2013年2月28日木曜日

2013年2月のフランス便り(4)― 劇場風景二題


 今週帰国しました。欧州文化首都の記事に写真を添えましたので、そちらもご覧ください。2月最後の今日、以下は滞在中のメモからです。

 パリでは日中のほとんどを国立図書館で過ごしていました。「フランソワ・ミッテラン図書館」の研究者用閲覧室はとても快適で文献サービスも行き届いているけれど、たどりつくまでが結構たいへんな構造で、駅から延々と歩き上り下りも多いです。そんな訳で、地下鉄などでバリアフリー対応をみかけないことがつねに気にかかっていました。

 夜は劇場へ。オペラ・ガルニエで入手した席は、Logeの三列目(三列目から椅子が高くなるので見えます)。可動式の椅子で20人弱を収容する広さのボックスでした。この日この桟敷には重度の麻痺がある車椅子の女性と、入口までは車椅子でボックス内では杖を使っていた年配の男性がいたのですが、彼らが入ってくると周囲はすばやく自分の椅子をもちあげて動かし、通りやすいよう配慮しました。そしてさらに声を掛け合いながら少しずつ席を移動して、全員がよりよく舞台を見られるよう調整したのでした。古い劇場の固定席は間隔が狭い。段差のないLoge席が使いようによってはバリアフリーになることを知って感心。しかし、席の位置が価格差と連動する劇場で、日本だったらこれほど臨機応変にみずから他者のために動くかしら、とも考えるところでした。同じ状況で、案内の人が周囲に「申し訳ありません」とか言ってしまわないでしょうか。私たちはチケットを購入して「お客様」になってしまわないでしょうか。病や事故はいつ誰に訪れるかも知れず、老いは確実に皆に訪れます。誰でもいつまでも当然に舞台を楽しめる日常がある社会がいい、とあらためて思った夜でした。

 もうひとつ印象にのこる劇場風景は、演劇の観客年齢層の若さ。今回は思うところがあり、音楽ものだけではなくなるべく演劇も観ようとしましたが、ネット販売分完売の演目が多かった。コメディ・フランセーズ仮設劇場平日夜の「病は気から」は、小さいこどもを連れた家族や先生に引率された高校生グループで賑わっていて、みんな笑いにきているかのようでした。ヴィユー・コロンビエ座「エルナニ」は劇場窓口でもまったく席がとれず。聴くことができた「コメディ・フランセーズにおける<闘い>」をテーマにしたフォーラムは聴衆の大半が高校生と先生でした。「演劇とは対立を舞台にのせるもの」という定義から始まった公開討論は、一夜目が劇作上の論点を、二夜目は社会での受容を論じるもの。コメディ・フランセーズの長い歴史のなかで作品とエピソードに欠くことはなく、さまざまな方向から<闘い>を捉えることができて面白かったです。参加した高校生たちは、次はきっと観客として舞台をみて自ら考えるようになるでしょう。

ふたつの劇場風景に接し、舞台芸術への<愛>が社会のなかで空間的にも時間的にも伝わって共有される場面をみたようでした。2013年2月のフランス滞在はあっという間に終わってしまいましたが、印象的な場面が深く記憶に残る点で、短いなりによい所もあったと今は思っています。

(ykn)

2013年2月27日水曜日

欧州文化首都と東アジア文化都市

春休み、まだまだある!なんてたかをくくっていたら、あっという間に3月が目の前で焦っていますsweetfishです。

今回の投稿は、yknさんがマルセイユの欧州文化首都について話してくださっていたので、
それに関連して。
ここのところ、アルバイトでずっと欧州文化首都に関して調べており、学生のうちに本物を見たい!と思っていたので、羨ましいです。
ちなみに、2013年のもう一つの欧州文化首都は、スロバキアのコシツェです。

日本では、欧州文化首都はあまり知られていませんが(旅行代理店のパンフレットでは、ほとんど紹介されていません)、30年以上も続けられている本事業はヨーロッパではかなりのブランド価値が認められているようで、年々応募都市が増えているそうです。

そして今、日中韓では「東アジア文化都市」が始まろうとしています。
すでに、文化庁では2014年度の開催都市の募集が始まりました。
http://www.bunka.go.jp/kokusaibunka/east_asia_bosyu/index.html


東アジア文化都市は、欧州文化首都と同じく、1年間を通じて催しが行われます。
こちらも、何年かしてノウハウが蓄積されたら、ぜひ中小規模の都市でも開催してほしいですね。
日本中だけではなく、アジア各国からも注目される機会なんてほとんどありませんから。
一過性のイベントに終わらせないためには、地域のたゆまぬ努力と楽しむ為の工夫が必要ですが、それを行ってこそ地域がかわると思います。
また、地域だけでなく、国や県からのサポートのあり方も問われますね。

どこが選定されるにせよ、楽しみです。


(sweetfish)

2013年2月22日金曜日

リオデジャネイロのマラカナ村闘争



皆さん、

こんばんは。MPです。


今年の1月までリオデジャネイロ市の最も有名な競技場のすぐそばでは、ブラジルの先住民のグループが``Nao a demolicao, sim ao tombamento``というモットーで知事と戦った。このモットーは日本語では「破壊反対、登録賛成」となる。

 現在ブラジルでは、2014年のワールドカップ開催の準備が行われている。その結果、競技場、各チームのための寮、地下鉄、練習センターなどが全国に建設されている。あちこちに新たな建物が現れる一方で、古い建物が破壊される。ワールドカップを開催することに必要となるインフラを整えることにつれ、都市開発が早く進んで、風景がますます変化する。リオデジャネイロ市にはブラジルの最も有名な競技場、マラカナ(Maracana)競技場がある。1950年に開かれたブラジルワールドカップの決勝戦がこの競技場に行われ、ブラジルはウルグアイに負けたのだった。改修のために、来年にもマラカナでは最後の試合が開催される。現在マラカナには大きな工事が計画されていて、そのプロジェクトにおいて対象は競技場自体だけでなく、その周辺にも様々な工事を施す予定があり、ショッピングセンターや駐車場を建設するためにマラカナの周辺にある建物を破壊する必要がある。しかしながらその周辺には、1862年に建設された大邸宅が残っている。
その大邸宅は1950年代から70年代の終わりまで「先住民博物館」として使われていた。先住民博物館(ポルトガル語ではMuseu do Indio)は1950年代にインディオ文化やインディオについての研究を代表する人類学者Darcy Riberioによって、1953年に設立された。その前1910年から行政の公共サービス窓口としての「先住民保護サービス」も同館にあった。先住民博物館はブラジルで最初の正式な「先住民」を中心とする博物館だった。1978年には同館は別のところに移動し、建物が残った。博物館は移動したにも関わらず、その建物はインディオにとって重要なところとなった。
 1978年まで先住民の博物館であった建物は、リオデジャネイロ州の公共サービスの様々な目的で利用されたが近年廃墟になり、2006年には先住民が建物を占拠した。そしてマラカナ村という名前を付け、そこでリオデジャネイロに先住民文化の拠点を作ろうとした。先住民は、その建物を「文化センター」にすることを目指した。実際に7年前から「マラカナ村」はリオデジャネイロでの先住民の文化の拠点になった。毎月の最初の土曜日に先住民の文化祭を開催し、料理、踊り、昔話、先住民芸術などを通じて村の維持に当たる経費の一部分を支えることが出来ている。マラカナ村自体は先住民の文化そのものとも言えるだろう。そこに生活している人々は先住民コミュニティの生活様式を都会の中に果たしている。
 マラカナ村の人々は現在リオデジャネイロの市民の応援を得て、昨年の10月から裁判所で建物を破壊しないように、またそこに住んでいる先住民を退去させないように闘っている。現在でも毎日マラカナ村のリーダー達はリオ市のあちこちに行って活動をアピールし、市民の応援を要望している。11月の終わりに裁判所は建物を壊さないこととインディオを退去させないことを決定したが、リオデジャネイロ州の知事はその決定を訴えてキャンセルすることが出来、12月の終わりにはまたインディオが負ける恐れがあった。しかし今年の1月から、市民、ブラジルの文化庁や国連の批判も受けたリオデジャネイロ州知事は、マラカナ村の建物を文化財として登録することに決め、インディオの意思が勝った。それにも関わらず、村はそこに継続するかどうかはまだ不明だ。文化財登録は決まったものの、インディオが留まれるかどうかについてはまだ決まっていない。実はマラカナ村の建物だけでなく、今回のプロジェクトでは、マラカナ競技場の周辺を民間化することが決まっている。現在、民間化のプロセスが始まっており、競争入札で選ばれる会社や企業グループがマラカナ競技場とその周辺の責任者となる。民間化後においてはマラカナ村の保存や修理は民間の所有者の責任となり、村の将来はまだ不明である。同時にマラカナ周辺に以前からあった学校やスポーツセンターも壊す予定があるため、インディオだけでなくそこに住んでいる市民が今回のプロジェクトに対して非常に反対している。
 さて、世界的に期待されているワールドカップへの準備は、ブラジル国家表象であるサッカー(ポルトガル語ではFutebol)を中心に進むものの、同国家の先住民国民アイデンティティや文化財保護の問題を社会の中に浮き出させている。これからもリオデジャネイロだけでなく全国に、似た問題が闘争の対象になるのではないか。

マラカナ村の闘争は長く、昨年からインディオが何回もディベートを行った。ネットで公開されている。
以上のリンクで見ることが出来る。




*Indio(インディオ)ラテンアメリカに住む先住民(百科事典(電子辞書版より)

2013年2月20日水曜日

2013年2月のフランス便り(3)― マルセイユ=プロヴァンス2013欧州文化首都


 M1のみなさん、文化資源学フォーラムお疲れさまでした。そして大成功とのこと!おめでとうございます。

 土曜日、私はマルセイユに向かっていました。欧州文化首都(Capitale Européenne de la Culture / European Capital of Culture)は、EU加盟国内の都市を毎年選定し、そこで一年間にわたって集中的に文化プログラムを展開する事業。1989年のパリ、2000年のアヴィニョン、2004年のリールに続き、マルセイユ=プロヴァンス地域(プロヴァンス地域圏内のマルセイユを中心とした複数の都市圏の連合体)がフランスで2013年の「首都」となりました。オープニング・イベントでは、約40万人が開幕を盛大に祝ったと報道されています(1月15日付ル・モンド紙)。ところが実際に足を運んでみるとマルセイユ中心部はまだ工事現場だらけ。イベントなども夏が本番のようです。


 この週末のマルセイユ=プロヴァンス地方は青い海と青い空がうつくしい快晴で、コートもいらない暖かさでした。

二日間の滞在で見たのは、

・ J1の<Méditerranées>(地中海世界展)
マルセイユ港湾局提供の倉庫を文化首都に向けて整備した「J1」は、広大な展示スペースと複数のギャラリー、書店、カフェなどがある出入り自由のパブリック・スペース。地中海への視界が開ける新スポットは、港湾地区に人の流れを呼び込む仕掛けのようです。メイン展示は「地中海人」のアイデンティティを喚起する<Méditerranées>(地中海=複数)。オデュッセイアの漂流のように、トロイ、カルタゴ、アテネ、アレクサンドリア、ローマ、アンダルシア、ヴェニス、ジェノヴァ、イスタンブール、アルジェ、チュニスの古代と現代を展示物と映像で経験し、ふたたびマルセイユの現実にもどる趣向です。展示の向こうのガラスごしに本物の地中海が広がっているのが妙所で、「マルセイユはパリではなく地中海をみているのだ」と宣言するかのような展覧会でした。



・ Friche de Belle de Maiの現代美術展<Ici, ailleurs>(ここ、他所)
会場はBelle de Mai 地区のFriche(“荒れ地”)。閉鎖された煙草工場は、地元劇団の占拠によって90年代にレジデント・アーティストの活動の場に生まれ変わりました。選ばれた約40人の地中海世界出身作家の作品展示は、建物屋上から市街と地中海を一望できるパノラマ・ツアーつき。



・ <Matamore>
Friche中庭のテントで上演された移動サーカスは、1月から2月にかけてのひと月に50演目が延べ200回も上演される<Cirque en Capitales>の一環としてのプログラム。この日は満員御礼だったので、開演直前まで待ってキャンセル券を入手して見ました。でも、観客の熱狂ぶりに私は今ひとつついていけなかった。

・ カンティニ美術館の<Matta>展
数年にわたった改装工事が完了し、この週末にリニューアル・オープンしたマルセイユ中心部のカンティニ美術館で開催中のチリ出身のシュルレアリスト、マッタ(1911-2002)の大規模な展覧会。異文化のなかで生きることで自己を確立し、戦争、内戦、植民地問題、学生運動などの同時代史に対峙しながら創作した画家の発言もちりばめられて、たいへん興味深かったです。

そして、バスで30分ほどのエクサンプロヴァンスで
・ <L’art en endroit> (場のアート)
作品と設置場所のコンテクストが互いに響き合うことが意図されたアート・プロジェクト。表玄関の大噴水から伸びる並木を覆う草間彌生の水玉模様がメインストリートの表情を一変させていました。地図をみながら10数か所の作品をめぐる散歩の第一の魅力はエックスの街のさまざまな表情に出会うこと。週末限定で作品の傍らに立ち、訪問客と対話するメディアトゥール(médiateurs – 直訳だと仲介者)の多くは大学で文化メディエーションや美術史を専攻した若い女性で、質問すると自分の見解で応えてくれました。




 欧州文化首都2013年のシンボル的存在、マルセイユの「ヨーロッパ・地中海文明博物館MuCEM」(le musée des Civilisations de l'Europe et de la Méditerranée)は六月開館予定だそうで、Rudy Ricciottiによる斬新な建築が港のサン・ジャン要塞と空中歩道で結ばれてその姿を表わしたところでした。自然史博物館、美術館、天文台がある19世紀建築ロンシャン宮(Palais Longchamps)の修復工事完了も初夏になるようです。


 四月には音楽イベントも始まり、続いて六都市で大道芸(街頭演劇的なarts de la rueの日本語がこれでよいのかは迷うところ)イベントもさかんに繰り広げられるそう。プロヴァンスの夏には、もともとエクサンプロヴァンス音楽祭やロックダンテロン音楽祭などもあり、おおいに賑わうことでしょう。

 現地を見て、今回の文化首都の顕著な特徴は、複数都市圏の連合プロジェクトでありながら巨大設備投資がマルセイユに集中していることではないかと感じました。植民地政策とともに経済発展を遂げ、その終焉後に多様な文化的背景をもつ人々を受け入れ、21世紀には地中海世界の中心を標榜しつつ国やEUの政策を引き寄せて公共事業を呼び込むたくましい港湾都市。

 「J1」は2004年欧州文化首都でリール駅近くに誕生した郵便物区分所の転用によるアートセンター「Tri Postale」に倣ったとのこと。その後リールでは活動を永続させるアソシアシオンが結成され、欧州文化首都から10年ほどを経た現在、都市のアート・シーンはますます活性化しています。マルセイユ=プロヴァンス欧州文化首都の真価が問われるのも、実は祭りのあとなのかも知れません。

(ykn)

2013年2月19日火曜日

お手紙の話

下の記事でM.Oさんが書いておられるように、第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来 わたしたちの地図を探しにいこう」は、無事に閉会しました。こちらのゼミの中でも、急遽お手伝い頂いた先輩方や、当日足を運んでくださった先輩方がおられます。小林先生にも、直前の直前まで(!)厳しいご指摘と温かいご指導を頂きました。この場を借りて、お礼申し上げます。

さて、昨日は研究室にこもって、フォーラムでお世話になった方々へのお礼状書きに精を出しておりました。ふと気づくと、最近手で文字を書く機会がとても少なくなり、ましてお手紙となると、本当にめったに書かなくなったなぁと思います。少し前に、世代間ギャップを扱ったテレビ番組を見ておりましたら、60代以上のタレントさんたちが、「最近の若者は手紙を書かない」というので憤っておられました。ここまでは、よくある”最近の若者”像なのですが、それ以上に印象的だったのは、10代~20代のタレントさんたちが「でも、毎年年賀状だけは出す」と口々に言っていたことでした。確かに「あけおめメール」の普及と同時に、年賀はがきを書く枚数は減りましたが、年始に何らかのメディアを使ってお互いの無事を祝い合う、コミュニケーションのあり方それ自体は、脈々と受け継がれているように感じます。

検索したら、ちょっと面白いウェブサイトを見つけました。作家や画家や漫画家などの著名人の年賀状や、世界各国の年賀状が紹介されていて、目に楽しいサイトです。見ているうちに、来年は手書き年賀状に挑戦しようかな、などと気の早い決心をしてしまいました。

年賀状博物館
http://www.nengahaku.jp/

昨日のお礼状書きの際、必要があって時候のあいさつを調べましたが、今の季節は、「晩冬の候」「余寒の候」「春寒の候」「梅花の候」などが使えるそうです。毎日寒いですが、早く春が来ますように、という気持ちを込めて、「向春の候」を選びました。感謝の気持ちが伝わるといいなと思います。

(mio.o)

2013年2月18日月曜日

The Falling Soldier


先日、 Robert Capaの『崩れ落ちる兵士(Loyalist Militiaman at the Moment of Death, Cerro Muriano, September 5, 1936)』を扱った沢木耕太郎推理ドキュメント「運命の一枚~“戦場”写真 最大の謎」(NHKスペシャル、2013年2月3日放映、2月7日再放送) を見ました。

あまりにも有名でありながら、あるいは有名であるが故に、謎に包まれていた写真に関して呈された推論は、earthshakingで大変興味深かったです。それを踏まえて改めてマグナムの結成を思うと、なんとも言えない気持ちになります。
一方で、あの時代を生きた人達にあの一枚が与えた衝撃を思うと、今更その真偽は取るに足らない事であるとも感じました。あの写真に隠された真実があったからといって、当時の人々が受けた衝撃は消せないし、私たちにとってのCapaはCapaのままです。

そう思うと、写真というメディアのおかれている特異な環境を改めて感じます。

さて、放送された番組は、現在横浜美術館にて開催中の「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展(3月24日まで)に合わせて放映されました。私も是非展覧会に行ってみたいと思います。

そんな訳で、展覧会ウェブサイトのイベント欄を眺めていたところ、CapaのドキュメンタリーやCapa自身が撮影アシスタントを務めた映画の映像上映と並んで、宝塚歌劇団宙組によるキャパの半生を綴ったミュージカル『ロバート・キャパ 魂の記録』の公演記録映像上映というのを見つけました。

全然知らないので素人の第一印象ですが、写真家をテーマにしたミュージカルって珍しくないですか?
そもそも、写真を撮るという行為をアウトプットとしての写真画像に頼る事が出来ないミュージカルの中でどのように描くことが出来るのか、かなり興味あります。
バックスクリーンに写真画像を映すとか?でもそれってちょっと白けますよね。。。
どなたか、この公演をご覧になった方いらっしゃれば是非教えて下さい!
(M.O)

第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来 わたしたちの地図を探しにいこう」実行委員雑記


この度は、 第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来 わたしたちの地図を探しにいこう」にご来場頂き、誠に有り難う御座いました。
御登壇頂いた方々、インタビューでお世話になった方々、研究室の先生・先輩方、その他ご協力頂いた全ての皆様に、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

今回のフォーラムについては、報告書を作成しフォーラムのウェブサイトに掲載する予定です。是非ご覧になって下さい。

さて、報告書の完成を目指す間、こちらのブログでは個人的な所感などを書きたいと思います。

改めてこの1年弱を振り返ると、それはフォーラムの準備期間とも重なります。
正直なところ、自分の研究とは直接関係のないテーマについて、これだけ長い時間をかけて議論することになろうとは、入学当初は思いもしませんでした。

私は、地図についての知識やフォーラム企画・運営の経験も無く、また自分の研究調査のため年末年始には日本を離れたりと、実行委員のメンバーには迷惑をかけてばかりでしたが、皆に助けられ、教えられながらなんとか開催にこぎ着けたわけです。

その過程を通じて、私たちが面白みを感じているのは対象そのものというよりはむしろ、対象を通じて見える社会やその思考プロセスであり、その限りにおいてあらゆる可能性がある事と、だからこそそれを人に伝えるためにはしっかりした根拠と工夫が必要だという事を学びました。
ついでに、Prezi(プレゼンツール)と社会調査法の基礎の基礎についても齧る機会を得ました。
それと、独り言が多くなりました。

運営側ではありますが、フォーラム当日には、異なる立場から地図についてご講演頂いた3名の方々が本フォーラムのアプローチを通じて「繋がっていく」感覚に単純に興奮しましたし、会場からフォーラムのタイトルについての質問を含む積極的なレスポンスを受けた事にも感動しました。

余談ですが、コーディネーターのPくんはこのフォーラムを通じて地図界隈の方々に名前が広まった様です。良かったですね。

地図のフォーラムを終え、私たちは学生発表でMPくんが熱弁してくれた様に「わたしたちのチーズを探しに」いってきます。

来年度はどんなフォーラムになるのでしょうか?
是非、来年度の文化資源学フォーラムにもお越し頂きます様、宜しくお願い申し上げます。
(M.O)