ホスピタリティあふれる学会の閉会式では学生スタッフが マレー語の歌とダンスで参加者と主催者を祝福。 |
シンガポールの取り組み Teaching Through The Arts
シンガポールのNational Arts Council (NAC)は芸術と教育に関しても様々な事業を実施しています。学会でNACの事業担当者とアーティスト、学校の先生がプレゼンテーションを行ったTeaching Through The Artsもそのひとつ。2012年からモデル事業として一部の学校で実施されたこのプログラムは、様々なジャンルのアーティストと学校の先生が二人でひとつの科目を教えるというもので、学習項目に対する生徒の理解を深めることを目標としています。芸術以外の科目をアーティストの発想を取り入れて教えることで、多面的な学びが可能となり、概念を可視化したり、知識の獲得だけでなく情操教育にも資することができるというのがNACの主張する利点です。
プレゼンテーションでは昨年一年間を通して行われた二つの学校の取り組みが紹介されました。ひとつは中学校の化学教師と、もうひとつは小学校の算数の教師と演劇のアーティストが行った事例です。算数の授業では児童がもっとも苦手としていた分数をドラマの手法で学んでいました。派遣アーティストのPeggy Ferroa氏は児童の分数に対する苦手意識をリサーチした上で、自身も「分数がよくわからない大人」としてクラスに加わりました。真分数の概念は教科書では円形のピザやケーキの一切れイメージで解説されますが、体を使って表現することで電車(の車両)など円形以外のイメージでも理解することが可能となります。
仮分数の概念は多くの児童が理解に苦しんでいたため、アーティストと教師はこの概念を可視化して体験することに最大限の工夫を凝らしたそうです。プレゼンテーションでは聴衆が実際に仮分数の授業の一部を体験しました。数枚の新聞紙が置かれた床の上を歩き、教師の合図で近くの新聞紙の上に乗ります。教師が新聞紙に乗れる定員を「2」と言ったとき新聞紙の上に3人乗っていたっら、それは「2分の3」という仮分数だということになります。一人が新聞紙から降りると、今度は新聞紙に乗ったひと塊と余りということで「1と2分の1」が可視化されます。そして児童は「2分の3=1と2分の1」ということを理解するのです。 分数の授業では教師が”算数の国から来たMs.ブンスー・ワカリマース(原語はMs. Understood Fraction)”に扮して、児童の疑問に答えるセッションも設けられ、”教師対児童”の関係では間違いを恐れて疑問を口に出来なかった子どもたちが、積極的に手を挙げる様子が報告されました。
アーティストと教師の反応
中学校の化学の授業に派遣されたアーティストSerena Ho氏は、アーティストは教師と生徒、授業と日常生活の架け橋になる存在だと述べています。アーティストは教師とは異なる視点でクラスの様子を観察し、生徒の抱える課題を発見して教師と情報共有を行います。アーティストの立場だからこそ分かる生徒の情報については、スクールカウンセラーとドラマ・エデュケーター、教師が連携して取り組んだ女子中学生の自傷問題の事例報告でも指摘されていました。ここではアーティストが生徒に近い立場で情報を収集、カウンセラーと教師が授業にフィードバックしていくという役割分担がなされていました。
シンガポールでも理系科目は現実世界と関係が無いので学習意欲がわかないという生徒が多いそうで、教師も苦心しているそうです。アーティストはそうした科目に感情や生活感を持ち込み、生徒の日常と結びつける役割も果たします。分数の学習の例で言えば、電車の空席に多くの人が殺到して座れない状況を、児童が仮分数と結びつけて考えるようになるといった具合です。 教師の側からは、アーティストとの授業が単なる遊びではなく、学びであることを生徒の頭の片隅に入れておくことが重要と話していました。ドラマの手法を取り入れるのは、最も難しい学習項目に絞っているそうです。ひとたび概念を理解すると練習問題も解けるので、生徒たちはドリルにも喜んで取り組めるようになるといいます。
またアーティストと授業をすることで、特進クラスの生徒はすぐ正答にたどり着こうとする一方で、そうでなくラスは答えを出すまでのプロセスで様々なアイディアを活発に出し合うことがわかったと話していました。これは、日本で行われている学校へのアウトリーチで、普段は目立たなかったり問題児だったりする生徒がアーティストとの出会いで意外な才能を発揮する、という現象にも通じるものと思われます。
NACはアーティストと教師の役割分担について、アーティストは教師になる必要は無く、その逆も然りだと述べています。両者がそれぞれの専門知識を生かしてコラボレーションすることで最大の効果が生まれると考えられているためです。シンガポールの教育省(Ministry of Education / MOE)は教師向けのドラマ教育の研修を行っているそうですが、創造性や技術は一朝一夕に身につくものではなく、NACの担当者はTeaching Through The Arts事業を行うにはアーティストの存在が必要と話していました。
世界各国の取り組みと日本の現状
シンガポールの教育と演劇について討論するパネルでは、アーティスト、教師、校長、教育省の担当者らが現状と課題、今後の展望について語りました。教育現場における演劇への取り組みの課題としては、活動のための授業時間の確保とクラスのサイズ(40人/クラス)、質の高いアート・エデュケーターやファシリテーターの養成が挙げられました。
私はこの学会で日本の演劇アウトリーチの事例として(財)地域創造の「公共ホール演劇ネットワーク事業」を取り上げて発表したのですが、上記の課題は日本の教育現場でも見受けられました。この事業では演劇の表現者(俳優や演出家)が学校を訪ね、一つのクラスを対象に90分のワークショップを行うというアウトリーチが組み込まれているのですが、2011-12年に地域創造が行ったアンケートでは52.2%の教師が「授業数の不足が継続的なアウトリーチの妨げになる」と答えています。
シンガポールの事例ではアーティストが学校の教科について自ら学んだりリサーチした経緯が紹介されましたが、日本では通常の授業とは切り離されたところでアウトリーチがなされることが多いのではないでしょうか。前述の地域創造のアンケートでは、アーティストが教科書に無い題材を使ったワークショップを行った場合(2011年度)、47.4%の教師が「ワークショップを学習指導要領のなかに位置づけることが難しい」と回答したのに対し、国語の教科書に載っている『走れメロス』を使った場合(2012年度)ではこの点に困難を感じた教師は18.5%にとどまりました。アートを教育のための道具としてしまうことには賛否両論あるかと思いますが、教育現場への理解と学校とアーティストの長期的な関係構築についてシンガポールの取り組みから学ぶことは多くありました。
上述の教育と演劇についての討論パネルには、独自にアーティストを呼んで授業を行っている幼稚園教諭も登壇していました。彼女はシンガポールの子どもたちが”遊び(Play)”に没頭する余裕をなくしつつあるという問題意識からアーティストとの協働を始めたといいます。”遊び”ができなくなっているという指摘はアメリカの演劇教育研究者で実践者でもあるJennifer Kulik氏の口頭発表の中でもなされました。アメリカでは、テスト重視の教育方針による休み時間の減少、習い事によって放課後まで子どものスケジュールが埋まっていること、防犯意識から外遊びが減少したことなどから、子どもの生活の中で"遊び"の時間が失われているそうです。日本の社会でも同様の状況が見受けられると思います。彼女の紹介した事例は高齢者と青少年が一緒に取り組む演劇ワークショップについてでしたが、その効果として想像力(Imagination)、創造性(Creativity)、自尊感情(Self-esteem)が高まることを挙げていました。これらの点は日本の演劇アウトリーチの効果としてアンケート結果にも現れているもので、社会状況の類似点と合わせて、大変興味深いものでした。
教育制度や国の規模、人口構成などが異なるので国外の事例がすぐに日本に応用できるものとは言いがたいのですが、日本ではまだ実現できていないアートを使った学習や長期的なアウトリーチ、世代間交流などの事例の成果と課題を共有できたことは大変有意義でした。学会期間中は表現者によるワークショップのセッションもあったため、研究者だけでなく教師やアーティストにとっても貴重な情報共有の場であったと感じています。日本の優れた取り組みも、今後こうした場でますます世界各地の人々と情報交換・共有されることを期待しています。(齋)
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