2012年7月21日土曜日

2012年6月 バーゼルアートフェア、ドクメンタ13とドイツ各地の訪問記 2

6月14日から21日まで1週間、世界最大のアートフェアが行われているスイスのバーゼル、世界で最も有名な現代美術の展覧会の一つであるドクメンタが行われているドイツのカッセルなど、6都市を周りました。

視覚美術を中心に見てきたこの旅を何回かにわけて、文化経営的な視点からの話を織り交ぜつつ、日記風に振り返っていきたいと思います。(TS)

第2回目は、初日・バーゼルのお昼時から、この街のアート・パトロネージの背景について考えてみたいと思います。

バーゼルの物価とCOOP

バイエラー美術館を出た後、アートフェア会場に向かいつつ昼食場所を探します。バーゼルは物価が高いスイスの中でもとりわけ物価が高いことで知られています。例えば同じスイスのチューリヒ、電車で1時間ちょっとのところですが、そこに住んでいた人からしても1.5倍以上の物価ではないかと感じるそうです。
価格変動が少なそうなマクドナルドでさえ、ビックマックセットが1000円ほどしますし、ちゃんとしたお店に入ると昼食を2000円を切る値段で済ませるのはなかなか大変です。物価が高い一方で、収入も高く、上のリンクにも書かれているようにマクドナルドの販売員の時給は2000円ほどといいます。生活レベルでのこの街の特徴は(よほどの大金持ちでない限り)何よりも高物価・高給料でしょう。

ところで、物価の高いスイスでも、低価格の生協スーパー「COOP」があります。日本の生協のような会員カードを発行しているわけではないようですが、たいがい安く買い物をすることができますし、クレジットカードも使えます。
スイスのCOOPのロゴ

さらに余談ですが、スイスだけではなく、イタリアでも、ヴェネツィアのような物価が高い都市で長期滞在するのであればCOOPは必須です。2007年にビエンナーレ中のヴェネツィアを6日間にわたり訪れたときは、サンタ・ルチア駅から運河をはさんで反対側の、バス停のあるローマ広場側の運河に面したところのCOOPに毎日お世話になりました。以来、イタリア・スイスに行くときは街のCOOPの場所を必ずチェックするようになりました…。



イタリアのCOOPのロゴ


イタリアにおいてCOOPは非常にうまくいっている「第3のセクター」であると考えられています。日本での「第三セクター」が国際的な「Third Sector」と異なる意味を持っていることは、文化行政を考える上でも重要なことではないかと考えています。その点でイタリアのCOOPは考える材料として好例です。イタリアのCOOPは1978年以降、公的セクター・私的セクターの2つのセクターに対抗する「第3のグループ」を体現することを模索し、その結果、組合の目的は組合員の生活向上等の共益的なものではなく、経済界において「第3のセクター」を拡大していくというより公益的なものとなり、こうした体制の大きな転換と経済の激変に対応するための経営戦略として「非営利・協同」や「参加型経営」といった考え方が登場してきます。こうした動きについて概観するネット上のリソースとしてはこちらのページこちらのページが参考になるかと思います。

なぜCOOPについて書いたかと言えば、小林ゼミでは以前から文化行政における「市民」の問題について検討し、学会でも学生として部会発表をしましたが、それを個人的に振り返ると、「現在の文化行政における課題を、行政セクターと市民セクターの二元的関係の変遷として捉えるに留まってしまった」という反省がありました。以降、こうした「第3のセクター」について改めて考えなければならないと思い、企業、NPO、ワークシェアリング、ワーカーズコレクティブ、参加型経営、新たな市民メディア、「公共文化施設」等の役割について日々考えています。
(追記:このブログの直後に出た2012/7/23付日本経済新聞 朝刊に「三セク・公社の整理進む 昨年度 破綻最多 迫る特別債期限 消費増税も影響」という見出しの記事が出ています。「地方自治体が出資する第三セクターや地方公社の整理が進んできた。東京商工リサーチによると、三セクなどの2011年度の破綻件数は前年度を85%上回る26件で、調査を始めた1994年度以降で最高。…」こちらのページで内容が読めます。


それはさておき、お昼をどうしたかというと…クレジットカードが使えない安い食料品店でイートインができそうなところもあったのですが、スイスフランもほとんど持っていないため、結局、Basel Bad駅に入っているスイスCOOPのミニ店舗でサラダやパンやお総菜を買い、駅前の木陰に座っていただきました。天気も良く、ピクニック気分でした。

バーゼルの歴史

バーゼルアートフェアの会場であるMesseは、国際的に有名な見本市会場です。この見本市の街、バーゼルはどのような歴史をもっているのでしょうか。
バーゼルは元々はアイルランドから移住してきたケルト民族によって作られた町でしたが、4世紀にローマの支配下に入ると、7世紀には司教都市となりました。10世紀にはハンガリー騎馬民族に蹂躙されたこともあります。
また前回も書いたとおり、バーゼルは現在のドイツおよびフランスとの国境をなすライン川沿いに発達した町で、河川・鉄道交通の要地です。
バーゼルはこのような地理的・歴史的な条件から商業の要衝として発展し、1471年にはフレデリック3世よりHannsen von Berenfels市長がmesse(商業祭)開催の勅許を得ています。つまり540年ほど前から展示会をやっているわけです。中でも有名だったのは、その15世紀以来から続くmesseを引継ぐBasel Autumn Fair と、1917年に開催されたスイス工業博覧会にルーツを持つ時計と宝石の見本市Basel Worldです。
Art Basel は1970年に第一回が開かれて以降、年々名声を高めてきています。そしてこの組織委員会の創設に深く関わったのが誰あろう、前回紹介した、バイエラー美術館のコレクションを築いた画商のバイエラー氏です。

バーゼルにおけるパトロネージの伝統

 1459年にはバーゼル大学が創立、近い時期にイタリアから紙の製造法が伝えられると、グーテンベルグの印刷機の発明後には、ルターの「95条の論題」やエラスムスの「改訂版新約聖書」がこの地で印刷され、16世紀にはヴェサリウスの解剖学書等の医学書も盛んに出版されました。
つまり当時のバーゼルは、知的産業・情報産業が集積した出版都市・自由都市として、パリ、リヨンやヴェネツィアと並ぶ存在だったわけです。さらに16世紀の宗教改革の対立激化にともない、フランス、イタリア、オランダから逃れてきた新教派の学者、企業家、商人らを市民が受け入れたことで、市の文化・経済が発展していきます。
現在は化学工業、とくに薬品・染料の一大中心地であり、ロシュ社ノヴァルティス社という世界トップレベルの薬品企業の本社が2社あり、自治体に多くの税金をおさめています。街には現代建築が立ち並んでいますが、そうした建築のスポンサーの多くもこの2社です(詳しくはこちらの記事等をご覧下さい。)
他にも電気、機械、そして近世以来の印刷などの産業が盛んで、チューリヒに次ぐスイス第二の都市です。

バーゼルでは出版都市の伝統を引継ぎ、街の名士たちは芸術の庇護者となってきました。1515年頃から1526年までバーゼルで活躍したハンス・ホルバインも、エラスムスをはじめ、バーゼルの市長や富裕層の庇護を受け、宗教画や肖像画を多数手がけ、名声を不動の物としました。
このホルバインの絵は印刷業などで財をなしたAmerbach家によって収集されていましたが、17世紀に入ると同家の没落により、コレクション流出の危機にさらされます。これに対して1661年、バーゼル大学とバーゼル市が2:1の割合で資金を拠出してバーゼル市が作品を購入。これを公開するために公共美術館として開設されたのが、市立美術館(Kunstmuseum Basel /バーゼル美術館)です。
その後もバーゼル市のパトロネージの伝統は続きます。1967年、バーゼル市が、有名なコレクターであり、市立美術館のアドバイザーを勤めたこともあるRudolf Staechelin(1881-1946)が遺した美術品の一大コレクションの中から、市立美術館で所蔵するためにピカソの作品2枚を購入するかどうかということで議論が巻き起こりました。結局住民投票で決することとなり、その投票の結果、購入が決まり、それに喜んだピカソがさらに4枚を寄贈したという逸話で知られています。
進んで1980年になると、ヨーロッパ初の(世界初という説もありますが)、1960年代以降の美術を専門的に取り扱う美術館Museum of Contemporary Artがオープンしました。これはKunstmuseum Baselと、やはり大コレクターのMaja Hoffmann-StehinとMaja SacherのコレクションであるEmanuel Hoffman Foundationの所蔵品を展示しています。

バーゼル市当局による美術品取引のコントロール

2009年9月にバーゼル市の主催で行われた国際会議‘Governance of Cultural Property: Preservation and Recovery’を経て、美術取引に際してのガイドラインが策定され、オンラインで公開されています。これは盗品取引の規制を含む、国際的な美術産業に対する行政の法的規制や、美術産業の自治組織のリストなどを概観する資料も含まれていますので、こうした分野に関心のある方にはおすすめです。

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