・死因は矢で射られたうえに、頭蓋骨が陥没するほど殴打されたことによるらしい。保存が良いため頭に血も残っていたそうです。
・当時は野外で食事をするため食物には花粉が付着し、その花粉から植生を割り出すと彼が何日間も山中を(殺人者から逃れるため?)さまよい続けていたらしい。
・体には小さな刺青がいくつかあり、それは腰痛持ちに効くツボばかりだそうで、中国起源とされているツボ療法に先行して、その地域にツボの知識があったらしい。などなど…
・即身仏とは衆生救済を願い、厳しい修行の末、みずからの肉体をミイラにして残した行者のこと。
・即身仏になった行者は江戸時代に多い。
・即身仏になるための修行は、五穀断ち・十穀断ちなどにより1000日~3000日間、木の実以外を口にしない木食行(もくじきぎょう)や、冬でも川の水に浸かり手の平に立てたろうそくが燃え尽きるまで水の中にとどまる水垢離(みずごり)、手の平に百匁(約375g)のろうそくを立て、燃え尽きるまで支え続ける手行燈、毎日漆を飲む行などがある。
・行者の飲んでいた湯殿山の湯にはヒ素が含まれていたため、身体が腐食しにくかったらしい。
・最後は断食状態に入り、入定(にゅうじょう=高僧が死去すること)の場として用意される土中の棺に入って土を掛けられる。空気穴としての竹筒が通されるだけで、中は全くの暗闇となった中で、行者は鉦を叩き、念仏を唱えながら即身仏となる。 (『山形県の歴史散歩』参照)
(Mube)
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