先々週の土曜日に、武蔵野市市制65周年シンポジウムが、武蔵野文化会館の小ホールが行われました。私は、コーディネーターとして参加をしましたが、素晴らしい方々とシンポジウムをご一緒させていただいて、楽しいひとときでした。私自身、自分の住んでいるところではない自治体で仕事をさせてもらうことが多い中で、自分の地域の文化について改めて問い返すということができたのは楽しかったですし、その思いや危機感を共有している方々に出会えたというのが、何よりも嬉しいことでした。
すべての方が武蔵野市に長く住んでいらっしゃる方々で、作家の井形慶子さん、漫画家の美内すずえさん、アートディレクターの小川希さん、社会デザイン研究者の三浦展さん、そして武蔵野市商店会連合会顧問の三宅哲夫さんです。テーマは、「文化が生み出す都市の魅力とは」ということで、一応武蔵野市市制65周年ですから、武蔵野市を話題にするべきなのですが、皆の関心はひたすら吉祥寺という町にありました。ご存知の方も多いと思いますが、私の育った吉祥寺は、どういうわけか「住みたい町No.1」を長年にわたって獲得しています。たしかにパネリストの人たちも、吉祥寺の良さや好きなところを挙げることはできるのですが、当日語られたのはそれが実態のない抽象的なものであるということと、さらにその良さが失われつつある危機感の方が圧倒的に強いということでした。
そこで語られていた吉祥寺の良さは、妙にノスタルジックではあるのですが、自然環境が豊かで(上水道は8割が地下水で富士山の伏流水だそう)、消費文化に踊らされない落ち着いた、人間らしいつながりを持つ、なんとなく文化的雰囲気のあるというところという特徴を共有していました。文化的雰囲気というのは、いわゆる文化人といわれるような人々が多く住んでいることを皆がなんとなく知っているということなのでしょう。この文化的雰囲気を除けば、ほとんどは日本の地域を形容するどこにでもありそうな叙述ですよね。そういう意味では、他の地域と吉祥寺を画するのは「文化性」ということになるのだと思いますが、顕在化しているものではないだけに、とても捕らえどころがないものです。なぜ文化人と言われる人が集まってくるのかということが、武蔵野市や吉祥寺の文化性ということになるのだと思いますが、美内すずえさんの言葉を借りれば「アイディアを練るのに長居が出来た個性的な喫茶店や個性的な品揃えの本屋があること」だったり、三浦さんによれば「散歩をするのに気持ちのよい千川上水だったり、玉川上水」だったり、井形慶子さんによれば、「こだわりのある、個性的な住民を満足させる、お店や人」だったりするようです。ちなみに私は、この規模のまちには珍しいほどの本屋さんの数を挙げました。
ただそれが、マスコミや雑誌の宣伝で大勢の人が吉祥寺に集まってくることによって、またお店がどんどん全国チェーンのものに移り変わっていくことにより、吉祥寺に住んでいる人が満足しなくなっているというのです。おそらく吉祥寺に外から一時的に集まってくる人は、吉祥寺の文化性に惹かれているわけではないのですが、それがなんとなく「文化的」であることを壊していると皆が一様に思っているということです。実際パネリストの人たちが、もう吉祥寺で「飲まなくなり、西荻に出かけている」ということが話題になったり、人が多くて吉祥寺に住むのだいやになったということが言われたりと、深刻な問題も明らかになってきました。地方にいくと、定住人口を増やしたいとか、人にもっと来てもらいたいという問題に悩んでいるところがほとんどなので、吉祥寺や武蔵野市が抱えている問題なんて、羨ましい悩みということになるのかもしれません。またまちやその地域の文化なんて、そもそも変化していくものです。しかし、私は相当に深刻だと思い、自分の足下のこともきちんと考えなければと思った、そんなシンポジウムでした。(M.K)
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