僕にとってのインターゼミの場は、自分が今やっていることと「美術史」なるものとの距離感を測る場であったように感じています。
発表者全員の発表題目一覧を瞥見した時に明らかにひとつだけ浮き立っていた僕の研究タイトルを、僕以外のインターゼミ参加者が見たら何の分野だと言うだろうかと考えると、おそらく多くの方は「美術史」だと考えると思うんです。僕の研究は文化政策と呼ばれる領域とはやはり異なるものでありますし、だからといって無理に文化政策の方に近づけようという気持ちもありませんが、この場での発表における異質感をどうしてもぬぐい去ることができないまま当日を迎えました。
インターゼミでの発表の際は、この異質感をなんとかすり合わせようと発表冒頭で急遽コメントを付け足したのですが、そのコメントの核はやはり「美術史」という言葉なんです。僕はこれまで美術史研究室に所属したことはありません。美術史の方法論とか、具体的な授業内容も知らずにここまで来ました。その上で美術史的研究をやることの意味と立ち位置は常に探し歩いているわけですが、自分と全然違う分野で研究をされている方々に僕の研究を簡単に説明するなら、やっぱり「美術史」なんですよね。「私の研究は美術史です」と僕がマイクを通して発言するに至るには、あるいはそれを決心するに至るには、様々な葛藤や逡巡をひとつひとつ解決していかなければなりませんでした。
先週の原点での発表の際N先生に「美術史として」の研究だとご指摘いただいた時が、はじめて対外的に自分が美術史をやっていると認められたことを自覚した瞬間であったと思います。
うれしかった。
うれしかった反面、自分が美術史に所属していないことの意味やそれにより日々感じている対外的な出来事を思わずにはいられませんでした。
昨日のK先生のゼミ懇親会の際Mくんに「学芸員になりたい人」という紹介をされましたが、正直な所を言うと純粋に「なりたい」とかそんな単純なものじゃないんですよね。もともと学芸員という制度に大いなる疑問を持って文化資源学研究室の扉をノックした僕ですから、単純に憧れているということはありませんし、いろいろなことを見聞し経験した上で自分が今置かれている状況ややりたいこと等を総合的に判断した結果が学芸員という「選択」だという言い方が近いと思うんです。
現在いろいろと将来に向けての活動もしてはいますが、外国語学部卒で文化資源学を専攻している僕が「美術史」の壁にぶつかることをここ最近は日々実感しています。なぜそんなに「美術史」という名前にこだわるのでしょうか。美術史というディシプリンが学芸員という職能に必要不可欠な地盤なのでしょうか。僕自身一時期は表象文化論を目指したこともあり、美術史、表象文化、文化資源、それから美学、比較文化、総合文化、表象・メディアなどといった新旧織り交ぜて様々なディシプリンが創出されている現代において、美術史というそれに拘泥する世界にはやはり疑問があります。美術史を経験した上でその方法論やあり方に疑問を抱き美術史を離れるという選択をした方々と交流しお話を聞くと、現代における美術史的学問体系の位置づけが揺らぎ始めているようにも感じます。僕なぞは、表象文化論をバックボーンに持つ学芸員やアートディレクターが日本に増えればもっとおもしろいのになと考えたりもしています。
あるいは、美術史に拘泥しコンプレックスを抱いているのはやはりむしろ僕の方なのでしょうか。
インターゼミでの発表を受けて。
(志)
とてもよく分かります。わたしも専門は考古学ではなく、文化資源学として考古学や文化財行政に関わる人のふるまいを研究しているのだと自問しながら、人に説明する際には、「考古学関係の研究で…」というように思いっきり既存のディシプリンに引き付けて説明しがちです。ただこうした微妙な問題意識がマイノリティだと思い込んでいると、意外と分野は違っても同じ問題意識を抱えているものだと、ある研究会でお会いした方との話の中で実感しました。まわりまわって、同じ問題意識の人に出会ってしまうという状況でしょうか。これが可能なのも、完全アウェー感たっぷりの研究会の方が多いような気がします。他流試合、異種格闘技戦、おすすめです。(ま)
返信削除他流試合、異種格闘技戦、どんとこいです。
削除問題意識があって、それに対してどの学問分野を基盤にアプローチするかという選択の問題だと思うんですよね。私の興味関心の根幹にある博物館を例にとっても、社会教育(生涯教育)、学校教育、博物学、考古学、民俗学、科学、建築、社会学、美術(美術史・美学・芸術学)、アートマネジメント、文化政策などなど、ぱっと思いつくだけで様々な分野からのアプローチが考えられます。
また、時代の流れやなにか重要な出来事がきっかけとなり複数の分野から同じ対象への考察が同時多発的に生まれるといった現象もあるのかもしれません。
自分の研究の位置づけを常に模索しながら、ほかの分野の人々と交流を持ち意見交換できる場に積極的に参加することが重要なのでしょうね。
(志)
長文失礼します。
返信削除同じく、分かります。私の経歴は正にディシプリンレス(この言い方が正しいのか分からないので、仮称)です。
政治学(しかも超弩級の正統派)出身、当時はそんな中にあってユートピア的存在だった地域文化研究に傾倒し、政治学ではなく美術史学科へ交換留学しました。
留学は、美術史という分野で扱う事の出来る事が多様であり面白みに満ちているという発見を私にもたらしてくれました。一方で、それは美術史学体系における知識の習得と方法論のマスターを前提としている事も強く感じました。私の入ったL3課程から新たに始まる装飾芸術のクラスでまず先生から言われたのは「君たちにまず基礎をみっちり叩き込みます」でした。事実、その授業は膨大な量の作品と各時代の様式をとにかく覚えまくり身体にしみ込ませていくという内容で、周りの学生はこういう作業を今までやってきたんだと思い知らされました。要は、まず極めたら次やっても良いよ、という事です。
現在は、美術史学・経済学・社会学など様々なディシプリンが私の周りに溢れている状態です。幸い、研究対象が現代であるため、多角的なアプローチが受け入れられることが多いですが、いつもどこかでどの分野においても体系的な知識や方法論を習得していないことへの気がかりのようなものを抱えています。
「現代美術に関する事を研究してます」と言うと、(日本では美術に関連する職業として連想されるのが学芸員くらいしかないので)「じゃあ将来は学芸員?」と言われる事がありますが、そんなとき「いやいや、美術史やっていないので」という返答をしてしまいます。これはある種のコンプレックスかもしれません。
また、このディシプリンレスは特に海外でのキャリアパスに大きく影響すると聞きます。今まで何を学んで来たかがそのまま何をするのかに繋がり、その間の断裂は認められない傾向がある様です。フランスで国際政治学を学んでいた友人が、インターンで(国際協力関係組織の)人事部枠の面接を受けたとき、「君をとりたいのもやまやまだが、もしここで人事をやったら今後国際政治には戻れない。かといって君には人事関係の専門知識も無いのでこっちの舞台に引き入れて良いものか逡巡している」と言われたそうです。大学進学前に自分の将来を決めなくてはならない国らしい在り方だと思います。
私の様に色々なものを齧っている状態だと「君は結局何をやりたいんだ、君は何なんだ」と聞かれてしまいそうです。
修了するまでに「私は文化資源学をやっています」と言える様、頑張らなくては。
(M.O)
私もやるべきことが定まらず興味のある方興味のある方へふらふらフラフラしていたら気がついたらここにいた、という経歴ですので、意外と手元にいろんなものを持っているという強みはあるのかもしれませんが、やはりやることが定まらないというのはある種のウィークポイントなのかもしれないと考えています。
削除フランスなどの国々と違い少々社会に出るのが遅くなってもなんとかやっていけそうだという日本社会のあり方に甘えつつ、自分がなにものであるのかをはっきりと主張できるように、私も精進せねばなりません。
(志)
とてもよくわかりますが、「うれしかった」というのは驚きました。
返信削除(M.K)
やはり美術史という学問、あるいは大学で美術史を学ぶということに対しての、自分がそれをできなかったという意味での羨望、コンプレックスはあると断言してしまっていいと思います。
削除だからといって美術史に近づけようと意識したわけではありませんが、自分で考え選び始めてみた研究が結果的に「美術史」と評されることは、「できなかった」自分が今「できている」という様に感じられて、嬉しかったのです。少しだけ、コンプレックスが溶解したのかもしれません。
それでも自分が文化資源学を自らの基盤として選択したことにはそれ以上の大きな理由や意味がありますので、文化資源学にいる上でこの研究を進めることの意味や位置づけは常に考え答えを出そうと試行錯誤をしております。
なので、美術史に近づけたいわけでもなく、古臭い学問体系であると突き放すこともせず、ある程度の距離感を探しながら最適な落としどころを見つけたいと考えています。
(志)