2012年10月23日火曜日

「古典」をかじってみる

先日、半蔵門の国立劇場に足を運んだ際、場内に『11月1日は古典の日』と大きく書かれたポスターを発見しました。勉強不足で全く知らなかったのですが、2012年9月5日付で「古典の日に関する法律」が施行され、「国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため」(第3条)に、11月1日が「古典の日」と定められたのだそうです。

古典の日推進委員会HP:http://www.kotennohi.jp
文化庁・古典の日に関する法律について:http://www.bunka.go.jp/bunka_gyousei/hourei/koten_houritsu.html

この法律の第2条では、「古典」なるものが以下のように定義されていました。

「文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったもの」(第2条)

私は、世間で言うところの「伝統芸能」なるものを専門に学んでいます。ただし、(あるいは、だからこそ、かもしれませんが)「伝統」や「古典」といった言葉に対しては、常に警戒心を持ってきました。先日の(竹)様の記事を読んで、自分なりに考え直してみたのですが、今の研究を始めるきっかけとなった個人的な体験は、「伝統芸能」と呼ばれる古い箱の中をのぞいてみた時の、「こんなヘンなものがあるのか!」という新鮮な驚きであったような気がします。この分野では、幼い頃から稽古事の修業を積み、実技の側面も踏まえて学問的探究をなさっている方も多いのですが、私自身はピアノを習い、洋服を着て育った”ごく普通の日本人”なので、初めて聞いた三味線音楽の奇妙な響きや、着物の生地や色づかい、不思議な体の動きの一つ一つが目新しく感じられたのだと思います。

「伝統芸能=面白い」という感覚を出発点に考えると、「伝統芸能=古くから伝えられたスバラシイ価値のあるもの/賞賛しなければならないもの」という前提自体を疑うことなく、その価値や保存を語ろうとするあり方に対しては、つい疑問を感じてします。もちろん、私が感じる「面白さ」の根底には、長く伝えられてきた歴史の厚みがあるのでしょうが、「伝統」や「古典」という言葉でいたずらに敷居を高くしてしまうと、未だ出会っていない人たちに敬遠されて、せっかくの面白さが伝わらないような気がするのです。

とりわけ「芸能」というのは、なまものです。現代という時代の手垢がつかないように白手袋をはめて恐る恐る触れるのではなく、思い切ってかぶりついてみたいと思います。その上で、長い歴史の中で形作られてきた「優れた価値」とはどんな味なのか、じっくり味わって、考えてみたい。私にとっての11月1日は、そんな自分の関心をもう一度見つめ直す日になりそうです。

(mio.o)

1 件のコメント:

  1. 私もまさに、「こんッな変なものがあったんや!」という感動(?)から自分の研究分野に興味をもったので、すごく共感しました。
    現代の「手垢」と当時の「手垢」と、両方備えたナマの手でかじりついていきたいものですね。mioさんの研究、面白そうなので、また色々聞かせてくださいね。
    (竹)

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