2012年6月20日水曜日

歴男くんの冒険@埼玉県富士見市

M.Oさんの投稿にあるとおり、昨日は埼玉県富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ」を見学したのですが、私はみなさんより一足先に富士見市に入って難波田城公園を訪ねました。

難波田城(なんばたじょう)は、中世に富士見市内を本拠として活躍した難波田氏の居城跡で、1961(昭和36)年に埼玉県旧跡に指定されました。荒川低地の一角に築かれた平城で、規模は50,000㎡以上と推定されています。難波田城公園は、この貴重な文化遺産を保存・活用することを目的にその一部を整備し、2000(平成12)年に開園しました。園内は、難波田城資料館を挟んで東側が難波田城の姿を復原した「城跡ゾーン」、西側が富士見市内に残されていた古民家を移築復原した「古民家ゾーン」に分かれています。

現在の富士見市域に人が住み始めたのは約3万年前といわれますが、資料館では特に中世(鎌倉時代)から現代までの歴史が語られています。各地の歴史博物館などで当然のように古代から順に展示されているのに慣れていると、少し勝手が違うように感じるかもしれません。

資料館常設展示

富士見市は鶴瀬村・南畑村・水谷村の3旧村から成り立っています。もともと富士見市域には、里方の村(自然堤防に宅地を形成し、周囲の沖積地に水田を開く地域)と野方の村(台地縁辺部に住居を構え、台地上に畑、台地下の谷間や沖積地に水田を作る地域)があり、それぞれ異なる歴史と生活がありました。ここに、1957(昭和32)年の鶴瀬団地開設後の都市化の流れの中で転入してきた住民や、ふじみ野駅周辺のより新しい住民が加わることで、富士見市は世代や背景の大きく異なる住民で構成されている状況にあるようです。

さて、この難波田城公園、全体として非常によく整備された施設だなという印象を持ちました。城跡上に明治時代の古民家を移築するのが学術的に「正しい」のかとかはよくわかりませんが、富士見市がんばってるじゃん、という思いになります。
また、古民家ゾーンの一角に「ちょっ蔵」という売店があり、そこで販売される地元産トマトを買いに来たという周辺住民が集まっていました。犬を連れて散歩する方などもいて、公園として地域住民に利用されている様子が確認できました。ちなみに、写真左下の看板は難波田城公園イメージキャラクター「なんばった」です。難波田→なんばった、考えましたねー。

古民家ゾーン

富士見市役所から難波田城公園までは往復約1時間の道のりでしたが、道路はひっきりなしに運搬車両が通行していました。そのせいでコンタクトレンズが乾いてしかたなかったので、涙ぐみ目をしばたたかせながらの厳しい冒険となりました。笑

ブルルルル……

最後に、記事タイトルには「歴男くん」と掲げましたが、私(♂)はいわゆる歴男ではありません。今回の訪問はブログ投稿のネタを作るために……ゲフンゲフン。いえ、やっぱり歴男です。

(peaceful_hill)

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