2013年5月28日火曜日

My Queenstown Symposium-再開発と遺産保護の狭間でコミュニティの記憶をつなぐ市民たち

シンポジウムの質疑応答の様子。
シンガポール南部Queenstownのコミュニティセンターで開催された"My Queenstown Symposium"に行ってきました。このシンポジウムはコミュニティ誕生60周年事業の一環で、地域の歴史遺産(Heritage)と社会の記憶(Social Memory)をテーマにシンガポール国立大学の社会学者やライター、人気ブロガー、作家などが発表を行いました。日曜の午後とあってか、地域住民や学生など150人近くの聴衆が会場に足を運んでいました。

 シンガポール各地に点在するコミュニティセンターの主導で"地域の生誕何周年事業"と題して郷土史を振り返ったり、記念冊子が発行されることは珍しくありません。Queenstownの60周年事業はそれらと何が違うのでしょうか。いまQueenstownが注目を集めているのは、この活動が地域住民と若い世代のシンガポーリアンによる草の根運動として広がったためです。事の発端はこの地区を訪れた二人の大学生Kwek Li Yong氏とJasper Tan氏と、古くからの住民との出会いでした。
注目を集めるQueenstown。
シンポジウム当日の朝刊には特集が組まれている。

 奉仕活動の一環でQueenstownに住むお年寄りを訪ねたKwek氏は、彼らがよく話す内容が他地域のお年寄りとは違うことに気づきます。ここのお年寄りたちは自分の家族や孫の話だけでなく、自分たちが住んでいる団地の歴史について、誇りを持って語るというのです。2009年、二人はお年寄りたちの語る地域の歴史や隠れた遺産を紹介するブログMy Queenstownを開始(現在は休止中)、Facebook(2010年2月)、Twitter(2010年4月)、YouTube(2010年5月)とメディアを広げ、My Communityという団体として活動し始めます。2011年3月からはQueenstown Consultative Committee*の協力を得て地域に無料配布される季刊誌My Queenstown Magazineを発行、今年2月にはiphone用アプリ**My Queenstownを開発するまでに至りました。
シンポジウム後探索した初期の公営住宅からは
夕食(焼き魚)の匂いが。

 このアプリは主にQueenstownのHeritage Trail(歴史街道)を紹介するもので、これまでのインタビューや住民から提供された古い写真などがふんだんに盛り込まれています。実は2008年にQueenstownは政府組織National Heritage Board(NHB)によってCommunity Trailとして取り上げられました。そこには最初期の公営団地として計画されたQueenstownの歴史が、住宅や劇場、ショッピングセンター、そして幾つかの宗教施設とともに紹介されています。しかし政府のTrailには地域住民が愛着を持っていた住宅や自動車教習所といった場所やエピソードが欠けており、今日では再開発のため姿を消した場所も幾つか含まれていました。そこでMy Communityのメンバーが中心となって住民の声を反映した新しいTrailを考案し、アプリとパンフレットの形式で配布。毎月最終日曜日には実際に歴史遺産を歩いて回るツアーも開催されるようになりました。

 My Communityが主催した今回のシンポジウムでは、こうした背景から歴史遺産と社会的記憶、そして開発と保護のバランスがテーマとなったのです。シンポジウムでは一人15分という非常に限られた時間でしたが延べ8人の多彩な登壇者がQueenstownについての見解を述べました。都市社会学が専門のHo Kong Chong氏は、ランドマークとなる建物のような有形遺産と、そうした風景の中で何をしたかという想い出のような無形遺産の二つがあることを指摘。何気ない景色や建物に個々人の想い出や特定の時代の生き方が反映されている場合もあるため、遺産のマネジメントに当たっては何を"価値ある遺産"か判断する際に市民参加のプロセスが欠かせないと述べました。
地域のシンボルだったボウリングセンターは
解体を待つばかり。周囲にあった集合住宅も
解体され、一帯はインド系青年たちが
クリケットを楽しむ空き地となっていた。

 同じく社会学者のDaniel Goh氏は、80人の学生たちと行ったQueenstownの再開発に関するインタビュー調査の結果を紹介。そこでは学生たちがキーワードと仮定した、特定の場所をコミュニティの想い出として保存修復していくべきというHeritageの概念は英語教育を受けたミドルクラスの言説であり、Queenstownの旧住人たちには理解に苦しむ概念であることが明らかになったと言います。中国語、マレー語などで教育を受けた高齢の労働者階級の旧住民たちが大切にしているのは団地で家族と暮らした想い出(Memory)だそうです。彼らは、再開発によって自分たちの想い出の場所が消えてしまうのことへの悲しみや、対話の機会を設けず一方的に開発を進める政府の姿勢に怒りを感じつつも、若い世代のための犠牲になるのだから古いものの消滅は仕方が無いことだと理解しているということでした。

 ライターのYu-Mei Balasingamchow氏は、コミュニティの遺産や想い出を集める作業は壮大な計画ではなく自分の身の回りの個人的な思い入れからスタートできるとして、若いシンガポーリアンが取り組んだプロジェクトの事例を紹介しました。その一つ、Justin Zhuang氏のMosaic Memoriesプロジェクトは古い公営団地にあるモザイクタイルの遊具に着目したもの。デザイン性の評価と住民の語るエピソードはこれまで歴史遺産とみなされていなかった遊具に新たな価値付けをするものでした。(デザイナー、写真家とコラボレーションしてまとめた冊子は国立図書館の支援で電子書籍として出版 
コミュニティ・センターに展示されている地域の
歴史を紹介するパネル。政府の冊子では言及
されていない1950年代の暴動なども解説。

 都市再開発庁(Urban Redevelopment Authority/URA)で建物保存の指揮を執るKelvin Ang氏は、Queenstownの住人が心配している建物のうち幾つかは既にURAが保護を決めているが、そのことを知っているかと聴衆に質問。わずか数人しか挙手しなかった状況を見てこれらの活動が周知されていないことは問題だと自戒していました。また近年の政府の方針は10年前とは異なるとし、人々がHomeと感じるような地域の遺産はリノベーションするなどして活用していく方針であることを語りました。しかし国土の狭いシンガポールではより効率的な形態に変えていかないと暮らしが成り立ちません。会場からの質問は「あれもこれも残したい!」というものが多い中で、ホーカーセンター(屋台の集合した場所)や図書館などは時代のニーズに合わせて変化していくべきだというLai Chee Kien氏(建築史家)の意見は的を射たものでした。

 Queenstownの活動からはシンガポールの二つの潮流が感じられました。一つは複数の政府機関が(NHBやURA)が協働でコミュニティ単位の共同体意識を生み出す装置としてHeritage Trail(及びそのツアーガイド)やTown Museumを整備しようとしていること。もう一つは、自ら地域に足を運び、消え行く風景の写真や映像を撮ったり古くからの住民の声を拾って、新たなHeritageの価値付けを行う市民が生まれてきているということです。後者の事例としては、政府のキャンペーンとは関係の無いところで活発に情報収集・発信をするブログなどが目に付きます。今回の登壇者Lam Chun See氏もそうしたブロガーの一人ですし、同じく登壇者のTan Kok Yang氏のように自分が暮らした1960-70年代の回想録をまとめて出版する人も出てきています。これまで紹介してきた墓地や登り窯の保存、ドキュメンタリー映画などの活動も草の根レベルの活動が場所やものに新しい価値を付与している例だと言えます。
Town Museumとしてリノベーションする計画
があるという元市場の建物。

 前者のモデルは戦前の公営団地が残るTiong Bahru地区でも実施されており、今年4月からコミュニティ・センターを中心とした地域史の紹介と市民ガイドによるツアーが始まりました。来賓としてシンポジウムに参加した文化コミュニティ青年省(Ministry of Culture, Community and Youth)上級政務官のSam Tan氏は自身のQueenstownでの想い出を語りつつ、各省庁間で連携して地域の遺産保護に努めていきたいと話し、その言葉は真っ先に地元ニュースに取り上げられていました(Tan氏はQueenstown等を含む地域共同体開発委員会の区長でもある)時代は政府が国民に対し一方的に歴史観や遺産の価値を普及させていく段階から、国民の自発的な活動をサポートするような段階へ変化しつつあるのかもしれません。URAのAng氏がシンポジウムで言及した、地域のアイデンティティを体現するTown Museum***は、果たして今後人々がふるさとへの想いを表現し共有する場となっていくのでしょうか。(齋)


*Citizen Consultative Committee(市民諮問委員会)は民族の融和と社会的結合の促進を目指し、地域住民と政府との連帯を強化する政府組織People's Associationの活動を支えるための委員会。各民族コミュニティー、経済、社会分野におけるリーダーから成り、選挙区内の諸活動の調整、募金活動、国家行事の調整などを行っている。ちなみに人民協会はもともと与党PAPが地域活動のために設立した組織と言われている。
**スマートフォンが普及しているシンガポールではNHBなども積極的にアプリをリリースし、国民に歴史遺産に親しんでもらおうとしている。
***Town Museumのモデル事業はTaman Jurong地区でOur Museumとして今年1月から始まっている。運営はNHBとPeoples Association、Taman Jurongコミュニティが協働で行う。Queenstownの旧市場の建物(右上の写真)もTown Museumとしてリノベーション予定。

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