2013年5月25日土曜日

からくり時計のひみつ

 先日、内定先の研修旅行で愛媛県松山市の道後温泉へ行ってきました。道後温泉は夏目漱石の作品『坊ちゃん』の舞台となった場所で、日本三古湯の一といわれています。

 道後温泉もぼっちゃん団子も堪能したのですが、その中で特に印象に残ったのが道後温泉駅前の放生園にある坊ちゃんからくり時計です。平成61994)年、道後温泉本館百周年を記念して作られたこのからくり時計は、一時間ごとに坊っちゃんやマドンナなど『坊っちゃん』の登場人物が踊りだす仕掛けになっています。
 私たちは午後6時に見に行ったのですが、それまでからくり時計の近くにある足湯に入っていた人も時間が近づくとわらわらと時計のもとに集まってきていました。音楽や細部にまで凝った人形のデザインや豊かな表情とポーズを見て、見物人もみな笑いだし、(写真にうつっている男の子も大興奮でした!)からくりが終了するとおぉー!というどよめきと共にみんな一斉に拍手。暫くすると見物人はほとんどいなくなり、先ほどまでの盛り上がりが嘘のように静けさが戻ってきていて、不思議な気持ちになりました。
 
 そもそも、日本のからくり時計はどのように発展してきたのでしょうか。
 日本での初出は、鉄砲伝来後の17世紀前後といわれていますが、ぜんまいを使う時計のしかけは、最初は時計そのものとしてよりもむしろ、からくり人形芝居や祭礼の山車として見世物興行に用いられていました。そして、田中重久という人物(芝浦製作所、後の東芝の重電部門の創業者です)が、1851年に季節により文字盤の間隔が全自動で動くなどの世界初となる様々な仕掛けを施した「万年自鳴鐘」を完成させ、またからくり人形の最高傑作と言われる「弓射り童子」と「文字書き人形」を完成させました。その後、明治から昭和にかけて多くの時計メーカーが勃興し、様々なからくり時計が誕生しました。そして横浜伊勢佐木町モール(1954年)、神戸市民広場の時計塔(1957年)、有楽町センタービルの「マリオンクロック」(1984年)、横浜そごうの世界人形時計(1985年)の設置など、からくり時計は全国各地の店頭を飾るようになります。さらに福岡天神地下街・ドリームファンタジー、大阪・京阪モールクロックや仙台のからくり日本昔話など全国各都市の商空間に広がっていきました。こうして、からくり時計はデパートや商業施設の建設と同様に爆発的な人気を博し、全国的にそのブームを巻き起こしたのです。平成に入ると平成2年に北海道・登別第一滝本館にからくり時計「大金棒」が設置され、翌3年には秋田・天王町の伝承館に祭りのからくり劇場がオープンしています。 このように主にデパートや駅前広場などに設置されていたからくり時計は、観光を目的とする集客装置という役割も担うようになったのです。

 道後温泉の坊ちゃんからくり時計と男の子を見ながら、小さい頃地元の駅やデパートにあるからくり時計をわくわくしながら見上げていた時のことを思いだしました。その時計自体に興味があったというよりは、ある時間になると、その時計のもとに色んな人が集まってきてはまた散っていく、そんな時間の流れや人々の動きが気になったのだと思います。現在、そのからくり時計は老朽化のため取り外されてしまい、あの場所で立ち止まって時間を気にすることもなくなりました。一大ブームを起こしたからくり時計も、時代の流れとともになくなりつつあります。町を行く人がふと足を止めて時間の流れを共有し、またそれぞれ来た方向に散っていく。時刻を告げるだけではなく、人と人とを繋ぐ空間を刻むこともからくり時計が担ってきた役割なのではないでしょうか。
 
みなさんの近所にも、素敵なからくり時計はありますか?

(M.H)

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