2013年6月12日水曜日

くろよん50周年記念キャンペーンのお知らせ(6/14 於:有楽町交通開館)

pugrinさんが投稿して下さった通り、信濃大町Walker発刊等、この度、くろよん50周年記念で様々な企画が実施されています。

今週金曜日に東京・有楽町交通開館にて開催されるイベントのお知らせです。

「くろよん50周年記念キャンペーン 信濃大町・黒部ダムへ行こう」
■開催日時・場所
  2013年6月14日(金) 11:00〜18:00
 場所:東京 有楽町交通会館 
■主催 長野県大町市観光協会
■内容
 長野県信濃大町の観光PR
 ・信濃大町 旅の相談デスク 関東より現地までの交通手段、宿泊、観光名所の案内
 ・観光スポット 各種資料コーナー
 ・黒部ダム公式キャラクター くろにょんの撮影握手会
 ・黒部ダム50周年 信濃大町Walker 特別号配布

皆様、是非足を運んでみて下さい。
A○Bよりくろにょんと握手したいM.Oでした。
くろにょんの愛らしい姿はこちら→http://www.kanko-omachi.gr.jp/omachi_blog/2013/02/post-451.html
くろにょんのプロフィールはこちら→http://www.kuroyon50.jp/news/kyaranews.html
(M.O)

2013年6月11日火曜日

文テクと釜山


先週金曜日、文化資源学研究室10周年記念の展望プロジェクトである分科会「文化資源学を支えるテクノロジー研究会」の第1回「記録や保存の「テクノロジー」を、文化資源学会とともに考える」(凸版印刷株式会社社内勉強会共催)に出席しました。
現場の方々とのオープンなディスカッションを通じて、デジタルアーカイヴやバーチャルリアリティの現状と展開、そしてそれを踏まえた私たちの生活・研究環境に生じる変化について考える機会となりました。
詳しい内容は後日「文テク」HP上に載る予定ですので、そちらをご参照下さい。

その金曜日まで、私はArt Show Busanのため韓国は釜山にいました。
このフェアは2012年に始まり今年で2回目という若いフェアで、BEXCOというコンベンションセンターのワンフロアを使用し90のギャラリーが集っていました。内容としてはまだどこも手探り状態(何が釜山で売れるのか分からないのでとりあえず様子見?)といった感じだったかと思います。
それにしても人が多いこと。
オープニングに人が集まるのは当然ですが、平日の日中の混雑具合が顕著で、オープニングの混み具合を凌ぐ程でした。
客層としては若い人や家族連れが多く、また街行く人の中にスーツ姿のビジネスマンをほとんど見かけなかったことから、地元の人が中心というよりはむしろ、夏のビーチリゾート地として釜山にやってきた国内外の人がついでにアートフェアも見に来てみた、という感じでした。
あるギャラリストの方の言葉が印象的でした。
「ここには子供連れや若い人が多いでしょう。彼らはこのアートフェアに、日本でも流行ってたスーパーカーのショーに来るのと同じ感覚で来ている。釜山にもお金持ちは多いけど、今はソウルの方が美術の市場規模としては釜山よりも5倍も10倍もある。でも考えてみて、この子供達はこんな小さい時分から生のコンテンポラリーアートに触れる事が出来る。彼らが成長した時、きっとここは優れたマーケットになる、そういうポテンシャルを持ってる所だと思う。」
思い返してみると、以前行ったKIAF(Korean International Art Fair:ソウルで開催される韓国で一番大きなフェア)には、混雑はしていたものの、確かにこのような光景はありませんでした。
そしてふと、昨年末に行ったフランスのアートシーンを思い出しました。元来あちらでは外食の席に小さい子を連れてくるのはマナー違反とされるなど、子供の世界と大人の世界は分断されていると言えると思います。そんな中にあって、文化施設は一つの例外でした。
美術館に子供が居るのは勿論、ギャラリーでも見かけたし、展覧会のオープニングにも居ました。パリの北西部の郊外都市ジュヌヴィリエ(Gennevilliers)にある文化施設(http://www.ville-gennevilliers.fr/culture/)で開催された展覧会のオープニング・レセプションに行くと、大人たちが談笑する傍ら6人程、子供達が遊んでいました。また、帰りはパリまでシャトルバスが出たのですが、そこでは展示内容(例えば、若い男女がひたすら樹木の皮を口で剥ぐビデオなど)からはあまり想像出来ない高齢のご婦人方を見かけました。
アートフェアにおいては、流石にParis Photoには子供の姿はほとんどありませんでしたが、若い学生たちが多く押し掛けていたし、同時期に開催されていたOFFには地元の家族連れが集まり思い思いの時間を過ごしていたため、「ここは見本市会場ではないのでは」と錯覚してしまう程でした(でもそれなりに売れている)。
先述した通り、釜山の場合来場者の中には観光ついでに寄った一過性のパッセンジャーも多く居たはずなので、どの位あの場所が育っていくのかは今後の展開次第だと思います。それでも、何より短期的な利益の有無だけではなく中・長期的なビジョンでマーケット及びアートシーンを考えていこうとする、内容自体は至極当然で目新しい意見では無いけれど、だからこそそれを口に出して言える人が参加しているということは、このフェアにとって明るい要素なのではないかと信じます。
(M.O)

2013年6月10日月曜日

鶴岡まちなかキネマ

ゼミ合宿で訪れる予定の山形県鶴岡市について調べていたところ、
「鶴岡まちなかキネマ」なるものを見つけました。

「鶴岡まちなかキネマ」は「まちキネ」と呼ばれ、
昭和初期に建てられた木造工場を映画館に転用したもので、
2010年5月にオープンしたそうです。

この運営主体は、株式会社まちづくり鶴岡というそうです。
鶴岡市において、にぎわいのある住みよい中心市街地づくりを目的に、
地元金融機関の協力と地元企業の修士を得て、2007年6月に設立されました。
最初の事業として、2008年には託児施設を開園し、
この「鶴岡まちなかキネマ」は第二弾の事業でした。

映画館には4つのスクリーンがあり、最新作から名作と呼ばれるものまで、様々な作品が上映されているようです。
またそれ以外にも、ライブやトークショーなどのイベントも行われていて、
たくさんの人が映画館に集まってきているようです。

もともとの目的は「映画館を作ろう」というより「町に人を集めよう」だったと言います。
それまで映画館に行くにも車が必要だったそうですが、
駅から徒歩10分の場所に映画館ができたことで、映画を見るだけでなく、
様々なコミュニケーションが生まれ、街の中でつながりが強くなっていると言います。

鶴岡市は思っていた以上に、まちづくりが盛んに行われているようです。
このまちキネを含め、見るところは多いかもしれません。

(参考)
公式HP
公式facebookページ
公式twitterページ
(tantaka)


2013年6月9日日曜日

文化としての食品サンプル

ブログを書くのがずいぶん久しぶりになってしまいました。meroeです。

文化資源学M1が準備中の文化資源フォーラムについての話し合いのなかで、食品サンプルの話題が出ました。
興味をもち、野瀬泰申『眼で食べる日本人ーー食品サンプルはこうして生まれた』(旭屋出版、2002)という本を読んでみました。
食品サンプル誕生のいきさつについては従来はっきりしたことがわからなかったそうですが、この本は自家出版の伝記、白木屋の社史、関係者の家族の聞き取りといった資料を通してその謎に迫り、食品サンプル発生の時期やその草創期を担った人物たちを明らかにしています。
食品サンプル需要の背景にあった日本の食生活の変化や、韓国や中国での日本の食品サンプルの受容についても触れられており、とても面白く読みました。

以上の内容については本を読んでいただくことにして、約10年前に書かれたこの本では、食品サンプルは「空気のように」存在しており、あちこちにあるのにもかかわらず誰も改めて考えてみたりしないものだとされています。
しかし、この10年の間に状況はずいぶん変わっているのではないでしょうか。
「元祖食品サンプル屋」(スカイツリーのふもとのソラマチにあります)の人気に見られるように、現在では食品サンプルというもの自体への関心が飲食店関係者を越えて一般の人々にも広がっているように思われます。もちろんそこの商品は、サンプルとしてお店に置くものではなく、雑貨(キーホルダー、マグネット、ペン立て、カード立て等)、あるいは観賞用のものが中心になっています。
(小学校の教員をしている方へのプレゼントにここでみかんのペン立てを選んだことがあります。職員室の先生の机の上にペンのささったみかんがあったら楽しいと思って!)
また、食品サンプル製作体験キットが商品として発売されているのに加えて、体験教室も開かれています。いまや、食品サンプルは「空気のよう」な存在ではなく、それ自体興味を引くもの、見て楽しんだり、一般の人でも作って楽しんだりできるようなものになっているのでしょう。

「元祖食品サンプル屋」は株式会社いわさきという、上記の『眼で食べる日本人』でも食品サンプル生みの親のうちのひとりとされる岩崎瀧三が設立した会社が運営するお店です。そんな「元祖食品サンプル屋」のウェブサイトで気になるのは、「伝統的な食品サンプルづくり」「伝統の技」などのことばです。
販促ツールとしてではなく食品サンプル自体への関心が高まると同時に、食品サンプルもある種の「伝統的」な「日本文化」であるという認識が生まれた、あるいは会社としてそれを打ち出している、そしてその技術は陶芸や竹細工、ガラス工芸のような(?)伝統工芸の色を帯びてきている、ということなのでしょうか。
私も食品サンプルづくりの体験をしてみたいです。

(meroe)

2013年6月8日土曜日

木乃伊

先日、テレビ好きの友人から「NHKスペシャル 完全解凍!アイスマン~5000年前の男は語る~」を見た話を聞きました。ご覧になった方もいるかもしれませんが、1991年にイタリアとオーストリアの国境近くのエッツィというところで溶けた氷の中から見つかったミイラが「アイスマン」です。

 
2012年に解凍して短時間の内に検査した結果から推察されることは…
・死因は矢で射られたうえに、頭蓋骨が陥没するほど殴打されたことによるらしい。保存が良いため頭に血も残っていたそうです。
・当時は野外で食事をするため食物には花粉が付着し、その花粉から植生を割り出すと彼が何日間も山中を(殺人者から逃れるため?)さまよい続けていたらしい。
・体には小さな刺青がいくつかあり、それは腰痛持ちに効くツボばかりだそうで、中国起源とされているツボ療法に先行して、その地域にツボの知識があったらしい。などなど…

 
いかんせん5000年も前のことなので、憶測の域を出ないことばかりかもしれませんが、「5000年間、殺された悲しみを抱えたまま氷の中にいたんだね…」と友人と同情することしきりでした。

 
ちなみに2005年には「愛・地球博」にちなんで「アイスマン展」が名古屋ボストン美術館、豊橋市自然史博物館で開催されましたが、精巧なレプリカによる展示だったためご本人の来日は果たせなかったようです。

 
……なぜミイラの話題かというと、もうお気づきとは思いますが、この夏の小林ゼミ合宿の目玉?とも言える鶴岡の即身仏見学の関連知識ということでのご紹介です。

 
日本のミイラ、即身仏(湯殿山系)につきましても以下をご参考ください。
・即身仏とは衆生救済を願い、厳しい修行の末、みずからの肉体をミイラにして残した行者のこと。
・即身仏になった行者は江戸時代に多い。
・即身仏になるための修行は、五穀断ち・十穀断ちなどにより1000日~3000日間、木の実以外を口にしない木食行(もくじきぎょう)や、冬でも川の水に浸かり手の平に立てたろうそくが燃え尽きるまで水の中にとどまる水垢離(みずごり)、手の平に百匁(約375g)のろうそくを立て、燃え尽きるまで支え続ける手行燈、毎日漆を飲む行などがある。
・行者の飲んでいた湯殿山の湯にはヒ素が含まれていたため、身体が腐食しにくかったらしい。
・最後は断食状態に入り、入定(にゅうじょう=高僧が死去すること)の場として用意される土中の棺に入って土を掛けられる。空気穴としての竹筒が通されるだけで、中は全くの暗闇となった中で、行者は鉦を叩き、念仏を唱えながら即身仏となる。            (『山形県の歴史散歩』参照)

 
岡本太郎はその著作『神秘日本』の中で、「大日坊や注連寺では、即身仏をあまりにも素朴な形で実践したミイラのグロテスクな姿に、歪められた修験道の象徴を見た」と湯殿山の即身仏について語り、形骸化・形式化される以前の修験に思いを馳せていますが、私たちはミイラに何を見るのでしょうか?(人体展示ということでいえば、岡本太郎の遺骨も岡本太郎記念館で展示されたと聞きました。ミイラではありませんでしたが…)

 後世の人々のいろいろな物語を引き受けながら、ミイラは干乾びつつも、生々しく存在し続けています。                                         
 
                                                      (Mube)

 

2013年6月7日金曜日

わたしはおじいちゃんのことあんまり知らない。

50周年迎える黒四ダムがこの夏アツイ。


というのも小林ゼミで長野県大町市に関わることになって意識し始めたことでして。
富山県出身のわたしは恥ずかしながらまったく黒部ダムなんて行ったことがなかったのです。
pugrinです。

ということで今週発売した「Tokyo Walker」の付録「信濃大町Walker」片手に
大慌てで今年DVD化したての「黒部の太陽」を借りてきて見ました。
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%A4%AA%E9%99%BD-%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%89%88-Blu-ray-%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/B00AYUAGXW

黒部に日本最大級のダムを造るという大仕事に、
石原裕次郎と三船敏郎が人生をかけて挑んでいくという全編3時間超の大ドラマです。

ダムを造るのには、まず機材を運び込むためにも
大町と黒部の間をつなぐトンネルを掘ります。

「破砕帯」という、断層が山の中で砕けて
地滑りの原因となりやすくなっている部分が最大の難所となっているのですが

噴き出てくる毎秒660リットルもの水と戦い、

ダイナマイトで岩を吹き飛ばし、

たくさんの死者を出しながらこの工事は進められました。

「大町に行きゃあ女がいるぞ」なんてセリフも飛び出し、
大町は、そうした壮絶な掘削現場の人たちの
心のよりどころとなっていたような町だったのかと思いました。


この事業にわたしの祖父が関わっていた、というか張本人でした。

母からの話では「所長さんだった」としか聞かないのですが
どうやら映画を見てみると、
三船敏郎の上司にあたる人(役者は佐野周二。かっこいい!)だったようです。

こんなに大変な仕事をしていたんだ、とか
当時の関電社員の暮らしの様子を垣間見たりして、
なんだか大町に不思議な縁を感じています。

というわけで「信濃大町Walker」の楽しい観光案内は
あんまり頭に入りませんでした。ごめんなさい。

黒部ダムカレーいいじゃないですか、おおまちスイーツ上等です。

恋するおおまち、という観光計画がプッシュされていますが
わたしはおじいちゃんの記憶に繋がりに、必ず行きます。

2013年6月6日木曜日

小布施町でインターンシップ

まちづくりが成功した地域として長野県の小布施町は有名ですが、そこが地域づくりインターンシップを募集しています。
詳しくは、以下のリンクを見てください。

http://www.town.obuse.nagano.jp/soshiki/3/tiikidukurisei-boshu.html

小布施町は、今年から関わることになる高山村、そして須坂市のお隣です。かつては合併を模索した間柄のようですが、小布施が先を走ってしまったがために、合併の話が立ち消えになったようです。

ちなみに須坂市は、長年、蔵の町並みキャンパス事業というのをやっています。
http://www.city.suzaka.nagano.jp/enjoy/kankou/campus/
今年、私たちもこれに関わることになります。

どこも地域は、若い人とよそ者の視点を求めているということでしょうかね。

(M.K)