2014年10月1日水曜日

大町ガールズ

M1のICHIです。
ご報告が大変遅れてしまい申し訳ありません。

8月7、8日と大町へ行ってきましたので、その報告いたします。
授業では毎回のように話題となり、幾度となく意識していた大町を
初めて実際に訪れることができ、心が躍りました。

今回は、M1のTさんと二人で視察にうかがいましたが、
ポイントは「どこを見るかよりも誰と会うか」、人に焦点をあて視察をしようと考えました。
その結果、出会うことができた方たちが、表題の「大町ガールズ」です。

「大町ガールズ」とは、あくまで私の勝手なネーミングですが、
大町商店街周辺のお店・施設を取り仕切っていらっしゃる3人の女性たちのことです。
この3人の方に共通するのは、
1.UターンもしくはIターン者であること
2.美大など芸術系の大学の出身者であること
3.大町を文化で豊かにするための具体的なアイディアを豊富に持ち、かつその実践者であること
4.文化の担い手としての強い当事者意識を持っていらっしゃること
5.3人がともに連携されていること
です。

今後、大町において、文化でまちづくりをしていくにあたり、
当事者としてその核になっていただける方、まさにキーパーソンに出会うことができた気がしました。

名刺交換をさせていただき、ご連絡が取れるようになっていますので、
改めてお話しをうかがうことも可能です。

以上、簡単ながら大町訪問のご報告でした。

本日よりいよいよ冬学期が始まりましたね。
引き続きどうぞよろしくお願いします。

ICHI

2014年9月29日月曜日

台北は今韓流ブームの真っ最中?

去る夏のゼミ合宿は、台湾(その中でも台北)だった。
とても暑かった思い出が、ほぼ一か月過ぎているいまだにも肌が覚えている。

初訪問の台北で私が感じたのは、暑い思い出以外に韓流ブーム。
食堂や喫茶店、街中で、自然に流れてくるのが韓国のアイドルの歌、
それから、繁華街に(台湾国立大学前にも)韓国の化粧品が、普通に並んでいた。

日本と同様、台湾でも何年か前から韓国ドラマ、歌、化粧品などの人気により、
韓流ブームになっていると知り合いから言われたことがある。
それを証明でもしているように、街中は韓国のものでいっぱい。

日本は韓国との政治的関係などにより、以前と比べると韓流ブームという雰囲気はかなり減っているが、台湾は相変わらずのような気がした。

この韓流ブームについては、ここ何年間、韓国文化政策学界において非常にホットなテーマでもある。
今までは日本における韓流ブームに関する研究が多く行われていったが、最近は中国、台湾、シンガポールなどのアジア圏を含め、全世界における韓流ブームに関する研究がおこなわれている。

台湾での韓流ブーム場合は、何より韓国ドラマに関する爆発的な人気から、韓国を新しく認識するきっかけとなったと言える。
というのも、韓国と台湾の関係は、1992年の韓・中修交による断交と、2002年アジアンゲーム誘致の競争などにより、韓国に対する否定的な感情が存在していたからである。

これらの韓流ブームは、最初の段階では民間(特にドラマ産業)で動いたものだが、政府の支援が後からついてくることにより、より大きい政策として変換していく流れを持つ。

このような話はまたの機会を通じてブログに書きたいと思う。
今日はその韓流ブームを実際に台北で感じることができたということと、
一つ不思議だったことについて書きながら終わりにする。

それは他ではなく、台北の各標識板にhあ韓国語(ハングル)がまったくなかったことである。
台湾語、英語、日本語の案内はあったが、日本でも最近はどこでも案内されている韓国語がまったくないことに、少し驚いたのである。

(bangulより)

初めて大町に行ってきました+α

夏休み中に、初めて大町市に行ってきましたharukoです。実はMengfeiさんと一緒に行ってきました。まだ町から受けた印象が断片的でつなぎあわせられていないのですが、現段階のものを共有したいと思います。

特に今回の訪問は、水に圧倒されたものになりました。まず信濃大町駅では我々はバケツをひっくり返したような大雨に迎えられ、丸福パンへ退避。東京や静岡から集まってきたメンバーには、今日はここで一日過ごすのかな、それも悪くないねという諦めにも似た雰囲気が漂っていました。雨が弱まると、ようやく町中にでて男水・女水の存在に気づくことができました。

もうひとつは、黒部ダムに初めて行ったことです。黒部ダムは、戦後の電力不足解消のために当時の技術を集結させて建設されたダムで小説や映画にもなっていますが、これほどの迫力とは知りませんでした。ダム湖から打ち付けられた水はもはや、液体?個体?気体?建設会社は、我々が通り抜けた関電トンネルのところが熊谷組、ダムアーチ部のところが間組と書いてあります。
殉職者の碑をみて、当時が工事に安全確保がなされなかった時代だったということを改めて思い知らされました。そういえば、先日機会があって葛飾区亀有の郷土資料館に行きましたが、そこでは有志の方による、まちなかアーカイブ展示がくまれており、町の景観のなじみ深いものとしての「煙突」がフィーチャーされていました。日本の発展の象徴としての煙突という、歌も一緒に展示してありました(ところで煙突といえば、足立区立郷土資料館で、来月5日まで「おばけ煙突」の展示をやっているみたいです。)おそらく自分たちの世代には、ダムや煙突=日本の発展・成長の象徴、さらには町のシンボルとはすぐには変換されないのではないかなと思いました。どちらかというと公害・破壊というイメージがつきまとうような。
そのため今回、エネルギー博物館に行けなかったことはちょっと悔やまれます。どのような手法で、どんな内容の展示がなされていたんでしょうか?

最後に、町中で感動したのが、商店街の街角図書館(もはや水、関係ありませんが…。写真は後ほどアップします)。商店街に置かれた段ボールに本を置いてあって、読んだら返してねというもの。このような仕組みが成り立つ人間関係がここにはあるのかなと感じました。
実際に、博物館やタクシーなど、大町のことについて、「探検家がこの付近の蝶を採取した」とか「お願いティーチャーのロケ地である」とか、詳しく話してくださる方が多かった気がします。
商店街は6割くらい開いていたように感じます。しかも、日曜には、日本酒祭りが開かれていてたくさんの人が集まっていました。

書き散らかしてしまいましたが、総じて、大町市では歴史的なものと現代的なものの両方を感じたという印象です。黒部ダムにしても、塩の道博物館にしても、日本史上ここをぬきには語れないというような歴史を感じました。そして、芸術祭やコンテンツツーリズムという新しさも同時に感じました。(haruko)


夏の大町はゲンキだった

長野県大町市にはこの間8月の訪問で、5回か6回目の訪問となった。
初めての訪問が2012年だったことを思い出すと、この3年間、平均年に2回は訪問したこととなる。
これから来年3月までには、より頻繁に訪問することになるだろう。

偶然だろうか、いつも大町市へ行くのは秋~春の間だったが、今回は8月という真夏の時期の訪問。
いつもと違う大町に出会ったような気がした。

こんなに、子供がいったんだ大町に~と思うほど、子供と若い人が大町にはいた。
ちょうど、訪問した日が「やまびこ祭り」の日で、家族や親友、同僚とともに、祭りを楽しむ姿を経験できた。

今まで見えてこなかった環境を目の前にし、その楽しさが経験できたおかげかもしれないが、こんなにゲンキな姿を見せいている大町はきっと「文化で豊かになるだろう」と、ワクワクしてきた。
それに、毎年少しずつ熱情を持ってやる気をみせる行政側の若い職員たちに出会うことも嬉しいことである。

今回の訪問で出会った乃至すれ違った人たちが「大町に住んでよかった」と思えるものは一体なんだろうか。と深く思うようになった。
それについては一率的には答えられないが、今回の訪問で自分が感じたものは(いや、毎回の訪問で感じたと思うが)非日常的な楽しさを経験することではないかと思う。
大町で非常に多く行っているスポーツ活動の良いんだが、芝居を観る、映画を見るなどといった芸術を楽しむ行為から実際に自分たちが芸術の主体側となり経験することへと持っていく仕組みが必要ではないかと確信を持つようになった。
それは、祭りを楽しんでいる彼らの顔から強く感じれたものである。

そのためにも、大町市に住む芸術家の現状について目に見える形にする必要があり、今までのキーパーソンと言われいている人ら以外にも他はいないか調べる必要がある。
以上のようなことを念頭におきながら、今後の作業を進めようと思う。

*大町市の山岳博物館前の公園
この公園には多くの櫻の木が植えられている。
春はその櫻のおかげでとてもきれいだった。
今回の公式日程が終わったあと、知り合いの大町市在住のアーティスト(在日朝鮮人)と一緒にこの公園をたずねた。
何度も来ているが、この公園について「桜がきれいなところ」ぐらいしか言われてないが、はじめて彼女からこの公園について聞くことができた。
この公園は、大町に住んでいた在日朝鮮人らが国(北朝鮮)へ帰国する前(1960年代)、その寂しさを桜の木を植えることと詩を書いた碑石を残すことにしたとのこと。
桜の木は毎年春になると綺麗に咲くが、碑石は歳月とともに古くなっている姿に、胸を痛めた。

(bangulより)

大町市訪問について

ブログへのアップがかなり遅くなりましたが
長野県大町市訪問の報告を書きます。

私はゼミ生での大町訪問にはタイミングが合わず参加できず
同じように参加が難しかったクラスメートとの少人数での大町市訪問となりました。
そういった意味では
直接行政の方とお話しをするような機会はなかったのですが
フットワークが軽い分
「自分たちの力で大町市を盛り立てていこう」という気持ちの強い方と
時間を気にすることなく、一個人としてゆっくりお話しを伺うことができました。
本当に飛び込みで伺ったにもかかわらず
お話を聞いた方はみなさん暖かく迎えてくださり、
「大町市の今」を教えてくださいました。
それまでは授業のスライドやプリント、先生や先輩方からの話を聞くだけだった大町市が
「実際に生きている街」として実感することができました。
とても充実した大町市滞在となり、
お話を聞かせてくださったみなさまには、改めてこの場を借りて感謝申し上げます。

それまでは
「これから何ができるのか」を主体に考えていることばかりでした。
それは大町市の文化政策プランを考えることが役目だと思っていたからです。
でも大町市でみなさんとお話しをしているうちに、
実際に大町市に住んでいて、
行動をおこして、変化をきちんと重ねている市民の方がいて、
行動をおこしてはいなくても、想いをもって住んでいる方もいて、
個々の意識がとてもしっかりとしていることを感じました。
これからの大町の文化政策に必要なのは
外からの空気や変化を無作法に流し込むことではなくて
今までの積み重ねをどうやってつないでいくかなのではないかと感じました。
(とても抽象的な表現ですみません)

「これから何を一緒にしていくことができるのか」
こういった意識に変わることができたのも
大町市を訪問した大きな収穫だと思っています。
今回経験したこういった気持ちをこれからに生かしたいと思います。

余談ですが
大町で飲んだ牛乳がとてもおいしかったです!そしてこの力強いキャッチフレーズ!
「そうだよなぁ」とものすごく説得されてしまいました。
(nobu)

2014年9月27日土曜日

8月の大町訪問感想

遅くなったが8月の大町訪問の感想を共有したいと思う。

今回の大町訪問は意義深い出来事だった。大町を訪ねるのは3回目になり、見たことがない大町の様子を体験して改めて考えさせられることが多かった。
まずいくつかの文化施設を見学してすぐ分かったことは各施設の間には連携が殆どないことである。連携がなくて当然と思っている職員がいたことに、驚いた。
私自身は以前博物館に所属した時には全く逆の考え方で、博物館と博物館および文化施設の間に連携があることは当然だと思っていた。協働作業で人材教育するという側面は特に重要だと思い、連携があってこそ、考えたことがないまた無理と思ったイベントおよびプロジェクトが充分に出来るようになり、さらに職員として協働仕事に参加している間は他の施設はどのように働いているかが理解でき、自分が所属しているところの独自性をよりよく考えさせられる場合もあった。また自分のところで抱えている問題の解決はとなりの施設で発見するということもあり、協働作業を通じて学ぶことが多い。
もちろん公共施設は法律に従う必要があるため、他の施設と協力することは複雑である面が必ずあるが、その障害を乗り越える対策を考える作業は職員の一つの役割だと思う。さらに民間文化団体と協力する時には数も多いことから、最初から「無理です」という考え方は市民が文化行政に協力する権利に障害を設けることになる。

私が研究しているブラジルの文化政策の「Cultura Vivaプログラム」の一つの目的は積極的に社会にある複数の文化団体の間の連携、およびさらにその複数の文化に取り込んでいる社会の一員と公共施設との協力を作ることである。ブラジルにおいてもこの作業はすぐには、簡単に出来あがっていないが壁にぶつかりつつ進んでいる。最初に行政においても、市民においても知らない点は多いが協力しながら両方とも成長する。しかしそのためにはどちら側にしても高いレベルのコミットは必要だと思われる。
コミットといえば今回の訪問には非常に気になったところがあった。そこは民間の施設であったが、そこの職員は「もう行政には期待していない」と語ったことだった。大町市とこの団体は連携してなにかをすることは非常に難しいと思っているようだ。理由は複数だと思われるがこの全国的にも有名な団体は、大町市が特別な待遇をしてくれることを期待しているようで、かえって協力が難しくなっているように思った。
私がM2だった時は一度授業で文化ホールについて話題になった点がある。そもそも日本では劇場ということ、またいわゆる西洋からの演劇は昔からあったわけではなかったにも関わらず1980年代以降全国に文化ホールが作られ、そこで地域の住民の生活とあまり関わってない文化に日常的に重要性を与える一方で、その地域にもともとあった伝統文化は重視されない側面があり、それは人々が文化ホールに行かない理由の一つになるのではないかという議論が授業で起きた。従って大町にいくら有名な団体があって最初から「有名な団体」という扱いを受けようとしても大町の人々の文化には全く接触していないのであれば特別な関係は生まれないと思う。そもそもある団体がただ大町に拠点があるだけと考えるのならば、大町の人から東京の人と同じようにその団体の活動を称賛されることはなかなか難しいと思われる。そういうスタンスは市民としてコミットすることとは違うと考えた方がよいだろう。

最後に大町に住んでいるブラジル人についてすこし書きたい。私が知っている日本人は殆どだれも大町の存在をしらない(もちろんゼミの仲間は大町について詳しいが)。しかし日本にいるブラジル人の間では大町のこと知っている、また住んだことがある人がいる。その中には黒部ダムに行ったことがある人もいれば、大町の工場で働いた人がいる。それを頭に置いて、外国人の出稼ぎ者も大町の一員になっていることを思いながら長野県に行った。公民館を訪問した時に職員の方にどれぐらい外国人が利用するかを聞いたところ、殆ど公民館を使わない「興味がない」という答えもあった。確かに興味がない人もいると思うがそこには一つ理由が存在すると思う、例えばブラジル人には「公民館」という存在はとても分かりにくい、「自由に使える」と言われても分からない部分がある。なぜかというとブラジルではそもそもその公共スペースはそんなに提供されていないため公民館の存在が分からないと思う。多分適切な説明が必要だろう。ブラジル人の私には大町だけではなく日本の複数の地域に住んでいるブラジル人が多くの文化施設を使って、いつか帰国したらブラジル社会の一員として向こうでのその場所の必要性を社会に活かすことを願っている。

今回の3日間の大町訪問で改めてなぜ大町は元気な町になれるかと思った理由は、やはり出会った二人の元気な職員の方と二人に生きづいている文化。あの人たちは大町を今後担う力の一部になる可能性がある、また同じように大町のために頑張ろうとしている人は多くあるかもしれない。
(MP)

2014年9月24日水曜日

台湾合宿!

遅ればせながらようやく帰国したM1のRaeです。
以前のブログで予告した内容とは違いますが、先に先月末にゼミ合宿で行った台湾について書こうと思います。
私が台湾で最も印象に残ったのは宝蔵巌、これより前のブログで写真を上げていらっしゃる方たちがいらっしゃるのでそちらもご覧ください。
去年行った韓国のガムチョン文化村とようすは似ていると思いながら、山(?)の中の細い道を辿って行くとアートスペース、演劇空間があります。宝蔵巌には家がいくつもあり、そこには普通の人が住んでいたりカフェがあったり、選抜された芸術家や芸術団体が3ヶ月間住んで(作品製作の義務はない)ゆっくり過ごすためのスペースが提供されたりしています。
私達は台北のみに滞在しましたが、そこでは日本統治時代の建物や、廃墟を再利用して…というのが多かったです。帰国後ガイドブックを見てみても、そのようなところを資源として、少なくとも台北は大分「観光地」化されていると感じました。

実は、欲を言えば先住民の文化の現状を垣間見ることができれば…と思っていたのですが、そんな中昨日の朝日新聞(23日朝刊)で「台湾先住民 観光化の苦悩」という記事を見つけました。
日本でも同じことでしょうが、先住民の宗教儀式であった祭りが観光に使われ本来の意味が薄れてしまっているそうです。それだけではなく、観光で得られた利益が先住民に還元されず環境破壊も進んでいるとか。先住民はオセアニア系で今は山の方に住んでいることが多いそうですが(『図説 台湾の歴史』)、最近ではその半分は都市に出ているそうです。
つまり、あとの半分の先住民の伝統、生活は中々外部の目に触れることが難しい。

当たり前といえば当たり前なのですが、来訪者(旅行者に限らず)である私達の目に触れるところは観光地化された所になってしまうことが意外と多いですね。初めての訪台であった私にとってはそれでも良いというか、むしろ台北の概要を掴めて楽だったのですが…時間がゆるすならば中山堂以外でも「内側」の人の話をもう少し聞けたら面白かったな(宝蔵巌で活躍する芸術団体等)とも、今更ながら思っています。

※中山堂でも、いずれ小規模なオペラをやりたいと言うことでした。台中にできるというオペラハウスといい、台湾のオペラ界はこれからが楽しみですね。