(Mube)
2013年5月30日木曜日
「イノチガケ」の企業人
大学院に入学する前に私立学校に勤務していましたが、先日その学校の院長が急逝しました。5年間、院長室広報担当秘書担当として働いていたので、いわば直属の上司にあたる方でした。学校としてはその方の起用は異色の人事で、広告や文化事業で有名な化粧品会社の社長が前職、その後も数々の政府の要職を務めるなど、教育畑ではないところからの大物の就任でした。
その方はいつも「21世紀は、経済中心の時代から文化重視の時代へ」と言っていました。この言葉はよく言われそうなことだし、言ってはみるものの実際はね…と一蹴されてしまいそうな言葉ですが、ご本人はいたって真顔で力説、生活自体が本気で「文化重視」、『イノチガケ』という坂口安吾の殉教小説がありますが、まさ「イノチガケのエンターテインメント」巡礼と言いますか、見るだけで倒れてしまいそうなハードなスケジュールの合間に、オペラ、歌舞伎、ミュージカル、クラッシックコンサート、ジャズライブ、美術展鑑賞などの予定が必ずぎっしりと組み込まれていました。観てきたもののお話をするときも本当に楽しそうで、ほとんどどんなジャンルの舞台人やアーティストとも仲良しなので、彼らの面白いエピソードなどもたくさん教えてもらっていました。
そしてその方は「生涯現役」を貫いて、亡くなるまで学校の仕事だけでなく、信じられないくらいたくさんのお役目をこなしていました。のんきにエンターテインメント三昧の隠居役員生活を送るなんてとんでもなくて、分刻みのスケジュールを次々とこなし、「ドドドドド」と擬態音がつきそうな勢いで常に動き回り、大いに働き、人生を駆け抜けていきました。
「経済」と「文化」。しばしば「文化」は「経済」的に儲からないとか、「経済」は現実的で大事だけど「文化」なんて無くてもいいものとか、対立項として語られがちですが、その方の中では「経済と文化」は分かちがたく一体をなしていて、会社経営等においても真剣にその両方を探究していたのだと思います。歴代の社長に自身も秘書として仕えてきた豊富な経験、政財界の要人から世界的な文化人まで広がる人脈、篤いキリスト教の信仰、ふるさと四国への郷土愛などが基底にあって、非常に強靭な実行力で「経済とともに文化の経営」をいつも考えていた姿は、「文化」ばかりを考えがちの青臭い私のような人間にとってはかなりのインパクトがありました。「経済」と「文化」が融合するなんてことがあったのでした。今ここで「文化経営」なんていうことを学んでいるのも、あの驚きが元にあるのでしょう。
なんというかくだくだしく、個人的なエピソードを書き連ねましたが、「イノチガケ」で文化に生き、経済に生きた企業人もいたのですよ、ということをお伝えしたいのでした。「文化経営」を考える上で、あのいろんな意味でのタフネスは重要だと思っています。真に強くて、強烈で、エレガントな方でした。
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院長様は存じ上げませんが、ご冥福をお祈りいたします。
返信削除ただ、命がけで(?)、仕事もエンターテイメントも無理して頑張っていたのではないだろうなと思います。たぶんエンターテイメントという言葉が適切かどうかはわかりませんが、いろいろなお仕事をお引き受けになっていてお忙しそうにされていながらも、傍目から見ると休んでいた方がいいようにみえても、おそらく文化的なものを楽しむこともその方にとって必要だったのだと思います。
(M.K)