2014年10月30日木曜日

コンビチュニー✖️沼尻芸術監督✖️平田オリザ対談report

M1のRaeです。
今年の8月1日にびわ湖ホールで行われたオペラ演出家のコンビチュニー氏、沼尻芸術監督、演出家の平田オリザ氏による対談を聞いてきました。

主に日本におけるオペラの演出について話し合いが行われたのですが、日本におけるオペラ演出の位置がまだまだ脆弱というか、そもそも役割が曖昧だなあと感じました。

コンビチュニー氏によると、ドイツでは5,6カ所でオペラ演出を専攻として5年間学ぶことができる大学があり、そこでは哲学、心理学、音楽理論など…多岐に亘る学問を学ぶことになっているそうです。更に演出家志望の学生は歌手志望の学生とともに仕事を行うことが出来るそうですが、日本では全くと言っていいほどそのようなシステムがありません。平田氏は来年以降に東京芸大で演技を教えることになっているようですが、遅ればせながらようやく音大が一歩を踏み出したところということで、これからのオペラ演出の将来に対して不安と期待がないまぜになっているような印象を受けました。
オペラ演出の将来について言えば、平田氏によるとフランスでは演出家を養成するところがないものの演出家が憧れの職業であるそうです。但し大部分の人がなれず、挫折した結果、その人たちは官僚や、公務員になっていくそうでそれは強みだと述べていました。もしこれが事実ならば素晴らしいことですね。しかも、日本でも出来ないことではないでしょう。積極的に採用するために枠を設けてみれば…などと考えてしまいます。更に、以前のブログにも書きましたが劇場が若い演出家を育てる場になっていけば良いですね。昔国立劇場がやっていた小オペラシリーズやびわ湖ホールのオペラアカデミーの行方知れず
というのはなんとも勿体無い話ですね。

取り敢えず、オペラ演出の件だけ抜粋してみましたが、他にも日本のオペラ界に聳える会員制という壁や、演出家になるために必要なコネクションについても話が進みました。今、東大では本郷と駒場の両キャンパスでオペラ演出についての授業が行われています。授業では日本オペラの問題点がテーマではないのですが、一度考え始めると劇場に行くたびにそんなことを考えてしまいます。ある意味、楽しい鑑賞の仕方ではないです。また考えついたら投稿します。

公開研究会を開催します

11月5日(水)に公開研究会を開催します。
CRファクトリー事務局長さんの五井渕利明さんをお迎えして、様々な利害を持つ人たちの合意形成をどのように行って行くのかということを、ご経験からお聞きする研究会を開催します。

五井渕利明さん
2011年にCRファクトリーに参画。「すべての人が居場所と仲間を持って心豊かに生きる社会」の実現を目指しながら、ワークショップの企画・運営などの「コミュニティ・運営支援事業」を展開しています。CRファクトリー以外では、ものがたり法人FireWorksのプロジェクト・コーディネーターを務めていらっしゃいます。

日時:11月5日(水)14:50〜16:30
会場は東京大学本郷キャンパス内の教室になります。お申し込みいただいた方に、場所をお伝えします。
会場の都合上、事前のご参加申込みをお願いします(締めきり11月4日)
marisemi.blog@gmail.com

なお、本研究会は、科学研究費基盤研究(B)「地域文化政策領域における『新しい公共 』の担い手と環境整備」の一環で行います。

(小林真理)

2014年10月28日火曜日

今日は大学図書館にてソーラン節の発表会でした

本日1028日、ワルシャワのポーランド・ユダヤ人歴史博物館が全館開業しました。


1970年、西ドイツのブラント首相がナチスの犯罪行為に対する謝罪の意を示すためにワルシャワ・ゲットー慰霊碑の前で跪いた写真は世界史の教科書でおなじみですが、その慰霊碑の目の前に博物館はあります。ポーランドにおけるユダヤ文化1000年間の歴史を体感できる常設展示が最大の見どころとなっています。何でも大戦前の生活にまつわる展示室では人々で賑わっていた通りの日常的な音や匂いまで感じられるのだそうです。先日、既に入ることのできる特別展(「博物館はどうやって作るのか?」)に行ってきました。それによると設立計画は1993年に始まり、現在までの二十年間に博物館に関する捉え方が世界的に変わるとともに(知識の殿堂から開かれた場所へ)、当施設の計画も変わっていったという経緯が興味深かったです。

話が変わりますが、正直ワルシャワは暮らしてみると面白い街であっても、観光向けの街とは言い難いです。日本の旅行会社が中欧の旅と称してウィーン、プラハ、ブタペストのツアーを組むことはあっても、その中にワルシャワは入りません(クラコフは入ってもいいのでは?と思います)。ここは戦後建て直され、観光ガイドに載るような見どころがそれこそショパンしか思いつかない街です。もちろん細かく見ていけば唯一無二の面白さはいくらでも見つかりますが。
そして観光ガイドに載るような歴史に乏しい原因の一つに、大戦前後でこの国が多文化から「ポーランド人、ポーランド語、カトリック」の単一文化へと劇的に変化したこと、その際1000年にわたり蓄積されてきたユダヤ文化が根こそぎ失われたことが挙げられるのではと考えます。特別展でも、この博物館は過去を振り返るためだけにあるのではない、あくまで現在・未来のための施設であり、ユダヤ人のみならずむしろワルシャワ市民にとって重要な意味を持つ施設だと強調されていました。ここはホロコーストだけに焦点を当てる施設ではない、「ユダヤ人がいかに死んでいったか」だけではなく「ユダヤ人がいかに生きていた、生きているか」を探るということです(現在国内には約2万人が暮らしているとされています)。
現在のワルシャワでユダヤ文化の痕跡を探そうと思っても、記念碑以外のそれはほとんどないのが現状です(だからこそ前回紹介したヤシの木が意味を持ちます)。この状況は逆説的に常設展示の特徴へと繋がります。歴史的に価値のある物があまり残っていないからこそ、五感に訴えるような新しい展示法が採用されました。複雑な装飾が豪華なシナゴーグは展示の目玉ですが、それを館内に再建することで建築技術の継承も目指したわけです。全館開業前から、この施設は市民に向けて音楽やシンポジウムといった多くの事業を行い、より広い理解を得るために努めてきたようです。

この博物館が本当にワルシャワ市民の我が街に対する理解を深める助けになるのかは現時点では分かりませんが、大きな目的意識を持って建てられたことは確かです。

最後に博物館の後に行った場所の写真を。戦災を逃れ110年以上の歴史を持つHala Mirowskaは市民の台所といった野外市場ですが、そこにはかつてゲットーの壁があったことを示す表示が残っています。そして意外だったのが中心部に位置するPróżna通り。かつてはユダヤ人居住区として賑わっていたこの通りは、戦後すっかり寂れてしまっていると紹介されていました。今回行ってみたところ、確かに崩れ落ちそうな建物の壁が見える一方で、その建物上層階には真新しい工事用シートがかけられていました。その向かい側には洒落たレストランがあり、名前の通り「空っぽ」だった通りも趣を変えつつありました。ただしそれは本来この場所が中心部という一等地であることを活かした再開発であり、過去の復元といった方向には向かわない模様です。

(N.N.)

2014年10月25日土曜日

あたり前をつくりだす大切さ ~ホールで安全にすごしてもらうために~

先週、研修として「普通救命講習」を受けてきました。

みなさんも
こういったAEDを
みかけたことが
あると思います
現在では一般市民でも自動体外式除細動器(AED)の使用が許可されており
多くの公共機関で設置されるようになりました。
それは文化施設も例外ではありません。
むしろ一度に多くの人が集まる文化施設だからこそ、
AEDの設置が不可欠ともいえます。
それでも
とっさに正しく使えるかというと、それは日ごろの訓練が必要になります。
私も数年前に自分の施設に設置されたときに研修を受けたきりだったので
今回は復習もかねて講習に参加しました。

そこで一番に思ったのは「今回講習を受けてよかった」ということです。

ホールに勤務をして、たくさんのお客様をお迎えしても
いざというときに適切に対応できるかというと
医師や看護師ではないホールスタッフではできることが限られてしまいます。
もちろん救急車を呼ぶことはできますが
それまでに容体が変化したときに、どこまで対応ができるかは
個人の行動次第です。
そういった現場に遭遇してどれだけ冷静でいられるかはわかりませんが
それでも、
AEDが「見たことのない機械」「知っている機械」になることは
大きいと思います。

今回、あえてこういったことを書いてみたのには
少しだけ意図があります。
どうしても多くの人がホールで働くということは
「コンサートの制作ができる」「裏方としてアーティストとやりとりをする」
といったプロデュース面を強く捉えているように思えます。
それに拍車をかけるように劇場法も制定されて
ますますスタッフの専門性が謳われるようになりました。
しかし、
それはたくさんのお客様が集まるホールの「あたりまえの安全」があってからこそ、
なのではないでしょうか。
安全に使えないホールではどんな事業もできないし、お客様を迎えることもできません。

 
安全に使えるステージ、安心して座れる座席、温度調節されている場内
芸術文化活動の一歩前にある「あたりまえ」について
公共文化施設を考えるにあたって、自分ももう少し目を向けてみたいなと思う
今日この頃です。
(Nobu)

2014年10月21日火曜日

青海省民族歌舞団来日公演


博論に必要になりそうなもの(?)ということで、半年くらい前から筋トレを始め、自分の身体の内側のことなのに外部のようで、感覚が変わってくる不思議で、確かな変化を感じつつあるharukoです(外からみてもわかりません)。このような経験をすると、ダンサーのように身体を使う方は見えている世界が違うと思ってしまいます。

さて先週末後楽園で青海省民族歌舞団来日公演」があり、その前日関係者に予期せず誘われ、チベットの歌と演劇を観に出かけてきました。
民族文化の継承や普及、その展示のあり方など、文化政策の重要でデリケートな問題の一つと思いますが、ブログではひとまず今回みたものの簡単な紹介と感想を書かせてもらいます。

今回来日した歌舞団は、チベット自治区が樹立された1965年に設立され、団員はチベット族を中心に構成されています。ある白書によると、「2000年に、自治区の各級の大衆芸術館、文化館(センター)は計400余りに上り、自治区歌舞団、チベット劇団、新劇団を主とする各種のプロ芸術公演団体は25に、大衆的アマ公演団体は160余り、県ウランムチ(文芸工作隊)公演隊は17に上る」そうです。そして、青海省民族歌舞団は、プロ団体である自治区歌舞団、青海省蔵劇団をより選抜された団員で構成されており、日本で公演を行うのは今回が初めてだったそうです。

公演では全9演目の上演がなされました。おそらく今回の目玉のひとつが、「蔵劇」というチベット族に伝わる民間劇です。蔵劇は、歌、詩、舞踊が一体となった劇で、京劇よりも長い600年以上の歴史があり、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
個人的に心に残ったのが、「吉祥吟」という演目。これは、蔵劇のような動きや絢爛さはなく、楽器と歌から成るものです。厳格な法会で行われる供養儀式のためのものだそうです。楽器が鐘、大笛、太鼓と手に持つ鈴のようなもの。女声に男声があわさります。
特に、二枚の鐘を打ち鳴らせた後、その音を挟んで共鳴しあわせてできる響きには奥行きがあって、みたこともないチベットの情景が目に浮かぶようで感動してしまいました。その芸能がもともと置かれていた文脈から引き離されると、体験は全く別物になると思いますが、民族文化、地域文化に限らず、現代のあらゆる身の回りの文化体験から受ける感動、情動の根源が何かというのを考えると、そのような側面を持っているのかもしれないなと感じてしまいました。

「楽しませられる」が最大の利益。

修士論文第一生活もあっという間に3分の1使ってしまいましたが、
まだ山の入口付近でうろうろしているpugrinです・・・・・・

そういうわけでブログを書いている場合ではないかもしれませんが
面白い動画を皆さんと共有したく、少しだけ書きます。

https://www.youtube.com/watch?v=SB_0vRnkeOk

赤信号の「止まってる人」マークを躍らせてみたら、
立ち止まってくれる人がぐっと増えた

という動画です。

場所は、ポルトガルの首都リスボン。
信号無視は大きな問題でしたが、この信号のおかげで
止まることが「楽しみ」になり、交通マナーが良くなったという結果が出たのです。
http://matome.naver.jp/odai/2141109593651733001

これ、交通に対する生活課による政策と見ることもですが、
ダンスという文化と、それを投影する現代のテクノロジーを融合した
「インタラクティブメディア・アートの振興」という意味での
文化政策、と見ることもできますよね。

残念ながらこの動画の意図は政策ではなく、
信号へダンスを映す「投影ブース」を作った
メルセデス・ベンツの小ブランド「SMART」の啓発キャンペーンなのですが、
例えば文化政策をする意味って、こういうことじゃないかなあと心打たれました。

規制したり命令したりするのではなく、「楽しませる」。
何か役に立つからダンスをする・見せるのではなく、
「楽しませること」が幅広く役に立つ、そのために文化的なものを活用する。

もちろんそのための枠組みや技術の裏付けあってこそですが、
この動画を見ると少し元気が出てくるのではないかな、と思いました。
ついイベントを作ったり有名な人を呼んだりすることを
文化政策の施策として据えがちですが、
このような発想やそれが出来る人々と一緒にやっていくことこそ、
文化政策の醍醐味のように感じています。

ただ、日本では風営法や習慣、一般常識において
踊る場所や機会が保障されていないことも現実です。
楽しいからと道端で、鼻歌を歌い踊りながら歩く人は奇人変人として避けられるでしょう。
そんな日本でダンスをするという生き方を選んだ人は本当に素晴らしい挑戦者ですよね。

明日、ゼミに伊藤キムさんという世界的なダンサーさんを
ゲストにお迎えすることがとても楽しみです。
必ず大町を直接的に、生身でもって刺激してもらえると確信しています。
絶対に直接言葉を交わさなくては^^

そんなチャンスで黙っていてはもったいない!!
自分自身が今すぐやるという自覚を持つところからゼミは走り出すと思います。
論文が終わったらもっと・・・!と思ってあと1カ月ちょっと、
M1からバトンをちゃんと受け取れるように日々コツコツがんばります。

2014年10月19日日曜日

世の中の「地方創生」の声

ちょっと情報共有を。

 「地方創生」が頻繁に話題に出てきたな、ということで貼り付けですみませんが、以下のサイトをご紹介します。


 
神山に小泉進次郎が自分のスタッフを住まわせたなど、興味深いです。

ちなみにこの記事を書いているのは、水曜5限の小林先生の授業での発表で紹介した参考文献『つながる図書館』を書いた猪谷千香さんです。この本も地方の図書館の多様な取り組みを紹介していて一読の価値ありです。図書館を通して地方創生を考える本です。

 
そしてもうひとつはこちらです。

http://www.huffingtonpost.jp/hiroshi-onishi/story_b_6001428.html

 
当初、石破大臣の人事は左遷人事?などと言われてましたが、「地方創生」こそ重要課題と考えるのであればそうでもないわけです。

 地方が動き始めないと日本は危ないという危機意識が「本気で」共有されはじめたのかもしれません。小林ゼミでの大町プロジェクトは、だから大事だと改めて思いました。「第六次産業」などで地方創生をめざす人たちもいれば、このゼミでは「文化」で地方創生の試みの一端を担っています。地方の活力を奪った「政府が(誰かが)やってくれる」というメンタリティをどれだけ変えられるかという難しい試みだと思います。そしてそれは地方だけでなく、このプロジェクトに関わり、文化経営を学んでいる私たちのメンタリティの問題にも直結していると思うのです。

 とはいえ、修論を書かねばならないので(汗)、プロジェクトに存分に参加できないのが非常に残念です。書き上げたら参入しますので、よろしくお願いいたします! 
 
追伸 
azさん、大町産のラ・カスタ、私も今年お誕生日にもらってシャンプーとトリートメントを使ったのですが、すごくいいですね。勢いで家人にもすすめて買わせてしまいました。大町が誇れる、いい商品だと思います!
                                                       (Mube