2012年11月15日木曜日

ホウトウ(2)

先週の記事の続きです。
最近、ゼミ界隈でも祭の観光化の話が出たりしていましたが、奉燈祭にも観光客が来るようになっています。それと関連した話題があります。
2001年、ひとりの観光客が奉燈と民家の壁に挟まれて亡くなりました。未だに狭い道ばかりのところに幅がぎりぎりのキリコが勢いよく通るのですから、身のこなし方を知らない人にとっては、奉燈祭は結構危険な祭でもあります。このことが、最悪の結果になってしまったのです。
亡くなった方には、本当に気の毒なことです。おそらく祭に興味をもってせっかく訪問してくださったのに、楽しく終わることができなくて。地元でももちろん話題になりました。

これを機に、祭には案内のアナウンスがつくようになりました。この動画の最初の方で、背景に流れる女性の声がそれです。正直、祭の興奮には水をさすようなアナウンスなのですが、しかし観光客を巻き込む事故が起きてしまったからには…というところなのでしょう。

しかし、ここで亡くなったのが地元の人であったのなら、もしかしたらこのような措置は行われなかったかもしれません。祭で死傷者が出るのって、祭によっては結構ありうることで、その度に祭のセキュリティなどが強化されて続けていくというのも、キリがないので。では、この措置はこれからも祭に来る観光客の皆さまのためなのかな。でも、祭ってまずは地元の人のものやよな?…あれ、本当にそうか今日日?
というか、こんな記事書いたら「奉燈祭のイメージ悪くするようなこと言うな!」みたいなこと言われるかな。でも、それって誰に対して「悪く思われる」ことなんやったっけ?

とはいっても、現在の考えでは、人に危害が加わるのは基本的に良くないというのは当たり前。
祭に他の地域から人が来てくれるのは、地域に魅力があるということで良いこと。
「祭はいつまでも変化を拒まなければならない!!」なんて、いつまでも言ってられないし(良い変化と良くない変化があると思いますが)。

全国的に知られる祭なんてほとんどなく、地域でそれぞれなにものかをまつっていた時代とは、状況は違ってきているんだな。それには良いところもそうでないところももちろんあるけど、祭が「外」から見られたり楽しまれたり評価されたりつながったりするようになったのって、結構最近の、新しいことなのでは。それに伴う変化は必然的だけど、それぞれの地域ではどのようにしているのだろう。どのような意識をもっているのだろう。そのようなことを思いました。
いまだに新しい祭ができたりもしている昨今、祭はどうなっていくのでしょうかね。

あ、もちろん自分は、自分の地域の祭に人が来てくれるのは嬉しいですよ。
↑なこと書いてから何なのですが、ホウトウ本当に楽しいのでね、おいでませ能登、ですよ。

(参考ウェブサイト)
http://okwave.jp/qa/q5967651.html

(竹)

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