2015年6月8日月曜日

歴史の街から思い出の街へ-韓国九龍浦(クリョンポ)

もう、東京は梅雨に入ったのでしょうか。
天気が不安定になっているようですね。

皆さん、こんにちは。久しぶりに投稿するbanulです。
今日はこの間NHKでも紹介(http://www6.nhk.or.jp/kokusaihoudou/lounge/index.html?i=150501)されていた、韓国南部のポハン市にある、九龍浦(クリョンポ)地区について紹介したいと思います。

ポハン市は釜山から、車で2時間程度北東側に向かった走れば出てくるところで、東海(日本海)と接しています。ここには韓国の大手企業POSCOの本社と工場があることから、経済的に豊かな地方都市でもあります。

このポハン市の一角に九龍浦という町があります。
最近、この町に観光客が次から次へと足を運んでいるようです。
そもそもポハンのホミコッというところは、お正月(その以外の時期でも)に日の出を見に来る場所として韓国全国の中でも最も有名な場所でありますが、九龍浦とうい地域はさほど外部の人には知られていない地域でした。
この町がホミコッと合わせて観光の町になったきっかけは、ポハン市が「近代文化歴史街復元事業」の一つとして「九龍浦近代文化歴史路助成事業」をおこないいます。その中で、「九龍浦近代歴史館」を開館(2012年7月31日)することによって、その周辺の街も整備されました。(復元のため、ポハン市は2010年~2013年、事業費85億ウォン投入)

(九龍浦近代歴史館(ポハン市ホームページより)

九龍浦がどのような近代文化歴史を持っている町なのか。

今から100余年前、誰も住んでいなかったここに日本人の手によって町が形成されます。
1906年、日本香川県出身の橋本善吉と、岡山県の出身の十河弥三郎が代表となって、多くの日本の漁師たちと800余隻の船を率いて、東海(日本海)の豊かな魚資源を探しに、黄金の地エルドラドを夢見ながら定着したのが、ここ九龍浦であります。
彼らは、この九龍浦を基点として本格的に事業(鮮魚運搬業等)を行い、大成功となります。
1930年初からは、ここ九龍浦は最高の全盛期となります。その盛り上がりは、犬までが札を口で噛み付いているほどであったと言われています。そのぐらいにここ九龍浦の漁獲高は凄かったでしょうね。当時、ここに住所を持っていた日本人が1,000人を超えていたと言われています。
植民地時代に日本人により漁業、船舶業、缶詰加工工場等を通じた経済活動を行ないながら、日本人集団居住地を形成したのが、ここ九龍浦であります。
九龍浦は、1930年代劇場、病院、デパート等、近代式機能をもつ都市として発展して、とても賑やかなところでした。

以上のような歴史を持っている九龍浦は、ポハン市により再び賑やかな町へと変わっていく。
ポハン市は九龍浦近代歴史館を中心に、九龍浦近代文化歴史路助成事業を通じて、九龍浦の新しい活力を探し、国内・外の新しい観光名所として変態するきっかけとなることを期待していると言っています。
九龍浦漁業組合長であった橋本善吉の家だった建物を、2010年ポハン市が買い入れ、復元作業を通し、九龍浦近代歴史館として開館するなど、日本の家屋を30棟復元して、九龍浦近代文化歴史路を作り上げ、日本人街を再び誕生させました。

九龍浦近代文化歴史路は歴史の場所から、思い出の場所へと変化していくところです。
昔の人には(その時代を経験した人や記憶している人)この場所が苦しみであり、歴史の場所でありますが、現在の人には思い出の場所であり、観光地であります。
このように、九龍浦の近代文化歴史路助成事業によって、この場所はまた別の場所性を持つこととなります。

九龍浦を訪問して何を学んで何を校訓にするかは、ずるいかもしれませんが人それぞれに任せることにします。

(bangulより)



 


 
 

 





 




0 件のコメント:

コメントを投稿