2013年3月20日水曜日

晴れ渡る大町



今回ようやく大町へ行くことができた。詳細はM.O.さんが記してくださったので、ここでは個人的な感想を述べたい。


日本一標高の低い千葉県育ちの私としては、周囲を山に囲まれているだけで随分気分が違う。実際大町のどこへ行っても山があった(カレンダーや絵画などにも)。気温はまだ肌寒かったけれど、青空と山々が見事なコントラストをなしていた。


一日目のフォーラムでは タイムキーパーをしていたため、若手職員の発表を詳しく聞く余裕がなかった。続く市民発表は聞けたので、その時メモしたことを以下に。

・多くの人々が「肩書を外して」「一緒に議論して」「連携しよう」ということを目標に掲げていた。それがキーワードになるということは、現状がそうなっていないことの表れでもある。

・市民発表は予定の時間を超えた。それは市民が行政に自分たちの活動を知らせる機会が今までなかったからこそ、今回より多くのことを伝えたいという気持ちの表れだったともいえる(面白くてためになりそうなものがたくさんあった)

・やはり大町のイベント量は全国的に見ても非常に多いそうだ。事例案として、現代の祭りとしての水都大阪が出ていた。単純な比較はもちろんできないにせよ、その量は大阪を引き合いに出せるくらいには多いということである。

「僧職系男子」「バル」という言葉に説明が必要だった会場に正直「おや?」と思った。これらの言葉は私にとっては自明であり、会場の多くを占める人々が私とは年代が違うことを一瞬失念してしまっていたのである。これは些細な例だけれども、多くの人が関わるプロジェクトにあたっては当然ジェネレーションギャップ は生じてくるし、逆に欠かせないとも思った。

・全体を通して、文化ホールや図書館などの既存の文化施設を活かそうとする案が一度も出されなかったことが気になった。

フォーラム後の懇親会では大町でカフェを営んでいる方、市民発表で防災キャンプに関して話していた方をはじめ、多くの方と話すことができた(食事では蕎麦と信州リンゴが気に入った)。

その中でここに書くべきと思ったのは、「大町を何とかしたいと感じ、行動しているのはIターンした人に多い」「昔から住んでいる住民から『これ以上何かをしてほしくない』と言われたこともある」 という発言であった。



二日目の市内見学

・長大な商店街は聞いた通りシャッターを下ろした店が多かった。だが私にとってはスーパーで買い物をするのが基本であり、「商店街」そのものに一種のワクワク感を覚える。開いている店では昔ながらの菓子パンからフキノトウ、親戚の子(幼稚園)のためのセーラー服まで、予想外に買い物をした。

・「麻倉」は元々機械など全くない、それゆえ人間が何かを作ることが文字通り命がけだった時代に建てられたらしい(なにせ巨大な梁を人力で持ち上げるのである)。その話を聞きながら、後世に残していきたいのは単に建物だけではなく、その精神も含めてなんだなと思った。


私自身はまだ一つの場所に居を定めて暮らそうという感覚が希薄で、なおかつ千葉に対する思いもさほど強くない。しかしいずれ「ある土地で、どのように暮らすのか」ということを考えざるをえない時が来るだろうし、今回の訪問はそれに対する重要なヒントとなる気がする。とはいえ、まだ一泊二日分の時間しか過ごしていない。今後も訪れたいというのが今の実感である。 

(N.N.)





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