2013年3月15日金曜日

大町市訪問感想(2)懇親会と二日目の見学


連続投稿で失礼します、大町市訪問感想(1)の続きです。
フォーラムの後開催された懇親会は、市長や行政職員、市民団体の方々など50名程の方にお集まり頂いていたかと思います。
私は主に、地方紙である大糸タイムスの社長及び記者の方、市の保育施設に勤務されている保育士(行政職員)の方のお話を伺う事が出来ました。


大糸タイムスの方は、「今回集まってくれた市民の方達のほとんどに取材にいったことがあるが、それを今まではばらばらに紹介していた。メディアはこれらの繋がりに貢献しなくてはならない。」と仰っていました。実は皆が「繋がりたがっている」けれど、その具体的な方策を市民や一企業レベルだけで果たすのは難しいのだと思います。
文化とまちづくりの関係について熱心に考えていらっしゃるようで、特に記者の方は熱っぽく語って下さりました。
一方で、「東京から見てー」「東京と比較してー」といったキーワードが多かった事から、自分たちのまちを相対的な視点で見る事に関心があり、また「安曇野・白馬」といった長野県で有名な他地域名や「大町のことを皆知らない」といった話題の頻出から、大町の事を外の人(特に都会の人)に知って欲しい、もっと来てもらいたいという思いがある事がわかりました。
大糸タイムス記者の方は、あるアニメのロケーションに木崎湖が選ばれて以来、年間100回も訪れた人がいるという話をして下さり、文化は「自分たちのまちの風景をそれぞれの人の中で特別なものにする力」があるのだと思うと仰っていたのが印象的でした。
そして、生徒数の激減により閉鎖寸前の美麻地区の小学校や、高齢者の外出を阻害する冬の厳しさ、産業の衰退など、現実の厳しい課題にも直面しており、そちらの方も文化面とは別に解決すべき問題であるとの認識を持っておられました。
これらの点から、原始感覚美術祭の神原さんが「私達も行政と同じ事を考えている」と仰っていた様に、行政が課題として捉えている事は民間の間でも一定程度共有されている様子が分かりました。

他方、市の保育士の方も同じ様な問題意識を共有しておられましたが、大町ラボラトリの配布資料の中に商店街の真ん中を小川が流れ、左右に緑化した道が広がるというイメージ図をご覧になった時に「これすごい、これを是非実現させたい、これがあればお年寄りもみんな日中外で楽しく過ごせる」と目を輝かせていたのが特に印象的でした。


二日目は、私たち小林ゼミ生が鳥取で行われた日本文化政策学会(3月9日-10日)のポスターセッションに向けて作成したポスターを用いて、市長に私たちの活動をプレゼンし、学生はそこから市内見学に向かいました。
訪れた場所は下記の通りです。
1)わちがい http://www.wachigai.com
2)麻倉 http://asagura.com
3)西丸震哉記念館 http://nishimarukan.com
わちがいは古民家を改修し出来たとても風情のあるカフェレストランで、暖房設備がない代わりに薪を焼べたりとあたたかな心遣いが感じられる場所でした。東京でこんなお店があったら流行るだろうな、と感じました。一方でそれぞれが独立した部屋として存在している一部を市民開放としたギャラリースペースに見に来る人はどのくらいいるのだろうと思いました。

ヒッピー運動や半農半工ブームを通じて、長野県(特に松本の方)でクラフト文化が根付いていた中、たまたま同じく工芸の盛んなメンドシーノ(アメリカ)と国際交流を行うに至ったという経緯を含め、 麻倉ではプロジェクトリーダーの小田さんにお話を伺う事が出来ました。「全体の方向性を規定するのはディテールなので、連携しようと言うだけではだめ」というお言葉は、やはり実践者の視点として重要だと思います。
倉自体が物語るものが多いだけに、下のギャラリースペースが白いパネルで覆われているのが少し残念でした。とは言え、大事な倉に直接釘を刺したり穴をあけたりするわけにもいかないので、こういう選択肢になったのかと思います。

西丸震哉記念館では、写真や標本記録など面白いものを見る事が出来ました。立地条件や施設の規模的に、単体で大きな集客を見込むのは難しい部分があるかと思いますが、原始感覚美術祭が行われる地域に相応しい資料館だと思いました。個人的には館内に展示されているイラストがとても良かったです。

最後の山岳博物館は、良い意味で予想を裏切られました。展示している資料自体おそらく貴重で、しかもそれぞれにドラマがあり面白かったです。山を楽しむ/山と共存していく上で意義のある展示資料だと思います。また、併設された動物園は山の斜面をそのまま用いて飼育展示をしており、特にカモシカについては限りなく自然の状態に近いと思われる状態で見る事が出来ます。駅から若干遠い(徒歩25分)ですが、ちょっとした工夫でもっと楽しんでもらえる施設だと思いました。

そんなわけで、あっという間の長野県大町市の訪問が終わりました。
ちなみに、初日の懇親会で出た信州リンゴ、二日目のイタリアンレストランで出た信州リンゴピザがとても美味しかったです。特にピザの方は、りんごとはちみつ、胡椒とチーズだけというとてもシンプルなものでしたが、りんごの柔らかな甘さと胡椒・チーズの組み合わせがマッチしており、皆大絶賛でした。
私にとっては今回が初めての大町市訪問でしたが、実際に現地に行って行政・市民の方達とお会いしまたまちに触れる中で改めて一年間の活動を振り返る機会になりました。
今回のフォーラムを受けて「今後どうしていくのか」という事を今一度真摯に考える一つのターニングポイントに大町市は来ていると思います。市はどのような方向へ進んでいくべきで、そのためにはなにをすべきなのか、また小林ゼミ生としては何ができるのかを私達も再考するときにあると感じました。
(M.O)

2013年3月14日木曜日

大町市訪問感想(1) 若手職員発表会+市民フォーラム


3月12日から13日にかけて、小林ゼミで昨年度より関わらせて頂いている長野県大町市に伺いました。
初日は雲一つないすっきりとした晴天に恵まれ、地元の方でも「滅多に見れない」という程美しい山並みを見る事が出来ました。
すぐに市庁舎に移動し、今回の目的である、「大町市を魅力的で元気なまちにするプロジェクト 若手職員発表会+市民フォーラム」運営のお手伝いにあたりました。

「様々な人の思いを坩堝に入れてかき回し、そこから新しいものを得たい」という牛越市長の御挨拶の後、若手行政職員8グループによる発表(大町でなにができるかについて)が行われました。
それぞれの案に、どれだけの実現可能性がありまた効用が見込めるのかという部分は別にして、各班の方々がこの発表を準備する過程で大町にある様々な資源や市民活動の存在に気付き話し合う機会になったという事が分かり、それだけでも良い機会になったのではと思いました。

続いて、大町ラボラトリの方々の発表が行われました。
まず、ラボラトリの活動内容(まちづくりの達人を招いて講義をして頂き、またそれを受けて実践にうつしていく)や概要を発表頂き、その後SWOT分析を通じて分類された「大町の魅力とチャンスを生かし、弱みの解消を目指す」4つのプロジェクトが発表されました。
1)自然を生かした活動としてサバイバル防災キャンプ
2)シビックプライド醸成活動
3)若い世代の大町ファンを増やす「恋するおおまち♡」プロジェクト
4)既にある大町のブランドを活かす連携プロジェクト
ここから、市若手職員の方が今回行った様な勉強会や取組が市民レベルでは既に行われており、またその内容もより具体的でレベルが高いという事が明らかになりました。

そして、市民の文化を通じたまちづくりの実践報告と題し、4つの市民活動が紹介されました。
1)NPOぐるったネットワーク大町
2)麻倉プロジェクト
3)わちがい/塩の道博物館
4)原始感覚美術祭
ぐるったは、大町温泉郷で2007年に誕生、2010年NPO法人化し大町全域を活動エリアとして展開、大町の市民活動における「連携」をいち早く考えて来た団体と言え、活躍する人達の場作りを目指しているとの事でした。
麻倉プロジェクトは、廃倉の再活用を人・倉・まちの中でうまく根付かせるために、文化プロジェクトの経験豊富な小田さんを中心として計画的な順序を踏み現在に至っている大町に有益なケース事例と言えるでしょう。「今は縦糸をはった所なので、これから横糸でそれらをつなぎ、大町の文化を織りなしていきたい」というお言葉は印象的でした。
わちがいの発表では、自分のまちを愛し継続的な取組を行うことで、その思いが周りに伝播していく可能性を感じる事が出来ました。
最後に原始感覚美術祭の発表からは、地域の良さを再発見する過程におけるアートやアーティストの媒介としての力を感じました。今年度からは公募制になるとの事で、今後の展開が注目されます。

パネルディスカッションは、上記の市民団体の方々・行政職員3名に加え小林先生がモデレータとして参加されました。
「市民活動の充実ぶりを見てどう思ったか」「自分たちの発表を企画する中で、市民と行政の役割分担や行政職員として出来る事は考えたか」といった質問が先生から行政の職員の方々へ矢継ぎ早に飛び、パネルディスカッションというよりは、職員の方々はさながら公開尋問を受けているかのような様子でしたが、「行政の役割としての環境づくり」を意識する機会になったのではと思います。
時間が押していたことや登壇された皆さんがこうした場におそらく慣れていないであろうということもあり、パネリスト内の議論やフロアからの声をひろったりするところまでは発展しませんでした。
とは言え、初回としては全体を通じて熱気に満ちたフォーラムであったと言えます。

長くなりましたので、その後の懇親会並びに翌日の活動については別記したいと思います。
(M.O)

2013年3月11日月曜日

オープン・フォーラム「日本におけるアーツカウンシルの役割を考える」


先日、アーツカウンシル東京(ACT)/ブリティッシュ・カウンシル/国際交流基金主催のオープン・フォーラム「日本におけるアーツカウンシルの役割を考える」に参加しました。ちょうど大学院の授業で韓国のアーツカウンシルの制度的課題に関する論稿を読んだところだったので、昨年設置されたACTはどうかという関心がありました。


フォーラムの構成は以下の通りです。
<基調講演(30分×2)>
・近藤誠一 文化庁長官
・リチャード・ラッセル アーツカウンシル・イングランド(ACE)戦略部門ディレクター
<パネルディスカッション「アーツカウンシルと芸術文化団体のパートナーシップ」>
パネリスト
・リチャード・ラッセル アーツカウンシル・イングランド戦略部門ディレクター
・片山正夫 公益財団法人セゾン文化財団常務理事(カウンシルボードメンバー)
・塩見有子 NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウディレクター
・中村政人 アーツ千代田3331統括ディレクター
・船曳建夫 東京大学名誉教授(カウンシルボードメンバー)
モデレーター
・菅野幸子 国際交流基金情報センタープログラム・コーディネーター

この構成から分かる通り、フォーラムの観点はACTの組織や制度ではなく、芸術文化振興(promotionではなくdevelopmentであり、現状維持ではなく発展を目指す)の日本での活性化に向け、英国の知恵や経験、あるいは現場からの意見を聞き、ひろく考える事にありました。
まだ出来たばかりの組織に対して評価をする事は困難なので当たり前かもしれません。


そもそも、ACTはどのような機関なのでしょうか。ウェブサイトには以下の様に記載されています。
経緯:世界的な文化都市東京の実現を目指し、平成23年11月の東京芸術文化評議会からの提言も踏まえ、芸術文化を推進するグローバルスタンダードな仕組みである「アーツカウンシル」を日本で初めて本格的に設置致しました。

設立趣旨:1)東京における芸術文化創造のさらなる促進や東京の魅力向上を図ることを目的とします。2)国際都市東京にふさわしい個性豊かな文化創造や、創造性に満ちた潤いのある地域社会の構築に貢献していきます。3)芸術文化の自主性と創造性を尊重しつつ、専門的かつ長期的な視点にたち、新たな芸術文化創造の仕組みを整えます。

機構の位置付け:ACTは、東京芸術文化評議会での政策提言やこれを踏まえた東京都の方針の下、事業を実施していきます。また、事業評価およびカウンシルボードでの議論等を踏まえ、東京都への事業提案等も行っていきます。

これらについては片山さんの発表から補足を抜粋したいと思います。
<日本のAC議論のひろまりのきっかけ>
・より有益な公的資金の使い方に関する説明責任が増えた事
・文化自体の再評価がなされてきた事
・どのような施策を講じれば有効なのかについて専門家が関与しておらず、またその目的自体も不明確である事
・アーツコミュニティ全般に対する一般大衆の不信感がある事
から、芸術文化振興の専門機関の必要性(ハードへの投資からマネジメントへ)が増えた。

<東京都とACTの役割分担>
東京都が芸術文化にコミットして行く理由、また芸術文化の中でどこ重点的に投資して行くのかを決め、それに対しACTが具体的な施策を採る。そのためには、民間の芸術文化活動の動向と想像活動の現場を観察する必要がある。
ACTは、プロジェクト実施だけでなく助成のスキルを高め、またその中でパイロット的役割、および情報の提供者として振る舞い、ネットワーキングを行うべきである。加えて、都民に対するわかりやすい広報をしなくてはならない。


基調講演は文化庁/ACEの取組を概観するに留まったため内容は割愛しますが、これらの発表を踏まえ、船曳先生は今回のフォーラムにおけるキーワードを「財務規律、自己検証、社会の中での関係を築き発展していく」の3点にまとめられました。
パネルディスカッションに入る前に、それぞれのパネラーからの簡単な発表がありました。(その中で片山さんが上記の言及をなされました)

塩見さんは、とりわけ初期段階における小額でも柔軟性のある助成や人材を見つけ育てる環境づくりの必要性、及びラッセルさんの発表でも言及されたリスクテイキングの必要性を強調されていました。
そして、中村さんはより実際的な観点から、アーティストの活動場所不足の問題を挙げられていました。(例えば地価の問題を考えると、制作場所を安い賃料で確保出来る様なシステムが求められていますが、アーティストの活動によりその地域が活性化されれば、それまで安かった賃料が高騰し、地域の発展を支えてくれたアーティストが移転を余儀なくされるという場合もある、という話題が出ました)

このパネルディスカッションを通じて、営利・非営利あるいは団体・個人といった、今までの日本の文化政策が文化を捉える時に用いて来た旧来型の枠組みだけでは現在の文化シーンを語ることはできず、今、地域間・アクター間などの柔軟な協力や、明確な目的とメカニズムの形成が求められていることが分かりました。
文化の発展を支えるリスクテイキングの概念に関しては、目的に対してどのように評価を解釈して行くのか、(失敗しないものを選び多くを透視する事だけ良い助成なのかどうかという点について)その自己検証システムの再考が重要である事も確認されました。

「行政はすぐ枠組みの話をしたがるが、そういうところにとらわれないACのあり方になってほしい。アートをリスペクトしてくれる人たちを増やしてほしい」という塩見さんの御意見が印象に残っています。
また、そのためには「アートの重要性について語るより経験させる方が何倍も有効」とおっしゃったラッセルさんの言葉に妙な説得感を覚えたのは、イギリスが長年にわたり文化振興という課題に取り組んで来た歴史に裏付けられたものだからだと感じました。
(M.O)

2013年3月9日土曜日

シンガポール演劇界のパイオニアKuo Pao Kun回顧展



 シンガポールの芸術文化の礎を築いた劇作家・Kuo Pao Kun(郭宝崑、1939-2002)の没後10周年にあわせて、昨年から今年2月にかけて彼の名を冠したフェスティバルが開催されました。Kuoが設立した劇団・The Theatre Practice(実践劇場)が主催するこのフェスティバルでは、国内外の劇団がKuoの戯曲を再演したほか、国際会議や学校と連携した教育プログラムなどが実施され、Kuoの戯曲をまとめた全集も出版されました。今回はそのひとつ、シンガポール国立博物館で開催された回顧展”A Life of Practice Kuo Pao Kun”と、会期中に上演されたドキュメンタリー演劇をご紹介します。

 Kuo Pao Kunは今やシンガポールのパフォーミング・アーツを特徴付ける要素となった多文化の融合や、バイリンガルもしくはそれ以上の数の言語によるパフォーマンスを最初に試みた劇作家です。回顧展ではKuoの生涯とシンガポールの舞台芸術の歴史を併記した年表、Kuoの手記、公演のパンフレットや記録映像などが展示され、一人の人間の一生、劇作家としての業績、そしてシンガポールの演劇界の発展を同時に辿ることができました。多くの観客が関係者のインタビュー映像に長時間見入ったり、学生が上演記録を見ながら声を上げて笑うなど、来場者が展示に引き込まれている様子も見て取れました。

 展示会場で私たちが目にするKuoの生涯は実に波乱に富んでいます。幼い頃に中国からシンガポールへ移り住み英語と華語のバイリンガルとして育ったKuoは、60年代から70年代にかけて急速な工業化と経済発展を目指すシンガポール社会の弊害を批判する華語演劇を次々と発表。文化大革命やマラヤ独立運動などの影響を受けたこれら左翼的な作品は共産主義の広がりを警戒する政府の弾圧を受け上演が禁止され、1976年には妻のGohとともに治安維持法によって身柄を拘束されてしまいます。一度は拘禁され、公民権を剥奪されたKuoでしたが、80年代に入るとシンガポール初のバイリンガル演劇を上演、その功績が認められ1989年には政府から文化勲章を授与されました。90年代にはシンガポールを代表する劇作家として海外のアーティストや伝統芸能とコラボレーションしながら画期的な作品を制作、後進の育成にも力を注いでいます(詳しい経歴は下記参照)。

 今回の回顧展は一人の芸術家の評価を巡る歴史としても大変興味深いものでした。そして、資料として客観的に展示されたKuoの生涯に、命を吹き込んだのがTheatreWorksによるドキュメンタリー演劇です。展示だけでなく最も近くにいた人物の目を通してKuoの生涯を見つめてみたい、という回顧展キュレーターの言葉が示すとおり、この作品は妻・Goh Lay Kuan(呉麗娟、1939-)とKuoの対話を描いたものです。展示会場の中心部に円形に組まれた客席の中心で二人が向かい合うような形で上演が進行しますが、直接言葉が交わされることはありません。Gohの台詞がオーディオ・アーカイブに基づく語りであるのに対し、同等の記録が残っていないKuoの台詞は手紙や戯曲によって構成されていて、一方の発した台詞に対し他方が応えるような場面は起こり得ないのです。Gohの臨場感あふれる言葉を通して観客は戯曲の背景にあった社会状況や当時の生活をうかがい知ることができましたが、何よりも見るものに訴えかけたのは彼女の怒りのエネルギーでしょう。当時は上流家庭しか触れることのできなかったバレエの世界に魅せられた彼女が感じた貧富の差による不平等、教育制度に対する批判、そして自らの表現が政府の一存で日の目を見ることなく消されてしまうことに対する怒り・・・展示品だけでは読み取りきれない激しい感情を生身の俳優を通じて再現する試みは、演劇という芸術の持つ力を存分に見せ付ける、劇作家の回顧展に相応しい企画でした。

 60年代に端を発するKuoやGohの鋭い批判精神は現在のシンガポール社会でも色褪せることなく、むしろますます力強く我々に訴えかけるように思われました。これまでもご紹介してきたとおり、シンガポールでは政府が進める開発によって有形・無形を問わず様々な文化遺産が消失の危機にあり、草の根でそれを守ろうとしている人々が居ます。今年2月には政府の発表した人口政策と移民受け入れに対し、過去に例を見ない規模の抗議集会が開かれました。90年代から注目が集まったシンガポールの市民社会運動は、政府が先取りして理想の市民社会像に国民を誘導するのではないかと予測されました。Kuo Pao Kunの生涯は回顧展を通して先取りされた市民社会像の一つとして描かれたのでしょうか。TheatreWorksの舞台や熱心な来場者の反応を見る限りでは、シンガポールの社会にはそれとは違う方向に向かおうとしている力があるように感じられました。(齋)


Kuo Pao Kun(郭宝崑、1939-2002)
中国河北省出身。10歳のとき父親が会社を経営するシンガポール(当時は英国植民地)へ移住。華語劇団で俳優として活動した後オーストラリアで演劇を学び、1965年にシンガポールへ戻るとダンサーで振付家でもある妻のGoh Lay Kuan(呉麗娟、1939-)とともに当地初の舞台芸術の学校・Singapore Performing Arts School(後にPractice Performing Arts Schoolに改名)を開校。演技やダンスの指導にとどまらず、在校生が貧しい村落に滞在し、そこでの生活を作品に反映させていくような教育を行った。1976年からの4年間、治安維持法によって拘禁生活強いられる。演劇界に戻ったKuoの作風は、直接的に政治問題にコミットするものから複合社会や多文化主義の中でゆれるシンガポール人のアイデンティティを描くものへと変化。86年には初のバイリンガル劇団・The Theatre Practice(実践劇場)を設立、彼の代表作となる多言語の戯曲を上演。90年代には伝統芸能とコラボレーションしながら歴史や記憶のあり方に焦点を当てた作品を制作、日本で取材した太平洋戦争の記憶をもとにした"The Spirits Play(霊戯)"などを発表。1990年にはシンガポール初のインディペンデント・アートスペースThe Substationの初代芸術監督に就任し、実験演劇から伝統芸能、パンクのコンサートに至るまで様々なプログラムを実施。Kuoの学校やSubstation、そしてアジア各国の文化から学ぶTheatre Training & Research Programmeは、今日国内外の芸術文化の最前線で活躍する数多くのシンガポール人アーティストを育てた。

2013年3月8日金曜日

週末開催:日本文化政策学会@鳥取

今週末に鳥取にて
日本文化政策学会第 6 回年次研究大会が開催されます。
 
日本文化政策学会
第 6 回年次研究大会
2013 年 3 月 9 日(土)・10 日(日)
会場:鳥取大学(鳥取キャンパス)
研究大会テーマ:「文化政策は地域に貢献できるか」
開催要綱↓
http://www.jacpr.jp/wp-content/uploads/2013/02/Microsoft-Word-securedownload-3.pdf

小林ゼミからは、ゼミ生4名+先生も分科会で発表します。
発表スケジュールは上記開催要項をご参照ください。
(発表者、鋭意準備中・・・)

それからポスターセッションにて
小林ゼミが1年間関わってきた大町プロジェクトについても展示します。
(こちらもがんばってます!)

ちなみに鳥取と言えばやっぱり砂丘ですが、

鳥取砂丘・アクセス地図

鳥取砂丘・詳細地図

それから鳥取は民芸も有名ですが

鳥取民芸美術館 駅から3分

鳥取の工芸品

鳥取の民芸プロデューサー!吉田璋也について


明日の朝一に鳥取入りするので、
学会前にぜひ足を運んでみたいところです。

発表準備が終わっていれば・・・・ 

(mihousagi_n)

2013年3月6日水曜日

こんな文楽、知らなかった。

 お久しぶりです。M.Hです。

 先日、文楽の人形遣いで人間国宝の吉田簑助さん、桐竹勘十郎さんが遣う人形に焦点をあてる「人間・人形 映写展」に行ってきました。この映写展では、近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』をテーマに、主人公お初と徳兵衛の人形が動く様子をハイスピードカメラや3Dカメラで捉えた映像作品と、曽根崎の森をイメージした風景写真、オリジナルBGMとともに、お初と徳兵衛が心中にいたるまでの展開、『曽根崎心中』の世界が鮮やかに表現されています。

広告写真の分野で活躍する渡辺肇氏、映像作家の堀部公嗣氏によって撮影された映像「人形編」(15分)「人間編」(5分)には、文楽特有の「語り」はなく、従来の舞台写真と異なる角度からの撮影、そして高速度カメラによって人形の表情の微妙な変化を見ることできます。
 
「人形編」では、最先端の撮影技術で人形の表情を高速度カメラで撮影し、静止画ではなくスローモーションで美しい瞬間が捉えられています。お初と徳兵衛の動き、表情から死に向かう二人の感情を感じることができ、特に曽根崎の森で徳兵衛がお初を刺したあと、自分自身の首を斬る場面では胸が締め付けられるような気持ちになりました。そして徳兵衛に殺されながら、静かに目を瞑るお初の表情は優しく、穏やかでとても印象的でした。
 
「人間編」では、簑助さんや勘十郎さんが人形を遣わず、体を動かす様子だけを撮影した映像を見ることができ、人形の緻密な動きの秘密が鮮やかに解明されていきます。人形に魂を吹き込んでいく技など、文楽の魅力を新たな視点から捉えなおすことができました。
 
私は『曽根崎心中』を鑑賞したことをきっかけに、日本の文化や古典芸能に興味をもつようになったので、『曽根崎心中』は今でも私にとって大切な作品の一つです。今回の映写展では、古典芸能の世界を最新のビジュアルテクニックで表現することで、今までとは全く異なる文楽の新たな味わい方、『曽根崎心中』の魅力が生み出されることに感動しました。異なる視点から光をあて、古典や舞台芸能の新たな魅力を引き出す試みを通して、それらの魅力を認識し共有する機会、場が今後さらに増えていくといいなと思います。
 
今まで文楽にはあまり興味がなかった人、文楽が大好きな人、たくさんの人に見ていただきたいなと思った映写展でした。
 3月9日(土)まで東京・表参道のギャラリー5610で行われています。
 
(M.H)

2013年3月3日日曜日

黒人系創作者とプロデューサーをとくに対象とする助成制度


1500年にポルトガル帝国が南米の大陸を発見した際、その土地に既に住んでいた人々がいた。すなわち先住民、インディオである。30年後、この土地はブラジルというポルトガル植民地になり、その初期にヨーロッパからの病気の影響でインディオは多くが死んだ。それから一次的に奴隷として扱われたが、ポルトガルは早くにインディオの奴隷化を禁止した。インディオの数はブラジルが発見された頃は百万の単位で数えられたが、現在300,000~350,000位がブラジルに残っている。インディオの奴隷化を禁止した一方で、ポルトガルは15世紀にアフリカ大陸からの奴隷商業取引を始め、そこでブラジル植民地に一早く導入することも始められた。1550年から1855年の間、ブラジルにアフリカから4億人の奴隷が入ったことが推測されている。1888年にはブラジルの奴隷制度が廃止された。現在のブラジルの総人口において黒人系が多い(2010年の調査で「ネグロ」は5.7%、黒人系のミックスを含めると48.8%)ことの一つの原因は、まさにポルトガルの奴隷商業取引にある。しかしアフリカからブラジルへ連れてこられた黒人たち、アフリカの各地を出身として文化や生活様式の異なる人々とその子孫が、ブラジルの文化の一つの基盤を作っていることは間違いない。
 ブラジルの文化庁は昨年11月20日(ブラジルの黒人の日Dia da Consciência Negra)に黒人系の創作者や制作者を対象とする助成制度を始めた。このプロジェクトは文化庁と人種的平等振興政策庁の協力の結果である。プロジェクトの目的は「黒人系」のことがテーマ・対象になるだけでなく、「黒人系」自らが創造者になる可能性を広げることにある。
 プロジェクトは公表された際に黒人系文化と関係ある非営利団体から批判があった。人種を前提とする支援が差別を助長させる可能性があるという立場からの批判だ。文化大臣であるマルタ・スプリシ(Marta Suplicy)は、この差別の話題に対して、今回のプロジェクトは差別ではなく、むしろ黒人系に対しての積極的な差別是正措置となることを目指すと答えた。
 文化庁に中でこの対策のきっかけとなったのは、黒人系文化は文化庁で既に支援されているが、黒人系が文化に関するプロジェクトを実現することはよくあることではないという事実だった。その話題はスプリシ文化大臣が文化プロデューサーを仕事とする人から直接聞いて、今回のプロジェクトが生まれる一つのきっかけとなった。ブラジルの文化庁ホームページをみると現在複数の募集がある。例えば、文化庁の視聴覚部(Secretaria do Audiovisual do Ministério da Cultura)が若手(18歳~29歳)黒人系監督かプロデューサーのショート映画を6つ採択し、一件ずつ100,000レアルを与えるもの。それから文化庁と繋がっているブラジル国立図書館基金(Fundacao Bibioteca Nacional)が27つの読書拠点(Pontos de Leitura)を導入するプロジェクトを募集している。

ブラジルでは既に2001年から、リオデジャネイロ州において国立大学の定員のうち40%を黒人系学生とすることを定める「Cota Racial」という制度が始まった。この制度が始まる前に同州においては、2000年に国立大学の定員の50%を公立学校の学生から選ぶとする法律があった。
 ブラジルにおいて、国立大学は非常に評価が高いにも関わらず、高等学校までの公立学校は非常に評価が低いという現実がある。私の両親が学校教育を受けた50年代~70年代までは公立学校の評価は良かったが、現在は極端に反対となった。残念ながら貧しい人たちが公立学校の主な学生となることは今の現実であり、一方で私立学校は裕福な家庭の子どもを学生としつつ、「教育」ではなく「大学入学対策」という側面を重視している。高等学校の後は予備校で勉強することも大学に入るためには必要となることも多くの人々の通る道となる。
 Cota Racialが現在もブラジルで話題となっている。それに対しての批判の一つは、大学に入る人の割合で公立学校の学生や黒人系学生を決まった割合で前提とするのではなく、公立学校の教育の重視を政府に求めるべきであり、教育が良くなることと同時に社会の平等も生み出されるのではないかといったものである。
 昨年の文化庁の「黒人系創作者とプロデューサーをとくに対象とする助成制度」はこのブラジル教育の基本的な問題と繋がっていると思われる。

(M.P)

*参考
Boris Fausto, História Concisa do Brasil, Editora da Universidade de São Paulo, 2008

黒人系創作者とプロデューサーをとくに対象とする助成制度に関するブラジルの文化庁のホームページ:
ブラジル連邦統計地理研究所(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística – IBGE):