群馬音楽センター |
すでに過去のブログで述べたように、群馬音楽センターは、歩兵十五連隊の兵舎を取り壊して1961年に造られた。高崎が軍都から音楽の街へと転換したことを象徴する存在だ。この群馬音楽センターは、群馬交響楽団の活動拠点として、半世紀にわたり多くの市民がクラッシックに触れる機会を提供してきた。
しかし、現在、建物の老朽化が問題となっている。舞台設備や音響、観客の利便性といった面で問題があり、この問題の解決には建物自体を立て替える必要がある。そもそも老朽化が問題視される背景には、入場者数の減少がある。1980年代には年間30万人近い入場者数があったが、現在は20万人程度まで減少してきている。ポピュラーやミュージカルに代表される人気があるアーティスト・団体の公演等は、群馬音楽センターの利用が敬遠されることが多い。
そこで高崎市は1990年の第3次総合計画以降、市民の自発的な創造的活動の場として、文化ホールの整備の方針を打ち出している。ここで問題となったのが、現在の群馬音楽センターのあり方である。市民から市長へ宛てた投書に見られるように、建物自体の歴史的・建築学的価値や市民自身の寄附で建設費の一部が捻出されてきた経緯などから、建物の存続を求める声が強い。
このことから、群馬音楽センターの老朽化問題と新文化ホール建設とは、別々に切り離して検討することとなった。この方針は松浦幸雄前市長時代に打ち出され、2011年に就任した富岡賢治現市長にも引き継がれている。2011年の音楽センター開館50周年シンポジウムで富岡市長は、「音楽センターを壊す気は全くありません」「市民の心の文化財」と述べた。
そこで、2008年に当時の松浦前市長は、単独で文化ホールを建設するのだはなく、「都市集客」という視点からコンベンション施設と一体化させた案を提示した。この案についても富岡現市長は踏襲し、高崎駅東口に建設する計画を打ち出した。
さらに現在は、高崎駅東口から1kmほど離れた場所にある高崎競馬場跡地に、群馬県がコンベンション施設を計画しており、ここへ高崎市の新文化ホールを設置する方向で議論が進んでいる。
では、市民の反応はどうか。
2008年の『第15回 市民の声 アンケート調査結果報告』では、「どのような芸術文化ホールが高崎市にとって望ましいと思いますか」という問いに「多目的ホール」79.4%、「音楽専用ホール」4.8%との回答が寄せられている。これを受けて高崎市は、2010年『芸術・コンサートホール建設検討プロジェクト報告書』では、「多目的ホールとして整備」する方針を掲げた。
つまり、市民感覚として、群馬音楽センターの価値は認めるが、新たにホールを建設するのであれば、多目的に利用できる施設が必要であるということだ。
しかし、あえて述べるならば、果たして「多目的」ホールが本当に高崎に必要なのだろうか。文化政策とは、理解しにくいものを理解しようと皆で努力しようとする雰囲気を創り出したり、市民が完全に理解できなくとも、その都市でしか生み出し得ない創造性があることに誇りを持てたりすることに意義があるのだと筆者は考える。
群馬交響楽団が醸し出してきた「オーケストラの街」のイメージにしても、当初から高崎市民全員が理解し、支援してきた訳ではないはずだ。群響による活動の積み重ねの中で、高崎市民がクラッシックに理解を深め、それを誇りに思う土壌が行政や市民の間に形成されてきた。
半世紀前に比べると、人々の価値観が多様化し、それに合わせたホールのあり方を検討することも重要だろう。しかし、多目的ホールと称して、誰かによって価値が定められたものを披露する場が、高崎という都市のイメージを形成し、結果として「集客」に結びつくのかは、高崎市民によってもう少し検討する余地があるのではないだろうか。
(ま)
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