2014年7月13日日曜日

「日光江戸村」

これからまた怒濤の二つのサマープログラムに入ってしまうMengfeiです。
おそらくまた暫くゼミもブログを書く余裕がなくなると思います。

日光東照宮の次の週末、また日光に行ってきました。
今回はテーマパークがテーマでした。
「日光江戸村」結構前から気になっていました。1986年の開園で、また江戸東京博物館などと同じく、「江戸ブーム」の時期に作られたと考えられます。

「テーマパーク」の「テーマ」というのが、最初から最後まで、一つの主題にまとまっていることを指しているでしょうかな。
チケット売り場から、「通行手形」を購入、中のお姉さんだちすでに江戸ことばで話していました。多言語のマップが置いてて、外国人観光客が多いということですね。
キャラクター「ニャンまげ」グッズがざらりと並べているショップを通って、入村!
本当に「鬼平江戸処」が何十倍の規模で、江戸の町並みが目の前に広げました。
日光江戸村入場券
村に入って、すぐニャンまげがいました。
何年前、「ニャンまげにとびつこう」というキャンペーンがあったらしくて、私たちはおとなしく一緒の写真だけを撮りました。
「日光江戸村」は飲食系がもちろん、他のいろんなレジャーが入っていました。
たとえば、「侍、忍者、新撰組、商人、花魁、町娘」に変身できるところ、青染め、せんべい焼きの体験場、お化け屋敷、いろいろな芝居を上演している劇場、また遊園地と変わらなく、手裏剣道場もありました。
忍者怪怪亭の中
迷路、怪怪亭、お化け屋敷など、娯楽性が強く、まだテーマパークというのが分かりますが。展示スペースもかなりありました。
例えば、纏(まとい) と江戸の火消しの説明するところがあって、江戸東京博物館とどう違うか分からなくなりました。
展示スペース
なんとなく、今現在の社会、定義をすることとか、境界線を引くのがすごく難しくなっていると気がします。一方、ミュージアムがテーマパーク化していて、テーマパークもミュージアム化しています。
娯楽と教育、もともとEdu-tainmentということばがあって、切り離すことができないかもしれません。

2014年7月12日土曜日

第2回吉祥寺コミュニティデザイン大賞公開審査会を終えて

先日このブログでも吉祥寺コミュニティデザイン大賞公開審査会についてお知らせをしましたが、今日発表を終えてまいりました。
まず結果を言うと、残念ながら賞(上位4つ)をいただくことはできませんでした。
とても悔しいですが、しかし、挑戦したことは本当によかったと思っています。
何か自分の力を試すことをしたことがあまりありませんでしたが、こうやって一からアイディアを考え、見える形にし、人に伝えるまでの一連の作業をしてみると、何が自分に欠け、逆に自分が何を学んできたかが見えてくるように思います。
また、人に伝えてみた結果返ってくる反応は、本当に勉強になります。

今回の私の発表は、ある文化施設の再建構想でした。
自分なりに資金の調達方法から施設のプログラムまでの提案はなんとかやりきったのですが、それからの集客の問題として、キラーコンテンツの不足を指摘されました。
まさにその通りで、施設がオープンしたとしても、そこに人を集めなければ事業は成り立ちません。
講評の中でも何度か出たフレーズですが、「使う人のことを考える」「使い方を想像する」というポイントが欠けていたと思います。
どうしても大きい枠組みで考えがちですが、ゼミでの取り組みもしかり、「使う人」視点をもっと意識して行きたいと思います。

今回、発表のあと審査委員の方の講評とシンポジウムがあったのですが、そのなかには、これからゼミで取り組んで行くことのヒントがたくさん隠れていたように思います。たとえば、先ほど書いた「使う人の視点」もそうですが、それ以外にもいくつかあったので上げておきたいと思います。

・課題を明確にし、何を解決していくのかはっきりとさせる。(参加も促される)
・古い公共では××だけれども、新しい公共にすると○○になる。
・(既視感のある提案が多い中で)なぜこれまで実現できなかったかを考える。
・善意だけでは人は動かないから、インセンティブを打ち出す。
・都市やまちは最後の資源であり、雇用を生み出す可能性もあるなかで、どのように活かすか。
・その場所にしかない固有のつながりとは何か。
・どこかでやってることをそのまま他の場所でやるのはハコモノをつくってきたことと変わらない。
・場所の特性、その場所にいる人のニーズを捉える必要性。
・自分が生活していて「なんで○◯がないんだろう」という疑問は、大抵他の人も思っていること。

なんだか、文脈もないなかで書き出したので、わかりにくいかもしれません。
ただ、私は、今回のコンペに出したことで、ゼミの取り組みへのヒントをたくさん見つけることができたように思います。
もちろん、自分がこれまで学んできたことを振り返る良い機会にもなり、また、アプトプットもすることができたのですが、それ以上に、他の発表者の方のアイディアや講評を聞けたこと、実際に活動されている審査委員の方々のシンポジウムは本当に勉強になりました。
正直、これを考えている間修論が疎かになってしまい、いろいろと不安もあるのですが、本当にチャレンジしてよかったと思っています。

最後にひとつ。プレゼンテーションの練習がまだまだ足りないということを痛感しました。
事前の練習不足もありますが、もっといろんな場所で経験を積めたらいいなと思っています。

そういえば最近映画も全然観ていないし、美術館も全然行っていないので、そんなこともしたいなぁって。ただの独り言ですが。


(tantaka)

羽生パーキングエリア上り線鬼平江戸処

長らく書いていませんでした。
無事修論を提出したMengfeiです。

羽生パーキングエリア上り線鬼平江戸処について、ず〜と書きたかったです。
この間、日光の帰り、渋滞がすごくて、たまたま羽生のPAに入りました。

一月に、乃村工藝社で、指定管理者制度についてのトークから、去年12月オープンしたばかりのこの事例を初めて聞きました。
実際にくると、結構迫力がありました。ちょうど夜で、建物が柔らかい光に照らされて、タイムスリップの感じがしました。中は飲食店とお土産さん、鬼平をテーマした品々が売られています。
羽生PAのフロア・プラン
市場感じの土産処、最近のミュージアムの陳列とほぼ変わりません

こういうレトロの施設、羽生PAはけして新しくありません。
下町風俗資料館(1980)、深川江戸資料館(1986)、江戸東京博物館(1993)、また羽田空港国際線ターミナルの江戸小路「E・DO MARKET PLACE」(2010年)、博物館・資料館から商業施設まで、日本でかなり例があります。
ミュージアムで、モックアップとレプリカを使って、観客が自由に入って、モノを手に取ってみることができるのは、最近ミュージアムに起きている「モノから体験へ」の傾向を反映しています。
商業施設・観光スポットはまた、John Urryが語った「Tourist Gaze」そのものかもしれません。「Tourist Gaze」というのは、ポストモダン社会のなか、本物(authentic)より、消費者・観光客がノスタルジアを好み傾向ということです。

また、この「鬼平江戸処」は、池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』という時代小説(1967~)(80年代〜テレビシリーズ化などされていました)から作られています。こういう小説・映画から実際の「世界」を作る例、今まで、Harry Potterがすごく成功した一つの例かもしれません。
どれほど歴史、時代、原作に忠実したことは別として、ノスタルジックな雰囲気が漂っていて、ユートピアである世界はやっぱり魅力ですね。
パーキングエリア側から見る、夜の「鬼平江戸処」
でも羽生というところ、本当はなにがあるか、ただの東京戻りの途中、一息つく駐留所ですぎないかな、とも思ってしまいました。

公式サイト:http://oniheiedodokoro.driveplaza.com/main/index.html

2014年7月10日木曜日

大学の外で芸術作品をつくるということ


引き続きまして、湿気上昇とともに煙草の本数の増えるharukoです。

先ほど告知しました「銀河ホール学生演劇合宿事業」のは、西和賀というまちでの、滞在型制作を行う演劇事業でした。事業は、町内外の人で形成される委員によって運営されていますが、事業の内容面に関しては、制作委員(現、企画委員)を形成する演劇・美術活動に従事する若者が、牽引しています。

今度は、この事業に対して、参加や調査という形で関わらせていただいている私なりの、かなり荒々しい解釈込みで事業紹介したいと思います。

まず、西和賀町(旧湯田町)は、ぶどう座という、戦後の地域演劇史上でも重要な位置を占める劇団のある町です。銀河ホールは、ぶどう座の作品を始め、数々の舞台を育んできた歴史のあるホールです。そのような場所での演劇祭です。しかし単に演劇を行ってきた町だから、演劇を行うという問題でなく(もちろん、演劇史上重要な劇場で、上演をすることはそれだけでも意味のあることですが)、この事業では、より広く、その土地の風土や歴史的にたたされてきた位置を理解しながら、芸術活動を行おうとしていることが大切だと感じるのです。
現地で、ぶどう座の劇団員の方のお話をきくと、演劇制作や観劇と、コミュニティが密着に関係していたことがうかがえます。しかし、かつてのこの土地にあったような凝集力の高いコミュニティは、高齢化、過疎、主要産業の停滞で、演劇との関係を、当時と全く同じ形で取り戻すことはできません。
ここで、今、外部から来た者が行っているのは、その土地に暮らしてきた人の人生や、土地の時間の積み重ねをに触れて、インスピレーションを受けながら、また普段の自分の生活との距離をはかりながら、ときに批判的に、作品を制作することです。特に、今回滞在制作される、「鬼剣舞甲子園」(再演)はそのような作品の作り方になっています。

それでいて、この事業は、地域の要望に妥協しない、芸術を志す人が表現への挑戦できる場を確保しようとする意味で、とても野心的な試みだと思うのです。このような言い方はふさわしくないかもしれませんが、参加者の中には、個々人で「正統的な」芸術世界での活動を続けたとしても、成功するのでないかと思う人もたくさんいます。それでも、東京でもなく、京都でもなく、西和賀で作品をつくることを選び、それを行うことの意味を絶えず考えています。

なぜこの場所で、この方法で、このような作品を?
または、金銭的報酬もないのになぜ、権威的保障もないのになぜ?

このようなオルタナティブな芸術制作を模索する動きは、この事例にみられるわけでなく、いまや一つの流れを形作っているような気がします。従来型の芸術支援のあり方に問題意識を持ち始めた芸大生や美大生、若者が、地域や行政に接近する動きが日本においてもみられているように感じます。
それも単なる懐古趣味ではなく、積極的な、芸術や芸術家、そして地域の再定義を行う動きとしてとらえたいと私は考えます。

ですので、「いったい、なんのことを言っているの?」という方はそれを確かめに、そんなことは関係なく、演劇・美術・芸術・地域に関心のあるという方も、ぜひとも、一部だけでも、関わっていただきたいのです。ものすごく遠回りで、まどろっこしくて、一見なんの意味があるのかわからない、ということに真剣に取り組んでいる人に会えると思います。

(haruko)

銀河ホール学生演劇合宿事業のご紹介

大学時代の先輩と研究室の後輩とともに富士登山に行ってきましたharukoです。
無事、五合目から山頂までのぼり、ご来光もみることができました。

さて本日は今年の夏、岩手県和賀郡西和賀町で開催されるギンガク(銀河ホール学生演劇合宿事業)の演劇部門の参加者募集のご案内をしたいと思います。http://gingaku.jimdo.com/プレイ-タウン/


————————————ホームページより引用———————————————

プレイ・タウン2014  2014年8月10日(日)〜24日(日)
全国から集まる参加者たちと演劇をつくる、
演劇のような、演劇だけじゃない夏の西和賀の2週間。
プレイ・タウン2014、参加者募集!!

プレイ・タウンは今回3回目の開催となる夏の演劇合宿企画です。 これまで岩手、山形、宮城、埼玉、東京、神奈川、滋賀、京都、大阪、兵庫といった地域から、演劇にかかわる学生・若者をはじめ、さまざまな分野を専攻する学生たちが参加し、町立の演劇専用ホール「銀河ホール」での作品制作と発表公演を行ってきました。
今回の合宿では、昨年の合宿で執筆・上演された『鬼剣舞甲子園2028』のリメイクに取り組むほか、町内在住者との交流イベントや仙台の演劇施設訪問など、これまでの参加者アンケートに基づいて合宿プログラムも一気にボリューム・アップ。 また、滞在期間中には美術の制作合宿「湯田温泉峡風呂美術大学2014夏」も同時開催。 表現活動を通じて生まれる新たな出会いにご期待ください。

【開催期間】2014年8月10日(日) ~ 24日(日)
【開催地】 西和賀町文化創造館 銀河ホール(岩手県和賀郡西和賀町)
【参加費】 28,000円(食費含/全日程参加の場合)
                *交通費は自己負担。ただし希望に応じて安価な交通手段を紹介、手配いたします。
【募集期間】定員に達するまで!!

————————————————引用終わり———————————————


対象者は、メール・電話・インターネット電話等で連絡可能であり、自宅から西和賀町(JR北上線ほっとゆだ駅)まで原則的に自力で往復できる15〜30歳の方ならどなたでも。現住所、演劇経験は不問です。

芝居やりたい人、芝居やったことないけど興味はある人、
夏休みを満喫したい人、出会いを求めてる(?)人、
地域振興とアートについて興味がある人、
伝統芸能(鬼剣舞とか!)好きな人、
西和賀町ってなんやねんって人も、
大歓迎!

できれば、色んな人に来てほしいそうですので、ぜひこの機会にお見逃し無く。

全日程の参加が難しい方もお気軽にご相談下さいとのことです。
webやブログも随時更新しておりますのでご覧下さい。
web http://gingaku.jimdo.com/
blog http://gingaku.blogspot.jp/ 

こども展~名画にみるこどもと画家の絆~ を見学してきました


6月末に終わってしまいましたが
六本木ヒルズで開催されていた「こども展」に行ってきました。

今回のテーマはそのものズバリに「こどもたち」
インパクトのあるアンリ・ルソー 《人形を抱く子ども》の絵も気になり
見学にいってきました。

参考HP

前説に

「西欧諸国で子どもの肖像が描かれるようになったのは意外と遅く、16世紀(ルネサンス)あたりからでした。子どもは芸術作品の主題にふさわしくないと考えられていました。かつて、ヨーロッパでは、子どもは「小さな大人」「未完成な大人」として考えられおり、現代に生きる私たちにとっては、少し意外なことですが、大人と区別された「愛すべき子ども」という現在のような概念が出来たのは、18世紀に入ってからであると考えられています。」
 
とあるように
中世の絵画などを見ると顔も体の大人のようなのに小さく描かれていて
世の中に「こども」という概念が存在していなかったことがわかります。
今回の展示はその「こども」にスポットを当てています。

最初から時間軸を追ってぐんぐんとみているうちに
不思議な違和感が・・・・
思えばこんなにこどもばかりの絵を見ることってないな、と気が付きました。
かわいいはずの「こども」が
こうやって一堂に会するとどこか不気味にも思える。
「こども」という限られた時間と存在は、「限られている」からこそ
愛すべきものになるのかもしれない、と感じました。
(うまく言葉にできず、すみません・・・)

と、難しいことも考えつつ
やはりお約束の印象派は相変わらず好きで、
モリゾの作品もたくさん見ました。
ベルト・モリゾは2010年に「マネとモダン・パリ」展以来の気に入っている画家です。
マネの絵のモデルも務めていて、『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』の絵は有名。
マネのことをどう考えていたのかはさておき、
マネの弟を結婚して、幸せに暮らしたというエピソードも手伝って
いろいろと考えてしまいます。
今回は一人娘への愛にあふれていた素敵な絵ばかりで楽しめました。
 
ミュージアムグッズも充実していました。
今回は紅茶のルピシアとのコラボレーション!
なんといつもの缶のミニチュアサイズのマグネット付!
こういった限定商品に弱いのでしっかり購入。
あとはモリゾ作品を使ったミニミラーもすてきだったので買ってしまいました。
  
帰りには
最近のポップコーンブームにちょっと乗ってみようと
Hill Valley」のキャラメルとチェダチーズのミックス味を購入。
ポップコーンなのに割高の値段だし、あなどっていたのですが
食べていくとはまってしまうおいしさ。(なんだか負けた気がしましたが)

美術展を見て、しっかりお買いものをして、おいしいものを食べて
贅沢な一日を過ごすことができました。
やっぱりゆっくりとした時間は大切だなと実感しながら
今、天気予報を見ると
とても大きな台風が迫っているようで、早く過ぎてくれたらいいなと思いつつ
のブログ投稿でした。
 
(Nobu)

2014年7月8日火曜日

「私のカントリー」幻想と虹色のカナダ

   小学生の頃、「私のカントリー」みたいな名前のインテリア雑誌があって、そこで展開されるギンガムチェック、白木の家具、手作りのジャム、飼いならされた自然…みたいな世界が苦手でした。そしてどうやらその先には『赤毛のアン』という物語世界が理想として存在しているらしかったのですが、読まずに過ごしていました。どうも「アン」もその舞台となった「カナダ」も「刺激が少なそう」な感じがして素通りしたまま大人になりました。

ところが仕事でカナダの婦人宣教師のことを扱うようになったとき「なんだかおもしろい女性の生き方だな」とにわかに興味がわき、研究を進めたくて文化資源学科に通うようになりました。そしていよいよ調査ということで必要に迫られてカナダに行くことになりましたが、「私のカントリー」との再会かぁ、くらいのテンションでの旅立ちとなりました。期待は大いに裏切られました。

カナダ在住30年以上のカナダ合同教会引退牧師A先生の完璧な計画のもと、トロントでの過密スケジュールがスタートしました。教会の礼拝参加、4回にわたるカナダ合同教会の重鎮・スタッフたちへのインタビュー、アーカイブでの資料調査などなど、その間にもカナダの文化施設訪問、文化イベントへの参加、A先生によるカナダ社会のレクチャーと、集中講義を受けているようなものでした。

よく「アメリカは人種のるつぼ、カナダは人種のモザイク」と言われますが、すべての異人種が「アメリカ化」してしまうアメリカに対して、異人種がそのままの文化を保ちながらモザイク的に存在しているのがカナダだそうです。今回の調査対象であるカナダ合同教会の姿勢にもそのような傾向は反映されていたように思います(それについては小林ゼミ合宿の修論発表でまた詳しく話すことになるかと思います)。「Diversity」という言葉がカナダの文化政策として掲げられていますが、「何の多様性なのか?」というと、それは「マイノリティーへの出来る限りの想像力」なのではないかと思った日々でした。

滞在直後から町が変に虹色だなと気づき始めました。町のバナーもレインボー、店のディスプレイもレインボー、ホテルもレインボー…そして教会もレインボーに染まり、教会説教でゲイ&レズビアンの話が始まりました。これは日本のキリスト教団にとってはかなりな衝撃の事態なのだそうですが、カナダ合同教会では20年以上前に同性愛者を聖職者として着任させるかどうかをめぐって、教会を二分するような論争があったとのことでした。結果、合同教会はそのことを認め今に至っています。日本のように同性愛の文化が連綿と存在していた文化圏とは違って、キリスト教社会でのそれは厳しい差別との闘いの歴史があったため、町に翻るレインボーの氾濫はその反動を感じさせました。この話を聞いて、「過剰過ぎるマイノリティーへの共感」と評した先輩もいました。いわゆるヘテロの人がいたたまれなくなるくらいの平等性の先鋭化だと。実際に見られませんでしたが620日からトロントで行われたワールドプライドがどのような様子だったのか興味深いところです。
 
 
 
 
  トロントの中心部にあるトロント大学の神学部エマニュエルカレッジでの光景も印象的でした。キャンパスには磔刑の彫像が設置されていましたが、それは女性なのです。神学部の真横で女性の磔刑像が飾られている…これもかなり衝撃でした。やはりこれも20年ほど前に問題になったそうですが、「今、人類の中で苦しんでいるのはまさに女性である」ということで撤去されることはありませんでした。

『赤毛のアン』のアンはコミュニティーの外側からやって来るいわば移民のような存在で、アンは宗主国イギリスの文化をキッチュに模倣しながらもやがて成長するにつれカナダ的な現実に回収されていくという読み方もあるようです。私は「私のカントリー」的な世界を「少女のようでいて、ふてぶてしい安定感」があって、「自分の夢こそ永遠の少女の夢!」みたいな自己中心性があるのを真にこわいと思い、アンを勝手に「夢見る少女至上主義者」の代表のように決めつけていましたが、「私のカントリー」はどうやら雑誌だけの世界だったようです。アンのアングロサクソン的世界は先住民、ヨーロッパ大陸の他の地域からの移民、アジアからの移民という他者の存在に「気づかざるをえなかった」ようです。「気づかざるをえなかった」のはおそらく宗主国イギリスとの関係もあり、ふてぶてしく自己中心性に拘泥できなかった国の有り方にも起因するのかもしれません。数週間の滞在で簡単に断定するのはおこがましいですが、「マイノリティーへの出来る限りの想像力」が時には過度の平等性に走りつつも、「出来る限り」という誠意を持って、完全に到達することは永遠に出来ない他者へなんとか近づいてみようと努力するカナダのdiversityの力、その想像力に大いに興味がわきました。                                                         
                                                    (Mube)
 
これにもびっくりしました!