2014年9月21日日曜日

ドイツ訪問 ハードでしたが生還しました

M2 Mubeです。92日より14日まで、ベルリン、ゲルリッツ、エアランゲン、ニュルンベルク、ヒルデスハイムと駆け抜けました。濃密な2週間!!印象的だったことをいくつか書きます。

日独文化セミナーはこんな感じでした。発表者のみなさま、おつかれさまでした!
文化」という定義 

risaiaさんが書いているように、言葉の定義の違いがセミナーではもどかしくもあり、また、これを経験すべく来たなとも思いました。何より「文化」という言葉の定義について考えさせられました。

休憩時間にお茶をしている時、ドイツのご婦人が日本のアートプロジェクトを「とてもextraordinary! 」と評していましたが、アートプロジェクト⇒地域おこし、みたいな図式はドイツでは当然のことではないわけです。

 
ヒルデスハイムでの学会発表を受けて、日本に帰ってから『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』という、哲学者ハーバーマスと元ローマ教皇ベネディクト16世との講演録を読みましたが、その本の三島憲一氏による訳者解説がドイツをさらに知るうえで興味深かったです。ビスマルクの文化闘争の話や、戦中のカトリック教会とナチスとの協約、1960年代以降の教会権力の変化など、ドイツにおける文化と教会の強い関係性を知りました。どこに行ってもまちの中心に据えられた教会のことを知らずして、ドイツの「文化」というものは語れないようです。


「クオリティシティー」エアランゲンとは? 

『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか』の著者、高松平藏さんに一日じっくりと講義も交えてまちを案内していただきましたが、ただインフラの話ではなく、そこのまちで能動的な活動が生まれる歴史的要因、ご自身で住んで感じている自治のサイズ感、教会コミュニティーが協会(フェライン)に移行していっても、社会が高い自治意識を保ち続けていること、そして日本ではあまり理解されないことかもしれませんが、アーカイブがまちにとってなぜ重要なのか、それに連なる者としてのご自身のジャーナリストとしての職業意識など、すべてが非常に濃密なプレゼンで、私たちのゼミにとって参考になること大だったと思います。背景の違いは大いにあるけれども大町市と比較してみてもよいのではないかと思いました。にぎやかな一団を快く迎えてくださった高松さんに感謝です。

 
 
 
 
 

壁はまちをアイデンティファイするものでした…右がエアランゲン在住のジャーナリストの高松平藏さん。
 


橋一本の距離 ゲルリッツとズゴジェレツ

ポーランドに隣接する元東ドイツの地域で、東西統合後、ナイゼ川を隔ててドイツ側がゲルリッツ、ポーランド側がズゴジェレツとなりました。この橋一本の違いによる町の雰囲気の差異に、参加したゼミ生一同驚いたことと思います。今回の旅は電車移動も旧東ドイツの地域をめぐることが多く、特にこの夏からポーランドに留学したゼミのNさんが一緒にいてくれたことで、ドイツの中の東西感覚、ズゴジェレツの奥に広がるポーランド、そして日本の地方都市と大都市との関係のように優秀な頭脳が西に流れっていってしまう東の状況について知ることができました。あえて「中欧」と表するところに東へのマイナスイメージがあるとの、Nさんの指摘も印象的でした。

スコットランドの独立投票のように、豊かな「地域」がヨーロッパの中で独立したいという動きもドイツ旅行中に同時に進行しており、EU統合の中でおこる小独立という一見矛盾しているような現象がなぜ発生するのか、少し理解できた気がします。先生方とも話していましたが、いわば「勝ち組」のようなかたちで、エアランゲンのような「地域」には優秀な頭脳が流入していきますが、流出を見守るばかりで取り残されていってしまう「地域」もあるわけです。そこで(「市場主義」であると今回の日独セミナーで評された)創造都市論などが提案されてくるわけですが、ズゴジェレツの若い市長さんの「経済発展なしには文化どころではない」という切羽詰まったコメントは、日本の地方自治体でもよく聞かれるものではないでしょうか。中央集権体制や統制経済に慣らされてしまったマインドみたいなものがまちの方向付けをしているのかもしれません。


川のこちら側では夜まできれいなカフェでお茶したりできます
川のあちら側の文化施設。社会主義時代にもぎ取られた英雄たちの銅像跡が生々しかったです。
 


破壊と復元

ニュルンベルクのまちは90パーセントが第二次大戦で破壊されたけれども「昔どおりの姿」に復元されており、ヒルデスハイムの世界遺産の教会もやはり大戦の破壊から復元、破壊された当時の教会の映像や模型が展示されていました。よく日本の文化財保存で問題にされる「真正性」ということからすると「コンテクストを残す」という感覚なのでしょうか。

ニュルンベルクのナチスの党大会を行ったドク・ツエントルムの巨大建築についても、建築に詳しいTさんが「壊さないで残しているところがすごい、けれどもショッピングセンターにする計画などもあったらしいですね」と教えてくれたことが印象に残っています。こういったドイツの歴史的資源の保存・活用方針、つまるところどう歴史を残すかという感覚についてはもっと知りたいところです。
教会の床にはめ込まれた破壊当時の映像。これと照合すると現在の修復部分が分かります。
 

おいしいビールがまた飲みたいですし、ドイツ再訪したいなと思う旅でした。小林先生、見事な学生発表・学会発表を成し遂げ、ハードでありつつも楽しい道中を共にしてくれたゼミの参加者全員に感謝しています。

                                                    (Mube

 

 

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