2012年8月23日木曜日

個人的合宿名言集

能登ッコ(竹)です。今年の合宿の感想をアップさせていただきます。合宿の内容は前回の記事をご参照ください。
今回自分の出身地が合宿の対象になったということで、普段大学で会っている人々と地元を歩いてなんだか不思議な気持ちになる体験でした。どうしても、私の地元をまわった最終日が印象に残っています。

今回の合宿は名言が多かったです。そういうわけで、各日名言をひとつ取り上げてそれに関して思ったことを書いていき、感想にかえさせていただきます。

●8/16◎大野◎「これから踊りに行きます」
休館日に来たわたしたちのために博物館を開けてくれ、大野のまちをスーツで詳しく案内しまくってくださった学芸員さんは、さぞ疲れているであろうに、当日夜の祭りに踊りに行くと言い、着替えに帰っていかれました。地元意識のなせる業ですホントに。

●8/17◎河和田アートキャンプ◎「また来てね」
「合宿でもなければ一生来ないようなところをまわってるね」。失礼ながら、そう言い合って合宿をしていた一行。出発のときに「また来てね」と言われ、嬉しかったと同時に、「しかし自分はまたここに来るだろうか」とも思いました。いいところなので来たいとは思ったのですが、決してアクセスの良いとはいえない当地に来られるのだろうか。そう思うと少し胸が痛むような心地がしました。これは、帰省から東京に戻るときに、家族に対して何も楽しげなことができなくて後悔しながら電車に乗る感覚と似ています。
※ちなみに、「いいところだね」という表現は、「ここに住んでも良い」「ここにまた来るよ」などという気持ちと必ずしもイコールではない。自分自身も地元に使ったりすることがあることばだが、あまり軽々しく使うことばでもないのかも、と思ったり。

●8/18◎21世紀美術館◎「美術館はメディエーターである」
「美術館は人々、地域を結ぶメディエーター(媒介)である。それと同時に、学芸員も専門領域を横断して協働する存在であるべき。」という意図のことばでした。展示や普及などに分かれて仕事をしていると同時にそのような考え方をしているのは少し意外でした。考えてみると当たり前のことなのですが、専門分化が進みつつある日本の美術館業界で意識的にそのような考え方をもっているのは一歩進んでいると思いました。ちょうど他の美術館で、学芸員は専門分化しているよりも、全ての仕事ができるようにした方が良いという話を聞いたところでした。そう考えると、日本の「雑芸員」と自虐的に称される就業形態も、(人が足りなくて必然的に兼務+激務などという状況に陥らなければ)評価できる要素があるものなのかも。

●8/19◎一本杉通り◎「観光地をつくりたいのではなくて、まちづくりをしたい」
個人的に今回の合宿のハイライト的な名言だと思うのですが、いかがですかね。
やはり、地方は若者が帰ってこないということで、プロジェクトと定住・交流人口増の目標をドッキングさせているものが多かったように思いました。一本杉もご多分に漏れず。この目標って無意識的にかどうか、観光政策を一体化していることが多いような気がしますが、本来全く違うものです。一本杉の取り組みを間近で見て、そう実感しました。
本当は、帰ってきたいと思っている若者はたくさんいるのです。しかし、一度都市に出てモノの豊富さを知ってしまうと、「何もない」田舎には戻れなくなります。第一、仕事がありません。しかし、地元においてモノが豊富になれば良いというものではなく、むしろモノが豊富になってしまうとそれは自分の好きな地元とは別のものになってしまいます。ジレンマです。
ですが、実は都市よりは少ないけれども頑張っている文化施設やまちはあるのです。それを積極的に発信していくことは七尾全体として大きな課題だなと、この日感じました。知らずに育ってしまうと「うちの田舎はなんもないからねぇ」となってしまうので。
ともかくも、そのような意味で、地方になればなるほどシゴトは多いし、一回外に出て地元を相対化して見られるようになるという財産を持って帰ってくる若者がそういうシゴトをするのはとても大きな価値がありますね。まだ帰らない自分も、いつか地元に何らかの恩返しをしなければ。


以上です。文章を長くしないために↑の形式をとってみたという面もあるのですが、結局長くなってしまいました。すみません。
最後に、旅のお世話をしてくれた修士1年のみなさま、ありがとうございました。2年生がもっとサポートできればよかったなと反省しております。しかし知らない土地での食事のセレクトが完璧で、毎日魚を食べられて幸せな日々を過ごさせていただきました。いやぁ楽しかったです。みなさんの感想も聞いてみたいですね。
お疲れ様でした。

(竹)

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