるにあたっても、示唆を与えられたように思います。
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| 北九州芸術劇場近くの飲屋街で出会った猫 ちょっと森山大道風(?)に撮影できたと気に入っている写真です |
そして、秋になった今、夏の強い日差しのなかで、疲れてしまった私の髪を、癒しているのは、ラ・カスタのヘアケア製品です。ラ・カスタは、このブログに度々登場する小林ゼミが関わっている長野県大町市に工場があるアルペンローゼ株式会社のプロダクツ。ゼミのなかで何度となく出て来たこのブランドをお店で見つけて、「少々高級だな…」と思いつつ、大町市で作られた製品かと思うと愛着いっぱいで購入しました。今度、大町を訪れた際には、ラ・カスタ ナチュラル ヒーリング ガーデンにもぜひ訪れてみたいものです。毎日、バラの香りを楽しみながら、シャンプーをしています。
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大町を訪れたのは、ちょうど旧暦の七夕の時期。
軒先にこのように人形が飾られていました。
真ん中のちょっと無骨な男性は「カ-タリ」といって、
ふたりの恋のキューピッド役。
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(az/小倉)
2014年10月16日木曜日
ショパン像も定番ですが、紅葉と合わせてみると良いものです
ワルシャワはヨーロッパに位置する首都らしく、文化イベント(今週は30回目を迎える国際映画祭)やウォールアート(落書き防止策としての作品もあれば、市内に残る数少ないシナゴーグ付近にはイディッシュ語で描かれたものもあります)でいっぱいですが、今回は銅像(pomnik)に関する話題を。
この街は政治家や軍人、作家などの銅像で溢れています。花やロウソクが供えられ、お墓と似た扱いを受けている像もあるのが印象的です(建国の父と言われるピウスツキ像やゲットー跡地のモニュメント、右のワルシャワ蜂起記念像など)。
ただ、ここまで数が多いと中には理解に苦しむ作品も混ざり始めます。たとえば国民詩人スウォヴァツキ像は裸体に布をまとっただけのデザインであり(かつ頭がやや小さくてバランスが悪い)、ド・ゴール元仏首相の像には国旗を示す紅白のリボンがなぜかガムテープで貼られていました。
これらの“残念な”二体は2000年代に作られた比較的新しい作品です。個人的には銅像はいかめしく、何より古いという印象がありますので、近年になっても造られ続けていることが意外でした。これは推測にすぎませんが、現在でも像による顕彰が意味を持つのは、つい最近までそれがしづらかったからなのかと思います。前々回紹介したワルシャワ蜂起博物館(2004年開館)の充実した展示も、体制転換前には蜂起を公で取り上げることがタブーだったことの反動だということを知りました。25年前に「誰を顕彰すべきか」の対象ががらりと変わったということです。像を造るのは結局本人ではなく後世の人間ですので、その時々の時代背景に影響を受けるのでしょう。
2011年に一時撤去されて以来、いまだ本来の場所に戻っていないため、今回写真を撮れなかった像にPan Guma(ミスター・ゴム)がいます。戦災を逃れたために古い建物が立ち並ぶプラガ地区(ズゴジェレッツへ行かれた方はあそこの雰囲気をご想像ください)の交差点に立っていたゴム氏は、アルコール依存症により35歳で死去した方をモデルにしているそうです。貧困地区の現状を知ってもらうためにアーティストがゴム氏を街角に設置したのは2009年のこと。ステレオタイプを助長するといった批判もあったそうですが、冬には彼にマフラーを巻く人が出るなどなかなか馴染んでいたようです。地区の開発工事が済めばゴム氏も“帰って”くるとのことですが、ただでさえ工事が予定通り進まないこの街で彼がどうなるかは不明です。
像というよりはインスタレーション作品をもう一つ。街でも有数の大通りaleje Jerozolimskieにはヤシの木が立っています。これは通りの名(イェルサレム)にちなんで、あえて異質な木を置くことで大戦前後に失われたユダヤ文化を思い出す契機になればとの展示だったそうです(戦前、この街の人口は三分の一がユダヤ系)。一時的な展示の予定でしたが支持を受け、2003年からずっと同じ場所にあります。ただ、現在の交差点は繁華街の入り口になっていることもあり、ヤシの木が目立たないほどに交通量が多い場所となりました。私自身、これが件の木だと気付くまで一か月を要しました。
最後に、この街で一番好きな像について。ヴィスワ河を越えたSaska Kępa地区(サクソン木立)は閑静な住宅街で、そこの大通り沿いに著名な作詞家Agnieszka Osieckaの像があります。彼女は生涯の大半をこの地区で過ごし、今もカフェの片隅に座って道行く人々を眺めています。テーブルにはヒット作
“Małgośka”の歌詞が書かれた紙が広げられています。見る人と同じ目の高さである分、銅像にありがちな権威的な印象がないのが気に入っている理由かもしれません。目の表情にも好奇心が垣間見えます。
(N.N.)
2014年10月14日火曜日
はじめまして、M1のK.S.です。私も今年の8月に大町と台北を訪問しましたが、今回は台北の建築保存についてご紹介します。前の投稿と少し被るので、少し詳しめに書いてみました。
最初は一々感動して写真に撮っていましたが、このような町並みばかりなのでいつの間にか慣れてしまいました。
そんな台北も世界中の他都市の例にもれず、1960年代には道路幅を7.8mから20mに広げるという都市計画で歴史的な建物が多く失われたそうです。この道路拡幅と連動してのことだと思いますが、2,3階建ての建物を15階建てまで許容する規制緩和もなされたようです。
そんな開発の時代から保存が模索されていたのが、ゼミで訪問した大稻埕です。この地区は淡水河に隣接し、清朝時代から布や漢方薬などの問屋街として栄えてきました。ここには台北市により都市再生拠点が設置され、ソフト・ハード両面からの整備が進んでいます。
私たちが最初に訪問したのは、URS44大稻埕工作坊というまちづくり拠点です。ここで台北市政府都市発展局の方と台湾歴史資源経理学会の方から説明を受け、その後実際に町並みを歩きながら解説をしていただきました。
以下では写真と共に簡単な解説をしていきます。
これは初期の保存例です。正面のファサードを復元(再現?)し、セットバックした後ろに高層棟が建てられています。
次の保存段階の例がこれです。正面のファサードをかなり正確に復元し、その後ろにセットバックした高層棟を建てています。道路の狭さと敷地の奥行のおかげで高層棟も目立ちません。高層棟のデザインも伝統建築風になりましたね。
最新の段階では、新築で低層の伝統建築を再現しています。本来は鉄筋コンクリートではなく煉瓦造だと思いますが、表面をタイルやモルタルで覆えば分からないでしょうね。低層の建物を建てることで利用できない分の容積率は、地区外に移転できるそうです。
次はソフト面を見ていきます。
次はソフト面を見ていきます。
これはおしゃれな工芸品を集めたお店ですね。元々この地区には無い業種でしょう。ここでお土産でも買おうかと見ていると、日本製の商品が(笑)。
こちらは地元の老舗とのコラボで新しい商品を作り出したという展示です。この展示が行われていたURS127には、都市再生の本を集めた図書コーナーもありました。
この他にも地域の記憶の展示、画廊、日本産食品の店などがありました。もちろん昔ながらの乾物屋さんもあります。
今回は見学していませんが、若者の起業支援なども行われているそうです。既にブログで紹介されている剝皮寮歷史街區の凍結的な保存よりも新しい、文化的な魅力で人と資本を集めるという、都市開発と保存の合わせ技がここでは取られているようです。
歴史的な建物を利用した再開発では外観だけを再現したものが日本でもよく見られますが、それでいいのかと考えさせられた光景を最後に紹介します。
台北で見た商店建築は奥行きが長いので、採光・通風のためと思われる中庭があります。
ここは3階分の高さがあり、各部屋にはデザイナー事務所やケーキ屋が入居していました。外観からは想像できない独特の空間を体験することの驚き、それが長い間存続してきた実物であるという安心感は、やはり何者にも代えがたいものだと実感しました。(K.S.)
2014年10月3日金曜日
アート・アーカイブについて
ご存知の方もいると思いますが、東京アートポイント計画×NPO法人アート&ソサイエティ研究センター P+ARCHIVEというところで、アート・アーカイブ・キットというものが公開されています(http://www.art-society.com/parchive/kit)。
「スターター・パックのダウンロード」は、プロジェクトを実施する際、資料がどこで誰によって作成されるのかについて確認するためのワークシートです。
「アート・アーカイブ・キットPDF」は、プロジェクトの進行に応じて生じてくる資料をアーカイブしていくために考慮するべき事柄が簡潔にまとめられ、アーカイブする際に使える資料が収録されています。
「アート・アーカイブ・ガイドブックβ版+」は、“アーカイブにあまり馴染みのないアート・プロジェクト運営者にアーカイブの目的やその構成を解説し、アート・プロジェクトの活動の記録・保存方法を紹介することを主な目的とした案内書”だとされています。アート・プロジェクトに焦点を当て、アーカイブを作る意味や、プロジェクトの進行に応じてアーカイブ作成のためにどのようなことを考慮してどのような作業をする必要があるのかについて分かりやすくまとめられています。
なぜ記録が必要なのか、記録するときに何を考える必要があるのか、についてある程度認識を共有させておくために、今学期のゼミで記録に関わるような人には「アート・アーカイブ・ガイドブックβ版+」を、時間を見つけて読んでおいてほしいと思ったので、紹介しておきます。
(余談その1)
夏休みに受講したとある集中講義で、講義本体ではあまり取り扱われなかったのですが、受講生の中から「大学文書館」についての話題が提供されたことがありました。大学のxx年史が編纂されて、そのとき収集した資料を保存するような形で大学文書館が設置され、大学における文書の管理と保存が行われるようになることがあるそうです。ただ、そのとき保存の対象とされるのはいわゆる「正史」のようなもので、業務文書とか事務文書が中心になっており、大学で行われている授業に関する記録はよくてもシラバスや便覧くらいで実際の授業で配布されたプリントなどは記録されていないのではないか、そのような誰がどんな授業をやっていたかについての記録も残していくべきなのでは、というような問題提起がされていました。
先日の授業後に先生がちらっと話されていましたが、この授業の記録も色々な形で取られて残されているわけですが、十分に整理されて活用されているか、というとそうでもない部分があり、うまく活用できるように整理も必要ですし、作成時点で保存や整理、活用のことまで考えて記録が作られるような仕組みづくりや運用方法も必要なのだろうな、と思いました。大学全体の文書管理まで扱うことはできませんが、この授業に関してはせっかくこれまでの記録が残されてきているわけですし、何らかの形でうまく記録を保存して活用していけるような仕組みづくりを考えていければな、と思っています。
(余談その2)
再び、とある集中講義での話です。紙の質というのは色々あって、酸性紙は劣化しやすくて中性紙は保存性が高い、再生紙はまだ十分に保存性が実証されていないのだそうです。それで、お高い紙はそれなりに保存性という意味での質もよろしいらしく、戦争期のような物資不足のときは使われている紙も劣悪なものが多くて保存性もよろしくないようです。最近は経費節減という形で安い紙を使うようにとされる場合があるわけですが、安い紙というのはやはりそれなりの質らしく、長期的に保存するべき文書に保存性のあまりよろしくない紙を使うのはどうなのだろうか、という話題がありました。
長期的な視点の必要な事業や制度設計を、短期的な評価軸で評価して進めていくと、後々被害や損失が出る危険性があるわけですが、それらを記録する文書に関しても、短期的な利益のために保存性について考慮することなく記録媒体が選択されると、後で大きな記録の損失が生じる可能性があるのだろうなと思いました。
2014年10月1日水曜日
台湾の歴史的町並み保存ー2020年に向かう日本は?
台湾ゼミ合宿で特に印象に残ったスポットについて書きます。
前乗りのオプションで立ち寄った「剝皮寮歷史街區」です。剥皮寮の名前は、清の時代に中国の福州から船で杉材が運び込まれ、このあたりで皮を剥いで加工したことに由来します。
剥皮寮は、日本統治時代に老松小学校の一部として設けられましたが、その広大な敷地面積ゆえ、長い間学校として使用されていませんでした。次第にその場所に店が軒を連ねるようになり、商業地区として栄えたそうです。
最近では映画のロケ地となったことにより注目度が上がり、かなり多くの人が訪れるようになったそうです。
実際私たちが散策している最中にも、カメラマンとモデルさんがスナップ撮影を行っていました。それほど、統一されたレンガ造りの軒先が美しく、どこかノスタルジックな雰囲気も漂う地区でした。
歩いていると何人かの人が作業している部屋がありました。
展示内容は、障害のある方の手仕事に関するもの。
訪れたときには他の活動は見当たりませんでしたが、いくつもの部屋の利用が広く開かれているようです。
こんな可愛らしい壁画もひときわ目を引きました。
日本では今後、東京オリンピック開催に向けて再開発が進むことと思います。
そのなかで、多くの美しい建物や景観が失われていくのではないかと私は危惧しています。
こうした歴史的建築物の保存と新しい活用方法の開発は、実は急務なのではないでしょうか。
最後に、台湾で最初に食べた衝撃と戦慄のかき氷のお写真。
その名も「Black Humor」「台北ナビ」剥皮寮http://www.taipeinavi.com/miru/136/
「旅々台北」【奇跡的な遺産 剥皮寮歴史街区】http://www.tabitabi-taipei.com/more/2011/0225/index.php
(risaia)
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