本日「半日寺山修司ツアーin渋谷」に行ってきました(自分でそう名付けただけです)。
①パルコ劇場にて「レミング」のマチネ観劇
②ポスターハリスギャラリーにて「寺山修司と天井桟敷・全ポスター展」
要はこの二か所に行っただけなのですが、今月4日で没後30年を迎える寺山について考えるいい機会になりました。
とはいえ「田園に死す」「さらば箱舟」(映画)、「レミング(1983年公演)」「百年の孤独」(公演収録映像)、あとは文章を少しばかり、これが私の寺山経験(?)の全てです。
天井桟敷の公演にはもちろん行けなかったし、その後継である万有引力の舞台も未見です。
ですが(とここで開き直ります)、今多くの人びと(特に渋谷で過ごすような年齢層)が抱く寺山修司のイメージは、舞台・映像からではなく彼の文章からきているのではないでしょうか?
本や雑貨で溢れるヴィレッジヴァンカードには寺山の文庫が常にあります(パルコ劇場の3階下にある店舗にもありました)。
今年3月末まで世田谷文学館で行われていた「帰ってきた寺山修司展」でも、こちらは文学館ということもありますが、作品原稿から知人宛の葉書まで、寺山の直筆がこれでもかといわんばかりに展示されていました。筆まめな人だったんですね。
何より上記②のギャラリーの紹介パネルでも「国語の教科書に彼の俳句や短歌が採用されることで、寺山ファンになった若い人々も増えている」という文章が。
遺したものがあまりに多すぎたために、全体像をつかむことなど不可能に等しく思える寺山ですが、そのなかでも文章から立ち現れるイメージを今の人々は共有している。そんなところでしょうか?
こんなことを思いながら本日、つまり2013年版の「レミング」を観ました。
初めて寺山の舞台に実際に触れる、私のような人向けの演出かと思いました。
壁がなくなるという物語最初の驚異が起こった時に「舞台美術がいかにも天井桟敷のポスターに使われていそうな絵(宇野亜喜良?)」に変わった時には思わずニヤニヤ。
何より言葉が印象的で、1983年版でも台詞のリズムの良さ、奇怪な状況を軽々と出現させてしまう言葉のイメージ喚起力が気に入っていました。今回はさらに 「見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし」という短歌や「家出のすすめ」など演劇以外からとったフレーズが紛れ込ませてある演出でした。
観客が寺山作品に対して前から持っているイメージをくすぐる舞台だったのです。
30年前に世を去った人間の作品を今の人間がどう受け入れるか、今回の公演はそれに対する回答の一つでしょう。ただし、寺山の映像作品も先月(やはり渋谷で)まとまって上映されましたし、長編三本はDVD・ブルーレイになって発売されました。これからは文章ばかりでなく映像も入手しやすくなるというわけで、もしかしたら今年は今までのテラヤマ受容を振り返りつつ、新たな方向へ向かう、ある意味記念すべき一年なのかもしれません。
追記。半日のツアーだったのは、夜には世田谷で「ドイツの劇作家の作品を、韓国のフィジカルシアターが、韓国語・日本語・英語の台詞をいり混ぜつつ演じる」という舞台を観たためですが、それについてはまたの機会に。
(N.N.)
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