2014年4月12日土曜日

中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス

 昨日はいい天気に恵まれた中、千葉県市原市南部地域にて開催されている 『中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス』へ行って来ました。これは3月21日~5月11日まで、①廃校になった小学校の活用、②小湊鐵道の列車やバスなど交通の活用、③食や自然などの地域資源の活用、④関わる多種多様な人々の参加という4つの点を中心に、行われている芸術祭であります。(http://ichihara-artmix.jp/参照)
 この芸術祭の総合ディレクターは、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナ-レ」や「瀬戸内国際芸術祭」のの総合ディレクターなどで知られている北川フラム氏で、彼はこの芸術祭について「アートに加え、「食」というものをベースに据えた芸術祭を作りたい。また、市原は過疎化が進んでいて、廃校になった学校もあるが、それらを活かした色んなプロジェクトも考えた。」とインタビューしています。(http://qonversations.net/irobe_kitagawa/6861/より)

 事前に、上記のオフィシャルホームページを通じて見学日程を組もうとしたものの、「いつどこで誰が何をどうやるか」が全く分からない、もしくは乏しい情報だけだったので、日程を組むのに苦労しました。でも、この芸術祭には知人の作品も展示&参加していたため、気持ちを乗り換え、期待を持って東京から友人らと一緒に車で伺いました。

 
 
 



 結局私が組んだ見学日程は、
市原湖畔美術館
↓
IAAES
↓
アートハウスあそうばらの谷
↓
いちはら人生劇場
↓
里山芸術劇場/白鳥公民館

最後のプラグラム以外は、観想パスポート(見学放題、乗り放題)の中に含まれているプログラムでしたが、車での移動でしたし、計画とおりに全部回っても300円~500円の差があったため、パスポートは買わずに、一回ずつ入場料をはらうことにしました。
 しかしながら予想できなかった大きな問題に逢着しました。それは「駐車料」です。もちろん無料の所もあるようですが、殆どが一箇所500円から1000円とられることを、現地にて分かったのです。また、訪問先ごとに駐車料を払わなければならない。。。これからこの芸術祭へ行こうとしている皆さんにはバスや鉄道で動いたりする方をお勧めしますが、本数がすくないため、動きを計算しないと空の下バス停や無人駅で長時間待つ事になりますので、ご注意を!

 
 
 今、菜の花が見ごろであったいちはらアート×ミックスの会場にて芸術祭を楽しんだ私は、
 
 
 
 1.アート関係なのでオフィシャルホームページをデザイン重視することも大事だが、デザイン的に懲りすぎ内容が全く見ずらい。シンプルで分かりやすく、基本情報をきちんと伝えることも大事。
 2.芸術祭運営方面などでの不親切さは、参加している作品などの質とは関係なく、芸術祭全体のイメージをきずつけてしまう可能性がある。
 3.意外とこの芸術祭は金食い。
ということが気になりました。
(bangul)


 


AAキッチン 食とアートの邂逅は続く

AAキッチン(写真提供 嘉藤笑子さん)
新学期になりました。新しいゼミ体制となりますが、どうぞ今年度もよろしくお願いいたします!今回は、2013年度の文化資源学フォーラムでお世話になった嘉藤笑子さん主宰のAAキッチンに、お礼参りをかねてPugrinさんと出かけたときのレポートです。

AA キッチンはアートプロジェクト
 嘉藤さんは文化資源学会の会員でもあり、AAN(Art Autonomy Network)主宰者です。AANはアーティストやキュレーターたちと自発的に始めたNPO活動として、国内外の小規模組織や個人をつなぐネットワーク活動とアーカイヴを展開しており、ワークショップ、シンポジウム、展覧会など活動は広域で、教育的なアプローチも熱心に行っています。そのなかで「AAキッチン」の試みは、食を通じて地域社会とアートをつなぐ機能を形成していくための実験的な食事会で2011年より日本橋Creative Hub131に拠点を置いて開催されています。
 昨年2013年の春、初めてフォーラム取材のためにAAキッチンの夕食に参加させていただきました。訪れたビルは東京日本橋大伝馬町にある地上6階・地下1階の複合ビル「Creative Hub 131」。夕飯時になるとその日のAAキッチン参加者が集まってきます。AAキッチンの運営について嘉藤さんは以下のように語っています。
「Creative Hub131」は、クリエイティヴな団体が複数入っている集合体で、縦型長屋のような大家族を形成しています。この古いけれどもユニークな共同ビルの3階はスタジオ内の人たちが通りすぎる空間で、コモンスペースの機能をもつ「社員食堂Lab.」になっています。「社員食堂Lab.」といっても、緩やかにつながるための機能であり、それぞれの担当者が自主的に運営しています。社員食堂Lab.は、担当者が曜日変わりで食事会を開催していますが、少額の会費制によって食事代を支払うかたちをとっています。さらに食品衛生管理者を置いて保健所の飲食業の営業許可を取得しています。
 AAキッチンには、入居者のみならず、外部からの一般参加者が参加しています。「つくる、たべる、かたづける」を基本構成に、みんなが共同で作業をしています。毎週水曜日に定期開催することで認知度が高まってきました。<食>を通じて人たちが集い、<共同作業>を通じて心が通い合ってきました。斬新なことをしているというより、古くからあるコミュニティにおける潤滑油のような方法だと思っています。
AAキッチンを始めて感じたことは、アルコールではなくAAキッチンという<場>に集まり、それが自然になりつつあると思うので、短期的なイベントではなくて、日常的な出来事になるようレギュラーに食を囲んでいます。
 江戸時代から現在に至るまで日本橋の旦那衆が地域を支え続けてきている文化の下地がここ(大伝馬町)にはあります。交流をしていくうちに昔からの旦那衆が「Creative Hub 131」の存在を認め始めています。彼らは「粋人」として目利きな人たちで、一見不思議な活動に見える私たちの試みに、自分たちの地域の将来的な活路を期待しているようです。アートと地域が一体になっての都市文化の再生が始まっていると感じますね。
AAキッチンでは、アーティストのトークや最新アート動向を紹介する機会を創発していきたい。それを食事の中で開催することでカジュアルな雰囲気を作れると思います。人は生まれた限り毎日食べ続けていくので、万人に共通する「食」を媒介にするコミュニケーションを探っていきたいですね。
            (第13回文化資源学フォーラム 当日配布冊子より抜粋)
新潟県十日町との 食とアートの交流
  先日久しぶりの再訪となりましたが、その日は1月からスタートした「なじょも十日町 by AAキッチン」第3弾の日で、大地の芸術祭の開催地である越後妻有・十日町市の、コシヒカリやへぎ蕎麦だけじゃない美味しいもののお披露目会でした。このシリーズでは、十日町の豊かな食文化を紹介しています。十日町の旅館のご当主が料理の腕をふるってくださいました。前宣伝以上に、当日の食事のおいしさといったらありませんでした!生の雪下人参にはじまり、菜っ葉のふきのとうがけ、サツマイモの石釜焼き、妻有豚の焼き肉、行者ニンニクを漬け込んだ特製の焼き肉のたれ、黒豆の入った葱の味噌汁…などなど、おいしいものは人々のテンションを大いに上げていくものです。

アーティストの立場からの意見が聞ける
 それに加えてAA キッチンの面白さは、そのメンバーの面白さです。嘉藤さんが美大で教えていることもあり、アーティストの方々などが多く集うこともAAキッチンの特徴です。この日も神山でアーティストインレジデンスを体験し、現在はオランダに滞在している若手アーティストや、カナダのトロントを拠点に東日本大震災に絡んだランドセルアートプロジェクトを展開している方の話など、実に興味深い話が盛りだくさんです。さらにはみなさん、アーティストや市民、行政をつないでいくという小林ゼミのヴィジョンを語ると、いかに連携が大切かをお互いに語る貴重な機会ともなりました。小林ゼミはアートプロジェクトを企画するゼミではないので、こういう場所でアーティストの考えていることを聞けるのはとても参考になります。ゼミの方で、ご興味ある方は是非言ってください。ご紹介しますので。
 
 今回改めて、「食」と「アート」を掛け合わせた主宰者嘉藤さんの嗅覚ってすごいなーと思いました。真の意味でおいしいもの、いいものを探し出して、どうしたらそれを共有することができて、新たな価値観をもって暮らせるのか?AA キッチンは実験的な場だなあと思いました。昨年の小林ゼミの鶴岡合宿の食文化創造都市のことや、「宴」における食をひとつの大きなテーマにした文化資源学フォーラムのことなど…どれだけ喰いしん坊なんだとも思いますが、原発事故も抱えた日本の中で、食って深いテーマだとこのごろつくづく思うのです。ゼミが関わる大町市では今年「信濃大町 食とアートの廻廊」もありますし。美味しいと安全が乖離する可能性もある揺れる価値観のなかで、自分たちは何を選び(選ばざるをえない場合もあります)、何を自分にとって最適の食とし、食の場を共有していくのか?「食」と「文化」をおきかえることも可能だろうかと思います。そして何より私たちは毎日食べ続けている!すごいことです。
                                                                                              (Mube)

 

2014年3月29日土曜日

学問の持つ負の力

 先日、こんな記事がネット上に掲載された。
 
◆ハンセン病患者標本:熊本大「医学倫理上、問題」最終報告(毎日新聞 2014年03月24日 22時05分)
 熊本大医学部の前身の熊本医科大が九州療養所(現・国立ハンセン病療養所菊池恵楓(けいふう)園、熊本県合志(こうし)市)の入所者の遺体から骨格標本を作製していた問題で、熊本大の調査委員会(委員長=竹屋元裕医学部長)が24日、最終報告を発表した。骨格標本は患者や遺族の承諾を得ずに作製されたとして「医学倫理上、問題がある」とした。
 熊本大医学部によると、同大に残るハンセン病患者の解剖名簿には1927〜29年に43体を解剖し、うち20体で骨格標本を作製したとの記録があった。遺体はすべて九州療養所の入所者で、解剖については入所者の承諾書を得ていたが、標本作製の承諾書は今回の調査では見つからなかった。同大は「承諾を得ず、九州療養所との密接な共同研究体制の下で作製されたと考えられる」と結論づけた。
標本の目的については、中心的に関わった熊本医科大病理学教室で助教授、教授を務めた鈴江懐(きたす)氏(故人)が「ハンセン病患者にはやせた人が多い」と主張していたことから、罹患(りかん)者の体質的傾向を証明するためとした。
 記者会見した竹屋委員長は「標本を大学訪問者に誇示するなど故人への配慮を欠いていた。現代の元ハンセン病患者などに精神的苦痛を与えたことに深い反省と遺憾の意を表する」と陳謝した。
 国のハンセン病問題検証会議元副座長の内田博文・神戸学院大法科大学院教授(刑法)は「ハンセン病罹患と体質の関係を調べていた背景には優生思想がある。医学界はこの反省を糧に、患者の権利の法制化に取り組んでほしい」と話した。
(ここまで引用)
 
 この記事を見て問題だと思ったのは、これが重大な人権問題であると同時に、このような行為を生みだしたものは一体何だったのかということである。大掛かりな作業を伴っていることからも、単にこの骨格標本作成に直接関わった個人の問題だけに帰するには、無理がある。研究者個人の倫理観という枠組みだけでなく、研究者にこのような研究態度をとらせた力学について考えてみたいと思う。
 この問題を理解する上での補助線として、例えば坂野徹(2005)による日本における人類学史研究がある。その目的は「帝国日本の植民地や太平洋戦争中における人類学者の調査研究の全体的特徴」(P8)を明らかにすることにあった。この研究の中で明らかになったことのひとつは、アイヌ民族に対する近代日本の人類学のあり方である。
 例えば、小金井良精は、「1888(明治21)年夏に実施した北海道での調査旅行中、アイヌの骨を集めるため、墓荒らしを何度か行っている。小金井は、アイヌが付近にいない場所を探して、墓場から骨を掘り出し、みつかったときには嘘をついたりしながら、骨の蒐集を」(P182)続けていた。当時の人類学において、アイヌ民族は研究対象でしかなかったことがわかる。
このような発掘という名の「墓暴き」を通じて進められてきた人類学研究は結果的に、アイヌ民族の地理的な近接性から、「日本人種において最も重要な民族」(P501)として強力に同化政策を推し進めることに寄与していくが、一方で、アイヌ民族に未開、野蛮といったレッテルを貼ることは、集団としての日本人の自己同一性を不安定に陥れることにもなった。このように、人類学研究が結果的には、大東亜共栄圏という幻想の共同体の中の矛盾を顕在化させてしまうという危うさが存在したのである。しかし、こうした矛盾を顕在化させないよう、この問題には言及せずに人類学研究が進められることになった。
 たしかに、坂野が指摘するように、近代日本における帝国主義や植民地主義に適合した人類学研究が、他者の人権を傷つけたり、民族差別を生みだしてきたりしたことは、事実である。しかしながら、戦前・戦中の思想的背景だけに、この問題の所在を求めることもまた危険である。植木哲也(2008)が、近代以降行われてきたアイヌ墓地発掘について、「総動員体制から解放されたはずの戦後の教育研究環境で、再びアイヌ墓地は発掘された。発掘を行わせたのは、帝国主義や軍国主義ではなく、研究そのものだった」(P112)と指摘するように、帝国主義や植民地主義とは別に、学術研究が本質的に内包する暴力性もまた問題となる。
 ここで冒頭の「ハンセン病患者標本」問題に立ち戻るならば、優生思想を含めた学問が持つ暴力性を、標本の対象となったご本人や御遺族の感情を無視してまでも標本を研究者に作らしめた要因として、私たちは理解することができる。したがって、過去の特異な思想的背景、あるいは戦前・戦中の学術研究の未熟さとして、この問題を片付けることはできない。近代から連綿と蓄積されてきた、学術研究がもつ危うさについて、そこに関わる誰もが常に意識すべきであろう。
 ただし、これは学術研究という場に限定される問題なのかという疑問が、一方でわいてくる。フーコーが指摘するように、暴力性は近代社会制度の中に広範に認められる。植木がアイヌ墓地の発掘を可能にしたものとして、帝国大学という制度や和人たちの協力を挙げているように、発掘調査や学術研究を直接的・間接的に関わる近代に形成された諸制度にも私たちは着目すべきではないだろうか。
 それは、たとえば文化行政や文化財保護行政についても同様の構造が存在するのではないかと筆者は考えている。文化財保護行政に限ってみても、埋蔵文化財の発掘調査や自治体史編纂の民俗調査の中に権力性は存在しないと、果たして言いきれるのか。アカデミズムと行政という主体の違いはあっても、調査という行為に潜む問題点は無いと言えるだろうか。この問いについては、別稿で改めて考えてみたい。
(ま)
 
<参考文献>
植木哲也(2008)『学問の暴力-アイヌ墓地はなぜあばかれたか』春風社
坂野徹(2005)『帝国日本と人類学者 : 1884-1952年』勁草書房

 

2014年3月25日火曜日

戦争の記憶を語り継ぐには―おりづるプロジェクトとシンガポールの取り組み

 今年度で大学院を修了されるみなさま、おめでとうございます。肌寒さの残る三月は別れの季節でもあり、新たな門出でもあり、節目となる季節ですね。相変わらず暑い毎日の続くシンガポールで、そんな日本の春を懐かしく思っている今日この頃です。

 さて、今回は戦争の記憶を語り継ぐ試みについて考えてみたいと思います。まちづくりや地域おこしの文脈で語られるようになって久しい日本の文化政策ですが、かつては日本というふるさとやその文化を愛する気持ちを戦争へと向かわせるためのプロパガンダとして存在していたことは、小林ゼミでしっかりと叩きこまれました。先日、そのような文化政策の歴史を思い起こさせるような出来事がありました。ピースボートのおりづるプロジェクトがシンガポール国立図書館で開催した催しです。

 内容は、船に乗ってシンガポールを訪れた八名の被爆者が被爆体験の証言を行い、ピースボート共同代表の川崎哲氏と二人のユース特使(二十代の日本人)が核のない平和な世界の実現を訴えるというものです。一般公開の催しの前には、被爆者のみなさん、ユース特使のお二人、ピースボートスタッフのみなさんが”戦争の記憶をいかにして次の世代に語り継いでいくか”を非公開で議論する機会が設けられていたのですが、昨年シンガポールで出会った事務局の畠山澄子さんの計らいで、今回は私もこのディスカッションの場に参加する機会を頂きました。私からはシンガポールにおける記憶を語り継ぐ取り組みとして、当ブログでもご紹介してきた日星共同制作演劇作品『モバイル2フラット・シティーズ』と戦争史跡ツアー(ブキット・ブラウン墓地、パシール・パンジャン、アダム・パーク(後日紹介予定))にまつわる体験談をお話ししました。

 話の最後にこれらの事例を通して感じたこととして、記憶を語り継ぐ際には次の三点が重要なのではないかとまとめました。①過去としてではなく、現代につながる問題として提起する②知識を頭に入れるだけでなく体感する③異なる複数の立場の声に耳を傾け、受け入れる。しかしおりづるプロジェクトのみなさんと議論し、さらにシンガポールの聴衆の反応を見た後では、現実にはこんなにきれいにまとまる訳はなく、葛藤や障害が存在すると感じました。核を含む兵器については、誰もが自分が被爆したり、他人を撃ち殺すのは嫌だと思う一方で、国と産業を守るために兵器を手放せない現状がある。記憶や遺産の継承に関しては、古いものを残すために未来の世代のためのスペースを犠牲にするのかといった葛藤がある。そして語り手に関しては、体験した世代は実体験として語れるが、それを伝え聞いた世代はそれを第三者に語ることをおこがましいと感じてしまうことがある(ユース大使・福岡さん談)、といった具合です。

 被爆者の高齢化が進む中、30年後、50年後に原爆の悲惨さを伝えていくにはどうしたらいいか。そこでユース大使で女優の浜田さん注目したのが演劇でした。シンガポールの公開イベントでは限られた時間でしたが、被爆者の証言だけでなく浜田さんがもんぺ姿で被爆当時の様子を演じる一幕がありました。当時の日本の風俗や被爆の衝撃を一部ではあっても瞬間的に伝えることのできる演技は、証言とは違った効果があるのではないかと思ったですが、実際に演じた浜田さんは「被爆者の肉声には敵わないのではないか」と葛藤があるようでした。

 「自身が演じること、また生身の人間の演技をライブで観ることで、文章や映像から読み取ることとは違った体験が可能になるのではないか。」東京で浜田さんやピースボートのみなさんにそう語ったのは、『モバイル2』に出演した橋本昭博さん(俳優・演出家‎)。確かに、被爆者証言を忠実に再現することは演劇的な要素を用いる目的ではないはずです。『モバイル2』も戦争をテーマにしており、戦時中を再現するシーンがあるのですが、それは物語を構成する一部分に過ぎず、複雑すぎるほどの要素がちりばめられることで作品のメッセージは現代の課題として観客に迫ってきました。

 戦争の記憶を語り継ぐことと、演劇を結び付けることについては、まだ考え続けている最中です。思うに、演劇に限らず、他の芸術分野でも、また戦争の記憶を語り継ぐ場合に限らず、まちづくりの場合でも、芸術文化が手段として存在するのではなく、作品としてあることが先なのではないでしょうか。人々の思考を停止させ、コントロール出来てしまう力があることを認識したうえで、人々の思考のスイッチを入れるような方向で芸術文化と社会の問題を考えていくことが大切なのではないか、と。これは展示や舞台だけでなく、ワークショップやアートプロジェクトといった形式でも言えることではないでしょうか。話が大きくなってしまいましたが、実践は身の丈の、身近な一歩から。諸々の葛藤を抱えつつ、引続きシンガポールでの活動をこちらでご報告していきたいと思います。(齋)

2014年3月24日月曜日

市民参加の発掘

昨日までの3日間、長野県の野尻湖底で発掘調査に参加してきました。
今回の発掘は、1975年の第5次発掘とほぼ同じ位置のグリットで調査です。

【一日目】
 
 
初日は午後に到着したのですが、猛吹雪でさ寒いのなんの。
身体を動かしても暖まらず、写真を撮る余裕もなくて、この1枚だけ。


【二日目】
昨日の様子からは、信じられないほどの快晴。
しかし、30㎝積った雪の片付けからはじまり、過去の発掘で埋め戻した土を除去し、本来の発掘面に到達したのは、この日の終わり間際でした。
他のグリッドでは、ナウマンゾウ化石の一部が出土してました。



【三日目】
地層の観察会からスタート。
単に作業だけでなく、地質班のかたから適宜地質の解説を受けつつ、現在の調査状況をメンバー全員で共有します。
なお、最前列は、小学生組の面々。
様々な調査班の人々が議論をして、その場で生まれる見解をリアルタイムで共有できる環境が、この調査の醍醐味の一つ。


貝の化石が出土し、記録を取ってます。すでに同種の貝は野尻湖に生息していません。
小学生組(特に低学年)は飽きちゃうので、こうした作業の合間に雪合戦など、変化をつけていました。


考古学的な発掘調査に慣れてしまっているせいか、貝の化石や這った跡(生痕といいます)を見つけるため、薄皮を一枚ずつ剥ぐように丁寧に砂を掘り上げるのは、とても新鮮でした。人類の痕跡以外を見つけようとすると、遺跡とは何か?という根本的なテーマとも関わってきます。

(ま)



2014年3月17日月曜日

ラストスパートもすごかった…            小林ゼミ2013年度終了!

大学では授業も終わり、いわゆる春休み期間でしたが、小林ゼミでは3月1~2日の長野県高山村へのプレゼンとともに3月11~12日の長野県大町市へのプレゼンを行うという、超過密スケジュールが年度末にドンとやってきました。大町市訪問が先日終わり、ゼミの1年も終わりました。
大町市での発表内容についてはPugrinさんから報告がありましたが、このブログでは年度末の作業から考えたことを書いてみました。 

試されるチームワーク
この1年ゼミで培ってきたチームワークこそが過密スケジュールを乗り越える力だったと、終わった今実感しています。修士1年目だった私は、最初よくわかっていなかったのですが、小林ゼミの場合、発表準備は日々「進化」していきます。はじめの構想が保たれていることはまれで、今回の大町プレゼンでは話し合いが回を重ねるごとに4時間、6時間…と延長し、すごい速度の議論が交わされ、発表のバージョンはどんどん更新されていきました。そして次々と出される新提案に対して、皆が作業を分担し、順次スケジュールを切りながら次回までに新しいかたちにしていくことが可能だったのは、「あの人だったらここまでできる」という「お互いの技量」がわかり合っているチームワークがあればこそで、この年度のゼミメンバーの総力戦と言った感がありました。後半は特にすごい連携プレーだったと思います…。
 
100パーセントは伝わらない
「プレゼンも研究発表も、100パーセント伝わるなんて思ってはいけない」と小林先生は言っていましたが、当然独りよがりであってはいけないわけで、「伝えるため」に最善を尽くした上での、その覚悟ということでしょう。このゼミが共同作業を頻繁に行うのも、たくさんの目で見て考えて、何度も議論を重ねてひとつのものを作り上げていく過程を通じて、伝える技術を学んでいくためなのでしょう。自分は宣教師の研究をしているので、この「伝える」という行為には非常に関心があります。全く宗旨の違う人間に自分の考えを伝えるのは非常にむずかしいことです。「文化政策」や「行政の文化化」といった概念のないところに、新たな概念をもたらすにはどうしたらいいのか?小林ゼミのプレゼンはいつもそんな課題を抱えながら考え出されていきます。小林ゼミって、フロンティアにいるなあ、こんなゼミめずらしいなあと、この1年ずっと思っていました。100パーセント伝わることはないけれども、なにか痕跡を刻んでいく。その積み重ねの先にだけ「文化政策」の土着化があるのかと。

 河原で「アエイウエオアオ」?  

今回の大町プレゼンで、発表直前に行われた小林先生の「演技指導」ともいえる指摘にわりと皆、目からウロコが落ちた感じでした。通常の「原点」授業での研究発表などは特に声の抑揚もつけずに淡々と発表してもなんの支障もないですが(面白くないかもしれないけれども)、学外の方々を対象としたプレゼンでは実は「役者」張りの発声、見せ方が大事なのだ!と改めて実感したのです。ゼミ生には女優さんや歌姫がいることもあり、彼女たちの変化自在な発声や発表姿勢に「自分たちも河原で発声練習するか」という案も出ました。これもまた人に伝えるためにはおろそかにしてはいけないことなのだと学びました。7時間フリーで話せる小林先生の門下としては、実に大事なポイントなのでした。 

世代交代はゼミの常なれど
大学院生のゼミではメンバー交代は頻繁でありますが、小林ゼミの場合は継続的なプロジェクトを抱えています。修士課程2年だけ在籍するとなると論文執筆が2年目には控えているので、自分が関わったプロジェクトをすぐに次の世代に伝えていかねばなりません。そして今年度は修士2年生に加え、長年ゼミを支えてくださった博士の先輩2人もゼミから旅立ちます。ゼミ全体の運営をどう継承していくのか、単発的に個人発表をするだけではないこのゼミの課題です。この課題を先輩たちも繰り返し乗り越えてきてゼミの現在があるのだなと、1年めぐってようやく思い至りました。
 
ゼミのラストスパート、すごかったです…。一年間ずっと走ってきたかんじですが、ラストスパートが来た~~!でした。見事に風邪をひき、己の体力不足を痛感しておりますが、本当に1年間、小林先生、ゼミのみなさま、ありがとうございました。来年度はまた違う「走り」を味わえることでしょう!
                                                     (Mube)

 
追記:大町の帰りに松本市に寄りました。「行政組織図的にも文化振興課が首長部局にあるまちね!」などとプレゼンのおさらいをしつつ歩いていると、やたらと女性が歩いています。「もしや?」と思うとやはり、「まつもと市民芸術館」ではこんな公演が…。

伊東豊雄のフェミニンな建物と相俟って、会館は華やぎと熱気で満ちていました。開館10周年の足跡をたどるパネル展示もあり、芸術監督の串田和美のインタビューも掲載されている館の冊子『幕があがる』も読み応えがあります。名作『もっと泣いてよフラッパー』『まつもと大歌舞伎 三人吉三』公演も予定され、市民オペラ活動もあります。ほんの短い滞在でしたが、「文化のまち松本」を実感したひとときでした。

2014年3月16日日曜日

どうして大町のお肉はおいしいの?

小林ゼミ3月長野巡業を終えて投稿いたします、pugrinです。

3月11日、12日は長野県大町市を訪問してまいりました。

文化で地域を豊かにしていくため、
大町市では行政の方々へ向けたプレゼンを行いました。

要旨は以下の通りです。

・21世紀、重厚長大産業ではない何かで地域を活性化していくためには文化の力が必要
・大町市には、北アルプスの山々が生み出した自然や人々の暮らしがあり、
 それらはすべて文化であるとともに、これからの大町市を輝かせる可能性を持っている
・その実現のために行政は市民とともにあるべき姿を設定し、
 タテ割りで業務を行うのでなく、総合的にデザインする役割を果たしていかなくてはならない
・事例:フランス・ナント市の取り組み
    いわき市アリオスにおける官民協働の仕組みと市民を巻き込んだ活動
    京都芸術センターという廃校活用の例

市長はじめ幹部職員の皆様が真剣に聞いてくださいましたが、
みなさまに、個人の娯楽や教育・教養だけでない文化の力と
そのための行政の在り方について前向きに考えていただけたなら幸いです。

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さて、今回いただいたお食事はこちら


「麻倉」にて市民のみなさまと宴会でした。
写真中央の緑のものは肉巻アスパラなのですがこれが絶品!
味噌ダレが何とも言えない良い味で、肉もアスパラもジューシーに仕上がっていて、
小林先生も感動の一品でした。


そして翌日のランチは焼肉をいただきました。

これ!このカルビ!!
ふつう2500円くらいだと思うんです!
それが980円…

このごっつい丼ぶりは焼肉丼、なんと680円です。
いただきます。















前回訪問時に「大町は焼肉が多いしうまい」、というウワサを聞きつけ楽しみにしていたのですが、
まさに期待を裏切らない味とボリュームでした!
出張や旅行に行く際は必ず何を食べるかチェックするのですが、
大町が焼肉がさかんだなんてどこにも見つからなかったですし、
外向きにプッシュされているわけではないよう?
焼肉という切り口で大町が語られることは少なかったのではないでしょうか。

だってタイトルのとおり質問をしたのですが、みなさん首をかしげて
「これが普通だと思ってたけどね?」と答えていらしたんです。


なんだかもったいないし気になる。

来年度の課題も目標ややる気も一度東京に持ち帰り、
小林ゼミは新入生を迎えてまた4月から動き始めます。

次にこのブログを投稿するときは私もM2になっていると思います。
まずは1年間無事終了してよかったです!
お付き合いいただきありがとうございました、来年度もよろしくお願いいたします(^^)