2013年1月23日水曜日

Awaken the Dragon - 眠りから醒めたシンガポールの龍と焼き物の歴史


 かつてシンガポールで製陶業が栄えたことはあまり知られていません。人気のシンガポール土産の一つに、中華風の花鳥の絵柄とパステルカラーが美しいプラナカン食器(Nyonya Ware)*がありますが、これらは中国からの輸入品です。今回はシンガポールにひっそりと眠っていた登窯と、焼き物の歴史を呼び覚ますAwaken the Dragon Projectをご紹介します。

 ゴムのプランテーションが盛んだったマレー半島では生ゴムの原料となる樹液を溜める容器の需要が高まり、中国からの移民によってゴム園の傍に陶磁器を生産する窯が作られていったそうです。1930年代のシンガポールには9基から20基もの龍窯(りゅうよう・Dragon Kiln/登窯の一種)が存在したといわれていますが、プランテーションの衰退に伴い姿を消し、1980年代にはシンガポール国内に潮州式の窯2基を残すのみとなってしまいました。一方の陶光窯(Thow Kwang Dragon Kiln)はオーナー(Thow Kwang Industry Pte Ltd/陶光工芸有限公司)が保存し陶芸家が作品作りのために年に数回使っており、プラナカン食器が安く手に入る隠れた陶芸の里"Pottery Jangle"として日本人も訪れる場所となっています。他方の源発窯(Guan Huat Dragon Kiln)は1958年につくられ、廃業と共に窯も使われなくなっていたところを2003年にシンガポールの観光局が陶芸家のための工房・Jalan Bahar Clay Studios(JBCS)として修復・整備、今日までその姿を留めています。このJBCSの窯は全長が43mにも及ぶ巨大なものでしたが、使われるのは年に数回のみ。しかも焼く陶器の数が少なく窯前方の一部を使うだけだったため、勢いよく炎と煙を噴出す巨大な龍の姿を見ることはできませんでした。そのうえ二つの龍窯がある地域は、2030年に完成予定の環境に配慮した商業地区・Clean Tech Parkとして再開発が進んでおり、工房の隣では連日重機が作業をしています。龍窯がシンガポールから消えてしまう日は刻一刻と迫っていたのです。

美しい炎が燃え盛る窯の側面。
専門家の指示でボランティアや来場者が薪をくべていく。
  「辰年(Dragon year**)に龍窯(Dragon Kiln)を復活させたい!」そんな状況の中、オーストラリアで陶芸を学び現在はシンガポールで教鞭をとっているMichelle Limは、シンガポールでアートプロジェクトの実績のある社会企業・Post-MuseumのJennifer Teo、Woon Tien Weiと共に龍窯の魅力と歴史を伝えるプロジェクトを企画しました。このプロジェクトはシンガポールの土を使った陶芸ワークショップを行なう第一段階(2012年9月~12月)、約30年ぶりにJBCSの龍窯全体を使って陶器を焼き、窯の復活を祝う第二段階(2013年1月15日~20日)、完成した作品を展示する最終段階(2013年3月)からなるものでした。

龍窯の中で解説を聞く陶芸ワークショップ参加者。
 巨大な龍窯を全て使って陶器を焼くためには沢山の陶器が必要です(JBCSの龍窯の図***)。そこでJBCSに加え博物館や各地のコミュニティーセンター、幼稚園や老人ホームなどで陶芸ワークショップが開催され、3000人以上もの人々が掌に乗るくらいの可愛い作品を作りました。陶芸体験だけでなく歴史遺産としての価値を伝えることを目指したプロジェクトなので、ワークショップでは土をこねる前にシンガポールの製陶業の歴史と、殷の時代までさかのぼる龍窯の歴史、窯の構造、工程、そして電気窯では再現できない美しい仕上がりについてのレクチャーを受けます。JBCSで開催されたワークショップでは、写真のように実際に龍窯の内部に入って解説を聞く機会もありました。ワークショップの最後に参加者は一人ずつ作品と通し番号を持って写真に収まり、アーカイブとしてプロジェクトのブログやFacebookページで公開されています。これらの写真を見ると実に、さまざまな年齢と文化的背景を持つ人々がこのプロジェクトに参加したことがよくわかります。

地元ミュージシャンThe Constant Idealiste。
背後のスクリーンにはワークショップ参加者と
作品の写真が映し出される。
 そして1月17日の夜、ついに窯に火が入り、龍が復活するフェスティバルが始まりました。フェスティバル期間中は陶芸家の作品展や体験講座、座談会などが開催されましたが、一番の見所は何と言ってもワークショップの作品を龍窯で焼く作業です。長年使われていなかった窯の内部は修復と清掃が必要。しかし製陶業の廃れたシンガポールでは龍窯を修復できる専門家が見つからず、修復作業はオーストラリアの窖窯専門家・Ian Jonesの指揮のもとに行われました。細長い窯の中全体を熱するためには斜面の下にある入り口から薪を入れ始め、充分な高温に達したら一つ上の部分へ進むという地道な作業が求められます。窯を1300℃まで熱するため、ボランティアが約三日間にわたり昼夜を徹して薪(廃材)をくべ続けました。しかし作業は決して辛いばかりのものではありません。窯の前では写真のように次々と地元のミュージシャンやDJがライブを行い、フェスティバル限定ビールやマッサージ屋まで登場しました。なにより、窯の中の炎に魅了された観客達が次々と作業に加わったため、予定より早いペースで作業が進んだようです。

窯の脇には窯の神様が奉ってある。
左上は釜の中の温度を示す機械。現在1063℃。
 私がJBCSを訪れたのは、しとしとと雨の降る当地にしては肌寒い週末の午後。全体の三分の二辺りまで火が入った龍窯の近くはほのかに暖かく、手前にある窯の口からは美しい炎が見え、尻尾にあたるじ部分からは黒い煙が立ち上っていました。これはまさしく龍の姿。先月ワークショップに参加するため訪問した際は静かに眠っていた龍窯とは全く異なる様相を呈しています。フェスティバルの様子は地元紙も大きく取り上げ、500人以上もの観客がフェスティバルに訪れたと報じていました。 

 プロジェクトの盛り上がりを受け、2013年1月に立ち退きを求められていたJBCSの賃貸契約は2015年まで延長されることになりました。政府も龍窯を残す方向で一帯の開発計画を見直しを考えているとのこと。また主催者側は、一連のイベントを通じてこれまで出会うことのなかったシンガポールの陶芸家たちが一同に介したことが予想外の収穫だったと語っており、今後2年間もフェスティバルを継続したいと考えているそうです。しかし残された課題もあります。JBCSの隣にあるもう一つの龍窯・陶光窯(Thow Kwang dragon kiln)の賃貸契約はあと1年を残すのみですし、二年後にJBCSが閉鎖されてしまったら陶芸家達は低価格で制作を支援してくれる場所を見つけられなくなると懸念しています。

 一緒に窯に薪をくべていたシンガポール人の若者は陶芸をやるのは初めてと言い、工房の向こうで作業を続ける重機を見ながら「ここはもともとジャングルだったのに、それを切り開いてわざわざ新しい木を植えるなんておかしいよね」とつぶやきました。全力疾走のシンガポール社会で振り返ることを忘れていた過去の大切さに気づきはじめる人たちは確実に増えているようです。龍窯復活の熱気はそうした人々の心の変化の一端を伝えていました。(齋)

追記:第2回Awaken the Dragon Kiln Projectも計画中だそうなので、詳細が分かり次第お知らせしたいと思います。

*14世紀末から東南アジアにやってきた中華系移民が土着の民族と結婚して生まれた文化をプラナカン文化と呼ぶ。19世紀に多くのプラナカンがペナンからシンガポールへ移住したため、プラナカン様式の建築物や洋服、料理などはシンガポールを象徴する文化の一つとなっており、プラナカン博物館は日本人にも人気の観光地。
**マジョリティを占める中華系シンガポール人は春節(旧正月)から新年が始まると考える。今年の春節は2月10-11日のため龍窯に火を灯す1月はまだ辰年。
***この図では全長42mとなっているが最新の報道では43mと記されている。

2013年1月22日火曜日

一本杉が、賞をもらったそうです

弟が高校に受かったそうですおねいちゃんはうれしいよ@竹です。

昨年、合宿で行った七尾の一本杉商店街の取り組みが、JTB交流文化賞(リンクはこちら)の最優秀賞をとったそうです。
ここでは、「人や文化との交流による地域活性化の事例」に賞が与えられます。
一本杉は、今年「花嫁のれん展」が第10回を迎えることを記念して応募したそうですが、57作品の応募の中で1位になったということです!
評価のコメントに、「ノスタルジックな点がむしろ新しい。」と書いてありました。が、ノスタルジックというよりも、「おしゃべりすること」「ごみを減らす」という、生活の基本的な、しかし忘れられ失われがちな部分をうまく引き出しているから、評価されたんだろうなと思いました。

「文化賞」ページでは、過去受賞作品を含めた色々な事例が見られるので、チェックしてみると楽しいと思いますよ。

(竹)

2013年1月21日月曜日

演劇界の宝

  今回は今年3月末で閉鎖されることになった名古屋の老舗劇場御園座、そして御園座演劇図書館に関するお話です。

明治29(1896)年に創業した御園座は、一度は戦災で消失したものの戦後1947年には名古屋の財界人たちの協力を得て再建され、それ以降名古屋人の戦後の復興にかける心意気を示したものとして地元の人に長く愛されてきました。しかし近年、業績不振が続き再開発される予定はあるものの、劇場の再建は白紙のようです。
その御園座閉鎖に伴い、同劇場に併設されている中部地方唯一の演劇図書館が閉館し、所蔵品が散逸する恐れがあるという記事を1月16日の東京新聞Webで発見しました。
 
【以下引用】
「御園座演劇図書館にはプログラムや台本がそろっており、役者の利用も多い。一八九七(明治三十)年五月十七日の御園座こけら落とし興行の一枚番付(プログラム)など「創業百十八年の老舗ならでは」の資料や、歌舞伎役者の化粧を和紙に写した隈(くま)取り、文楽の義太夫のレコードなど、古典芸能の資料も多い。
「ヤマトタケル」などのスーパー歌舞伎を手掛けた三代目市川猿之助(猿翁)は、図書館創設者で御園座の元会長、故長谷川栄一氏の追悼集への寄稿で、その価値を「数々の演出を手掛ける都度、今まで到底調べきれなかった究極の部分まで納得できる有益な勉強ができた。まさに演劇研究の宝庫」と記している。
劇場が入る建物の建て替え計画には、未確定の部分が多く、御園座の再開を心配する声もある。御園座は「稀覯(きこう)本や歌舞伎の番付、隈取りなど、貴重なものは残したい。地域の貴重な財産でもあり、行政などに保管や公開で助けていただければ」と話す。
実際、名古屋市文化振興事業団などが昨年一月に視察したが、市は「市としては一時保管しない。江戸時代のチラシもあるが、昭和以降の新しい物が多く、博物館の扱う範疇(はんちゅう)ではない」(博物館学芸課)との立場。保存への有効策が見当たらないのが現状だ。」

、、、、、!?

御園座の120年近い歴史を伝える資料や、歌舞伎や文楽の貴重な資料、プログラムや台本など演劇関係を中心に約2万9千冊もの貴重な資料、それは「演劇界の宝」です。それを「昭和以降の新しいものが多いから」博物館では保存しない。
近年では資料のデジタル化が進み、保存への取り組みは進んでいますが、もちろんすべてを保存することは不可能です。しかし明治、大正、昭和にわたり地域芸能の拠点であった御園座の歴史を考えた時に、ただ「新しいものが多いから」という理由で、これまで収集されてきた資料が散逸してしまうのは地域にとっても大きな損失でしょう。今は比較的「新しい」資料でも、何十年後には「過去を知るための貴重な資料」となるものです。何が保存に値するか、しないのか、それを現代の視点だけで捉えることができるのか、昭和以降の資料は価値がないと言い切ってしまっていることからも、同時代の資料に対する重要性が共有されていないように感じました。
今後のことを考え、資料をどのように残していくかという議論が行われることを願います。
 
御園座演劇図書館の閉館に伴う資料の散逸をなんとか防ぐことはできないだろうか、とホームページなどで調べてみましたが、未だ保存への有効策は見つかっていない状態のようです。
演劇界の宝の行方を今後も追っていこうと思います。
(M.H)

演劇界の宝 散逸か 老舗劇場「御園座」、図書館閉鎖へ
2013年1月16日 夕刊
 
御園座演劇図書館

2013年1月20日日曜日

第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」〜わたしたちの地図を探しにいこう〜 のご案内

皆様
小林ゼミ履修生を含む、東京大学文化資源学研究専攻の今年度新入生が中心となって企画し実施するフォーラムについて、以下ご案内させて頂きます。
ふるってご参加ください。

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第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」〜わたしたちの地図を探しにいこう〜

現在わたしたちの周りにある地図はその技術、使い方、楽しみ方など急速な変化を見せています。
本年度の文化資源学フォーラムでは『地図×社会×未来』と題して、
社会のニーズや人々の欲求の変化と、それに伴う地図と社会の関わり方の変化、そして地図そのものが社会を変えるということに着目し、
地図の未来・未来の地図について考えます。

【会場】 東京大学本郷キャンパス 法文2号館一番大教室
【開催日時】 2013年2月16日(土)14:00~17:30

【主催】 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室
【協力】 国土地理院、佐野正弘、(株)人文社、(株)ゼンリン(五十音順、敬称略)
【後援】  文化資源学会
【備考】 入場無料/定員150名
【お申込方法】事前申込制です。インターネット(下記ウェブサイトより)、FAX、メールにて受付中です。但し、当日も空席がある場合はご入場頂けます。
第12回文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/forum/forum12/index.html
メールアドレス:map_society_future@yahoo.co.jp
FAX番号:03-5841-3722 (宛先:東京大学文化資源学研究室)

【プログラム】
13:30 開場・受付開始
14:00 開会挨拶 木下直之教授(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室)
14:05 学生発表
14:20 講演1「空間情報科学の最前線—動く地図とその未来—」 柴崎亮介氏(東京大学空間情報科学研究センター教授)
14:50 講演2「地図の歴史を考える—人・空間と地図—」 鈴木純子氏((財)地図情報センター監事・伊能忠敬研究会理事)
15:35 講演3「『ブラタモリ』で見えてきた都市の秘密—"まち歩き番組"制作と古地図の関係—」 尾関憲一氏(NHK制作局エンターテインメント番組部「ブラタモリ」チーフ・プロデューサー)
16:10 パネルディスカッション 「社会が変える地図、わたしたちを変える地図」
17:25 閉会挨拶 小林真理准教授(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室)

【ポスター・チラシ等】ポスター及びチラシを下記URLよりダウンロード頂けます。
ポスター:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/assets/files/event/forum12.poster.pdf
チラシ:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/assets/files/event/forum12.flyer.pdf
また、Facebook・Twitterにて随時情報発信中です。こちらもあわせてご覧下さい。
Facebook:http://www.facebook.com/pages/第12回文化資源学フォーラム/524100667614587
Twitter:https://twitter.com/mapsocietyfutur

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2012年度文化資源学フォーラム「地図×社会×未来」実行委員会
(M.O)

2013年1月18日金曜日

クリエイティブな仕事


 船橋市の飛ノ台史跡公園博物館は、飛ノ台貝塚(縄文時代早期)に隣接するサイト・ミュージアムである。発掘調査の成果を踏まえ、船橋市は1997年にこの貝塚を市指定史跡とし、2000年にこの博物館をオープンした。

 この博物館に私が注目したのは、毎年夏に「縄文国際コンテンポラリーアート展」が開催されていることである。2012年の展覧会では、縄文文化と古代イタリアをテーマに、両国のアーティストたちの作品が館内で展示された。

 縄文時代の展示となると、考古学的な視点で土器や石器が展示されることが多い。もちろん、こうした展示は縄文文化のひとつの見方として重要なものである。しかし、縄文時代の遺跡が持つ価値は、より多面的で、豊かなものだと常々感じている。この豊かさは、展覧会でも積極的に表現されるべきだと思うが、実際には考古学的な解釈のみが表現される。その背景には、展示する側の事情がある。展示に関わる多くの考古学専攻者は、日々他の考古学専攻者に囲まれて仕事をしていることもあって、少なくとも、土器や石器を資料としてみなし、作品とは捉えない。

 しかし、ここの学芸員さんのように、異なった視点を持ち込むことで、そのものの多様な価値を引き出すことはとても重要なことである。異質な文化同士を結び付けた結果、良い化学反応が起きている。こうしたクリエイティブな仕事は、行政の文化化の議論とも接続するものだろう。

行政の仕事に携わっていると、どうしても条例や規則に縛られ、クリエイティブな仕事ができないような感覚に苛まされる。博物館の学芸員や文化財保護部局の職員に関わらず、士気の高い行政職員のモチベーションが、いつの間にか、右肩下がりになる要因のひとつがこれである。

ではどうしたら、行政の中でクリエイティブな仕事ができるのだろう。

最近私が感じるのは、①クリエイティブな仕事をしている人を見つける、②ゲリラ的に仕事の種をまく、の2点が重要であるということだ。

①については、身近にモデルを作ることで、モチベーションを維持することができる。②は、なんだかルールを破る様で気が引けそうだが、一定の仕事のルールを守りつつ、思い切った手法で、アイディアが実行できそうな可能性を探るということである。外部から人が必要なら、アイディアの段階ではお金が付かないから、自腹を切るといったように。例え事業としての芽が出なくても、沢山のアイディアの種をまくことは、とりあえず行動したという達成感で、自分のモチベーションは一応高まる。

 以上、好き勝手に述べたが、実際にこれから自分の仕事としてどこまでこれを実践できるのか、腕の見せ所である。

 

縄文国際コンテンポラリーアート展2012inふなばし

http://myfuna.net/reg/press/navi/2012/07/30093415.html

 
(ま)

2013年1月16日水曜日

Archiving Cane by Loo Zihan-シンガポールにおける表現の自由を表現活動を通じて訴える試み

Archiving Cane展のオープニングで再演パフォーマンスの映像に見入る観客

 みなさまご無沙汰しております。昨年はシンガポールでは中々キャッチすることの出来ない日本各地や世界各国からの情報に大変刺激を受けました。本年も徒然にシンガポール便りをお送りしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 さて、中国の報道の自由を巡るニュースが世間を騒がせている昨今ですが、シンガポールも言論統制の厳しい国として有名です。芸術文化も例外にもれず、これまでに治安維持法(Internal Security Act)のもとで数々の芸術家が活動を制限されてきました。近年、政府は検閲によって活動を抑えるのではなく、National Arts Council (NAC)からの助成の有無という「より洗練された管理の手段」を使って表現の自由をコントロールしているといわれています(滝口健「シンガポール演劇と公共圏-統制とクリエイティブティの「共犯関係」」『公共劇場の10年』(2010)参照)。同時に、かつて政府によって拘束されたり、公民権を剥奪された芸術家の作品を再評価する動きも出てきています。今回はそうした潮流の一つとして、かつて過激なパフォーマンスを理由に活動を制限されたアーティストの作品を再演し、その過程をアーカイブ化した試み、Archiving Caneをご紹介します。

 1994年、22歳のシンガポール人アーティストJosef Ngと20歳の美大生が、猥褻罪に触れるパフォーマンスを行ったとして、10年間にわたり表現活動を行う権利と助成を受ける権利を奪われる事件が発生しました。”Brother Cane”と題されたJosef Ngのパフォーマンスは、ゲイの男性を逮捕するためのおとり捜査と逮捕者の実名報道への抗議を目的としたものでしたが、上演中に公衆の面前で陰毛を剃ったこと、臀部を晒したことが猥褻罪とみなされたのです(題名は12名の逮捕者が鞭打ちの刑に処されたことに由来)。Josef Ngの作品と政府の対応は世間の注目を集めたものの、当時のマスメディアの論調は「風俗を乱す下品な芸術は無用」として芸術家の活動制限を支持するものでした。

 それから18年後の2012年2月、28歳のシンガポール人アーティストLoo Zihanがこの問題作を一夜限りで再演する”Cane”と題したパフォーマンスを行いました。この作品は単にJosef Ngのパフォーマンスを再現するものではなく、"Brother Cane"事件を報じたシンガポールのマスメディア、Josef Ngが裁かれた法廷での供述書、パフォーマンスの再演(ライブと録画)、観客との討論という6つの"アカウント"を用いて、94年から現在に至るまでのシンガポールにおける表現の自由を巡る様々な見解を立体的に提示するものでした(⇒映像)。

  そして2012年12月、Loo Zihanのプロジェクトは”Archiving Cane"と名づけられた展覧会で幕を閉じます。会場となったのはシンガポールにおけるオルタナティブスペースのパイオニア・The Substation。展示物に同性愛やヌードに関するものが含まれるとして21歳以下入場は禁止されました。この「R21」の烙印が、安全清潔なシンガポールで珍しく怪しげなことが行われるらしいという好奇心を刺激し、オープニングの夜にギャラリーの前で開場を待つ学生や芸術関係者の列は静かな熱気に満ちていました。

 18年前に起こり得なかった芸術家と公衆の対話、そして表現の自由を巡る議論をもう一度喚起しようと開催されたこの展覧会には3つの仕掛けがありました。一つ目はFacebook上に作られた現在進行形のアーカイブ、二つ目はLoo Zihan本人や批評家が表現の自由と規制を論じた120ページに及ぶ冊子、そして三つ目はインターネットを通じた資金調達です。

 官民ともに積極的にFacebookを活用しているシンガポール。"Archiving Cane"のFacebookページでは事の発端となった1994年のパフォーマンスとそれにまつわる新聞報道を中心とした出来事がウォール上に時系列で表示され、現在まで続く緻密なアーカイブを形成しています。展示の準備の様子や観客の反応などもリアルタイムに反映され、主催者側と観客の双方向のやり取りも可能です。しかしソーシャルメディアが盛んなシンガポールにおいて「171いいね!(2013年1月16日現在)」は決して大きな数字ではなく、Loo Zihanが意図した公衆との対話の場となるには至っていないようです。

 上の写真の受付机に並んでいる白い冊子はギャラリーを訪れた観客に無料で配布されました(後日主催者によりネット上にも公開されました/PDFダウンロード)。Loo Zihanは実演と並んで文章による表現を重視しました。冊子には本人の他、批評家やアーティストがシンガポールの芸術と検閲について論じた記事が掲載され、2月に行われた再演パフォーマンスの台本なども収録されています。更にこの冊子は単なる批評集ではなく、観客を”Cane”プロジェクトの目撃者・共同制作者として巻き込んでいく仕掛けでもありました。観客は入場時に受付で身分証明書のコピーをとられます。年齢確認かと思いきや、各自の身分証明書のコピーはその場で冊子に綴じこまれ、観客に手渡されるのでした。また、同じコピーはギャラリーの壁にも貼られていって、観客が増えるにつれ壁が身分証明書で埋めつくされていき、展示への注目度が一目瞭然となるしくみになっていました。

 政府の助成に申し込むも却下されたLoo Zihanらは、展覧会の費用をKickstarterというアメリカの資金調達サイトを使って賄うことを目指し、会期中に寄付を呼びかけました。9日間で目標金額の8割近くを集めたようですが最終的にはZihanと主催者側の意向により募金は中止されました。Zihan自身や関係者が出資した金額も含まれていたため、そうした形で成功を演出するのはプロジェクトの意に反するとの判断からだそうです。目標の6000米ドルに達せず、Kickstarterのルールに従い一銭の支援も得ることができませんでした。しかし”Achiving Cane”のように観客との対話を目的としたアートプロジェクトでは、個々人が活動への支持を寄付を通じて表明できるクラウドファンディングの仕組みを利用することは有効でしょう。シンガポールやマレーシアの他の芸術団体もこうした手段で活動資金を集めているのを目にしました。またLoo Zihanは展覧会の冊子に寄せた文章で、公的支援なしにはアーティストが破綻してしまう現状を厳しく批判しており、政府の助成に代わる財源としてネットを使った資金調達を行うこと自体が、彼のパフォーマンスであるとも言えます。

 このように、Loo Zihanは資金調達から活動記録、政府への申請まであらゆるプロセスをパフォーマンスの一部として実施する中で、国の力で表現者が社会から消えてしまう現実と、そうした政府のコントロールから抜け出すための新しい可能性(SNSやクラウドファンディング)を示唆しました。Loo Zihanの取り組みは、芸術的な質は別としてJosef Ngの伝説的なパフォーマンスに肖って名前を売ることには成功したとする見方もあります。一見グロテスクな写真や映像に込められた切実なメッセージは、広くシンガポール社会に響いたとは言い難いかもしれません。しかし少なくとも"Archiving Cane"を目撃した当地の芸術家たちは、今後もこの不自由な環境を自覚しながら作品を生み出していくのでしょうし、社会と対峙する緊張感がシンガポールの芸術の魅力の一端を担っていることは確かでしょう。"美しく安全なシンガポール"を目指す文化政策がぶつかる芸術の毒との葛藤は、社会が豊かになるにつれて、ますます増えていくように思われます。そんな中、過去に禁止されたの表現活動の再評価・再解釈の動きは大変興味深いものでした。(齋)

追記:Loo Zihanのプロジェクトはシンガポールのアート業界に少なからぬ衝撃をもたらしたようで、複数の芸術関係者が、シンガポールの表現の自由を語るときに彼の試みに触れていました。今後の彼の活動にも注目が集まっています。

教育とアート、というよりは、教育のアート。


『スクール・アート』という、去年出版された本を読みました。
この本は、学校や教育を題材とした美術作品を、いくつかのテーマに分けて紹介したものです。
例えば、自身を多彩なメイクや服装で変えて写した写真作品が印象的な澤田知子の、集合写真を模した《School Days》。藤阪新吾の、教員としての自分の経験を反映した《よいこの学習》。必ず「指導案」を書いてから、子どもたちとのワークショップ形式でつくる山 本高之の作品の数々。バラエティに富んだ作品が掲載されています。

作家に直接聞いたり、作品を直接見たりすることに重きをおいて取材がなされているので、作家の声が聞ける(読める)という点で貴重な資料でもあります。
演劇や建築も一部取り入れており、「アート」を幅広く考えています。
図版もカラーが結構あって良いです。
 
しかしなんといっても、テーマが新しくて、興味深く読みました。
というのは、「教育の中での美術のあり方」とか、「学校と美術の連携の仕方」みたいな本はたくさんあるけれど、学校・教育をテーマとした美術作 品を集めるというのは、展覧会としても本としても意外と語られてこなかったモティーフだからです。よくありそうだけど、意外と考えないよね、こういうこ と。
現在進行形の現代美術を扱っているので、網羅性という面では難しい面がある(しそれは当然のこと)なのですが、それでも十分な作品数と取材。
美術を見る新しい視点を得た気がしました。
 
その中で、ひとつ紹介。みかんぐみが設計した小学校と中学校が、印象に残りました。
みかんぐみは、4人の建築家をコアメンバーとする建築家グループ。様々な建築物をつくっていますが、学校空間の作品も多いです。
今回紹介されている学校では、空間構成を工夫することで、殺風景になりがちな学校の空間を変えています。
それによって生徒がのびのび生活できるように、ひとつの空間をその都度それぞれ彼らなりに使えるように、空間の中で考えさせるように、しています。
学校って、同じ教室が並んだ形式が当たり前だと思っているけど、そうでないあり方もあるんだ!と思えました(図書館の壁をなくしちゃうとか!)。
 
学校ってのも、ただ「ある」だけじゃもうダメなんやよね。きっと、子どもたちがその中でどのような行動・感情をもって生活して伸びていくか、というところまでデザインすべき
である、という要請が出るような時期にきているのだと思います。
関連して、本で取り上げられている作家のひとりによる、「人類は、教育というものを無条件に信頼し続けて今まできている」という意味のことばも記憶に残っています。
今まで「教育」って当然のように存在したけど、その「当然」を、紀元前とかからある意味盲目的に信頼してこれからも続けそうだ…って、考えてみれば結構すごいことしてるな人類。
それを学校や図書館のデザインから変えるという動きが、この例も含めて最近出てきているけど、これは教育が揺れている現代の要請なんやろな。
 
…というわけで、変わった視線で色々考えさせられる、面白かった本の紹介でした。おわりです。
 
(竹)