2012年11月29日木曜日

新日系人に日本語を教える


 「新日系人」という言葉をご存知でしょうか。第二次大戦前、フィリピンには日本から多くの人が出稼ぎにきていて、麻の栽培や土木工事などに従事していました。ミンダナオ島のダバオには、当時2万人もの日本人が働いていたともいわれています。彼らのなかにはフィリピンに根を下ろし、現地で家族をもつ人たちも多く、その結果フィリピンには相当数の日系人がいます。
 これに対して、戦後の日系人を指す「新日系人」という呼び方があります。とくに1980年代から急増した、フィリピンから日本に渡ったフィリピン人女性と日本人男性との間に生まれた子ども、あるいは、フィリピンに来た日本人男性が現地人女性との間にもうけた子どもを指します。別名「ジャピーノ」と呼ばれることもありますが、「ジャパゆきさん」と同様、ある種のネガティブなニュアンスが込められた言葉です。

 いま私は、新日系人を支援するNPOで、日本語を教えるボランティアをしています。彼らの父親は日本人ですが、一緒に暮らしてはいません。このNPOでは、新日系人の実の父親を探し、実子として認知してもらい、日本国籍を取得し、新日系人とその母親(保護者として)が日本で就労できるよう就職先をマッチングする、そして彼らの渡航前に日本語を200250時間教える、という活動をしています。私が教えているのは20歳から27歳の女性。みんな日本へのビザ申請中です。
 驚くほど熱心で、宿題は必ずやってくるし、なかには無遅刻無欠席の人もいます。日本行きが見えているだけに、モチベーションが高いのです。彼らが日本に行ってから、少しでも言葉の面で苦労しないようにしなければと、かなりのプレッシャーを感じながら毎回授業をしていますが、一生懸命な彼らの顔を見ていると、もうそれだけで胸がいっぱいになり逃げられないと思います。
 今日の授業の最初のテーマは「私の家族」。自分の家族の言い方と他人の家族の言い方を区別することが目標なのですが、彼らの紹介する家族構成が複雑なこと・・・。「先生、stepfatherは日本語で何といいますか?」「血のつながっていない兄弟は?」などの質問を受けると複雑な気持ちになります。
 その次の課題は、「〜でしょう」という未来型を使った練習。おみくじを小道具に用い、「大吉」「中吉」「末吉」の札に、何かポジティブなことを、この文型を使って書いてみる、というものです。ある「大吉」の札に書いてあったのは、「日本へのビザがおりるでしょう」。それをひきあてた彼女は、まさに満面の笑みでした。
 
 新日系人は現在10万人以上が確認され、実態は数十万人にのぼるとも言われています。彼らのなかには、より幸せな生活を求めて、日本行きを心待ちにしている人たちがいます。日本での仕事は、たいがいグループ・ホームでの介護の仕事。現場は恐らく厳しいことでしょうが、少しでも彼らが希望をもって生きていけるよう願うばかりです。

(M@Manila)

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