2015年5月26日火曜日

神田祭 附け祭 むかしむかし浦島は

今回の付け祭 初の試み 「魚のつくりもの」

 なんだか怒涛の春でした…ブログも書けずにおりました。そのなかrisaiaさんのブログにありましたように、神田祭附け祭に私も参加いたしました。
 今回は3Dプリンターで魚の鋳型をつくり、幾度かのワークショップを経て各人が魚のつくりものを完成させ、お祭りに着用して参加!という新たな「浦島太郎班」の試みがありました。私は地元というご縁もあって、昨年夏より準備に少しずつ参加してきましたが、江戸時代の町人気分の手作業の時間は、頭を空にできるよい時間でありました…。
 
 

 
祭は変わる 伝統とともに死ぬか?変わるか?

 文化資源に所属していてよかったなーと思うのは「伝統を疑え」みたいな発想です。日本三大祭を標榜する神田祭にそんな疑いの余地をはさむ隙もなさそうなのですが、祭は世につれ…というわけで、祭というものも有機体であり、時代との摩擦に常にさらされているものであることを忘れてはいけないなと思うのです。

 江戸時代、山車の祭だった神田祭が明治期以降、お神輿の祭へと変化していった過程を木下直之先生が再三レクチャーしてくださっていますが、祭を支えるまちのコミュニティーの変遷も大きいです。かつて神田は商業がさかんで、「旦那衆」と言われるような富裕層が多大な寄付をおこなうことで祭は成り立っていました。しかしもはや昔の商売が立ち行かなくなっていく時代のなかで、町会の寄付集めは年々きつくなり、担ぎ手も地元の人では足りない、複雑な神輿の運行を仕切る人材の不足、町会役員の高齢化など、運営が厳しい現状があります。一度、我が家で青年部員同士が「どんなにきつくても伝統を守る派」と、もっと「現実に即して祭は変わるべき派」と熱く口論していました。「いつかお神輿が上がらない日が来る」という危機感が二人に共通だったかと思います。

 
附け祭(文化資源の出し物は脱力系であるが…)何ものかではある

そこで、附け祭の存在が浮上してくるのかなと思います。お神輿の運行を町会メンバーで固めている、ある種の排他性とは対極の「ゆるい参加形態」、「低予算」(お神輿は製作もメンテナンスも高い)、「老若男女が制作・練り歩きに参加できる」(お神輿は体力ないと担げません…)など、もしもお神輿が上がらなくなった時にはこれだなーと思いつつ参加していました。神田神社が附け祭に関心が高いのも、次世代の祭への模索が少しあるのではないかなと思っています。

 お神輿の雄姿はやはり美しいものです。お神輿は明治期以降に主流になったとはいえ、すでに100年ほどの時を経て、それは立派に「伝統」になっています。しかしその「伝統」にとらわれるのか、「伝統」自体を見つめなおすのか、文化のさまざまな局面で繰り返されてきた普遍的な問いが問われているなあと思う神田祭の日々でした。                     
                                    (Mube

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