こんばんは。Showです。
私は、震災ボランティア団体に中心メンバーとして所属しています。
5月11日(土)と12日(日)は宮城県南三陸町に訪問しました。
東北地方は、東京と違い、とても寒かったです。東京は土日は温かかったそうですが、南三陸町はお昼の時間でも7℃しかありませんでした。
今回の訪問で行ったことは、
(1)新メンバーの南三陸案内
(2)現地住民の生の声、被災した時のコト、現在のコト、将来のコト
(3)学会発表に向けた調査研究(地域住民にインタビュー)
(4)新プロジェクトの為のニーズ調査
(5)南三陸のおいしいものを食べる!(南三陸は漁業の街です)
私はもう何度も現地を訪問しているのですが、被災した方々の生の声は本当に心に響きました。
言葉で言い表すことが出来ません。今は、時間もお金も制限された状態ですが、一所懸命やりたいと思いました。
現地の人をしっかり考え、十分なコミュニケーションを取り、現地のニーズと私たちの団体のシーズをマッチさせたウインウインの活動をしていきたいです。
以下、今回初参加メンバーの感想です。
ちょっと長いですが、とても良い現地訪問感想文なので是非読んでみてください。
2013年5月11日、
東日本大震災が起きてから2年2ヶ月が経つ日に、私は初めて被災地南三陸町を訪れました。震災時に波にのまれた土地から、いまだ多くの方が住む仮設団地を巡らせていただきましたが、実際に訪れ見たことで、報道等では分からない被災地今現在の日常の空気を感じられたように思います。
現地の生活は震災から2年経ち、移動販売や、通信販売のおかげで生活必需品等は手に入れられる環境、自家用車を持つ人も多く、活動範囲は広がり、子どもたちも元気に仮設団地の集会所で遊んでいたこと等から正直、外から一見すると一瞬、問題ないように思えました。しかし、住民の方々から足腰の弱いお年寄りは仮設住宅から出ることなく毎日を過ごしている状況や、医療設備の整った病院も近くにない状況にあるなどの話を聴いているうちにまだまだ問題はたくさんあることに気づかされました。
それでも今は南三陸町の人々は力を取り戻し、自ら色々と活動できるようになってきた段階だと思います。そして、その段階に応じてボランティアも活動を変化させなければならないというのが私の意見です。今回の訪問は、ボランティアの在り方と何が本当に求められているのかを考えるきっかけとなりました。話をしていただいた仮設団地の皆様、そして貴重な体験を与えてくれたUT-OAK震災救援団の皆様、本当にありがとうございました。
東京大学 K.F.
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「何をしに行くの?」
南三陸町を訪れることを友人に伝えると、返ってくる言葉は大体こうでした。
それは決してネガティブな意味では無く、純粋な疑問から発される言葉でした。震災発生から2年経ち、復興の足音が大きく近付いて聞こえるように思われる中で、東京から出向いて行って一体何ができるのかという疑問が出てくるのは自然なことであるように思いました。
今回南三陸町を訪れるに前に「復興支援とは何なのか」を改めて考えてみました。東京で耳にする「復興支援」は時が経つにつれ徐々にその性格を変えていきました。震災発生から数ヶ月は専ら炊き出しや瓦礫除去などの「復興支援」が主流でしたが、それからしばらくすると電車の吊革広告には東北旅行の宣伝が目立つようになり、「復興支援」としての観光旅行がすっかり定着しました。少なくとも私にはそう受け止められました。その頃からでしょうか。「復興への道のりは遠い」という言葉が絶望感ではなく、妙な安心感を伴って聞こえるようになりました。観光に行けるということはインフラが十分に回復したということであり、そこには物資もあり、宣伝できる観光資源があり、あとは観光業の活性化により地元経済の循環を加速させることが出来れば復興は時間の問題だと思うようになりました。私自身、震災直後は「復興支援」として炊き出しなどのお手伝いをしましたが、それから1年もすると観光客として宮城を訪れるようになり、そのことに対して違和感を持つこともありませんでした。私の中での「復興支援」は何時の間にか「観光」に読み替えられていたわけです。そういうわけで「(南三陸町へ)何をしに行くの?」と言われたとき私自身も上手く答えることができませんでした。震災を忘れたわけではありません。想像力の限界でした。今回南三陸町を訪れた私を待ち受けていたのは頭をガツンと打つようなショックではなく、砂を噛むような現実でした。ただ、復興への道のりの果てしなさを、何度も何度も噛み締めました。
「復興が何を意味するのかは人によって違う」
夜、集会所でお話をして頂いた方の言葉です。こうして文字にすると何ということもない言葉も、実際に被災した方の口から語られるとその重さが違いました。・・・。正直に言うと、今回の体験をあまり文章にしたくありません。文章にするとこぼれ落ちてしまうものがあまりにも多く、その場で感じた思いや聞いた言葉もひどく薄っぺらいものになるように感じてしまうからです。
震災後、震災についての言説や体験談がインターネットに溢れ、震災を経験していない人でもネットの上で追体験ができるような状況にあります。実際に訪れたことがなくても、南三陸町の実態をよく知っているかのような感覚を得ることさえできるかもしれません。しかし実際に現地に行ってそこで直接得た感想と、二次的な感想とではやはり決定的な違いがあります。今回それを強く感じました。これは上手く自分の思いを文章化できない言い訳でもありますが、しかしやはり私の文章を読むより、実際に南三陸町に足を運んでみてください。
震災の傷跡が残る場所も多く訪れました。南三陸町の現在を伝えるためにも写真を沢山撮って帰ろうと思っていましたが、実際に目にし、ここで沢山の人が亡くなられたのだと思うと、とてもカメラのシャッターを切れませんでした。
今回の訪問で私が何か南三陸町の役に立てたかと問われれば、殆ど何もできていません。観光客以上のことは出来ませんでした。先ほど述べたように私はこれまで「復興支援」を「観光」に読み替えていましたが、今回の訪問で「観光」が本当に「復興支援」になるのだと感じたなら、きっと今このような思いを抱いてはいないはずです。自分も「復興支援」に携わったのだという満足感を持って帰路についたはずです。もちろん、「観光」も「復興支援」には違いありませんが、今回の南三陸町訪問を通じて「観光」以外の形で「復興支援」に携わりたいと思うようになりました。
「何をしに行くの?」
実際に南三陸町に訪れたあとでもこの問いに答えるのは難しいです。きっと、「これをすれば役に立つはずだ!」という独りよがりの思い込みではなく、南三陸町の方々とお話を繰り返す中でニーズを発見できなければ真の意味での「復興支援」にはならないからだと思います。そしてその確信を得るには、私にはもう少し時間がかかりそうです。
今回の訪問では本当に多くの方の好意に触れる機会を頂きました。夜は集会所で24時前まで(!)お話をしていただき、翌日の聞き取り調査でもいきなりの訪問にも関わらず皆さんに快く質問に応じていただきました。
また必ず訪れます。ありがとうございました。
東京大学 A.T.
今回の感想を書いたブログ
http://utoak.sitemix.jp/
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