っつっても山梨名物のおいしいアレじゃないですよ。
能登ッコ(竹)の地元の祭紹介その2です。
「石崎奉燈祭」(いっさきほうとうまつり)を紹介します。
能登地方には、高さのある燈籠を担ぐ祭が沢山あります(能登ではこの燈籠を「キリコ」と呼びます)が、奉燈祭はそのひとつです。
起源は、以下のようなもの。
「この祭りは石崎八幡神社の納涼祭(お涼み)が度重なる大火が原因で、明治22年、網すき(網大工)の口添えで奥能登より古い「キリコ」を移入して始めたものであり、大火以前のお涼みは祇園系の山車だったといわれている。
能登に数多く点在するキリコ祭りは京都祇園祭の流れを汲むものであり、石崎奉燈祭も平成7年まで京都祇園社の例祭日にあたる旧暦6月15日に行っていた。」
(七尾市観光協会公式サイトより)
さあ今回も祭の様子を見とかんけ?!
奉燈は、東一区~四区、西一区~三区の7基があり、それぞれ100人くらいの男性が担ぎます。
各地区から出発し堂前(どんまえ)に集まって、入り混じって乱舞。決して広くはないスペースですが、それだけに非常に興奮するものです。
乱舞の後、奉燈はまた各地区に帰っていきます。祭は大抵夜明け前まで続きます。
奉燈の上には女性の恰好をした男の子が乗って、横笛と太鼓、鐘のおはやしを奏でます。
毎年ある時期になると、各地区でおはやしの練習が始まりますが、どこからともなくおはやしの練習の音が聞こえると、「あぁもうすぐホウトウやな」と感じます。
小学校でも、音楽の時間に「日本の音楽を学ぶ」分野扱いで、太鼓をやります。
授業ではもちろん、女の子も体験できますので。
(今も音楽で扱ってるのだろうか。少なくとも私が小学生だった時期は、太鼓をやっていた。というか、この発言で出身小学校が一発でバレますがついでに言うと私は力士・輪島の後輩にあたります。自慢です。)
そういえば小学校の学校だよりだったか、タイトルがおはやしの一部をとった「サッカサイ」でした。ちょっと面白い…。
何が言いたいかというと、ともかく地元の人にとっては、奉燈祭は一年に一回の特別なものであり、一年の生活リズムにしっかり組み込まれているのです。
「○○遺産」などに登録されるでもなく、必死で「保存する」とかいう考えもなく毎年普通に祭が行われているのは結構貴重なことです。もちろん、他の地方と同じように、奉燈の担ぎ手が減っているなどの問題もないわけではありませんが、対応はしています。
石見神楽が地元に「文化」などということばでは意識されず、しかしその自然さこそが「文化」なのではないかという話題が出ましたが、この地方と私は、そのような意味で「文化」をもっているのだと思います。
奉燈祭は当たり前のように毎年やってくると思って毎年当たり前のように参加しているし、おはやしは完璧にうたえる(?)し。
明治時代に始まった祭なので、祭としてはそんなに古くないですが、そんなことはあまり関係ない。ともかく祭で一年のサイクルがまわっている、サイクルが残っている、そのような地方で育ったことに対する自信みたいなものが、上京してから分かってきている次第でございます。
奉燈祭についてはまだ話題があるので、また来週、記事を書きます。ではでは。
(竹)
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