2013年3月8日金曜日

週末開催:日本文化政策学会@鳥取

今週末に鳥取にて
日本文化政策学会第 6 回年次研究大会が開催されます。
 
日本文化政策学会
第 6 回年次研究大会
2013 年 3 月 9 日(土)・10 日(日)
会場:鳥取大学(鳥取キャンパス)
研究大会テーマ:「文化政策は地域に貢献できるか」
開催要綱↓
http://www.jacpr.jp/wp-content/uploads/2013/02/Microsoft-Word-securedownload-3.pdf

小林ゼミからは、ゼミ生4名+先生も分科会で発表します。
発表スケジュールは上記開催要項をご参照ください。
(発表者、鋭意準備中・・・)

それからポスターセッションにて
小林ゼミが1年間関わってきた大町プロジェクトについても展示します。
(こちらもがんばってます!)

ちなみに鳥取と言えばやっぱり砂丘ですが、

鳥取砂丘・アクセス地図

鳥取砂丘・詳細地図

それから鳥取は民芸も有名ですが

鳥取民芸美術館 駅から3分

鳥取の工芸品

鳥取の民芸プロデューサー!吉田璋也について


明日の朝一に鳥取入りするので、
学会前にぜひ足を運んでみたいところです。

発表準備が終わっていれば・・・・ 

(mihousagi_n)

2013年3月6日水曜日

こんな文楽、知らなかった。

 お久しぶりです。M.Hです。

 先日、文楽の人形遣いで人間国宝の吉田簑助さん、桐竹勘十郎さんが遣う人形に焦点をあてる「人間・人形 映写展」に行ってきました。この映写展では、近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』をテーマに、主人公お初と徳兵衛の人形が動く様子をハイスピードカメラや3Dカメラで捉えた映像作品と、曽根崎の森をイメージした風景写真、オリジナルBGMとともに、お初と徳兵衛が心中にいたるまでの展開、『曽根崎心中』の世界が鮮やかに表現されています。

広告写真の分野で活躍する渡辺肇氏、映像作家の堀部公嗣氏によって撮影された映像「人形編」(15分)「人間編」(5分)には、文楽特有の「語り」はなく、従来の舞台写真と異なる角度からの撮影、そして高速度カメラによって人形の表情の微妙な変化を見ることできます。
 
「人形編」では、最先端の撮影技術で人形の表情を高速度カメラで撮影し、静止画ではなくスローモーションで美しい瞬間が捉えられています。お初と徳兵衛の動き、表情から死に向かう二人の感情を感じることができ、特に曽根崎の森で徳兵衛がお初を刺したあと、自分自身の首を斬る場面では胸が締め付けられるような気持ちになりました。そして徳兵衛に殺されながら、静かに目を瞑るお初の表情は優しく、穏やかでとても印象的でした。
 
「人間編」では、簑助さんや勘十郎さんが人形を遣わず、体を動かす様子だけを撮影した映像を見ることができ、人形の緻密な動きの秘密が鮮やかに解明されていきます。人形に魂を吹き込んでいく技など、文楽の魅力を新たな視点から捉えなおすことができました。
 
私は『曽根崎心中』を鑑賞したことをきっかけに、日本の文化や古典芸能に興味をもつようになったので、『曽根崎心中』は今でも私にとって大切な作品の一つです。今回の映写展では、古典芸能の世界を最新のビジュアルテクニックで表現することで、今までとは全く異なる文楽の新たな味わい方、『曽根崎心中』の魅力が生み出されることに感動しました。異なる視点から光をあて、古典や舞台芸能の新たな魅力を引き出す試みを通して、それらの魅力を認識し共有する機会、場が今後さらに増えていくといいなと思います。
 
今まで文楽にはあまり興味がなかった人、文楽が大好きな人、たくさんの人に見ていただきたいなと思った映写展でした。
 39日(土)まで東京・表参道のギャラリー5610で行われています。
 
M.H

2013年3月3日日曜日

黒人系創作者とプロデューサーをとくに対象とする助成制度


1500年にポルトガル帝国が南米の大陸を発見した際、その土地に既に住んでいた人々がいた。すなわち先住民、インディオである。30年後、この土地はブラジルというポルトガル植民地になり、その初期にヨーロッパからの病気の影響でインディオは多くが死んだ。それから一次的に奴隷として扱われたが、ポルトガルは早くにインディオの奴隷化を禁止した。インディオの数はブラジルが発見された頃は百万の単位で数えられたが、現在300,000350,000位がブラジルに残っている。インディオの奴隷化を禁止した一方で、ポルトガルは15世紀にアフリカ大陸からの奴隷商業取引を始め、そこでブラジル植民地に一早く導入することも始められた。1550年から1855年の間、ブラジルにアフリカから4億人の奴隷が入ったことが推測されている。1888年にはブラジルの奴隷制度が廃止された。現在のブラジルの総人口において黒人系が多い(2010年の調査で「ネグロ」は5.7%、黒人系のミックスを含めると48.8%)ことの一つの原因は、まさにポルトガルの奴隷商業取引にある。しかしアフリカからブラジルへ連れてこられた黒人たち、アフリカの各地を出身として文化や生活様式の異なる人々とその子孫が、ブラジルの文化の一つの基盤を作っていることは間違いない。
 ブラジルの文化庁は昨年1120日(ブラジルの黒人の日Dia da Consciência Negra)に黒人系の創作者や制作者を対象とする助成制度を始めた。このプロジェクトは文化庁と人種的平等振興政策庁の協力の結果である。プロジェクトの目的は「黒人系」のことがテーマ・対象になるだけでなく、「黒人系」自らが創造者になる可能性を広げることにある。
 プロジェクトは公表された際に黒人系文化と関係ある非営利団体から批判があった。人種を前提とする支援が差別を助長させる可能性があるという立場からの批判だ。文化大臣であるマルタ・スプリシ(Marta Suplicy)は、この差別の話題に対して、今回のプロジェクトは差別ではなく、むしろ黒人系に対しての積極的な差別是正措置となることを目指すと答えた。
 文化庁に中でこの対策のきっかけとなったのは、黒人系文化は文化庁で既に支援されているが、黒人系が文化に関するプロジェクトを実現することはよくあることではないという事実だった。その話題はスプリシ文化大臣が文化プロデューサーを仕事とする人から直接聞いて、今回のプロジェクトが生まれる一つのきっかけとなった。ブラジルの文化庁ホームページをみると現在複数の募集がある。例えば、文化庁の視聴覚部(Secretaria do Audiovisual do Ministério da Cultura)が若手(18歳~29歳)黒人系監督かプロデューサーのショート映画を6つ採択し、一件ずつ100,000レアルを与えるもの。それから文化庁と繋がっているブラジル国立図書館基金(Fundacao Bibioteca Nacional)が27つの読書拠点(Pontos de Leitura)を導入するプロジェクトを募集している。

ブラジルでは既に2001年から、リオデジャネイロ州において国立大学の定員のうち40%を黒人系学生とすることを定める「Cota Racial」という制度が始まった。この制度が始まる前に同州においては、2000年に国立大学の定員の50%を公立学校の学生から選ぶとする法律があった。
 ブラジルにおいて、国立大学は非常に評価が高いにも関わらず、高等学校までの公立学校は非常に評価が低いという現実がある。私の両親が学校教育を受けた50年代~70年代までは公立学校の評価は良かったが、現在は極端に反対となった。残念ながら貧しい人たちが公立学校の主な学生となることは今の現実であり、一方で私立学校は裕福な家庭の子どもを学生としつつ、「教育」ではなく「大学入学対策」という側面を重視している。高等学校の後は予備校で勉強することも大学に入るためには必要となることも多くの人々の通る道となる。
 Cota Racialが現在もブラジルで話題となっている。それに対しての批判の一つは、大学に入る人の割合で公立学校の学生や黒人系学生を決まった割合で前提とするのではなく、公立学校の教育の重視を政府に求めるべきであり、教育が良くなることと同時に社会の平等も生み出されるのではないかといったものである。
 昨年の文化庁の「黒人系創作者とプロデューサーをとくに対象とする助成制度」はこのブラジル教育の基本的な問題と繋がっていると思われる。

(M.P)

*参考
Boris Fausto, História Concisa do Brasil, Editora da Universidade de São Paulo, 2008

黒人系創作者とプロデューサーをとくに対象とする助成制度に関するブラジルの文化庁のホームページ:
ブラジル連邦統計地理研究所(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística – IBGE):





2013年2月28日木曜日

2013年2月のフランス便り(4)― 劇場風景二題


 今週帰国しました。欧州文化首都の記事に写真を添えましたので、そちらもご覧ください。2月最後の今日、以下は滞在中のメモからです。

 パリでは日中のほとんどを国立図書館で過ごしていました。「フランソワ・ミッテラン図書館」の研究者用閲覧室はとても快適で文献サービスも行き届いているけれど、たどりつくまでが結構たいへんな構造で、駅から延々と歩き上り下りも多いです。そんな訳で、地下鉄などでバリアフリー対応をみかけないことがつねに気にかかっていました。

 夜は劇場へ。オペラ・ガルニエで入手した席は、Logeの三列目(三列目から椅子が高くなるので見えます)。可動式の椅子で20人弱を収容する広さのボックスでした。この日この桟敷には重度の麻痺がある車椅子の女性と、入口までは車椅子でボックス内では杖を使っていた年配の男性がいたのですが、彼らが入ってくると周囲はすばやく自分の椅子をもちあげて動かし、通りやすいよう配慮しました。そしてさらに声を掛け合いながら少しずつ席を移動して、全員がよりよく舞台を見られるよう調整したのでした。古い劇場の固定席は間隔が狭い。段差のないLoge席が使いようによってはバリアフリーになることを知って感心。しかし、席の位置が価格差と連動する劇場で、日本だったらこれほど臨機応変にみずから他者のために動くかしら、とも考えるところでした。同じ状況で、案内の人が周囲に「申し訳ありません」とか言ってしまわないでしょうか。私たちはチケットを購入して「お客様」になってしまわないでしょうか。病や事故はいつ誰に訪れるかも知れず、老いは確実に皆に訪れます。誰でもいつまでも当然に舞台を楽しめる日常がある社会がいい、とあらためて思った夜でした。

 もうひとつ印象にのこる劇場風景は、演劇の観客年齢層の若さ。今回は思うところがあり、音楽ものだけではなくなるべく演劇も観ようとしましたが、ネット販売分完売の演目が多かった。コメディ・フランセーズ仮設劇場平日夜の「病は気から」は、小さいこどもを連れた家族や先生に引率された高校生グループで賑わっていて、みんな笑いにきているかのようでした。ヴィユー・コロンビエ座「エルナニ」は劇場窓口でもまったく席がとれず。聴くことができた「コメディ・フランセーズにおける<闘い>」をテーマにしたフォーラムは聴衆の大半が高校生と先生でした。「演劇とは対立を舞台にのせるもの」という定義から始まった公開討論は、一夜目が劇作上の論点を、二夜目は社会での受容を論じるもの。コメディ・フランセーズの長い歴史のなかで作品とエピソードに欠くことはなく、さまざまな方向から<闘い>を捉えることができて面白かったです。参加した高校生たちは、次はきっと観客として舞台をみて自ら考えるようになるでしょう。

ふたつの劇場風景に接し、舞台芸術への<愛>が社会のなかで空間的にも時間的にも伝わって共有される場面をみたようでした。2013年2月のフランス滞在はあっという間に終わってしまいましたが、印象的な場面が深く記憶に残る点で、短いなりによい所もあったと今は思っています。

(ykn)

2013年2月27日水曜日

欧州文化首都と東アジア文化都市

春休み、まだまだある!なんてたかをくくっていたら、あっという間に3月が目の前で焦っていますsweetfishです。

今回の投稿は、yknさんがマルセイユの欧州文化首都について話してくださっていたので、
それに関連して。
ここのところ、アルバイトでずっと欧州文化首都に関して調べており、学生のうちに本物を見たい!と思っていたので、羨ましいです。
ちなみに、2013年のもう一つの欧州文化首都は、スロバキアのコシツェです。

日本では、欧州文化首都はあまり知られていませんが(旅行代理店のパンフレットでは、ほとんど紹介されていません)、30年以上も続けられている本事業はヨーロッパではかなりのブランド価値が認められているようで、年々応募都市が増えているそうです。

そして今、日中韓では「東アジア文化都市」が始まろうとしています。
すでに、文化庁では2014年度の開催都市の募集が始まりました。
http://www.bunka.go.jp/kokusaibunka/east_asia_bosyu/index.html


東アジア文化都市は、欧州文化首都と同じく、1年間を通じて催しが行われます。
こちらも、何年かしてノウハウが蓄積されたら、ぜひ中小規模の都市でも開催してほしいですね。
日本中だけではなく、アジア各国からも注目される機会なんてほとんどありませんから。
一過性のイベントに終わらせないためには、地域のたゆまぬ努力と楽しむ為の工夫が必要ですが、それを行ってこそ地域がかわると思います。
また、地域だけでなく、国や県からのサポートのあり方も問われますね。

どこが選定されるにせよ、楽しみです。


(sweetfish)

2013年2月22日金曜日

リオデジャネイロのマラカナ村闘争



皆さん、

こんばんは。MPです。


今年の1月までリオデジャネイロ市の最も有名な競技場のすぐそばでは、ブラジルの先住民のグループが``Nao a demolicao, sim ao tombamento``というモットーで知事と戦った。このモットーは日本語では「破壊反対、登録賛成」となる。

 現在ブラジルでは、2014年のワールドカップ開催の準備が行われている。その結果、競技場、各チームのための寮、地下鉄、練習センターなどが全国に建設されている。あちこちに新たな建物が現れる一方で、古い建物が破壊される。ワールドカップを開催することに必要となるインフラを整えることにつれ、都市開発が早く進んで、風景がますます変化する。リオデジャネイロ市にはブラジルの最も有名な競技場、マラカナ(Maracana)競技場がある。1950年に開かれたブラジルワールドカップの決勝戦がこの競技場に行われ、ブラジルはウルグアイに負けたのだった。改修のために、来年にもマラカナでは最後の試合が開催される。現在マラカナには大きな工事が計画されていて、そのプロジェクトにおいて対象は競技場自体だけでなく、その周辺にも様々な工事を施す予定があり、ショッピングセンターや駐車場を建設するためにマラカナの周辺にある建物を破壊する必要がある。しかしながらその周辺には、1862年に建設された大邸宅が残っている。
その大邸宅は1950年代から70年代の終わりまで「先住民博物館」として使われていた。先住民博物館(ポルトガル語ではMuseu do Indio1950年代にインディオ文化やインディオについての研究を代表する人類学者Darcy Riberioによって、1953年に設立された。その前1910年から行政の公共サービス窓口としての「先住民保護サービス」も同館にあった。先住民博物館はブラジルで最初の正式な「先住民」を中心とする博物館だった。1978年には同館は別のところに移動し、建物が残った。博物館は移動したにも関わらず、その建物はインディオにとって重要なところとなった。
 1978年まで先住民の博物館であった建物は、リオデジャネイロ州の公共サービスの様々な目的で利用されたが近年廃墟になり、2006年には先住民が建物を占拠した。そしてマラカナ村という名前を付け、そこでリオデジャネイロに先住民文化の拠点を作ろうとした。先住民は、その建物を「文化センター」にすることを目指した。実際に7年前から「マラカナ村」はリオデジャネイロでの先住民の文化の拠点になった。毎月の最初の土曜日に先住民の文化祭を開催し、料理、踊り、昔話、先住民芸術などを通じて村の維持に当たる経費の一部分を支えることが出来ている。マラカナ村自体は先住民の文化そのものとも言えるだろう。そこに生活している人々は先住民コミュニティの生活様式を都会の中に果たしている。
 マラカナ村の人々は現在リオデジャネイロの市民の応援を得て、昨年の10月から裁判所で建物を破壊しないように、またそこに住んでいる先住民を退去させないように闘っている。現在でも毎日マラカナ村のリーダー達はリオ市のあちこちに行って活動をアピールし、市民の応援を要望している。11月の終わりに裁判所は建物を壊さないこととインディオを退去させないことを決定したが、リオデジャネイロ州の知事はその決定を訴えてキャンセルすることが出来、12月の終わりにはまたインディオが負ける恐れがあった。しかし今年の1月から、市民、ブラジルの文化庁や国連の批判も受けたリオデジャネイロ州知事は、マラカナ村の建物を文化財として登録することに決め、インディオの意思が勝った。それにも関わらず、村はそこに継続するかどうかはまだ不明だ。文化財登録は決まったものの、インディオが留まれるかどうかについてはまだ決まっていない。実はマラカナ村の建物だけでなく、今回のプロジェクトでは、マラカナ競技場の周辺を民間化することが決まっている。現在、民間化のプロセスが始まっており、競争入札で選ばれる会社や企業グループがマラカナ競技場とその周辺の責任者となる。民間化後においてはマラカナ村の保存や修理は民間の所有者の責任となり、村の将来はまだ不明である。同時にマラカナ周辺に以前からあった学校やスポーツセンターも壊す予定があるため、インディオだけでなくそこに住んでいる市民が今回のプロジェクトに対して非常に反対している。
 さて、世界的に期待されているワールドカップへの準備は、ブラジル国家表象であるサッカー(ポルトガル語ではFutebol)を中心に進むものの、同国家の先住民国民アイデンティティや文化財保護の問題を社会の中に浮き出させている。これからもリオデジャネイロだけでなく全国に、似た問題が闘争の対象になるのではないか。

マラカナ村の闘争は長く、昨年からインディオが何回もディベートを行った。ネットで公開されている。
以上のリンクで見ることが出来る。




Indio(インディオ)ラテンアメリカに住む先住民(百科事典(電子辞書版より)

2013年2月20日水曜日

2013年2月のフランス便り(3)― マルセイユ=プロヴァンス2013欧州文化首都


 M1のみなさん、文化資源学フォーラムお疲れさまでした。そして大成功とのこと!おめでとうございます。

 土曜日、私はマルセイユに向かっていました。欧州文化首都(Capitale Européenne de la Culture / European Capital of Culture)は、EU加盟国内の都市を毎年選定し、そこで一年間にわたって集中的に文化プログラムを展開する事業。1989年のパリ、2000年のアヴィニョン、2004年のリールに続き、マルセイユ=プロヴァンス地域(プロヴァンス地域圏内のマルセイユを中心とした複数の都市圏の連合体)がフランスで2013年の「首都」となりました。オープニング・イベントでは、約40万人が開幕を盛大に祝ったと報道されています(1月15日付ル・モンド紙)。ところが実際に足を運んでみるとマルセイユ中心部はまだ工事現場だらけ。イベントなども夏が本番のようです。


 この週末のマルセイユ=プロヴァンス地方は青い海と青い空がうつくしい快晴で、コートもいらない暖かさでした。

二日間の滞在で見たのは、

J1の<Méditerranées>(地中海世界展)
マルセイユ港湾局提供の倉庫を文化首都に向けて整備した「J1」は、広大な展示スペースと複数のギャラリー、書店、カフェなどがある出入り自由のパブリック・スペース。地中海への視界が開ける新スポットは、港湾地区に人の流れを呼び込む仕掛けのようです。メイン展示は「地中海人」のアイデンティティを喚起する<Méditerranées>(地中海=複数)。オデュッセイアの漂流のように、トロイ、カルタゴ、アテネ、アレクサンドリア、ローマ、アンダルシア、ヴェニス、ジェノヴァ、イスタンブール、アルジェ、チュニスの古代と現代を展示物と映像で経験し、ふたたびマルセイユの現実にもどる趣向です。展示の向こうのガラスごしに本物の地中海が広がっているのが妙所で、「マルセイユはパリではなく地中海をみているのだ」と宣言するかのような展覧会でした。



Friche de Belle de Maiの現代美術展<Ici, ailleurs>(ここ、他所)
会場はBelle de Mai 地区のFriche(“荒れ地”)。閉鎖された煙草工場は、地元劇団の占拠によって90年代にレジデント・アーティストの活動の場に生まれ変わりました。選ばれた約40人の地中海世界出身作家の作品展示は、建物屋上から市街と地中海を一望できるパノラマ・ツアーつき。



<Matamore>
Friche中庭のテントで上演された移動サーカスは、1月から2月にかけてのひと月に50演目が延べ200回も上演される<Cirque en Capitales>の一環としてのプログラム。この日は満員御礼だったので、開演直前まで待ってキャンセル券を入手して見ました。でも、観客の熱狂ぶりに私は今ひとつついていけなかった。

カンティニ美術館の<Matta>展
数年にわたった改装工事が完了し、この週末にリニューアル・オープンしたマルセイユ中心部のカンティニ美術館で開催中のチリ出身のシュルレアリスト、マッタ(1911-2002)の大規模な展覧会。異文化のなかで生きることで自己を確立し、戦争、内戦、植民地問題、学生運動などの同時代史に対峙しながら創作した画家の発言もちりばめられて、たいへん興味深かったです。

そして、バスで30分ほどのエクサンプロヴァンスで
<L’art en endroit> (場のアート)
作品と設置場所のコンテクストが互いに響き合うことが意図されたアート・プロジェクト。表玄関の大噴水から伸びる並木を覆う草間彌生の水玉模様がメインストリートの表情を一変させていました。地図をみながら10数か所の作品をめぐる散歩の第一の魅力はエックスの街のさまざまな表情に出会うこと。週末限定で作品の傍らに立ち、訪問客と対話するメディアトゥール(médiateurs – 直訳だと仲介者)の多くは大学で文化メディエーションや美術史を専攻した若い女性で、質問すると自分の見解で応えてくれました。




 欧州文化首都2013年のシンボル的存在、マルセイユの「ヨーロッパ・地中海文明博物館MuCEM」(le musée des Civilisations de l'Europe et de la Méditerranée)は六月開館予定だそうで、Rudy Ricciottiによる斬新な建築が港のサン・ジャン要塞と空中歩道で結ばれてその姿を表わしたところでした。自然史博物館、美術館、天文台がある19世紀建築ロンシャン宮(Palais Longchamps)の修復工事完了も初夏になるようです。


 四月には音楽イベントも始まり、続いて六都市で大道芸(街頭演劇的なarts de la rueの日本語がこれでよいのかは迷うところ)イベントもさかんに繰り広げられるそう。プロヴァンスの夏には、もともとエクサンプロヴァンス音楽祭やロックダンテロン音楽祭などもあり、おおいに賑わうことでしょう。

 現地を見て、今回の文化首都の顕著な特徴は、複数都市圏の連合プロジェクトでありながら巨大設備投資がマルセイユに集中していることではないかと感じました。植民地政策とともに経済発展を遂げ、その終焉後に多様な文化的背景をもつ人々を受け入れ、21世紀には地中海世界の中心を標榜しつつ国やEUの政策を引き寄せて公共事業を呼び込むたくましい港湾都市。

 「J1」は2004年欧州文化首都でリール駅近くに誕生した郵便物区分所の転用によるアートセンター「Tri Postale」に倣ったとのこと。その後リールでは活動を永続させるアソシアシオンが結成され、欧州文化首都から10年ほどを経た現在、都市のアート・シーンはますます活性化しています。マルセイユ=プロヴァンス欧州文化首都の真価が問われるのも、実は祭りのあとなのかも知れません。

(ykn)