2014年12月8日月曜日

“呪われた街”ウッチ訪問

師走になるとあちこちで『くるみ割り人形』の公演が開かれます。本日はポーランド第三の都市ウッチ(Łódź)でその一つを観てきました。ところがその数日前、ニュースで今年のとあるジャーナリズムの賞Michał Matys『呪われた街、ウッチ』(Łódź, miasto przeklęte)という記事に送られたことを知りました。私にとってウッチといえば、Andziej Wajda監督の『約束の土地』(原作はノーベル賞作家のWładyslaw Reymont)の舞台であり、19世紀に紡績業で栄え人々の欲望が交錯した多民族社会。また、ポーランド映画の黄金期を支えた監督の多くが学んだウッチ映画大学があるという認識。

記事には街が危機に瀕しているとありました。1989年に体制転換が起こった時、紡績業は自由市場の波に乗れなかった。そしてモノカルチャー経済からの有効な方向転換を果たせないまま衰退していく事態が、仮にも国で第三とされる都市(人口は2013年で71万)で今起きている。予想範囲内の内容でしたが、これがウッチ出身のジャーナリストという現場の人間から出てきた意見であり、また賞というかたちで評価されたこと自体が重要なのだと思います。「最大の問題は教育を受けた若年層が、ウッチから他の街に仕事を求めて流出していくことにある。残るのは教育を受ける機会に恵まれず、他に行き場所もなかった年配層である」という文章を読むのはいたたまれなかったです。

そうしてウッチに対するイメージをこれでもかと悪くして現地へ行きましたが、まずここには旧市街も中心となる広場も存在しないという、ヨーロッパの都市のあり方に照らしてみれば驚くべき事実が発覚。ちなみに今日はカトヴィツェというかつて炭鉱業で栄え、やはり衰退した街から来た方と街を回りましたが、そこにも旧市街や広場はないとのことです。何だか“中心地”がないこととその街の盛衰はどこかで関係があるのじゃないかと適当な推測をしてしまいました。

 
右の写真はメインストリートのulica Piotrkowskaです。多くの店が閉まる日曜だということを考慮しても、この閑散ぶりは首をかしげざるを得ない(一日中霧という天気も大いに影響しているはず)。これでも数年前のシャッター街状態よりは改善しているそうです。おそらく皆は街のランドマークであるマヌファクトゥーラ(Manufaktura)に行っているのだろうという予想は的中。2007年に18世紀の工場跡地を改装するかたちで開業したこの施設には四つ星ホテル、映画館、現代美術館(ポーランドの作品を中心になかなか面白いコレクション)、工場の歴史を紹介する博物館、スポーツジム、各国料理のレストラン街にホームセンターと、まさにここだけで一つの街が形成されていました。クリスマス商戦期間ということもありますが、周辺地域に暮らしているのであろう人々がここに集結する様は、イオンモールで時間を過ごす日本の地方都市住民のポーランド版を思わせました。ただし“集結場所”であるマヌファクトゥーラの一歩外に出れば、なぜか街灯が十分にない真っ暗な街が広がっているので、両者の差は日本のそれよりも鮮明です。元々が工場なので外装は横浜赤レンガ倉庫と似ていますが、倉庫どころか工場をまるまる一つ扱ったわけで、規模が桁違い。逆に言えばこれだけ広い跡地が長らく荒れるにまかされていたわけで、元工場長のMieczysław Michalskiが何とかして事態を打開したかったのも頷けます。改装費は25千万ユーロ、フランスの基金がロスチャイルドの団体と組んで出資したそうです。つまりこれはあくまで工場主を中心とした活動であり、地域住民が何らかの形で入り込めるような規模ではなかったのだと予想します。そして改装が工場跡地の整備を主目的としており、周辺地域の環境整備には手が回わらなかったのだろうということも。

ポーランド歴が長い方に聞けば、現在ウッチは映画とデザイン、現代美術の街として売り出そうとしているようです(ちなみにロケ地としてではなく、映画製作を学びたい人を集めたいようですが、映画大学生時代のロマン・ポランスキーが今なおヒョイと出てきそうなほど“昔の映画の路地“がたくさんあります)。個人的にはマヌファクトゥーラ開業から7年も経ってなお、ランドマークができた影響が波及せず、周辺の変化が小さいのはなぜか気になります。またこの街には複数の大学が存在し、つまりは(記事の内容とは逆ですが)流入してくる若年層も確実にいるはずなのに。今回は訪問する機会を逃しましたが、マヌファクトゥーラから数キロの場所にはOff Piotrkowskaという、これまた工場跡を利用したデザイナーギャラリーやカフェ、クラブが集まった施設があるそうです。もしかしたらこここそ注目すべき場所なのかもしれません。
ただ、最も気になるのは変化のための資金がない以上に、人々の中に「お上が何かをしてくれるのを待っている」精神があるらしいことです。これは私がウッチのみならずポーランド全体に対してぼんやりと抱いている印象論にすぎません。九月にエアランゲンに行ったことを思えば、隣同士の国でもずいぶん違うなと思わざるを得ませんが、住民の意見で実際に地域を変えられるという現象自体が新しい(=馴染みのない)とすれば、この精神性にはなかなか根深い経緯があるのではとこれまた適当な予想。現に同じく九月に訪問したヴロツワフ(Wrocław)は非常に元気のある街だと思いましたし、これらの地域に関する事例を私が十分に資料を読めないことが最大の問題です。
(N.N.)

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