2013年6月8日土曜日

木乃伊

先日、テレビ好きの友人から「NHKスペシャル 完全解凍!アイスマン~5000年前の男は語る~」を見た話を聞きました。ご覧になった方もいるかもしれませんが、1991年にイタリアとオーストリアの国境近くのエッツィというところで溶けた氷の中から見つかったミイラが「アイスマン」です。

 
2012年に解凍して短時間の内に検査した結果から推察されることは…
・死因は矢で射られたうえに、頭蓋骨が陥没するほど殴打されたことによるらしい。保存が良いため頭に血も残っていたそうです。
・当時は野外で食事をするため食物には花粉が付着し、その花粉から植生を割り出すと彼が何日間も山中を(殺人者から逃れるため?)さまよい続けていたらしい。
・体には小さな刺青がいくつかあり、それは腰痛持ちに効くツボばかりだそうで、中国起源とされているツボ療法に先行して、その地域にツボの知識があったらしい。などなど…

 
いかんせん5000年も前のことなので、憶測の域を出ないことばかりかもしれませんが、「5000年間、殺された悲しみを抱えたまま氷の中にいたんだね…」と友人と同情することしきりでした。

 
ちなみに2005年には「愛・地球博」にちなんで「アイスマン展」が名古屋ボストン美術館、豊橋市自然史博物館で開催されましたが、精巧なレプリカによる展示だったためご本人の来日は果たせなかったようです。

 
……なぜミイラの話題かというと、もうお気づきとは思いますが、この夏の小林ゼミ合宿の目玉?とも言える鶴岡の即身仏見学の関連知識ということでのご紹介です。

 
日本のミイラ、即身仏(湯殿山系)につきましても以下をご参考ください。
・即身仏とは衆生救済を願い、厳しい修行の末、みずからの肉体をミイラにして残した行者のこと。
・即身仏になった行者は江戸時代に多い。
・即身仏になるための修行は、五穀断ち・十穀断ちなどにより1000日~3000日間、木の実以外を口にしない木食行(もくじきぎょう)や、冬でも川の水に浸かり手の平に立てたろうそくが燃え尽きるまで水の中にとどまる水垢離(みずごり)、手の平に百匁(約375g)のろうそくを立て、燃え尽きるまで支え続ける手行燈、毎日漆を飲む行などがある。
・行者の飲んでいた湯殿山の湯にはヒ素が含まれていたため、身体が腐食しにくかったらしい。
・最後は断食状態に入り、入定(にゅうじょう=高僧が死去すること)の場として用意される土中の棺に入って土を掛けられる。空気穴としての竹筒が通されるだけで、中は全くの暗闇となった中で、行者は鉦を叩き、念仏を唱えながら即身仏となる。            (『山形県の歴史散歩』参照)

 
岡本太郎はその著作『神秘日本』の中で、「大日坊や注連寺では、即身仏をあまりにも素朴な形で実践したミイラのグロテスクな姿に、歪められた修験道の象徴を見た」と湯殿山の即身仏について語り、形骸化・形式化される以前の修験に思いを馳せていますが、私たちはミイラに何を見るのでしょうか?(人体展示ということでいえば、岡本太郎の遺骨も岡本太郎記念館で展示されたと聞きました。ミイラではありませんでしたが…)

 後世の人々のいろいろな物語を引き受けながら、ミイラは干乾びつつも、生々しく存在し続けています。                                         
 
                                                      Mube

 

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